銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

佐野研二郎盗作問題と、豊洲汚染水調査における隠蔽には、共通した背景がある

2017-03-11 13:36:28 | 政治

 私は、今書いて居る文章

福島と同じく、豊洲にも国民騙しの語彙変換手法が使われている・・・・・・Cs在る処にストロンチウムはあり、Bezene在る処にトルエンがある・・・・・それが真実だが隠蔽されている2017-03-09 20:45:42 | 政治

内で、さらに加筆をする必要性を感じました。その加筆部分が目立つために、こちらへ、その部分(前の初稿では、副題2と3に当たる)を、独立させていきたいと、思います。

 多摩美術大学(これ以降多摩美と略す)と、佐野研二郎・東京五輪エンブレム・盗作問題、が関連しているとは、私が昔書いて居るところです。リンク先を見つけるのが、大変なので、今丁寧に書き直しました。それが、『一部で、足りない部分があって、誤解を招く恐れがあるなあ』と、後で、考え直したところです。

副題1、『立派な美術家になるためには、1960年代の受験制度における、頭の良さは、必要がない。したがって、私が、書いた文章を、多摩美への悪意あるものとして解釈するのは、例の連中の心の汚さの表れである・・・・・』

 繰り返しになりますが、そこで大切なことを抜かしました。それを、副題1の二重ガッコの中に書き表しました。

 最近ではだいぶ変わったみたいですが、1960年代までは、大学の入学試験とは、記憶が、重点となる、大容量の、受験勉強が必要でした。国際基督教大学とは、それとは、ちょっと異なっていて、英語で出題をされる、知能テスト、みたいなものを素早く、かつ大量に解く必要があるという入試であって、受験勉強が必要ないのですが、私の友達は、英語力には自信がなかったと、推察されます。東京の私学、特にミッションスクール(彼女は東洋英和進学組)では、国際基督教大学の名前は、すでに、有名だったと思います。だからこそ、英語力が必要だと知っていて、それで、わざと、受験しなかったと、推察されます。

 つまり、多摩美は、多摩美で、存在価値があるのです。立派な大学なのです。それが言い足りなかった部分です。私が書いた文章の骨子とは、友達が、私ごときに、真実の、心を吐露してくれたことの、一種の潔癖さとか、美しさとか、勇敢さとか、成長ぶりを書きたかったわけです。

 だって、私の方は気にしていませんでしたが、彼女は、私に対してライバル心を持っていたと思います。どうして、二人に違いがあったのかというと、私はきょうだいの間の年が、7歳も離れています。だから、一人っ子みたいなものなのです。しかし、彼女は、四人姉妹の間で、年の差が少なくて、姉妹間で、一種の、親の愛情の奪い合いも経験していて、しかも、次女なので、看過される度合いが大きかっただろうと、今になってみると、判ります。だから、嫉妬心とか警戒心の強かった人なのです。そういう人が、自由が丘駅のホームと言う、深い内容の会話を交わすのには、あまり適していない場所で、とうとうと、お話をしてくれたということに、感動をしたわけでした。

 つまり、彼女は、「自分は、高校時代に間違った考えを持っていた。受験勉強など、つまらない作業だと、思って居たので、やらなかったけれど、それで、入学できる大学に入ってみたら、満足ができなかった」と、言っているわけですが、それを、書いた私の文章を、曲解して、「私が多摩美に対して悪口を言っている」と、とらえるのは、例の連中の心の汚さの表れなのです。

 私が感動したポイントは、彼女が反省を口にしたことなのです。非常にプライドが高くて、自分の弱点などさらすことがないし、高校時代は、あくせく受験勉強をしている、友達を、斜めから見下ろして、内心で、小ばかにしていた彼女でしょう。が、多摩美は東洋英和に比べると、社会としては、大きくて広いです。東洋英和より、より広い層(貧富の差とか、教養のレベルの差とかを言えばです)から、女子だけではなくて、男女を合わせて、多数、集まってきている場所です。そこに、本当に、入学してみたら、満足ができない自分を発見したと、反省しているのです。私は、その反省と言う行為に、びっくりして、感動をしたから、一文をものしたのです。

 彼女は、東洋英和の高校部時代に、大学で何を求めるかを、しっかりと、考えなかったと、思われます。また、将来の職業についても本当にしっかり考えていたかどうかは、判りません。これは、私にも共通する姿勢です。

 今日、東京圏では、お受験が盛んだと、報道をされて居ます。公立小学校を経て、私立中学へ入学するのなら、まだいいのですが、小学校から私学に入っているお子さんなど、人生の目標を本当に、もてているかについては、疑問があります。だから、お坊ちゃま育ちであろう、現役の医学部学生とか、卒業した医師が、若い女性を捕まえて来ては、泥酔させて、強姦するという事件などが、容易に起こります。

 もし、本当の美術家になりたかったら、大学名など、関係がないのです。美大を出て居なくても、立派な作品を作る人間はいます。ただし、多摩美を出て居たら、大手の印刷会社とか、宣伝会社とかに、就職するのが容易でしょう。大日本印刷とか、電通とかにです。

 しかし、彼女の親戚、または、ご近所さまとかのお付き合いを考えると、多摩美の、お友達が、哲学的に難しい事を理解しなくても、それは、それとして、ともかく、四年間学び続けて、卒業はする必要があります。彼女の父君は、有名な病院の、実質的な院長でした。経営者は、別人ですが、彼女のお父様が、技量的には、トップだったと思うし、患者からも同僚からも尊敬を受けていたでしょう。

 そういうご家庭のお嬢様だから、それなりの制約があるのです。東京圏に住んでいて、中流の上、または、上流の下と言うご家庭では、子供が女の子であろうが、男の子であろうが、四年制の大学に進学させるというのが、普通だったから、卒業はしないといけません。つまり、美大卒業は、体の良い、嫁入り道具として、捕らえられていた可能性があります。

 もし彼女が、平均値曲線で言う、真ん中に配置される様な少女だったら、悩まなかったと、思います。しかし、良く、私自身も他人に言われるのですが、「あなたも、上の、はみ出しだから大変ね」と。彼女も全く同じだったと、思います。そして、現代日本では、考える人の存在を許しません。空気を読めない人と言う語彙の流行とか、一気呑みの流行とか、言う現象は、すべて、考える人の存在を許さない仕組みの反映です。受動喫煙問題と、分煙化の勧めも全く同じです。

 どうしてそうなるかと、言うと、日本が、被植民地国家だからです。そして、最近、特に、貧しい児童が出現しているのは、それこそ、3.11の後始末に、政府が間違った方向で、莫大な、費用を注いでいるからです。土地のかさ上げとか、除染とかは、全く必要がありません。それは、ただ、・・・・・原発が、有用なものである・・・・・という宣伝のために使われた費用なのです。

 そして、核燃料を売りつけている側は、引き続き、売り続けていると、私は推察しています。アメリカに住んでいる大富豪の、富を増やすために、日本に住む児童の、六人に一人が、満足な夕食も食べられないという状態に、陥っているそうです。

 安倍総理大臣に、総裁を、三期務めることを、可能にしようとする動きが、二階氏を中心に起きているのも、安倍総理大臣が、その種の流れに、徹底的に従順な総理大臣だからです。 戦後これほどに、そちら側に従順な総理大臣は、かつていなかったと、思うほどです。

 大局的観点(=永田町についての話)から、私と、東洋英和に進学した、小学校時代の、友人の話に戻ります。

 感動をしたからこそ、10年以上前に、それをエッセイとして、書いたのですが、その時には、多摩美の名前も、東洋英和の名前も、そして、彼女の本名も出していません。その上、それは、最初はメルマガとして、書いて居るのです。パソコンがすでに、十数台壊されていて、メルマガは、AOLを使っていたので、再現が不可能ですが、骨子は、自由が丘で、友達が、30分以上も熱く語ったと、言う文章でした。初稿は、そうだったのです。

 しかし、自由が丘と言う駅名で、これが多摩美を指すという事に気が付いた人間がいるかもしれません。1960年代の多摩美は、世田谷区内しか、キャンパスがなかったと、思います。だから、東急大井町線を使って、自由が丘で乗り換えるという発想を生かせば、私の文章が、指す大学が多摩美であると、判る人にはわかるわけです。また、私のパソコンは、使い始めた最初期から、ハッキングを受けており、『これによって、私を潰せる』と考えた手合いがあって、多摩美側に、その文章を見せたのだと、思います。また、CIAのエージェント側は、スパコンを使ったり、人脈を使ったりして、この述懐をした女性が、東洋英和出身だとも突き止めていたと、思います。

 私の方は、その時点で、彼女がすでに亡くなっている(お気の毒だが、47歳で、早世をされたそうです)と、聞いていたので、エッセイをものしたのですが、それが、対、私への攻撃の道具として使われたのでした。その攻撃とは、例の、大騒ぎを起こした、佐野研二郎の東京五輪のエンブレム盗作問題だったのですよ。これは、さらされることはない事実ですが、真実でしょう。

 後で、それについて、詳述をした文章を探して、リンク先(後注1)を明示します。

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副題2、『銀座の画廊で、多摩美と関係がある画廊のうち、二軒が、強烈にトイレにこだわっていて、私が銀座巡りをする際には、わざわざ、トイレに鍵を掛けるのだった(苦笑) 尿漏れ頻度の高い74歳の老人に向けての拷問である。現代アートなどという、純粋で、美しいものを展示する画廊が、そういう、ちんけなことをやって来る。おや、のんきだねと、だけ言っておこう。それしかないから』

  さて、突然に、ここで、トイレの問題に入りました。どうしてそういう事となるかというと、上にリンク先を上げた文章内で、それについて、詳述をしていますが、2017年の、3月7日の火曜日に、私は、歌舞伎座、夜の部を見ております。で、後注2の文章を歌舞伎について書いて居ます。その際に、新橋駅の、横須賀線に降りていく、エレベーターを、夜の8時40分ごろ、使っています。そこに監視カメラが設置されています。そして、警察は、私の、自滅(=ノイローゼになって、自殺をしてくれること=)を狙っていて、ありと、あらゆる悪辣な、企みを行って脅かしてきております。

 で、この夜も自宅のトイレに対して、それが、行われました。主人は遅くとも、夜の8時半には、熟睡に入ります。新橋駅で、夜の八時40分に居ると、帰宅はどうしても夜の10時に成ります。その間を、見計らって、誰かが、玄関ドアのカギを合いかぎを使って開けて、玄関近辺で、悪い悪戯をして行くのです。以前に、トイレのスリッパが、180度方向が違う向きで、置かれていたと、書いて居ます。五年以上前に、別のトイレのドアに、黒いマジックで、矢印が描かれていたという、のが最初の例としてのトイレに対する攻撃でした。それは、リンク先を見つけるのが困難ですが、スリッパが、互い違いの180度別方向を向いておかれていた問題は、最近半年以内の事なので、ブログ(後注3)を見つけておきたいものです。お待ちくださいませ。

 で、玄関近辺への攻撃は、そこにかかっている絵が、斜めにされるという事を含めると、多数回(20回以上で、夜も昼も)行われているのですが、トイレのドアを開けてまで、攻撃をされたというのは、事トイレに関してだけでも、四回目でした。

 さて、その前に、非常に重要な問題として、絵が二枚盗まれた現象があります。これは、その前日に、西隣の奥様に、「貸画廊を開く予定がある」と、言ったとたんに、盗まれたので、美術関係者が関与していると、見ています。それも、その夜に、私は、川崎ラゾーナに、お客様用の、マットレスを買いに行っていて、「遅くなりますよ」という電話を、主人に向けて掛けています。我が家の電話は逆探知を受けております。で、警察は、私がその時点で、JR川崎駅に居ることを知っていて、そこから我が家まで、一時間はかかることを知っているのです。そのうえで、合いかぎを持っているご近所様に連絡をして、盗ませるか、それとも、警察内部の特殊部隊に、命じて、盗ませたと、推察しています。それを順々と書いている最中に、今度は、トレイ内部の壁に、悪戯描きをされました。

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副題3、『私は、探偵でもないし、刑事でもないので、動ける範囲が小さくて、証拠を集めることはできない。ただ、悪い事をされた後の、現象を写真に撮って置けば、それが、有力な証拠にはなる。ところが、その大切な写真だが、それも、なかなか、撮影をしないのだった。理由は?』

 これですが、まだ、写真を撮っていません。jpeg ファイルは、常にインターネットで把握をされるので、そのトイレの壁を撮影すると、私が、これから、何を書く予定であるかを、敵さんが察知して、書かせない様にするからです。非常に神経を使って用心をしております。

 しかし、そのいたずら描きを丁寧に見ているうちに、これは、警察関係者には、できないものだと、判断をしました。それは、キシレンと言う強力な溶剤を使っても落ちなかったからです。で、材料がマジックインクの類ではなくて、ペンキでもなくて、油絵具だと、判断をしています。それは、上にリンク先を上げた章内で、詳述をしていますが、プロの絵描きでないとできない作業です。

 梅原龍三郎の、バラの絵を、写真で、見たことは、皆様にも、ありましょう? 盛り上がっています。今なら、絹谷幸二とか、馬越陽子さんの絵を思い浮かべると判りますが、油絵具が盛り上がっています。そういうマチエールを、採用するタイプの画家では、ない方です。古典的な画風を取る作家です。たとえばレオナルドダビンチの、モナリザを思い浮かべてくださいませ。ああいう、画肌の絵を描く作家です。モナリザですが、今は年月を経ているので、表面に微細な、ひびが入っていますが、製作当時は、つるつるの画肌だった筈です。

 だから、ピンポイントで、やった人物は、特定できているのですが、実名をさらすというほどに追い詰めないでおきましょう。同じ人物が、何十回と、すでに、我が家に侵入しています。だからこそ、追い詰めないで、置いておきます。というのも彼は、「自分は、パソコンは大嫌いなので、それを使わない」と、宣言をしています。だけど、ある筋から、私が何を書いて居るかは、伝わっている筈で、原文を読んでいないからこそ、狂う可能性があるからです。狂うと、人間は、とんでもない事をやる可能性があるからです。彼は今のところは、一応は、(見かけ上のところはですが)紳士ですが、多重性格の人間なので、狂うと何をするか、判りません。ので、追い詰めないで、置きます。

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副題4、『ここで、挿入とは、なるが、日本で、認められないので、ニューヨークで、一旗揚げたいと、願う人間は多々いる。若冲を再発見したプライスさんみたいな大金持ちの白人と出会って、結婚をしてみたいとか、草間とか、オノヨーコみたいな成功者になりたいとか、いろいろあるだろう。ただ、欲望が、まんまんと、充満をしている彼女等、若い日本人女性と、三か月間に限って、版画修行だけに、来ている私とは、大いなる違いがあって、お互いに理解不可能なところはあった。

 その種の若い女性を、相手にして、生涯、初めての喧嘩を1999年の、11月に、したのだが、そのエピソードを、又もや、ここで、書いて居る。どうしてかというと、書けば書くほどに、深く、えぐって、真実に迫れるからだ。相手が、狂ったので、なかなか、書けないでいた。精神病院に入るほどのひどい事を、実行する、人間は、ある程度、かばわないといけない。それで、なかなか、真実に到達しえなかった。しかし、あれから、17年と、半年が過ぎた。あさこ(仮名)というアーチストは、世界を股にかけて、活躍はしていないようだ。

 で、まあ、一種の時効となって居ると、思うので、はっきりと、事実を書いて行こう。他人をいじめる人間は、中身が無くて、しかも、弱いのだと、言う事を、如実に説明できる事例だから。しかもあさこのケースは、虎の威を借りていたので、更に、弱い人間だった。

 そういう、隠されていた弱さをむき出しにして、相手を叩き潰してしまった、私の手法は、たった、30秒間の会話だけである。それ以来、リアルな世界では、私は、自分が今、現在、本当に考えていることは外に出さないこととなった。銀座でも鉄面皮と言うか、白痴というか、そんな種類の人間として、歩いている。それでか、それ以外の理由でか、2017年の、3月、6日、7日、9日の、三日間は、本当にひどい目に出会った。その週は歌舞伎を二日間見たので、そのついでとして、銀座巡りをしたのだけれど、ひどい目に出会った。

 私は神様ではない。当然のごとく、憤怒はたまる。その憤怒が、表出したのが、この章だが、いざとなれば、以下のエピソードの再現もありうると、は、言っておこう。

:::::::::ここで、挿入となりますが、ニューヨークの思い出を書かせてくださいませ。私は、1999年に、プラット・インスティテュートと言う美大の大学院に入学をしていました。教授は、私より、10歳ぐらい若い女性で、私の才能に対して嫉妬をしていました。それを、表面には出さないでいるつもりだったでしょう。だが、学生の方は、みんなが知っておりました。27人学生が居て、たいていの学生は、教授の方を批判していて、私に対して同情的でした。それは、次の学期に彼女の講座を、学内の、誰も申し込まなかったという事でも、証明をされています。

 だが、日本人女子学生、あさこ(仮名)という人物だけが、教授のお先棒担ぎとして、私をいじめきって来て、仕事の邪魔ばかりしていました。

 ところが、そのあさこが、困り切る事態が起きて来ました。それは、教授が無能なゆえに、腐食液と言うのが効力を失ってきていて、銅板に模様をつけることができなくなったのです。で、あさこは、私が自前で、持っている腐食液を使いたくなりました。しかし、「借りたい」と、言い出すことができません。どうしてかというと、それ以前に、ひどい事をしているので、私が拒否することを恐れているからです。

 で、婉曲な手法を取って、こういう質問をしてきました。「ねえ、どうして、硝酸に、銅板をつけてはいけないの?」と。腐食液として、塩化第二鉄溶液と言うのが銅板用に使われます。が、アルミ板用には、硝酸の溶液が使われます。それで、私は彼女の目の前で、化学方程式を書いて、「塩酸が気体として出て来るので、それをやってはいけないのよ」と言いました。ついでに、「これは、中学生程度の、化学方程式ですが、私は東大に勤めていたので、58歳の、今でも、すらすらと書けるのですよ」とも添えました。それは、言外に、「あなたって、本当にバカですね。こんなことも、まだ知らなかったのですか? 大学院の学生で、日本で美大を出てきたというのに、私とは雲泥の差がありますね」と言っているわけです。

 彼女は学問上の知識は足りないのですが、人間関係の機微はわかるので、自分が底知れぬレベルで、馬鹿にされたということだけは、わかるわけです。それで、その直後に狂いました。私がお昼を食べに食堂へ、行っている間に、私が持ってる腐食液、二リットル分を床にぶちまけたのです。私は普通の人の、1000倍程度濃い薬を使っておりました。それは、深彫りという、特殊な手法の版画をやっていたからですが、その液体は、真っ赤であり、かつ粘度があるので、まるで、血がべっとりと、床に、広がっているという風情でした。すさまじいミモノだったですよ。

 担当教授は、日本で言うと、講師という立場なので、大学院には、常駐をしていません。それで、私は四年制学部の方へ出かけて行って、版画科の男性教授数人に来てもらって、現場をみてもらいました。皆、顔には出さなかったけれど、驚愕をしていたと、思います。学内には、11階建ての大マンションが、寮として数棟、建っていたので、噂は、あっという間に広まったらしくて、次の学期に、誰もその女性教授の講座を取る学生が居なかったという話です。凶事を実行したのはあさこですが、彼女の基盤には、暗黙の許可を与えていた嫉妬深い女性教授の存在があることは、誰の目にも明らかだったからです。、

 塩化第二鉄、原液の毒性と言うのは強アルカリ性で、もし、頭から2リットル、ぶっかけられたとしたら、気管が焼けただれて死ぬと、思います。

 ところで、アメリカには、ぞうきんとかウエース(=業務用ボロ布の事。日本だったら、版画材料専門店で、一キロ、500円ぐらいで手に入る。真っ白に洗った、古い下着類=)を売っていないので、ただ一つ、キッチンペーパーを使って、10時間かけて片づけました。

 この経験から、私は、自分が、いざとなったら、言葉を発するだけで、恐ろしいまでに強い力を持っていることを、知りました。だからこそ、伝家の宝刀は抜かないのです。しかし、佐野研二郎と言う、異様な人物が登場し、莫大なお金を使って、自分の盗作エンブレムを公開したりしたら、宮崎進氏の関与すら書き始めます。それが、私にとっての、伝家の宝刀を抜いた瞬間なのです。謀略が起きる時こそ、『待っていました』なのですよ。

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副題5、『自然の理として、作用・反作用の、力が働く。

 そして、今般のトイレの壁へのいたずら書きも、上手に使えるのでした。それが、何に使えるかというと、豊洲の汚染度、に、関する化学的真実を更に書き進め、書きぬく話となって行きます。ベンゼンが豊洲で、発見をされたという事は、もっと、毒性が強い物質であるトルエンも、そこに存在するという事なのです。で、豊洲の問題は、冒頭にあげたセシウムとストロンチウムの章で、さらに、詳述しますので、ここでは、トイレの問題に再度取り組み、そこから、銀座の画廊群へ入って行きます。

 これが、ですね。銀座(京橋を含む言い方で言っている)画廊と、関係があります。或る画廊・・・・・今のところ、2つほどですが、・・・・・が、

 トイレに鍵をかけています。そこは、例の鎌倉エージェントからの指図で、それをやっていると、思います。その人たちは、自分が、そちらのいう事を聞いた方が有利だと、思って居る人物から、そうする様に頼まれているか、警察から、そうする様に頼まれているのだと、思います。

 画廊るたんの、中島三枝子さんの、個人名を具体的に、出す前に、5年間ぐらい、さんざんに、彼女から、いじめられていましたが、今は、るたんに行かなくなったので、代わりに、こちらの二つの画廊からいじめられているというところです。(苦笑)

 ただ、実名をさっと出す前に、もう少し余裕をみたいと、思って、本日(=10日の木曜日)は、一応訪問をしてみたのですよ。本当は「誰から頼まれて、かつ、どういう意図で、そういうことをやっているのか?」と、質問をしたくてね。ただし、7時前でしたが、すでに、閉店状態でした。ので、会えませんでした。もう一軒は、更に遅くなったので同じ質問をする為の、訪問は、していません。

 その画廊の、オーナーやスタッフは、私を終わった人だと、見ていて、本当にバカに仕切っています。しかし、私の方から言わせれば、それらの画廊の人々は、恐ろしい殺人事件を起こす連中と、与しているのです。恐ろしい殺人事件とは、報道をされて居る人物が、犯人ではなくて、全部、警察の特殊部隊がやったものであり、鎌倉エージェントの酒井忠康氏とか、エンブレム騒動で、突然に、有名になったが、多額の損失を東京都の財政に与えたまま逃げのびている佐野研二郎とか、と、連動している殺人事件です。周南事件とか、山田浩二の、寝屋川事件とかいろいろあります。

 お上品にふるまっているけれど、偽物(=謀略としての=)殺人事件のお仲間と言うわけです。そちらも私を小ばかにしているみたいですが、こっちも、『おお、天に照らし合わせて、恐ろしい事をやって居る人達だ。何も、知らないのですね。毎日、私のブログを読んでいたら、判るでしょうが、読んでいないのでしょう』と、思っております。

  もちろんですが、トイレが、スタッフさんが、座っている、事務室の、さらに、奥に、在る画廊だと、個展を、現在やっている画家以外は、お借りしにくいものです。私は、2010年4月(井上ひさしが、自分を死んだことにした週)までは、毎週、銀座、8丁目の、地下二階の深さに存在する、exibit Live and Moris という画廊を訪問をしておりました。そこは、階段を、普通の地下一階よりもさらに多く、降りないと、行かれない画廊なので、ある意味で不便ですが、ニューヨークの、元倉庫を利用した画廊風に、天井が高いので、現代アートを展示するのに向いている画廊でした。100坪(300平米)ほどの、広さの有る地下室で、画廊二つと、オーナーの書斎もありました。そのもっとも奥に、トイレがあるのを、やっと、二回目の、そこでの、個展を開催中に知ったほどです。こういう画廊では、トイレを借りたいなどとは、言い出しませんよ。あくまでも、共同トイレの場合です。画廊以外にも数軒の、利用するテナントがあるビルのトイレが、閉鎖されているケースを問題にしています。

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副題3、『ただし、宮崎進さんに、鎌倉市から大金が渡っている可能性はない。氏が生まれた周南市からは、美術館を作る程度の、お金は、流入していると、判断するが、それでも、島田章三さんに、横須賀市から渡ったお金程の多額のモノではない筈だ。

 島田章三さんのケースは、後ろに、実妹、大沼嘉津江さんと、杉本正子さんとの友情が隠れている。杉本正子さんの夫である、杉本某氏は、1974年、当時、横須賀市の土木課長だった。その後、吏員としては、頂点に上り詰め、副市長をやっている。高い給料、名誉、それから、宮大工が建てた立派な家、それから、他人が杉本家以外の、その人固有の家を作ることがない、実質的に、自分の庭である広い敷地等々、ものすごい、ご褒美を得ている人物だけれど、その源泉は、益山重夫氏が、地籍変更届と言うのを利用して、横須賀市の、水道山を私有化することを看過したからです。

 そして、この章で、初めて語る事ですが、杉本氏は、何も反省していないでしょう。というのも、この事案は、京浜急行(益山市の開発のために、そこまでの、道路を作るというインフラ整備をしてあげている)や、国土交通省(建設省時代の、名残でしょうが、道路公団って、ここの支配下にあるのですよね)も絡んでいるからです。だから、正々堂々としていいのだと、思い込んでいるみたいです。

  というのも、横浜横須賀道路の終点って、まさしく、この当該の地である、北久里浜の近所なのですよ。瀬島龍三は、自分がただで獲得した、横須賀市の元水道山の価格が、さらに高くなる様に、政治を動かしているのです。「ふむ、ふむ、ああ、のんきだね」と、言っておくしかないのですが・・・・・
 これから先は、次の日でも、書きましょう。特に宮崎進氏が、瀬島龍三と、知り合いだと、言う可能性について語らないといけませんので。

 なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3934405です。加筆推敲を終え、リンク先も示したら、書いた日付と署名を入れます。

 今、12日の夜10時半ですが、今夜は、他のことが忙しくて、このブログの仕事ができません。恐れ入ります。約束をしていたのに果たせなくて、済みません。

  

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