銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

確定申告の準備と、歌舞伎があって、済みません。いつもと調子が違いますが・・・・・

2017-03-08 21:23:53 | 政治

 

 歌舞伎の予約券が、「満席です。ここだけ空いています」というお達しのお陰で、今週に二つ行くことになって居て、それと、同時に、確定申告の準備が、大変で、ちょっと、普段の調子が出ません。普段のものは、あれなりに、非常に深い連続的な集中があるので、ああいう風に、書けるのですが、今は、相当に時間がない状態で、それは、お許しをいただきたくて・・・・・

 確定申告の方ですが、いったん、準備したものが、どうしてか見当たらないのですよね。ピンク色のプラスチックのバインダーに、各部門を、入れ込めるという形で、記帳しているのに、そのバインダーそのものが見当たらない。それで、領収書段階から、全部手書きでやり直しているので、それが大変です。交通費と、IT関連の通信費だけは、鎌倉駅とか、新橋駅とか、項目として、同じ名前のものが繰り返されるので、パソコンで、記帳することとしていますが、それ以外の分野で、手書きで、まとめたものがなくなっていたのです。

 主人が入院したのが、12月の初めで、ちょうどそのころ、確定申告の準備中だったので、見事に狙われたかな? 絵が二枚盗まれただけではなくて、長時間、家に、いない日は、やりたい放題をされますね。それを乗り切って、乗り切って、こういうブログを書いて居ます。

 その頃は、留守をしょっちゅうしましたので、怪しい輩がまた、侵入したかなと、思ったりしましたが、確定申告の方は、将来の貸画廊をやらせてやらないぞと言う脅かしとは、少し事情が異なっていて、時間を掛ければ、80%は、再現ができるので、騒がないで、通り過ごしました。

~~~~~~~~~~~~~~

 ところで、今月の歌舞伎座、最後の演目は助六です。

 歌舞伎座のプログラムは、本当に工夫が無くて、つまらない感じで編集されていますが、最終段階に、資料として、同じ演目の過去の公演の、記録が載っているのです。主に配役を一行だけですが、それが、なかなかに、面白いのですね。特に私にとっては面白いのです。

 カンパニーの存在が判るのです。座組と言うのかな?

 だいたいの、座組であって、それほどに、厳密なものでも、ないのですが・・・・・その、たった、一行の中に詰まっている、ドラマを推察して行くのです。それで、1300円、高いか安いか? (苦笑)

 役者の出世なども、読み取ることができるのです。『ああ、この役者は、この年度で、初めて、揚巻(もっとも、人気のある傾城)をやったのだ。そうか。なるほど』と、思ったり、その同じ女形が、それ以前に、二番目の重要な傾城役(白玉)を、やったのが、いつだったかなどと、推察して行きます。

 玉三郎は、非常に若い時期(昭和50年で、30歳になりたてぐらい)に、孝夫と名乗っていた現在の、仁左衛門を相手に歌舞伎座で、揚巻を演じています。その8年前、まだ、20代の初めに白玉を演じています。二回、白玉を演じて居ますが、その時の揚巻は、当時の人気者・扇雀(現在は、坂田藤十郎)と、一年半後の舞台では、揚巻は、菊五郎です。現在の菊之助に、似た美しさだったらしいです。

 揚巻は、立女形という立場の、トップに位置する、女形が、演じるのですが、丁寧に数えると、歌右衛門が12回、梅幸が、11回、雀右衛門(ただし、先代=四世)が、11回、玉三郎が、9回です。ふむ、ふむ。

~~~~~~~~~~~~~~

 私が、昔、【助六・・・・ゆかりのえどざくら(由縁江戸桜)】を、見せてもらったのが、いつだったかを確認をしました。

 昭和24年一月、新橋演舞場での、9世海老蔵が、助六だった公演だっただろうと、思い当たります。妹が、その年の9月に生まれていますので、それ以降は、母は、歌舞伎見物には、付き合えなくなったので、私が両親に歌舞伎を見に、連れて行ってもらったのも、その年の八月まで、です。でも、一階で、五歳の段階で、4時間ぐらい、むずからずに、見ていたのですよね。来月、亀三郎の、襲名と同時に、寺島しのぶのお子さんが、デビューするのですが、舞台上で芝居を演じる、お子さんは、テレビで、裏側をよく見る海老蔵のお子さんとか、菊之助のお子さんとか、かずかず、話題になって居ますが、一階のフロアーで、五歳ぐらいで、歌舞伎見物をしている幼児は、最近では、見たことが無いので、私がどれほどに、両親に、いろいろ、与えてもらっていたかを、また、まざまざと、思い出します。それにどれほどに、私がいい子だったかも、思い当たります。

 小学校では、「あなたは、圧倒的にお勉強ができた。使っている語彙さえ違っていた。だから、先生に、いじめられていた」などと、友達が、言ってくれるのですが、いわゆる、ドリル学習ではないのですよね。だから、お家で、お勉強なんか、した記憶がないのです。常に、いろいろなところへ、連れて行ってくれたという思い出があります。それと家に泊まるお客が多かったですね。そして、お客と夜遅くまで、両親が会話を交わしていたのを、よく聞いていたと、思います。テレビのない時代の、一人っ子だったからです。

 ただ、私自身は、そういうことを、自分の、子供に対しては、やっておりません。主人は、子供をかわいがりますが、歌舞伎等には、興味がない人だし、夜遅くまで、東京の繁華街に居るのは、好きではない人なのです。釣りに連れて行ったりします。

 それにね。ご近所様と、子供の遊びという意味では、ある程度以上にべったりだったので、突出した、環境を与える事に迷いがあったのです。これが、東横線沿線だったりすると、違うのでしょうが、京急北久里浜に、住んでいるご家庭で、子供を東京へ、しょっちゅう連れて行く人は、いなかったので。・・・・・浮き上がるという事を、恐れたのでした。自分が、学校のお成績と言う意味では、突出した子供だったことも、ある意味で、良し悪しだったと、思って居るので。子供を、充分に遊ばせることを最優先にしました。で、子育ての問題から、歌舞伎見物に戻ります。特に子供時代のそれへ。

~~~~~~~~~~~~~

 記憶によると、8mぐらい向こう側で、九世・海老蔵が、傘を使った見えをして、それを、子供心に、美しいと、思いました。そして揚巻が、梅幸です。私は歌右衛門は一切記憶がないのです。梅幸は、ふとって居る人という記憶があります。三世時蔵は背が高い女(?)の人だと、言う記憶があります。

 九世海老蔵は、今の海老蔵に比べると、素顔は、美形ではないと思いますが、化粧をした顔は、本当にきれいだと、子供心にも思いました。

  このころ、父は、尾上九朗右衛門について、よく話をしていました。「名優・六代目菊五郎の息子で、インテリで、研究熱心だけど、役者としては、上手ではないんだ」と。それは、五、六歳の子供にも、悲劇的な事だと、理解ができました。

 その公演で九朗右衛門が演じたのは、福山かつぎと言う江戸時代の、うどんやです。元気な若者で、今般では、巳之助が、やっています。

 巳之助のお父さんは、三津五郎ですね。その三津五郎は、歌舞伎役者としては、非常に評判がいいのです。人柄もよくて演技も上手だったそうです。しかし、早世をしました。で、巳之助は、周辺から盛り立ててもらっているみたいです。がんばってくださいませ。

 私は三津五郎は、東劇で、映画となって居る、喜撰(五世時蔵が相手役)とぼうしばり(十八世・勘三郎が相手役)しか、見ていないのです。歌舞伎役者であることは労働的に、激務なのですね。だけど、ある意味で、近藤サトさんが、病の種をまいたのかもしれません。お気の毒に。

 この章ですが、この章でも、政治を絡めて書く事ができるのです。が、今日は、やめておきましょう。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3930369です。

では、  2017年3月8日、   雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする