皆様、これは、前報の100%の続きです。69年間も、友達であった女性を使ってきた伊藤玄二郎と、まだ、本当は生きている井上ひさしの悪辣さを分析する章なのです。ものすごく込み入ったわなを仕掛けてくる彼らの分析は、日大アメフトPHENIX廃部の裏と通底します。だから、書いているのです。ただし、常にそれらの攻撃はミステリーとして現れるので、書く私も大量のエネルギーを必要とするし、お読みになる方にもそれを使うことを強要していると思います。それは、申し訳ございませんが、日本という国に住む、一般人1億2千万人のうちの90%を守るためなので、ご容赦くださいませ。
なおこの章は、最初の総タイトルを、【マダム優美の声を聞いている内に、之は松竹との手打ち式を設定してくれている?と、一旦は考えた私だったが】として書き始めています。下書きを20時間、その総タイトルで、書き進めました。しかし、それは、文学としては、好ましいものですが、政治の分析としては、ふさわしくないので、総タイトルを変えていきます。二番目のものが、【水沢勉氏とカリタス小通学バス襲撃事件、妹喜美子を殺した後江戸川公園の樹木を伐採する】ですが、さらに変更する可能性もあります。
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副題1,『電話がかかってきた午前11時、わたくしの座っている居間は、大変美しい環境の中にあった。その上、彼女の声の明るくて、美しいこと。我が家のご近所マダムとは、まったく違う様式で、暮らしている彼女の気配が、すっと、日吉から、こちら鎌倉雪ノ下に飛び込んで来て、わたくしは、頭上の黒い雲が晴れ渡った様に感じたものだった』
ここから先、少しマダム優美の普段の生活について述べます。彼女は、日吉で、成功した塾を経営して、そこから得た人間関係を駆使して、81歳の今でも、華やかな社交生活を繰り広げている存在です。日吉から、東京へは地下鉄を駆使すると近いです。で、週に一回は、木挽町(歌舞伎座)または、虎ノ門などの話題の、新エリアに出かけていて、その帰途も含めれば、週に二回は、渋谷ヒカリエで、お茶か、お食事を、(違う苗字の)お友達と楽しんでいるでしょう。
私は、ヒカリエの中で、お友達と歩いている彼女を見かけたことがあるので、これは、確かなことです。雪ノ下の方ですが、花輪夫人や、渡辺マキさんなどが、どれほどに「高いのですよ。このお洋服は、」と、誇ろうとも、この【マダム優美】と、同じ様な華やかな外出行動はしていません。で、マダム優美と、同レベルの女性を、30人は、知っている私は、雪ノ下の主婦たちが威張れば威張るほど、こっちが穴に入りたいと思うほど、気恥ずかしくなってしまうのでした。
別にお金があることが最上の価値ではないですよ。でも、社会的地位と信用と、お金の両方または、子供の地位という三方での、勝利感を持っている彼女が、その優美さを全開して、電話をかけてきたら、その気配に包まれることも、確かなことでした。で、彼女が、「ね。千恵子ちゃん、11月16日の夜の部、一緒に歌舞伎座へ行きましょう」といったときに、乗りに乗って、「午後二時に、日吉駅の上りホームの最も横浜寄りで、待ち合わせをしましょう。一時間使って、銀座でお茶か、お食事をとって。それから、歌舞伎座に入りましょうね」とか「帰りは、鎌倉ではなくて私は反町に泊まるのよ。主人が病気後早く寝るのでね。泥棒が入るので、寝るときには、チェーンをかけてもらうの。だから、たまたま空いているアパートで寝るのよ。で、日比谷線で、日吉まで、一緒に帰りましょう」などと、私から提案をしたものでした。
その時に、わたくしは、内心で、彼女のご主人が、【ファイナルファンタジー】を菊之助に、提供した、人物だと、思い込んでいたので、・・・・・ああ、これは、松竹が折れてくれたのだ。私が、11月4日以降に書いた文章が、効果を上げましたね・・・・・と、考えました。彼女には、それは、言っておりませんよ。だけど、そう考えて、明るい気分になりました。
で、その時、居間で、書いていたブログに、それを書き込みました。
たった四日間で、自分の文章力の効果が表れたのです。電話は、8日にかかってきていますので。
で、その時、居間で、書いていたブログに、それを書き込みました。しかし、一時間後には、一抹の不安が頭を持ち上げて、そのブログを、非公開にもっていきました。ただ、12月9日に再び公開にもっていっています。それが、以下の文章です。
演劇界の廃刊の裏にあるものを調査中の私はキリキリ緊張しきっているのだが、23-11-8日の鎌倉は秋晴れで美しく、それを久しぶりに楽しんでいる私に或る電話がかかって来て??? 2023-11-08 11:54:09 | 政治
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副題2、『変だなと、思った。お互いの子供の間に、社会的地位と、収入の面において、激しい差が出たことを、意地悪気にえぐってきたのは、つい、一年前だった。
それは、前報
の最後に書いています。しかし、それを公開したのは、2023年12月9日であって、23-11-8日にかかってきた歌舞伎座へのお誘いの電話も、昔のいじめの電話も、このブログの世界では、その日まで、30日間も、語って来ては、いません。どっちとも判断のつかないところがあったからです。
ともかく、一年前までは激しい感じで、いじめムードで、終始していた【マダム優美】です。それが、どうしてこれほど、変化したの?と、不思議でした。
しかし、彼女の、70年間にわたって、続いている、私(=千恵子ちゃんと彼女は呼ぶのだが)を、上にたてる雰囲気の会話が、12年ぶりに聞いて、とても、心地よくて、つい、乗りに乗ってしまったのでした。わが日吉の家は、別のお友達が「お里を知っているので、お互いに安心よね」というほどに、戦後建てた家としては、美意識に満ちていました。外見は普通の木造住宅なのだけれど、1965年に我が家に来てくれた、フェリス出身の女性が、「なんてきれいな家なの」というほどに、中が、清潔で、ミニマルアートチックな家でした。こういう家は、日本では、どこにもほかには見たことがないといえる、そういう家でした。桂離宮とも、新喜楽ともまったく違うのでした。
そして、霞が関で、事件が起きたので、官僚を係長レベルで、やめてしまっていた父でしたが、その社会的後遺症というか文化的レベルはキープしていて、日吉でも、中流の上を、行っていたと思います。そして子供が三人とも、学業の上で、非常に優秀でした。弟なんて、どこの塾にも通わなくても麻布中学にすっと入学できましたからね。だから、1999年までは、【マダム優美】は、わたくしの方を上に置いていてくれてたのでした。
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副題3、『ここで、挿入として、語らないといけないのだが、カリタス小襲撃事件は水沢勉・葉山美術館館長が、日吉在住の姉君に不用意な発言をしたことが原因で、水沢氏を守ることを目的に起案をされた謀略だったということを。その水沢氏と酒井忠康氏と開発チエさんが慶応卒であること。で、【マダム優美】もご主人が、慶応の理事なので、その同窓会である三田会つながりで、今般動いた・・・・または、うごかされたのだった』
妹が・・・・・・わたくしが、やまゆり園事件について、その一周忌に、真実をまた書くだろうと、みなされていて、それをさせないという、私への脅かしのために、・・・・・・殺された2017年、夏以降、激しい逆転が起きていて、それは、カリタス小通学バス襲撃事件が起きてから、特にひどかったのです。👉
::::::重要な挿入となりますが、妹が他殺である証拠を、握るために、わたくしは何度も清新町を訪れて、帰りに夜の江戸川公園で、迷ったことがあるのです。この一件が都知事が代々木公園の樹木と江戸川公園の樹木を伐採することへつながっていくのですよ。私の指先が、世間のニュースを引き起こすのでした。ただし、この件に触れ始めると、また、50万字が必要なので、ここでは、示唆程度で、先へ進みます。::::::::::
👉それは、日吉の実家のご近所住民、水沢家の長男である、水沢勉、現・神奈川県立近代美術館・葉山美術館・館長(だから、彼は、日吉には住んでいないのだが、時々、日吉を訪れているのだと、推察している)の、おっちょこちょいな発言====姉の悦ちゃんに向けて、礒部の喜美子ちゃんは自殺したんですよ=====が、原因でしたが、あまりにも恐ろしい事件=カリタス小襲撃事件に結びついていったので、わたくしは、そちらについても、真実を書こうとしているところでした。
妹は他殺です。その証拠を調べ抜いている日々を書いているブログがあって、その中で、・・・・・江戸川公園で迷った・・・・・非常に縦長の公園で、樹木がいっぱいあるので、それには、驚いたが・・・・・と書いているので、江戸川公園の樹木が伐採されたのでした。また、朝ドラのスカーレットの主人公の名前は、喜美子でしたね。本当に、メディアを利用して、からかわれ切っている私です。
水沢家の悦ちゃんと、(塩野義のゾフルーザ問題がそこから起こされた)沢野家のひろしちゃんと、わが妹の喜美子は、日吉台小学校同期卒なのです。そして、半径60m以内に、小田歯科医院と、お子様をカリタスに通学させていた、寺沢家(母が深く信頼していた賢婦人がいる家)などが、すべて、収まるのでした。
で、ここから、また、新たな謀略行為、(斎藤某という青年が起こしたことになっている)飯能市の外人一家三人殺しが起きています。だが、外人一家三人は、生きているでしょう。そして、斎藤某は、斎藤実・東大名誉教授にして、元東京女子大学長でもあり、ICU教授でもある学者のまごでもありましょう。だから、委細を含めて、犯人役を引き受けていると、見ています。だが、それは、伊藤玄二郎たちに、密着しすぎる、話となるので、彼らの本当の悪辣さが暴露されてしまうなあと、おそれた鎌倉エージェントは、打ち消すのに必死だったのです。それのいきさつを書いている私のブログを、打ち消すためには、私を殺すしかないと、考えて、ありとあらゆる手立てを打ってきている最中ですが、マダム優美が、変節していったのも、そのせいでした。
で、水沢勉さんの卒業した慶応大学のライン=三田会メンバー=を駆使して、対、私攻撃活動が、活発に起きている時期でした。つまり、55年間にわたる、肉体そのものを滅ぼす行為・・・・後ろから首を絞めるとか、車で、ひき殺すとか、ピストルで、打ち殺すという仕組み・・・・がことごとく、失敗に終わっているので、最後の手段として、精神的な自滅を狙われていて、それに現在も寄与しているのが、雪ノ下では、渡辺賢司・マキ夫妻です。日吉では、小田歯科医院の院長も、ほぼ慶応大学の一支部であるとみなされている東京歯科大卒業なので、三田会のメンバーとは、水沢さん以外とも、付き合いがある可能性もありました。だから、一方で赤ひげ先生と慕われていながら、わたくしに対しては、変節してこられて、私立中学受験の問題で、いじめ切って来たのでした。
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副題4、『で、心理的につぶすという攻撃の、うち、・・・・挨拶をしてやらないぞ。常に無視してやろうぜ・・・・・という攻撃が、すでに、数千回にわたって行われているのだが、2022年にマダム優美からも、それが行われたのだった。場所は、歌舞伎座四階専用、エレベーター内だった』
人間の欲求のうち、自己承認の欲求とは相当に上位にあるそうです。渡辺夫妻の攻撃とは、すれ違う時も追い抜くときも挨拶をしないという形だが、なんとも、そのいやみ・オーラ全開で、非常にきつく感じてしまうのです。とても悪意が、強くて、気にかかる現象です。ただし、マイナスばかりでもないですよ。日大の裏側は、彼ら夫妻の、悪意発露のタイミングと、自分が今何を書いているかを、照らし合わせると、裏側が全て読めるからです。
さて、この挨拶をしないという攻撃は、【マダム優美】からも、2020年に行われる様になっていたのでした。しかも、それが、歌舞伎座内、四階のエレベーターという、絶対に、顔を合わせざるを得ない箱の中で、行われたのでした。それは、すでに書いていますが、彼女の実名が書いてあるので、坊ちゃま(東工大教授)を守るために、リンク先を探さないで新しく、書き直しましょう。
ここからは、文章体で書いていきます。よろしく。
歌舞伎座四階席は、コロナ禍前には、一つの演目に150人まで、入れていたと、記憶している。人気が高い演目については、そうしていた。しかし、コロナ禍以降、管理が厳しくなって、総座席数、70席までしか販売しないという仕組みになっている。立ち見は許されない。で、開幕前までに、並んで、切符を持っているかどうかがチェックされる。場所は、四階席だけ用にロビーとして、使っている廊下であり、そこに20人前後を並ばせて、それ以上の人数がたまると、列を折り曲げて、三列ぐらいにして、開幕を待たせる。まあ、奴隷扱いに近いが仕方がない。で、もし四階の立見席に、知人がいたと仮定すると、芝居が始まる前に、私の方が、気が付くはずだった。で、【マダム優美】が、私と一緒にエレベーターに乗り込んできた際には、すぐ、それがいじめ狙いの謀略であり、彼女はわざわざ、夜の八時40分に、四階のエレベーターに乗り込んできたのだった。
さて、こういういじめを、計画された時にどうするかなのだけれど、わたくしは、毎晩、パソコンを50回ぐらい壊されていた時期がある。特にアドビ関連ソフトが、言うことを利かないのだった。これは、自著の編集と、その後の印刷機にかける直前までの、データづくりをしていた時代で、装丁のデータも何もかも、アドビのソフト(=アプリ)を使うので、まいっていた時期だった。あれこれの無理がかかるので、40台を超える台数のノートパソコンが壊された時期だった。
その後も10台は壊されているのだけれど、壊される時間の間隔は、伸びている。それは、わたくしの対処能力が向上したからだった。ともかく、壊されたら放っておいてはいけない。瞬時に、やりたい仕事を工夫の限りをしてやり抜く。それが、肝に銘じた要点であって、それは、【マダム優美】の、いじめに対しても適応しないといけない要点だった。
で、わたくしは、マダム優美にエレベーター内で、話しかけた。数十秒無視されたが、さらにしつこく問いかけた。それを受け止めないのは、人間としておかしいとエレベーター内のすべての人間が、気が付くほど、彼女は、私を無視し続けた。普通の場合、「私?」と、相手が反応をして来る? で、会話が始まって、わたくしが間違っていたら、わたくしが、にっこりわらって「ごめんなさい」という。それで、終わる。ところが不自然に、無視し続けてくる。だからこそ、パソコンを壊されるときと同じ気配があり、瞬時に、うらにCIAエージェントがいることを察知して、戦い始める。4階から直通で、一階に降りる間に、とうとう根負けをした、彼女が、「ええ、そうですよ」と、言う反応を見せたので、「ねえ、私ね、今日は反町に泊まるのよ。日吉まで、一緒に帰らない」と提案すると、「駄目よ。知人と一緒だから。そこで、待ち合わせをするのよ」と、銀座三越方面に、視線を泳がせた。
で、わたくしもあきらめて、西へ向かう彼女と別れて、東銀座駅へ降りるエスカレーターへ向かうべく、東に向かうと、彼女が、突然、追い打ちをかけてきた。「ねえ、桜姫東文章よかったわね。私四回も見たのよ」という。私は見ていない。
その演目は玉三郎と仁左衛門が、人生最後の公演として取り組むといって、大評判をとり、チケットは、解禁直後に売り切れた模様で、わたくしは、チケットをとれなかったのだ。だが、「四回も見た」という話は、どういう仕組み?と、怪訝ではあった。普通の人である、わたくしには、解禁日の、三時間後には、全席、かつ、全公演日にわたって、完売だったのだ。どうして、彼女は、二度目として、切符を買えるのだろうか?
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副題5,『2010年~2013年の間に、彼女の自宅を訪ねたことがある。これは、他意は、まったくなくてすべての友達に同じことをしていた時期だった。というのも、それは、六冊目の自著を出版した後だったが、どうも郵便がおかしいのだった。本を誰かに送っても届かないという時期だった。で、葉山のイトーピアに、時田史郎・元福音館社長(わたくしとは、中学時代の同期生)を訪問をしたり、その数日後、水沢勉氏の自宅を訪ねたり、葉山にもう一軒ある、友人(=未就園児時代=50年前のママ友)を訪ねたり、本牧に、慶応三田会横浜支部長・横山和生(この人も中学時代の同期生)、小田急町田駅で降りて、山川亜希子さん(お茶代付属高校時代の同期生)を、訪問していたりした時期だった。
大変なお金と時間をかけていた時期だった。それほど自分の能力を他人に伝えたいという希望、または、欲望があったのだ。筆力が高いといわれているのに、公的な有名出版社が扱ってくれない。何か裏があると、感じていて、仕方がない。自分で、やろうと決意をしていた時期だった。裏は確かにあったのだ。1965年ICUキャンパス内で、ベイカーさんというイエール大学から来た交換留学生に、わたくしは眉をひそめただけで、頭がいいことを、見つけられてしまった。ベイカーさんは、今でいうCIAエージェントのトップクラスの人間で、
・・・・・被・植民地国家日本には、頭の良い人間は、生かしておいてはいけないのだと、言う使命を持っていた。で、わたくしは、その秋・キャンパス内で後ろから首を絞められて、殺されそうになった。それ以来、何回も殺されそうになっているし、自分の才能を開示することも弾圧をされているのだった。……だけど、それは、もし、日本が、本当の民主主義国で、独立国家なら、やってはいけないkとなので、すべては、ミステリーとして行われる。・・・・・
そして、この6冊目の著書を配るという行脚も、彼らは、必死に、抑圧しようとしていて、いわゆる尾行が付いていたのだった。マダム優美が長時間待たせるので、わたくしは、ご主人から、何らかの指導を受けていると、感じた。
で、郵便局を使った弾圧から逃れるために、自著を電車で配って歩いていた時期のはなしなのだ。日吉に住む小学校時代の友人数人を訪問したが、その一環として、マダム優美の自宅を訪ねたのだった。子供のころに一回も訪問をしたことがないうえに、番地も古いものしかないのでもっていかなかった。ただ、ただ、金蔵寺の近所という知識だけで、訪問をした。たまたま昼間だったので、庭仕事をしている人などがいて、無事に彼女の家までたどり着いた。で、玄関先だけで、帰るつもりだった。ところが、「待っていてね」と、言われて、10分以上待たされた。それは、単にお洋服を着かえましょうという待たせ方ではなくて、ご主人から何らかの指導を受けていると感じた。
マダム優美は、自分の実力も高いのだけれど、夫を大切にするという意味では、古風なところもあるのだった。これは、彼女の母親が賢婦人だったから身についた、行動様式だったと思う。実は、富裕層になったご主人は入り婿なのである。彼女のきょうだいは、女性ばかりなのでお母さんが、その入籍をご主人に頼んだのだと思う。ここで、わたくしは、自分の実祖父が、養子であったことを思い出して、あれこれを書いている。それを巻末に置いた(蛇足1)というところで、語っておきたい。
私はこの待たされている間に、慶応大学と三田会通じて、自分に投網が、書けられていることを推察した。ただし、それを、マダム優美に告げることはしていない。だから、その10年後の現在も、引き続いてだますことが可能だとみなされている可能性はある。
やっと出て来た、彼女は、「車を出すわ、これから、お昼を食べに行きましょう」という。私は、そこまでの歓待を望んではいなかった。ただし、これが、三田会直伝の何らかであることを推察し、その内容を知りたいという希望があったために、彼女の言うなりに従った。やはり、思った通りで、会食中の、厳しい話題は、・・・・ブログをやめろというに等しい、話だった。だが、それは想定内だったので、甘受した。彼女は、車をレストランオークラまで、走らせた。日吉周辺で駐車場が、広いということで、有名なレストランである。その車だけど、SUBARUだった。三鷹のICUの隣に、富士重工があって、小さな車を作っているという印象を持っていた私は、超富裕層の彼女が、SUBARUの車を乗り回しているということに驚いて、その後SUBARUの株を何単位か買ったが、EV推奨運動が起こされて、自動車会社の株は、軒並みに下がった。(苦笑)
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副題6,『このレストランオークラでの会合は、ブログを書くことを責められたとしても、タクシーで、行ったと仮定すると、合計5000円ぐらい彼女からおごってもらったわけだから、反論は、一切しないで甘受した。だが、その後、締め付けはどんどん厳しくなる。四階のエレベーターでの、2021年秋のいじめ、それから、わざわざ電話で、知らされた坊ちゃんが、30代で東工大の教授になったという2022年の自慢話。
今のわたくしに対する攻撃が、主に心理的な打撃を与える方向だから、非常に効果的な攻撃だった。
それなのに、どうして、2023年の秋という今、甘い、甘い声で、しかも明るい調子で、「歌舞伎座に、11月16日に一緒に行きましょう」と、彼女は、言う。これは、どっちなのだ。いじめようの罠か? それとも、歌舞伎座との仲直りを設定してくれる、親切なのか? 私は、11月8日以来、ずっと、悩み続けていたのだった。
これは、まだ、まだ、続きます。だが、本日は、ここまでに、させてくださいませ。
(蛇足1)
ところで、わたくしの祖父も養子だった。しかも、とりことりよめと言って、夫婦ともども、養父母の実子ではない。明治時代か、大正初期に、すでに学卒だった、祖父はそれなりにわがままだったので、養父母とけんかをして、家を出てしまった。で、わたくしの祖母は、気落ちしたのか、病を得て早死にをする。で、母と兄は、叔父、叔母の家で、育っている。
この祖父だが、わが母の実家八木家を出た後で、秋山という別の家に養子に入り直し、新しい妻との間で、7人もの子供を作った。仕事は、山口県立、柳井商業の校長であり(それを40年間も続けたとのこと)、実は、日吉の家にも訪問をしてくれた過去があり、わたくしは、顔をしっかりと覚えている。
この実祖父との思い出でのなかで、母は、もっとも悲しかったものとして、【大内(これが、苗字なのか、町名なのかを聞いていない。が)】の家で、葬式があった日のことを語っている。その死者は、母の実祖父母のどちらかにあたるので、母が招かれたのには、資格が十分にある。しかし、自分の実父は、すでに秋山家の人だから甘えることができない。また、秋山夫人はついてきているのに、自分の母は、すでに死んでいるので、ついてきていない。母の兄は、社交的な性格で、母違いの、半兄弟である弟や妹と、活発にはしゃいで、遊ぶのだけれど、母はそれができないタイプだったらしい。で、大広間で、追いかけっこをしている数人の、子供を眺めながら、非常に寂しくて、悲しい思いをしたそうだった。
この実祖父だが、八木家に残していた二人の子供には、愛情を示している。二人の子供が、旧制中学とか、旧制高女に入ると、そちらの校長先生を通じて、会いに来てくれたそうだった。で、さっきから言っている通り、母の兄は、社交的なタイプなので、その時に、実父である、秋山校長と一緒に記念写真をスタジオで撮っている。しかし、母は、恥ずかしい思いが先に立って、そそくさと、校長室を抜け出して、自分のクラスに戻ったそうだ。ただ、日吉にこの実祖父が訪問をしてきたときには、母はすでに、二人の子供を持つ主婦だったので、自信がついていたのだろう。一家、そろって、この実祖父を歓迎し、わたくしの父も交えて、活発な歓談が繰り返されていた。これは、実祖父の、心を慰安し、母にも、慰安を与えたと思う。傷はできるだけ癒しておいた方がいい。母は死ぬときには、この祖父の思い出も、一緒にあの世にもっていったと思う。
ただ、家を守るための養子だったら、大人になってから迎えた方がいい。子供時代から、養子になった人には、二つの枝分かれがあって、特別に心の訓練ができた成熟した男性になるケースもあるが、甘やかされて、めちゃくちゃな人格になる人もあるからだ。
だが、養子になる方の子供の、実父母が、めちゃくちゃで、生活能力がない場合は、小さい時から、養子として育てるのもありだと思う。だけど、実父母の、記録だけは、残していて、本人が知りたがったら、教えた方がいいと思う。