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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

土師淳君の父、守氏の談話・・・・淳君を殺したのは、酒鬼薔薇聖斗=少年AではなくCIAそのものです

2025-05-24 19:46:03 | 政治

 25-5-25日、11時から30分かけて加筆した部分がシステム移動を利用して、消えてしまいました。仕方がないので、再び入力します。加筆部分は、紫色のフォントで、書きます。

 この事件については、過去に私がいろいろ、書いています。太田出版出版の大ヒット本(?)【絶歌】は、たぶんゴーストライター(非常に有名な小説家)が書いている筈だし、少年A(事件当時は、酒鬼薔薇聖斗を名乗っていた)が、新聞各社に、送りつけた声明文も、同じ作者が、愛用の太い万年筆を使って、左手で、書いている筈です。

 私が、そこまで書いているので、そのゴーストライターが、自分が使っている高級なインク(多分丸善に特注しておくってもらっているもの)が、事件後、何年たっても、化学分析の結果、酒鬼薔薇聖斗の声明文と同等なものであると、証明されることを恐れて、地裁に、すべてのデータを破棄させました。今、私が入院中で、しっかりした文章を書けないとみて、土師淳君の父親の声明文を、メディア各社に流しました。事件について、生成当時から今まで、大手メディアが、報道したとおりであると、言う印象を、日本、全国民に与える為です。しかし、大ウソです。少年Aは、殺人を犯しておらず、実際には、例のごとく、闇の勢力が大人数人で、犯した犯罪でした。

 で、この事件の真相ですが、横須賀市、京急北久里浜駅、東の丘の上に、今は、美麗なマンション(販売時の名前そらヒルズ・・・・現在は名前を変えて、ルネ北久里浜)が建つ、旧、横須賀市の水道山を、地積変更届という形を利用して、1200坪をただで悪人一味が、私有化するにあたって、その山に人が立ち入らない様にする為に、神戸という遠い土地で、残忍な事件を起こして、「水道山は怖いのだ」という印象を、一般の人に与えることが目的だったのです。

 その首謀者は、戦時中は横須賀で、ほぼ、一番ぐらいに偉い人だと(というか、一番の智慧者として)認められていた、元、海軍参謀、益山重夫という人物と、その第二の妻智恵子夫人です。第一の妻は、戦後進駐軍の、将校倶楽部に勤めている(夫がパージに出会って、職に就けないからですが、その)間に、アメリカ人将校と、できちゃってアメリカへわたってしまいました。こういう風に元軍人というのは、パージをうけてその期間中、何らかの商売を始めるのですが、益山重夫氏の商売とは、不動産業でした。

 しかし、賃貸物件を紹介する様な、町のちまちました不動産屋ではありません。土木開発業者なのです。大建産業という会社を興しました。社員が二人だけです。夫婦二人だけで、実際の土木作業は下請けに任せているでしょう。 

 しかし、夫は、小野田さんもそこを卒業した、旧陸軍中野学校で、まなんだ、策謀の専門家だし、親友が戦後日本のCIAエージェントとして最大級の特権を誇った瀬島隆三です。瀬島龍三は、伊藤忠のトップという経済人の顔も持って居ますが、一方で、日本の、政治を裏から動かし警察も家来として使う人物です。そして、親友の妻が米国軍人と逃げてしまい、その後、結婚した、第二夫人が極めてよくできた女性なので、彼女に大金を残したいと言う親友の望みに一役買ったのでしょう。

 第二の妻、智恵子さんは、男性が払底した戦時中、都立大学の土木工学科を卒業した女性で、働き者であり、かつ、美貌の人でした。原節子に似ている。そして残された第一夫人との間の子供をフェリスを卒業させると言う賢夫人ぶりを示しています。

 その資産形成にあたって、戦時中把握した、横須賀、及び、三浦半島の、地形を利用して、一番高い自然の山である、旧水道山を、無償で、自分のものにすることを計画したのです。唯でですよ。お金を払わないで、手に入れる計画です。

 彼は、まず、戦時中の部下を利用します。たぶん、杉本滋氏というのが、部下で、しかもその息子が日大卒で、横須賀市の土木課に勤務していて、1975年ごろは既に土木課長になっていました。

 この一家に、まず、住まいを只で、提供しています。それで、言う事を聞かせるのです、その家は、敷地50坪、建坪27坪ぐらいの平均的な住宅ですが、それをただで提供しています。私は、杉本俊一氏の妻、正子さんと子供の年齢が同じなので、その最初の家は、よく知っていますが、土地も家屋も登記をされておらず、その土地の次の住民が誰なのかも、登記所には、記録がありません。幽霊屋敷です。で、杉本一家は、益山重夫氏の地積変更届が、成立すると、池田分譲地内の、別のところに素晴らしい土地(最初の20年は、2000坪ぐらい、他人の家が建たない場所だった)に、100坪ぐらい(自己資金だったか、どうかは知らないが、今度は登記はされているでしょう)の土地を買い、そこに、宮大工が建てたであろう程の、50坪程度の、和風豪邸を構えています。そして、夫俊一氏は、横須賀市の副市長として、名誉とお金を一手に握りました。長年にわたって権勢をふるったでしょう。

 この横須賀市の協力が、大きいのですが、益山重夫氏の、目的はさらに大きいです。山一つ、只で、自分のものにするわけですが、山のまんまだと、何の価値もありません。

 で、京浜急行を利用します。京浜急行というのは、堀之内から、浦賀へ向かうのがほんせんでしたが、その会社へ、三浦海岸に向けて走る新線を作らせます。分岐して二つ目の駅が、生田(?)という平凡な名前の駅でしたが、駅前ロータリーを作らせて、駅名も北久里浜と改名させます。この駅前ロータリーですが、長らく、京急沿線の他の駅には、存在しませんでした。1980年代以降、土地の再開発事業が発達し、汐入駅とか、金沢八景駅に駅前ロータリーが出来ますが、40年間ぐらいは北久里浜駅前だけに駅前ロータリーがあったのです。

 ここで、先ほど、文章が消えてしまった弊害が、生きて来て、病院内なので,寝ないといけません。で、どういう風に、この実質的詐欺を成功させるかの、秘密にまで、到達できませんでしたが、お許しください。

、そして、駅の東側の丘陵を、住宅地開発をさせるのです。今は、そのホーム頁が消えてしまっていますが京急(または、京急不動産)としても、抜群の、住宅地として、池田分譲地が形成されました。400戸ぐらいの家の中で、京急勤務の人が、50人以上住んでいると、推察しています。それほど、良い分譲地なのです。駅から徒歩圏内だし、日光はさんさんと降り注ぎ、眺望も素晴らしい住宅地です。

 横浜市あたりの丘陵と違って、三浦半島の丘陵は(鎌倉も同じですが)平地から、山頂までが、急峻な崖で、できていて、進入道路をつくるのが大変ですが、それを益山氏は、京急にやらせたのです。大きく土地を使ったいろは坂を作りました。それによって、池田分譲地が無ければ、一坪、500円程度だった土地が、地積変更届が出されたころには、一坪40万円程度に値上がりしていました。

 しかし、その益山氏を上回る頭脳の持ち主が、私だったのです。で、被害者として巻き込まれたがゆえに、調査を開始し、二か月で、計画の全貌を知ってしまったので、今の苦難があるわけです。どういうことかというと、内容証明で、自分宅の用地を確保いたしました。それが、法務局と財務局にとっては大恥ですから、益山智恵子夫人は、車で、私を轢き殺そうとしたのです。それが、1977年(もしくは1978年10月11日の午後、四時半ごろで、私は例のごとく、神様の、おん見守りによって、死ぬのを免れました。具体的に、かつ、物理的に言うと、益山智恵子さんがいつも運転している白のハードトップが、40m向こうに停車しているだけで、私を轢き殺そうとしているのが私に判ったのです。で、120度のくぼみに、横っ飛びに、逃げました。車は、大型なので、120度のくぼみをなぞる事が出来ず、そのまま走り去りました。私はすぐ、自宅の固定電話、及び、池田分譲地公園内にある公衆電話から、東京の弁護士青山敦子さんに委細を告げました。青山敦子さんは、お茶大付属高校時代、毎日昼、四人で、古文の輪読会をしていた仲です。しかし、その晩、益山重夫が急死します。

 ここで、大きな謎が残りました。轢き殺そうとしたアイデアが、夫婦共通のものだったのか? それとも智恵子夫人の独断だったのか? それから重夫氏の死が、甘粕大尉などと同じ毒物による自殺だったのか、それとも、循環器系の、突発的な病死だったのか?

 ともかく智恵子夫人は、夫重夫氏と、陸軍中野学校(日本のスパイ養成学校、小野田さんが卒業した事でも脚光を浴びた)時代の友人で、元陸軍参謀である、瀬島龍三を頼る事となります。瀬島龍三とは、表の顔は、伊藤忠のトップですが、裏の顔は、戦後最大の、CIAエージェントです。

 入院中なので、本日は、ここまでとさせておいてください。

 なお、どうしてか、ここに残った四行も、この事件とかかわりがあるので、そのままここに置いておきます。 そこに京急と、横須賀市が大きく協力をしています。京急の担当者だけは、私は直接会ったことがないので、名前を挙げられませんが、ここは、南は水道山、北は、現在は、四季のなんとかという三菱地所が販売した7棟のマンション群が立って居る丘陵で、1945年までは一部天然自然林、一部里山という丘陵だったのです。

 神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件で殺害された土師淳君(当時11歳)の父、守さん(69)は読売新聞などに手記を寄せた。全文は次の通り。

 今年の5月24日は、私たちの次男の28回目の命日になります。私たち家族の次男への思いは、28年という年月が経過しても変わることはありません。

事件への思いや犯罪被害者支援について語る土師守さん(神戸市中央区で)=八木良樹撮影
事件への思いや犯罪被害者支援について語る土師守さん(神戸市中央区で)=八木良樹撮影

 加害男性からの手紙は今年も届くことはありませんでした。私たちの子供が、何故(なぜ)、加害男性に大事な生命を奪われなければいけなかったのかを知ることは、親としての責務だと思っています。加害男性には、自分が犯した事件に真摯(しんし)に向き合ったうえで、私たちの思いに答えるような対応をしてほしいと思います。

 兵庫県で犯罪被害者等支援条例が一昨年に施行され、昨年度からは見舞金の支給制度が開始されました。事件後に、犯罪被害者、遺族は経済的に困窮する場合が多くみられるため、地方公共団体の見舞金制度は非常に恩恵のある制度だといえます。見舞金制度を制定している市町村はかなり増えていますが、金額的には十分と言えず、市町村に加えて都道府県が見舞金制度を制定することで、被害者の状況の改善に繋(つな)がります。しかしながら見舞金制度を制定している都道府県はいまだに少なく、そのような状況で兵庫県が見舞金制度を制定した意義は大きく、他の都道府県にも広がってほしいと思っています。

 犯罪被害者の権利確立を目指した活動を、強いリーダーシップで主導してきた岡村勲弁護士が今年2月に逝去されました。2000年1月の「あすの会」の設立後、岡村先生は先頭に立って活動しました。その結果、04年には犯罪被害者等基本法が成立し、それ以降も被害者参加制度や犯罪被害者給付金支給法、少年法の改正の成立など多くの成果を残し、犯罪被害者を取り巻く環境は大きく改善しました。一旦あすの会は解散しましたが、重要課題である経済補償の問題の改善が見られなかったことに危機感を覚えた岡村先生は、22年3月に「新あすの会」を立ち上げ、昨年には給付金の大幅な増加が決定されました。まだ重要な課題は残っており、そのような状況で岡村先生が亡くなられた影響は非常に大きいと思いますが、残されたメンバーで岡村先生の遺志を可能な範囲で引き継いでいくことができればと思っています。

 犯罪被害は決して他人事ではありません。今後、一般の方々の理解がすすみ、犯罪被害者を取り巻く環境が更に改善することを願っています。

25年5月24日 土師守

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