副題1、『私は、ふと思ったのだが、案里議員とは、逮捕されるべく準備され、その上で、リクルートをされた女性ではなかったのだろうか? 鎌倉エージェントは、相当前から、自分達の道具として仕立て上げる人物を準備しているものだ。小保方晴子さんなど、中学生ごろから、しかるべく準備をされていたと感じている。案里議員も、2020-6-18日のNHKニュースを見る限り、その様に感じ取られる。したがって、じゃぶじゃぶとした資金(1憶5千万円)を自民党から与えられ、それを広島の選挙区内で、ばらまいていいと、誰かから、耳打ちをされていたのではないか?』
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副題2、『ここで、スタップ細胞疑惑とは、何だったのかを、おさらいしておかないといけない。案里議員は、数年前から、リクルートをされていて、逮捕に向けて、ちやほやされて居たと思うが、小保方晴子さんの方は、15年ぐらい前から、準備をされていた戦闘用道具である』
小保方晴子さんの父君は、三菱商事勤務だそうです。2チャンネルか何かで、知りました。そのとたんにすべての謎が解けたのです。小保方さんは、私の娘より若いのですから、父君も当然に、私などより、20歳以上若いでしょう。となると、私の同級生とか、同期の人で、三菱商事勤務の人より若いので、当然のごとく、配下の人間となるわけです。
ここで、横浜国立大学の同期会の中で、三菱商事へ、入った、男の子(=紳士)が、利用をされていると、私は考えております。
年齢がしただと、となると、お正月に上司の元へ、ご挨拶等に行って居る可能性があります。また、三菱商事内の種々のパーティで、家族ぐるみ参加できる様なものに、晴子さんが参加して居て、中学生ごろから、利発でかわいいとなって、この子を将来利用しようとして、早稲田へ、進学する様に、勧めて、合格をさせ、ハーバードへ進学させ、箔をつけて、その上で、とんでもない、嘘・研究を大々的に発表をさせました。
目的は、ネトウヨ呼ばわりされていた、私が、『うわ、日本って、さすがに素晴らしい国だ』と、喜んだ、発言をするだろうと、言う予測をもって、それを、私が書いた後で、「あっかんベー、嘘研究だったんだよ」と、発表をするはずだったと、思います。
しかし私は、そんな発言をいたしません。
馬鹿にしなさんなと、この事案にかかわった、人物たちに言っておきたいです。最初から変だなあと、思って居ました。
まず、NATUREで、発表するというのがおかしいのです。NATUREは、二次的な発表をする場であって、一次的な発表は、別の雑誌・専門誌=会員制の学会誌にするはずです。NATUREを選んだのは、公的には、自分を死んだことにしているが、実際には、まだ生きていて、ありとあらゆる謀略のアイデアを出している井上ひさしである可能性が高いです。
その上小保方さんは、白いかっぽう着を着て、研究をするのですって。嘘八百です。ただ、小保方さんが、手相占いを信じて居るそうで、という一文は書いて居ます。その内、世間の学者が、「この研究は、再現できない」と、言い始めました。それを丁寧に観察しているうちに、真相がわかったのですが、
ロンドンに住んで居る三輪喜久代さんが、NATUREに談判をして、嘘の研究ながら、発表をさせたのだと、思います。三輪さんは、嘘だと知っていました。また、笹井芳樹さんも嘘だと知っていました。理研の所長、野依さんも嘘だと、知っていました。しかし、東大側の、もう一人の学者は、知らされていなかったと、思います。
笹井芳樹さんは、自殺ではありませんよ。他殺です。
とても目立つ場所で、首をつっていて、脱糞をしていたなどというネットニュースを見ましたが、他殺です。一応、気絶をさせて、その上で、首に縄をまいて、自殺をした様に采配すれば、脱糞する可能性はあるでしょう。とても、目立つ場所、=棟と、棟の間の、ガラスでできた、廻廊部分=で、亡くなっていたそうです。お気の毒です。酸ぴ極まる事件でした。どうして他殺の憂き目に出会ったかというと、「もう、真実を話したい。嘘をつくのは、やめたいです」と、野依さんに話したか、奥様に話したのでしょう。
私も自宅内での、夫婦の会話、及び、電話、(もし、スマホや、パソコンで、個人的なメールを打ったとしたら、それも)、すべて、ハッキングをされていますが、笹井芳樹さんみたいな、渦中の人は、当然に、同じ現象で、監視下にあったので、真実を語りたいと、言い始めた途端に殺されたのです。
しかし瀬戸内寂聴が、婦人公論で、小保方晴子さんと対談などして、洗浄化してあげています。小保方晴子さんの社会的、認知度の延命措置を取ってあげています。瀬戸内寂聴さんとは、私の、ライバル(? 私の方は、そう思って居ませんが)、年て、鎌倉エージェントが、私をやっつけたいと、思っているときに、マスメディアに登場する、人物です。
ここですが、書いている最中にパソコンが異常な動きをしました。これは、井上ひさしが、そういう動きをする、アイコンをもらって居て、しかも、ライブで、このまだ、公開をしていない、ブログ文と、同じ画面を見ることができるので、この瀬戸内寂聴の、部分を書かせたくなかったと、言う事でしょう。だから、瀬戸内寂聴は、井上ひさしで、代表される、鎌倉エージェントの、道具=戦士の一人です。
それから、たぶん、大宅壮一の孫にあたる(そして、大宅映子さんの、息子か甥にあたる、人物であろう)、大宅健一郎という人物が、書いた、小保方晴子擁護の論文が、私のパソコンには、MSNが、採録したという形で、3度ぐらい現れたのでした。
大宅映子さんは、東京五輪の、霞が関カンツリークラブ開催で、そのクラブが、女性会員を入れないという事で、大騒ぎをして、一日中NHKニュース画面を占拠した人物です。国際基督教大学を、私より、二年前に卒業して居るはずで、卒業生の中で、大衆的知名度の高い人です。
一方で、三輪喜久代さんというのは、大衆的知名度は高くないのですが、AFS経験者であって(その時にすでに、アメリカCIAの道具となる様に洗脳をされていた可能性がある)、化学専攻なのに、人文科学系の出版社である、春秋社に、勤務して居ます。ここで、伊藤玄二郎と縁ができています。
この二人が、日本での、重要なCIA要員となっているわけですが、どっちが先に、そうなっていたのか、そして、どっちが、相手をリクルートをしたのかは、それこそ、鶏が先か、卵が先かの、論と似ていて、私にははっきりとはわかりません。
実は、三輪喜久代さんは、私の、たった五人(ただし、1966年度卒は、そのうちの三人だけである)の卒業研究の、同僚です。当時、NHK化学の、講座を持っていた、湊宏先生の、ゼミの同級生です。
ちなみに湊宏先生の奥様は、湊晶子と言って、私が湊先生のゼミにいたころは、専業主婦でした。しかし、湊宏先生が、47歳で、脚立の転倒事故で、亡くなった後は、学者復帰をなさって、東京女子大の学長にまで、成った方です。
そこで、西原理恵子さん(わたくしの息子の収入の道を絶った恐ろしい女性)のNHKが放映をした、最終講義というのが、東京女子大が、行われるという異なります。というのも湊先生の息子さんが、国際弁護士になって、電気ビル(有楽町。外人記者クラブがある場所)で、開業されています。
で、こちらもまた、重要なCIA要員である、石塚雅彦さん(外人記者クラブの理事長であったこともある)から、連絡を取れば、通通で、可能な話なのです。
さて、三輪喜久代さんに戻ります。
彼女は、湊宏先生に、拠って、日本化学会の会員に推挙されていると、思います。
ところが、私は、推挙されていません。どうしてかというと、全く無理な実験を課題として与えられたので、苦しみ抜いて、湊先生の、助手になったら死ぬと思って、就活時期には、湊先生の助手になる事が決まっていたのに、お断りをしたからです。で、湊先生に、恥をかかせることとなってしまったので、推挙されていません。でも、三輪さん他、その年度に卒業した館野ひろおさん、(竹本油脂の、社長だった)も、それから、次年度に卒業した二人の、学生(一人は、のちに、社会的地位として、すごく偉い人になりましたよ)日本化学会の会員になっていると、思います。
この選択と、のちに、東大卒の二人の人との、お見合いを、自然に、断られる様に、もっていった、合計、三つの選択は、損な選択だったかもしれません。それと、北久里浜から、こちらの鎌倉・雪ノ下二丁目の山の中への引っ越し、を加えると、4つ、間違った選択をしたのかもしれません。しかし、すべての場面において、自分の直感に従う人が、私なのです。
もう少し、小さいころに金銭的な苦労をしていたら、もっと、損得の感情に敏感だったかもしれないけれど、とても、過保護だったので、損得を考えるという習慣とか、感情は、一切育たなかったのでした。
でね、最近の三輪喜久代さんを知っている人物から聞いたのですが、彼女は、・・・・・お子さんがいない。正式な結婚をしているかどうかはわからない、という状況だそうです。そして、やせている・・・・・そうです。1966年には、ビヤ樽みたいに、太っていたのにです。
彼女は、CIA要員だから、日本から派遣をされている駐英大使、NHKロンドン支局長、日経新聞ロンドン支局長、三井物産ロンドン支店長、三菱商事ロンドン支社長など、と、交流があり、日本に帰国をすると、国際基督教大学、1962年入学組から、歓迎を受ける立場でしょう。
一方の私は、こういうブログを書いて居るので、同じ人達からの鼻つまみ者になっている可能性があります。しかし、心理的には、大変安定しているのです。
だって、三輪喜久代さんは、日本国民全体をだましたスタップ細胞疑惑を編み出し(まあ、アイデアは、彼女のものではない筈ですが)、笹井芳樹さんを他殺へ導いた人です。そして他にも数多い殺人事件を、この日本国内で、生起させている、集団の中の一人です。
一方の私は、真実は、こっちですよと、書いて行く人です。どっちが、神様に愛されているだろうと、思うと、「自分の方だ」と、いう自信があります。勿論、社会的に言うと、私は孤立無援だし、このブログの読者数も少ないでしょう。しかし、五歩先を歩く人間とはだいたいそういうものです。
トロイの王女、カッサンドラのいう事は、誰も聞かない。したがって、トロイは、ギリシャ方に敗れたというのは【イーリアス】というホーマーの叙事詩の枢要なところですが、(まあ、実際には、経済戦争だったと、学問的には、言われていますが)、予言者は、世に入れられずだわねと、メンターとして尊敬している人からも言われた、事のある私は、内心では、誇り高く、高邁な精神のもとで、生きているのです。
先ほど、読者数の多い例として、pen pinapple apple pen を、ペンパイナプルアッポーペンと、発音したら、突然に、又、パソコンが異常をきたしたのですが、・・・・・まあ、そういうわけで、この文章が、面白いから、そういう攻撃を受けるわけでしょう。誇りを持っています。
さて、案里議員に入ります。
彼女は、小保方晴子さん程の、長期間の、準備期間を経てはいないでしょうが、ずいぶん前から、眼をつけられていて、今日のような道具として、利用をするべく、CIA連中が、準備をしていた対象だと、感じています。
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副題3、『2020-6-18 19:00のNHKニュースを見て居たら、白いスーツ(ウエストが、ピシッとしまって居る)を着て、背をしゃんと伸ばして、しゃ、しゃ、しゃっと、歩く河合案里議員が出て来た。そこで、はっきりと分かったのだ。彼女は、私がブログで、伊藤玄二郎とか、警察本部へ、直接に、近づく真実を語り始めたら
利用するべく、飼われていた人物なのだ・・・・と。それがそれを見た瞬間に、わかったのでした。同じ選挙区に、岸田政調会長の、後ろ盾といわれる大物議員が居るのだそうです。その人物を落選させて、彼女が、当選をした。それが、変だと、言う事は、地元では、相当前から、言われていたのでしょう。しかし、捜査は、入って居なかったのですよね。
でも、18日にグワーッと、盛り上がって逮捕という事になったわけですが、その直前に私が何を書いて居るかというと、
です。この浄妙寺に今は、住んでいると、噂で、聞いている四世代同居の石井さんは、井上ひさしに近いのです。未だ、書いて居ませんでしたが、案里議員と、夫の克行氏の同時逮捕が、起きたのが、18日ですから、これが、引き金を引いたのだと、思います。どういう風に近いのかというと、加藤昌氏が一時期石井さん宅を借りて住んで居たからです。加藤昌氏とは、ひょっこりひょうたん島の、お人形を作った人です。で、加藤氏から、電話でも、掛けて、石井さん一家が、井上ひさし宅に招かれて、説得をされたら、引っ越しをするでしょう。そういうわけです。で、石井さんを引っ越しをさせたのは、まっすぐな人である、石井さんは、自分の目で、他人を見る人だから、将来、私の味方になる可能性があると、みなされたからです。
私に言わせると、平木さんなども、まっすぐな精神の持ち主だと、思って居ます。しかし、平木さんは、夫が大企業に勤務しているはずで、その上司からの圧力などを加えられるでしょう。その上、餌を投げ与えるのにも適切なのです。どういうことかというと、石井家よりも、家族のメンバー全体が、性格的に、弱いです。
平木さんの南隣に、最近、引っ越してきたエス本夫人から、鶴岡八幡宮のおお祓いを指しながら「お宅にもあり、平木さんにもある、これは、どこで、手にはいるのですか?」と、町内会費をもって来たついでに、質問をされて、私は、返事に困りました。
我が家は二つのポイントで、資格があります。エス本夫人は、それを知らないでしょうが、私は、10年近く、ぼんぼりを献灯して居ました。最初は、小さな紙をもらって場所も平家池のそばでした。しかし、ぼんぼりまつりの特質を理解してからは、本来は、抽象画の画家である私は、本来の作風を捨てて、とても分かりやすい、童画風な具象画を、描いて、かつ、添えごと(言)をつける様になって、からは、人気が出ていたのです。私のぼんぼりの前で、「あ、この人知っている」という人がいました。私は、週刊誌に連載を持っているわけでもないし、NHKテレビに出たこともないのに、「あ、この人知っている」と言われるのは、前の年のぼんぼりを、その人が覚えていてくれたという事でしょう。それで、段々出世して、2009年には、舞殿のそばに飾られていたのです。四つお隣は県知事、市長さんという場所に在りました。そういうわけで、まずそれで、おお祓いを下げ渡される資格があったわけです。
其れと主人に資格がありました。主人は、日産自動車の、研究所の所員で、ノックスガスの徐居を発明した人間なのですが、サラリーマンだけだと、資格がありません。ところが、57歳の時に一念発起して、鍼灸医の資格を取ったのです。そして、大町に、ビルの一室を借りて、開業して居ました。それで、何も宣伝をしないのに、名医だと、言われていました。実際に治るのです。ゆっくりですが治るのです。で、一種のお店をやって居るというわけです。お店をやって居ると、あの申込書が来るのです。で、申し込んで、決まった金額の寄付をします。でも、普通の場合、サラリーマンの家庭には、お誘いが来ないでしょう。また、ご近所からの推薦もないはずです。だから、サラリーマンである、平木さん宅に、それがあるという事は、伊藤玄二郎又は、市長からの、何らかの、ご褒美、または、餌であった可能性が高くて、何のご褒美かと言えば、私を弾圧、いじめる方へ、協力したことだろうから、なにをいっていいか、エス本夫人への説明には、困惑のみぎりでした。ここにこう書けば、その内、エス本家にも、届くでしょう。(苦笑)だって、その同じ日に、エス本家の坊やから、「お前を逮捕するぞ」と電話の中で、言われているほどですからね。後注1、
エス本家も、すでに、そちら側なのです。ただ、エス本家の実名を書かないのは、坊やがまだ、小学生であることと、完ぺきに安野夫人のちくりから、来ている教唆であることが確かだから、書かないでいるだけです。エス本家の坊やが、自発的に、そんなセリフを吐くわけもないです。
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副題4、『四世代同居の石井夫人は、私にお宅のご主人って、名医って、言う評判よと、教えてくれた。それをブログで、書いてしまっただろうか。又は、メルマガで書いてしまっただろうか? もし、それを書いてしまったら、それも、石井家が、引っ越しをさせられた一因となる。ともかく、1978年か、1979年に、北久里浜の佐藤家が引っ越しをさせられたのも同じ、原因だった。佐藤夫人と私は、表面的には、さして深い付き合いはしていなかったが、佐藤夫人が何か、本当に困ったことがある時には、私に夜、電話をかけてきて、助けを求めたので、行って解決をしてあげた。だから、そちらのお子さんが、本当に、我が家の子供を大切にしてくれた。ところで、北久里浜の場合は、金銭的には誰が、佐藤家の、新居を買うお金を出したのかは、わからない。ただ、佐藤家があった場所は、家を壊して、単純に更地にしてしまった。これも、CIA連中の常套手段なのだ。ただし、石井家は、浄妙寺に、永住することは望んでいないので、「彼女が死んだら戻そう」と、連中は、考えて居て、それを石井家にも告げているので、私を殺す方向で、一生懸命なのが、伊藤玄二郎達一派なのだ。
その一翼を担ったのが、今回は、河合案里、克行議員なのだ。
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副題4、『自民党のだれが、どういう甘言をもって、案里議員を育てて、出馬する様に、説得をしたのだろうか?』
自民党のタレント型議員の、最初の、人物は、扇千景さんでした。現在の坂田藤十郎の、奥さんで、宝塚出身で、二児の母にして、テレビのニュースショーの司会者もしていました。将来は、そういう風な座を準備しますとでもいわれて、一億五千万円を本当にもらったのでしょうか? 夫婦そろって、坊やとお嬢ちゃまだから、自分達が陥っている罠には、気が付かなかったのでしょう。
ところで、山本美香さん殺害について、書いたもののリンク先をここに於いておきます。
山本美香は、劇場型暗殺であったはず。中川経産相・酩酊記者会見の変形だ△△
この項目は無論続きますが、午前二時になったので、もう寝ます
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