銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

聖地『アトス』から考える、男女の深淵

2009-03-17 00:33:40 | Weblog
 この09-3-10に、NHKハイビジョンが、再放送としてですが、ギリシャの聖地アトスを、取り上げました。オンデマンド放送を、利用なさる方のためにタイトルをあげると『秘められた聖地、アトス』となります。

 そこは、海抜二千メートルを越えるアトス山を中心とする峻険な地域で、全盛期(ビザンチン帝国とか、ロシア宮廷の経済的な保護があった時期)には、110を越える修道院があり、それが、途絶えた今でも21の修道院があり、そのほかにひとりで洞窟などを使って修行をしている人間もいる島だそうです。フェリーボートで巡礼者を受け入れていますが、女性は未だに禁制の島であります。

 番組を見た感想では、予測ほど感動を与えられなかったというのが正直なところです。と言うのもマリア信仰を主として修行を重ねる修道士たちが、得られた、最高のものが欲望の昇捨だという発言がありました。そこが、女性である私には、ぴんとこなかったからです。
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 以前、NHKの『男と女のミステリー』と言う科学番組を推奨しました。あれは、相当なレベルでよく出来ています。しかし、科学とは別の分野、いわゆる心理学の問題で考えると、男と女の違いは大きく、そこに横たわる深淵を踏み間違えると、普通の言葉で言う大不幸に陥ります。

 でね、そのことを平明にかつ丁寧に説明している人が少ないと思います。普通の女性が性愛について触れることは、タブーでありましょうが、敢えてそこに踏み込んでみましょう。
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 アトスの修道士たちが、「それが大きな勝利でした」と発言する限り、男性には性衝動と言うものが、抑えられないくらいに沸き起こるものだということを証明しています。そして、シゴトがよく出来る男性ほど、それを、平気で社会へも表現していてそれを、社会も許している風潮があります。ときどき、アメリカのトップ為政者や、日本でも有力な政治家がその下半身の問題で、失脚をしたり、叩かれたりしますが、それは、別の要素が絡んでいます。

 平和主義への政策移行をしようとしたりすると、それを阻止したい勢力が、別方向からその政治家の政治生命を絶とうとして行われる漏洩であったりします。フランスのミッテラン大統領が、記者陣のその手の質問に対して、「それが、どうしたの」と身を交わしたそうですが、『さすが、文明の重なりの長いフランスですね』と感じますが、アメリカでは政治家の方が、まだ弱いです。

 日本では、政策がどうしたこうしたよりも、基本的なレベルで、強さを持ち、国民にとって有望な政治家がそれを遣られて、同じように、政治生命を、絶たれたりします。文化人、ライターなども同じ手法を使ってつぶされたりします。つまり、全うなiken(opinion)を言ったりすると、危ないのが日本でもアメリカでも起こりうるリスクと成ります。

 だけど、スケープゴートとして上がる小数の例外を除けば、世間では、『力のある男性は、複数の恋愛をしてもよいのだ』と言う通念があり、それは、実践をされており、許されていると感じます。

 ですから、前報で申し上げた気の毒な正妻も、それに負けているからこそ、戦えなかったわけです。ずるずると、敵方のわなにはまり、少しずつ、気弱にさせられ、うつ病に近くなっていって、生きる気力を失っていったのでした。
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 比較して女性はどうなのだろう?と思います。女性には、肉体的に性衝動が起きることは少ないと思います。でも、女性にとって必要にして、大切なものは、精神的な意味での、『保護される』という感覚です。西欧文明における『レディ・ファースト』と言うエチケットはそれを、形として表したもので、うまく出来ていると思います。が、日本男子でそれを、実践したり、表現する人が少なくて、長年亭主関白を続けてきた挙句に、突然、熟年離婚を突きつけられるという現実が起きたりします。しかも例が多いらしい。

 つまり、社長になれるほどの、器量が無くて、サラリーを獲得することで一生を送ってきた普通の男性が、退職金を貰った途端に妻に見切りを付けられて、まだ若くて、未来を信じている妻の再出発の邪魔者とみなされるケースです。幸いにして、私は身近には、こういう例を知りません。が、世間のニュースを見聞きすると、それも多いようです。

 ものすごくエゴイスティックに人々が変化してきています。昔の日本人なら考えられないようにエゴイスティックに日本人が変化をしてきています。

 でも、すべての現象の基盤には、お金が横たわっています。お金回りが充分だからの発想です。社長が正妻を捨て、新しいパートナーを選ぶのも、その人に若い女性を惹き付ける財力があるからです。そして、正妻が無念の涙を飲み、我慢をし続けたのも彼女には、普通のレベルの生活を維持できるだけの、収入が離婚をした後には見込めないからです。

 日常生活と言うのは継続しているものです。クラス会へのお誘いがあるとします。そこに何を着ていくかも、普通の女性には大問題でしょう。私なんか、忙しすぎて、ココ十年ぐらいその手当てを一切しておりませんでした。そして、洋服を買わないで、惨めになりがちな精神を補う手段として、唄を歌わせていただくという手法を取ってまいりました。

 この2009年に入ってからやっと、シゴトをセーブする心境に達して、やっと、今年から同窓会向けに洋服を買ったり時計を買いなおしたりしました。それで、唄の方は抑制するようになりました。(ただ、他の方が歌うと、釣られて、歌いたくなってしまって未だ修行が足りませんが)

 あの気の毒な正妻の方も、親戚の眼、ご近所様の眼、そして、昔からの友人の眼を考えると、生活を激変させることが出来ず、したがって、ずるずると、悪意のわなに落ち込んでいったのです。つまり収入を落としてもよい。プライドを優先させたいという母君が昔選び取った道のわだちを踏みたくないという心境も加味して、彼女は生活を改善する事(離婚)ができず、緩慢にですが、生命力を失っていったのでした。

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 彼女が私に託した無念の思いは、「チエコちゃん、書く事で彼らをやっつけて」と言う代理の復讐の役目を私に負わせました。しかし、私は本名でそれを書くわけではなく、だんなさんについても社長と表現するだけで、具体的な職種の分野さえ書きませんから、役に立つわけでもありません。
 
 ただ、こういう現象の影に、『お金がたくさんある事がいいことだ』と言う基本線が隠されていることには異議を唱えたいです。そして、不況感が蔓延しているのも良いことでもあります。熟年離婚を企画していた主婦層も、<アルバイトが出来ない、かつ、正式な就労もできない>となれば、諦めるでしょう。生活とは費用がかかるものなのです。税金や家の補修費なども含めれば相当な費用が生きている限り、自らにかかっていくものなのです。

 まあ、彼女のために言えば、「もう少し、大人になって、だんなさんを包むような側面を涵養していたらよかったわね。その若い女性には多分、そういう側面があったので、だんなさんは彼女を選んだのだと思う」といいたいです。主婦だって大変です。修行を重ねなければ成らないのですが、子育てとか、善良であるという事がくびきに成っていて、社会的な勉強ができず、独身で、その方面で自分を磨いてきた女性に負けることはあるのです。

 そして、男性的な要素が強い男性ほど、妻には、「家にこもって静かに暮らして欲しい」などと言う要望があるので、大矛盾をきたします。子育ても大きなエネルギーを必要とします。女性が、外で働くことと結婚生活を両立をさせるのは、本当の意味では容易ではありません。絵描きの仕事は家の中で出来ると言っても、精神的に、別世界に入ってしまうので、これも、夫や子どもと仲良くすることとの、両立については、とても難しい仕事です。

 男と女の間には未だに、深淵が横たわっていると思います。ただ、共同生活をする限り、相手を信じて、思いやりをもって生きる事ができれば、それで、充分に幸せだと感じないといけないでしょう。私は、夫には『出世をして欲しい』とか、『金銭欲を満たして欲しい』と願うのは、やめています。随分前からですよ。それは、やめています。自分についても無欲になるように努めていますが、配偶者に対しても無欲であるように努めています。

 なお、今日のブログパーツ写真は、私がデルフォイの神殿破風の『ライオンが子牛をほふる図』(実際には美術館にある)、を写生してきて、さらにそれを、簡略なエッチングと化したものです。アトスからの連想です。アトスと言う島には、こういうヘレニズム遺跡はありません。中世風、ギリシャ正教の、寺院の装飾はイコンが主なようです。と言っても、写生など許されるはずもなく、しかも、女人禁制です。だから、ただ、ギリシャと言うワードに固執してこれを、添えました。テンプレートが地味な上に、ブログパーツも無彩色では、冴えないことおびただしいですが、今日はこれで、お許しを頂きたく。
   2009年3月16日   雨宮舜(川崎 千恵子)
コメント
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