今は、15日の午後零時半です。初稿以来、6日目ですが、ここで、この章の結論を入れておきます。それは、マイナスの番号をつけておきます。マイナス2から、ゼロまで、書きましょう。
副題-2、『大宅映子さんは、私よりたった18か月前に生まれた女性で、駒場高校卒であり、その後ICUを卒業した。私は二年後に、ICUに入学したが、1963~4年時に学内で大宅映子さんに気が付いたことはない』
ICUとは、最初は、非常に小さな大学であり、毎年250人ぐらいしか、入学をさせませんでした。wikipedia をチェックすると有名人である大宅映子さんの、誕生日が解ります。彼女は、1941年二月生まれなので、
私とは、18か月違って年上ですが、2年間は、キャンパス内で、一緒に過ごしたはずなのです。しかし、気が付きませんでした。このブログの重要人物として、登場する渡辺幸子さんは、私の入学時はすでに、中退しているので、彼女の方に気が付いていないのは、無理もないのですが・・・・・
私は中学生の時に前歯に、金冠を入れてしまいました。それは、1950年代には、お金持ち向けの治療という事でしたが、明眸皓歯の反対なので、容貌に自信が無くて、ICU在学中は非常に目立たない学生として過ごしました。このブログに登場する石塚雅彦さんとか古村浩三君がひどい事を平気でやってくるのとか、スタップ細胞疑惑で、大きく動いたはずの、三輪喜久代さん(ロンドン在住)や館野ひろお君(日本橋の旧家【竹本油脂=非上場だが、界面活性剤も扱っているので、とても、大きな会社】の、一族で、後ほど社長になった)などが、私の事なんか、眼中にないという感じで、ひどい事をやってくるのは、そういう若い日のイメージがあるからでしょう。バカにして、下手に置いています。
しかし、1965年に、CIAのスパイであることが明瞭なベーカーさんと、言う金髪碧眼の学生に、ひどく頭が良い事を見破られてしまいます。そして、それ以降彼に、命を狙われることとなります。しかし、すべては隠微な世界で行われることなので、私は、2009年ごろまで、その事には気が付かず、前向き一途に生きておりました。世界的に有名なアーチストになるつもりで、かつ、なれると、信じ込んでおりました。
ところで、10代で、歯に金冠を入れて、長い間、劣等感に苦しめられていたのですが、40歳ごろ、インプラントで、前歯を白いものにかえたので、急に、自信を回復しました。目は、大きくはないのですが、不思議な魅力を持った、かわいい人(自分でそれを、言ってはおしまいですが、本当に、そうらしいのです)で、幼稚園のPTA会長をした時も、打ち上げの時に、歌を二曲、歌ったら、お若いお母さま方から、やんやの喝采を受けて、「やっと、川崎さんが、何故、会長に選ばれていたのかの理由が分かった。普通の人とはまるで違うのね」と言われました。
そうなのです。私は肝っ玉が据わっていて、自ら(または、自意識)を捨てることができるので、本当は芸能人になった方がよかったというほどに、ありと、あらゆる面で、強い表現力を持っているのでした。一種の万能人というほどに、何をやらせてもある一定の水準以上のところに到達をするのです。
1998年の事だったと思いますが、
伊藤玄二郎と、強い結びつきを持っているだろうと、私が、推理している川名昭宣(河出書房新社勤務だった有名な編集者)君の主催で、大きな同期会が開かれました。その時マイクを使って、ハバネラ(カルメンより)を歌ったら、驚くべき反応を聞いている人たちから、もらいました。嫉妬深い女性は、怒りだし、嫉妬深くない女性は、喜んでくれました。で、相手の度量がその時に判りました。男性の方は、一人を除いて何も言ってくれませんでしたが、それは、あまりにびっくりしたからだと、おもっております。上に言った館野君が、「酔っているんでしょう」といいましたが、嘘、嘘、まったく酔っていませんよ、私の中には、そういう、華やかな部分が隠されていたのです。でも、立野君にとっては、依っているとでも考えないと、合理的に説明ができないほどの、変身ぶりをその日示したのでした。
それで、有名な手相観の、日傘雅水さんが、仰っていた、金星帯のある女性(別の言葉で言うと、むんむんのフェロモンにあふれた女性である自分)という隠された自分の一面を自覚することとなります。
だけど、今の2017年は、そのパーティの日から、18年もたっています。そして、弾圧され、足を取られ切っています。攻撃してきている側は、鎌倉エージェントと、私が呼んでいる、具体的に生きている人たちです。彼らが、実行者としての、警察の特殊部隊とか、瀬島機関とか、ブルーカラーとしてのCIAとかを使っても、攻撃をしてきますので、今では、ボロボロに消耗はしており、芸能人になるべきだったという様な華やかさは、失っておりますが、
反対に、頭が鍛えられきっていて、今の私ほどに、世の中の真実が判っている人間はいないだろうと、思い、ひそかな自負を持っております。そして、それを文章で、表現することもできます。
しかし、テレビの世界に、登場したことはありません。だから、鎌倉エージェントは、そこを攻撃のポイントとして、使ってきています。
で、『もし、ここで、大宅映子さんを使ったら、圧倒的に、彼女の方が上なので、雨宮舜(本名、川崎千恵子)は何も書く事ができないだろう。そして、・・・・・自分は、無名であるのだ。残念だ、力の差がありすぎるなあ。ここは、手も足も出ないなあ・・・・・と、悲哀の気分に、襲われて、ノイローゼになるはずだ。だから、私達が勝てるだろう』と、思われて、2017年2月3日、彼女が、午後零時、夕方7時、夜の九時と、三回も、録画してあるNHKニュース内に登場をしたのです。
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副題-1、『しかし、そういう風な狙いのある時こそ、戦わないといけないのが、私の現状である。だから、読者が、わらおうが、どうしようが、気にしないで、思ったままを、書き続ける。・・・・・それは、四日かかるだろう・・・・・と、書き始めた際に、予測をしたが、どうして、どうして、数か月かかりそうだ。
どうして、そこまで、時間がかかるかというと、この大宅映子さんを使った仕組みと流れは、過去のあらゆる謀略と、まったく同じ構造を持っていて、この一件を正しく分析することによって、現代日本をも、正しく分析ができるからである。それで、ゆっくりと、かつ時間をかけて分析中である』
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副題〇、『・・・・・<でも、あんたの個人的な事情の分析ばかりではないですか>・・・・と、読者から揶揄される可能性もあるだろう。それも、十分に察知している。しかし、そこが、私の一種の強みなのだから、それを、書いていくしかない。
私が見破った嘘を書く。すると彼らは、更に倍増をした嘘を、連ねて来る。
周南事件とか、山田浩二の、寝屋川の、商店街を真夜中さまよっていた中一男女児殺し、アルプスに激突したドイツ格安航空機事件、ダッカ、人質襲撃事件とうとう、マスコミ上には、乗っていない人々を犠牲者として、平気で殺しながら、彼らが起案して、実行をして来た、謀略の数々が、今般は、テレビの世界で、活躍する、しかも知的なレベルで、高いとみなされ、尊敬をされて居る大宅映子さんを、使って企画をされてきた。
その流れ、全般をとらえながら、これを書いて居る。だから、自分の被害を説明しないといけない。でないと、自信が生まれない。で、どうしても、こういう書き方になるのは、仕方がない事なのだ』
という三つの節を、新しく入れて、昨日までの、文章をさらします。ただし、昨夜の、深夜まで、という事は今朝の早朝まで、かかって、推敲・加筆をしておりますので、初稿とはまるで違って、充実をしているでしょう。新しい、事実もさらに加えられております。で、自分としては、これをお読みいただいておくことが、嬉しい事なので、新しい文章に取り掛からずに、外出をいたします。用事もありますし。
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井上翼君の事件とか、やまゆり園事件とかは、
一種の嘘を内包する、そして、警察(特に特殊な部隊)が、犯行を、企画した側の、一部として存在している、事件です。それが、すべて、大宅映子さんが、ゴルフ場問題で、偉そうにしてNHKの画面を席巻した2017年の2月3日の画面から、類推できることなのです。それを、説明していきましょう。これからです。
と、いう挿入を冒頭に入れて、初稿としてアップした文章に入っていきます。
この文章は公開後、29時間は、総タイトルを、『鈴木大地氏と竹田恒和氏は、何故、最近になってNHKに登場したのか? 大宅映子NHKnewsを席巻するー4 』としておりましたが、30時間目に、上のモノへと変更しました。
最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。これは、NHKニュースの2017年2月5日に登場した、鈴木大地スポーツ庁長官の記者会見画面です。例のごとく、NHKニュースの動画部分は、ここに表出しないので、私が画面をjpeg 化したものですが。
彼は、2017年2月5日に、行われた記者会見で、「霞が関カンツリー俱楽部には、女性会員が、居た方が望ましい」と言っています。
これが、2017年2月5日に行われた記者会見の中の言葉だったという事は、非常に重要です。何故、重要か?を、13日に入ってから、副題2から副題αまでを使って、次の日の挿入として、語りましょう。
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副題2、『2017年2月3日には、私の方に、歌舞伎を見る予定があった。私が歌舞伎を見る予定のある日は、ダッカ襲撃事件をはじめ、必ず、謀略が、企らまれる。それ故、私は、その日(=3日)帰宅した途端に、録画ニュースをチェックした。そこで、大宅映子さんが、小池都知事に・・・・・霞が関カンツリー倶楽部で、五輪ゴルフ競技を行わない様に、提言した・・・・・というニュースを見た。そして、・・・・・すぐさま、それが、謀略だと、見破った。そして、すぐさま、三日の夜のうちに、その件の本質を語り始める為の、ブログを書き始めた(後注1)』
私が歌舞伎を見に行く日は、必ず、敵さんたちは、謀略に利用します。今、歌舞伎座は、ネット注文でもなくても、また、クレジットカードを使わない時でも、名前を書かないと切符が買えません。名前と同時に電話番号も書かないといけません。→、&マークへ続く。
ここで、つい、ついですが、13日に遭遇した新しい嫌がらせについて、二時間かけて、膨大な字数を使って、書き表してしまいました。それが、CIAの本質とか、その手下として動いている警察の特殊部隊の、本質を、これまた、明瞭に露見させるものだったからです。そして、私の脳味噌が、それを書きたいと言ったものですから、グングン、書いて居ました。しかし、よく考えると、このブログ文は、挿入に次ぐ挿入となってしまいますので、文章の、構想が見えなくなってしまいます。ここで、心を鬼にして、それを、切り取りました。別章に移しました。時系列的に、もっと、13日よりも前の出来事があるので、そちらに固執しないといけません。今書いて居るのは、2月2日から、5日までの、NHKニュースに準拠して書いていくものです。
→&マーク
これは、私が歌舞伎を見る日は、そこに、閉じ込められていて、ブログを、6時間以上は、書けないだろうから、そこを、利用してやれと、敵さん連中が考えて、利用してると、見ています。それの顕現が大宅映子、小池都知事に要望書を出すというニュースでした。
これは、しょっていて言うのではありません。誇大妄想でもありません。三宅坂の国立劇場は、普通の映画館みたいに、切符を無記名で買えました。普通の劇場だったのです。ところが、そちらの切符売り場も、歌舞伎座と同じになりました。そちらは、毎月は、歌舞伎をやっておりません。で、数か月間間を置いている間に、歌舞伎座と同じシステムになりました。こちらは、基本的に税金が投与されている団体だから国民奉仕の、はずですよね。それが、歌舞伎座と全く同じシステムになり、国民を、監視する組織になってしまっているのです。
この、間を置いているうちに悪い方へ変化しているというのは、私が使用している、パソコンや、その周辺機器の世界で、しょっちゅう起きることで、そういう形で、モノが壊されて行きます。
プリンターなど何台壊されたことか? 今、hp と、Canon とEpson (大型の、会社で使うタイプ)がありますが、エプソンは、大型なので、実は、使いなれておらず、ずっと使っておりません。だから、きっと壊れているのです(苦笑)が、キャノンは、北久里浜にもっていってしまい、頼るのは、ヒューレットパッカードだけなのに、今朝、もう使えなくなっているのです。10日前には使できたのに、たった、10日間使わなかっただけで、既に、やられていました。これは、彼らの常とう手段です。それで、言論弾圧してきます。ただし、これを、やって来てるのが誰なのか? 個人名を特定できないので、ブログにも「パソコンと周辺機器を破壊しているのは、誰の、誰がしである」と、書けないので、相手は反省しません。システム異常を生起させるのは、一部は、古村浩三君であろうとは、言って居ますが。
それと似たような、手段の一つとして、三宅坂の国立劇場も、三か月歌舞伎公演がなかった合い間に、いつの間にか、歌舞伎座と同じシステムになって居るのでした。つまり、記名し、電話番号も書かないと、切符が買えないというシステムに。(苦笑・・・・・ああ、自分は、世界を支配する大物なんですなあ・・・・・苦笑)
というわけで、切符を署名入りでしか買えない仕組みは、ひとえに、私がブログを書けないでいるうちに、嘘のニュースとか謀略のニュースを大量に流すという、狙いがあるわけです。
大宅映子さんが小池都知事に、「霞が関カンツリー倶楽部を五輪には使うな」という要望書を出した件は、両者が、有名人だったので、皆様もご存じのニュースでしょうが、(特にNHKは、何度も繰り返してそれを流したので) まったく、ニュースにならない形で、私が歌舞伎座、または、三宅坂に行く日には、横須賀線が、異様に遅延するのです。60分とか、45分とか。それも、絶対に乗り換えができない、武蔵小杉駅手前とか。
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副題3、『横須賀線の遅延現象とは、・・・・・本当は何度起きた事であろうか?・・・・・というほどに起きている。一番最初に顕著に気が付いたのは、私が鍛冶橋交差点そばで、転んで、メガネが顔に、刺さって、慈恵医大病院へ運ばれて、顔を、40針ほど、縫ってもらった、その日に起きた。それ以来、・・・遅延をすると、私が困るだろう・・・という日を狙って、横須賀線は遅延をするのだった、すべて柳沢昇が私の猫のことで、呼んではいけない警察官を呼んだ日が、出発点である。彼は、現在のところ、かまくら春秋窯主宰者として生きているが・・・・・三里塚闘争と、千葉動労と、革〇とが、そこにかぶってきているのだとも、推察される。柳沢昇は、三里塚闘争、人の、成れの果てであると、推察している。そんなことは、何を調べなくても彼の日常生活を見ていると、判るのだった。何を隠してもわかるのだった。世の中とは、彼とか、その死亡した妻である石川和子さんほどの、バカだけで、成立しているわけではない。
それと、成岡庸司という人物(=私の横浜国立大学付属中学時代の、100人しかいない同期生で、日比谷高校を経て、早稲田の政経学部に進学し、1960年代に、早稲田の革〇のトップだった)が、浮上して来てもいるのだったけれど、』
この横須賀線の遅延現象は、ここで、新しく立てた、副題3の二重ガッコ内に書いた日を、最初の事としています。それは、2006年1月の事でした。
しかし、それ以外にも、印象的な、いじめ策として、起きたことは数多いのです。
2010年4月3日(土)に、北鎌倉駅を出たところで、延々、1時間半も停車していたのこそ、柳沢昇を明瞭に出発点とする、遅延現象であり、それと同じ構図で、歌舞伎座へ行くときには、遅延するのです。鎌倉エージェントの指図による、遅延現象です。柳沢昇の妻である石川和子さんは自分から、鎌倉市内の飲み屋では、「自分は、伊藤玄二郎の愛人だったから、彼にはよくしてもらっている」と言って、特権者扱いを要求していたのでした。伊藤玄二郎こそ、現代の、CIAエージェントの、第一階級の一人なので、彼の命令や依頼によって、横須賀線は、遅延をするのです。
:::::::::::::ここで、挿入になりますが、
最近のJR東日本は、大きく、嘘をついています。
車内放送が言う、理由は何であれ、30分以上遅延する場合は、嘘の理由であって、ひとえに、私を苦しめることによって、ここに書いてあるブログを、もう書けない様にさせようとするいじめです。というのも鎌倉駅で、20年ぐらい前の、午後一時頃、実際に人が飛び込んだのに出会わせたことがあるのですが、その当時の、JR東日本は、まだ、鎌倉エージェント達、(特に、伊藤玄二郎+井上ひさし)に、汚染をされて居なかったので、正常であり、その遺体の始末を含めて、三十分で、電車は、動き出したのです。3月で、桜が満開の頃でした。鎌倉駅ホームは観光客でいっぱいで、華やいだ空気だったのです。そういう時こそ、悲しみを内包している人は、却って強く、絶望をしてしまうのでしょうね。普通の人と、これから自殺をしようとしている人の、心模様が、あまりに、懸隔がはなはだしいので、深い印象を残しました。
その午後ですが、鎌倉駅は、構内放送を何もしなかったのです。それは、死者への崇敬の念を感じさせるものでした。私は当時は、先頭車両の方を好んで、選んで乗ろうとしていたので、飛び込み自殺があった事には、気が付かず、20分ぐらいたってから、何で電車が、あそこ(=ホームの半ば)に停車しているのだろうと、思って、後ろの方に行ってみたら、担架に乗せられたご遺体が、スーパー東急があるビルの方に、移動をしている最中でした。上りの電車が、ホームに進行する直前は、100キロ以上のスピードが出ているのでしょう。それは、東横線の、運転台が、後部・車掌室ではお客側にも、見える形なので確かめてあります。ですから、上りにとって、最後尾辺たりで飛び込むと、即死らしいのです。それでも、三十分で解決しました。
その後、頻繁に起きる様になった、信号の異常とか、何とかで、1時間半も遅延するのは、ひとえに私をいじめる為なのです。:::::::という挿入を入れて、2010年の、4月3日の、夕方、北鎌倉と、大船の間で、何の事情説明もないままに、一時間半も遅延をしたのでした。これも、明瞭に私いじめです。その事情は、以下に詳しく、説明をして行きます。実は、その時間には、銀座に行って、自分の個展の、飾りつけをしないといけない時間帯だったのです。遅延をしたので、画廊のオーナーに、私が不誠実な人間だとの、印象を植え付けたのでした。それが、鎌倉エージェントたちの目的だったのです。
~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『個展のオープニングが、逃がれられない、牢獄となり、イジメの舞台となった話』
そして、それは、土曜日でした。その二日後の、同年4月5日(月)からの個展で、散々のいじめが起きました。ガレリアグラフィカが、大きく動いた週です。山本容子さんをぶつけて来て、「どうだ、お前の個展より、こちらの個展の方が、集客数が圧倒的に多いのだぞ」と、栗田玲子さん、およびその裏に居る鎌倉エージェントの特に伊藤玄二郎たちに、威張り返られた週です。
私の個展は、本当は、2月の第三週の筈でした。そういう事で契約が成立していたのに、急に動かされたのですが、何のことはない、ガレリアグラフィカの都合で、exibit Live and Moris の、森さんが、そういう事に、変更したのです。それは、いじめるための罠でしたが、表向き親切を装って、大きな罠をひっかけてきたのです。
森さんは、自分で、それを考案したのではなくて、無論のこと、鎌倉エージェントの命令に従ったわけですが、その功績によって、今、銀座にオフィスを持っていて、社会の事を研究しているそうです。私をいじめると、渡辺幸子さんも、一千万円以上の利益増があったのですが、森さんも終身の、仕事に恵まれることになりました。森さんが研究している社会現象って、もしかしたら、私を弾圧する方策の事だったりして。(苦笑)
「それを研究しているのは、井上ひさしです」と、私は、常に言って居ますが、その一部は、森さんが案出して居たりして?
ところで、何度も同じことを言って居ますが、井上ひさしとは、公には、自らを死んだことにしているが、本当は生きています。
ところで、この2010年4月5日から10日の週には、ひどい事が連続して起こりました。
*1)、美術評論家の瀬木慎一さんが、突然に、私を訴えるという手紙を寄こしたり(後注3)、
*2)、前の年の、2009年の、10月に検診を受けた主人が、4月5日、森さんに挨拶に行ってくれている最中に、額田病院から、「結果を知らせますので、今度来てください」という電話さえかかってきたという形でおどかされたのです。額田病院は、伊藤玄二郎に頼まれたのでしょうが、10月の検診の結果が、半年後の、4月に知らされると、成ると、「何か、悪い結果が出たのかしら?」と、電話を受けた私の方が、思うのも当然でしょう。額田病院の検診とは、市が提供する無料の、癌検診だったので、こんなに、遅く結果が出るのは、悪い傾向の癌だと、推察するのも当然でしょう。
主人は夜遅く外出するのを好まないたちなので、午後一時頃、銀座につく様にして、外出してもらいました。どうしてそういう事をしたかというと、企画展だから、お礼をする必要があると考えたし、(しかし、飾りつけの方法などで、効果がない様に、森さんがしたので、ひどいいじめ用個展でしたけれどね)、しかも、67歳の時だから、これが、最後の個展だと、考えていたからです。最後の個展は、主人にもきちんと見てもらいたかったです。
そして、すれ違いという形で、オープニングパーティ用の、料理をもって、私は銀座へ向かいました。
だけど、もちろんのこと、主人が癌かもしれないと、思って居るわけですから、気が重いですよね。
普通は、個展のオープニングの日の作家とは、主役であって、華やかで、うきうきして居るモノなのに、正反対の、心情に陥れられていたのです。
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ああ、ここで重要な事を思い出しました。この2010年の個展の前に、1997年の秋に、福山画廊でも個展をしたのです。その時のオープニングで、奇魔々美術館を運営しているもうひとりの森さん(=早稲田の建築科卒)と、油井一人(新美術新聞社・社長)さんが組んでひどい事をやってきたのですね。
で、こちらの方の原因は、銀座の画廊内でも、何を私が打ち解けて話しているかは、盗聴をされて居て、森さんが、親密な感じで、悩みを打ち明けてくれたことを、私が漏らしていると、言う風に、喧伝をされて居て、そこから、誤解をされて居ると、感じています。どんなご家庭にも悩みはあって、私はいろいろな人から打ち明け話をされる方なのです。それを私ではなくて相手のスマホを通じて、盗聴をされて居て、後に、私が秘密を洩らしたという形で、私を悪人に仕立て上げて、友人たちに、私を裏切らせる作戦も、大いに使われていたと、思います。・・・・・そういう種類の働きのひとつ、として、「早川重章さんが、何をやっていたか」は、大体、私には、わかっていますよ・・・・・。とここで言っておこう。
瀬木慎一さん(中央大学政治学部卒で、伊藤玄二郎と同窓である美術評論家、普段は腰が低い。私は瀬木さんから、・・おとがい(=あごの別称)・・・・・という言葉を知っているので驚かれた過去があるが、それ以外は、何のトラブルもない間柄だった。瀬木さんのあごは、とても小さいのが特徴となって居る)が、この一週間をめがけて、驚くべき、攻撃をして来たと、上で、言って居ますね。(後注4)突然に「訴訟をする」なんて言ってきて。それも裏は、上にあげたようなことだったでしょう。私は、自分から、何かした覚えはありません、そしてその直後哉、瀬木さんは、死にました。
針生一郎さん(東大卒の美術評論家。彼が、テレビ取材に応じるときは、辻惟雄さんと同じ様式で、窓外の緑を生かす様に、撮影をさせるので、私は、は、ハーンと、納得をするところがあった。
だが、幸いにして、辻さんの方は、知り合って日から、穏やかな紳士であり続け、テレビの中でも、対私用武器として使役をされたことはない。東大名誉教授にして、多摩美術大学学長の、肩書は、鎌倉エージェントにしても、道具として使うのは、差し控えたい、肩書だったのだろう。一方で、針生さんは、ちょっと、気概が足りないところもあり、それが、狙われたと、見ている)は、三ミリぐらいの大きさの字で、はがきを書くのが好きな人で、そのはがきを何枚ももらっています。合計一千字は入っていると、思われる誉め言葉にあふれた・はがき・です。電話内でも親切至極で、向こうの方が私を頼ってくれると言う感じでした。だって、私はたった一人で、ニューヨークでも美大の大学院に「ハイ、どうぞご入学くださいませ」という道を開く人なのですよ。卒業証明書などの書類は、一切ないのだけれど、見せた見本の、小品の力だけで。
針生さんも瀬木さんも、どこかの美術館の館長というサラリーマンをしてこなかった人なので、それなりの苦労はあったでしょうから、人を見る目を養っている人なのです。電話の応対一つを経ただけでも、私が、すごいレベルの人間だという事はわかる人なのです。そりゃあ、甘やかされて人生を送って来た石川和子とか、野菜の配達人として、稼いで来た柳沢昇などとは違います。
ところが、そのはがき類が盗まれたうえで、突然に、主人のオフィスで、本の発送の仕事をしているある夜の9時ごろの、針生さんが、私に対して、罵詈雑言を書いてあるファックスを送って来たのです。間に酒井忠康氏を挟んだか、それとも誰か、別の人を挟んだのか、その部分は、私にはわかりませんが、針生さんが、そういう動きをした陰に、伊藤玄二郎たちのアイデアが、在ったことは確かです。で、針生さんも、そのファックス事件後、すぐ死にましたね。
:::::::::::というオープニング・パーティにまつわるエピソードを数個入れて、元へ戻ります。
2010年の、4月5日、額田病院から、半年遅れで、電話がかかって来た現象に戻ります。
そして、この時には癌では、無かったものの、主人は、自分が癌年齢に達してるし、母親がすい臓がんだったので、癌が始まることはあるだろうと、思ってしまい、その数年後胸が苦しくなったのですが、自己判断をして、胸が苦しいのは、食道がんにはいってしまったのだと、自己診断をしてしまったのです。東洋医学をマスターしていたので、西洋医薬には頼らずに、自分の、身の振り方だけで、治そうとして、大きく炎症(=血栓)を発展させてしまいました。「生還については、50%の、のぞみしかありませんよ」と、手術前から、言われたのでした。伊藤玄二郎から頼まれたのだとは、思いますが、額田病院の担当の先生は、そういう罪を犯しなさったのですよ。
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副題5、『伊藤玄二郎は、NHKだけではなく、医師会をも、支配している。そこから、子宮頸がんワクチンの投与を推進している。それは、不妊を招く恐ろしい薬なのに。日本人とか日本とかは、一切顧慮していないのだ。自分が助かる事だけ、考えている。だけど、あまりにも大量の悪い事をやり続けているので、もう習性が聞かないところに来ているので、ほぼ、気違いになって居ると言ってよいほど、連続して悪い事をさらにやってきている最中だ』
ほかにもいっぱいありますが、・・・・・私が渡辺幸子さんの事をあれこれ、書くのも仕方がないです。そして、神様には、それをお許しいただいています。だって、渡辺幸子さんと、大きく仲良しですと、自分から表明した栗田さんは、夜の10時半でも鎌倉駅に途中下車するほど、伊藤玄二郎を信じ切っているのですもの、二人はツウツウでしょう・・・・・というほどの、大量のいじめ策をすでに、与えられているのです。それを、全部は書いて居ないだけです。
伊藤玄二郎は、医師会を支配してるので、私が「それは不妊を招くから、絶対に打ってはいけない」と言っている、子宮頸がんワクチンを常に、国民に打たせようと、していますよね。よくネットの世界で、女性タレントが、「私は、先週子宮頸がんワクチンを打ってきました」などというのも、そちらの方向で、国民を洗脳して行こうとする案です。
自分たちが勝てるのなら、この日本国で、子供が全く生まれなくなっても、構わないのです。子宮頸がんワクチンとは、アフリカでの、人口増加を抑えるために開発された、非常に毒性の強い、未熟な薬なのですよ。
それほど、伊藤玄二郎が勝ちたがっているわけは何かというと、あまりにもあくどい事を既にやり抜き続けているからです。しかも、それを全部私が判っています。そして、丁寧に書き続けていくでしょう。だから、私に死んでもらいたいわけですね。そしたら、自分たちの悪辣さが、隠蔽できます。だから、勝ちたいわけです。
私は、実は風前の灯というほどに弱いのですよ。ところが、不思議な現象が起きて、自分の方が神様に、見守られていると、思う事は多いのです。神は万軍の長であり、驚くほどの、見事な采配をなさるからです。この一文の後半でも、伊藤玄二郎に教唆されて、激しい形で、いじめて来た人物(女性たち)三人がすでに死んでいるという事を書きます。12日に入って、初めて・・・いちばゆみさんが死んでいる・・のを発見しました。早い死でしょう。驚きました。
男性は、あんまり鋭く観察をしていないのですが、それでも男性でも三人以上は、すでに死んだ、人が、いるのですよ。上にあげた針生一郎さんと、瀬木慎一さんもその一人ですね。だから、伊藤玄二郎に協力をすると、その人物が善人なら、必ず死に至ります。悪人なら、協力後は、さらに栄えるでしょう。だから、その人物の善悪度を測る、バロメーターとなっております。何がというと、私を弾圧の方向でいじめた後で、その人物が死に至るまでの、時間の長さがです。
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ところで読者の皆様には、挿入が多すぎて、よくわからなくなってしまいますよと、言われそうですが、申し訳ありませんが、勝手気ままに挿入を入れさせていただきます。
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副題6、『exibit Live and Morisのオーナー、森さんには、眉間に、傷があった。それは、若いころ、森さんが、喧嘩をして作った傷だと、ご本人から聞いている。それもあって、私は森さんの、企画展の申し出でには、逆らえなかった。森さんが、読売新聞の、コラムで、村松画廊のオーナーがとんでもないことをしゃべっている記事を見せてくれた時から、彼が、裏切っている人物で、親切は、見せかけだけだと、判っていたが、逃げられ無かった。しかし、大いなる屈辱と、辱めを受ける事に、彼が、ひと手間を、加えた、事実は多数あって、後日、必ず、全部書くと、心に決めた。本日、この章で、30%程度は書いたという程度であり、後日、ほんとウニ恐ろしい事を多々、書くであろう』
この個展をした四月と、同じ、2010年の、1月、17日にギャラリー山口のオーナー山口みつ子さんが、自殺をしたこととなって居て、それは、森さんが見せてくれた読売新聞で、知りました。それで、森さんが、急に企画展を持ち掛けてきた意図も、すぐ読めました。というのも、私は山口みつ子さんは他殺であるという説をブログで、展開していました。それを中断させるための個展、特に企画展の、提案だったのです。個展をするとなると、当然の事、準備をしないといけません。案内状のデザインを考えたりしますし。そうなると、当然のごとく、ブログを書く頻度は落ちます。しかも、疲労をしてしまい、長い文章は書けません。
しかし、ここで、森さんが、こういう罠を仕掛けてきたからこそ、山口みつ子さんは他殺だったと、さらに、確信を深めて、後日、そういう説を展開することとなるのでした。
罠だと、判っていても断り切れなかったというわけは、森さんの、眉間に傷があるからでした。若いころやんちゃだったので、それで、ついたと聞いています。それで、怖いというか、なんというか、自分がよく知っている、身内の人間とは、違うなあと、思って居て、油断ができない人物だけに、罠だと判って居ながら、『その個展はお断りします』といえなかったのですよね。
ところで、読売新聞の記事に戻ります。
繰り返しともなりますが、私は、山口みつ子さんが、他殺だと、信じている派なので、その私をきりきり舞いさせ、山口さん関連のブログを書かせないがために、急に個展(企画展だという話だったが、実際には、16万円ぐらいは払ったのだが)が設定されたのだと、推察しています。そして、更にきりきり舞いをさせるために、主人が癌じゃあないかと、私が一週間の間中悩む様にさせたり、飾りつけに行かないといけない土曜日の午後に、北鎌倉で、電車が、一時間半も停車して、何の説明もないまま、ドアもあかない事案が起こりましたね。説明があって、ドアもあいたならタクシーで大船駅へ出れば、東海道線に乗ることができます。
それで、どうしようもなく、森さんに、私が不誠実な人間だと、思われる様に意図的に、なされたり、本当にいろいろな悪さをされました。しかし、このころは、まだ、これほどの内容のブログを書いて居なかったので、ブログに、そういう悪さの事を書き表すことができず、従ってやられっぱなしでした。
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副題7、『2011年、第一次フェイスブックをやっていた頃、と、その関連で、後日攻撃してきた六人の美女が居る。彼女たちは、共通して、美形であり、かつ、私より知名度の高い女性たちだった。が、そのうちの二人が、すでに、死んでいる。それには驚いた』
このころ、森さんの画廊に出入りしていた若い美形の画家、阿南みらいさんがいます。その人のお母さんは、もしかしたら、いちばゆみさんです。この【いちばゆみ】さんの、息子が家出をしたという件でも、きりきり舞をさせられましたね。それを書いて居るのが、後注3です。
ところが、今、『いちばゆみさんが、どうなっているのかな?』と、グーグル検索を久しぶりに掛けたら、2014年、4月に永眠だそうです。驚きました。一之瀬智恵乎さんのお嬢さん、鈴木沙彩ちゃんが、亡くなったのと、同じぐらいに驚きました。年齢の割に、早いですね。
だけど、これで、私にひどい事をした女性で早死にをしたケースが、三人になりました。石川和子さん(陶芸家、かまくら春秋窯主宰者)、瓜南直子さん(芸大卒の日本画家、文章も書ける人。私を、2011年度中にFB紙上で、淫靡なやり方で、いじめまくったが、次の年の六月に逝去)いちばゆみさんです。後、藤田千彩、高橋真樹、開発チエと、三人が、残っていますが。どういう風に変化して行くか?
::::::::::挿入から少し元へ戻って、歌舞伎を見る日こそ、最重要だという話に入ります。
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副題3、『歌舞伎は、伊藤玄二郎も、井上ひさしも、自家薬籠中のフィールドだと考えている。だからこそ、それを2014年から、68年ぶりに、見始めた、私より、自分たちの方が上であり、力が強いのだ、思い込んで居て、それゆえ、その日に、最悪の状態といえるぐらいに、集中して、いじめまくることによって、自分たちの権力と威勢を、誇示をしたいのだろう。そうだと思うしかない程に、歌舞伎座に行っている最中に、謀略事件が起こされる。今般の、大宅映子さんが、NHKを席巻した日も私は、歌舞伎座に居た』
ここでは、どうして、歌舞伎座に行く日が、特に狙われるかという事を考えてみましょう。それは、母が死んだあとは、長時間外出する時間が、なかなか、無いからです。で、歌舞伎見物が、攻撃用・日時として、利用をされます。
その上、二重ガッコ内に書いた通りであって、
伊藤玄二郎は、里見弴さんに慕いより、鎌倉市内での、今の自分の地位を築いたわけですが、それにより、山内静雄さんを知りました。山内静雄さんは、里見弴の、四男の筈です。そして、小津安二郎の、映画をプロデュースした人で、現在の松竹株式会社の大先輩です。
私が歌舞伎座に出入りし始めてから、急にトイレの美しいドアに、禁煙マークがついたり、
図書館の、返却ボックスに入れたはずの雑誌【演劇界】が、行方不明になり、買おうとして、アマゾンに注文をしたのに、別の所から、新品が送ってきたり、9月になってから、急に銀行の金庫から、亡くなったはずの雑誌が、見つかったり、
歌舞伎が異様に頻度高く、私への、弾圧の道具として使われているのですね。
私は最初の一年間ぐらいは、これを、伊藤玄二郎が発案をし、また、動いてもいるのだと、考えていたのですが、何となんと、ちがいましたね。
実は、伊藤玄二郎と、二人羽織と、言う風に密接に結びついている、井上ひさしこそ、歌舞伎に最近、強く手を伸ばしているのでした。彼は、自分が過去(または、死亡後? 推敲をした脚本が発見をされたという形)に書いた脚本を頻度高く、上演させているみたいです。
井上ひさしは、私の、その、森さんが、提案してくれた、個展(2010年4月5日から10日まで)の最中に、自分を死んだことにしました。私は、事前にも、謀略と罠であることは、判っていました。g、あまりに悪さが、手ひどいので、怒って、8日に、伊藤玄二郎の会社に行って、個展の案内状を差し出して、「今、銀座で、個展をしていますので、どうぞいらしてください」といったのですよ。
それは、無論、あなた方が、企てて、大勢の人を、動かしている、策謀の裏側はすべて読めていますよという暗喩だったわけですが、二人には、無論のこと、すぐに、それが、分かって、大慌てだったのでしょう。それで、自分を死んだことにしたのです。二人のうちの、井上ひさしの方だけですが・・・・・それが、私が、かまくら春秋社を木曜日に訪ねた、2010年4月8日の、たった一日後の、2010年4月9日でした。
2007年からずっと、私にとっては、激動の時代が続いているのですが、この2010年の、1月17日に始まり、4月10日に終わった時期も、本当にてんてこ舞の日々でした。
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これから先は、15日に、多分別章に分けて、後篇として、書きます。お待ちいただきたく。
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後注1と、後注2は後で、探して、リンク先を示しておきます。
後注3
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