実は、今、2000字ぐらいがあっという間に消えました。これは、最大級の真実を書いて居る時の敵方の攻撃スタイルなので、これから、もう一回、頭を絞り出して同じことを書いていきますが、今から書いて行くことは真実です。「えっ!」と、お思いになる方も、あるやもしれずと、思います。だが、真実です。最上級の真実です。
副題1、『ウーム。やられたと、30日の朝は、思った。しかし、私は、精神的には、大丈夫だったのだ』
幕末のざれ歌に、「泰平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず」というのがあります。私は、29日の夜は、NHKニュース7時か、8時45分かに、急に短く、宮台教授襲撃のニュースを聞いたわけですが、決して、その夜には、驚かされたり、悩まされたりしたわけではありませんでした。本日も朝から、ずっと、手仕事=御針仕事をしていたのです。こういうことは大好きです。最近、余裕が無くて、していなかったのですが、清川病院で、捏造写真を見せられて、危うく不要な手術をされそうになった罠を乗り越えたのですから、大喜びで、心には、余裕が一杯です。
昨日も同じでした。22-11-29は、心に余裕があるので、たまっていたクラシック音楽の録画をずっと、見直していたのです。好きな部分は何度も繰り返して。で、レア・デゾンドレと、いう、29歳のめっぞソプラノが、今パリじゅうの市民を熱狂させていると、言う事について、一文を書いて居たほどです。
彼女は、最近では珍しくもパリ生まれ、パリ育ちのクラシック歌手なのですよ。それに、今年の四月、パリ・グルニエ宮(古い方のオペラげきじょう)で、久しぶりに公演をされた、フィガロの結婚の、お小姓、ケルビーノで、初めて大劇場、しかも、オペラの重要な役で、デビューをしたのです。それまでは、世界中をあるカンパニー(楽団)の団員として、回っていて、舞台で、しっかりとした役をもらったことはないのです。つまり、オーケストラを伴奏にして歌ったことはないのです。それがフィガロの結婚の中で、すでに、名声を確立した大スター陣に交じって、唯一の新人なのに、堂々と互角に歌って、しかも芝居が上手なので、とても、輝いていたのです。
ケルビーノって、一種の道化です。主役ではない。しかし、モーツアルトが、伯爵の処女権行使を批判すると、言う結構政治的に、問題を含むオペラの中で、息抜き的存在として使っている役で、ズボン役と言って、若い男の役なのに、必ず、女性が演じることになっている役です。その時の演出がとても奇抜で、舞台裏で、舞台をすると言う二重設定だったので、出演者が着替えのために、結構な回数、裸になるのですよ。または、下着姿に。伯爵夫人役の、マリア・ベングドソンだって青いブラジャーと青いパンツだけの姿をちらっと見せるのです。ケルビーノも着かえる場面があって、その時、股間に大きなふくらみを、作って、装着しているのです。おかしくておかしくて。
それが四月だったのに、七月には、エッフェル塔の前に集積した、何千人もの聴衆からやんやの喝さいを送られているのです。大変な発展です。体格は華奢で、背も高くないし、言っては失礼ながら、鼻が鉤鼻です。だけど、パリサイ音楽祭では、自分は、デュエットの一人、または、独唱の人として主役だから、「まるで、10頭身ではないですか?」というほどに、長身に見えました。それは、きゃしゃな上半身の下に、膨らんだボリュームのある、しかも色が格段に美しいスカートを着ていたからです。高めのハイヒールも履いていたでしょう。同時に出たアリス・さら・オットーが、はだしで、有名なので、最後の舞台挨拶では、さらより、レアの方が、20㎝は高かったです。そして、新人なのに、悪びれもせず、しかも、傲慢ではない雰囲気で、ケルビーノノアリア『恋とはどんなものかしら』を歌ったのです。聴衆は大喜びです。そして、かれらの「好きだよ、好きだよ」という熱狂を、きちんと、受け止めていたのです。幸福とは、本日の彼女と、彼女の周辺に漂う雰囲気を指すのだろうと思ったほど、輝いていました。
それが29日の太陽が高い時間帯の事です。が、その前の日の28日だって、幸せな感じがあって、横須賀芸術劇場のサービスセンターで、藤田真央のチケットと、牛田智大のチケットを買っていたのです。私が、もっと、余裕を持って居る時は絵をかきます。しかし、それほどではないが、決して追い詰められてはいないと、感じている時は、音楽と縫物が、定番の楽しみです。それに浸っていたのです。そこへもってきて、たった四杯の上喜撰としての、宮台教授への襲撃です。
まあ、そりゃあびっくりしますよ。だけど、江戸末期のざれ歌のごとくに、眠られなかった・・・・・というわけではないのです。
まず、肉体への攻撃として、激しい睡魔に襲われていたので、その事件について、考える余裕も、ブログを書く余裕もなかったからです。で、そのまま、29日の夜は寝ました。朝起きて、・・・・・やっと、あれは、謀略ですね。で、どういう風に民放が、報道をするかは、検討しないといけません・・・・・と、考えて、TBS、とTV朝日のお昼のニュースを録画して置いて、詳しく、検討をしました。と、同時にNHKニュースも検討をしました。
しかし、こういう謀略を鎌倉エージェントが、起こすと言う事は、事前には、私には、推察ができません。だから、蒸気船の揶揄を思い出したのです。だけど、徳川幕府ではないです。私はね。
午後二時まで、民放は、短い時間だけを割いて、報道をしました。6chが、7分と2分、テレビ朝日も大体、同じです。が、二回目が長かったかな?
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副題2、『このニュースは宮台教授ご自身の記者会見(病院のベッド上でもよいが)もないし、入院先の病院の記者会見もない。しかも、証言者の一人(学生)によれば、「担架で、運ばれた人が居た。あの人が、教授だと思うけれど、全体を布が覆っていた」と、言っていました。
これは、鎌倉エージェントが発案をした、謀略の際には、典型的に使われる手法です。一部に嘘を含むので、当事者の姿は、大きく隠します。
襲われた直後には、学生が目撃者と、なっているわけですが、その学生に向かって、教授は「頭を石で殴られた」とおっしゃたわけです。よね?
きちんと意識はあったわけです。その学生が、携帯で、救急車を呼んだわけではないらしく、彼は、すぐ保健室へ走ったと、言っています。 保健室で、手当てをすればよいと、学生が判断をしたのは、それだけ、教授がしっかりなさっていたと、言う事です。椅子に座っておられたそうですが、しっかりなさっていたと、言う事です。傷が軽かったと言う事です。
もっと、ひどいけがで、地面にうつぶせになっている状態だったら、その学生自身が、119番へ、電話をかけて、救急車を呼んだと、思いますよ。今時、そして、ニュースを見れば、マスクをしているものの、非常に上品なお顔をした大学生が、スマホを持って居ないわけはないです。
そんなに軽いけがなのに、別の学生が、「担架で、運ばれる人を見た。たぶん教授だと思うけれど、布が覆っているので、お顔は見えなかった」と、言っています。おかしいですね。生きている人を担架で運ぶ場合、絶対に、布では覆いません。死んだ方は、布で覆いますけれどね。布で覆ったら息ができないではないですか。だから絶対に覆いません。教授が生きているのに覆ったのはけがの程度に、嘘があり、それを隠す為でしょう。
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副題3、『教授はなぜ、ご自分で、救急車を呼ばなかったのだろうか? また、他の人に犯人について、暗かったからわからないと、述べておられる。ただし、学生たちが「大学側が不審者が出たので、気を付けてください」という構内放送を流したのが、4時か5時だったと、言っているので、教授の暗かったという証言とは矛盾をする。こういう風に後から、いろいろな矛盾点が出てくるのが、謀略としての事件の特徴で、有名人を駒として、使っているが、あっちこっち、矛盾が出て来てつじつまが合わなくなるのは、過去の、こういう事件と全く同じである。
この事件については、まだ、まだ、書かないといけません。だけど、本日は、ここまでにしておきます。皆様が、この節を信じられようと、信じないと言われようとそれは、ご自由です。
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