これは、8月5日に書き始めたのですが一回引っ込めています。しかし、NHK BSPの【英雄たちの選択】2023年8月9日・幣原喜重郎編の最後に、別の新しい番組の宣伝がありました。12日に放映をされる予定の番組です。【軍事遺産】と、いうタイトルでしたが、映像を見ると・・猿島・・です。つまり、わたくしのこの下書きを、源泉として、番組を作っています。ですから、これを、9日に公開をしておきます。
うーん、それは、林真理子について、丁寧に書くことを阻害するために、放映をされるのかもしれません。となると、急に放映がなくなる可能性もあります。日曜美術館では、何度も、予告偏とは、違うものを放映をしていました。ので、12日に放映がないかもしれません。それを、ここで、お断りをしておきます。
もし、番組がなかったら、わたくしがうそつきだと、なりますね。そうです。わたくしの評判を落とすのに、鎌倉エージェントたちは、必死です。・・・・・林真理子が、お前よりどれほどに偉いのか、よく見ろよ・・・・・と、まだ、生きている井上ひさしが、いいたかったのが、日大アメフト部、大麻所持問題です。ところで、林真理子って、背徳の理事長ですね。自分が偉い人であると、日本国民全体に見せつけるために、母校の不名誉を利用しました。その不名誉って、わたくしに言わせると、作られたものですよ。
ところで、あの記者会見で彼女を囲むマイクの数が、学長より多く、かつNHKは、説明の際に、「林真理子さんが、林真理子さんが」と、連呼しました。なんとこどもっぽいやり方でしょう。林真理子の動きって、このユキノシタ二丁目三番地と四番地で、過去に行われた悪を、わたくしが開設すると、早速に、その原因者である、安野智紗夫人を先頭に立てて、謀略が起動するのですが、その時、関係する人たちがバカ丸出しなのです。
で、林真理子の記者会見に集ってきた大メディアの勤務者って、非常に難しい入社試験を突破してきたわけでしょう。 だけど、単純そのものです。井上ひさし(まだ、実際には生きていますよ)が、考え出した大装置内の、一つのピースとして、その装置を組み立ててあげているのです。恥ずかしい。
なお、決定的な証拠をあげましょう。それは記者会見が、8日に行われたことでも、確かなのです。その日、わたくしは、反町の、三室南向きの木造アパートの二階にいました。テレビがないです。だけど、その地域一帯が、高島台といって、戦前からの高級住宅街と、道路一本隔てた、一帯で環境がいいのです。ユキノシタ二丁目で、鶴ケ丘八幡宮様と、地境地主で、ございますと、いったって、下品な主婦たちが下品な話題で、ぺっちゃくちゃ、午後中井戸端会議を開いている・・・・とは、まったく違うのです。でね。落ち着けるから、ブログを書きに行きます。お掃除や、リフォームもするが、ブログを書くのも、大きな目的です。
5日にニューヨークから一時帰国をした娘一家を囲んで、家族パーティがあったので、その前は、反町に、掃除をしに行っていません。最近、大変疲れやすくなっているので、特別な機会がある場合、その前は、用心しているのです。で、なのか二は、絶対反町に行くはずだと、みなされていました。
そのうえ、念の入ったことには、6日の日曜日、夜10時25分ごろから、藤田真央のルェツルン音楽祭デビューの放映がありました。それって、一年前のことだから、すでに、プレミアムシアターかどこかで、見ています。しかし、若手、注目株として、三人(他は、沖澤のどか、と、クラウス・マケラ)をまとめて、藤田真央を最後にもってきました。これは、ブログを書かざるを得ません。そして、最近では、一晩で、完成しません。だから、絶対に反町に行き、テレビを見ないはずだと、確信をされて、林真理子をあげに、あげる記者会見が、その日に開かれたのでした。わたくしの生活様式は、観察し抜かれていて、彼らは、利用しぬいています。もし、ライブで、見ていたら、もっと、きっちりした証拠をあげてどれほどに、林真理子が、自分をあげるために、他人を利用したかを語ることができるでしょう。でも、今まで書いたことぐらいで、天は、お許しくださると信じています。
という事情説明を入れて、本章の目的である、軍事遺構に戻ります。
私は、自分自身が、林真理子とは、違って、テレビに出ることがで来ません。しかし、このわたくしという小さな存在が、日本の政治、世界の政治に、大きな影響力を持っています。
東芝が、株式を非上場にするために、TOBを、かけるというのも、わたくし狙いです。株、為替、などトリプル安というのも、わたくし狙いです。
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副題1、『私は、1974年から1984年まで、京急北久里浜駅最寄りの丘の上に住んでいたのですが、1970年代は、横須賀中を、観光先として巡りました。その家は鎌倉の家とは違って、車が入る場所で、駐車場も、自宅につくってあり、車を持っていたからです。
その後、6年目ぐらいからは、信州へなど遠出をするのですが、最初の五年ぐらいは、横須賀探検を、集中的に行いました。横須賀を、探索する事が、十分に面白かったのです。皆様も、実際に、けんぶつにいってごらんになると、軍事遺構は、驚かされるところがたくさんある、見ものです。
そのころは、第二海堡は、非公開だった(2019年から、ツァーなら解禁)ので、行ったことがありませんが、猿島には、二度くらい行っています。
見るべき価値のある観光地だと思います。車でいらっしゃったら、そのあとで、観音崎へいらっしゃったらいいでしょう。観音崎は車で行くと、そこも、軍の要衝だった事が判ります。あっちこっちに遺跡があります。
さて、私達は、横須賀に住んでいたわけですから、観音崎と、猿島は、むろん別の日に日帰りで行っています。しかし、遠くからいらっしゃるのなら、この二つの地域(猿島は、渡航費が、4000円かかりますが、観音崎の諸施設は無料です。)の戦争遺跡を、集中してご覧いただくことを推奨いたします。
なお、第二海堡は、自由には入れず、大手旅行会社のツァーに参加する形の模様です。丸の内発(はとバス)、横浜駅東口ベイクォーター発(グランツールズム)、横須賀三笠公園発(ローソン観光)などがある模様です。
これらの旅行は日帰りで、(お昼だけついている、はとバスを除くと、食事なし)で、大体2万円までの、旅費となります。大衆的ないちご狩りなどよりも高いけれど、珍しいものを見ることが出来るでしょう。特に浦賀水道を、往復するたくさんの商船、タンカー、コンテナ船などを、近くで、見るのは、迫力のある眺めです。それは、観音崎からも眺めることが出来ますが、第二海堡からだと、船の形が大きく見えますので、迫力がある筈です。
ただし、私は、こういう既製品のツァーは、行動制限と時間制限があるので、好みません。もし、初めて、これらの海軍遺構をご覧になるのだったら、まず、猿島へいらっしゃることをお勧めいたします。
ただし、詳しくチェックすると、今は、猿島も、最初に案内があるそうです。30分ぐらいの、ミニツァー。おせっかいですね。子ども扱いが、あっちこっちで、ひどすぎる。1975年ごろは、ずっと、自由でしたよ。
もし、電車でいらっしゃるのだったら、猿島と、三笠公園ぐらいしか見学できず、それだけで、日帰り旅行となります。鎌倉へ電車で、いらっしゃるのと、同じ感じで、見学ができます。
ただし、私は、車でいらっしゃって、観音崎を(特に各種の軍事遺跡を含めて)も、、御覧になる事をお勧めいたします。
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副題2、『ところで、軍事遺構だけをご覧いただくとしても、歩くのに、疲れるので、宿泊をされることを推奨するが、なんと、京急観音崎ホテルが、休業していた。京急は、品川駅前の、パンパシフックホテルを、一時期、GOOと改名し、結局は、閉鎖し、建物を壊した。私は、そのホテルの改装前のロビーが好きで、ひとと待ち合わせによく利用した。立地条件が駅ホームから近いことと、インテリアが、薄い緑色で、シンプルで美しいことと、煎茶セットが、用意されていたからだ。コーフィーとケーキセットよりも、緑茶と、上生菓子のセットの方が、休憩用には、好ましいと、私は、考えている。それをブログに書いたので、閉鎖になったと、思われる。
そして、閉鎖前の、名前がGOOと、なった時代だけどロビーのインテリアが、真っ黒になっていた。わたくしの意見と反対を、施行する様に、CIAえ-じぇんとが、命令したの、だと、思うが、彼らの、いうことを聞くと、必ず、不幸が押し寄せる。京急は、今、利益が軽減していませんか?
横浜みなとみらいにも同じ名前のホテル=パンパシフィックホテルを経営していた。息子が、豪華な結婚式をそこで上げたのだけれど、なんと、それも、東急に売り渡した模様である。
そして、2023-8-6に初めて気が付いたのだが、観音崎ホテルもドーミーインの経営者に渡すそうだ。京急さん? お問い合わせをしますが、儲ける先が電車だけになってしまって、大丈夫なのですか?と、思う。東急とは正反対の生き方だ。
ところで、この三つのホテルを売り渡したのは、すべて、CIAエージェントの差し金に従ったと、思われる。京急は、私が今、それで、大いに苦しめられている、北久里浜の東の丘に建つ、美麗なマンションの土地、(旧、横須賀市の水道山)が、地積変更届の仕組みを利用して、二千坪ぐらいが、彼(=増山重夫 プラス 瀬島龍三)の手に渡ったのだが、それにも、手を貸しているでしょう。すると、悪魔に魂を売り渡した、ケースが、二重三重に重なってきますよ。
今、京急の重役を担っている人間たちは、自分たちの退職金が出るまでは、京急は大丈夫だと思っていて、どんどん、どんどん、自分たちの財産を売り渡しているみたいですが、それって、若い世代への一種の背徳行為ですよね。
帝都東京と横須賀軍港を守るために、明治陸軍が東京湾口部に日本で最初に建設した西洋式の砲台群です。
○日本の最重要防御拠点として、旧陸軍が明治10年代~20年代にかけて9つの砲台を建設しました。
○日清戦争、日露戦争のときには戦闘配備につきましたが、幸い実戦で発砲したことはありませんでした。
さて、この北久里浜の美麗なマンションについては、その建築のいきさつ、に関しては、何度も何度も、書いてきていますが、この章でも、さらにわかりやすく説明をいたします。それは、
飾り罫線の後から、始まります。
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副題3、『猿島は、人間が案内してくれるらしい。それに、観光地としての整備も、わたくしたち一家が、訪問したころよりも、進んでいるらしい。それは、渡船料に、猿島入島料も含まれているからでもあるらしい。
しかし、観音崎の方は、入場制限が不可能です。島ではないです。広い敷地に塀を作る費用を、国家予算は出せないらしいですし。それにもし塀を作り門を作っても、その維持管理費が、大変ですね。
@@@@@ここが補筆中の最先端です。
○その後、兵器の進歩や国防方針の変更などによってお役御免となり、多くは大正時代に廃止となりました。
○太平洋戦争の後、県立公園として整備されたため、手つかずの自然のなかに、明治期砲台の遺構が良好に残されています。
つまり、観音崎公園のルーツは、帝国陸軍が日本で最初に造った砲台だったのです!
・この歴史的意義が認められ、平成28年4月25日、「日本遺産」に認定されました。
・タイトルは「鎮守府横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」です。構成文化財の一つとして観音崎・走水地区の砲台群が含まれています。
なぜ、猿島や、観音崎の砲台跡などをご覧いただきたいと、思うかというと、・・・・・これを作った人たちって、所謂朝鮮からの徴用工だろうなあと、思うからです。・・・・・今、在日と呼ばれている人たちの内で、自分のお金で、ビジネスチャンスを求めて、日本へわたってきた人も無論いるわけです。そういう人たちは、戦後、パチンコ店とか、焼き肉店のチェーン店などを展開して、大富豪に成って行ったわけです。
しかし、それらの人は、最初から、大阪とか、東京などの都会に住んだでしょう。一方、横須賀に住んでいた在日の人とは、植民地支配下の一種の奴隷として、日本に連れてこられた、人達です。
第二回帆を作ったのは、明治25年から、25年間をかけて、作ったそうですから、第二次世界大戦とは、関係が無い可能性があります。そうなるとそれを作ったのは、日本人労働者となります。まだ、戦争が始まっていないので、日本人の男性で、兵隊にとられている人が少なかったと、みなされるからです。
ところが、猿島については、いつできたかのウィキペディアが、見つからないのです。
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彼は、そこがまだ、山林だったころに、175坪ぐらいの土地を買ったのだが、その後、京急にインフラ整備をさせた。山全体をいろは坂で、車が通れる場所とし、京急池田分譲地を開発した。かつ、京急北久里浜駅まで、降りる階段道(急げば五分で降りられる)を作ったうえで、それを、実質二千坪にまで、増やしたのだった。こういうことはすべて書類で、保存してあったのに、いつの間にか盗まれている。(多分、2007年の事)その上、父と母の結婚式の写真他、父が石油開発専門のサラリーマン(満鉄調査部中央試験所勤務)ながら油絵が上手なので、新聞種になって、信教のラストエンペラーの宮殿、及び、満州映画理事長、甘粕大尉の理事長室、満鉄総裁室などを飾っていた。そういう事を書いた新聞記事の切り抜きもすべて、盗まれている。ところで、国会図書館にはあると思っていたら、マイクロフィルム化を口実に、文化面を、保存していなかった。。しかも、私が国会図書館に行くたびにパトカーなど、警察車両が待機して居る。ある朝など、徹夜で、外(主に、新橋)で、パソコンを打って、朝六時に、国会図書館まで、地下鉄で行ったことがある。すると、だーれもいない国会図書館、東側の道路に、機動隊運搬用バス(ただし、運転手だけ乗務)が、二台停まっていた。本当に誰も通っていないのに、機動隊用バスが居た。私を脅かすために‥・・・但し、私は、そんなものには脅かされず、ただ、ただ、日本の警察とは、CIAエージェントの家来であるという真実をつかんだ。
1960年代まで、京急北久里浜駅は、生田駅という名前だった。それが、北久里浜という、目立つ名前に、変更になり、京急には珍しいタイプの駅前ロータリーが整備されていることとなったのも、益山一派の、地積変更届の準備が始まったからだった。で、京急側で、彼に協力したのはAという頭文字で始まる人物だと、思う。ただ。一度も顔合わせをしたことが無いので、実名は伏せておく。でも、京急社内資料を見ることが出来たら、私の考えは当たっているだろう。
次に横須賀市だった。ごく最近、わかったのだが、長年副市長を務めていた、杉本俊一・正子夫妻は、私が知る限り、1974年には、すでに建っていた敷地、45坪、建坪27坪ぐらいの家を、只で、提供してもらっていたのだった。それは、法務局にも登記されておらず、ゼンリンの、地図にも載っていない家だった。その後1978年に益山重夫一派の悪事(=地積変更届)が完成すると、急に道路一本隔てた、2000坪程度の空き地に、ただ、一軒(敷地80坪、建坪50坪程度の宮大工が、竣工したとも思われる)の豪邸を建てて引っ越して行った。1980年ごろの話である。
私は、ヨーロッパの歴史を見ても、事件の影に悪女ありと、思うのだけれど、(例えば、ナポレオン一世のお后、ジョセフィーヌなど典型的だが)杉本家の細君、正子夫人も、驚くべき悪女である。まだ、ほとんど書いて居ないが、前報に出て来る北村充子さんに「川崎さんをいじめなさいね」と、提案したのは、正子さんであろう。
また、根岸小学校、広報委員長の、大沼嘉津江さんと、正子さんと、私との、三角関係において、大量の軍資金(横須賀市の税金による予算)を、島田章三氏に流れる様に手配をしたのも、正子さんの助言によるものだと、私は考えて居る。大沼嘉津江さんが、島田章三の実妹だからだ。
ところで、私は、北村充子さんの悪口もさんざん聴いた(前報、後註1)が、むろん、大沼嘉津江さんの悪口も聞いた。
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