銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

私は昔からロダンが嫌いだった。理由はモデル達を実験動物並みに・飼って・居る・からだった

2024-06-16 14:52:56 | 政治

  いやー、こう言うの,チャネリングの一つでしょう。

今朝、いつも通り、日曜美術館を見ていたら,九時四十五分からの,アートシーン冒頭で、ブランクーシ展の紹介がありました。その40時間前に、現物を見ています。(午前中の番組を見た時間と、比較している)

 これこそ、チャネリングの典型だと思いました。久しぶりです。1990年代は、爪にも幸運の白い星が、両手合わせると三つほど、常時出て居て、チャネリングの方も一週間に、三度は経験して居ました。あの頃の冴えわたり方が、戻ってきたかなあ。と感じちょっと嬉しく思って居る所です。

 京橋で、それを見たのが十四日(金)で四十六時間前です。(午後、電車の中で、スマホでこれを入力している時間帯と、比較すると、46時間魔になる)お節介ながら、その前の四十五分間、福田平八郎もとても良かったので、普段これをご覧になっておられない方が有られたら、お節介至極ですが、ご覧になって見てください。 

 ところで、ブランクーシ(1876~1957 ルーマニア出身)は誠実な人物のようです。まあ、パリへルーマニアから出てきたので、出世意欲が皆無だとは、言いませんよ。でも、比較的には、誠実です。

 カミーユの心を破壊した、ロダンの妻が、運営を牛耳って居たであろう、ロダンの工房を去った理由が、分業体制を嫌ったからだそうです。で、早々に、ロダンの工房を去って居ます。誠実な人間で有り、ルーマニアという辺境の地出身なのに、なんと抽象 彫刻を始めるのでした。それも大向こうを狙った、やってやろうじゃあないか、、、、と言う様な心で、発した作業ではなくて、ただただ、一本の木から、一つの石から、作品の完成まで、自分の納得の行く形で仕上げると言うところから、到達した形式なのです。

 もう一つ、私が、大変感慨深かったのは、ロダン全盛の同時代にね、ちゃんとロダンを批判して居る人間が居たと言う事なのです。テレビのない時代です。批判を発表するのはジャーナル  イコール  新聞しかないのです。しかしブランクーシが、記者を呼んで、自分の意見を発表したとは考えられません。彼は、ただひたすら、制作のやり方を、ロダンとは、違う形式にするとか、、勉強のむく先を、一人で静かに、探求し続け、形を追求することに大きな、興味を、見出したのでした。

 すみません。ここで、形=フォルムについてあれこれ述べようとしたのですが、外出先であり、苦手なスマホ入力なので諦めました。

 で、あれこれ、動きが激しくて、

 四時半から入力ができませんでした。で、本日は、ブランクーシについての入力は、ここまでとさせてくださいませ。

 ここからは、ブランクーシが、そうそうに逃げ出したと、言われるロダンに対する私の考えに入ります。

 私が言いたい事は、総タイトルに表記しました。文明の都 パリと言えども、所詮は、戦争に明け暮れて居た、ヨーロッパ イコール 肉食の国なのです。

 ブランクーシが批判をして居るのは、集団 分業態勢ですが、それは草間彌生も、村上隆も取っている手法です。ただね、彼らは、裸のモデルと、一緒に工房にいるわけではありません。

 でも真面目で律儀なブランクーシのまわりに、いつワインを飲んでも良い、そういう自由を耐えられた裸の若い男女がうろうろして居たと、私は想像します。ロダンはモデルたちを、飼育してたのですから。で、そりゃあ逃げ出したくなるでしょう。

 公表されている・ところ・までは、「ロダンは自宅 イコール 工房にモデルを住まわせて居た」と言う記述だけです。でもね、同じタイトルの接吻にしても、ブランクーシのそれとロダンのそれは、非常に違うのです。

 ロダンの接吻は、大きさも、、ほぼ実物大だし、リアルな性的場面なので、若い時初めてそれを見た時は、私は目をそむけたくなりました。どういう風に原画が制作されたかと、その場面を想像すると、なぜか、心臓がどきどきするほど、いやな思いに満たさるのです。

 つまり、ロダンは、若い男女を飼育していたのです。サファリパーク状態にして、人間を飼っていたのですよ。裸で、暮らす様に仕向けてね。

 それがどうして、可能かというと、ヨーロッパって、階層の上下差が、激しいので、下層階級の男女に、お金で、仕事としてやらせていたと、感じます。モデル達は、大学等を出ていなくて、哲学的目覚めもないので、お金の為に、しかも、こんなに楽な仕事で、食事には、贅沢ができると感じて、喜んでいたのでしょう。

 1945年以降の、日本だと、階層の逆転とか、上昇もありうるし、大体、階級があると、思っていない人が多いと思います。貧富の差はあって、日本だと、富裕層が、上流階級だと、思われています。

 今話題の、【燕は、戻ってこない】(NHKドラマ 桐野夏生原作)にしても、石橋静河演じる主人公は、今は、貧乏です。でも、もう少し、若い時に北海道から、上京し、病院事務をしている最中に、もし、医者と、恋愛結婚にでも至ったら、急に中流の上になれるのです。

 今って、女性は、派遣社員として、勤務している人が多いのですよね。歌舞伎座で、制服を着ている女性は、ほとんどが、派遣社員らしいです。松竹の正社員は、私服を着ているのです。これは、銀行も同じらしい。派遣社員として、事務職に就き、大きな企業に勤務するのが、日本女性としては、結婚への花道です。今は、お見合い制度というのが、上流階級の間でしか残っていないので、まじめな生活を送ってきたお嬢様が、結婚しないまま、アラサー、アラフォーになりました・・・・・というケースが多いのです。

 でもね、危機感もなく、派遣社員で、歌舞伎座などの、事務職ではない場所に勤務していると出会いがないですね。それで、もし非婚のママ、40を超えてしまうと、本当に大変です。しかし、先ほども取り上げた、石橋静河が、ドラマ中に言うセリフ「東京で暮らすのには、よいハンディがないとだめなのです。たとえば、親の家が、東京にあって、そこから、通勤するという形になれば、14万円のうち、家賃に、割くお金が不要で、14万円全部使えるので、パフェを食べたり、スパゲッティを食べたりできます」というのです。しかし、石橋静河には、それができない。彼女にできるのは、コンビニのおにぎりをかうことだけで、そして、かろうじての贅沢が、コンビニの、イートインスペースで、カップヌードルを食べることというのです。

::::::::あの、イートインスペースですが、銀座、一丁目の奥のビルの道路を隔てた対面にある、セブンイレブンの、イートインスペースではないかなあ:::::::元に戻ります。

 しかし、それでも、視聴者は、代理母を雇う契約をする側、稲垣吾郎+内田有紀夫妻と、稲垣の母、黒木瞳の三人と、代理母を引き受ける石橋静河の間に、上下関係があるとは、思っていません。黒木瞳が初めて、石橋静河と会い、いろいろ、話した結果、内田有紀に、「ああいうのは、種類が違う人間なのよ。努力もしていないし」というのを聞くと、なんと嫌な人間だろうと、黒木瞳をみなします。

しかし、ロダンと、その妻は、モデル達をはっきりと、自分たちとは違う人間だと、みなし、裸で、飼い続け、彼らが、他の場合だったら、プライバシーとして、尊重される様な場面を明らかに、監視し、興味を惹かれれば、原画として、スバ役、その動きを描きとどめたのでしょう

 ところが、ロダンと、その妻と、雇われて、飼育されているモデルたちの間には、確実な

 私は日本で、ヌードモデルの、写生会に、属していた時期があります。当時は、一時間 一万円ぐらい、の謝礼だったでしょう。1980-1990年代のことです。それを、代表者が、連絡を取って、会社に連絡を入れ、やってきた女性モデル(ヌード)を集団でスケッチするのです。15分が、四回、30分が二階だったと思います。

 そう言う体制では、ロダンが創作した様なポーズは、モデルも依頼者も、思いつきもしませんよ。

 美大の教室でも、同じでしょう。

  ところで、フランス(イギリスもドイツ他も大体同じ、イタリアがどうか、わからないが)、って、小学校六年で、階級差別の洗礼を受けるのです。パリの有名な商店の子供でも、小6の時に、大学へ、行かれる中学と、行かれない中学への岐路に立たされ、

 その選別が成績だけで、決まるのか、如何かを私は知りませんが。辻仁成のお坊ちゃまが大学へ入学なさったみたいで、どういうことだったのかは、わかりませんが、芸術系の大学だと、比較的、実技を重んじるので、外国人でも入りやすいのですが・・・・・・?????

 ましてや、ロダンは、1840~1917年の人です。戦前も、戦前の時代の人で、テレビもない、パソコンもない、そういう時代の人ですから、モデル達を実験動物並みに、飼育していたというのは、あながち大げさではないでしょう。彼らは、働かないで、済み、かつ、貴族並みのお食事を、出されていてワインなども、自由自在に(量も時間もです)飲むことができたら、やることは、恋愛=セックスです。生活が、急に貴族並みになったのです。ただし、裸で暮らす、事は、命令されていたでしょうけれど。

 日本は敗戦によって、急激に階級が無くなったのです。それは、どうしてかというと、進駐軍の中のインテリが、理想的な国家を作ろうとしたからだそうです。

 ただ、階級がないことが異様な嫉妬心の横行を招き、かつ、金銭への執着が強くなりましたね。金銭の多寡が、階級の代わりになったから。だから、品性が下品になったというところはあるのです。

 ところで、インドとかパキスタンとかスリランカみたいにカーストが激しく大きく残っている国ではそこから逃れるために、キリスト教を信じる人がいる模様です。日本の場合ですが、1945年にカーストが全廃されたんですが、その時まで死ぬ。士農工商という4カーストがあったんです。そこから子逃れるためにキリスト教に入ったと言う人があるかもしれないまた品子東京が無駄なもの明るいものとして西洋文明ももかに入るためにキリスト教に入った人もいるかもしれないこの後者は絶対にあったと思いますねで私の場合ですがそういうものじゃない。だけど、誰か具体的な人間を通して導かれたものではない。主に書物ですが、宗教性と言うよりも、一般の小説とか一般のエッセイで読んでいるうちに、だんだん宗教と言うものを感じるようになりましたね。でも何か言ってね。特に言えないんですよ。最初期はキリスト教を信じましたけれどね。キリスト教信じると嬉しい事はある。だってね、人間の世界なんて思いがけないことがあり想定通りいかないんですよ。その時ね乱れないでいるためには、キリスト教だけではダメなんですよ。やっぱりあきらめるって言う発想がないとダメで諦めるとか知ってると言う発想を宗教として教えるのは仏教なんですよね。だから私は仏教的要素を取り入れるようになっています。でもね、仏教だけだとこのよう統治している人知を超えた大きな存在があると言うことをあまり教えてもらえないんですよね。お釈迦様と孫悟空の例え話はそれに近いものですけれど、ちょっと滑稽男になっているから、宗教の教えと言うよりは。なんとなく動画を読んでいるって言うような感じになってしまう。それにお釈迦様とか観音様っていうのは日本にはたくさん得があるでしょう。私はあぁ言うのはダメなんですね。人様の描いたそういう神様と仏様。まぁ全然小鴨品にはなれない。自分の中で想像して創作された神様上って言うのかな?絶対なる存在っていうのはなんとなくあるんですよ。でも他人が描いた作品から上狭い道を作り上げた事は無いんです。ミケランジェロの天井がなんて凄いですけれどね。私の神様あんなに筋肉隆々じゃないですよ。ちゃんと置物もしてらっしゃる


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