銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

本日も、BCS賞に出会った・・・・・その賞から隣人の勤務先が松田平田設計事務所だと正確に分かり、被害が、相当に少なくなったのだった

2019-12-30 23:06:09 | 政治

 この章は、本当は、令和二年1月2日に公開をし始めます。しかし、公開日だけは、2019年12月30日付にさせてくださいませ。すべての、文章が、後日、きぢんと、見つかるためなのです。

副題1、『カーポートにずらりと外車ばかり停まっている住宅街があるそうで、それって、旧八幡製鉄所の研究所の跡地ではないかなあ?と、私は、考えた』

 この章は、前報からの、派生として生まれた、章です。

 弟が、遊びに来て、こういいました。「散歩しているうちに出会った、住宅街のカーポートに停まっている車は、全部外車だった」と。ベンツ、アウディ、BMV、ボルボなど。

 つまり、その住宅街が、開発をされた年度に拠るのです。私が前報で、語っているのは、秋山祐徳太子さんの、子供時代に焦点を当てて語っているので、1945年代から、1969年ごろまでの、話です。そのころは、まだ、車社会は、日本には、到達しておらず、カーポートのない家が、普通でした。

 私も、1950年代には、今、弟が、散歩しているあたりを、よく散歩したものです。そこは、川崎市立井田病院を含む丘の上で、車がスピードを上げて通る道が無いので、散歩をすると快適なのです。昔、その丘から、北を見ると、多摩川まで、目立つ建物といったら、法政二高しかないと、言う地域で、足元には、膨大な麦畑が、広がっていました。私が、本物の麦畑を見たのは、ここが、生涯で、初めてで、しかも、それ以降も、これ程に、広い麦畑を見たことはありません。

 そこに忽然とという形で、八幡製鉄の、東京研究所ができたのです。その概要については、今ググった結果を、$$$$$$$$罫線以下に置きます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『八幡製鉄所、東京研究所を、ググっていたところ、その建物が、BCS賞の、第四回目を受賞していることがわかった』

 私は、ひどく驚きました。何に驚いたかというと、その瀟洒なビルが、BCS賞を受賞していた事です。しかも第四回だそうです。其れは、想像するに、1959年から、計画をされた建物であって、1961年に完成して居ます。国際キリスト教大学の、中央棟=旧中島飛行機の研究所で、ヴォ―リーズの設計によるもの

 と、そっくりな建物でした。中島飛行機の研究所の方は、戦前の設計なので、地下室はない(筈だが?)のですが、こちら、八幡製鉄所の方は、一部四階建てで、地下室(これが、ビル全体にわたるかどうか、中に入ったことがないので、わからないが、)も含めると、そう建坪数、6400平米(だいたい2000坪)です。敷地は、690420平米と、いう事は、2100坪という事で、相当広くて、そこが、50~60坪で、その後、分割されて売り出されたと、仮定すると、道路に、割く部分も入れて、300戸の、住宅団地となります。

 今やっとウィキペディアを、見つけることができたが、こういう説明が出ていた。:::::::

さくらが丘Issac日吉(さくらがおかアイザックひよし)とは、川崎市中原区・高津区に存在する新興住宅地。 
概要[編集]
新日鉄先端技術研究所(旧八幡製鐵東京研究所)跡に建設された。総開発面積約7万m2で、計画戸数346戸の建売住宅が並んでいる。 
日吉の丘陵の崖線にサクラ並木がならび、ケヤキやリンゴの木を含めた約7,000本の樹木や潅木が生い茂る。:::::::::

 今は、タワマンの億ションが大人気ですが、この分譲地が、売り出されたころは、ここは、大人気の分譲地であったはずで、したがって、日本の当時の言葉で言えば、勝ち組が買って、参入してきて、カーポートには、ずらりと外車が並ぶと、言う形になったのでしょう。というのも、東京圏内の、ブランド住宅街と、言うのは、突然に、寄せ集められた集合体なので、隣近所がどういう人かがわからないわけです。ともかく、自分が落ちこぼれない様に、するためには、見える部分だけでも、人に劣った形には、したくないと、いう傾向が、強くて、収入が高い方のラインでの、統一がなされる、そう言う形での、新・平等主義というわけです。

 私が、今、書いている風情は、いわゆる、上級国民の風情ですね。「面白くねえなあ』と、思う方もあるでしょう。しかし、私が問題にしているのはけた外れの、無礼な礼儀作法を示した、保坂涼子と、長瀬いずみという、作家の裏側に何があるのかと、言う問題なので、こういう文章を書いて行きます。

 で、私は弟には、それを説明をしませんでしたが、その『さくらが丘分譲地という、場所は、旧八幡製鉄所の研究所だったところでしょうね』と、思い、そのことをネットで調べることにしました。というのも、どうして、やわた製鉄所が、その土地をてばなす事になったのか? それが、いつだったかを知りたいからでした。しかし、ネット検索だけでは、それは、わかりませんでした。新日鉄製鉄所社史などを検討しないと、わからないでしょう。

 私がどうして、その由来を知りたいと、思ったかですが、その所長が、水島三一郎博士で(=東大名誉教授で)、美智子様のご成婚を祝って、永野重雄氏が、水島さんに、その研究所をプレゼントしたと、思って居るからです。水島博士は、上皇后、美智子様の叔父君で、あって、私のお茶大付属高校の、一期下の卒業で、かつ、国際基督教大学の同期卒業生である、榊原節子さんの父君です。で、1961年竣工だという事は、その種の想像が当たっていることを語っています。しかし、こつ然と現れた、その研究所は、又忽然と消えたのでした。その後、さくらが丘分譲地が、開発されたのです。その分譲地では、カーポートに必ず外車が、止まっているそうです。今ね、現在の、売り物を調べてみたら、旧宅を二つに割って、敷地40坪にして建売住宅にしていましたが、

 しかし、全く、意外な項目が見つかりました。其れは、その建物が、第四回、BCS賞を受賞していると、言う項目です。驚くべき僥倖でした。その項目からも、また、現在問題にしている、京都アニメーション放火に、たどり着けるからです。つまり、お正月なので、少し、政治を離れましょうと、思って書いている文章が、また、また、政治に戻るからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『ここで、私は、また、京都アニメーション放火と、やまゆり園事件に戻ることになった。というのも、青葉真司が、ヘリコプターで、運ばれた入院先とは、形から、近畿大学付属病院だと、推察し、そこを、ググっているうちに、その病院のビルが、BCS賞を受賞をしている事を知り、そこから、何と

 我が家の、西隣の、白井達雄さんの、勤務先が、松田平田設計事務所であることがわかったからだ。白井達雄氏の、奥様=夫婦別姓婚である=小野寺夫人には、ひどいことをやられっぱなしなので、自己防衛のために、これから、先書く文章内で、松田・平田設計事務所の名前とか、BCS賞の、存在は、大きな抑止効果を生むと、考えるからだ。4月ごろ起きた、【植木鉢の罠】というひどい問題とか、2019年の10月11日と、13日の二回にわたって、鶴岡八幡宮様が、行った・・・・・我が家の東北の地境に立っている、タブシイの、・・・・・高枝切りの二つほど、ひどいものはない。未だ、両方とも、30%ぐらいのレベルで、、しんそうに迫ることができているだけだが、最終的には、真相を、100%明らかにするつもりである。

 その前に、まず、京都アニメーション放火について、書かないといけない』

 京都アニメーション放火は、一種の謀略であって、嘘をいっぱい含んでいます。もっとも、大きな嘘は、65人もの死傷者が出たという部分で、特に36人の死者が出たという部分は、100%の嘘でしょう。どうして、そう言う嘘を開示しないといけないかというと、19人もの死者が出たと、やまゆり園事件の方が、そもそも、嘘だからです。そちらでは、黒岩神奈川県知事も、嘘に参加して居ます。それから、植松聖は、最初、の段階では、参議院議長公邸に、異様な手紙を送り付けたと、報道をされ、後刻、それは、衆議院議長公邸だと、訂正されました。手をつなぐ親の会が、その日の内に、声明文を発表するなど、用意周到に、組み立てられた事件でしたが、発案者が、井上ひさし(まだ、実際には、生きていますよ)だから、私から、見ると、楽々に嘘が見破られる事件なのです。特に午後二時ごろ、テレビ取材をしている民放の記者が、あたりに立っている、警察官に、「遺体は、運び出されたのですか?」と質問をすると、その警官は、「まだです」と答えました。

 その日の 朝の三時に事件が起きているのですよ。それなのに、11時間後に、まだ、遺体が運び出されていないのだそうです。それって、遺体は、無かったという事なのです。後日、「これが、犠牲者のお葬式です」と、遠くから、撮影された、葬儀場の動画が、NHKで、報道をされました。犠牲者の、お名前も言わない形でね。参列者に、感想を聞いてもいいだろうに、そういう事もなくてね。なんという嘘の羅列だろうと、あっけにとられるほどの事件です。

 しかし、警察庁、もしくは、NHKが、「あれは、嘘でした。雨宮、舜(=本名、川崎千恵子)の言う通り、誰も死んではいません」と、公開することはできないのでしょうね。其れを公開すると、すべてのほかの文章も、正しいという事となって自分たちの悪が、証明されてしまいます。だから、否定を続けるために、さらに、陰惨で、死傷者が多い事件という脚本を作り上げて、【ナウシカ】を、上演する、菊之助と、宮崎駿が、親しいことを利用して、宮崎駿氏に、京都アニメーション社長、八田英明さんに、いう事を聞く様に、納得をさせたのです。つまり、嘘を飲み込んで、記者会見をしなさいと、飲み込ませたのです。

 誰が? むろん、鎌倉エージェントの二人と、警察庁内の誰かさんと、鎌倉警察署内の誰かさんと、石塚雅彦さんとか、成岡康司君なども、自分達の人的コネを総動員して、協力した可能性があるのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『青葉真司は、何故、あれ程に、目立つ服装(=赤いTシャツ)で、しかも、何の警戒心もなく、京都中を、歩き回って、その姿を、監視カメラに、撮影をさせたのだろうか? 其れは、川崎地登戸の、カリタス小、襲撃事件の犯人、51歳の、引きこもり男を、警察の闇部隊が、殺しておいて、しかも、嘘の、発表、自殺と、報道をされた。それが、失敗だったと、鎌倉エージェントは、理解をしているからだ。彼等にとっては、迷惑をかけたくない民間人多数に、迷惑がかかってしまう事・・・・・それが、私にばれているなどとは、考えても居なかった模様である。私は、いつも言って居る。なんでも、正しくわかっていますよと。しかし、それが、自らがあたまが悪いゆえに、理解できないらしくて、鎌倉エージェント達は、自分達が、作り出した嘘が、正統に通じると、高をくくっているのである。若い外交官は、この雪ノ下の山の、安野夫人、石川和子さん、及び、前田清子さん、及び、小野寺夫人等が、行った数々の、悪事を隠ぺいするために、殺されたのだった。しかし、それが、大勢のネット、投稿者によって、変だ。あの男は、引きこもりとは言えないと、言われたり、私が、ICUの友人の、引きこもりの男のことを育ててしまった、友人について、吉岡秀隆君まで、引き合いに出して、(自由の森学園の、教育云々という形でだが)、参ったなあと、思って居るので、今度は、犯人役を生かすことにした・・・・・というのが青葉真司なのである』

 青葉真司という、京都アニメーション放火事件の方の、犯人(ビルが燃えたのは、確かです)は、無論のこと、リクルートされた犯人で、事前にあれこれ、教え込まれていて、その通りに行動をしたと、見ています。

 なお、「この、先は、後刻に」と、いったん、書いたのですが、2日の夜の10時半に新たな発想がわいたので、書き進めます。

 BCS賞とは、私に京都アニメーション放火事件について、多大な情報をもたらしてくれたのでした。特にやまゆり園事件との相違点と類似点を比較することができましたのでね。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『白井達雄・小野寺夫人夫妻について、もっと、もっと、正確に書かないといけない。が、まず、この山で、子育て(特に中学生以下)をするのがどれほど、難しい事であるかを言わないといけない。その理由は、安野智紗夫人という女性が威張っているからである。この山には、東京圏のブランド住宅街では、必須の条件である、他人に踏み込まないとか、平等主義を貫くなどというルールがない。というのは、安野夫人というのは、略奪婚の人であって、その勝利の喜びが、いまだに、忘れられず、常に、目に見える範囲の、他人=特に女性に対して勝ちたいと、思って居るからだ。そのためには、手段を択ばないところがあり、他人のお子さんだって、自分が得をするためには、平気で利用をするのだからだ。その上、自分の家族にも他人に対しても演技としての愛情を示すことはできるが、真実の愛情を示すことなど、一切できない女性である。』

 しかし、BCS賞を、調べているうちに(それは、だいぶ前でしたが)もう一つ莫大に、大きな収穫があったのです。それは、西隣のご主人の勤務先が正確に分かったという事でした。しかし、それが、どれ程に、いい事だったかを語る前に、この鎌倉雪ノ下の山で住むこと、特に、小さいお子さんを育てながら住むこと、が、どれほどに、難しい事かを語らないといけません。

 私は最近、・・・・・お馬がパカパカと、私の右横をトロットで、走り去った。若宮大路を南に向かって・・・・・・と、言って居ます。そのお話は、非常に面白いのですが、まだ、詳細を語っておりません。どうしてかというと、小さなお子さんが登場するし、又また、そのお子さんが、安野夫人に、悪い方向で、利用をされているからです。で、どういう風に書こうかなあと、迷って居るからです。実名で、書こうか、仮名で書こうかと、迷って居るので、まだ、完成させておりません。手を付けても、いないのです。

 でも、レジメとして言えば、賢い人は、それが、わかっていて、引っ越して行って居ます。私が知る限り、14回の引っ越しがこの山でありました。20軒しか家がなくて、しかも数軒は、別荘として使われているわけなので、どれ程に、引っ越しが多かったかがわかります。

 私は、そういう風に、この山から逃げていきたいと、思って居る人が売りたいと、思って居る家を二回、見に来ています。一回目の、売りたい人は、今で言う上級国民でした。で、人を信頼する程度が大でした。そして、既に、ご夫妻とも亡くなっていると、思うので、これを語りますが、「この山は、(自然については)いい環境ですが、家内がノイローゼになりましてね。だから、外へ出たいのです」とおっしゃったのです。

 私は・・・その家は、三方向に、他人の家を見るので、余り、普通の住宅地と変わりがないなあ・・・と、思って買いませんでした。既に、北久里浜に、自分が設計して、父が確認申請を取ってくれた、一戸建ての家を持っていましたので、焦らない人だったからです。その後、実際に買った家の方は、西側だけ、隣人を意識する程度で、済むのです。東と南には、他人の家がありません。北側は、向こうの方が、10メートル程度、今、パソコンを打っている居間からは、低いので、まったく意識しないで、済みます。だから、買ったのでした。しかも、東側に、更地としての余地が、たくさん残っていたので、建て増しもしたので、とても、住みやすくなっています。上級国民様の家は、建て増しは、不可能な配置だったので、買いませんでした。

 しかし、上級国民様の教えは、深く身に染みたので、『絶対に、近所づきあいをしない』と、言う覚悟をもって、引っ越してきたのです。すると、安野智紗夫人がドアのベルを押して、「お砂糖を貸してください。子供(すでに、中二である)にお友達が来たので、お紅茶を出したいので」と、言いに来ました。無論断りました。私には、覚悟と方針があるわけですからね。ところが、それ以降、どうも様子がおかしいのです。村八分になった気配がある。で、大学時代の友人に、愚痴を言ったところ、電話が当時から、盗聴をされていたのですね。で、・・・・・安野夫人を持ち上げると、川崎千恵子は、悩むんだ。これは、勿怪の幸いだ・・・・・と、いう事になって、彼女は莫大なレベルで、得をして、かつ我が家の合い鍵さえ持っていて、猫連れで、我が家に入って、お化粧品(特殊なもの)をちびりちびりと、盗んだり、そのほか異様なことを繰り返す人となっているのです。我が家の猫が死んだ後も、猫のスプレー臭(テリトリーを示す、おしっこのにおい)がするし、我が家の猫が生きているときさえ、目の前で、安野家の猫が、侵入してきたので、これは、確かな事なのです。こういう支配こそ、日本の警察が、CIA(=鎌倉エージェント)の支配下に、管ッていると、いう事を示すのですが、その安野夫人の井戸端会議のおかげで、我が家の土地が、盗まれてしまい、使えなくなっているので、警察が、そっちの見方をして、合い鍵さえ渡していると、言う不合理は、どうしても納得ができません。

 ::::::::しかも、2019年の、10月11日にやってきた、鶴岡八幡宮の工務所の、人間(特に大工仕事が専門だと自ら言う、白髪の、50代後半の男、背は、165㎝ぐらい)の、無礼極まりない態度とか、13日の恐るべき、作業状況は、すべて、伊藤玄二郎か、鎌倉警察署かの、依頼通りになさって居るでしょう。そういう事をなさると、天からの災禍が下りますよと、いつも言って居るのに、おやめにならないですね。今年の三が日の参拝客って、ものすごく数が、少ないのではないですか? 去年と比べても。

 本当に、私のブログは、丁寧に、毎日お読みになった方がいいですよ。私は、天に見守られて居る存在です。そして、予言もできる人間です。だから、私を踏みしだいたりなさると、本当のご損が訪れますよ。大切にすべきは私の方なのです。::::::::と、横道にそれてしまいましたが、元へ戻ります。

 私は、引っ越してくる前から、この山の人間関係がすこぶる難しくて、何か、障害があるのだと、知っていて、引っ越してきたのですが、安野夫人に、ブランド住宅街には、あるまじき、お砂糖を貸ててくださいと、言う形で、からまれて、しかも、断ったら、それ以来、村八分状態になったので、彼女を観察する様になりました。私は、小さいころは、神奈川県一頭がいい女性だと、言われているので、観察を始めると、すぐ、略奪婚の人だと、わかりました。

 こどもが中二にもなっているのに、子供のことで、他人を煩わせるなど、ありえないのです。本当のお母さんなら、14歳になるまでに、そんなことを他人に言っては、自分の方が、馬鹿にされると、わかっているからです。しかも継母なのに、家の中から、親子喧嘩の声がしません。よほど、安野夫人を恐れているのです。しかも彼女は、毎日二時間ほど、井戸端会議を開きます。40過ぎの女が、情報収集をして、ご近所を支配しようとしているわけで、3人の子供が、高校生徒、中学生になるまでに、そんなことがはた迷惑だと、わかってこないというのが、めちゃくちゃおかしいのです。本当のお母さんだったらありえない行動なのです。別に盗聴もしていないし、探偵も雇って居ませんが、蟻と、あらゆることがわかる様な生活を送っている人だから、こちらには、わかるわけです。

 というわけで、安野夫人から、大量の、損失を与えられているのですが、彼女は、前田清子さん(とりつっ大学の大学院を卒業している。したがって、この山では、学歴的に、一番の女性である)と、石川和子さん(伊藤玄二郎のおかげで、陶芸教室から、毎月、200万の収入が上がるそうで、この山一番の、高収入の女性である)を支配して居て、上下関係を作って、威張りかえっているのです。それが、大変な眼なので、賢くて、かつ、お金に余裕のある人は、どんどん、引っ越して行ったのです。

今残っている人は、*1)、新しい家を買って、引っ越しをするだけの、余剰資金がないか、*2)、賢さが、抜群に高いので、、状況をうまくコントロールできると言う自信がある人か、*3)、洗脳に弱い人か? *4)、この山の自然環境が好きなので、ほかの悪条件には、目をつぶると、決めている人か・・・・・などに、分類できると、思って居て、すべての人をその範疇で、分類して居ます。

 ところで、鎌倉エージェントは、新しく、物件を買って転入する人を選んでいますね。ともかく、私より、条件がいいと、伊藤玄二郎が思う人間を選んで、物件を交わせています。

 で、そう言う新たな転入者には、事前に、相当な情報を与え、洗脳して、送り込みます。その結果、あたらしい転入者が来るたびに、私は、大損をします。その典型的存在が、西隣の白井達雄・小野寺夫妻です。

 彼らは、夫婦別姓です。ただ、小野寺夫人の下の名前は、まだ、私は、知りません。夫婦別姓であることは、彼等が、知的で、モダンな生活を好む人であることを示し、ある時に「早稲田ですか?」と聞いたら、「早稲田も、いい学校ですがね」と、小野寺夫人が答えたので、『あ、東大なのか』とわかりました。

 ところで、前報(後注1)で、私は、企業城下町と、いう事を言って居ます。もし、小野寺夫人が王子製紙の、苫小牧工場のトップのお嬢さんだったら、ご主人を尻に敷いているのも納得ができるし、私に対して、常に、威張った上から目線で、ものをいうのも仕方がないといえましょう。だけど、上に言って居る榊原節子さんだって、上級国民中の上級国民ですが、私に対しては、ほとんど威張りませんよ。いつも、さらっとして、明るい、平等主義の人です。やはり、田園調布と、苫小牧の差は、感じてしまいます。小野寺夫人は、やはり田舎者だなあと、思います。お子さんがいないので、さらに、勉強する機会が少ないので、苫小牧での、意識を捨てられないのでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『あまりに、ひどいことをやられ続けるので、業を煮やした、私が、あれこれを書き始めると、CIAエージェント側は、ある刺客を送り込んできて、白井達雄氏が、どれ程の、エリートであるかを私に示したのだった、その天然パーマの男は、どうも、伊藤忠で、瀬島龍三の直属の部下だったのではないかと、思われるほどに、おしゃれな男で、最初は、1978年に、横須賀の関東法務局横須賀支所に現れたのだった。

 二度目は、2008年から、2010年の間のどこかで現れた。場所は、ミスタ―ドーナッツ大船支店であった。30年を経ているので、彼は、既に、会社員を引退していると、見得、それなりに衰えていて、白髪にもなっていたが、同じ男だと、思われる。頭は、すこぶるよくて、私と、ほぼ、同じ年代の、男である。

 私はそのころ、自分のノートパソコンで、メルマガや、ブログで、書いた文章を編集し、本として、工業的に印刷し、製本する直前のデータを作っていたのだが、自宅だと、膨大な量のシステム異常を起こされるので、外のレストランやカフェを利用していた時期だった。それで、大船のミスタードーナッツの小さなイスと、テーブルを利用して、仕事をしていた。すると、お隣の、二人連れが、建築に関するいろいろな会話をし始めた。今思うと、彼等が現れたこと自体が、罠だったのだけれど、

 私は性善説の人で、たいていの場合は、人を疑わないので、彼等を建築の専門家だと、思いこんだ。で、私は、パリやニューヨークに三か月ずつ、合計、90日間三回滞在をしていて、その間、外人とばかり付き合ってきて、オープンマインドを実践する人となって帰ってきているし、ブロガーとしてありとあらゆる機会に、学びたいと、思って居るので、「ちょっと、小耳にはさんだのですが、建築の専門家ですか?」と、質問をした。すると、「そうです」とのことなので、私は、あれこれを話し始め、当時、ちょうどわだかまりの極致に在った、白井達雄・小野寺夫妻の、困った点を話し始めた。

 すると白髪で、天然パーマの男が、「でも、白井さんって、日本三大設計会社の、横浜支店長ですよ。そして、横浜銀行の、鎌倉支店を設計したのです」といった。

 今になってみると、それが、一つの罠であって、私に対して威圧効果を与えるはずで、したがって、白井達雄・小野寺夫妻が、やってくることについて、書くのをやめるだろうと、伊藤玄二郎達、CIAエージェントは、思って遣わしたのだと、わかって来るが、当時は、『うわー、神様が、やっと私をたすけてくださった』と、内心で、欣喜雀躍をした。敵方は、そう言う情報を流すことによって、文章で、彼らの行為を表現することを私が辞めるだろうと、推察したのだと、思うけれど、私は逆ザヤを張る人なのだった。株をやって居るので、大勢の人が、行かない道を行く方がいい事を知っている。

 で、抑止を狙って、脅かして来たのだから、文章は、書き続けた方がいいと、判断をしている。しかし、・・・・・浜銀、鎌倉支店を設計したほどのエリートの奥さんが、かくも忌まわしいことをやって居る・・・・・と書き始めたのは、大船の、ミスタードーナッツで、彼等に出会ってから、一年ほど待った後のことであった。

 ところが、宝物みたいな、その情報を使っても、白井達雄・小野寺夫妻は、ひるまなかった。以前と同じ様な攻撃を繰り返すのだった。

 今思うと笑ってしまう。「日本三大設計会社の、横浜支店長ですよ」は、彼ら自身が、投げ与えた餌だったから、それを使っても、屁の河童だったわけだ。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題7、「しかし、神様は、本当におられるのだった。青葉真司が、近大病院に、入院したと、考えて、その病院をチェックしているうちに、その建物が、BCS賞を、受賞をしている事を知る。で、今度は、BCS賞を確認し始める。その結果、白井達雄氏の勤務先が、正確に分かったのだ』

 天然パーマの男が、「日本三大設計会社の、横浜支店長だ」と、言った。三大という限り当然BCS賞を受賞をしていると、みなしている。で、BCS賞とは、一年に、20個以上の建築物に与えられるのだけれど、10年分ぐらい、200戸を精査して、どういう数の、受賞があるかを、票にしていった。そう言うランク付けをしたうえで、それの上から順番に、受賞した会社が、どういう組織であるかを調べ始めた。すると、松田平田設計事務所の、人員紹介の欄に、確かに、白井達雄、の名前があったのだった。横浜支店長とも書いてあった。

 そして、松田平田設計事務所は、横浜駅周辺、特に西口に強いことも分かった。シェラトンホテルとか、横浜高島屋を、設計していることも分かった。

 この項は、さらに続きますが、既に、午前二時になったので、二日の夜は、ここで、終了をさせてくださいませ。

 

 

 

$$$$$$$$$$$$$$$$$$$

  •  
  •  
  •  
  •  
  •  

日建連 BCS賞   第四回受賞作品(1961年度)八幡製鉄東京研究所。

所在地:::::神奈川県 川崎市井田中原     敷地面積:::::69,042.732㎡    

建築面積:::::延床面積ー16,085㎡     階数::::::地下1階 地上4階
構造ーRC造     建築主::::::八幡製鉄株式会社     設計者:::::清水建設株式会社
施工者::::::清水建設株式会社     竣工日::::::1961年5月

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする