銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

弱者は、守られるべきだが、時には・・・・・・美術界とユダヤ系資本家

2011-08-31 10:38:05 | Weblog
 この一文は、もちろん政治の文章です。そして、大変書きにくかったので、途中まで人名を伏字にしています。それでも、10時間かかって、書きにくかったこと。書きにくかったこと・・・・・その伏せ字の部分はそのまま直さないで置いておきます。

副題1、『本日のウォームアップ用文章』
副題2、『ホテルチェルシーが、導火線だった』
副題3、『メール発信が、まるで、できないので、フロントを呼ぶのだが』
副題4、『先生は、重病にかかっていて、気弱になっておられます』
副題5、『日本人の、有名人の息子が、このホテルで引きこもっている』
副題6、『○林○子さんは、大変いい人でした』
副題7、『国画会の大パーティは、酒席です。
            ・・・・・・そこで、大きな秘密が明かされる』
副題8、『星野美智子 と、馬越陽子、・・・・・その政治的利用』
副題9、『問題は、ユダヤ(大)資本なのでした』

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副題1、『本日のウォームアップ用文章』

 昨日、午前零時から、3時間書き溜めたものは、突然の予告なしの、メインテナンスの始まりで、すっかり消えました。

 今朝もログインができないとか、そのほかの手法で、邪魔をされています。で、結論として言えば、そこに書いた事が非常に重要であると言うことでしょう。

 で、かけなくなる事を、予測するというか、恐れるので、結論から先に申します。フェイスブックがある勢力(?)に支配をされているという事が、わかって、証明をされたという話の一部分です。

 これから先の部分も倒置法で、書いていきます。まず、現在の弾圧は、一見するおそうではないがごとく、装われて行われるので、知人が利用されます。知人がいじめてくるとか、悲しい思いを味わわせるような、不思議な行動をするという形で行われます。
 
 私は数十年にわたって、銀座で、勉強と楽しみをかねて画廊めぐりを重ねてきました。それで、画廊がいじめようの舞台として、よく利用されます。が、今回も同じで、場所は、有楽町に近い○ッチギャラリーというところでした。

 フェイスブック内で、個人的に会話が交わされるシステムをSNSと呼ぶそうですが、それで、とても、長い(20分間で、6000字)となる、意義ある会話を交わした画家が、そこで、グループ展をしたときが、もっとも、輝くハイライトとなります。

 ○ッチギャラリーのオーナー○村○哉さんにとっては、「やったあ。勝ったぜ、完璧に、川崎千恵子をつぶしてやった」ということになるのでしょうから、ポジティブな意味での、文字通りのハイライトです。

 反対に私の方にしてみれば、『うわ、また、やられちゃった。これは、大きな意味があるなあ。非常にいやな思いをしたが、それなりに、文章が書けるから、そして、その結果、この国に貢献できるから、それで良し』と思った現象です。

 で、その場面を、この一文の最後に置くつもりでした。
 どうして、そうするかという事情は後で語ります。

 が、その画廊へ、どうして、私が導入されたかをまず語らないといけません。
 というのも、その画廊は、きわめてお高く留まっているところで、一般的な意味では、開放をされていない模様で、招待状も来た事がないし、美術情報誌の類にも広告や記事(それらは、実際にはお金が裏で動いている高度な広告である場合が多い)が、載っていない場所だからです。

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副題2、『ホテルチェルシーが、導火線だった』

 普通新しい友達ができることは喜ばしいことと考えられています。だから、導火線などという物騒な言葉を使うべきではないのです。ただ、とてもよい関係で始まった友情が、おかしな政治の結果、壊されると、それは、とても、物騒な場所と変化してしまい、そこに導入された経路は、導火線だったとなってしまいます。

 ホテルチェルシーで、私は2002年、二週間ほど投宿しました。そこは、歴史・遺産とみなされている古いアールヌーボー様式の建物で、大勢の画家や文化人が投宿したことで有名です。現存の大衆的な有名人としてはウッディ・アレンの名前が挙がっています。
 私は、1999年と2000年の秋に、そこを何度も訪問をしています。それはニューヨークではとても尊敬をされているアーチストがそこを住まいとして使っていて、私が、自分の作品を見せて意見を仰ぐために、訪れているからです。

 私は結構活動家であり、それなりに、大きな動きもしていますので、1999年美大の大学院に在学中に、この人の存在を知り、2000年には、この人が経営をして居る版画工房で、80日間もみっちりと作業をしたので、そちらと、交流ができたのです。
 その人はアフリカンなのです。そして、芸術家、そういうアンバランスさを、考慮してか、結婚をされなかったので、ホテル住まいだというわけです。しかも、40年ぐらい前は、今より、人種差別は厳しかったと思うので、

 前衛的なボヘミアン(芸術家・・・・・ラ・ボエームに出てくる人たち)として、ホテルチェルシーで暮らすのが、もっとも快適で安全だったと思われます。廊下を挟んで、南北に、部屋がありますが、先生は南側で、長期に住んでいて、一次的に投宿する客たちは、マンハッタン島の中でも大きな通りである、23stに面した北側に導入されます。
 私は、2002年当時の、173ドル(日本円で、二万円以上)支払ったので、北側の上階を与えられました。そのすぐ上がオーナーの居住区みたいで、部屋もひとりで使うにしては、大きめなスペースです。台所も風呂場も日本で言う四畳半以上のおおきさでした。
 後で、先生が、最上階に上がるようにおっしゃったので、見たのですが、高い高い丸天井があって、それこそ、アールヌーボー様式ですし、ベランダの手すりとか、階段ホールの設備、各部屋のドアーなど、すべてにレトロな、110年以上前のものが使われて居るのです。日本のように、スクラップアンドビルドで、デザインがどこも似たようなビルが林立しているわけでもない。これは、ニューヨークとパリの両方で発見した意外な現象でした。日本は土木と、建築の分野にお金をかけすぎている国家です。

 今は様変わりしているかもしれませんが、一般的なホテルというよりも、芸術家にとっての、一種の湯治場と言う感じですから、数ヶ月滞在するのなら、宿泊料を安くしてもらえるのではないかな? 一泊二万円のはずはないです。そして、彼らは、そのお礼に、絵を置いて帰ります。だから、階段ホールは一種の美術館状態です。

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副題3、『メール発信が、まるで、できないので、フロントを呼ぶのだが』

 2002年はまだ、インターネットの環境が発達していなかった時期で、外付け、インターネット接続用USBなどはまだ、開発されておらず、電話線と同じサイズのラインをパソコンに、つなぐ方式でした。

 ところが、4日目の夜から、メールの送信ができないのです。これを、私はホテルのインフラが古いせいだと解釈しました。

 実際に、宿賃よりも余計に、16万円もかかったので、ほぼ、毎日、一万五千円の電話代金がかかったことになります。それほど、ごたごたしたのです。
 今思うと、そのころから、弾圧を受けていて、特に英語で、メールを書いていたので、最大に警戒されていたからでしょう。書いている内容は自分の個展の案内ですから、政治とはまったく関係がないのに、

 とても、頭が良い人間であるとは、すっかり、知られていたのでした。だから、英語を使う論客となり世界へ向けて、原発や核燃料の事を、わかりやすい英語文で、発信をされると困るということだったのでしょう。シーシェパードの太地町いじめの問題だって、全世界へ向けて英語で発信すれば、普通の人々の心を溶解させることもできるかもしれません。

 ところが、なかなか、来てくれません。それで、とうとうパソコンを抱えてケーブルも持ってフロントへ向かいました。すると、フロントの人間は、『あれっ』と言う感じの顔をします。

 そこには、『あら、本当に事故だったのですか?』と書いてありました。そのトタン、なぜ来てくれなかったかが、わかりました。つまり、『別の目的で呼んで居るのだろう』と、誤解をされたのです。
 こういうところで、日本人が実際にはどういう風にみなされているかがわかってしまいます。ただ、ある有名女流作家が、アジアの各都市に、恋人が居ると宣言をしていますから、ホテルで、擬似恋愛を装った快楽を求めるお客は世界中で、闊歩しているのかもしれません。
 この間、フランスの偉い人がニューヨークのホテルではめられた事件もありましたし。

 しかし、ここで、一段階その男性側のバリアーが解けました。その次に、先生格のRB氏についての会話で、さらに、彼のバリアーが解けました。

 このホテルは中規模(というか、むしろ小規模といっても良いくらいの客数しか出入りしないらしく)夜中には、ほとんど動きもないので、夜中の担当はアルバイトです。芸術の分野に理解があるホテルらしくて、アルバイトも無論芸術家であろうと思われる男性です。が、美術系ではなくて、文章系らしい。

 顔からして、大変に頭が良い人。渋くて鋭い顔をして体格もよい、50代の男性です。ただ、芸術家優先のここでは、フロントマンと言えども、格子模様の自分用の、カラーシャツを着ているだけです。蝶ネクタイなどとんでもない。
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副題4、『先生は、重病にかかっていて、気弱になっておられます』

 そのインテリアルバイト氏の心が、もう一段階開放へ進む話題が次ぎに上りました。作業は大変時間がかかったので、待ちながら四方山話をしていた際です。

 「どうして、すでに、4日目に入るのに、先生を訪問しないの」と質問を受けます。私が先生と交流があることは、すでに、ホテル中の人が知っている模様でした。

 先生は、その自らの教養の高さと肌の色のアンバランスから、ご自分でそれを選んだ結果であろうが、生涯未婚でした。だから、すでに、60歳を越えた今、家族が誰も居ないので、とてもさびしい境遇でした。その上、糖尿病とパーキンソン氏病を併発して、とても、悪い状態でした。

 が、彼が打ちひしがれていて、暗いから訪問をしなかったわけではありません。大変に頭の良い人で、他人に会うときに苦渋など絶対に見せない人でした。だからこそ、私には彼の内面が、深くわかり、それゆえに、対面をしているときは、非常に気を使うのです。ただし、悪い意味ではなく、同情をしている事を悟られないように、こちらも明るく振舞いますから、大きな努力が必要です。

 その上、外出が、すでに絶望的な段階ですから、訪問者には、どれほど、遠慮していても、期待と、依存が寄せられてしまいます。私にはそれが、手に取るようにわかります。良い意味での、芝居をしている事がお互いにわかっていながら、さらに芝居を続ける関係でした。でも、彼の一生で、もっとも、印象の濃い人物が私だった模様で、その次の歳、実際にみまかる前に、在ニューヨークの日本人の知人から、『彼があなたに会いたがっているから、ニューヨークに来てくれない』といわれたほどです。

 もちろんいかれなかったのですが、彼との心の交流は死後も深く続いていて、その結果は、『主婦が個展をする・・・・しかもニューヨークで』という本に結実しています。タイトルからすると、ノウハウ本ですが、実情はまったく違い、しみじみとしたエッセイ本です。装丁も美しい上勢本で、本屋に流通をさせないのに、公的な書評が出ました。その先生の背後からの支援があったからでしょう。この本が後で、大問題になります。この章の中で、そこまで触れることができるといいのですが・・・・・

 で、私はそのインテリ男性に向かって、「私は今、個展をやりに、ここに来ているの。それは、私にとっては初めてで、大仕事なのです。土曜日に、オープニングパーティがあり、それまでの、残りの、3日間は、ニューヨーク中の知人を訪ねて、『着てくださいといいたいのです。でも、彼にあってしまうと、当然、彼は一日に何度も遊びに着てほしいというでしょう。だけど、それが、できないのです。だから、意に添えないで、放ったらかしにすることとなって、悲しい思いをさせてしまいます。だから、今じゃあなくて、そのパーティが終わった時に会います」と。

 この言葉を納得してくれた模様です。で、実はとても尊敬してくれた模様で、在ニューヨークの有名な画家、日本出身の、○林○子さんに、紹介をしてもらえることになるのですが、その前に、もうひとつ大きなエピソードがあります。

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副題5、『日本人の、有名人の息子が、このホテルで引きこもっている』

 11日間で、宿賃とは別に、16万円の電話料を払ったわけですから、待たされること、待たされること、延々で、ぽつりぽつりと、いろいろな事を話し合うわけです。
私は昼間ニューヨーク中を、マンハッタン島の外も含めて、歩き回っているので、疲労困憊しているから、珍しく聞き役に徹しています。

 「あなたのお隣は、長逗留している日本人なのですよ。引きこもっているのです。大変な有名人の子供ですが、父親は誰だと思います」と、質問を受けたのです。これは一種の遊び、クイズでした。一人、一人、名前を挙げさせて、丸やバツをつけていくのでしょう。

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 その時、私は顔色を変えてしまいました。引きこもりの問題は、私にとって、大鬼門の問題でしたから。友達の子供がそうでしたが、一種の親友といっても良い関係が有った人で、彼女の性格や生活を90%知っていました。

 そして、間違っているところがあることも知っていて、思わず、三回ほど、電話内で、叱責をしてしまい、友情が切れているのです。でも、子供さんが、自殺未遂をしたとか聞くたびに、心が痛み、一生、そのお子さんと、ご家族のことは心に引っかかって生きていくこととなるでしょう。

 まず、何がいけないかというと、こどもが、小さい時にママが、ご近所と付き合っていないのです。子供は保育所とか、学校という管理された場所での、交流だけでは育たないのです。自由自在な遊びが必要です。そこで、自由自在はけんかをし、自由自在に、好きだとか、嫌いだとか言う感情のやり取りや、ひとづきあいの訓練をする必要が有るのです。

 ここで、余談ですが、今は、働くお母さんが多いので、保育所と、学校に頼っている人が多いでしょうが、子供って、普通のレベルで、優しい会話と、喧嘩が必要で、それが、できる環境を作ってやる考慮は必要です。保育所とか、学校とか、学童保育の場とか、塾は・・・・必ず、管理されています・・・・ので、そこだけで、育ちあがった子は、本人が自信をもてないタイプとなりがちです。それで、後々に、会社に入ってから引きこもりになったりします。

 しかし、子の子供が小さいときのご近所づきあいというのが、意外と面倒です。どんな考え方を持っている人か、どんなバックグラウンドを持っている人か、まるで読めない人たちとお付き合いをしないといけません。でも、若いうちだからできることなのです。それを、やらないと、子供の基本が育ちません。

 しかも二回目の失敗を彼女はやってしまいます。それは、中学期に、自分が外で、大活躍をして、家にいなかったことです。中学校のPTAの副会長、地域社会で、有機栽培の食品を販売するボランティアー活動等々。これは一見すると、華やかで、しかも奉仕をしているみたいに見えますから、理想的ですが、実際には子供を圧迫し、悪影響が後で、出てくる行動のひとつです。

 子供が、小学校時代までは、豊富で、全方向的な人間関係が必要です。でも中学期と高校時代は、別のしぐさが母親のほうに求められます。それは、母親が目立たないことなのです。

 生き物として親は、いったん死なないといけません。もちろん、仮想の死ですが、いったん降りた人、目立たない人として、暮らさないと子供が、発展できないのです。つまり、生き物として先代(=親)を乗り越える、そして、巣立ちをしていくという通路ができてこないのです。いつまでも親が、派手に振舞っていると、子供は、親を捨てる適期を見失ってしまいます。

 その上、三つ目の失敗を彼女はしています。それは、格好をつけることです。向上心というのは無論大切です。が、子供といえども、13歳を過ぎると一個の人間です。親の理想系の中に当てはめるのは無理です。それなのに、親が選んだ高校に入れようとしたり、(結果は不合格・・・・・そこで、傷ついたから大学受験はしないとなった)親が進める職業コース(給料は出ない段階の演劇修行、舞台で、石の役目を果たし、直後に自殺未遂とか)を選んで、就かせるとか。石って、せりふもないし、動きもないでしょう。そんな役目をしてどうして楽しいだろうか?

 本人にとっては、『演劇が、自発的に選んだ道でもないし、石の役なんかやっても、味噌っかすである事を、さらに、自覚をさせられるだけで、全然楽しくない』ということへの、想像力が母親の方にないのです。ただ、時分の高校時代の同級生に演劇の世界で成功している人が入るから、演劇なら大丈夫でしょうという思い込みがあるだけです。脇で見ていて、そういうことがすべてわかるので、うんざりし続けです。

 でも、ほぼ、三十年間も、『お母さんの方が、間違っていたのよ。アノ子には別に、遺伝的にも、心理学的に言っても、何も欠点はないのに』と、思い続けているから、苦しくて悲しくて、引きこもりという話題は、私にとっては大、大の鬼門なのです。タブー中のタブーの話題です。
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 で、その話題から、身をのけぞるようにして顔を背けたのですが、それを、そのインテリ氏には、大きな感銘を与えた模様です。それで、私を、特別な人として、○林○子さんへ告げたのでした。で、彼女がどうしても、私にあいたいということになって、彼女の自宅へ招かれ、高級なスーパーでぶどうをひと房買って、訪問をすることとなります。

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副題6、『○林○子さんは、大変いい人でした』

 ○林○子さんは、在ニューヨークの日本人画家としては、大きな存在感を持つ人です。それは、高校時代から留学していて、その後、アメリカの美大を出て、ずっと、ニューヨークで暮らし、そこで、結婚もして、お子さんも二人居て、経済的にも余裕があるからです。

 多分、ご実家の援助があって、建設できたと思いますが、ビルのツーフロアーを、プチホテルへと改造して、それを経営しています。アルバイトを雇えば、ご自分が掃除などをする必要はないので、優雅な暮らしです。

 そして、全体に、賢くて優しくて、とてもいい人でした。それ以降、一切いやな思いをしておりません。

 しかし、驚くべき事が後日、わかるのです。それは、なんと、このホテルチェルシーの引きこもりの男性とは、彼女のご主人だったということです。

 が、ご自宅で出会った、お子さん方は、ハーフだったので、こちらのご主人は二度目の結婚だったと感じます。若い日に普通に出会って恋愛にいたって、結婚をしてお子様ができて、二人で育てた最初のご主人は、従ってアメリカ人です。

 その最初の結婚が壊れた後か、それとも最初のご主人が亡くなった後か、それとも、横から横取りしたのかは一切不明ですが、二度目の結婚として、そのホテルチェルシーに、今現在は、長期滞在して、引きこもっている日本人男性と結婚をされた模様です。

 が、別居、もしくは離婚の原因は、ご主人に当たる、その日本人の方に、問題点があったからでしょう。つまり、その男性は頭でっかちだったということです。ニューヨークでしっかりとした地歩を築いている女性と、共同生活を送りにしては、いろいろな点で、未熟だったということです。

 ホテルチェルシーのインテリ・アルバイト・フロントマンが言うには、いまだにお母さんが日本から来ていて、フロントマンたちに、「主人が悪かった」と悪口を言うそうです。「夫が働き中毒で、子供の面倒を見なかったからだ」と愚痴を言うそうです。
 その大有名人たる父親の名前を、できるだけ、聞かないように気をつけながら、デモ、内心で、『ああ、ここも、きっとお母さんがだめなのだ。ニューヨークにまでやってきて夫の悪口を言ったって、この目の前のフロントマンを始め、誰も同情をしないのに。夫たる人も、つまらない家庭生活を送ったのでしょうね。そのおかあさん自身もお金持ちに生れて、わがままに育った未熟な人なのでしょう。昔はお見合い結婚だから、離婚もできないしねと、思っただけなのですよ。

 さて、その有名な日本人女性画家の夫が、父親が超有名人で、しかも引きこもっているという意味で、別の次元で、ニューヨークでは超が就くほどの有名人でもあるということはだんだんわかってくるのですが、それでも、今まで、このブログ内で、固有名詞をあげて登場した人たちは、誰も、その実名を教えてくれたことは、ないのです。

 まったく違う場所で、その秘密が明かされたのでした。それは酒席です。しかも、私としては、非常に縁が薄い人から。
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副題7、『国画会の大パーティは、酒席です。
            ・・・・・・そこで、大きな秘密が明かされる』

 2004年以来、国展に作品を出していない私は六本木に移った後の、国展のオープニングパーティの会場がどこであるのかを知りません。だけど、上野の都美術館を利用した時代は、パーティは上野の精養軒の大広間でありました。会費は、1万円ですが、総出席者が、千人近いので、お料理が豪華なことは、立食では、ベストの方でしょうというほどです。会場の周りに、ロースとビーフ、推すし、おそば、てんぷら、ドリップコーフィーなどの、屋台も出ますし、ウエイトレスたちが、配り歩く、アルコール類も種類が豊富です。

 そして、始まって一時間以内には、立錐の余地もないほどの人が、集積しています。だから、どんな会話を交わしても周りの人には充分に聞こえてしまうという環境です。
 そんな中で、超がつく有名人の名前が、父親として語られる。そして、その版画家○野○智子さんの親友だとも目されている、在ニューヨークの画家、○林○子さんの夫だとも知らされた。そういう話は、酒席で語られるべき話題ではないのです。もし、私と○野さんのふたりだけが、銀座の喫茶店で、語らいをしていて、ふとという感じで話題がそこまで及んで、秘密が明かされたのなら、許せます。

 しかし、私は、一回も○野○智子さんと、個人的にお茶のみをしたことはないのです。心を交わした事がないのです。親しみを持ち合った事がないのです。

 だから、本心を彼女には言いません。そのときに、私が考えていたことは、

・・・・・あなたって、ひどく低劣な人ですね。私が差し上げたあの、『主婦が個展をする。・・・・・しかもニューヨークで』のできがいいので、嫉妬しているのでしょう。

 で、私をやっつけて、勝ちたいと思っている。ので、この秘密を教えたのでしょう。パーティが始まる前から、こころの準備をしていましたね。馬鹿みたいな計画ですこと。笑っちゃうほどです。
 あなたって、文学(南米というあまり庶民が知らない分野)を題材にとって、版画を作っていますが、文章の読解力という意味で、文脈を正しく読み取れないのではありませんか?

 あの本の中で、大切なことは、弱い立場の人の、人権を守るということで、それが、登場人物、三人の中で、共感をしあったから、友達になれたのですよ。あなたは、ご自分が川崎千恵子(=雨宮舜)に、ただ、勝つために、その、より大切な部分をわざと看過して、傲慢にも・・・・弱い人・・・・を、ここで、さらし者にしましたね。
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 東京女子大を卒業してその後、芸大を出たそうですが、東京の水で現れた人間だとも思えない。高校までは田舎育ちなのではありませんか? おかしい。徹底的に変です。ここまでの、馬鹿を他人にさらして、それで、無事だと思うところが田舎ものなのです。
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副題8、『星野美智子 と、馬越陽子、・・・・・その政治的利用』

 その時に、国画会から去る決意が、はっきりと固められました。山寺重子さんと言ういじめを、する番長さんが居て、そこから発生するいやなことは数々ありました。だけど、それらは、まだ、堪えられました。が、星野美智子さんは、そういう手合いとは違って破綻を見せない人です。誰からも優れた人だと仰ぎ見られているでしょう。が、裏側ではかくも、不道徳な人です。とても利己的で、刹那、刹那の自分の快楽を追うひとです。

 学歴という意味では、同じ進路をとった、馬越陽子さんの方が、かわいくて魅力があると思うほどです。バルザックの小説『従姉妹ベット』内で比較をすると、美しい従姉妹の方が馬越さんだとすれば、美貌ではなくて、ひねくれていて裏工作ばかりしている、『従姉妹ベット』のほうが、星野さんですねと思うほどです。

 二人はひそかなライバルだったのではないかとさえ、思われます。大変陰険な形で戦ってきた二人という意味で。

 でも、はなやかさでは、絶対に馬越さんに負ける。馬越さんの夫は自殺をした。だけど、星野さんの夫は自殺をしていない。そこで星野さんは勝っている。だけど、作品の持つヴォリュームとか色彩感では、星野さんは負けている。その上、世間的な知名度でも負けている。
 そして、性格の上でも、馬越さんのほうに魅力がある。
 いや、ギャラリー手に、私をいじめるために現れた馬越さんだったが、目的が達せられないので、疲れた、疲れたと、連発していた。それは今思い出しても笑いがこみ上げてしまうが、その当日私は、背が10センチぐらい低い馬越さんを見下ろしながら、『なんてかわいい人なのだろう』とも、思っていた。だが、星野さんのケースでは、笑いは浮かばない。
 
 だが、こちとらに言わせれば、星野美智子の心理分析をしながら、山寺重子のそれもやり、指原いく子のそれもやりと、女性の汚さと権力へのあくなき欲望にこころが接触して、『さて、いかにして、この汚さを払うか』と考えれば、『それは、歌を歌うことですね。良い声が出ているときは神様がいつも、ご一緒に居てくださるのだから』と改めて、思い至り、大きな会場の舞台に上がり、カタリなどを歌い、それを見ている人たちが、「あほだな、あいつ」と思っている事を知りながら、ここは去りますと、決意を
固めた、一夕だったのです。

 しかし、去ったつもりの星野さんが、目の前に現れてきます。
 銀座の私が良く、行く画廊で、グループ展をするのです。なるほどと思います。その組み合わせの中で、私と、親しい人が見つかると、そのグループ展そのものが、例のいじめように、役立ててやろうと企図されたことがわかります。

 しかも、その会場に、阿部出版発行の星野さんの版画集が置いてあったりするので、この人は典型的に利用をされているのだな。政治的にと感じます。

 つまり、敵が狙っていることは、常に、『うつ病にさせて、文章を書けないようにさせてやろう』ということです。私にライバルを設定しh手、そちらがどんどん出世をすれば、当然のごとく、気分が暗くなるだろうと狙われています。特に阿部出版は、複数ルートで、知り合いが居るのに、エッセイ集を出してくれません。それを言い出す前に、いろいろ、警戒心をあらわにします。なるほど、なるほどと、納得をしていますが、

 いずれ、こちらの世界にも、訪れるはずです。天罰がね。激震として現れたのが、山口みつ子さんの死です。真相がまだ、現れては居ないが、もしh他殺だったら、そういう行動を指揮しえ居る、鎌倉はずのエージェントと、その美jyつ部門をになっている、酒井昼夜巣し野あくどさは、あぶりだされるでしょう。

 それに、星野美智子さんが、カリに、とてもよい人だったと仮定をすれば、動詞h手あれほどのあくどい事が平気でできたのかを問わないとだめです。

 つまり、彼女は、アノパーティの席で、川崎千恵子よりは、時分の方が、一千倍くらいえらいと思っているから、ああいう言葉を出せたのでしょう。それは、自分の方がずっと前に、会員になっているからというところに論拠があるはずです。会員になるためには、数回賞をとらないとだめです。

 そこが、また、私の弱いところでもあるが、強いところでもあるのです。この賞を授与する側の審査員というのが、どれほど、忌まわしいものであるかについて、すっかりパースぺクティヴ(見通し)を保持して居るからです。

 その代表例としての酒井忠康氏へもまた、戻っていく事ができます。氏が私へなしたいじめようの悪さと派、単に一井健二氏を動かしたルートだけではないと、見えてくるからです。あ、そうですか。阿部出版も配下の出版社も押さえたのですね。そういう形で、言論弾圧をしてくるわけですか。なるほど、でも、こちらは、100年、河清を待つです。

 あなたがなした、こういう子著、子著、下悪も、絶対に世の中に出てきます。その集積は大きすぎますよ。mだ、書いていない大きな裏切りを、美術界全体に対してあなたがやっていますから・・・・・やがて、『王様の耳はロバの耳』となって、あなたの汚さが、この日本中に露見をすることとなるでしょう。

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副題9、『問題は、ユダヤ(大)資本なのでした』

 しかし、ここでは、ひとまず、酒井忠康氏は脇へ置いておきましょう。

問題はホテルチェルシーにあります。そこに、日本の有名人の息子さんが、引きこもっているということから、この一文の、すべての、発想が起きています。その父親とは、実は、ユダヤ系(大)資本家と結びついている人だったのです。

 そうだったのか、そうだったのか。と、一気になぞが解けました。いや、皆様にとってはまだでしょう。全部をここでも説明しきれていないから。

 でも、私にとっては、一気に解明が進んだのです。それで、フェイスブックを利用した意地悪も、納得納得となったのです。『なんだー、ニッチギャラリーの西村富弥さんって、そちらに近かったのですね。だから、こそ、今までの、数多い、いじめの仕打ちをやりたかった』となるわけですね。

 私は原発を、反対しています。だがそこへ使っている核燃料を扱う、国際的軍産共同体の経営者は、そのほとんどが、ユダヤ系で、トップを占められているのは、世界の常識です。で、ユダヤ資本こそ、瀬島隆三とか、小沢一郎とか、と、緊迫に結びついていることはわかっていました。稲盛和夫さんも、成田豊氏もすでに、そちらに組み込まれているでしょう。

 そして、その次の段階のエージェントとして、井上ひさし、伊藤玄二郎、酒井忠康が置かれていて、使われると考えていました。が、別のルートもあったと感じています。その方の一舞台が、ニッチギャラリーだったのです。そこまでわかって、だいぶ、すっきりしてきました。

 星野美智子さんの存在も無駄ではないのです。

 さて、○林○子さんですが、夫の係累が大有名人である事を、ここで、明かされても、別に痛くも痒くもないと思います。というのもお子さん方が、子の人との間の子供ではないです。女にとって大切なのは、男性よりこどもです
 その上、彼女が平気であろうと思う理由が、もう、ひとつ有ります。画家にとって、手のかかる夫は、実はとても、困る存在なのです。

 一般的なレベルの男性だって、ある種の足手まといになるのです。だから、有名な女流画家って、アトリエを作るという形で、実質的には別居していると思います。または、家庭内別居に等しい精神の持ち方で切り抜けています。

 私がどうしているかというと、すでに、美術の世界では大作を作らない生活へと入っています。そちらはペースを落としているのです。パソコンで文章(特に評論やエッセイ)を書くのは、時間を分断されてもできる仕事なのです。だから、夫と仲良く協調して生きていて、このまま老後を始末できたら、いいなと思っているわけです。

 元へ戻ります。○林○子さんは、実はその夫に困惑しきっていたのです。束縛が強くて行動や、精神的な面で、大きな不自由を感じていたのです。で、もうその人を、好きではないのだから、星野美智子さんが、『友達にとってマイナスにはならないでしょう』と感じたのでしょう。で、その結果、私にはプラスになりました。

  では、ここで、初稿は終わりにすると申し上げさせてくださいませ。
 明日、誤変換を直します。
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