これは、一見すると美術の世界の噂話に見えますが、無論のこと、政治の話です。どうか、誤解のないようにお願いをいたします。今、30日の午後1時ですが、やっと完成し、文章の総タイトルも変えました。
副題1、『本日のウォームアップ用文章』
副題2、『英語版、新型フェイスブックが、週に三度も、案内が来るが
・・・・・・その、行為の、真意は、どこにあるか?』
副題3、『小林ひさ子さんとは、どういう人か?』
副題4、『私にも、幸せが、訪れた、時がある』
副題5、『ホテル・チェルシーとは、何なのか?』
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題1、『本日のウォームアップ用文章』
『世の中のことで、真実が100%世に出ることがあろうか?と思うほど、大切なことは隠蔽されている・・・・・出てこないのだ』と、思うようになった私ですが、
こと、私に関しては、35%だった、裏側を明かす程度を、50%か、60%に近く上げていっている段階です。が、当然のこと、ストレスは果てしがないというほど、疲れます。
それに、9月の第二週目、17日までは、グループ展もあり、コーラスの発表会もありで、このブログへ、専念するわけにも、時間上行かなくなるかもしれません。が、常に最大の努力をする私は、引き続いて、最大の努力を、ここに払うつもりです。
しかし、最も書きにくいポイントは、知人や友達のことです。信頼している人物が、悪い教唆によって、裏切ってきた場合に、それ以前の長い交流を思えば、それを暴くことには忸怩たる、思いがあり、苦しみはひとしおです。しかし、そういうアイデアを練ってくる裏側の存在がもっとも、悪質なので、それを、暴き、この国に、真の自由が訪れるようにする事が目的ですから、引き続き、がんばらねばなりません。
最近、苦しいことだったのは、田口広勝さんが、鎌倉陣営エージェントたちに、すっかり丸め込まれていた事を、明らかにすることでした。私の方では、三年前から確実にそれに気が付いていながら、書くのを非常にためらっていた問題です。
田口さんは、出来が良い人物で、ご自分の分析もきちんとできていて、それをまた、言葉によって外へ出すことのできる人材です。
芸大、早慶、東大などの出身であるエリートでも、心や目が曇っていて、それが、できていない人間は多いです。そういう真に上等なひとであり、かつ、いじめるといっても、高度な利用のされ方であって、表面から見れば、別にいじめでもないという事を書くのは、非常に難しいことでした。
田口さんが、今回電話で言ってきたことは、北鎌倉を中心とするグループ展に出品しないかという件で、一見するとどこにも問題がないからです。でも、前報で、解説している通り、それは、タイミング他で考えると、敵方が、最大のレベルで、守りたいと考えている酒井忠康氏に、触れることとなるからでした。それでも、あれでも、15%ぐらいしか触れていません。あとの85%には触れていないのです。
しかし、酒井氏に関しては、ここで、ちょっと分析を、休みます。おびえているわけではなくて、それ以前からの懸案を書いた方が、私の脳内を、すっきりと進行させるからです。他人は動かせません。でも、自分の体は、自分でコントロールできます。脳も自分の体の中の一部であり、それを、どう利用するかは、自分の采配下にあります。
で、話は突然に、ニューヨークへ飛びます。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題2、『英語版、新型フェイスブックが、週に三度も、案内が来るが
・・・・・・その、行為の、真意は、どこにあるか?』
私は外部との連絡用に、AOLを使っています。これはアメリカでできたもので、世界中で使っている人は多い模様ですが、もっとも、国際的軍産共同体に、支配を受けています。でも、私は、何事も、逃げてはだめだという方針を持っていますから、不利でも、じっと我慢をして、使い続けているのですが・・・・・
もう、ひとつ、100%アメリカナイズをされた、一種のニュースが配信されるのです。それは、フェイスブックとそっくりなシステムですが、後からできた、似たようなシステムとしてアメリカを中心に、動いているサイトのようです。・・・ただ、実際に活動をしているものなのか?、それとも、一種の諜略行為として、私に送り込まれてきているのかは、今のところ、わかりません。私は、半々だと考えています。
使う言語は、英語オンリーみたいで、日本人メンバーとして、目立ったのは、南條史雄・森美術館・館長ぐらいでした。
しかし、もう、一人、私にとっては、非常に重要な知人・小林ひさ子・さんが含まれており、そちらのご紹介で、そのサイトのメンバーにもすでになっています。が、日本語で、書き込めるフェイスブックでさえも、いささか、手に余している私にとって、その100%英語だけシステムは、ほとんど、休眠状態なのです。
それなのに、頻繁に送ってくる。肝心の、フェイスブックの方の案内は、送って来なくなったAOLが、そちらの方は頻繁に送ってくる・・・・・これは、一時期来ていて、今は来なくなったホワイトハウスからの、オバマ大統領・秘書の英語版メールと同じで、こと、私に関しては、政治的な意図(=ものを書くな)を持って送ってきている・・・・・のだと感じています。
南條史雄さんにとっては、実用的なエリート同士での、交信システムなのかもしれませんが。
ここで、どういう特定の意図があるかというと、日米間の、現代アート界にとって、相当に重要なひとである、『小林ひさ子さんの事を常に忘れるな』と、命令であり、したがって、『銀座のニッチギャラリーについては、書くなよ』という命令でもあります。というのもニッチギャラリーは、小林ひさ子さんの、紹介で、出入りするようになった画廊だからです。
で、小林さんを好きな私は、そこに対する悪口は、絶対に書かないはずだとみなされていて、ニッチギャラリーが、心理的な弾圧の舞台として、使われてきたのです。何度も。
篠山紀信氏の、青山墓地でのヌード撮影の件での、家宅捜索も、ニッチギャラリーが糸口だったのですが・・・・・そこは込み入りすぎても居るので(つまり、三万字ぐらい、字数を必要とするので)後回しにして、今回のフェイスブックの件だけにこだわりますが、そちらを利用した弾圧にも、見事にニッチギャラリーが舞台として使われたのでした。
フェイスブックに、現代最高の権力者の検閲が入っていて、決して、『自由度が、100%の世界ではないのだ』という事を、今、書こうとしていることは、敵には手に取るようにわかるわけです。そして、それを、書いてほしくないときには、必ず、間接的な手法で、弾圧してくるのは、以前からの長い経験で、良くわかっていることであり、
このLinked In と言うサイトのニュースの配信はそれを目的にしていると判断をしました。で、小林ひさ子さんとの友情を大切にすると、見事に敵の術中にはまることとなるので、残念極まりないですが、彼女との、友情を一切あきらめる事と決意しました。
自然に放っておいたら、こう言うことは決して起きないので、これも、損失が、20億円に上りますといっている、その損失のひとつです。
~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『小林ひさ子さんとは、どういう人か?』
この人は、高校時代に、AFS留学生として、アメリカへわたり、その後、大学もアメリカで学んだ人です。私より少し若いが、すでに、60歳は超えている人ですから、当時のAFS留学生がどれほど、優秀だったかを考えると、頭も非常に良い人である事が推察できます。
しかし、さらに特筆すべきなのは、彼女の性格が非常に良いということなのです。それは、星占いで言っても、それが、いえるのですが、と、同時に生活が、きちんとしていて経済的に恵まれているということも大きいのです。
現代アート系の作家であるということは、生活が苦しいということと同義語なのです。それは、世界中で共通しています。で、皆さん、別の職業を持つということとなり、そのもっとも適切なものが教師であることは世界共通です。
が、小林ひさ子さんの場合はサラリーマンではないのです。ホテルのオーナーです。プチホテルで、10室から20室程度ですが、月給よりは収入が高いでしょう。それに、上手に、人(アルバイト)を使えば、ご自分の時間は自由に使えます。日米の往復の自由、それから、日米の社交界(アート関係)での、他人と伍して行く自由。そういうものを裏付けてしてくれる経済的な自由があります。
彼女は画家ですから、自宅もホテルもソーホーにありますが、自宅はご主人とご自分で、あがなったものとしても、ホテルの方は、日本のご実家の援助ではないかと考えます。これは、明治大正の生まれの親が、ちゃんとした生活をしていれば、日本でも頻繁に、起きた話です。私も、20年近く親から援助を受けていて贈与税を払い続けましたが、親の方に余裕があると、不動産取得の面で、子供を援助したのは、よくあるケースなのです。
ニューヨークのマンハッタン島でも、ある中型ビルのワンフロアーが、3000万円で買えるケースはあると思います。『それぐらいなら、出してあげるわ』という親は多いでしょう。ローンを組んで、二つのフロアーを買えば、それは、プチホテルぐらい経営できる規模の広さとなります。
小林さんは、そういう経済的なバックがある上で、結婚をしていてお子様が二人あり、かつ現在は、ある事情からご主人とは別居中(?)ですから、時間の自由はある人です。これは、画家としては理想的な状態です。
時々は日本で、個展もしますが、それは、ニッチギャラリー専門のようです。それ以外にも雑誌『文学界』(文芸春秋刊)の挿絵を描いたりして、優雅な露出状態です。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『私にも、幸せが、訪れた、時がある』
さて、小林さんは、人がいいので、日本人画家を、ホテルとか、自宅に、お金を取らないで、宿泊させてあげることもあるみたいです。そういう交友を続けている人の二人として、上條陽子さんと、星野美智子さんがいることは、ニューヨークで、小林さん自身から聞きました。
上條陽子さんは、小林ひさ子さんと同じく、とても、人柄の良い方で、アラブの難民支援を重ねていることで有名ですが、それ以外に、安井賞受賞作家であるとか、脳に大病を患って、そこから生還をしたとか、数々の、ドラマチックなエピソードのある方です。美人だし、現代アート系ではスターの一人です。
星野美智子さんは、上條陽子さんと比較をすれば、ドラマも破綻(?)も少ない方です。しかし、私にとっては、後で、驚愕すべき人となるのですが、特に馬越さんと経歴が、とてもよく似ているので、その比較もかねて、後で、もう一回深く論じます。・・・・・
その破綻の少ないところといえば、国画会というところで会員になっていることで知る事ができます。それは破綻を見せないで居ないと、絶対に、なれない立場ですから。フォトエッチングの手法を用いた、版画家です。ボルヘスをモチーフにしているとか。
この二人がどうして、小林ひさ子さんと仲良くなったかは、どちらからも聞いていません。星野美智子さんにとっては、こう言うおいしい情報は絶対に他人には上げたくない模様ですし・・・・・ともかく、情報を握っている、美術界のセレブと仲良くならないと、得られない情報でしょう。
皆さん、ある意味で、鵜の目、鷹の目であるのです。田口広勝さんと、最終的に別れようと決意したのも、彼が、神奈川県展というコンクールで「大賞が近いですよ」と審査員に言われてしまったために、心が上の空になっているのを知ったからです。まるで、聞く耳を持たない状態になってしまっています。大昔のような権高い威張りやさんに戻ったというわけではないのですが、その最大の、長所であった、透明な心が、まるで見えなくなったので、『あ、世間の俗物と同じになっちゃった』と思い、遠ざかる決意ができたのでした。
それらの、甘言を弄する、審査員の上の存在として、酒井忠康氏があるわけで、それに抗して「私のほうに、より大きな忠誠を誓ってください」などと、田口さんに、望むべくもないことぐらい、馬鹿ではない限りわかりますからね。
ところで、元に戻ります。
小林ひさ子さんという有力者と結びつく方法のことです。ニューヨークに強い美術評論家と縁を結ぶとか、いろいろ手法はあるわけです。が、えらい人と仲良くなっても、その人が作家だと、おいしい情報を分けてはくれないかもしれません。パイが小さい世界ですから、作家は心理的には、けちな人が多いです。了見が狭い人が多いです。
ここで、もう一回脇へそれます。私は実は、自分では、そういう出世への動きをしません。それで、たいていの作家にはびっくりしてしまって、すぐ良い友情ができます。ですから、自然に放っておいたら、すばらしい人脈に囲まれていて、美術でも、文章でも、大人物にすでになっているはずなのですが、恐ろしい弾圧をあれこれされてしまったので、すっかり、あきらめてしまって、ひっそりと暮らしています。
大切な情報で、誰にとっても、役に立つ情報でも、それを、誰にも与えないようになってしまっています。電話も使わないし、個人的なメールも応答をしていません。
で、それも加えれば損失が20億円に達するとなりますカラ、怒りは深いです。ただし、こう言う人権侵害をしている方だって、損失をこうむっているのですよ。だって、酒井忠康氏の悪なんて、まだ、まだ、15%も書いていませんから。ぐんぐん、出てくるはずです。彼は徹底的に落ちた偶像となるでしょう。そういう風に仕向けた、張本人は大原光孝という画家ですが、大原さんが、そういう態度をとるのも、瀬島隆三に支配・教唆をされた鎌倉陣営の教唆・指導に基づくものですから、ゆきつくところは、結局、伊藤玄二郎、および、井上ひさしとなるわけです。
大原光孝さんという人がやったことの、ほんの15%程度、ほとんど、問題にならない部分をすでに、書いています。
蝉のおしっこ・・・(心理学的な意味で)・・・を、浴びた私
2010-09-26 14:52:13 | Weblog
http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/7a43d372d204bfe3d8810e89fb2456cf/19
トラックバックが利用できるか、どうかはわかりませんが、本日も試すだけは試しておきます。
興味とお暇があられましたら覗いて置いてください。だけど、これはほんの序の口だということはお忘れにならないで・・・・・彼がやったことの、15%です。あくまでも、そうなのです。私は復讐が目的ではなくて、反省してもらう事が目的ですから、のっぴきならない悪については、どこでも触れていないのですよ。
特に町内会の人間に対しては、これでも、ものすごいレベルで親切を施していて、最も鋭い部分には、触れていないのです。まだ、猫のトラブル程度しか話していないのは、温情のきわみなのです。
さて、大原さんという余談から元へ戻る前に、もうひとつ余談を入れます。それは、私にも結構なレベルで恵まれているところもあるという点です。こんなに、いじめられてストレスが満載で、ストレス性ガンになど、とっくにかかっても良いと思われますが、健康で、普通の状態で生きているのは、いろいろ、恵まれているところもあるからです。
そのひとつが、英語が自由自在に使えるということと、金銭的に豊かな時代が多かったということです。割と、お金には恬淡というか馬鹿で、ばんばん使い切っちゃって、貧乏だったときもありますが、全体としてみれば、恵まれている方で、その二つを使って、海外へ研修に出かけられたことです。それを、56,57,58歳の三年間に、三回もすることができて、それは、ラッキーでした。すべて三ヶ月ずつですが、そのほとんどを、版画修行三昧ですごすことができて、観光としてはだめでも、ある一点に集中したことによって、得がたい学びを得たということです。それが、私の最大のラッキーポイントです。
毎日、10時間以上、ほぼ80日間、土、日もなく徹底的に版画だけを作っている生活というのは、日本に居てはできません。どんなに少ないといっても、それなりに、知人が居て、家族がある。となると、いろいろな雑用ができます。交流もあります。
しかし、海外で一人住まいをしていると、新聞も読まなければテレビも見ません。外部からは電話もかかってきません。ですから、一点集中主義で、版画の修行をすることができて、版画工房で、ある程度の人との、ふれあいもできますので、これ以上はない潤沢な海外体験となります。企業の駐在員や、その家族よりも、濃密な体験をしているといえるかもしれない。
版画工房というのはおしゃべりをしたり、社交儀礼を満たす場所ではありませんが、制作する(=働いている)姿というのは、人間の素顔が現れている瞬間の連続だから、パリならパリの、ニューヨークなら、ニューヨークの素顔の人間に、接することができ、国情も良く飲み込めるのです。それに、たった80日間でも、まったく同じ事をやっているというのは、テクニック的にも芸術的にも大きな進歩をもたらすものです。
他の事を一切やらないということのすばらしさ・・・・・
三年間だけでも、そういう生活を送る事ができたのはラッキーでした。若いときに父が「美大など贅沢だし、将来の生活が不安定になるから、画家になるのはやめなさい」といっていたのに、結局は遺産を残してくれて、それが、元手で、こう言う生活をできたわけです。
そのころは、実学を身につけなさいといわれていて、ICUへ、進学したからこそ、英語が自由自在に使える様になって、宿(アパート)も決めなくても、ひょいと、ニューヨークへ行く事ができる、そういう行動の自由を得られたからです。人間万事塞翁が馬というか、なんというか。
そして、人生全体を振り返ってみても、50代後半というのは、まだまだ、自分にとっての、体力や気力が充分残っていた時期で、あの時点でこそ、やった事が政界だったのです。大変な無理はしましたが、あれだけの、無理が利いたのも、まだ、50代だったからだと感じています。ですから、神は充分にその人を見ていて、その人にふさわしい生活を与えてくださるのです。
で、そういう貴重な体験のひとつがホテルチェルシーとの遭遇です。
~~~~~~~~~~~~~~
副題5、『ホテル・チェルシーとは、何なのか?』
ホテル・チェルシーとは、ニューヨークの一種の文化遺産です。100年以上前に建てられた赤レンガの建物で、アールヌーボー様式のヴェランダがあり、同じ様式のみごとなガラス天井があります。フランスの影響を強く受けている建物で、日本でも、横浜赤レンガ倉庫が活用されているように、建物自体に風情があり、地方からニューヨーク見学に来たおのぼりさんが、その文化的意義を感じてとまったり(ただし、宿泊設備は、古くて不便でもある)玄関の説明版を読みに来たりしているところです。
日本で似たような位置にあるホテルとしては、山の上ホテルが当たるかもしれない。そこでは、有名な文学者が缶詰になって筆を取ったといわれていますね。
ホテルチェルシーも文学者と、画家などの、芸術家が投宿したことで有名です。ただ、二つの間には圧倒的な違いがあります。それは、山の上ホテルは、別に宿泊料をただにして、宿泊者へ援助したとは伝わっては居ないことです。そこで、缶詰になった作家連中はすでに、有名になった人で、宿泊料は出版社側から出ていたと考えられます。ただ、場所的に静か(明大の裏だから、昔は閑静だったと考えられます)だし、大ホテルではないので、宿泊者数が限られており、作家が大衆の人目を気をしたり、それ以外の面でも、気を張ることなく、廊下を行き来することができるという側面が、あったでしょう。
ホテルチェルシーは、もともと、1DKの賃貸マンションとして建てられた模様で、台所が付いています。それで、長逗留する人間には安く宿泊できるという側面があります。日本で言うと湯治場という趣きがある。特に画家に対して、宿泊料を安くしてあげるという援助者気質があるところです。で、画家たちは、作品を宿泊料代わりにおいて帰ったので、たくさんの美術品があり、それが、一階から、九階までの階段スペースを飾っています。出、今では、一種の美術館となっています。
チェルシーというのはソーホーより前に、芸術家がたむろする場所だったのでしょう。今は、そこからさらに西側が発展して一大画廊街にもなっていますので、画家にとっては宿泊してみたい宿ではあります。
私は、ニューヨークではホテルは利用せず、たいていはアパートを借りたのですが、この2002年のときだけは、たった、2週間なので、ホテルを探しました。ホテルチェルシーは、版画の先生役のロバートブラックバーン氏の住まいでもあったので、1999年と2000年には何回も訪問をしており、その内部も良く知っていました。
で、選んだのですが、思いがけず高い。当時円高ではなくて、120円前後でしたが、173ドルといわれては、2万円を越します。ちょっとびっくりしましたが、在ニューヨークに美術関係者が、「川崎さん、それだけの価値はあります。お金というのは、正直です」というので、申し込んで、二週間宿泊して、個展をやったのです。
実はその際に、メールのやり取りがうまくいかなくて、莫大な超過料金(16万円)がかかったのです。それを当時は、ホテルチェルシーのインフラが古いせいだと考えていましたが、今は、違うと考えています。
つまり、その当時から、国際的軍産共同体からは、狙われていたのでした。特に、英語で、通信をする事を忌避されていたのです。ライターとして英語で、書けば原発反対のことなどドイツの緑の党のメンバーなどにも影響を与えかねないとみなされているからでしょう。ただし、2003年以前はメルマガないでも、政治的課題は書いていないので、これは、ひとえに、大学時代に、CIAのスパイだったと思われる、ベイカーさんに頭のよさを見破られてしまっ田事が原因です。そのうえ、彼が、自らの失敗(=見破られたこと)を埋め合わせるために、暗がりのキャンパス内で、痴漢を装って、私を殺そうとしたのです。ところが、それが、失敗したために、引き続き暗殺をしたいと思っていて、さらに、暗躍し、世界中に部下や同調者を配して、肉体的にも暗殺を、試み続けてきました。が、常に、それを、はずすことができた私なのです。
で、肉体的には、それはできないものの、ともかく、私が、発展したり、世界をまたにかけるライターとなったら大変だと思われていて、英語でメールを発信することを妨害をされたのは確かなのでしょう。
~~~~~~~
ここで、また余談に入ります。ご近所の甘やかされた、いじめ軍団番長主婦たちに、以下を、申し上げておきたいと。大原光孝さんも職業がないので、それらの主婦軍団に含まれますが、前田祝一・清子夫妻、安野夫妻、浅野夫妻、石川和子・柳沢昇たちへですが、
「私はあなた方とは訓練の受けた度合いが違いますよ」と。「川崎千恵子は、復讐をしないし、喧嘩にも(日本国内では)もって行かないので、弱い人間だ」と、勘違いをしているのでは有りませんかとも。しかし、私の方では、アンテナの張り方も、頭脳の使いかたも、身じまいのあり方も、彼らとはレベルが違うと思っています。それは、ここに引っ越してきた最初からであって、だから、ばかげた主婦軍団の、井戸端会議には、加わっていません。特殊な地形から、全山に響きわたる声を使って「ゴーヤをさあ、もらったからさあ」とか「うちの、むすめがさあ、湘南高校で、イケメンと付き合っているから、笹と決めなさいと、言っているのにさあ』(いずれも、前田清子夫人のせりふ)、などと自慢をしながら、それに加わらない人間を排除しいじめている軍団とは、はまるで、付き合っていられないと思うわけです。
でも、そういういじめ番長主婦軍団に加わらないことによって、なんと、13坪ぐらい、土地を盗まれてしまうのです。それが、アジサイ畑欺もう事件というものです。他の人はお花を植えて楽しんでいる土地を、我が家だけは、コンクリートうちを、されてしまったのです。そして、その余波で、さまざまないやな事が起きていて、その被害総額が、20億円に上るという、その爪あとを、夕刊を取る時や、門扉周辺の花を観察するために、毎日最低二回はそれを見ますので、そのたびに腹が立ちますよね。そうすると、23年間かける、356日、かける二回、で、15000回以上も腹立たしく、いやな思いをしていることとなります。それだけでも拷問ですが、さらに、ひどい事が数々あるのです。
その原因は、それらの、井戸端会議のいじめぶりにきた、藤本夫人というひとが、道路の真ん中に塀を作ると主張したからですよ。これは、前田清子夫人をたしなめしかる目的があったのです。大学院まで出ていて、八幡宮様の推薦で、國學院大學の講師をしている、前田夫人のアノ傲慢な態度を見たら、誰だってしかりつけたくなりますよ。普通の感覚をもっている人だったら。
教育心理学など、学部時代と大学院時代、二回にわたって取得しているはずなのに、どうしてああいう態度を取れるのだろうというほど、恐ろしい事を平気でやる人なのです。
だけど、当時の町内会長が気が弱くて、前田夫人を謝罪させるよりは、引っ越してきたばかりの私に、犠牲を強いることで解決をした方が楽だと思ったのでしょう。しかも、それで終わらないのです。県のお金、町内会のお金を使って、その後始末、証拠隠滅を図っているのです。活動をしている家は、15軒しかないのに、こんな小さな社会でも、強者の恣意が有効なのです。そして、彼らが得意げに(ということはペンキ塗りお当番をするとか、そのほか、特に活発に動くときがあって、それは、ものの見事に、小沢一郎氏の興隆と連動しています。
ですから、小沢一郎という政治家が、この国で力を持てば持つほど、
この国では、遵法精神などが、なくなってしまうのです。この鎌倉の鶴岡八幡宮の、すぐ西側の山で、26年間に渡って、実験をされ、実行をされた
各種の現象は、だからこそ、一個人の私的な体験ではなくなっていくのです。
しかも、その五つの家族のうちの、安野家以外は毎日、この道路を使うのです。20年前までは各戸に、子供も居ましたから、三人が、毎日何回道路を使いますか?
ざっと計算して、70万回となります。その際に、申し訳ないという気持ちを示されたことは一回も有りません。
しかも、増改築の問題があります。伊藤玄二郎と井上ひさしは、一見すると、いかにも正しそうな法律的な知識をかざしてきますが、
もし、私がしかるべき手段で、「法律を遵守してください。私の方に、こんなに実質的な被害があるのに、それの原因となった方が、これほど、得をするのは納得ができません」と、騒ぎ立てたら、大原光孝さんなど、どうするつもりなのでしょう。
感謝のひとつもなくて、反対に攻撃してくるのですよ。恐ろしい人間たちです。だから、八幡宮の大銀杏も倒れるのです。八幡宮様はこう言う事情は一切知らず、ただ、ただ、悪魔の忠告を受け入れて、あめりか、きささげを、伐採になっているでしょう。それから、神奈川県立近代美術館の土地を返してくださいと主張をなさっているでしょう。それって、全部、悪魔のささやきなのですよ。だけど、ご存じない模様です。
この山の連中は、単に謝罪をしないとか、感謝の意を示さないというだけではなくて、さらにあくらつな事を仕掛けてきているのです。
それをまだ、書いていませんね。だから、わたくしはいつも、まだ、30%しか書いていませんと、皆様に申し上げているわけです。やっと少し、因果関係が見えて来ましたか? 八幡宮様が知らないだけではなくて、美術の窓の編集長、一井いさんもそういう裏があることを知りません。だから、自分が正義の味方をしているつもりになっています。
さらに、その先で使われた野見山さんは、さらに強く、ご自分の方に正義があると信じているのでしょう。だけど、矛盾はきわまれりで、山口みつ子さんの急死を招きました。自殺か他殺かは、わかりません。だけど、野見山さんに、原因があることは明々白々です。このようにして、必ず神様は決着をおつけになるのです。悪魔も跳梁跋扈しますが、天使、天帝もきちんとご活躍なさるのです。
大原光孝氏がもっとまともな人間だったら、柄沢斉氏を、間に挟んで、酒井忠康氏がこの様な、いじめ行動に加担をすることも無かったでしょう。
大原光孝という人間は、面と向かって捨て台詞を・・・・とても、上品なジョークとして言う人間ですが、私は、この2011年の案sん俊似、彼に向かって、こういっています。私だって、あなたみたいな言い草は思いつくことができるわ。だけど、それは、言いません。あなたと、同じレベルには立ちたくないから」と。
私は喧嘩はしませんが、この一連の野見山さんから、始まる文章へひとえに、その時点での大原光孝氏の軽口を用いたいじめに対するご返事となっているのです。
決して、眼に見える形での喧嘩は売りません。だけど、弱いわけでもありません。馬鹿でもありません。他人、とくに、年したの男にからかわれて、黙っている私ではありませんよ。それ相応の落とし前はつけさせていただきます。
800年も生きてきた、大銀杏が、2010年の3月に倒壊したときに、
私は、自分のいきているうちに、これほどの、みしるしが現れるとは夢にも思いませんでした。ありがたいことでした。が、天がそれほど、怒るほどの、悪が、この小さな山の中で行われたということです。
柳沢昇、石川和子夫妻は、陶芸教室を開いていて、その生徒さんたちが、私が犠牲になった道路を通ります。25年間かける、50週、かける、20人、往復、2回は、15000回にもなります。町内会費を払っていない存在です。何で、私がそんな犠牲を払わないといけないのですか。菓子折りでももって、礼を言いにこないといけないのに、警官を巻き込んだ大失敗を、やってしまい、しかもそれを、警察が全体で、かばう始末です。
しかも、そちらを書き始めると、書くのをやめさせるために、今度は、電車の遅延現象を起こして、脅かして、書かせないようにさせる始末です。伊藤玄二郎と、井上ひさしは、国民に対して、大迷惑をかける人たちといってよいでしょう。
さて、ホテルチェルシーで、英文のメールが発送できない話からご近所様様の話へもどってしまいました、が、私も、こちらの件も重要だから、ここで、この一文を終わりとさせていただくことといたします。
ニューヨークのこと、および、小林ひさ子さんが、どうして、こうして、というポイントでは書き足らないところがありますが、
2011年、8月28日から書き始めて、30日に終わる。
雨宮舜(本名、川崎千恵子)
副題1、『本日のウォームアップ用文章』
副題2、『英語版、新型フェイスブックが、週に三度も、案内が来るが
・・・・・・その、行為の、真意は、どこにあるか?』
副題3、『小林ひさ子さんとは、どういう人か?』
副題4、『私にも、幸せが、訪れた、時がある』
副題5、『ホテル・チェルシーとは、何なのか?』
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題1、『本日のウォームアップ用文章』
『世の中のことで、真実が100%世に出ることがあろうか?と思うほど、大切なことは隠蔽されている・・・・・出てこないのだ』と、思うようになった私ですが、
こと、私に関しては、35%だった、裏側を明かす程度を、50%か、60%に近く上げていっている段階です。が、当然のこと、ストレスは果てしがないというほど、疲れます。
それに、9月の第二週目、17日までは、グループ展もあり、コーラスの発表会もありで、このブログへ、専念するわけにも、時間上行かなくなるかもしれません。が、常に最大の努力をする私は、引き続いて、最大の努力を、ここに払うつもりです。
しかし、最も書きにくいポイントは、知人や友達のことです。信頼している人物が、悪い教唆によって、裏切ってきた場合に、それ以前の長い交流を思えば、それを暴くことには忸怩たる、思いがあり、苦しみはひとしおです。しかし、そういうアイデアを練ってくる裏側の存在がもっとも、悪質なので、それを、暴き、この国に、真の自由が訪れるようにする事が目的ですから、引き続き、がんばらねばなりません。
最近、苦しいことだったのは、田口広勝さんが、鎌倉陣営エージェントたちに、すっかり丸め込まれていた事を、明らかにすることでした。私の方では、三年前から確実にそれに気が付いていながら、書くのを非常にためらっていた問題です。
田口さんは、出来が良い人物で、ご自分の分析もきちんとできていて、それをまた、言葉によって外へ出すことのできる人材です。
芸大、早慶、東大などの出身であるエリートでも、心や目が曇っていて、それが、できていない人間は多いです。そういう真に上等なひとであり、かつ、いじめるといっても、高度な利用のされ方であって、表面から見れば、別にいじめでもないという事を書くのは、非常に難しいことでした。
田口さんが、今回電話で言ってきたことは、北鎌倉を中心とするグループ展に出品しないかという件で、一見するとどこにも問題がないからです。でも、前報で、解説している通り、それは、タイミング他で考えると、敵方が、最大のレベルで、守りたいと考えている酒井忠康氏に、触れることとなるからでした。それでも、あれでも、15%ぐらいしか触れていません。あとの85%には触れていないのです。
しかし、酒井氏に関しては、ここで、ちょっと分析を、休みます。おびえているわけではなくて、それ以前からの懸案を書いた方が、私の脳内を、すっきりと進行させるからです。他人は動かせません。でも、自分の体は、自分でコントロールできます。脳も自分の体の中の一部であり、それを、どう利用するかは、自分の采配下にあります。
で、話は突然に、ニューヨークへ飛びます。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題2、『英語版、新型フェイスブックが、週に三度も、案内が来るが
・・・・・・その、行為の、真意は、どこにあるか?』
私は外部との連絡用に、AOLを使っています。これはアメリカでできたもので、世界中で使っている人は多い模様ですが、もっとも、国際的軍産共同体に、支配を受けています。でも、私は、何事も、逃げてはだめだという方針を持っていますから、不利でも、じっと我慢をして、使い続けているのですが・・・・・
もう、ひとつ、100%アメリカナイズをされた、一種のニュースが配信されるのです。それは、フェイスブックとそっくりなシステムですが、後からできた、似たようなシステムとしてアメリカを中心に、動いているサイトのようです。・・・ただ、実際に活動をしているものなのか?、それとも、一種の諜略行為として、私に送り込まれてきているのかは、今のところ、わかりません。私は、半々だと考えています。
使う言語は、英語オンリーみたいで、日本人メンバーとして、目立ったのは、南條史雄・森美術館・館長ぐらいでした。
しかし、もう、一人、私にとっては、非常に重要な知人・小林ひさ子・さんが含まれており、そちらのご紹介で、そのサイトのメンバーにもすでになっています。が、日本語で、書き込めるフェイスブックでさえも、いささか、手に余している私にとって、その100%英語だけシステムは、ほとんど、休眠状態なのです。
それなのに、頻繁に送ってくる。肝心の、フェイスブックの方の案内は、送って来なくなったAOLが、そちらの方は頻繁に送ってくる・・・・・これは、一時期来ていて、今は来なくなったホワイトハウスからの、オバマ大統領・秘書の英語版メールと同じで、こと、私に関しては、政治的な意図(=ものを書くな)を持って送ってきている・・・・・のだと感じています。
南條史雄さんにとっては、実用的なエリート同士での、交信システムなのかもしれませんが。
ここで、どういう特定の意図があるかというと、日米間の、現代アート界にとって、相当に重要なひとである、『小林ひさ子さんの事を常に忘れるな』と、命令であり、したがって、『銀座のニッチギャラリーについては、書くなよ』という命令でもあります。というのもニッチギャラリーは、小林ひさ子さんの、紹介で、出入りするようになった画廊だからです。
で、小林さんを好きな私は、そこに対する悪口は、絶対に書かないはずだとみなされていて、ニッチギャラリーが、心理的な弾圧の舞台として、使われてきたのです。何度も。
篠山紀信氏の、青山墓地でのヌード撮影の件での、家宅捜索も、ニッチギャラリーが糸口だったのですが・・・・・そこは込み入りすぎても居るので(つまり、三万字ぐらい、字数を必要とするので)後回しにして、今回のフェイスブックの件だけにこだわりますが、そちらを利用した弾圧にも、見事にニッチギャラリーが舞台として使われたのでした。
フェイスブックに、現代最高の権力者の検閲が入っていて、決して、『自由度が、100%の世界ではないのだ』という事を、今、書こうとしていることは、敵には手に取るようにわかるわけです。そして、それを、書いてほしくないときには、必ず、間接的な手法で、弾圧してくるのは、以前からの長い経験で、良くわかっていることであり、
このLinked In と言うサイトのニュースの配信はそれを目的にしていると判断をしました。で、小林ひさ子さんとの友情を大切にすると、見事に敵の術中にはまることとなるので、残念極まりないですが、彼女との、友情を一切あきらめる事と決意しました。
自然に放っておいたら、こう言うことは決して起きないので、これも、損失が、20億円に上りますといっている、その損失のひとつです。
~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『小林ひさ子さんとは、どういう人か?』
この人は、高校時代に、AFS留学生として、アメリカへわたり、その後、大学もアメリカで学んだ人です。私より少し若いが、すでに、60歳は超えている人ですから、当時のAFS留学生がどれほど、優秀だったかを考えると、頭も非常に良い人である事が推察できます。
しかし、さらに特筆すべきなのは、彼女の性格が非常に良いということなのです。それは、星占いで言っても、それが、いえるのですが、と、同時に生活が、きちんとしていて経済的に恵まれているということも大きいのです。
現代アート系の作家であるということは、生活が苦しいということと同義語なのです。それは、世界中で共通しています。で、皆さん、別の職業を持つということとなり、そのもっとも適切なものが教師であることは世界共通です。
が、小林ひさ子さんの場合はサラリーマンではないのです。ホテルのオーナーです。プチホテルで、10室から20室程度ですが、月給よりは収入が高いでしょう。それに、上手に、人(アルバイト)を使えば、ご自分の時間は自由に使えます。日米の往復の自由、それから、日米の社交界(アート関係)での、他人と伍して行く自由。そういうものを裏付けてしてくれる経済的な自由があります。
彼女は画家ですから、自宅もホテルもソーホーにありますが、自宅はご主人とご自分で、あがなったものとしても、ホテルの方は、日本のご実家の援助ではないかと考えます。これは、明治大正の生まれの親が、ちゃんとした生活をしていれば、日本でも頻繁に、起きた話です。私も、20年近く親から援助を受けていて贈与税を払い続けましたが、親の方に余裕があると、不動産取得の面で、子供を援助したのは、よくあるケースなのです。
ニューヨークのマンハッタン島でも、ある中型ビルのワンフロアーが、3000万円で買えるケースはあると思います。『それぐらいなら、出してあげるわ』という親は多いでしょう。ローンを組んで、二つのフロアーを買えば、それは、プチホテルぐらい経営できる規模の広さとなります。
小林さんは、そういう経済的なバックがある上で、結婚をしていてお子様が二人あり、かつ現在は、ある事情からご主人とは別居中(?)ですから、時間の自由はある人です。これは、画家としては理想的な状態です。
時々は日本で、個展もしますが、それは、ニッチギャラリー専門のようです。それ以外にも雑誌『文学界』(文芸春秋刊)の挿絵を描いたりして、優雅な露出状態です。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『私にも、幸せが、訪れた、時がある』
さて、小林さんは、人がいいので、日本人画家を、ホテルとか、自宅に、お金を取らないで、宿泊させてあげることもあるみたいです。そういう交友を続けている人の二人として、上條陽子さんと、星野美智子さんがいることは、ニューヨークで、小林さん自身から聞きました。
上條陽子さんは、小林ひさ子さんと同じく、とても、人柄の良い方で、アラブの難民支援を重ねていることで有名ですが、それ以外に、安井賞受賞作家であるとか、脳に大病を患って、そこから生還をしたとか、数々の、ドラマチックなエピソードのある方です。美人だし、現代アート系ではスターの一人です。
星野美智子さんは、上條陽子さんと比較をすれば、ドラマも破綻(?)も少ない方です。しかし、私にとっては、後で、驚愕すべき人となるのですが、特に馬越さんと経歴が、とてもよく似ているので、その比較もかねて、後で、もう一回深く論じます。・・・・・
その破綻の少ないところといえば、国画会というところで会員になっていることで知る事ができます。それは破綻を見せないで居ないと、絶対に、なれない立場ですから。フォトエッチングの手法を用いた、版画家です。ボルヘスをモチーフにしているとか。
この二人がどうして、小林ひさ子さんと仲良くなったかは、どちらからも聞いていません。星野美智子さんにとっては、こう言うおいしい情報は絶対に他人には上げたくない模様ですし・・・・・ともかく、情報を握っている、美術界のセレブと仲良くならないと、得られない情報でしょう。
皆さん、ある意味で、鵜の目、鷹の目であるのです。田口広勝さんと、最終的に別れようと決意したのも、彼が、神奈川県展というコンクールで「大賞が近いですよ」と審査員に言われてしまったために、心が上の空になっているのを知ったからです。まるで、聞く耳を持たない状態になってしまっています。大昔のような権高い威張りやさんに戻ったというわけではないのですが、その最大の、長所であった、透明な心が、まるで見えなくなったので、『あ、世間の俗物と同じになっちゃった』と思い、遠ざかる決意ができたのでした。
それらの、甘言を弄する、審査員の上の存在として、酒井忠康氏があるわけで、それに抗して「私のほうに、より大きな忠誠を誓ってください」などと、田口さんに、望むべくもないことぐらい、馬鹿ではない限りわかりますからね。
ところで、元に戻ります。
小林ひさ子さんという有力者と結びつく方法のことです。ニューヨークに強い美術評論家と縁を結ぶとか、いろいろ手法はあるわけです。が、えらい人と仲良くなっても、その人が作家だと、おいしい情報を分けてはくれないかもしれません。パイが小さい世界ですから、作家は心理的には、けちな人が多いです。了見が狭い人が多いです。
ここで、もう一回脇へそれます。私は実は、自分では、そういう出世への動きをしません。それで、たいていの作家にはびっくりしてしまって、すぐ良い友情ができます。ですから、自然に放っておいたら、すばらしい人脈に囲まれていて、美術でも、文章でも、大人物にすでになっているはずなのですが、恐ろしい弾圧をあれこれされてしまったので、すっかり、あきらめてしまって、ひっそりと暮らしています。
大切な情報で、誰にとっても、役に立つ情報でも、それを、誰にも与えないようになってしまっています。電話も使わないし、個人的なメールも応答をしていません。
で、それも加えれば損失が20億円に達するとなりますカラ、怒りは深いです。ただし、こう言う人権侵害をしている方だって、損失をこうむっているのですよ。だって、酒井忠康氏の悪なんて、まだ、まだ、15%も書いていませんから。ぐんぐん、出てくるはずです。彼は徹底的に落ちた偶像となるでしょう。そういう風に仕向けた、張本人は大原光孝という画家ですが、大原さんが、そういう態度をとるのも、瀬島隆三に支配・教唆をされた鎌倉陣営の教唆・指導に基づくものですから、ゆきつくところは、結局、伊藤玄二郎、および、井上ひさしとなるわけです。
大原光孝さんという人がやったことの、ほんの15%程度、ほとんど、問題にならない部分をすでに、書いています。
蝉のおしっこ・・・(心理学的な意味で)・・・を、浴びた私
2010-09-26 14:52:13 | Weblog
http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/7a43d372d204bfe3d8810e89fb2456cf/19
トラックバックが利用できるか、どうかはわかりませんが、本日も試すだけは試しておきます。
興味とお暇があられましたら覗いて置いてください。だけど、これはほんの序の口だということはお忘れにならないで・・・・・彼がやったことの、15%です。あくまでも、そうなのです。私は復讐が目的ではなくて、反省してもらう事が目的ですから、のっぴきならない悪については、どこでも触れていないのですよ。
特に町内会の人間に対しては、これでも、ものすごいレベルで親切を施していて、最も鋭い部分には、触れていないのです。まだ、猫のトラブル程度しか話していないのは、温情のきわみなのです。
さて、大原さんという余談から元へ戻る前に、もうひとつ余談を入れます。それは、私にも結構なレベルで恵まれているところもあるという点です。こんなに、いじめられてストレスが満載で、ストレス性ガンになど、とっくにかかっても良いと思われますが、健康で、普通の状態で生きているのは、いろいろ、恵まれているところもあるからです。
そのひとつが、英語が自由自在に使えるということと、金銭的に豊かな時代が多かったということです。割と、お金には恬淡というか馬鹿で、ばんばん使い切っちゃって、貧乏だったときもありますが、全体としてみれば、恵まれている方で、その二つを使って、海外へ研修に出かけられたことです。それを、56,57,58歳の三年間に、三回もすることができて、それは、ラッキーでした。すべて三ヶ月ずつですが、そのほとんどを、版画修行三昧ですごすことができて、観光としてはだめでも、ある一点に集中したことによって、得がたい学びを得たということです。それが、私の最大のラッキーポイントです。
毎日、10時間以上、ほぼ80日間、土、日もなく徹底的に版画だけを作っている生活というのは、日本に居てはできません。どんなに少ないといっても、それなりに、知人が居て、家族がある。となると、いろいろな雑用ができます。交流もあります。
しかし、海外で一人住まいをしていると、新聞も読まなければテレビも見ません。外部からは電話もかかってきません。ですから、一点集中主義で、版画の修行をすることができて、版画工房で、ある程度の人との、ふれあいもできますので、これ以上はない潤沢な海外体験となります。企業の駐在員や、その家族よりも、濃密な体験をしているといえるかもしれない。
版画工房というのはおしゃべりをしたり、社交儀礼を満たす場所ではありませんが、制作する(=働いている)姿というのは、人間の素顔が現れている瞬間の連続だから、パリならパリの、ニューヨークなら、ニューヨークの素顔の人間に、接することができ、国情も良く飲み込めるのです。それに、たった80日間でも、まったく同じ事をやっているというのは、テクニック的にも芸術的にも大きな進歩をもたらすものです。
他の事を一切やらないということのすばらしさ・・・・・
三年間だけでも、そういう生活を送る事ができたのはラッキーでした。若いときに父が「美大など贅沢だし、将来の生活が不安定になるから、画家になるのはやめなさい」といっていたのに、結局は遺産を残してくれて、それが、元手で、こう言う生活をできたわけです。
そのころは、実学を身につけなさいといわれていて、ICUへ、進学したからこそ、英語が自由自在に使える様になって、宿(アパート)も決めなくても、ひょいと、ニューヨークへ行く事ができる、そういう行動の自由を得られたからです。人間万事塞翁が馬というか、なんというか。
そして、人生全体を振り返ってみても、50代後半というのは、まだまだ、自分にとっての、体力や気力が充分残っていた時期で、あの時点でこそ、やった事が政界だったのです。大変な無理はしましたが、あれだけの、無理が利いたのも、まだ、50代だったからだと感じています。ですから、神は充分にその人を見ていて、その人にふさわしい生活を与えてくださるのです。
で、そういう貴重な体験のひとつがホテルチェルシーとの遭遇です。
~~~~~~~~~~~~~~
副題5、『ホテル・チェルシーとは、何なのか?』
ホテル・チェルシーとは、ニューヨークの一種の文化遺産です。100年以上前に建てられた赤レンガの建物で、アールヌーボー様式のヴェランダがあり、同じ様式のみごとなガラス天井があります。フランスの影響を強く受けている建物で、日本でも、横浜赤レンガ倉庫が活用されているように、建物自体に風情があり、地方からニューヨーク見学に来たおのぼりさんが、その文化的意義を感じてとまったり(ただし、宿泊設備は、古くて不便でもある)玄関の説明版を読みに来たりしているところです。
日本で似たような位置にあるホテルとしては、山の上ホテルが当たるかもしれない。そこでは、有名な文学者が缶詰になって筆を取ったといわれていますね。
ホテルチェルシーも文学者と、画家などの、芸術家が投宿したことで有名です。ただ、二つの間には圧倒的な違いがあります。それは、山の上ホテルは、別に宿泊料をただにして、宿泊者へ援助したとは伝わっては居ないことです。そこで、缶詰になった作家連中はすでに、有名になった人で、宿泊料は出版社側から出ていたと考えられます。ただ、場所的に静か(明大の裏だから、昔は閑静だったと考えられます)だし、大ホテルではないので、宿泊者数が限られており、作家が大衆の人目を気をしたり、それ以外の面でも、気を張ることなく、廊下を行き来することができるという側面が、あったでしょう。
ホテルチェルシーは、もともと、1DKの賃貸マンションとして建てられた模様で、台所が付いています。それで、長逗留する人間には安く宿泊できるという側面があります。日本で言うと湯治場という趣きがある。特に画家に対して、宿泊料を安くしてあげるという援助者気質があるところです。で、画家たちは、作品を宿泊料代わりにおいて帰ったので、たくさんの美術品があり、それが、一階から、九階までの階段スペースを飾っています。出、今では、一種の美術館となっています。
チェルシーというのはソーホーより前に、芸術家がたむろする場所だったのでしょう。今は、そこからさらに西側が発展して一大画廊街にもなっていますので、画家にとっては宿泊してみたい宿ではあります。
私は、ニューヨークではホテルは利用せず、たいていはアパートを借りたのですが、この2002年のときだけは、たった、2週間なので、ホテルを探しました。ホテルチェルシーは、版画の先生役のロバートブラックバーン氏の住まいでもあったので、1999年と2000年には何回も訪問をしており、その内部も良く知っていました。
で、選んだのですが、思いがけず高い。当時円高ではなくて、120円前後でしたが、173ドルといわれては、2万円を越します。ちょっとびっくりしましたが、在ニューヨークに美術関係者が、「川崎さん、それだけの価値はあります。お金というのは、正直です」というので、申し込んで、二週間宿泊して、個展をやったのです。
実はその際に、メールのやり取りがうまくいかなくて、莫大な超過料金(16万円)がかかったのです。それを当時は、ホテルチェルシーのインフラが古いせいだと考えていましたが、今は、違うと考えています。
つまり、その当時から、国際的軍産共同体からは、狙われていたのでした。特に、英語で、通信をする事を忌避されていたのです。ライターとして英語で、書けば原発反対のことなどドイツの緑の党のメンバーなどにも影響を与えかねないとみなされているからでしょう。ただし、2003年以前はメルマガないでも、政治的課題は書いていないので、これは、ひとえに、大学時代に、CIAのスパイだったと思われる、ベイカーさんに頭のよさを見破られてしまっ田事が原因です。そのうえ、彼が、自らの失敗(=見破られたこと)を埋め合わせるために、暗がりのキャンパス内で、痴漢を装って、私を殺そうとしたのです。ところが、それが、失敗したために、引き続き暗殺をしたいと思っていて、さらに、暗躍し、世界中に部下や同調者を配して、肉体的にも暗殺を、試み続けてきました。が、常に、それを、はずすことができた私なのです。
で、肉体的には、それはできないものの、ともかく、私が、発展したり、世界をまたにかけるライターとなったら大変だと思われていて、英語でメールを発信することを妨害をされたのは確かなのでしょう。
~~~~~~~
ここで、また余談に入ります。ご近所の甘やかされた、いじめ軍団番長主婦たちに、以下を、申し上げておきたいと。大原光孝さんも職業がないので、それらの主婦軍団に含まれますが、前田祝一・清子夫妻、安野夫妻、浅野夫妻、石川和子・柳沢昇たちへですが、
「私はあなた方とは訓練の受けた度合いが違いますよ」と。「川崎千恵子は、復讐をしないし、喧嘩にも(日本国内では)もって行かないので、弱い人間だ」と、勘違いをしているのでは有りませんかとも。しかし、私の方では、アンテナの張り方も、頭脳の使いかたも、身じまいのあり方も、彼らとはレベルが違うと思っています。それは、ここに引っ越してきた最初からであって、だから、ばかげた主婦軍団の、井戸端会議には、加わっていません。特殊な地形から、全山に響きわたる声を使って「ゴーヤをさあ、もらったからさあ」とか「うちの、むすめがさあ、湘南高校で、イケメンと付き合っているから、笹と決めなさいと、言っているのにさあ』(いずれも、前田清子夫人のせりふ)、などと自慢をしながら、それに加わらない人間を排除しいじめている軍団とは、はまるで、付き合っていられないと思うわけです。
でも、そういういじめ番長主婦軍団に加わらないことによって、なんと、13坪ぐらい、土地を盗まれてしまうのです。それが、アジサイ畑欺もう事件というものです。他の人はお花を植えて楽しんでいる土地を、我が家だけは、コンクリートうちを、されてしまったのです。そして、その余波で、さまざまないやな事が起きていて、その被害総額が、20億円に上るという、その爪あとを、夕刊を取る時や、門扉周辺の花を観察するために、毎日最低二回はそれを見ますので、そのたびに腹が立ちますよね。そうすると、23年間かける、356日、かける二回、で、15000回以上も腹立たしく、いやな思いをしていることとなります。それだけでも拷問ですが、さらに、ひどい事が数々あるのです。
その原因は、それらの、井戸端会議のいじめぶりにきた、藤本夫人というひとが、道路の真ん中に塀を作ると主張したからですよ。これは、前田清子夫人をたしなめしかる目的があったのです。大学院まで出ていて、八幡宮様の推薦で、國學院大學の講師をしている、前田夫人のアノ傲慢な態度を見たら、誰だってしかりつけたくなりますよ。普通の感覚をもっている人だったら。
教育心理学など、学部時代と大学院時代、二回にわたって取得しているはずなのに、どうしてああいう態度を取れるのだろうというほど、恐ろしい事を平気でやる人なのです。
だけど、当時の町内会長が気が弱くて、前田夫人を謝罪させるよりは、引っ越してきたばかりの私に、犠牲を強いることで解決をした方が楽だと思ったのでしょう。しかも、それで終わらないのです。県のお金、町内会のお金を使って、その後始末、証拠隠滅を図っているのです。活動をしている家は、15軒しかないのに、こんな小さな社会でも、強者の恣意が有効なのです。そして、彼らが得意げに(ということはペンキ塗りお当番をするとか、そのほか、特に活発に動くときがあって、それは、ものの見事に、小沢一郎氏の興隆と連動しています。
ですから、小沢一郎という政治家が、この国で力を持てば持つほど、
この国では、遵法精神などが、なくなってしまうのです。この鎌倉の鶴岡八幡宮の、すぐ西側の山で、26年間に渡って、実験をされ、実行をされた
各種の現象は、だからこそ、一個人の私的な体験ではなくなっていくのです。
しかも、その五つの家族のうちの、安野家以外は毎日、この道路を使うのです。20年前までは各戸に、子供も居ましたから、三人が、毎日何回道路を使いますか?
ざっと計算して、70万回となります。その際に、申し訳ないという気持ちを示されたことは一回も有りません。
しかも、増改築の問題があります。伊藤玄二郎と井上ひさしは、一見すると、いかにも正しそうな法律的な知識をかざしてきますが、
もし、私がしかるべき手段で、「法律を遵守してください。私の方に、こんなに実質的な被害があるのに、それの原因となった方が、これほど、得をするのは納得ができません」と、騒ぎ立てたら、大原光孝さんなど、どうするつもりなのでしょう。
感謝のひとつもなくて、反対に攻撃してくるのですよ。恐ろしい人間たちです。だから、八幡宮の大銀杏も倒れるのです。八幡宮様はこう言う事情は一切知らず、ただ、ただ、悪魔の忠告を受け入れて、あめりか、きささげを、伐採になっているでしょう。それから、神奈川県立近代美術館の土地を返してくださいと主張をなさっているでしょう。それって、全部、悪魔のささやきなのですよ。だけど、ご存じない模様です。
この山の連中は、単に謝罪をしないとか、感謝の意を示さないというだけではなくて、さらにあくらつな事を仕掛けてきているのです。
それをまだ、書いていませんね。だから、わたくしはいつも、まだ、30%しか書いていませんと、皆様に申し上げているわけです。やっと少し、因果関係が見えて来ましたか? 八幡宮様が知らないだけではなくて、美術の窓の編集長、一井いさんもそういう裏があることを知りません。だから、自分が正義の味方をしているつもりになっています。
さらに、その先で使われた野見山さんは、さらに強く、ご自分の方に正義があると信じているのでしょう。だけど、矛盾はきわまれりで、山口みつ子さんの急死を招きました。自殺か他殺かは、わかりません。だけど、野見山さんに、原因があることは明々白々です。このようにして、必ず神様は決着をおつけになるのです。悪魔も跳梁跋扈しますが、天使、天帝もきちんとご活躍なさるのです。
大原光孝氏がもっとまともな人間だったら、柄沢斉氏を、間に挟んで、酒井忠康氏がこの様な、いじめ行動に加担をすることも無かったでしょう。
大原光孝という人間は、面と向かって捨て台詞を・・・・とても、上品なジョークとして言う人間ですが、私は、この2011年の案sん俊似、彼に向かって、こういっています。私だって、あなたみたいな言い草は思いつくことができるわ。だけど、それは、言いません。あなたと、同じレベルには立ちたくないから」と。
私は喧嘩はしませんが、この一連の野見山さんから、始まる文章へひとえに、その時点での大原光孝氏の軽口を用いたいじめに対するご返事となっているのです。
決して、眼に見える形での喧嘩は売りません。だけど、弱いわけでもありません。馬鹿でもありません。他人、とくに、年したの男にからかわれて、黙っている私ではありませんよ。それ相応の落とし前はつけさせていただきます。
800年も生きてきた、大銀杏が、2010年の3月に倒壊したときに、
私は、自分のいきているうちに、これほどの、みしるしが現れるとは夢にも思いませんでした。ありがたいことでした。が、天がそれほど、怒るほどの、悪が、この小さな山の中で行われたということです。
柳沢昇、石川和子夫妻は、陶芸教室を開いていて、その生徒さんたちが、私が犠牲になった道路を通ります。25年間かける、50週、かける、20人、往復、2回は、15000回にもなります。町内会費を払っていない存在です。何で、私がそんな犠牲を払わないといけないのですか。菓子折りでももって、礼を言いにこないといけないのに、警官を巻き込んだ大失敗を、やってしまい、しかもそれを、警察が全体で、かばう始末です。
しかも、そちらを書き始めると、書くのをやめさせるために、今度は、電車の遅延現象を起こして、脅かして、書かせないようにさせる始末です。伊藤玄二郎と、井上ひさしは、国民に対して、大迷惑をかける人たちといってよいでしょう。
さて、ホテルチェルシーで、英文のメールが発送できない話からご近所様様の話へもどってしまいました、が、私も、こちらの件も重要だから、ここで、この一文を終わりとさせていただくことといたします。
ニューヨークのこと、および、小林ひさ子さんが、どうして、こうして、というポイントでは書き足らないところがありますが、
2011年、8月28日から書き始めて、30日に終わる。
雨宮舜(本名、川崎千恵子)