銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

秘書官更迭・宮台教授襲撃事件・新浪氏と佐野研二郎の称揚は、彼らの出身大学をあげあげする必要があり、幻冬舎・絶歌・地裁のデータ消去すべて、伊藤玄二郎達が絡んで居る

2023-02-09 03:29:35 | 政治

 この一文ですが、最初は、総タイトルを、【秘書官更迭も、宮台教授襲撃事件も、ご本人納得ですか? + 幻冬舎・絶歌・地裁のデータ消去すべて、伊藤玄二郎達が絡んでいますね】としておりました。しかし、そこまで、進めない見通しになったので、変更いたします。また、次に、【酒鬼薔薇聖斗が土師淳君を殺したとされる事件は、横須賀市の水道山へ、人が立ち入らない様にする為に瀬島龍三が、企くらんだ事件だった】としておりました。だけど、今度は、赤木雅子さんに触れる必要が出てきたので、それに、触れる総タイトル【酒鬼薔薇聖斗の土師淳君殺しも、赤木俊夫の自殺も、横須賀市の水道山を只で、瀬島・益山(=中野学校出身者)が、得るための策謀だった】にします。

 ええと、今は、9日の午後零時ですが、この章として、総タイトルを元に戻し、幻冬舎社長が、伊藤亥二郎、および、いまだ、生きている井上ひさし(公的には、自分を死んだことにしている)にどう動かされているかで、まとめて行きましょう。なお、9日の時点で、途中に挿入する言葉は、すべて、この色で、書きます。ことの軽い重いを問わず、そう致します。

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 最近、microsoft wordが、【の】、いれると、必ず、【に】と、変換される・・・・というバグが入れこめられています。ともかく、書くことへ、膨大な、いじめと、妨害を受けています。したがって、正しいことを書いて居ると、言うわけです。まあ。ひたすら、妨害を突破して、書いていきましょう。そして、中断をはさんで、夜九時から多摩美と、佐野研二郎のエンブレム盗作とは、何だったかについて、触れていきます。

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副題1、『秘書官更迭は、土曜日の朝、首相によって、発表をされた。変だぞ』

 へえーっ。と、驚いています。土曜日も首相官邸で、ぶら下がり、記者会見があるのですか? 労働基準監督局は、「国民の悪い見本となるから、土、日は、働かない様に」と、首相には、指導をしないのでしょうか?

 私は、この、昼のNHKニュースのぶら下がり記者会見が、まず、『発表の時間として、おかしいなあ。これは問題が、別のところにある謀略であろう』と、考えたわけです。

 すると、次に夜7時のニュースに、首相が、石川県に行って、そこで、左側背後に、稲田朋美さんを置いて、記者会見をした映像が出ました。それによって、ほぼ、確定的に、私狙いの、謀略であると、判定をしました。

 稲田朋美さんは、映画靖国に問題があるという発言をしました。実際に、その映画を、見れば、その通りです。しかし、それを、このブログの世界で、短くですが、私が触れているので、・・・・・お前は、稲田朋美が自分の陣営に立っていると考えているかもしれないが、違うんだよ。彼女は、すでに、こっちの陣営に立っているのだ。お前の陣営に立っているのではない・・・・・と、言うことをサブリミナル効果として、示すのが、今回の秘書官更迭の、もう一つの側面だったのです。

 となると、この秘書官更迭は、私の息子が数々の謀略によって、勤務先を奪われていること、特に西原理恵子が、絡んだ事件について、丁寧に書こうとしている矢先に起きているので、当時、ちょうど、この秘書官の年齢と同じ程度の若さで、何度も職を奪われてきた、息子に対する、大前研一、高須院長、上村卓巳(本当は、卓美のはず)、横山和生(慶応三田会、横浜支部長)、らが、行ってきた、数々の、残酷ないじめを、当然なんだよ。お前、秘書官だって、テレビを利用して、たった、一つの失言で、追われる、現代なんだからね・・・・・と、言いたい、CIAエージェントたちの悪意の、発露だったのです。

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副題2、『新浪氏の、経済同友会トップ就任は、佐野研二郎の東京五輪エンブレム盗作騒動と、全く同じなのだ』

 特に、日吉・市瀬家の入り婿=養子さん(スクエアエニックスの重役、もしくは、社長)が、菊之助のファイナルファンタジー歌舞伎化で、動いています。これは、宮崎駿+菊之助で、京アニ放火が、八田英明社長の、納得の下で、行われたケースと同巧異曲であり、むろん、例の謀略の一つであるということを、私が、正しく、書いているので、それを隠ぺいしていく、アニメの歌舞伎化第二弾ですが、

 そこに、市瀬家の、入り婿殿=慶応大学の理事でもある=が、からんでいるので、ここで、慶応に箔をつける必要が出てきて、新浪氏を、まだ、まだ、だと、する周辺を、押しのけて、強引に、経済同友会、トップに据えました。

 市瀬家の、入り婿殿も大問題ですが、昭和天皇の、御料車のデザインをした、増田忠さんも、戦前の事ですが、慶応卒であり、現在は葉山の美術館の、館長である、水沢勉氏も慶応卒であり、2012年に激しいいじめを行って来た、開発チエさんも慶応卒です。そして、伊藤玄二郎と結託をして、水沢氏に、教唆命令をしている酒井忠康氏も慶応卒であり、東電のコストカッターとして有名だった、清水社長も慶応卒です。

 そして、何よりも、何よりも、多大な、いじめ工作を行って来たご近所様富沢家が、父親の代から、慶応の教授であり、ご本人も、シミ社長、水沢勉氏と、同じく、栄光学園👉慶応卒の学歴を持って居る人です。富沢家は、2022年10月6日、我が家の引っ越しを邪魔しようとして、とんでもない嘘を言いました。中学生でも習うでしょう。アルキメデスの原理を忘れたのですか(?)と、私が書いて居ます。もちろん原案は、例のごとく、安野智紗夫人と仲良くなると、ばか化するの典型で、かまくら警察署発か? 伊藤玄二郎一派発でしょうが、富沢家、その者で、そんなバカげたことには、乗りませんと、言わないといけないのです。しかも、高枝切り事案と言うトンデモナイ事を、過去にやっていて、それが、鎌倉市役所の、深田移転というとんでもない報道に繋がり、梶田さん(岩谷堂町内会会長ほか、雪の下二丁目の町内会の住人に多大な迷惑を与えたのですから、身を清めて、静かにしておかないといけないのに、二度目の事として、謀略の実行者になりました。こうなると、慶応の名誉は、地に堕ちると、言う体たらくです。

 後注1へ

 これは、ものすごく恥ずかしいケースです。

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副題3、『都庁バルコニーで、大変派手な形で、発表会を行った佐野研二郎の、東京五輪エンブレム、ご披露、記者会見は、それだけで、7000万円かかっているそうだ。誰が、支払いましたか? 佐野研二郎ですか?こういう部分を糾さないで、何が、談合ですか? ともかく、東京五輪とは、莫大な無駄遣いでした。安倍晋三氏とCIAとの関係は、複雑怪奇ですが、第二次東京五輪を、招聘したこと自体を、考えても、国葬にするべきではない首相です。私は、おぼっちゃ気質の安倍さんに対して、2012年に、総裁選には、打って出ない様に申し上げていますが、は

  それは、多摩美に権威を与え、格上げをするために、佐野研二郎に、(裏工作によって、東京五輪エンブレムコンペに、当選したことにして)、デザインをさせたケースと全く同じです。たまたま、佐野研二郎は、重い責任に耐えきれなくなって、盗作をしました。で、大いに、たたかれて、多摩美は、大失策を二重に重ねたというわけです。

 ここから、再開します。9日の午後21時からですが・・・・・そして、挿入ですが、政治的には、問題のない文章なので、黒の細いフォントの、字を使います。

ここですが、私の子供時代の、思い出が、関与してきます。私はある事情から非常に高い自覚を持った子供で、家の再興を、になっているという感覚を抱いていました。それって、【英雄たちの選択】(NHK)で、解説された森鴎外に似ています。で、しつけはできているし、お勉強は、すごくやるしで、日吉中のご家庭から、「来てほしい。うちの子と一緒に午後過ごして、良い影響を与えてほしい」と願われていました。

 そのうちの一軒には、ほぼ、毎日、放課後寄っていて、午後中過ごしていました。日曜日にも麻布の、東洋英和の文化祭に一緒に行きましょうと、誘われるほど、そこの家のお子様と、まったく同じ扱いを受けていました。そこの家は、四人のお嬢様がいて、私は次女の方と、同学年でした。そこの家のお父様は、偉い方なので、担任の先生は、そのお嬢様を、とても大切にして、ひいきにしていました。ところが、お勉強は、私の方ができる。という事で、担任の先生と、そのお嬢様自身から、私は、いじめられていたそうです。これは、その時代から、50年以上過ぎた同窓会での、別の友人の証言です。 

 私の妹は、本当の妹ですが、大変年が離れていて、まだ、未就学の子供だったので、私は、家に帰っても遊び相手がいないので、そこの四人姉妹の家に呼ばれるのが、楽しくて、本当に毎日よっていたのです。

 今、思うとあのお母さまは、できた方でした。が、肝心の友人には、嫌われていたのです。反対の立場に立ったら、よくわかります。私は、子供にしてはありえないほど、超人的によくできた子で、それを、友人が「嘘くさい。何か芝居をしているんでしょう」と思っていたと、今なら、よくわかります。

 それに彼女自身にもいささか問題がありました。いささか反抗的で、すねた性格の人だったのです。これは、彼女自身の責任ではないのですが、二番目のお子さんに、よく見られる、親から大切にされていないと、言う不満を持つお子さんだったのです。二人だけのお子さんの家では、それほど、二番目のお子さんが、大切にされていないという事が目立たないのですが、三人以上のお子さんがいると、どうしてか、二番目のお子様は、看過されやすいのです。

これは、1954年の話で今から、68年は前の話ですが、日吉台小学校の、友人たちは、みんな賢かったので、こういう微妙なニュアンスを、胸に秘めたまま、いかにも子供らしく、一緒に宿題をしたり、双六をしたりして、午後五時ごろまで、過ごしていたのした。

 その後、彼女は、東洋英和に進学し、私は、横浜国大の付属中学、お茶大の付属高校と、6年以上まったく交流がない形で、過ごしました。ところが、別れてから、8年後の、1962年、自由が丘の東横線ホーム上で、突然に彼女から、声をかけられました。

 そして、ホームの上で、30分以上の長話になったのでした。二人共日吉に住んでいるので、もし、これから、帰るところだったら、別にホームで、長話をしないでも、日吉へ迎えば、良かったのですが、別の方向を目指していたから、そういうことに成ったのだと、思います。

 昔は、寡黙な方だったと、記憶がある彼女が、その日だけは、立て板に水と、言う風な勢いで、とうとうと、悩みを打ち明けてくれました。内容は、「今、通っている大学は、美大だけど、友人がつまらないの。友人と話が合わない。私は、受験勉強なんて、バカらしいと思うから、受験勉強はしなかったの。で、今の大学に入ったのだけれど、友人たちとの会話があまりにも単純で、むなしい。あなたみたいに、受験勉強をちゃんとして、名門大学へ、入るべきだった」と、言いました。

 私は、その日、こちらからは、口をはさめなかったのですが、それでも、内心では、こう考えていました。「それは、ちょっと違うよ。私も、受験勉強は大っ嫌いです。だから、していない。それでも、ICUは、地頭が良くて英語ができれば入れるの。だから、あなたと、同じ考えよ。ただね。東洋英和から、何人も、ICUに入学している人がいるけれど、そういう人たちが、高校時代の成績が、良かったので、東洋英和での担任から、ICUを、「受験しても無駄ですよ。あなたの現在の成績では、だめだろうから」とか、言われたのかなあ?

 だけど、これは、真理だけど、入学試験の、偏差値の高い大学だから、話題が、豊かな人がいるとは、限らないけれど。それは、その人の過去の個人史によるよ。美大を目指す人は両親が、裕福な人が多いので、18歳まで、苦労などしたことがない人が、多いでしょう。だから、話題がつまらないことはあるだろうけれど。

 それと、これは、あなたに対しては、残酷な、言い方になるとは、思うけれど、美大に入るのだったら、美術において、ものすごい才能が、必要だと、思うけれど、そちらの方が、あまり、うまくいっていないのかなあ。ともかく、美術とか、創作が好きでないと、だめだけれど、それは、大丈夫ですか?」とも。

 私は、ICUで、話の合う人を何人も見つけました。しかし、ICUにおいても、話が、通じない人は、いるのです。

 しかし、私は、この自由が丘駅ホーム上での邂逅に、大きな感銘は、受けました。それは、1953年から、54年にかけて、私のことを「嫌いだ」と、無言の言葉で、言っていた彼女が、その日は、まったく違っていたからです。

 彼女にも挫折や、不満はありました。「お姉さんほど、親から、愛情をかけてもらっていない。また、妹二人も、私よりは、愛情をかけてもらっているし、自分は、損をしている」と11歳か、12歳にして、考えていた彼女は、母親が、私を、一つの、モデルとして、あの子みたいになってと、思っているからこそ、私に対して、忌避の念を持っていたのです。それが、この日には、一切消えていたのです。この日、二人は、シモーヌ・ヴェイユと、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの違いとか、彼女たちのどちらが、より、幸福だったかなどを、語り合いました。

 その間、二人の間には、防御幕とか、遮蔽幕は、一切降りていなかったのです。非常に感動しました。で、それをエッセーに書いたのです。むろん、美大名も書いていないし、彼女の個人名も、書いていません。それを書いたのは、2005年以降、2010年の間だったと、考えます。

 ところが、私は、1965年以来、CIAから、「あの人間は頭が良すぎる。そういう人間を、生かしておくと、日本を植民地として、支配する事は出来ない」と、言うことに成っていて、どんな些細な、事でも、脅かしに、利用をされます。

 私が、この自由が駅ホームでのエピソードを書いたのは、彼女が、亡くなってのちでした。彼女は、47歳の時に=今から、33年前=に、すでに亡くなっているのです。しかし、CIAエージェントは、すぐさま調べました。で、小学校時代の、友人で美大に進学したのは、一人なので、彼女が、特定され、そして、進学先としての、多摩美も特定をされました。

 これが、佐野研二郎の、盗作騒ぎの裏側にある真実です。私は、自分の指先が、世界のニュースを作り出しているのだと、語っています。が、個の佐野研二郎盗作問題、一つにしても、私が、筆力で招いたことでした。

 ところで、会議室に記者を招いて、発表すればいいものを、多摩美を、アゲアゲにすることが目的だったので、都庁前で、大々的な、発表会を行いました。そのイベントの、制作費だけだって、7000万円は、かかったと、聞いています。どこが、補填の費用を、出したのでしょうか?

 内閣官房機密費ではないかなあ? 谷垣さんが、まだ、元気な時だったでしょう。で、安倍さんは、東京五輪を招いた人だし。

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副題4、『ここで、やっと稲田朋美氏に戻る。この秘書官更迭は、見事に私狙いだと、わかったのは、私は、消された映画という書物を準備中で、それを妨害するために、2010年に、千葉景子当時の、法務大臣は、死刑場を公開した』

 一般の方は、それを、まったくご存じないでしょうが、彼らCIAエージェントは、間接的な形で、私を攻撃をしてきます。本当の犯人に責任が、及ばない様にするためにです。

 3日の金曜日に、秘書官の、同性婚を嫌う発言がでて、4日にすぐさま、首相は、更迭を、宣言したわけです。だが、現象そのものがまやかしであって、私がそれを指摘すると、日曜日には、副官房長官をNHKの政治討論会に、出席をさせ、

 月曜日は、首相は、身をくらましていて、松野官房長官が、ひたすら、政府の方針を説明するという形に変換をされました。

 私は、月曜日に、首相が、姿を現さなかったことで、この一章が、正しいと、、証明されたと、考えています。

 私は、2004年以来、工業生産品としての、書物(自分の文章で、一冊ができている)ものを、大変な無理を押して、出版をしました。

 三冊目の、【電車の中で】が、盗作されていますよと、読者様から、コメントが来たのです。

【阪急電車、15分の奇跡】が最近放映をされた。その原作について、あなたのご本の盗作ですよと、言ってきた方がある

2022-10-09 20:38:09 | 政治

 

 しかし、私は、全く動きませんでした。盗作された書物というのがだれによって、書かれたかとか、そのタイトルは、どういうタイトルであるかとか、出版社は、どこであるかとか、全く調べなかったのです。

 ともかく、それが、三冊目で、次に、四冊目、五冊目、六冊目と、出版していく方が、自分の、少ない体力と、時間にとって、大切だったからです。

 ところが、それを、出版したのが、2007年だったのですが、どうも、並行して、【阪急電車】という小説が、幻冬舎から、出版をされていたのでした。それは、15年後の秋に、NHKが、中谷美紀主演の、それの映画化を、テレビ放映をしたので、気が付きました。番宣で、気が付いたのではなくて、録画の視聴の合間に、ふと、気が付いたのです。こういうところも、神様が、御見守りくださっていると、信じている部分ですが、最後の方の15分ぐらいだけを、録画しておきました。

 すると、出演者とか、スタッフのクレジットが出てくるでしょう。それで、原作の著者とか、映画の、制作会社とかが、判ってきて、幻冬舎だと、理解をしました。

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副題2、『幻冬舎の社長、見城徹氏は、非常にユニークな、しかも、エネルギッシュな人物だと、思うが、生きていくためにだろうが、氏は、鎌倉エージェントと、ぴったりと、連動している人物だった』

 幻冬舎の社長、見城徹氏は、少年Aの【絶歌】が太田出版から出た時に、私は実質的には、見城氏が動いたと、語っています。ちょっと、そのブログのリンク先を見つけている時間が無いので、パススルーしますが、

 その時に、見城氏が、私に描かれて、困ったと仮定しましょう。すぐ、見城氏を主役にして、尾崎将司特集が組まれました。NHKで、組まれました。つまり、私がブログにあれこれ、書いた人が、困惑するだろうと、して、その人物に対する慰藉の、行動が、すぐ、組み立てられるのです。そして、もっとも、影響力の大きなメディアである、テレビが、利用をされます。

 で、私が書いたことが、正しかったし、少年A の、絶歌は、出版の際に、見城氏が、太田出版から出しなさいと、太田出版に勧めたでしょうが、もっと、すごいことを書いて居ます。実は、絶歌は、しょうねんA 画、書いたのではなくて、ゴーストライター作であろうと語っています。そこまで語ったら、大宣伝で、書店の平台を占有していた、【絶歌】が急に消えました。そのゴーストライターは、いまだ、実際には、生きていて、非常に憶病なのです。一方で、自分の名前が出ないと、信じると、大きな、謀略(嘘まみれの事)も、平気で、作り上げます。

 少年Aは、中学生のころは、酒鬼薔薇聖斗と名乗っていて、仮名釘流の、声明文を出しました。それも、ゴーストライターが、左手か何かで、書いたものだろうと、推察しています。

 そのゴーストライターが、いよいよ、私に真実を書かれそうだと、恐れて、神戸地裁から、事件当時の、書類のデータを消去させました。

 鎌倉エージェントの中で、最も激しいいじめ工作を行っているのは、伊藤玄二郎です。が、伊藤玄二郎が、ゴーストライターであるとは、言っていませんよ。

 しかし、彼は、中央大学法学部政治学科の出身で、人的コネを最大限に利用する人間であって、

*1)、千葉景子さんの死刑場公開を、裏から、教唆命令したし、

*2)、やまゆり園事件で、一人も死者がいないのに、19人も死者がいたことにして、匿名で、裁判を行うと、言う極端な、司法の冒涜を行った。

*3)、山上徹也の、伯父(弁護士)に手を伸ばし(間にだれかを挟んだのかもしれないが)山上徹也を、安倍晋三殺し犯人に、仕立て上げた。「判決後、海外へ、アメリカ空軍機他でm逃がしてあげる。十分に、研究できる環境を、準備してあげる。無論、パスポートは別人のものを、準備してあげる」と言われて、引き受けたと、見ています。

*4)、神戸地裁から、土師淳君殺し、事件関係書類を廃棄させた。

*5)、講談社の編集次長(在日であることをすでにカミングアウトをしていた)の、家で、妻が亡くなった事へ、夫が犯人だとした二審を最高裁が差し戻しをした。

*6)、2013年だったらしいが、廃棄物処理法案を、制定して、焚火をしてはいけない事にした。

*7)、2018年か、薬事法の改正をして、私が処方箋に応じで出してもらっている薬が、ほとんど使えなくなった。

 などを、井上ひさしと、共同をして、起案をして、しかるべき人物たちを動かして、実行をさせました。

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副題3、『神戸の事件は、横須賀市の水道山に、誰も、入らない様に、するために、起こされた、CIA主導の、謀略事件である。少年A=酒鬼薔薇聖斗は、やっていないと、私は、見ている』

 横須賀市の、水道山の北側に、150坪程度の山林を買った、益山重夫と、その後妻の、智恵子夫人は、

*1)、シェパードを飼い、もし、自分宅に誰かが、入ってきたら、シェパードに襲わせるつもりだった。

*2)、京急にその山を開発させた。道路、ガス、水道などを整備させた。京急は、その山への最寄り駅を井田駅としていたのだが、この計画(ただし、まず、京急池田分譲地の開発が先なのだが)、が、完成された暁には、二束三文だった、山林の価値がグーンと上がる。

*3)、益山重夫氏は、山林の北か南かに不正侵入をして、30坪の区画を、12区画+40坪の13区画の分譲地、または、建売住宅を作り、かつ、幅4mの道路を、13m程度作った。また、自宅を、60坪程度の敷地で、建てた。その後ろに、100坪程度の余地を残した。

 この時点で、合計600坪には、なるから、実はマイナス、450坪となる。それは、山林だった形状を、しっかりとは、覚えていない地主の土地を蚕食したか? それとも、すでに、水道山へ、蚕食をしたかのどちらかであろう。

 で。公図が大変無理な形となっていて、南北に、一ミリ、程度、東西に、7ミリ程度で、12件の所有者が、ひしめき合うと、言う形になっていた。私は、1978年に、旧に家の中に他人の土地が入ってくると、言う事態に直面して、あれこれ、調べぬいたので、抜かりなく、公図もお金を出してとってある。ところが、段ボール一杯、ためておいた、この実質的詐欺事件に関する、書類は、我が家から、すべて盗まれている。

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副題4、『この悪事は、水道山を開墾をして、「果樹を植え、1200坪(=4200平米)、全部が、自分たちの、果樹園なのです。しかし、測量が間違っていて、今は、登記簿では、2.73平米(一坪以下)しか残っていないと、書いてあります。ぜひ、訂正してください」・・・・・と、法務局に申し出でて、地積変更届と、言う書類を出すと、1200坪がタダで、手に入ると言う形になる、事案だった。

 もちろん、1200坪の周辺地主の、実印を押してもらわないといけない。で、それを、もらわないで、済む様に、水道山の周辺を道路で、囲って、その道路を横須賀市に寄付する予定にしていた。その部分(=山の下の住民たち)が、95%ぐらいを占めており、後は、山の上の住民が、私を入れて、11軒あり、そこから、実印をもらえばよいと、なっていた。

 ところが、ここで、絶対に、益山氏のたくらみを嘘だと、見破っていて、実印を押さない、人物がいた。我が家の西隣の、原正芳家である。夫妻そろって、横浜税関に勤めていて、せんぜんからの、地主であり、益山夫妻の、異様な企みの中にある嘘を、見抜いていた。しかも、正芳氏の、長兄は、当時、横須賀市議会の、議員をしており(体格が、すごく、立派な人だった)、

 次兄は、歯科医院を経営していた。益山夫妻の、夫たる、益山重夫氏は、元、海軍参謀で、横須賀市では、相当な、特権者だったが、1970年代は、一人の老人にしか過ぎなかった。

 で、力は原家の方が上だった。原家では、夫妻のダブルインカムだから、週末は、必ず、お客を招いて、バーベキューをやっていた。上等なお肉類を、かうのなんか、全く問題が無いというお宅で、華やかな話声が、何時も聞こえて来ていた。

 :::::::::1981年ごろ、その町内のとある家で、当主が亡くなったので、火葬場から帰って来た最後の、おもてなしが、その家で、行われ、お料理は、町内会が、担当することとなっていた。で、その亡くなった家(同じく、戦前からの地主)の真後ろが原家だったので、原家の、お台所を借りて、お料理を作ったのだけれど、今から40年前、高さが、1.2m、幅70cmの冷蔵庫が、一般的だった時代に、幅1.2m高さ1.8mの大型冷蔵庫が、二台もあるお宅だったのだ。6月という暑い季節だったが、その冷蔵庫に、前日から、保管をされていた、材料を使って、40人分の箱膳を作り上げたのだった。三人で。ああ、よく頑張りましたね。あ、は、は。まあ、箱膳が40人か50人分そろえてある、地主の生活というのにも驚いたが、

 料理屋の仕出しをとったりは、やらないで、ご近所主婦の助け合いで、おもてなしをすると、いう、地域社会の共同ぶりにも、ひどく驚いた。三人とも、四〇代だったので、乗り切れたのだと、思うけれど。:::::::

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副題5、『原家は、益山夫妻に対して、ひどく、怒っていて、恨んでいた。それは、我が家も似ていることだったが、益山氏は、原家と、我が家をだまし打ちにしたからだった』

 私が、土地を買ったときには、あたりは、広々としていて、日光はさんさんと、降り注いでいた。しかし、原家が、家を建てて、その後、我が家も家を建てると、突然に、益山夫妻は、その両家の南側に、非常に高い、築土をして、かつ、30坪の敷地一杯に、総二階の建売住宅を建ててしまった。土地を買うときは、けんち石は、4段ぐらい積み重ねてあっただけだったのに、急に、12段以上積み上げて、原家など、南側に、道路が無いので、高い高い、南側の、崖を見ないといけなくなって、息が詰まる感じになった。

 我が家は幸い、益山家に入っていく、南北に通貫する進入路が、日あたりを一部に確保してくれていたが、原家の、怒りは、格別だったと思う。

 ですったもんだの大騒ぎが起きて、絶対に実印を押さないであろうと、言う見込みを益山夫妻は、持って居たので、原家の東側(つまり、我が家との境界)を、青地というもので囲ってしまい。原家の、実印をもらわないで、すむようにしむけた。

 益山重夫という人は、瀬島龍三と、親友だそうだし、海軍参謀という肩書からも、それが、判るが、陸軍中野学校出身であろうと、思われ、実印を押すべき、ご近所すべてに対して、室内へ、または、電話へ、盗聴を仕掛けていた。

 そして、我が家など、私が、9月から、三鷹のICUまで、通って、学士入学する予定であり、そのために、7月の末に、夫の会社の夏休みを利用して、夫と、子供たちを呉へ、帰省をさせ、その間に、大掃除をしていた。それも、知っていた上に、さらに、夜に、智恵子夫人が、その地積変更届を持ってきて、「ここに実印を押してくださいね。ご主人様からは、すでに頂いているのですけれど、お宅の土地の、西側30坪は、あなたのお母さまの持ち物だったのですね。だから、お母さまの実印をここにもらってきてください」と、言うのだった。

 ICUは学士入学だったが、秋は、朝から、夕方まで、ほぼ、毎日、私は三鷹へ出かけていて、家には、いないと言う事を知っていて、益山夫妻は、罠に引っ掛けてきたのだった。でも、私は性善説の人だから、益山夫人の言葉を、一豪も疑わず、母にすぐさま電話をかけて、「明日、遊びに行く。その時に、実印をおして頂戴ね。たのんで来た人は、急ぐらしいから」という。すると母は、「へんね。何の書類?」と、聞いてくる。

 「あのね、益山さんっていうご近所様が、道路は、私道部分として、自分たちの土地を提供しているのだけれど、それを、今度市に寄付をするんですって。それに必要らしいわよ」と、答えた。すると、母は、さらに怪訝な声を出し、「こっちが、損得をする契約なら、実印を押す可能性があるけれど、他人が、寄付をする、契約に、どうして、私の実印が要るの。変ですよ」と、言う。

 経済に関しては、母の方が上だと、思ったので、渋々、「じゃあ、中身を見てみるわ」と言った。そして、折りたたまれていて、B5サイズだった、長大な、図面をテーブルの上に開いてみて、自宅の中に、買ったときは、無かった、青地というものが設定されているので、仰天をしたのだった。

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副題6、『森友学園問題と、赤木俊夫の、自殺云々は、私が、この北久里浜の案件に触れるのを、脅かしに、よって避けさせるためのものだった。もし、書くのをやめなければ、赤木雅子という女性に、ぎゃんぎゃん、ぎゃんぎゃん、嘘満杯の、記者会見をさせれば、絶対に、一般読者は、雨宮舜(本名川崎千恵子)の、方が、つまらない事件だと、思うさ』と、考えて作り出された事件だった。

 私は、書類に書き込まれた青地なんて言う語彙は、見たこともないので、法務局に聞きに行きました。すると、法務局では、それは、財務局の管轄ですという。そうなると、私にとっては、かえって得意な分野だ。母の叔父が、大正時代に長崎高商を出ていて、財務局勤務だったし、父だって霞が関の官僚だった時代があるのだ。それで、財務局に回った。わたくしは、怖がるどころか、どんどん、どんどん、益山夫妻への疑惑を深めていくこととなる。

後注1、

花輪夫人と富沢夫人から始まり、岩本工務店が主役のいじめ用罠は、実際は鎌倉市長発で裏に伊藤玄二郎が居てね△  2022-10-19 07:52:38 | 政治

 

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