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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ポーラ美術館と、赤い大壺(岸田淳平作)………プラス大室山△

2013-05-18 22:29:09 | 政治
&1)………16日と17日には家族旅行をしたのですが、傑作は、大室山でした。これは伊豆半島にある小さな火山なのですが、見事な噴火口と外輪山(?)を持つ山です.


低い丈の草で覆われているために、360度の眺望がきく山で、60才過ぎの幸福そうな男女が、さんさん五々というか、ポツポツという感じで、歩いていました。そこには絵に描いた様な平和がありました。


&2)………それを見る前に、箱根の彫刻の森美術館と、ポーラ美術館にも行きました。

 私は三年ぐらい前までは、美術館より画廊へ行く方を好む、と明言をしていました。その理由は、画廊の方が目新しい作品が多くて、最先端の物が見られるからです。写真が、角度がおかしいのですが、今は、お待ち下さいませ。
しかし、今回の旅行は、自分一人では無いので、自分が専門家であるなどという主張を抑えて、他のメンバーの希望に付き合うつもりでした。

そう言う心構えが幸いをしたのか、二つの美術館とも、大いに楽しむことができました。

&3)………とくにポーラ美術館が、コレクター鈴木氏を前面に打ち出すと言うコンセプトで、展示をして居たことは、好感を持ちました。それで、感情移入をする事が、特別に増したと感じています。
美術の教科書に載っている様な作品が、20点は、見つかりました。

私は無論のこと、ポーラの化粧品は買ったことはないのです。
70歳になる今まで、化粧水も、乳液も、五本ぐらいしか、消費していないでしょう。そう言う私が、鈴木氏を語る資格はないのですが、もし、我が家のご近所の玄関に置いてある紅い大壺をお買いになったら、それは、美術館のロビーで、さん然と輝いただろうにと思ったことでした。いや、作品ですから、美術館の展示室に置くべきですが、そちらに置くと、他の作品を威圧すると思われるので、あの美術館の、広いロビーがふさわしいのです。
 鈴木氏の目的が、解説文から読み取れるところでは、女性の美しさの涵養のために、蒐集するということだったので、その大壺は、相応しいでしょう。それは、若き日の京マチ子とか、高峰秀子を髣髴とさせる強さと、絢爛豪華な雰囲気があるのですから。

&4)………それは、一応、傘立てとして使われているのですが、今回、私自身が、傘たて用のつぼを探し歩いて見て、あれほどの名品は、何処にも無いなと、気がついたのです。いえね。たった一間ですが、リフォームがほぼ完成に近づき、相当に落ち着いた画廊風・読書室(16畳)ができました。
 画廊にしたかったのですが、とても、それだけの体力がないと、まわりから言われて、画廊にするのをあきらめて、家具を入れ込み、読書室にしています。



 それへの、導入口になる二つ目の玄関なので、傘立ても奮発するつもりだったのです。だが、大塚家具センターでも、『窯元が、同じでしょうね』と、思われる、一種類のマチエールの壺しか置いていないのでした、ただ、口が、四角か、まるか、または、文様の異なるという差別があるだけの、ものしか置いていなくて、・・・・・名品は見つからないのでした。むろんのこと、その紅い大壺など、もし、お値段をつけるとしたら、100万円単位のものでしょうから、素晴らしいのですけれどね。

最近で、『見事な壺がおいてありますね』と思ったのは、金沢の日航ホテルと、大阪の阪急ホテルです。特に後者のツボはニメートル近い堂々たる大きさです。両方とも色絵の絢爛豪華なツボですが、ユニークさと、美的レベルの高さに於いて、ご近所の玄関前においてある無地の、当主、岸田淳平作のものの方を、上に置く私です。
その3つの壺は、同じ技法で、制作を、されているわけではないのです。違う技法であって、同じ土俵で語るべきものでもないが、鈴木さんが、この実物をご覧になったら、絶対に惚れたであろうと感じるのです。香水瓶も収集なさっているので、あの華麗な、紅い壺は、絶対にお気にいるだろうと、思うのです。
 というのも、そのツボは、東洋風でもないし、かと言ってヨーロッパ風でもないのです。かと言って現代アート風一辺倒というわけでもないのでした。岡本太郎ほど、形に冒険があるわけでもない。わび、さびとか、枯淡の境地などとも、無縁です。

 ご本人に、それを手放すつもりが無いものほど、純粋に、傑作になり得ると、考える私なのでした。
ここで、手放すつもりが無いと言っているのは婉曲な表現であって、そのツボは、売る目的では、制作されなかったと、私はいっているのです。そのつぼは家族のために作られたものだから、個展に出されたことがないと、想像をするのです。もし出品をされていたとしても、その頃の鈴木氏は、ルノワールなどの、すでに、評価の定まった、しかも、抜群に高いものを収集されている時代だったかもしれないからです。と、なると出会いがなかったわけですね。

 でも、売るためではない作品の中に傑作が生まれるというのは、音楽家では、シューベルトなどが、特にピアノ曲の作曲時には、そうだったと思い、私は、それを、最高の場所に置く人間です。
 では、本日は短いままで、

 なお、このブログの、2010年度より、数え始めた、延べ訪問回数は、1636043です。
2013年5月18日  雨宮舜 (川崎 千恵子)
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