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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

加藤登紀子さんが、再ブレイクをしていますが・・・・・瓜南直子さんは、2012年の今頃、亡くなったが

2013-05-06 04:12:51 | 政治
 前報を推敲しないといけないのですが、時間がないので、先へ進みます。そして、本日もツィッター方式で、書き、順次内容が進むにつれてタイトルを変えていきたいと存じます。
 さて、今は、7日の午前〇時ですが、今から、推敲と、加筆を始めます。その推敲の最先端は、@@@@罫線で示します。

副題1、『テレビの歌謡番組がつまらないねと主人が言うが』
副題2、『加藤登紀子さんが、再ブレイクをしているが』
副題3、『今、喫茶店<映画館>の跡地に新ビルが建っているが』
副題4、『瓜南直子さんが、映画のプログラムについて、文章を書いていたが、このバーの資料を利用したはずである』
副題5、『安部総理大臣が、トルコに、原発を売り込んだが』

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 今、テレビそのものがつまらなくなっています。私がフェイスブックをやっていたころ、テレビは見ないという人が多かった模様です。実は、私は30年ぐらい前からテレビはできるだけ見ないようにしていました。
 が、家族が見るのは制限していません。公立の中高を選んだ子供たちに、テレビ視聴を制限したりしたら、学校で、いじめられるような子供になってしまいますし。
 で、居間に一台しかテレビは置いていないので、それ相応の時期に応じて、テレビはちらちらとは、見ています。

 が、1998年の末から、2002年まで、主にアトリエを中心の生活をしていましたので、(海外へ行くために、逗子で、一人暮らしを、三年弱は、していて、引き続いて、アトリエはなお、二年はキープしていたので、両方を行き来していて、非常に忙しかった)テレビはほとんど見ていません。

 ただ、全くテレビを見ず、世間から隔絶をされた生活もまた、素敵なものですよ。その修業時代があるからこそ、これほど、堂々とブログを書けるのです。
 まず、テクニック的に、どのくらいの時間で、一つの文章がまとまるかを、訓練して熟知していますので、予定が立てられて、楽です。・・・・・最初は、3000字程度で、まとめていました。プリントアウトをすると、原稿用紙換算で、7枚、A4の紙で、3枚反程度になるような字数で、書いていたのです。その後、グーブログを始めて、しかも、政治に触れるようになると、結局は、一回で、2万字まで、達するようになってしまっています。

 その次にテレビを見ない生活とは何かといえば、独り暮らしの時に、電話で、長話をしています。女友達とですが、自宅ではできない長話をしています。4時間も連続して話したことがあります。それで、相当に深い話をしています。私自身、考える人間ですが、ほとんどの女性も、よくものを考えていますよ。そして、ものを考えるというほど、大きな快楽も無いのです。テレビ視聴、それから、映画を見るとか、芝居を見るとか、オペラを鑑賞するとか言うのも快楽ですが、
 ものを考える・・・・・そして、その考えた結果を、友達と話し合うという快楽も最上の快楽なのです。

 で、今大流行のフェイスブックとか、ラインとか、ツィッターというのも、それが、考えたことを発表できる手段であって、しかも反応が瞬時に返ってくるという機能があるので、大きな快楽を脳に与えるので、大流行なのだと思います。

 だが、私自身は、今のところ、それを、始めるつもりがないのです。アカウントは持っています。それから、フェイスブックは今のところ遮断をされていますが、パスポートの頁をコピーして送れば再開できると、相手は言っています。が、それを再開すると、大忙しになるので、英語の部分の情報は、得たいとは思うものの、あの忙しさを思うと、再開しない方がいいと判断をしています。1日に、10時間以上をその対応に取られていました。友達が、905人もいると、それ相応の時間を取られます。しかも、すべて、頭の良い、ものを書ける友達だったので、相手のものを読むだけで、相当な時間を取られてしまって、しかも、自分の立ち位置を保持しようとすると、自分もフェイスブック用の文章を書かねばならず、それで、抜群の時間を取られるのでした。
 遮断をされているのも神様の思し召しであって、ブログに集中できるようになっていると楽観的に考えていますよ。
 
 で、テレビは面白くないものとなっています。今雑誌の衰退が言われていますが、テレビも新聞も衰退していくでしょう。

 それもあるのか、それとも、別の原因があるのか、今、テレビの歌謡番組がつまらなくなっていて、古い歌手ばかりが出ています。で、往年の大歌手の再ブレイクがこと沙汰されるばかりです。由紀さおりさんを筆頭としてね。

 彼女の再ブレイクは自然なものであり、好ましく思いますが、・・・・・ただ、由紀さおりさんにも大衆には、隠されている私生活の秘密の部分はあって、ことは意外と複雑ですが、それには今は触れません。表向きのことだけで、寿(ことほ)いでおきましょう。
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副題2、『加藤登紀子さんが、再ブレイクをしているが』

 一方で、加藤登紀子さんの再ブレイクは、あまり好ましくない遠因で、起きています。特に、大阪城ホールで、行われる、NHKの歌謡番組で、お嬢さんさえ出てきたときがあって、加藤登紀子さんの再ブレイクが、意図して仕組まれたものであることに気が付きました。
 それは、私のブログが関係があります。

 そのころ、相当に突っ込んだ形で、柳沢昇の失敗に触れています。それで、それを書き止めさせるために、かれを、レベルアップさせる措置がいろいろ、とられたのですが、その一環として、マスコミ利用があって、加藤登紀子さんの再ブレイクも謀られたでしょう。加藤さんがそれを、知っておられるかどうかは、私は知りませんが、見ていて、そのことを感じ取り、したがって、

 三段論法として、柳沢昇が大学中退であろうと、推察したのです。

 柳沢昇を、レベルアップさせる作戦は、四つありました。ひとつ目は以前書いた、ゴルフの会員権をハガキで刷って、それを、我が家のポストへ誤配達させるという形で、そちらがお金持ちであることを、強調する作戦です。
 しかし、申し訳ないが、それは、私の文章で、私が東京へ外出する際に、一日に四千円しかおろして行かないと書いた部分を、特に取り上げて、貧乏だと誤解した連中が仕組んだことであり、
 すぐ、事態を見破って、内心で大笑いをしていたものです。まず、ゴルフの会員権を、はがきで送ってくるようなゴルフ場があるわけもなく、また、柳沢昇が、自分たち夫婦の収入だけで、大金持ちになれるはずもないのです。
 
 他人が建てた(=自分たちの好みや意思が反映していない家で、かつ)築五〇年を超える、小さな木造住宅に住んでいて、増築もしていないですし。
 ただ、作業場とか、作業だなとか、築窯はしていますが・・・・・したがって、ミツバの生える余地もない模様ですが・・・・・

 彼を持ち上げる二番目の作戦が、鎌倉春秋窯のホーム頁の創設です。一回目と、二回目があって、両方ともしかるべきITデザイナーに依頼したと思われしたがって、相当に、お金がかかっていそうですね。そこに主宰者名として、柳沢昇が、堂々と、載っています。一回目にはなかった、石川和子の築窯によるという項目が二回目には載りました。また、鎌倉地方の観光案内用のグーグル検索でも出てきますので、そこがいかにも権威がありそうに見えます。

 私の経験から言わせれば、めちゃくちゃな夫婦だということになりますが、このようにして、権威づけて、私のブログの方が、単に悪口を言っているように見せる手段の一つです。アジサイ畑欺もう事件もそうですが、彼らは、嘘の付き方が非常に上手です。それで、その嘘ですが、それを法律用語で、語ると欺もうとなるのです。もうは、変換機能が効かず、いつもは手書きパッドで手書きして変換するのですが、本日はIMEパッドも開かないので、口で説明をしますと、金網の網という字の作りの部分を、使います。

 さて、第三番目と、第四番目が、有機野菜のことであって、それは、加藤登紀子さんのご主人が始めた組織が関係があり、したがって、加藤登紀子さんの再ブレイクが、柳沢昇の地位上昇につながるわけです。・・・・・その様に彼らは考えて、加藤登紀子さんを再ブレイクしました。
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副題3、『今、喫茶店<映画館>の跡地に新ビルが建っているが』

 この山に住んでいて、ご本人からか、または、間接的な情報だったかは今では忘れていますが、たぶんご本人からだったでしょう。柳沢昇が、有機野菜の販売(配達)人をしていて、それを取っている石川和子さんと、いわゆるちょめちょめをして、結婚をしたといわれています。

 だけど、私に言わせると、石川和子さんの話というのは、突拍子もない話ばかりです。
 で、そこが、お茶大の付属高校の文化と、彼女の卒業した高校の文化の違いなのでしょうが、彼女みたいな発言は、お茶代の付属高校だったら、誰も、しないだろうなというような発言ばかりです。馬鹿じゃあないの、この人って、誰からも疑われてしまうような発言ばかりなのです。

 それで、あの二人は無教養だと、断言するようになったのですが・・・・・
 
 彼女の発言に最初に仰天したのが、1986年の「国立大学付属高校ご入学おめでとうございます」という私にわざと聞かせるように発せられた安野家の玄関前での発言です。
 私は安野夫妻に大迷惑をかけられていて、その被害が総額五億に達していると思うので、あえてはっきりとそれを言いますが、安野家の当該の坊ちゃんって、おいちにおいちにの安野君と呼ばれていて、通信簿が、1と、2で、埋まっているということで、有名なお子さんだったのです。

 そういうお子さんが、筑波大付属高校とか、学芸大学付属高校に進学できるはずがないので、その発言にまず、驚嘆したのですが・・・・・

 その次に驚嘆をしたのは、「あなたはどうして、伊藤玄二郎さんと知り合ったの?」という私の質問に、答えて、「パーティコンパニオンをしていた時に知り合ったの」と、彼女が言ったときです。

 その質問を私がどうして出したかというと、彼女に自制(または、反省)を促すためでした。すでに、猫のことで大迷惑をかけられ続けていて、主人や息子が、「猫をかまわないでください。お宅には入れ込まないようにしてください」と言っている時期でした。
 で、我が家では男どもが、「猫を外に出すのはよそう。フェンスを作って外へは、自由に出られないようにしよう」と言い出していましたが、私は4歳のころから猫が家にいて、60年以上の猫の愛好者であって、主人や息子よりも猫経験が長いので、猫とは、自由気ままにさせるべきであるという信念があって、石川和子夫妻には大迷惑を被っていても、自分が我慢をすれば済むことだと思って自由に出していたのです。
 それは、彼女たちの威力に屈しているからそうしていたわけではないのですよ。ただ、ただ、猫が可愛いから自由にさせていたのですが、それが、わからない模様だし、まず、一般的なルールも知らない人間たちなので、猫を迎えに生かさせられる上に、その際、毎回待たされるので、
 一応の自省を促したくて、上の質問を出したのです。

 というのも、彼女は看板として、鎌倉春秋窯と出しています。それは、伊藤玄二郎の経営する鎌倉春秋社からとったことは確かであり、下手な行動をとれば、伊藤玄二郎に迷惑をかけるでしょう。その点を、猛省を促すために上の質問をしたのです。

 その質問の前に、私は二人が愛人関係にあったことはすでに知っていました。彼女は喫茶店(=名前を映画館というもので、駅のホーム東京寄りから見える位置にあった)の中で、実際に、「自分は伊藤玄二郎の元愛人だったから、ひいきしてもらっていて、鎌倉市内の公民館ならどこでも使えるのよ」と豪語していたそうです。

 で、あまりにもあっけらかんと、水商売の場所で、愛人関係になったといったから、びっくり仰天ですそういう言い方は、たとえ事実でも隠すのが、お茶大付属高校のマナーでしょう。ものを言う前に、それが、結果としてどういう影響をどこへもたらすかを、熟慮して発言をするのが、私が保持している文化なので、びっくり仰天したのです。

 ただ、その猛省を促す質問を受けても、なにもピンとこないで、ただ、ただ、わがままを続けていて、その矛盾が、頂点に達して、とうとう、その質問をした一年後ぐらいに、石川和子さんが、自分たちが、悪いのに、警官を呼んで、私の猫に、自分たちの方が私より嫌われてしまったという恥を、そそぐために、「あそこの奥さんを旦那に叱ってもらうように旦那に頼んでください」と依頼した、大失敗を起こしました。
 で、私がブログで、それに、触れ始めたとたんに、喫茶店<映画館>を閉鎖するような措置がとられたのです。

 ここでも、伊藤玄二郎は大勢力を誇っていて、自分の身を守るためには他人の営業権などつぶして平気なのですよ。しかも、その土地は、2007年の12月27日の建った、一日のうちに三度も転売をされています。とても不明瞭な措置がとられています。が、今は、新ビルがそこへ建築中です。すでに、5年以上たっているので、そういうこととなるわけでした。しかし、単に営業を妨害するだけではなくて、それと、夫婦仲を裂くことも、もしかしたらやっています。

 というのも、喫茶店<映画館>のご夫妻は、事実婚であって、二人が共同して、喫茶店を経営していたのです。その喫茶店部門は、大船に移動をして営業を続けています。が、もしかするとご主人の方は鎌倉にバーを出すように勧められています。

 やはり、映画を売り物にしているお店で、映画のプログラムがたくさん置いてあるお店だそうです。それは、ご主人にとっては出世ですね。経営者としても収入としても。でも、二人は引っ越して行きました。彼ら夫妻の元の家は、知人のモチ家だったので、紹介されて、その見事な収納施設を見せてもらったことがあります。もっといい借家に仲良く引っ越して行ったのならいいのですが、もしかして、二人ともが忙しすぎることとなって、自然に、事実婚が解消されていたとしたら、伊藤玄二郎や、柳沢昇の罪は深いです。
 私は、気が強いがさっぱりした奥さんの方から、古い日本家屋の押し入れを利用して、工夫に次ぐ工夫を施された見事な収納システムを見せてもらっているので、二人の行く末を本当に心配しているのです。女性でも、大工仕事を全部自分がするのだそうです。

 その跡地ですが、今、新ビルが建設中です。鎌倉の住人なら、喫茶店<映画館>といえばお分かりになると思いますが、遠くの方で、時々、いらっしゃる向きには、料亭、吉亭(きってい)があった場所だと言えば、お分かりになるかなあ?
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副題4、『瓜南直子さんが、映画のプログラムについて、文章を書いていたが、このバーの資料を利用したはずである』

 ところで、私がフェイスブックに入っていたころ、瓜南直子さんという日本画家と知り合いました。一時期友達だったと思います。ところが、不思議なことに、彼女が、いつの間にか友達関係を切っていたのです。それで、気がついたのですが、『ああ、ここにも伊藤玄二郎の手が伸びているなあ』と。

 それで、銀座の画廊、柴田悦子画廊で、オーナーからぞんざいな措置をとられるのも納得がいったのでした。瓜南直子さんは、そこで、個展をしています。この間、リフォーム用の整理で、瓜南さんの個展の案内状が出てきましたし、それが、柴田悦子画廊だったので、ああそういうことですかと、納得がいったのでした。

 瓜南さんと私は過去には何の接触もないのですよ。ただ、彼女は美人であり、かつ芸大卒です。そのうえ、二つの家がある模様ですが、一軒は、我が家とは、指呼の距離にあります。直線距離にして、150mという近さです。こういう風に袖すりあうも多生の縁という中の人間を利用して、そちらを抜群なレベルで持ち上げ、そして、私の方は、放ったらかしにしておく、さらに、さげすみを、柴田悦子さんから、もらうという形で、悲しませる。

 そういう目的のために使われる人材の一人として彼女は選ばれたのでした。
 柴田悦子画廊で、ひどい処遇を受けたのも、五億円の被害のうちに入ります。もし、そこで展示をしている作家と楽しい話ができても、後で、「あの人とは付き合わないように」とオーナーから言われたとしたら、作家は柴田さんの方を信じるでしょう。で、それは、相当な損害となりますから。でも、そうやって銀座でいじめられれば、そこへ行かないようになり、したがって酒井忠康氏のやっている工作など、ずんずんと自由に書けるようになるから、天は、よく御計らいになっていると思いますし、
 したがって却って、自分の首を絞めることとなる、伊藤玄二郎の頭脳を幼稚だと、私が、言うこととなります。自然に任せていれば、落ち着くところに落ち着くものが、工作ばかりしているので、全く落ち着きません。そして終わりが来ないのです。被害者が続々生まれますが、
 伊藤玄二郎も反省をしない、彼の愛人だったことによって、金銭的にも名誉の上でも抜群の得をした石川和子さんは、礼儀知らずの暴君として、この山で君臨をすることとなっていました。
 
 そこから波及したいろいろがあります。
 覚園寺さんも、この件では、三人に、使役されなすっていますね。

 そして、何よりも気の毒なのは、瓜南さんが、それで消耗され切って、早死にしておしまいになったことです。私はそれを知らなかったが、彼女は去年の今頃(それは、2012年の初夏、五月だったが、)亡くなっています。
 入院をされていたか、それとも、痛みがないので、自宅で過ごされていたかは知らないものの、4月の時点で、自宅にいて、しかも、衰弱の極致にあって、一種の絶筆としてのツィッターを最後に、世間からは、身を潜めておられたのです。フェイスブックの方の投稿は最後は、いつだったのだろう。
 そして、フェイスブックは、携帯で、書けるので、もっと苦しい事情の報告があっただろうか?・・・・・

 彼女は、その目的を聞かされていたかどうかは知りませんが、映画のプログラムに関する文章と、アスファルトに関する文章をフェイスブックで上げていましたが、その二つは伊藤玄二郎に、教唆されて書いておられたでしょう。
 それも大消耗につながったと思います。自発的に書く文章、特に彼女が得意としていたお料理や、漬物に関する文章を書くのは容易だったでしょうが、こういう風に裏がある文章、そして、他人をいじめる目的のある文章を書くのは、それは、天意にも反するので、すさまじい消耗をもたらすはずですから。

 どうして、そういうことになったかというと、私は、2010年に発刊する予定で、「消された映画」という本を準備中でした。
 それには、映画「TOKYO」の部分があって、レオス・カラックス監督が、日本の国費を使って、恐ろしい反日映画を、作ったことを記載しています。レオス・カラックス監督は、デュポンの一族だそうで、そういう命令を上から受けて、逆らえず、2週間で、しかも北野武監督のために作られた芸大(横浜)を使って、作り上げています。

 原発を、売り込み、儲けが莫大な、核燃料を売り込んでいる、国際的軍産共同体は、勝手にそういうアイデアを出し手、かラックス監督を使役したくせに私が、裏側を見破っているとなると、その件は急に、秘密にしたくなったらしくて、その映画は、完全版はDVD化されておらず、2009年以来、二年間、ずっと、一切が秘密にされていましたが、今では、それでは、私の文章が正しいことになってしまうので、問題の部分がネグレクトされた縮刷版が、販売されています。

 その準備中の本<消された映画>の出版を阻止するために、瓜南さんは、使われたのでした。一方で、国家的な規模では、千葉景子・元・法務大臣が、持論に反して死刑執行をしました。そして、死刑場をも、公開しました。私は自分の準備中の本の中で、死刑執行の前の裁判の場面を、こんな光景はあり得ないと書いています。それは、東京裁判を連想させる法廷であって、日本の裁判所の実際とはずいぶん違っています。でも、文章を読み間違えた連中が、死刑場が、あり得ないと解釈したらしくて、死刑執行はそれ以来、彼らの重要なアイテムとなっていて、私をいじめるために、再々行われるようになりました。

 最近、谷垣法務大臣も行いましたが、そのころ、私の文章が、真実を語っていたので、それを書き止めさせたいと願っての措置です。ただ、私が彼らの嫌がらせに屈して、文章を書くのをやめるとか、出版をやめるのはありえないです。
 でも、2011年には、3.11も起きていますし、2012年には、フェイスブックも始めたので、忙しすぎて、本作りを中断しています。この2013年は、土地を自宅以外にも、新しく買うとか、家をリフォームするという生活レベルでの改善に追われていて、それもまた忙しくて、7冊目の本を作るのを、中断していますが、見本品(=試作品として、事務センターのプリンターで、表裏プリントアウトして、簡易な、製本もしてもらう形で、作り上げることは、引き続いてやっていて、すでに、3冊作り上げましたので、一生の目的として挙げていた一生で、10冊の本を作るという目的だけは達成できているといえます。

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 ここからが7日の午前〇時からの加筆部分に入ります。
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副題5、『安部総理大臣が、トルコに、原発を売り込んだが』

 上に原発のことがちらっと出てきています。その私に届いたニュース、安部総理大臣がトルコに、原発を売り込んだというものも、そりゃあ、彼らが関与しているでしょう。彼らといっても、鎌倉エージェントなのか、それとももっと上のクラスの、エージェントなのか、は、わかりませんが・・・・・

 たとえば、ライブドアーが紹介したブログの中で、朝日新聞が突然に、安部総理を、ほめたたえるスタンスに変わったと、論じている方があった模様です。で、それをコピペしてはありますが、まだ読んでいないので、そのブログの著者が、朝日新聞に批判的なのか、それとも安部総理に批判的なのかは、まるで、わかりませんが、それでも、
 トルコに原発を安部さんが売り込んだと聞けば、「は、ハーン、それが、事前に分かっていたから、朝日新聞は手のひらを返したのですね」となります。
 2012年の安部総理の組閣時に、テレビ朝日は、ニュースステーションを休み、安部総理大臣の組閣を一切報道しませんでした。それを思えば、雲泥の差です。(苦笑) 

 さて、それに関して、「お前はどうなんだ。とうとう、シャッポを脱ぐか?といわれるはずです。彼らから、または、読者から。

 ても、今は、その件については何も言いません。逃げていると思われてもいいから、今は何も言いません。天から、それについてのデテールまで出来上がっている様ないつもの、はきはきした文章が、まだ、下りてきていませんので。ただ、稲盛和夫氏だけがいい思いをしていた民主党政権時代より、より広範囲な、ビジネスマンを糾合されていますね。それは、よかった。より自然なことだからと、は、言っておきましょう。
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副題6、『瓜南さんについて、今、書きくわえたいこと』

 さて、安部総理大臣から、今章での焦点である、加藤登紀子さんや、瓜南直子さんへ戻りたいと思います。瓜南さんについては、2012年の10月中に三本のブログを書き、その消耗の激しさがどこから来たかを分析しています。特に、第二番目と、第三番目のものが哀悼に満ちているでしょう。

瓜南直子の死を10月17日に初めて知った私が、偶然にも、その前日に書いた宗教観△△
2012-10-15 20:48:20 | Weblog
瓜南直子さんの急死から、思い出される事、・・・その2、(この章は、覚園寺を主舞台として)△
2012-10-19 13:31:17 | Weblog
瓜南直子の急逝の3、・・・・この章は西部すすむさんが主役です。
2012-10-21 16:23:14 | Weblog

 読んでくださいとは申し上げませんが、一応タイトルは、置いておきます。

 ところで、この章で特に付け加えたいことは、相当に飲ませたのだろうなあということです。「瓜南さんにあれこれを、教唆して、言うことをきかせるためには、誘い出しては飲ませたのだろうなあ」と、推察をされることです。

 それはもともとお酒が好きで居酒屋へ行くのが好きだった瓜南さんを教唆し、動かすためには、好都合な嗜癖だったけれど、それで、肝機能を極端に落としたと思われます。それに、最後の段階で、引っ越しをしないといけないとあります。それと、経済的な不安についても述べておられます。その主因が、パートナーとの、離反だったら、それも伊藤玄二郎たちに原因があるような気がしています。

 フェイスブックの2011年12月までの投稿を見る限り、彼女は激しい勢いで、映画のプログラムのこと、および、全日本アスはが連について述べています。芸術家は、ただでさえ集中型であって、当たりの人を、振り払い、バリアーを築きがちな存在ですが、さらに、本業の日本画を描くこと以外に、集中して語らなければいけないことがあっては、パートナーがいぶかしく思うのも当然だからです。無論、この部分は見てきたようなウソを言いの類であって、確証は何もない部分ですが、何とはなくそういう風に推察されるところがあります。
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副題7、『瓜南さんの人生とは、もしかすると、私の人生だったのだ。で、経済的な側面だけでも、シュミレーションをしてみたい』

 瓜南さんの絶筆に、体がだるいということと、経済的な逼迫があると書いてあります。それで、他人の懐を探るという雰囲気にはなりますが、アーチストへ支援をしていただきたいということと、絵を画廊で買っていただきたいというところへ結論を持っていきますので、嫌がらないで、聞いてほしいのです。
 というのも瓜南さんの人生って、まさしく、もうひとつ、用意されていた私の人生と同じだからです。

 人は進路を、決める時に、自分自身の選択もあるが、親の指導というのもあります。または、支配と言っていいかな? 親が強権的だったか? それとも、自由放任だったかによって、その後の人生が大きく変わるのですが、子供が、どういう手段で、飯を食っていくのかを心配する親と、心配しない親がいると思うのです。

 瓜南さんの父親は軍人だったのですよね。だから、戦後、敗戦によって骨抜きになってしまって、子供に対して強圧的に出ることができなかったと思われます。で、芸大・進学・卒業となったわけですが、フェイスブックで仄聞するような生活を送るためには年間、500万円は必要です。特に家が自分のものでないとそうなります。
 しかし、結婚をして、しかも、家が自分のものだと、二人で、年間、600万円で暮らせます。二人だから二倍になるわけでもないのです。そこが結婚の不思議なところなのですが、それでも、10年以上、で、6000万円の売り上げがあるというのは、大変な目標数値なのです。マスコミで売り込んでもらっている画家は別として、普通の画家が、努力して達成できる数字でもないのです。そこらあたりが、ひどく難しいところなのですが、

 瓜南さんの場合、親が生存中は、親の資産、で、生活しておられたと思いますよ。それ以降の人生においての、収支決算となるわけですが、ご夫婦として、過ごしたのが、15年間として二人で、9000万円も絵を売らないと駄目だし、結婚とは言っても、芸術家同士なので、お一人で、収支決算を、しめたとすれば、お一人で、親元から離れてからでも、家がもし自分のものでないとすれば、7500万円を稼がないと駄目だったのです。
 平山郁夫とか、東山魁夷となると、一年で、そのくらいの画料を稼げるとも思いますが、普通の画家には、無理でしょう。と、なると、画家になるということは、非常に大変なことなのです。
 ほかの職業もそれなりに投下資本というのがかかるのですが、画家とは、一章投下資本がいる職業です。勉強にも制作にも、お金がかかる立場です。注文を受けて描くという形になるのが、ルネッサンスの有名な画家たちですが、日本の場合、イラストレーターとか、アニメーターを除いて、ほとんどは、自分で、独自に政策をしたものを買っていただくという形になると思うので、作品を作るための費用が先行投資としてかかるのです。

 生易しい仕事ではありません。
 そういう生活に対して、一種の横やりとして、伊藤玄二郎が、いろいろ、ちょっかいを出したとすれば、それは、罪深いことだと感じています。
 画家は個展とか、グループ展を相手側から提示されれば絶対に断りません。

 泉涌寺での、グループ展は、交通費、宿泊費、製作費と、もの入りだったことでしょう。それにま夏だった。また、そのグループ展のまっ最中に、東京に戻ってテレビ出演があったのです。その一年後に亡くなるほど、肝臓がすでに痛めつけられていた人にとって、どれほど、つらい日々だったか? 想像するだに余りあります。

 そして、それほど、ひっぱりまわされて、しかも、亡くなる二か月前に、引っ越しをしないといけないとか、経済的に不如意な、ところがあると、書かざるを得ないほど、何の保証も実りも与えられてはいないのです。

 逝去の8か月前に、金田佑子さんというファンとの間で、私を種にいろいろあったのですよね。瓜南さんが、豊島屋の源平巻きを送って、それを大喜びした金田佑子さんが、面白おかしく、袴をはがしてとか、何とか書いていましたが・・・・・

 金田佑子さんが、11月の連休を利用して、私とデートしましょうと言ってきた裏で、彼女は瓜南さんと、もっと仲良しで、瓜南さんを通じて、伊藤玄二郎たちに頼まれた工作を私に対してやるつもりだったのでしょう。
 断りましたよ。すると、「恋のうぐいすから」という売ってもいない日本酒を種に、さんざん二人からからかわれましたけれど・・・・・

 執事としての金田佑子さんが、かしづき切って、慕っていた直子さんは、命を落としたのです。「どうせ人間は死ぬものだ」と言っても、2012年の秋の、すさまじい量の直子さんの投稿を思えば、その死は、どういっても、どういいなおしても、「早すぎた」と思われます。

 彼女の急死の陰に、パートナーとの離反があったとしたらどうでしょう。芸術家は上で言ったように経済的には不安定な立場にあります。そのうえ利用するために、伊藤玄二郎が、鎌倉の居酒屋にたびたび、呼び出して、疑似恋愛の雰囲気さえ作り出して、言うことをきかせていたと仮定をすると、それは、当然の如く、パートナーさんには察せられ、『いやな雰囲気だなあ』と、感じ取られるのも道理なのです。だから、引っ越しをしないといけないと、ツィッターに書き、そして、そのことで、出費もあり、ストレスもあったと感じると、種々様々、お気の毒な最後の日々だったと、しのばれます。悪人は、甘言を弄しますが、絶対に、近寄ってはいけないのです。
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 このあと加筆はさらに続きますが、いったん、就寝させてくださいませ。
なお、まだ、完成していませんが、それでも、例の習慣づいている、数字をあ下させてくださいませ。このブログの2010年より数え始めた、延べ訪問回数は、1618630です。
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