銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

フェデリコ・フェリーニ監督の手の内、心の内、映画『甘い生活』から考えること

2012-03-13 11:58:07 | Weblog
映画好きの方にお断りをします。これは、まだ見ていない方にお勧めするための、文章ではないと言うことです。
 映画『甘い生活」を、きっかけに、人間とか、人間の生活を考える文章です。ところで、現在14日の20時ですが、部分的に書き直したら、書き足しています。どこがというと、スタイーナー氏という知的な上流階級が、子連れ無理心中を図るところです。

副題1、『なぜ、映画***甘い生活***を見たか』
副題2、『イタリアの新興住宅地の光景に打たれる。
      樹木が一本もない荒涼たる大地の中に立つ、
      階級別にランクの差のあるマンションや、集合住宅』
副題3、『俳優陣に、輝きと、リアリティがある』
副題4、『知的階級の実存的不安。と、子連れ無理心中』
副題5、『フェリーニ監督の手の内、心の内を推察する』

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副題1、『なぜ、映画***甘い生活***を見たか』

 私はカンヌ映画祭で、グランプリをとった(だから名画であろう)『甘い生活』を見ることを、わざと避けてきました。1960年の制作です。そのころは、高校生です。受験勉強中の少女(?)が、見たい映画ではない。『ローマの上流階級の退廃を描いている』そうですから、17、8の未来を信じる超がつくほどまじめな(笑)少女が、見るべき映画ではないと感じていました。

 ただ、今、NHKのBSプレミアムがアカデミー賞関連番組を編成していて、その一環として放映をされたものを録画しておいたのですが、無論まともに見る気はなかったのです。時間がないと思っていました。でも、年が年ですから、今見ないと、二度と見る機会はないであろう。名画というものの片鱗には触れておこうと思ってね。
 でもね、最初の動機は不順です。急に暇になったからです。

 なぜ、急に暇になったかというと、突然に、フェイスブックを、切られてしまったからです。海外に住む方から、「急に、開けないけれど、どうしたの?」と、電話で、お問い合わせをいただいて、自分でも訪問ができないが、他人も読めないことになっているのを知りました。過去に投稿した、コンテンツが大切ですが、それは、もう誰にも読めないということです。で、その件に関して延々と、長文を今朝の早朝書いたのですが、それを完成する前に、映画は映画で、独立した一文とさせようと考え始めています。

 でもね、上の、7行をどうしてここに入れたかというと、単に時間があまったから『甘い生活』を受け入れられたというよりも、・・・・・今、抱えている問題から、自然に受領した、哲学的な境地というものが、付与してこそ、この映画が、より良くわかった・・・・・と感じるので、その上の政治的な弾圧の部分もコミの、映画感想ではありますが、ここでは、最初にお断りしたとおり、独立をさせます。
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副題2、『イタリアの新興住宅地の光景に打たれる。
      樹木が一本もない荒涼たる大地の中に立つ、
      階級別にランクの差のあるマンションや、集合住宅』

 この映画は、その映像美がすばらしいと誰もが言っています。私もそれには賛成しますが、大方が言っている、貴族の館内の描写や、大金持ちの近代的なインテリアの情景、又、トレビの泉ほかのローマの旧市街の、各種の観光名所の描写が、美しいというよりも、まず、マンション群の映し出される映像に、圧倒をされたのです。
 イタリアの特にローマが、どれほどの戦災に出遭ったかを、私は、知りません。中心部の歴史的な建造物はすべて残っているので、ローマのあの大マンション群が、建って居るところは、地域開発をされた地域なのでしょうか?

 良くわかりませんが、ともかく、樹木一本無い荒れた大地に、ぽかっと集合住宅が建っているのです。棟と棟の間隔は広いです。そこが、人口密度の高すぎる日本とは違います。が、最初に登場するそれがすばらしい。汚さと貧しさの象徴として見事です。
 つまり、中心部で、ヒッチハイカーとして偶然拾った娼婦の家を主人公のマルチェロ・マストロヤンニと、車の持ち主の、アヌーク・エーメが訪問をする場面です。
 これはね。イタリア人の陽気な気質とカソリックを信じる気風から生まれた、処世術だと思うのですが、都会の中で、車を手で合図して、停めて、乗せてもらう風習があるみたいなのです。特に車の数が少ない時代ですから(1950年代の風習を描いている)立派なオープンカーなどに乗っていると頼まれやすいみたいです。物乞いの発想でもあるが、それこそ、シェアの発想でもあります。又、バスなどが無い深夜ですと、これは、お願いしてもいいことなのかもしれません。特に神の元では平等であるイタリアではね。
 で、お礼はコーフィーいっぱいを御馳走してもらうぐらいです。そのコーフィーを入れてもらっている間に、主人公の二人はむらむらと来てしまい。それを察した家主は、ことが終わるまで・・・・・そして、終わった後で、寝入ってしまった二人が起きる朝まで、外の彼女のオープンカーの傍で待っているのです。
 そこへ、親戚だか、ご近所様の男性がやってきて、「お金をもらえ」とそそのかします。つまりラブホテル代わりに使われたからです。が、それを口に出すことも無い間に、アヌーク・エーメがお小遣いを娼婦にそっと渡します。

 その舞台となったマンションですが、後で出てくるスタイナー氏のものとはずいぶん違います。地下室があり、そこに彼女は住んでいます。上階よりも間取りが小さく(1DK・・・・ただし、最近の日本のワンルームマンションの2倍の広さはある)ですが、配管がズサンなので、床は常に水浸しで、板を渡して部屋に入ります。

 主人公のマルチェロマストロヤンニが住んでいるマンション、そして、友達のホステスが、住んでいる高級マンション(が、デザインが古い)。知識階級の有名人が、住んでいる高級マンション(デザインがモダンだ)。古い貴族の館、大邸宅だがインテリアは、古い。近代的なビジネスエリートが住む、モダンな一戸建て・・・・・とうとう、目を見張るほどの、建築物の羅列で、それそのものが、大いなる、意味をこちらに感じさせます。
 庶民的な彼の自宅マンションには、庶民的で、糟糠の妻になりたい女性が待っているし、貴族の館には、何者にも動じない老女が住んでいます。

 最後の宴会場、大富豪の家では、日本でも、六本木あたりで、ちゃらちゃらしているような、後にテレビ業界を牛耳る(加賀まりこや、桃井かおりや、大原麗子などのように、スターともなった人物もあろうが、プロデューサーや、コメンテーターや、台本作家などの裏方ともなっただろう人材がたむろしている場所の、雰囲気を彷彿とさせます。

 私はともかく、階級のステータスの象徴としての住まい、そして、それの利用の仕方に舌を巻きました。

 この映画には、実は筋が無いのです。でも、それでも、飽きないでついていったのは、そういう部屋の違いを見るだけでも面白かったからです。
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副題3、『俳優陣に、輝きと、リアリティがある』

 私はね。もうひとつ惹かれるポイントがあって、それで、ずっと見続けたのですが、それは、俳優陣に輝きがあります。多分、若い日に高卒後、新聞記者になったフェリーニ本人の自画像が投影されているマルチェロ・マストロヤンニが出ずっぱりで、それが、この映画の統一感を唯一支えているところですが、それを始め、出演者全員が輝いていて、かつ、スターシステムではなくて、リアリズム追求でそれなりに、しっかりとした演技を求められていて、きちんとこたえているのです。

 それに、重要な女優陣と主人公が交わす、男と女のリアルな会話・・・・・これもすごいです。特に、糟糠の妻になりたいエンマという女性(ほかの女性と比べると、肉体的な魅力やら、タレント性、また実家の財力という点では、劣るが、必死に、よい妻になろうとしている女性)との会話とか、やり取りは、秀逸ですね。エンマが、最初の方では、浮気ばかりするマルチェロとの、未来を危ぶんで、自殺未遂をするのですが、その後、きちんとほぼ、実質的な、夫婦生活(日本語で言えば同棲)を連続して、居ます。その後、大喧嘩をして、二時間ぐらい、車から放り出されます。自宅へ帰れない路上でほうったらかしにされるのですが、マルチェロは、結局は迎えに行きます。それほど、女性側エンマが、強くなっているのを示すのは頼もしい限りです。

フェリーニ自身は戦友としての妻、ジュリエッタ・マシーナを持っているわけですが、それでも相手から近寄って來たり、しごと上で出遭った女性たちと、何かアヴァンチュールをしなかった可能性は少ないのです。
 でも、エネルギーレベルがとても高くて、肉体的にも壮健な人間たちのありのままの姿だといったらそうも言えるのです。

 しかも、だからこそ、集団的創作の結果である映画の監督ができるのだと思います。我が家など、夫・妻とともに、そういう世界で、活躍できるとは思いません。朝から晩まで不定期な重労働が重なった上で、夜は飲んだり食ったりを仲間とやるわけでしょう。すさまじい、生活です。でも、その猥雑さを、全部入れ込めているのが、彼の当時の立場の反映だと感じますね。動と静と、社会と個人のエピソードが、入れ替わり立ち代り現れますが、私は、その大体を、面白いというか、感銘を受けながら見続けました。
 
 特に父と息子の関係など、生涯ではじめて、ローマのキャバレーの夜に心が通うエピソードなど、『こうだろうな。彼ならね』と思わせる部分がありますし。
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副題4、『知的階級の実存的不安。と、子連れ無理心中』

 後半に、知的階級として成功をしていて、自宅をサロンとして開放しているスタイナー氏という人物が出てきます。名前の音感やオルガンが弾けることなどから、ドイツ系の人物像を思い浮かべます。で、この映画の中ではきわめて異色の登場人物です。外では飲み食いをあまりしない、上品な人物です。
 自宅のサロンでは、お客が出す音によって目覚めてしまった、天使のごとき愛らしい子供たちも寝室からやってきて、お客に紹介されます。

 そのかわいいお子さんを道連れにして、この人物はやがて無理心中をしてしまいます。女性の方(妻)ではなく、夫の方が、子連れで、無理心中をするのです。
 この事件が当時のローマで実際にあった事件を反映しているのか、それとも、フェリーニの創作であるかどうかがわからないのですが、ありとあらゆる意味で満たされた人物が、実存的な不安に駆られて、愛するもの、特に後に残す幼いこどもたちを心配して道連れにするのは、世間一般の人にとっては、衝撃的なことですが、フェリーニにとっても衝撃だったと思われます。

 フェリーニは、こういう知的上層部と、ずっと前には、付き合っていませんでした。最初は雑誌記者として、始める社会との縁ですから、取材という形でありとあらゆる階層の人々と付き合うことが可能なのです。特に自分が持っている男性的(セクシュアル)な魅力を武器にすれば、ありとあらゆるところに入り込める。
 が、知的上層部は雑誌に自分が出ることなど、望んでいませんので、記者としては出会えない人種です。そういう普段は出遭えなかった人種と、対等の間柄として、その上等なサロンに招かれることは、彼が映画『道』によって世界的な大成功を収めたことと関係があるでしょう。それで、この手の知的上流階級との交流に、門戸が開かれたことをも示しています。

 その家庭にまで入っていってみたところ、お子さんが居た。フェリーニは奥さんが女優のジュリエッタ・マシーナであり、戦友ですから、お子さんを意図的に、創らなかったと考えられます。そして奥さんは35歳を超えました。これは1950年代の医療では出産には危険な年齢といえます。そして、フェリーニ自身も、『しごとに身軽に専念できるためには、小さな子供にかまっている暇などない。そんな小市民的な考えは持っていない』と、自己に思い定めていたと感じます。ところが目の前に、天使を見たら衝撃を感じるはずです。
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 実際には本能というか、潜在意識のレベルではうらやましかったと思われます。で、事件がなかったとして、その***父がかわいいお子さんを殺してしまった***というエピソードが、フェリーニのある種の、うらやましさほかの潜在意識の、葬り去りへの解決策、または、開放策だとしたら、・・・・・それこそ、創作の醍醐味ですが、それはそれでもいいと思います。
 というのも最上級の創作のしごとと子供というのは、並立しないのです。子供を持ったら、ある程度以上に平凡に生きないとダメです。

 ただし、これが、創作ではなくて、実際に起きた事件を反映したものだとしたら、フェリーには神の存在を感じたことでしょう。何もかもそろっている人間に落ちてきた衝撃の結末・・・・・自分には子供が居ない。だが、自分は、無理心中事件を起こすほどの、追い詰められた不幸は無い・・・・・というポイントで、幸せと神の采配を感じ取ったといえないでもないです。
 この信仰の問題は新たに、一章を付け加えて考えます。 

 ところで、この事件が実際に起きたものだとしたら、不安の処理をどうするかという課題が、新たに、生まれます。フェリーニにとっても、又、世界中の知的でより深く物事を考える人の間で、必要なこととなります。で、フェリーには、子供云々ではなくて、不安を動処理するかの問題に関して、あのエピソードを提示したのだとなります。無論のこと観客の方は、「結論はあなた自身で出しなさい」といわれているわけですがね。

 その不安の問題こそ、私が昨日、深夜に、文章を書き始めた大きな動機です。

 そして、それは、『フェイスブックを、敵から切られた』ということと連動して考え及んだことなのです。902人という大勢の知己がすでに、その世界で、居ました。それは、単にこちらが、有名人だから相手から申し込まれたわけではないのです。俳優などの有名人は次から次へと申し込まれるので、数千人の友達が居る人が居ます。が、私の場合は、丁寧に、丁寧に、どこか、気心が通じた相手を開拓して言った、友達で、その数なのです。すさまじい重労働の結果でもありました。

 それを一気に失ったわけです。しかも、その世界に私が居ないわけですから、鬼のいぬまの洗濯として、復讐やら、いろいろな悪口の伝播に使われる可能性はあります。大損失です。
 
 でも、パニックには陥っていないのです。割と丁寧に落ち着いて毎日の生活を普通に、やっています。

 ところで、上にケーキの写真をひとつ載せています。これは、本日、五時から六時までにつくったものです。どうしてかというと、このブログおよび、フェイスブックの両方の世界で、私と接触して下さって居る方が、もしいらしたら、私がそこで、イチゴのショートケーキ(ホールといって丸いもの)をアップしたことがあるのを覚えておられるかもしれないからです。
 それは、ずいぶん好評でした。それと同じ形式で、しかし、イチゴではなくて金柑の砂糖煮を使って作ったものです。

 今回のは、土台としてカステラを使いましたから、細長い形になっています。金柑が五つのっています。普通のお店で買うのに比較すると、これを、二つに切ると、ひとつが、400円程度で売っているものと、同じ量となるでしょう。白いところ(=生クリーム)には、お砂糖を入れてありません。その理由は金柑と土台のカステラが甘いからです。そして、無駄になる部分を避けるために、しぼり袋には入れてありません。ナイフで、ぺたぺたと塗りつけております。簡単に作るのがホームメイドをしょっちゅうやるコツだと感じています。
 今、午後7時ですが、食後のデザートとして、五分の一を食べました。おいしかったです。  
 しかし、どうして、それほど落ち着いているかについては、ここでは述べないで置かせてくださいませ。それこそ、昨日アップした文章を推敲して、そこに書きたいことです。

 で、自分は、最近ではパニックに陥らず、その手の実存的な不安に駆られることが少ないのですが、それでも、一般的には不安が存在していることを知っています。特にものを深く考えすぎると、この世は矛盾に満ちているわけですし、深い悩みに陥りがちですし。
 そういう傾向に対して、私自身は、ただ、「自殺がいけないのだから、ひたすらに努力をする」としかいえませんが、年を取ると鈍感になるとは言えます。経験が深くなるので、いちいちについて、以前ほど、深くは、揺り動かされないのです。特に版画をやったことが良かったです。

  私がやっている一般多色摺りというのは重い金属芯の太いローラーを一日に、600回ぐらい回転しないといけません。それから掃除に関して、同じく、ガラス板を使うのですが、それや、そのローラーを拭うのが、拭っても拭っても、インクの色が、残るので、結構な労働量です。それをやりつつ、毎日、版画ばかり10時間やり、それを、ほぼ80日続けることを、1998年、1999年、2000年と、三年、海外で、やり続けたので、それが不思議な、生活改善に役立ち、あまり悩まないようになりました。それは、幸運です。専業主婦の立場で、そういう自由を得られたのは、本当に幸運なことでした。
  苦しみもいっぱいありますが、ラッキーなこともあります。
  で、私個人に関しては、そういうわけで、やっと悩みのトンネルを抜けたといえますが、ほかの人については、ただただ、「訓練と、選択の積み重ねで、強くなっていってくださいね」と言しかないです。その影に、『自殺は悪いとは思わない』という考えが潜んでいると、引き止められませんね。
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副題6、『フェリーニ監督の手の内、心の内を推察する』

 この映画は、難解だとされています。また、プラスの評価を与える人とマイナスの評価を与える人が、真っ二つに分かれるそうです。

 が、私は、このように考えます。かれが、「道」で世界最高の成功を収めたときに、まだ、34歳です。その後で、突然に名誉や、お金がどっと手に入り、階級的にも自分の今までの世界よりずっと上の人と付き合い始めます。

 それに対して、心理的な安定を求める、整理のための映画だと感じます。父とのエピソードも、自分の少年期を説明する意図があったでしょう。日本と同じようなワーカホーリックだから、家に帰られなかったのか、それとも、外に愛人が居たから帰らなかったのかは、わかりませんが、自信ができたからこそ、明かす、『自分が雑草育ちだ』と言うこと。でも、それでも、父はいい人で、親子の間に愛情が交わされていること。

  しかし、最後に、マルチェロは、海の傍で、であった少女の言葉が、ミミに聞こえません。それは、彼にとって、素朴な民との間に、懸隔が、できたということの象徴だと思います。『道』を作ったときに彼の心にあったのは、素朴なもの、根源的なものへの尊敬だったと思います。
 それは、高卒で入った、雑誌記者の生活から、得た澱(おり)というか、ごみ的なものの払拭と、洗浄を目指した映画だったと思います。しかし、その大成功によって、再び、今度は、上流社会と接触することになった彼・・・・・

 しかも今度は取材する側ではなくて、取材される側として、ある自分。そういうものを、受け止めていいのか、受け止めない方がいいのか、悩みながら、しかし実際は、すでに有名になった自分の生活を後戻りさせることもできないのです。そういう自分の生活の中で、心の折り合いをつけるための、映画だったと考えるのですが・・・・・
  皆様の御意見はいかがでしょう。
    2012年3月13日  午後、8時半 雨宮舜(川崎 千恵子)
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不安を感じること、と、その処理と、(甘い生活を見て)+深い政治の話、前編

2012-03-13 00:54:30 | Weblog
  これは、初稿を13日の午前五時に完成をさせていて、その後で、今は、午後三時ですから、ほぼ10時間アップしています。本当は相当に邂逅しないとダメです。が、本日は
  ほかの文章を書いています。それは、政治に関係が無い、この映画甘い生活に関する部分なので、全部完成してアップロードするつもりです。逃げているわけではなくて、頭を少しずつ整理して行くためには、それが必要です。で、以下に書いていることは、一部であるし、アウトラインだけであると思いながら、お読みいただきたいと存じます。その後で、後日・・・・・といっても、間を空けるかもしれませんが、相当に膨らまして、際アップをするでしょう。分割する可能性もあります。ともかく、今現在頭に下りているセンテンスをパソコンにおろすということを常に目標としていますので、お待ちくださいませ。

副題1、『なぜ、映画を見る時間(=余裕)があったのか』
副題2、『すっぱい葡萄の話』
副題3、『近隣トラブルが起きたときに、引っ越すべきか、否か』
副題4、『共依存と、共倒れを避けないとダメだと感じるが』
副題5、『仲間なのに、疑心暗鬼の応酬となる悲劇』
副題6、『歓喜をもたらす、彼女の訪問。彼女をいとしく思う』
 以下は後編に置く。
副題7、『オセロ中島の件は、なぜあれほど、長期間、大騒ぎをされたのか?』
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副題1、『なぜ、映画を見る時間(=余裕)があったのか』

  私はカンヌ映画祭で、グランプリをとった(だから名画であろう)『甘い生活』を見ることを、わざと避けてきました。
  ここから後には、初稿として、400字程度書いていたのですが、それは、『フェデリコフェリーニの手の内』、2012年3月12日午後アップの(現状では予定中)へまわします。

  で、例のごとく、フェイスブックの処理をやりながら、ながら視聴をしようと思っていたのです。ところが驚いたことに、突然に、日曜日の午前中に、フェイスブックができなくなりました。これはね。広義の意味では言論弾圧です。しかし、今その裏側の詳細を書くつもりがないのです。
  なぜかというとぜんぜん怒っていないから。
  いや、不自由にさせられた・・・・・イコール、当然の権利を奪われたという点では、当然怒るべきですよ。だけど、あんまり激しくは怒っていないのです。
  これに比べたら、大相撲が、野球賭博だとか、八百長疑惑だといわれて、いじめられきっていたことの方が怒りが強い。または、松本龍大臣が宮城県庁の応接室で、低い位置に置かれた(だから隠しカメラであろう)カメラで撮影された映像を利用して追い落とされた、あのころの方が徹底的に怒っていました。そのころの方が夢中になって、すぐ、問題を文章に落としていました。
  だが、今、フェイスブックの中止を知ってから、48時間になろうとしていますが、まだ、怒っていません。パニックにも陥っていないし、怒っても居ない。
  ともかく、莫大な時間が空いたので、たまっていたことを丁寧に、今やっているところです。
  そのうちのひとつが、自分向きではないであろう映画『甘い生活』を見ることだったのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『すっぱい葡萄の話』

  イソップ物語の中に、すっぱい葡萄の話というのがあります。狐が葡萄を取ろうとしたが、枝が高すぎてどうしても取れなかった。すると、狐が、『あれは、すっぱい葡萄だから要らない』といったという話です。
  私がフェイスブックの中止を悲しんでいないと言えば、皆さん、『それって、すっぱい葡萄でしょう』っておっしゃるでしょう。

  だがね。非常に深い宗教観とか、哲学観に照らし合わせて見ると、これも、潮時だったのかもしれないとは思うのです。2011年の五月に、自分のブログに付いていたシェアのしるしを『これなんだろう』と思うことから偶然に入ったのですが、最初期からいじめられきっていました。

  それは、真実を語るからです。フェイスブックでは相当に遠慮をしていましたが、原発事故とそれに関連する政治問題では、6月にはすでに隠さず物を言ってきましたので、いじめとか迫害はひどかったのです。
  ええと、このブログを連続してごらんいただいている方は、その一部分は御存知だと思います。今は、その世界を、出てしまったので、かえって、自由に書けるでしょう。もし、グーブログにも閉鎖などということが起きたら、日本には言論の自由は一切ないのだと、皆さんも御了承くださいませ。それが、証明になります。私が身を挺して証拠を挙げているということになります。

  しかしね。ただ、それでも、100%は書いていません。ここでも、そのフェイスブック内部での、迫害のいったん、20%ぐらいしか書いていないのです。毎日毎日、神経を痛めつけるようなことが連続して行われてきました。が、それは、AOLのメルマガでもグーブログでも、散々、やられてきて経験済みのことですから、ひたすら耐えて、その妨害を跳ね除けてクリアーして、ひたすら前向きに、大切なことを書き続けてきたつもりです。
  ただ、そのために莫大なエネルギーを使ってきました。体力がなくなってきているので、ちょうど潮時として、いまそれを、自分からではなくて他者から、切られるという形で止めさせられたわけですが、それもまた、天の采配かと考えているわけです。
  人間は使命があって、それを達成するために、才能を開花させたいですが、一方で幸せにならないともダメです。あまりに過重な労働をすることは幸せではないのです。そういう意味では、この五年間、私はある程度以上に不幸な人だったかもしれません。いったん起きたら20時間起き続けるのは当たり前で、睡眠は、4時間か、五時間程度です。それで、ずっと突っ走ってきました。寿命を縮めているなとはわかっていましたが、それ以外の生活ができなかったのです。それが終わりました。それはひとつの救いかもしれない。
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副題3、『近隣トラブルが起きたときに、引っ越すべきか、否か』

  私には、もうひとつ、あきらめるのにやぶさかではない、理由があります。それは、『義を見てせざるは勇なき成り』ということわざで表されたり、宮沢賢治の『雨にも負けず』の詩で表されたような境地です。

  つまり、人間として付き合う相手として、自分より上の人で自分を引き上げてくれる人と付き合うのか。それとも、自分より弱い人で、自分が支えてあげたり、引き上げてあげたりする相手と付き合うのかと、いう二種類があると思うのです。
  私はね。外見は、まことに弱そうです。生活臭がないとか、白兎みたいだとか、羊みたいといわれています。でも、ここで、書いている文章をごらんいただければ、皆様もすぐお分かりだと思いますが、実は柔良く、剛を制するの類で、非常に内面は、強いのです。ある心理カウンセラーと、ジョナサンというレストランで隣り合わせて、企業労務の相談に乗ってあげているのを見て、相談を掛けました。
  そのときに彼がアドヴァイスしてくれたことのうち、ひとつは間違っていると思いますが、ひとつはあっています。

  間違っている方は、御近所トラブルがあった場合には、引越しなさい」と言うものです。一般的に言えばそれもありでしょうが、私や、最近付き合い始めた、A子婦人や彼女の友人のM夫人のケースでは、近隣トラブルはまったく、自然なものではなくて、仕組まれていることがわかってきました。一種の政治的弾圧として、私の場合は行われているのですが、彼女の場合は、目的が、違うようです。つまり、その財産の収奪を目的としているのだそうです。
  ともかく、人をノイローゼにさせて、精神病院へ収監して、残った土地家屋を奪って行くというシステムがあるそうです。

  彼女はそれを、インターネットを調べることで、わかったそうです。そういうブログが今はいっぱいあるそうです。が、私はほとんど、そういうものを読みません。ありとあらゆる意味で他者とは結びついていません。これは弱さにもつながるのですが、強みでもあります。
  私は、物を考えることが大変に好きであり、物を考えると、文章を書かざるを得ないのです。文章を書いてそれを記録しないと堂々巡りになってしまって前へすすめません。人間の脳とは、それほど、大容量の、物を保管して置けないのです。だから、書くという形で、安心な保存をしてこそ、次の段階へ進めます。
  しかも、私にとっては、書くことそのものも楽しくて仕方がなくて、文案が泉のように常に沸き起こり、あふれてきます。すでに、13年目に入っています。これだけの分量を書き続けることは、努力だけではできません。
  これが、私にとってはまるで、呼吸をするがごとき自然なことだから、できているのです。

  元に戻ります。このブログの読者で、近隣トラブルを抱えていて、引越しを考えている方にお勧めします。引っ越してもダメです。そうではなくて、退職金などで、2000万円ぐらい余分な収入があって、今住んでいるところよりランクアップできるとか、それから、今住んでいるところを、処分してその現金収入で老人ホームへ入るのだというようなケースですと、「どうぞ御自由に」といえますが、それ以外のケースですと「おやめなさい」といわざるを得ないです。
  行った先でも似たようなことが起こります。救いはありません。ならどうするかというと、今住んでいるところで戦うしかないのです。その戦いですが、お上手になさいませ。下手をしてはだめですよ。とも言いたいです。非常に頭がよい形で戦わないとダメですよ。彼らは集団の力を利用してきますので、瞬時に反応するような戦いがいいのか、長期戦に構えた戦いがいいのか、判断は、それぞれにお任せしますが、とても、複雑です。ただし、引越しで解決する問題ではないです。
~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『共依存と、共倒れを避けないとダメだと感じるが』

  さて、そのときのカウンセラーが言ったことで、それはあたりですと思ったのは、あなたは、実はあなたのお母さんを育ているというか、支えてきたのですよ」と言う発言です。多分当たっています。母はゴッドマザーで、働き者で、ご近所様、親戚、ありとあらゆるところから「聡明な人だ」とほめまくられて、老人ホームでモスタッフさんからも、入居者からも尊敬の的でしたが、
最終段階では、心理学的な問題では私を頼っていました。大賢は、大愚に似たりとよく言われていて、私は身近な人間にはまったく尊敬をされていません。がそれほど相手を自由にさせてあげていると言う点で、大きい人間なのです(笑)と、自分でそういっては元も子もありませんが・・・・・

  ともかく、私は人を愛した利支えたりできる人なのです。さて、最近の私はべったりというほど、A子夫人に入れあげているのですが、A子夫人の特徴を少し書きましょう。A子さんは、優秀な高校を、優秀な成績で出て、一流商社にお勤めだった人です。そして、結婚退職をして主婦業をしているうちに、宅地建物取引業の資格を取って、それ以来、次から次へとより上位の資格をとって、収入は抜群に高かったそうです。人間関係にも恵まれていて、あまり努力をしなくても次から次へと紹介で、クライアントにも所属事務所にも恵まれていて、一日に、4時間から6時間働いて、自宅へ帰り、子供の面倒も見ることができて理想的な生活を送っていました。

  ところが、2年ほど前からパソコンに大きな変調を感じて、クライアントのデータが壊されたりするようになって、不安でたまらなくて、仕事を辞めざるを得なくなったそうです。私は似たような、苦しみを5年以上前から味わいましたが、必死で戦ってきました。自分の本を創ることは休まなかったのです。が、他人の本を作ることは、辞退していますから、彼女の心境は良くわかります。ただし、その時点で戦いが、少なかったのですね。戦う手法とか、手段に思い付きが足りなかったのです。

  彼女自身、『そのころ、雨宮舜さんと知り合って居たらよかった」といってくれましたけれど、後の祭りです。彼女がそのときに、戦えなかったのは、育ちが良くて、それ以前に、苦労をしたことがなかったからです。彼女は決して馬鹿でも、非常識でもない人で、私のブログを知ってから、実際の接触まで、8ヶ月か、それ以上もしかすると、一年以上は待ってくれたのです。
  それが、2012年の一月の末のことでした。
  すごく楽しかったです。新宿であって、レストランで、食事、そこから下北沢に移動して、喫茶店で、お茶。全部で、7時間一緒でした。
  しかし、そのときに、私は念を押しました。『私たちはいつどんなところでも、狙われているのだから、歩いているときはいいのだけれど、レストランで着席をしたら、絶対に、こういう件については話さないでね』と。彼女もすぐ了承をしてくれました。
  で、基本のところで、同じ境遇なのですから具体的なことを話さなくても楽しいから、それほど、長時間がもったのです。

  しかし、その楽しい会話が始まった、たった、3時間程度のうちに彼女の長所と短所もすぐわかりました。長所は、明るくて素直なところです。弾むような会話ができます。
  しかし、それが問題でした。それは、すなわち短所につながります。つまり、普通なら別に困らないポイントですが、私たちのような場合には、ありとあらゆるところで盗聴をされています。彼女の家も当然そうなっています。となると、こういう風にぺらぺらとおしゃべりをする人だと、いろいろな意味で、こちらが墓穴を掘ることにならないかしらと心配しました。・・・・・・

後で、詳細を書くつもりに今なりましたが、大局観から言えば、その彼女の立て板に水のようなおしゃべりが、私のフェイスブック中断にもつながったわけですが・・・・・ここでは時制をもっと前に戻します。

  私は初日から、ひどく、そのことは心配しましたが、でも、人は石垣人はしろというでしょう。立った、一人でも、具体的に同じ境遇にある人と知り合ったことには感謝しました。だが、その初日には、彼女がスパイかもしれないと言う疑いは消えなかったので、用心に用心を重ねた会話を交わしました。
  私の周りにはスパイがいっぱいです。別に、『後で会話を上奏してください』と頼まれてデートを命令されるわけでもないでしょうが、二人が居る場所に高性能の盗聴器が掛けられたら、それが、スパイの役目をします。
  この件についてはすでに、種々の実例があるので、後日暇なときに、それを面白おかしく書きますが、A子さんも、そういう一人かもしれないと。思ったのです。
  しかし、もし、A子さんがスパイではなかった場合にも心配の種は付きませんでした。それは、女性の場合には特にありがちな、依存ということです。私は長女で、彼女は末っ子です。となると、保護する側と保護される側と言う幼い日の役割の復活で、こちらが甘えられて、引き受ける側になります。しかし、私は毎日、毎日、フェイスブックの中で神経を消耗し尽くす戦いをやって居ます。余裕がないのです。で、いわゆる共倒れになる可能性は感じました。
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副題5、『仲間なのに、疑心暗鬼の応酬となる悲劇』

  そこまで、用心深かった私ですが、一晩寝ているうちに、その部分を、注意してあげたいし、私とデートしたことで、何らかのユリ戻しが來たのではないかと感じて、それを防ぐために、デートをすることにしました。盗聴がすぐ、攻撃案を相手に与えますので、電話やメールで深いところまでは絶対に話せないのです。が、メールを三時に発信するのですから、時間的な余裕を持たせるために、夜の8時に「例の下北沢の喫茶店で待っている」と書きました。
しかし、このときも時間内には届かなかった模様です。
  しかし、下北沢に住んでいるのではない彼女を、夜の八時に呼び出すのは失礼ですから、自分が先に訪ねようと思いました。で、家族のための夕食に役立つように高めのお弁当を買って出かけました。それを置いて出れば、彼女は外にすばやく外出できるからです。
  彼女は不在でした。後でわかるのですが、月曜日の夕方は趣味の会が遠くであるので、お出かけをするのです。しかし、お互い様に疑心暗鬼いっぱいだから、私は、そのマンションの南側を通ったときに、そのお部屋には南側には電気がついていて、カーテンがゆれたので、彼女が私を避けたと感じ、彼女の方は、お弁当に、実名が書いていなかったので、毒が入っているかと思い捨てたのだそうです。

  ここらあたりを、皆さんは笑ってやってください。だが、それほど、私たちは痛めつけられていて、同胞さえ信じられなくなっているのです。ひどい人権弾圧ですが、私たちは、そういういじめのターゲットになっています。で、私はすぐその夜に、彼女がスパイであったと書きました。
  カーテンがゆれたのを、彼女自身が隠れていたと、感じたからです。実は後でわかってくるのですが、そのときに室内には、ご家族が居て、ご家族がベルが鳴っても(いやならなかった可能性はあるが、ドアをどんどんたたいた)が外へ出なかった、そうです。彼女の方も痛めつけられきっているので、他人への不信感が強いのです。本当に悲劇です。
  私はこの夜の小田急沿線で野、あっちこっちを歩き回り、目的が達成できなかったことで重いインフルエンザにかかり、大いなる苦しみを味わいます。
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さて、ここからさらに、二転三転します。そして、私は彼女を心から救いたいと思うようになるのですが、
本日13日は、すでに、朝の5時になっています。出、これから左記を書く体力も気力もありません。実は、私はへまをしたのです。ふたりの本心を書いた数十枚のメモを、たった、彼女が帰った直後の、たった、3分か、30分かわからない間に盗まれたのです。アルミサッシの鍵さえ喪明けるのか、それとも彼女が鍵を掛け忘れたのかはわからないものの、そこに書いてあることで、私がどれほど、真実を知っているかが敵様にわかってしまったので、これは、一種の弾圧でもあるが、アメリカ側の、恐れとして、フェイスブックが中断をされたのでした。中断の理由がパスポートを提示せよというもので、その命令は日本語だけど、ありとあらゆる意味でアメリカ発であることがわかりました。

つまり、アメリカの大富豪が、どういう風に日本人を奴隷化しようとしているかがはっきりと私たちにはわかっていて、それをこれから、フェイスブックの世界で書くであろうとみなされたからこそ、フェイスブックがりようできなくなったのです。そんなことは今までだって、十分に匂わせていましたけれどね。だけど、信じなかったのですね。私と彼女そう方がそれほど頭がいいということを。

ここで、宗教観や哲学間が入ってくるのですが、本日はつかれきっていて、特にそういう部分が書けません。それで、以下にあらすじをかねて副題を置いておきます。後で、この文も直しますし、そちらもお読みいただければ大体、本筋はわかっていただけるでしょう。

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副題7、『オセロ中島の件は、なぜあれほど、長期間、大騒ぎをされたのか?』  つまり、私と付き合うと支配されるといいたいのだ。あ、は、は。

副題8、『一週間に三回、合計20時間も語り合う』
  私は彼女に徹底的に勧める。『ためを創れ』とか、『我慢をせよ』という点を。それを具体的な形でいえば、『音声で、自分の被害を言うな』ということ。

副題9、『彼女はインターネット検索で知った深い事実を教えてくれる。が、それをどういう風に料理するのか?が、大難問である。私のブログ内で、入れ込めるか入れ込めないか?』

副題9、『その間、の一週間ないで、鎌倉の防犯協会、は、意識しきっていて、市役所の名前だが、警察の放送を合計四回も流す』

副題10、『すべては、防衛のために、白いコピー用紙、数十枚を一回のデートで埋めるがごとき、手書きの文字を交換する。が、それを盗まれた。南側の山から泥棒は、私たち二人を、伺っていたと思われる』

副題11、『フェイスブックが中断され、鎌倉では、防犯協会が、すべての銀行の前に詰めていた、13日の午前中、だが、私が帰って、二度目として訪問をするともう居ない(笑)』

副題12、『F.フェリーに監督の甘い生活における、不安の分析と、表現上の工夫のあり方』
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