この文章ですが、23日の午後二時に至って、やっと完成をしました。そのしるしに恒例の△印を、総タイトルの横につけておきます。ところで、前報(後注1)の中に、23日に入ってから、以下の挿入を入れています。
22日に塩崎厚労相が、「アスべスト訴訟の原告に対して、国税を使って、保障をする。一時期訴訟を取り下げ、この間の最高裁判決の際には、原告団に入っていなかった人物たちにも保障をする」と、発表をしました。それも、私が、いかに、ニュースを作り出す人 間であるかを証明しています。ところで、この支払いも結局のところ、鎌倉雪の下に住んでいる安野夫妻と、前田夫妻という個人を助けるために出費されています。で、消費税、10%の格上げも、こういうところに使われるというわけです。<個人的なことを、いかにも、公のことに見せるのが、政治の本質だそうですが、そういう伝で言えば、私の近辺で、目にすることは、ことごとく、政治問題であります>と、断言できるほどのことが起きています。 後注1、
若尾文子に似た悪女に奉仕した結果<目が悪いので不美人だ>と私に書かれてしまう若宮さん(ジ・アース)
副題1、『再び、鬼の居ぬ間の、洗濯が起きましたね。もしかすると、三度目?』
NHKニュースを点検していました。18日の夜の11時になって、やっと、17日の午後零時のニュースまで点検が到り、それを見て、<見事に鬼の居ぬ間の洗濯を、安倍内閣がなさった>のを発見して、「これは、驚いた」という感想を持ちました。で、仕方がなくて、ありとあらゆる書きかけ中の文章を放っておいて、新しくこの章を、書き始めたところです。
私は16日(木)の夕方から北久里浜に行っていて、そこにはテレビがありません。で、パソコンは、スマホとWi-Fiをもっていっていますから、ネットのニュースは見ることができます。が、敵の微妙な嫌がらせは、テレビの画面を見ていないと、はっきりは分からないのです。17日は、夜の8時に帰ってきました。だから、安倍さんの女性の活躍推進法案を閣議決定、というのは、私が『子育てとは、どれほど、大変なことか。特に一般的には、すでに、大丈夫だと思われている中学生とか、高校生になってからが大変だ』と、常に言っていることへの敵対的反対であって、単なる嫌がらせに過ぎず、
したがって、鎌倉市 雪ノ下二丁目の前田祝一・清子夫妻と、安野忠彦氏夫妻を、個人的にサポートすることでしかないのです。今、彼らのやってきた悪を、小説化雪ノ下問題と、して、書きつつあるところですが、下稿として書いては、それを文脈を整え、本格的な小説として整理していくつもりで、いったん、後ろ側へ引っ込めてある項目が、膨大にあります。それらが全部重い真実なので、敵としては、公開をされると困ることばかりです。それを、発表させないために、こういう=====国民を盾にとった、個人的な嫌がらせ======が行われます。平成の八墓村事件もその一つであり、尖閣諸島への中国艦船の出動もそうであり、オスプレイの配備もそうであり、それらの諜略行為は、繰り返し、行われてきました。
『この、ふた家族のどこが偉いの?』と、読者が疑問をお持ちになることについては、いつも気が付いていますが、ごく簡単に言えば、この二つの家族が原因となって、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒壊したり、日本の道100選に選ばれている鶴岡八幡宮の表参道にあたる若宮大路の、そのまた、真ん中にある、段葛という桜並木が、2013年度に、急に衰退したことなどが、その諸悪の結果として、起きているほどの悪人なのです。ふた家族とそれに協力する人たちへの天の制裁として、ああいう自然現象は起きてきたと、私は見ています。
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副題2、『生まれつきの障害を持つ、若宮さんを、なぜ、私は、不美人だと、公言をするのか?』
この長い文章の最後の方に、登場する、若宮さんという女性を、私は、『目が悪いので、不美人である』と、言明し始めました。特に2014年9月25日以来、言及し始めています。
彼女の<目が悪い>という現象は、<母の子宮内で、眼球だけが、不完全な育ちをした>ということで、彼女自身の過失で、起こった現象ではありません。普通なら、私自身のプライドをかけて、こういう話題には、取り組まないものですが、
彼女が、その目が原因となって、過去に悲しい目に出会ったであろう、そのすべてをかけて、残忍にして陰険な、いじめを私に対して行ってくるので、それを、分析し、書く事は、政治問題として、大変重要であり、必要な事なのです。麻原彰晃という稀代の大悪人がいますが、若宮さんが、あたりに、私と彼女以外、誰もいない時に示したもの等、まさに、その種の・あく・といった類のものでした。若宮さんは、人が構築するシステム(金を生むそれや、地位を生むそれ)については、絶妙なセンスをもっているみたいですが、神とか、天と言うものを、知らない人と、見えます。
彼女は、私の訪問等一過性のことであり、怖くもなんともないと、思っているでしょう。しかし、彼女が、私に「ガレリア.-グラフィカの栗田女史を、尊敬していると言ったので、『なるほど、そのポイントで、若宮さんの残酷な仕打ちも、伊藤玄二郎が、間に入っているのですね』と、分かって来ているので、それで、政治問題と化していくのです。 それで、彼女について書く事が、直接に、安倍総理の異様な行動の謎解きに通じるから、『不美人だ』とまで、はっきりと、書く必要があるのです。
それを書けば、安倍総理を裏から動かしている、私の敵さんたち、特に鎌倉エージェントと、私が呼んでいる伊藤玄二郎(+まだ、生存中の井上ひさし、+元日経新聞編集委員にして現在は早稲田大学法学院教授の石塚雅彦氏・・・・この人は、小学校の先輩でもあり、大学の先輩でもあるし、美術展の仲間だった時期もあるので、どうしても敬称をつけたくなる・・・・および、酒井忠康世田谷美術館・館長たちの、本当の姿に到達する方法(または、道筋)の一つだからです。
ところで、それらの悪人たちは、常に、恐れおののいているので、私が少しでも、ブログを書けないと見るや、瞬時にその隙を、狙ってきます。この女性活躍推進法案とは、まさにそういうものなのです。 特にテレビニュースで見た時に、有村さんの顔が画面に大写しになったので、その意味がさらに明瞭になりました。それは、森まさ子大臣が過剰にテレビ画面に登場した頃の再現でありました。今度の有村さんを、表に出す現象が、本当は、どういうことかというのは、次章で語ります。ここで、語りたかったのですが、字数が二万字を超えましたので。~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『鎌倉駅前で、普通の日なら夕方五時に、交番から帰ってしまう警官が、駐輪場の自転車に駐車・違反がないか、夜の八時半に、熱心に点検をしていたが、その理由は?・・・・・その1』
これを見逃したが故にでしょう。この17日(土)の夜、鎌倉駅周辺に買い物に出た時に、5個ぐらいの嫌がらせを、駅周辺で受けました。それは、事前に、ネット検索をした事と、主人に、「出かけます。何を買って来てほしい」と言っているので、瞬時に、常に準備されているマニュアル通りの、いやがらせ行為を、敵さん連中が、実行したと思われます。で、それは、パソコンがハッキングを受けているという人権侵害と、また、室内が盗聴をされているという人権侵害の証拠となるので、上で、名前の上がった有名人と、それにプラスする無名人、ふた家族に対しては『そんな恐ろしい人権侵害が、あなた方が過去になさったことを隠すために行われているのですよ。ぜひ、恥を、知ってほしいですね』と思っています。特に早稲田大学の教授である石塚雅彦氏とか、前田祝一氏みたいに元駒澤大学の教授であったとか、前田清子さんの様に、元国学院大学の講師であったという人は、多額の月給をもらったことに、責任があるでしょう。または、伊藤玄二郎の様に現在も関東学院大学の教授であるとか、酒井忠康氏の様に、現在も世田谷美術館の館長である人たち等のように、名誉がある立場であるならこそ、自分たちが、やっている事を恥じ入ってほしいものです。あなた方が、過去、10年間、やってきた事を。また、一部の人間は、過去30年間、その嫌がらせを行い続けてきましたが、本当に恥じ入ってほしいです。自分たちが、まず悪事を行ってきて、それを書いている私をぶっ潰すために、こういう風に、恐るべき、しつこさで、人権侵害が行われていることを、肝に銘じて、恥じ入ってほしいです。「そのことは、自分が直接には、やってはいない。誰かがやっているのだ。だから、自分には、関係がない」と言って、頬っかむりするのは、汚すぎますよ。
で、5つの嫌がらせ行為のうち、三つについての、詳細な説明に入ります。前々報(後注1)を書く為に、外出前に自宅で、雑誌『猫びより』の目次を、ネットで確かめていたのです。だが見つかりません。で、立ち読みで、その内容は覚えているものの、雑誌のナンバー(または、何月号だったか)が、必要になります。で、雑誌の実物を確認するために、外出したのです。我が家は、不動産業者に言わせると、駅から徒歩12分の位置にありますが、130段を超す、石段を上り下りしないといけないので、夜の外出は、おっくうでもあります。が、真面目な人である私は、勇を鼓して出かけたのです。で、私の、パソコンは終始ライヴで、ハッキングをされていますので、<これから、彼女(=私)が何をするつもりか?>を、敵さんは推察しているのです。そして先回りして妨害をして来ます。
一つ目の、妨害は、東急というスーパーの上階が、予定より2分は早く閉店したとい事。立ち読みは、スーパー東急の上階で、やったのですが、そこのビルに入ったのは、5分前なのに、3階まで、エスカレーターで、上がったところで、エレベーターもエスカレーターも止まりました。単純に表紙を見て、何月号かを調べればよかったのですが、『それを、やらせないぞ』という意地悪をされたのです。で、仕方がなくて別の本屋で、実物を買いました。 さて、本を手に入れた後で、もう一度東急に戻りました。食料品を買う為です。
で、二度目として東急ビルを出たのが、夜の八時25分です。その時、うす暗がりの有料駐輪場で、何かを確認している制服姿の男性がいます。『え、もう、夜の八時半だから、警官ではないでしょうね』っと思って、彼の左腰を確かめると、ピストルらしきものが見え、警官であることが解りました。『は、ハーン』と、笑っちゃうほど、明瞭に、彼ら、敵さんたちの脚本と意図はわかりました。~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『アスベストの健康被害を隠れ蓑にして、悪事の証拠隠滅が図られた2008年の、春・・・・・そこから工事と、工事作業人が、しつこく脅かし用道具として利用され始めた』
警官がそこにいた理由は、本当は、工事用のガードマンで脅かしたかったのですが、それを準備している時間がなかったので、警官で代用したということでしょう。
彼らが過去に行ってきた悪事のうち、最も代表的なものの一つが、私がアジサイ畑欺罔事件と呼んでいる我が家の土地を盗まれた件です。で、この証拠隠滅が、しつこく波状的に行われて来ていますが、そのもっとも代表的なものが、県が埋めた上水道管を、アスベストの健康被害を理由に取り換えるといった事案です。だがね。これが、嘘の理由であるのは、古い管は、掘り出してはいないのですよ。だから、健康被害に関しては工事前と、工事後、一切変わりはありません。ところが、脅かすために、何回もアスベスト裁判が行われ、そして、原告が勝ち、莫大な損害補償を得ていますね。それは、なぜかというと、前田祝一氏が、共産党員か?または、そのシンパなので、彼を助けるために、アスベスト被害を声高に言う必要があるからです。そして、共産党の組織を利用すれば、アスベスト被害原告団が出来上がるので、簡単に訴訟へ持ち込めるからです。
:::::ここで、23日の朝になってからの挿入を入れます。TBSの朝ちゃんで放映したのですが、塩崎厚労相が22日(それは、私がまだ、北久里浜にいて、ウィンドーズ版パソコンがうまく使えなくされていて、ブログを自由には、書けない状況下にあった字解体ですが、アスベスト訴訟の原告に対して、国税を使って、保証をする。原告団に入っていなかった人物たちにも保障をすると、発表をしました。それも、私が、いかに、ニュースを作り出す人間であるかを証明しています。:::::
しかし、その上水管工事では、重要な被害が、私側にあります。そのアジサイ畑欺罔事件の重要な証拠を消す事が、その工事の目的であって、確かに一部は、消えています。そして、道路位置指定条例などという後付けの条例ができて来て、悪人側が勝つように仕組まれています。悪意あるなんて言う場合ではないほどの、悪意ある行為で、法律なんて、くそくらえの、非・順法精神なのです。全然、法律が機能していないのが、ここ雪ノ下の我が家の近辺であって、あまりにも複雑だし、分かりにくいので、『小説化しましょう』と、思っている次第です。
その小説化している雪ノ下問題で、重要な人物として、登場するのが、梶本(仮名)夫人という鎌倉育ちの元令嬢です。彼女だけを仮名とするのは、当時、周囲から、『気違いだ。気違いだ』と言われていて、ある部分では、そうだと言えなくもないというほど、変わったことを実行する人だったからです。最も変わったことは、毎日、ビーンという轟音を立てながら道路を、電動鋸で切っているという行為でした。
彼女は、育ちはいい人なのですよ。ただ、ご近所主婦たちのいじめに追い詰められていて、そういう風になってしまっていたのです。小児科病院の令嬢であった人でしたが、元有名映画会社の重役の弟と結婚をして、我が家の北隣に、新居を構えて、ずっと、暮らして来た人で、横浜国立大学付属小学校、および、中学校のPTA会長までやった淑女です。今現在も、親から相続した広い敷地を駐車場にしているので、大金持ちであります。
彼女が道路を切っていたのは、そこに、自宅のフェンスを作るつもりだったからです。それで、みんなが困っていて、それゆえに梶本夫人がさらに孤立化していったのですが、その前段階の問題として、対前田夫妻に対する法的闘争がありました。とても頭がいいので、前田夫妻の家が、私道部分を提供していない違法建築であることを、つっついたものでした。前田夫婦は、中古の家を買って引っ越して来たのですから、意図的に、悪さをしたわけではないのです。ただし、前田夫人が、強烈なヒステリー女であって、いわゆる露骨にして動物的ないじめを行うので、梶本夫人は本当に嫌っていたと思います。私も前田夫人の、粗野さと、東京圏に住む人としては、やってはいけない諸種のルール違反には、ひどく怒っています。田舎者で、無反省で、ものを丁寧には、考えない人です。そのうえ、謝罪をすべき時に謝罪をすることができません。で、梶本夫人は、「雪の日に、わが家の目の前で、人が滑って転んだら、訴訟にまで発展をします。それを避けるために、私は、私宅前の道の真ん中に自分用のフェンスを、作ります」と、言い始めたのです。この山の道は、以下の通り、大体が幅1mだけが、コンクリート打ちで、あとは、花畑になっています。
その真ん中にフェンスを作るというのですから、引っ越しやリフォームの際には、この道を通れなくなる人が前田夫妻以外にも、出てきます。その数は12軒にも上ってしまいます。それは山の住人の60%に当たるので、もともと数の倫理を押し通して無理無体を言うタイプの前田家が、だんだん有利になって来ています。だから、梶本夫人はさらに追い詰められていて、私が『それこそ、重要な物証です』と、いう、二本の線を道路に切り混んでいました。もうひとつ、気違いだと言われていた理由がありました。それは、住宅地の角をとんがらかせるという措置で、これは、私が引っ越してくる前にすでに、できていたので、梶本夫人が自分一人でやっていたか、それとも、業者にやらせたのかは、私は知りません。
で、困り切っている会長さんを助けるために、下の写真の右側にあった花畑をコンクリート打ちをする事を私が承諾したのですが、そこの道路の幅の広さを見てごらんなさい。ほかのところと圧倒的に違うでしょう。それは、前田夫人と、安野夫人の、単なるお行儀が悪いという言葉などでは、表現しきれないほどの、梶本夫人に対するいじめ行為があったから、こういう風に我が家が損になっているのですよ。梶本夫人は、40過ぎの女性たちが今の言葉でいうマウンティング(女性同士で、どちらが上か同課を確かめ合う行為)の判定に役立てるために行う井戸端会議に、心底怒っていたと思います。
私もむろん、怒っていました。『なんで、この山の主婦たちは、こんなにバカなのだろう。今、時、横須賀でさえ、こんなことをやっている主婦はいませんよ』と、思っていました。小学校や、幼稚園に入る前の子供を持つ主婦が、幼稚園バスを待っていたり、子供を遊ばせながら、お互いに情報交換をする事はあります。だけど、中学や高校になった子供を持つ主婦が、毎日定期的に井戸端会議を開いて、それを道具にして、あるターゲットを苛め抜く、なんて、東京圏の一戸建て住宅街では、ありえないです。『その井戸端会議の主宰者の、安野夫人と前田夫人が、どれほど、モノを丁寧に考えない、バカなのかが、一目瞭然に判りますね』という証拠の道路幅なのです。
しかも最も恐ろしいことは、左側の奥に電柱があります。そのすぐ左に、藤本夫人が1m以上も出っ張らせたとんがりが見えますね。その右側にうっすらと落ち葉の積もった山が見えるでしょう。そのやまの上は、高さが10mもある自然の崖だったのです。そこを梶本夫人が「とんがり部分の先、4mは、道路が、確保されるべきだ」と言い始めて、会長さんが、私に無断で、削ったところであって、すさまじい量の土が取り去られた部分です。下のヘンテコに盛り上がっている土は、その時の土のほんの一部です。この部分に関しては、梶本夫人も本当によくないです。長年にわたっての闘争に勝利すると見えた時に、欲を張りすぎたのです。我が家が、長さ15m(土地にして、13坪も)を無償で提供して、梶本夫人の心を慰めますと、言っているのだから、それだけで満足をすべきでした。それ以上に主張するのを受け入れた当時の会長の中谷さんは、本当に、肝っ玉の小さい人でしたね。前田家や安野家もコントロールできないうえに、その対立者の梶本夫人もコントロールできないでたらめな人間でした。そして、引っ越してきたばかりの私に、120%の犠牲だけを強いたのです。
その時の工事人は、わが家が、その直前に1985年に五万円のお金を支払って、高枝切りをしてもらった鳶職(斉起業)だったので、私に対して申し訳がないと思ったのでしょう。将来、法的訴訟になった時の証拠として、ここに、盛り土をして帰っていったのです。盛り土にコンクリートを覆ってさらに、盛り上げたのも彼らでしょうし、それを、町内会費用で払っているわけですから、その見積書などが、立派な悪事の、証拠品となります。だから、こんな違法なこと、しかも、当時は誰も事情を聴いておらず誰も賛成していないので、まさに町内会の決め事でも何でもない個人的な悪事なのに、証拠を隠匿し続けていて後から引っ越してくる人へ、まるで、私の方がトラブルメーカーであるがごとくに吹き込んでいるのが前田、安野両夫妻なのです。
この崖崩しのせいで、わが家が地盤的に、弱体化しましたね。これだけでも、数千万円分の損害です。まったく、この山の人たちは、全員が気違いとなっていましたよ。1985年ごろは。そして、その違法性を表ざたにさせないがために、今の日本には、順法精神がまるでなくなってしまっているのです。 さらに上の写真の左側を見てください。コンクリートの色が白い部分がありますね。それが、梶本夫人が狂っていて、道路を電動の鋸で、削っていた二本の切り取り線のうちの一本なのです。もう一本は、道の右側で、草が、生えているラインがありますね。それは、まっすぐだったラインが、崩れた痕なのです。というのも、大型コンクリートミキサー車から、生コンをパイプで入れ込んで、お家を建てたりした家が、このアジサイ畑欺罔事件の後で、3軒か4軒あったので、切り目が、壊れたのです。生コンのパイプって、直径が、15㎝ぐらいあって、生コンが通るときには重いのですよ。 それらの個人的な悪の証拠隠滅が全部、県のお金でやられたのです。古い管は掘り起こしてはいないので、そうなります。~~~~~~~~~~~~~~~
副題5、『東大卒のお隣に、これも、隠々滅々たるいじめを受け続けているが、それは、若山さん(ジ・アースのオーナー)のそれよりは、上品ですよ』
その三軒の新築のうち、もっとも大量のコンクリートを使ったのがお隣の小野寺夫人宅です。南側の基礎が、5mぐらいも高いうえに、全面が布基礎だったので、すさまじいレベルで、生コンが使われました。
その建築工事の最終段階に近い時に、下の塀が作られました。角材は三寸のものであって、普通の塀よりは大きくて、存在感が唯ならないものです。しかも、わが家の敷地(左側)に入らないと、制作できない塀です。その日ご夫婦と友人または、工事人と、全員で、10人ぐらいが集合していて、にぎやかに談笑をしていました。で、その日に塀を作るそうですが、施主夫妻ご本人があいさつに来ないのです。無礼極まりない言動です。その夫君が、横浜銀行鎌倉支店を設計した人ですから、どれほど、上記を失した失礼差であるかが、皆様にもおわかりになるでしょう? その無礼には、どういう意味が隠されていたか? むろん、ケンカにもっていかせようとしている前田家とか、安野家に言い含められていたという事。しかもこの塀は一見すると、わが家側に出しゃばっています。実際には、ぎりぎり、2cmぐらいそちら側に入っていて、違法ではなかったのですが、ご主人か奥様があいさつに来ないというのは、ひっかけの最たるものでした。つまり、宮城県知事が、松本龍大臣をひっかけた手法と同じ手法です。最初から、怒りを喚起させるという手法です。
私は、すぐ、そういうことは呑み込めますので、絶対に喧嘩には持ち込まない様に、気を付けています。もし、ここで、「失礼ですね。地境を越境していますよ」とでも言ってごらんなさい。前田、安野両家から、すぐ、「ほら、ごらんなさい。川崎さんって、私たちが言ったとおりでしょう。大変なトラブルメーカーなんですよ」と、言うに決まっています。そういう風に、散々、梶本夫人を苛め抜いて、家族間をバラバラにして来た過去を見て来ていますので、絶対に彼らの策略の餌食にはならないつもりですから、心から怒っていても、口には出しません。
ただ、この10年は、私が彼らの新たな敵として大きな存在になってきました。そうしたら、今度は、梶本夫人を抱き込んで、心理的な面でも、味方にしています。それには、驚天動地です。あのふた家族は、誠実とか節操という言葉とは、無縁の連中です。だから、鶴岡八幡宮の大銀杏も倒壊します。ここではその詳細を語りませんが、安野家へも八幡宮様は木の伐採という側面で、ご支援をなさっておられますのでね。前田夫人に対しては、國學院大學の講師に推薦をするという形で、すでに、ご奉仕をなさっておられますし。
24時間お隣である人から、恐ろしくひねったいじめを受け続けるストレスを推察してください。(後注1)
東大学建築学科を卒業したご夫婦で、ひねり切ったいじめをやってくるのです。恐ろしい。この山で行われた9月13日の町内会には、ご主人の白井さんの名前も利用をされていましたね。カラー・ラシャ紙を使ったらしいポスター化したお知らせであって、そういうことをするから、裏の脚本が見え見えとなるのです。
うえに書いてきた様な悪事(=証拠隠滅)を、ここで、すべてを、完成していき、オセロゲームの様に、前田、安野両夫妻が、「こちらが白ですよ。川崎さんが黒でしょう」という事にするつもりだったでしょう。 安野、前田両家は、お隣をしゃぶりつくすという形で、自分たちを救おうとしていますね。ある意味で、白井氏などお気の毒ですが、巻き込まれている限り、私にこういう風に書かれるのは仕方がないです。特に、6月9日に、五時間も、安野家を、訪問してお寿司パーティをやっていますね。そういう敵対行為を、黙視できる形で、何度もしてきています。だから、こういう文章を書かれても、仕方がないでしょう。
ただね。それでも、育ちも現在も恵まれているご家庭です。お子さんがないことだけは、マイナスだけれど、それ以外は恵まれています。特にご主人の方の性格はいいです。だから、これから先に語る、若山さんほどの、暗さと黒さは、ないです。が、残念なことに、奥様自身が語るところによれば、奥様の実母が、一種の独親だったらしい。で、奥さんの小野寺夫人は、なかなかの、困ったちゃんでもあります。~~~~~~~~~~~~~~
副題6、『東大に、子供を合格をさせるのは、毒親と言えるのか、どうか?・・・について。企業エリートの家庭の実像とは?』
お隣のご夫婦は、両方ともに、東大卒のご夫婦らしくて、夫婦別姓です。奥様の方が、小野寺というせいです。彼女が、2013年の5月27日に前田祝一氏に協力して、前田氏が、私に向かって最大級の恫喝(=あんたを、刑事訴訟にかける、と言い放ったことを指す)をして来た日に、前田氏の試みを成功させるべく、長時間の立ち話をしかけて来たことがあります。
その日だったか、別の日だったか、忘れましたが、彼女が母親について、批判的に語るのを聞いたことがあります。はっきりとは、分からないのですが、もし、彼女が一人っ子だったとしたら、ただでさえ、母との関係は重圧となりますが、その上に、母君は、プレッシャーをかけるタイプだったらしい。いや、正確に言うと、道を敷いて、子供がその上を素直に歩む様に望んだ人だったらしいのです。
これは、結構、よく見られる母親像です。実は、私の母もそういう一人だったと思われるし、私もそういう母親像の一人だったかもしれません。ただ、私の母も、私も子供を東大に入れることには、失敗をしています。でもね、私の方は、それを、納得し手居る失敗なのです。私は男の子は、(女の子の方もですが)対人関係がうまく行くことが、大切だと思っていて、ごく普通の地域社会の生活の中で、しかも、横須賀で、遊ばせることに専念をして育てていたので、私立中学受験が無理でした。そのうえ、中二で、横須賀から鎌倉へ、引っ越したら、全教科、一ランクほど、成績が下げられてしまって、5と、4で、構成をされていた通信簿が、4と、3だけになってしまい、かわいそうなことをしました。神奈川県の制度では、二年の終わりに、内申書が、書かれる時期だったので、高校もいいところには入れませんでしたから。
ただね、私の学友たちは、子供を東大に入れるのは、必然だと思っている人たちが多かったですよ。中にはスムーズに成功をした人もいます。彼女たちから、受験テクニックとして、世田谷あたりで、勢力を伸ばしているタップという塾がいいとか、聞いたことがありますが、横須賀・北久里浜からでは、そこには通えません。
もう一人別のお友達で、お子さんを医学部に進学させた人が、「うーん、三代続けて東大は無理みたい」と言っていました。彼女自身もご主人も父君も東大出身者なのです。私ね、今の主人(と言っても結婚は一回だけだが)とは、披露宴前まで、セックスの関係はありません。無論の事、ほかの男性ともなかったのですが、親がね、「絶対に、25歳までに、結婚をしろ」と言ってきかないので、23~24歳ごろは、翻弄をされきっていて、疲労困憊していました。
で、お見合いもしました。二回ほど、東大出身者の超、エリート様とです。その頃、主人の方には、結婚する気構えとか、経済的準備が整っていなかったこともあります。でも、その二人の超がつくエリート青年から、わざと断られる様に心の手配をしたのは、一つには、縛られることが嫌だったのです。東京圏に住む主婦にとって、いろいろな、不文律があるとは、何度もかたってきています。それと、似ている問題ですが、東大卒の夫を持つ妻にも不文律があるのですよ。~~~~~~~~~~~~~~~~
副題7、『認知症の妻は、どうしたら、できてしまうのか?』
私ね、ある時、電車の中で、お隣に、いわゆる人品骨柄、卑しからずという典型の人と隣り合わせたことがあるので、その元の職業を聞きました。実は、20日にも似た様なことをやっています。これは、男女を問わず、やることであって、人間の顔が後天的には、どういう風に出来上がるのかに興味があるからです。で、その人は国家公務員のエリートであって、天下りも、3回ぐらいしたそうです。大衆的には顔は知られていない人ですが、いい顔をした人でした。で、テレビ番組の日曜美術館をご覧になっているそうで、それについて話をしたりしていました。
ところが、突然にそちら様から、「妻が、認知症になって困っている」という話が出ました。「私は、いわゆる先憂後楽の、反対です」という言葉も出ました。つまり、70過ぎるまでは、何の苦労もなく過ごしてきたが、老境になって、突然に、大変な思いをしているとのことでした。
私が、ここで、この話を出したのは、他人の噂話をするためではなくて、自分の人生を語るためです。人生における選択の妙について語るためです。私の主人との結婚は、ひどく大変なものだったのです。で、親に何度も説得をされました。「お見合いの相手は、結婚の準備が整っている人たちだ。そういう人と結婚をした方が安全である。親の方も安心だ」ということでした。だが、主人に惹かれているから、断ったというよりも、東大卒の男性の妻となる生活が嫌だったのです。
そこには、厳密な不文律があって、自由は相当に抑圧されるはずです。私が電車の中の紳士と話をした時に、その人は、肌につやがなく、心底困っているみたいでした。奥様は暴れるタイプの認知症だそうです。だから、四六時中、目が離せないのです。そのうえ、自分も、噛まれたりして、身体的に痛い思いをしなければならないのでした。お金は十分にあるのでしょうが、そういう妻を、他人に預けることができない優しい人なのだと思います。私は、その時に、そのご主人が悪い人で、浮気をしたとか、そういう部分に原因があるわけではなくて、奥様の方に、実存的な、悩みが長らく、潜在していて、それを、表面に浮かばせることなく過ごしてきたことに、最大の原因があると、感じました。ここで、言う実存的な悩みとは、東大出身者というエリートの家庭が持つ、不文律に自分を添わせてきたということです。ご主人が、時々、主宰する夫婦同伴のパーティなどで知り合う人とも齟齬があってはいけないし、子供たちも一流大学へ入学させないといけません。気を許す暇がないのです。破綻を見せてはいけないのだから。しかも、それを愚痴ることなんて、問題外だし、離婚などもあり得ない生活です。
一方で、高校時代や、女子大時代の友人たちには、成功者として、羨望の眼で、見つめられながら、一方で、顕在化しない、不満を積もりに積もらせていたとしたらどうでしょう。ある時にそれが、爆発するのもあり得ますね。その話を電車の中で聞いた時に、『自分の選択は、正しかった。自分がもし、親の勧めに従って、あの二人の東大出身のエリート青年の、どちらかと結婚をしていたら、現在でも、認知症になっていた可能性がある』と思いました。むろん相手の紳士には何も解説をせず、単純にお別れをしましたけれど。~~~~~~~~~~~~~~
副題8、『毒親の元に生まれて、そこから、脱出しなくてもいい。ただ、分析をしておけば』
私は、自分のあれこれを、相談を仕掛けましたし、相談を仕掛けられることもあります。それに対して、加齢とともに考えも変わってきました。結構、冷酷になっています。で、忠告も、「神に依存をして、神の愛を信じる以外はない」とか、「毒親だったら、離れたらいいのです」と言ったりしています。他人を変革させることはできないのです。だから、自分だけが助かったらいいのです。親を大切にという不文律も、親があまりにもひどい人なら、子供側は親を捨ててもいいのです。だけど、親側は子供を捨ててはいけません。子供側の義務と親側の義務は違う。
お隣の小野寺夫人に、『困った人だ』と、思いながら、それを書く頻度が、安野夫人やら、前田夫人と比較をすると圧倒的に少ないのは、彼女から、彼女自身の母親との関係を聞いていて、『それは、自然な形でしょうね』と思うので、その一点だけでも、信頼ができるからです。時々は母親の元へ、帰ってあげているらしいのですが、『100%の意味では、いい母ではなかった』と感じている模様です。いい母親ではなかったというのは、「東大へ、進学したのは、自分の意志ではなくて、母の意志だった」いうのを、聞いたことがあるから、推察できることです。そのうえで、『ああ、そこまで自覚的に分析ができたうえで、きちんと母親との距離が、確立をしていますね』と思うからです。
特にその母君は、上の方にあげた、東大出身のエリートと結婚したタイプの女性だと思うので、『ある意味で、不自由な不文律の中で生きてきた、不定愁訴気味の主婦でしょうね』と、想像するので、いかにもあり得る、主婦像だと思うからです。母と娘との関係って結構大変なのです。私も自分のメルマガや、ブログで、時々、自分の母親との関係を書いていますが、母が、93にあと一週間の時点まで生きてくれて、そして、私よりは、心理学的な面では、子供っぽかった母の方が、私に、寄り添ってくれたので、いい終わり方をしたと思っています。
だけど、前田夫人や、安野夫人を見ていると、母親の陰というのが、みじんも見えないのです。無論、彼女たちの主催する井戸端会議に出席をしていないから、個人的な事情を、私の方が、一切知らないということもありますが、私を弾圧するための小道具として、自分の子供や孫を利用しています。それだけでも、驚天動地なのに、それ以外に、自分たちの遺伝子とはまるで、関係のない他人の子供たちをも、利用をしています。その不道徳性には、本当に驚きます。『静岡大学の法学部で、何を学んできたのだろう』とか、『都立大学(現在の名前、首都大学)の大学院で、何を学んできたのだろう』と思うことは多いのですが、それ以前の家庭教育においても、問題があり、また、その問題を自覚していないらしい姿にも、さらに、大きな問題を感じています。 ~~~~~~~~~~~~~~
副題9、『共同溝、工事から始まった、制服を使った脅かし。そして、それが、なぜ、急に2013年に完成をしたのか?』
というわけで、県税を使った、単なる証拠隠滅の上水道管取り換え工事が、うしろめたいものであるがために、私の本心を探る(その本筋をメルマガで書くかどうかを探る)活動も盛んに行われました。2008年の2月8日に静岡美術館に、ガンダーラ美術(仏教系)を夫婦で見に行った日の帰り、夜8時ごろに、小町通りに、東電、NTT ガス会社等の、4つの業者が入り込んで、延々と600m以上の長さにわたって、赤白のとんがりコーンが、立っていたのも、その探り行為の一つでした。私が当時何をしたかですが、何もしませんでした。きわめて、おっとり(笑い)しているのですよ。だから、なめられきっていて、やりたい放題を敵さんは、やって来ます。ただね、力がないから、何もやらないわけではなくて、哲学の問題があり、文章は、頭にその時に降りている草案を書き続けると決めているわけです。闘争の道具とするのは、やりたくないことです。その時から、6年と、8か月たった今、それを書くチャンスが来たわけですね。で、天がそれを許し、勧めてくださっているからこそ、心も動揺をしておらず、冷静の極みで、この種の恐ろしい事をすらすら書く事ができます。
さて、その小町通りの共同溝工事とは、一種の探りの工事だったのですが、そのうち、夜遅く帰ってくる、私を脅かしいじめることに役立つと考えられ、延々と延長され、とろとろと、進行したのです。ある日など、砂(または、どろ)の中に入っている石を探すだけの工事をしていると、現場監督(斎藤建設のめがねをかけた若手)が、言っていました。小町通の入り口から見ると、工事をやっていない様に見せて、500mぐらい進むと、大きなランタンが突然ついて、轟音を機械が立て始めるという形式でした。子供だましですが、延々とそれが行われ続けたのです。
この共同溝工事が2013年に入ると、急に進展をして、どどどっと完成したのは、瓜南直子さんの急死が影響をしているとみています。私が、フェイスブックに入っていた時代に、「全日本あすはが連」というのを作って、文章による嫌がらせを続けて来た、瓜南直子さんが、2012年の6月初旬に、急死したからでしょう。それだけは、伊藤玄二郎にも、酒井忠康氏にも予想外だったろうし、芸大学長、宮田さんにも予想外だったと思います。そして、瓜南さんの急死について、私が、2012年の10月に書いた文章(後注3)は、徹底的に、真実だったと感じます。で、瓜南さんを、私をいじめるための道具として、使ったことへの自戒の念を込めて、また、その文章を何度も使わせないがために、急に、工事を進展させたのだと思います。
『全日本、あすはが連』というのは、小町通りの共同溝工事を笑いのめすたぐいの文章とキーワードであり、それは、結局のところ、まじめな私を笑い飛ばすたぐいの悪意ある文章でした。特に私が昔書いた、『敷石を磨く男』という文章が、出来が良かったので、小町通の敷石(御影石でできている)を、取っ払ってしまいたいと、彼らエージェントたちは願ったということもあるでしょう。結局路面は、敷石が復活する事はなくて、アスファルトで、舗装をされました。
そんなところに巻き込まれて、私を苛め抜いたから、瓜南さんは、早世したというのが本当のところでしょう。無論、肝臓が悪かったという科学的な側面はあると思います。でも、ここで、私が言っていることも、しいと思います。瓜南さんと私は直接の接点は何もないのに、彼女が芸大卒で、美人だから利用をされたのです。悪意を持って、使役をされたのです。で、今まで、文章化したものは、瓜南さんに関する限りすべて、真実ですが、それを将来も、書き続けられると、大変だとなって、急に工事が、進捗したのでした。
この種の具体的な人名を表記しながら文章を書くと、彼らもやっと少しは反省して、まともな人間らしい反応を見せるのです。が、小説化、雪ノ下物語では、全く反省をせず、安倍内閣に女性活躍推進法案を、作らせる事に至るのです。それも、私が鎌倉の自宅にいない夜を狙って。
そういえば、井上蒲鉾の前で、8時30分ごろから急に工事が始まろうとしていたが、『2014年の10月17日の夜、急にこれ程、彼らは、攻撃的なのは、なぜだ?』と、私はいぶかしく思いましたが、この時はまだ、NHKニュースを点検をしていなかったので、その謎を解くことはできなかったのです。この工事は、むろん、私を脅かすためのもので、東京都の土木工事会社と、神奈川県の土木工事会社の組合には、緊急工事車両を特に用意する様な、命令が、警察から(?)出ている模様です。
まあ、こういうアイデアを、一番最初にだれが出したのかですが、『2008年以来、何百回、何千回使ってきていて、何度も、それについていきさつを、このブログで、書いているのにも関わらず、今(17日の金曜日の夜)でも、それを使うのは、連中は、よほど、頭が悪いのだ』と私は思っております。これが三つ目の嫌がらせでしたが、副題2に戻れば、警官が、自転車の駐輪場をチェックしていたのは、二つ目の嫌がらせでした。そこに戻らないといけません。~~~~~~~~~~~~~~~
副題10、『私は、二回前の、外出の時、スーパー東急の前の駐輪場で、違和感を感じた』
二回前に外出をした時は、東京へ行く必要がなくて、私は意外とリラックスして、鎌倉市内で、雑用を果たしていました。その時に、東急前の駐輪場で、いささかの違和感を感じて、私はそこに注目をしました。駐輪場は、最新式のものらしく、時間貸し駐車場で有名な、TIMES式に、ITで管理されている形式でした。コインを入れれば、開錠するまで、同じ値段だという形式ではなくて、時間に、応じて、使用料が増えていくと、言う感じです。が、なんと、機械と機械の間の本のわずかな隙間に、自転車を無理に突っ込んで、お金を払わないで、済む様に、取り計らっている人がいたのです。
私は、驚いて、大きな興味を抱き、それを見つめながら、しばらくあれこれを考え込んでいました。この人は女なのだろうか? 男なのだろうか? 高校生ぐらいなのだろうか? それとも主婦なのだろうか? と、種々様々な疑問がわきました。通学や通勤に自転車を、使う人のためには、裏駅側に、月極めの駐輪場があるので、そこを契約しているでしょう。で、あると、主婦? または、定年退職をした元サラリーマン? ともかく、鎌倉の住民で、しかも、昼間の10時過ぎだったら、この東急ビルの中に入ろうとする人が、いっぱいいるだろうに、人目を気にしないで、隙間に強引に、自転車を突っ込んだ人は、いったいどういう人なんだと思い至ってね。鎌倉の住民で、100円から500円の間の小銭を節約しようとする人がいるのかしら?とか。
私は無論のこと、番号をメモして、管理者に電話を掛けるなどというおせっかいはしません。ただただ、疑問を持ったので、ずっと考えながら、ほかに、似たようなことをやっている人がいるかどうかを確認しながら、そこを点検し続けたのでした。
ところで、最近のわたくしは尾行が常についていると感じています。それがどうしたという程度で、びくついてもいないのですが、それでもついています。前々報(後注4)で、画廊るたんのオーナー中島さんが、ぴったりとタイミングを合わせて、エレベーターの中に現れましたね。それは、三原橋より北の画廊も協力をした筈だし、同じ新保ビルの中の三階にある画廊も協力をしたはずだと、言っています。かように、人間を使って、私の足跡を正確に追跡するということもむろん、行われています。
で、10月の第一週に、この駐輪場を子細に点検しながらものを考えた私の姿も、むろんの事、尾行者は、気が付いていて、それを将来利用しようと考えていたのでしょう。それが、若い警官が、普段は交番には、絶対にいない時間帯である、夜の八時半に、交番のすぐそばの駐輪場を子細に点検をしているという姿に凝縮をしていたと思います。
ここに至って、やっと、この章の副題2へ戻ります。有料駐輪場で、普段は、五時で帰っている交番の警官が、なぜ、その日の夜点検をしていたかの謎が完結しました。答えが出たのです。なお、このブログの、2010年より、数え始めた延べ訪問回数は、2536672です。
些少の誤変換は残っているとは思いますが、ここで、完成として日付と署名を入れます。これ以降の部分は、まだ未完成として置きます。一部を、19日に書き、全体は、23日に完成させる。雨宮舜(本名 川崎 千恵子)
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