これは、下にスクロールすると出てくる、19日発信の『野見山暁治氏と、山口みつ子さんの死』・・・・前篇の続きです。
そして、今は24日のお昼ですが、5日目に入りながら、まだ推敲を重ねているところです。特に鎌倉と、関連付けようとしたので、延々と書き続けていることとなりました。が、午後、三時において、鎌倉との関連を今回は、あきらめ、銀座、京橋だけで、終わらせておく事と、決断をいたしました。途中、一行、一行、丁寧には見直しました。で、さらに意味が通りやすくなったのではないかと、自負しております。
また、初稿より、新しく加えたエピソードは、今関さんの部分とか、こいちさんの
部分とか、いっぱいあります。特に後者は、2011-8-24現在、山口みつ子さんへのインタビュー記事が残っておりますので、貴重です。
グーグルで、ランチdeちゅ か、オサルス インタビュー(ozaurus interiew)で、引いていただけますと、中に項目がありますので、画廊という項目を選んでいただけますと、山口みつ子さんの頁が出てきます。
副題3、『小沢一郎、20日に出現する?。細野大臣は福島県知事と会ったが?』
副題4、『山寺重子展が、ニッチギャラリーであることの不思議』
副題5、『山口みつ子さんは、他殺か自殺か?』
副題6、『山口みつ子さんの、カナシミに満ちた目を忘れられない私』
副題7、『みつ子さんのお葬式を妨害したのは、野見山さん、あなたですね』
~~~~~~~~~~~~~
副題3、『小沢、20日に出現する。細野大臣は福島県知事と会ったが?』
この一文が大変長くなりましたので、流れをすっきりさせるために、この部分を、下にある殉教者、山口みつ子より抜いた部分に移動をさせました。ただ、この一文が政治を分析するために書かれている事を示すために、タイトルだけここにおいておきます。
~~~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『山寺重子展が、ニッチギャラリーであることの不思議』
今般の文章はすべて、フェイスブック上でのごたごたの解析から始まっています。そして、私としては、そこからは、外れないようにしていきたいのですが、突然に、野見山暁治と、その秘書山口千里が、登場したので、読者の中には、『いったいこれは何なのだ。どこに関連があるのだ』とお考えの向きもあろうかと思います。
が、確信を持って脇へそれたのは、国際的軍産共同体が、美術界へも、手を伸ばしているその重要なルートとして、野見山暁治、← → 西村富弥ラインがあると、信じているからです。それが証明されたと確信をしたのが、山寺重子展が、ニッチギャラリーで行われたことです。
山寺重子さんは、山口千里さんと、どっちかこっちかというほどの、知的な美女なんです。が、難物中の難物です。女子美卒ですが、頭は、すごく良くて、その頭脳を駆使して、後輩をいじめまくる人です。中学校の世界で、裏番長と言う言葉があるでしょう。成績も良くて、姿形も良い子が、すこぶるつきの悪であるというやつ。
一時期は、銀座の画廊のロビーで、女流画家の間では、『アノ人』というだけでそれが、山寺さんを指すというほど、意地悪度が有名だったのです。つまり、山寺と発音をしてしまうと、壁に耳ありですから、彼女に、自分たちが、なんらかの悪口を言っている事が、つたわってしまう可能性があります。そうしたら後が大変ですから、彼女の名前は、発音しないで、情報交換する。その必要があるというほどの、意地悪なのです。
私がここで、あっさりとその名前を出してしまうのが、それこそ、清水の舞台から飛び降りてしまっていると言うことを示しているわけですが・・・・・
とともに、公募団体展や、コンクールとは一切関わるのをよそうと、思っていることを示しています。
私が一度、今関一馬(東大)先生と、緊密に結びついて、北海道にいる、今関先生と、二時間近い長電話を交わしたりしているのも、(それは無論、こちらからかけた用件がおわっても、今関先生が「もっと話しましょう」とおっしゃったのですが)、山寺重子をどうにかしたいと思っていらっしゃる今関先生が、情報集めのために、私を利用なさったというわけです。
だけど、それは別にイヤなことではないです。国画会の本当のリーダー島田章三(芸大)先生は、事なかれ主義です。自分の奥様の鮎子さんに山寺さんが、パーティなどで、ぴったりとくっついていること(それは、保身のテクニックのひとつ)などを、とがめません。
だから、今関先生は神奈川県在住の国画会関係者というくくりで、派閥を組んで、戦おうとなさったけれど、中央から、国という字を使うなといわれて、「神奈川・鵠・展」と名乗らなければならなかったのですよ。新制作は神奈川新制作展とちゃんと名乗っています。今関先生にとっては、屈辱だったと思いますよ。山寺さんが、困った人だとはみんなが、わかっていても、その首には、誰も鈴がつけられないというわけです。
国画会に初入選した1991年ごろは、私も気弱で、純真でしたから、山寺さんに目の敵にされたのでした。元から国際キリスト教大学出身で、所属派閥がない上に、お局中のお局の山寺さんにいじめられている私は、初入選後三年以内に、「ここはだめだ。出世も不可能だし、いじめられて、暗い気持ちになるだけだ」と思い至り、出ることを考え始めるのですが、公募団体展って、いったん入る(出品、入選する)と出るの大変ですよ。それは、お若い方には言っておきます。やくざの世界が持っている価値観というか、規律志向と似たものがあるので、でにくくて、私も思い立ってから、実際に、出るまでは、10年はかかりました。
で、問題の、山寺さんが、ニッチギャラリーで、個展をする事は、自然に放っておけばありえないのです。画廊って、それなりに傾向とかカラーを持っているもので、ニッチギャラリーは国画会の人なんか、引き受けません。もっと若い人、そして、海外と関係があるタイプの人を引き受ける画廊です。つまり、おしゃれを標榜している画廊です。「ここは、ちょっと、他とは、違うんだよ」ということをセールス・ポイントにしている画廊です。
比較して山寺さんは、お顔はモダンな美女です。だけど、行動様式はドメスティックもドメスティック、古い古いタイプです。
だから、ニッチギャラリーとは、普通なら、または、自然に放っておけば、接点のない人です。
でも、この2011年の夏にはっきりとわかりました。野見山さんが、西村さんに推奨したのです。または、西村さんが、自分独自で、私に対する悪意を持って、山寺さんの個展を開いたのです。どっちにしても、西村さんが、その時点で、私に強烈な悪意を示したのは確かです。
その理由は、もしかしたら、川瀬さんがうちとけて、私に話したいろいろな内情を失敗したと、西村さんが考えたのかもしれません。でも、それは、私が、質問をして聞き出したことでもないので、こちらとしては、それで、いじめられるのは論外です。
そこを、軽くパスするつもりでしたが、もう少し意味の通る書き方をすると、川瀬さんがあまりにもできた働きをなさるので、「あなたはビジネスパートナー? 」としつもんをしたわけです。画廊は、文化的な事業ですが、一応商売でもあるとみなされるらしいので、ビルを借りるときは、保証金というのを出さないといけないのだと推察します。それは、聞くところによると、銀座ではなくても、500万円以上だから、銀座ではもっと高いでしょう。で、私は、川瀬さんが、最初の出資金を、500万円程度出し、西村さんが700~1000万円出したのだろうと、推察したわけです。
私は別にお財布の中身を知りたかったわけではなくて、川瀬さんの働きの熱心さを褒めるために、そういう言葉を出したわけです。そこから先、私に関するひとつの秘密をお話しないといけません。
それは思いがけないレベルで、深く苦労を重ねた私が、すでに、一流の宗教者のレベルにまで達していると言うことなのです。母が「お姉ちゃん、いつの間にそれほど、修行をしたの?」といったのですが、静かな部屋で、二人だけで、話したりして御覧なさい。深い理解度と寛容さを持っている事が、他の人には、ひしひしとわかるはずです。
川瀬さんと私は、そういう深いレベルの哲学的お話をしたのです。
それに西村さんが、一種の嫉妬をしてあれこれ、口を挟むのは論外なのですが、相当に子供っぽい西村さんは、なんと、私をいじめることさえはじめたのです。「あのね、西村さん」とここで、呼びかけたい。あなたが、社長と社員として、川瀬さんと濃密な関係が有るのはわかります。でも、川瀬さんと私がその夜交わした会話は、神の恩沢といってよい内容だから、人間でしかない西村さんは、その会話に容喙してはいけないのです。
そして、西村さん、ここで、ちゃんとそれも、言っておきたいのだけれど、
肝心な内容は、あくまでもここでは、書いていないでしょう。ハッキングをされていること
を知っているから、ワードのした書きでさえ書いていないし、ましてや、公開するメルマガやブログでも書いていません。私はある意味で、高潔だし、川瀬さんを愛しているからですよ。
そんなに我慢をしている私に対して、あなたは、波状的に、何回も攻撃してきましたね。
でも、普通なら、こう言う嫌がらせを受けたら、出入りをしないところですが、間に、小林ひさ子さんという大善人が挟まっているので、縁をきることができず、一種の腐れ縁と化していたのでした。
今回のフェイスブックの件も、そういう切るに切れない微妙な関係にある画廊が、舞台だから、企図されたのです。私に対するダメージがもっとも有効に与えられる舞台だと考えられたのです。しかし、物事には何でも、プラスとマイナスがあります。
向こうも勝った勝ったと大喜びだったでしょうが、私も抜群の、新しい情報を得たし、それを、分析することに取り組む決意を得ましたから、彼らにとっては、かえってマイナスとなるのではないですか?
ともかく、この不自然な流れは一気に過去の、馬越陽子さんが、使われたケース他を思い出させ、裏に、一井健二さんという『美術の窓』の編集長の関与を疑わせることとなります。一井さんのそのまた上は誰かとなって行きます。ともかく、野見山さんと馬越さんの共通項は芸大と、雑誌『美術の窓』の二つです。そして、そこから、一気に過去も、分析できるようになります。そして、現在も未来も。
それが、野見山さんの分析を西村さんのそれよりは、優先した理由です。
△△△△△△△△△△△△
ここで、一井健二さんの裏にいる存在として、鎌倉に住んでいる人材等の分析を始めたのですが、それをやっていると延々と文章が終わらず、まとまりが付かないので、それは、一回引っ込めます。ただ、彼ら悪人どもが最も恐れているのは、酒井忠康氏の本性が、私によって文章化されることです。伊藤玄二郎にとって、野見山暁治派、間接的な知人でしかないけれど、酒井忠康氏は、直接の知り合いですから、そこに言及をさせたくないという動きは、必死に行われましたね。ここ、2,3日、読めること、読めること・・・・・という具合です。
で、銀座(京橋を含む)に戻ります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題5、『山口さんは、他殺か自殺か?』
山口みつ子さんは、未婚で、独身でした。で、不審な急死の結果として、遺体が発見されたときに、誰も、親身になって、「解剖してください」とか、「お部屋を調べてください」と、申し出でる人がいなかったのです。ご親族は駆けつけたと思います。ご兄弟と、そのお子様方。だけど、名士というか、名家だからこそ、「自殺です」と警察から知らされればびっくりして、そそくさとお葬式を身内だけで挙げてしまうでしょう。
私が、遺体発見の朝に、知らされたとしたら、『これは事件だと感じます。他殺です。どうか、室内の指紋を調べてください』とか、主張をすると思います。もちろん、プロの暗殺集団がやっていると思うから、指紋なんか、残しているはずがなくて、「やはり自殺でした」となるかもしれない。でも、私は、それが調査されている間に、さっとブログを書いて他殺である可能性を示します。
私のブログは、こと、対・国際的軍産共同体には、大変大きな力を持っています。だから、ブログで、これを『自殺は疑問だ』と、書いている間に、これでは、隠せないとなって、アノ中目黒の紳士・大原さん殺人事件と同じく、実行犯が、逮捕されたかもしれないのです。
私の方は、当時の、山口さんの死を知らない10日間の間に、我が家に外人がやってきて、その訪問の理由がどうしても暗殺だと思われ、主人に仕事を休んでもらい、我が家に待機してもらっていて、やっと逃れて、そのいきさつを文章に書いている最中だったので、まったく気がつきませんでした。
で、無論のこと、警察にも捜査を要請する暇もなく、ブログを書く暇もないうちに、処理され、特に忌まわしい形の読売新聞の記事が出たのでした。
それに、逝去のお知らせは、近藤実さんからメールで来たのです。それも、変なのです。それから、読売新聞のひどい記事がでました。それをライブの森さんが私にわざと見せたのも大問題です。二人とも、親しいと、敵方が見ては、いるし、私にも、その様に見せてはいるが、実はとっくのとうに、寝返って、わたくしへのいじめの尖兵となっていたのでした。
使う方も、使われる方もばれていないと思っているようですが、わたくしは、そういう二重構造になったいじめでも、瞬間的にわかるのですよ。だけど、相手に向かっては、単純な形では、喧嘩を売りませんから、だましている事が成功していると思っているみたいですが、とんでもないです。
じっと我慢をしていますが、その間に、冷静に、それらの、ぱしり役を観察していますから、意図的にいじめ役をする限り、絶対にその正体も、いきさつも、適切な時期に、文章に書かれると覚悟をしてやってくださいね。結果はとても恥ずかしいこととなりますよと言わせて置いてください。私をだまそうなんて、ちょっと、頭が悪すぎる人間のすることです。というか、行動や心がが単純すぎる人間のすることです。つまり、自分自身では、自らを、優れていると規定している、主観的な人間です。または発達的に、幼い人間です。
そして、私は、もう、森さんも近藤さんも、野見山さんも、まともに、相手にするつもりはないですから、謝罪の機会も修復の機会もないということです。この人たちは、『人間じゃあない。人間としての基本的な道徳観がない』と思っていますから。・・・・・
ところで、自分のことはともかくとして、山口みつ子さんの周辺に関しては、書いている私自身も切ないし、つらくてたまらない部分です。読者の皆様におかれましても、読みづらいところでしょう。2010年の3月の方では、新聞の記事や、オリックス選手の沖縄キャンプ中での自殺に関して、言及してありますので。
でも、なぜ、これほどの、文章を書くかをも、お知らせをさせてくださいませ。この一文は二重構造になっています。映画のレンタルDVDにたとえれば、本編の中に、メーキングの部分が入れこめられているということと同じです。
つまり、本当の本編は、フェイスブックのこと、そこにおける国際的軍産共同体の支配を語ることです。が、その前に、ほとんど、相似形として現れた、銀座の画廊街での悪というものを、今書いている最中なのです。今回の主役、西村富弥さんは、一般社会的には無名の人です。銀座の画廊街でだって、無名かもしれません。かれは、わざとそうしていると思われます。それが身を守ることに通じると知っているのでしょう。
だから、より一般的な知名度のある、野見山暁治氏を先に取り上げました。これが地ならしに当たるのです。野見山氏は、山口みつ子さんの死後も堂々と、マスコミに登場していますし、これからも、この一文が世に出ているからこそ、ちやほやされ続け、オマージュがささげられるでしょう。だけど、ここに書いてある事実は、真実なのです。どんなに威張っていても、店に叱られるはずです。その一つ目が山口みつ子さんの死です。
そして、その先というか、結果として、小沢一郎の突出とか、露出とか、再登場とか、活躍というのが出てくるのです。20日のNHKニュースによれば、民主党の首相立候補者は、すべて、小沢もうでをしたか、これからやるみたいです。仙谷氏さえ、擦り寄っていると、夕刊フジが言っていました。それが、どうして、起こるかというと、美術界の弾圧が功を奏していると彼が信じているからです。
私がこう言う文章を書くのは、両刃の剣ですから、私自身をも傷つけるわけですが、そこを、向こうは計算しています。そして、昨日留守をしている際、お出かけ先は銀座の画廊でした。それは、電話盗聴ですぐわかりますから、留守中に、またもや、下着をいたずらする(いれてある引き出しを移動する)泥棒が入りました。四方八方からの重層的な攻撃に出会うわけですが、それに出会えば出会うほど、意気軒昂になる私です。
つまり、結論として言えば、山口みつ子さんの急死は自殺ではないと言うのが私の持論であり、それに対して、野見山さんは、おおいに責任があるということです。
もちろんのこと、野見山さんが、実行をしたというわけではありませんよ。これから先は、例の私固有の見てきたような嘘を言いの類ですが、
ベテランの暗殺者たちは、鍵を開けるのなど、お茶の子さいさいですから、先に入っておいて、猫を眠らせて、取り込んで、他の場所へ移動させて置きます。
彼女が帰宅するまでは、電気をつけず、身を潜めて待ちます。彼女が帰宅した途端に、クロロフォルム等で、麻酔にかけます。その後、下にいた人間の合図で、誰も気が付かない瞬間を狙って、彼女の体をビルの窓から落とします。そこまで、(つまり、ビルの住人が全部寝入るまで)数時間は待ったかもしれません。
それと同時に、自殺に見せかける工作をします。自宅のパソコン、ないしは、画廊のパソコンに、手袋をはめた手で、遺書めいたものを入力しておきます。
室内や、台所は『立つ鳥、あとを濁さず』と見えるように、整理整頓して、現金や宝石類は、丁寧にもとの保管場所においておきます。侵入の形跡を注意深く消します。
彼らが馬鹿だったら、猫を持ち去るし、利口だったら、猫は失神したそのまま、おいて帰ります。猫は口が利けないし、眠りこけていたので、異常を察知できず、また、関係者にそれを訴えることもできません・・・・・
こう言うことを、86歳を超えている野見山さんが、できるはずはないです。ただ、氏には道義的な責任があります。それを書きたいのです。
~~~~~~~~~~~~~~
副題6、『山口みつ子さんの、カナシミに満ちた目を忘れられない私』
あれは、ギャラリー山口で開かれた、野見山さんの最後から、一回ほど前か、二回ほど前の個展のときです。会場に入った私は、そこに、センリさん(山口千里)を発見してびっくりしました。センリさんの作風は、繊細な具象です。特にテンペラという、卵を使った画風であり、その仕上がりの結果は、この画廊には合わないもので、それこそ、三越で、おかねもちが、自宅を飾る目的で、買い求める類のマチエールですから、ここで、出会う事が不思議でならなかったからです。
で、この時点では、センリさんの変身にはまだ気が付かず、「どうしたの? センリさん、どうしてここにいるのよ」と、明るさ丸出し、善人ぶり丸出しで、問いかけました。するとセンリさんは、従来の落ち着いた静かな声で「ワタシ、野見山さんの秘書になったの」といいました。私はのけぞるほど驚いて、瞬間的に、二つのことを頭に浮かべました。それは、この就職は私とセンリさんの電話のやりとりから導入された、きわめて政治的なものであり、センリさんは、近々に、私との、友情を捨てていくであろうということ。次に、『ああ、センリさんて、魔弾の射手になっちゃったのだわ。これから、ご家族は今まで以上の寂しさと、カナシミを味わうでしょう。我慢以上の我慢を続けることとなるでしょう』ということ。
結婚している女性が画家であること自体が、家族には深い我慢と悲しみを与えるものですが、さらに、カルチュアセンターの講師と、この秘書業務を加えた千里さんは、多忙の上に多忙になるからです。
さて、そのくらいで、彼女を離れ、例のごとく、二分で画廊を去ろうとしている私に山口みつ子さんが「ワインを飲んでいらっしゃいよ」といいました。この画廊では、過去にも、何回か、ワインを頂いて、五分以上長居をしたことのある私は、「ありがとう」といって、それを、受け取り飲んでいると、みつ子さんが、『あなた、センリさんを知っているの?』と質問をしてきました。
そのときに、私はみつ子さんの本当の気持ちが一瞬にしてわかったのです。みつ子さんは、ご自分の晩年像として、野見山さんのパートナーとして生きることを願っていたのを。
それは、入籍を目指して財産の遺贈などを目的とした功利的なものではないはずです。
ただ、心通わせるものとしての結婚です。
野見山さんが、銀座で社交的な二次会とか、三次会を済ませた後では、タクシーで、ワンメーターで来ることのできるみつ子さんの自宅に寄ってもらって、おいしいお茶漬けを出す。そして、きれいな浴衣かパジャマを風呂上りの野見山さんのために、用意し、ベッドで一緒に添い寝する。野見山さんが、すでに、セックスなどには、興味がないことも知っている。だけど、みつ子さんだって、セックスになんか、興味はない。長年一人で生きてきたのです。遊んでもいない人で、誰にも彼女は言わな駆ったでしょうが、処女だったのではないかと、私は推察しています。育ちの良い人で、私と同い年ですから、それは、ありえます。それ以降の世代とは、まるで違うところがありますから。
時々は、野見山さんの東京の自宅も訪れて、洗濯をしたり、料理(昼も夜も)をしたり、野見山さんの手紙類を整理したり、時にはわずらわしがる野見山さんの、芸術家としての気配を察して、自分のマンションへ帰る。・・・・・彼女は、そういう生活を願っていたのですが、それが、私には、一瞬にして見えたのです。そして、彼女がそれを、いわゆる告白という形では、野見山さんにまだ、表明してもいないこと。
だから、千里さんが現れたときに、優先権を主張できないこと。野見山さんは、・・・・・みつ子さんんの気持ちは、充分にわかっているけれど、若い千里さんは娘みたいなものだし、家庭の主婦なんだから、自分の方は、セクシュアルな気持ちは一切持っていないのだから、公明正大なものだと、一部は楽観、一部は、まじめさの欠落を持って、みつ子さんへの、慰撫の労を取る事を抜かしてしまったのです。千里さんの秘書雇用を決定する前に、お茶の機会でも持って、『今度、こう言うことになる。君にも散々お世話になったが、これは、美術の窓の方からの要請で、ひとえに政治的な意味があるのだよ』といっておけば、みつ子さんも肝氏hにゆとりが出たでしょう。
しかし、ほとんど、裏切りに近い形で山口千里という存在が顕現して、不可能になったことの、虚無感、さびしさ、そういうものが、手に取るように、私にはわかりました。後でわかったことですが、美術界の名士を訪問してインタビューをするホーム頁があります。レストランの支援を得ていて、それを広告もしてあげる、ダブル広告となっている頁ですが、その中で、みつ子さんは、おカンムリになってしまっています。インタビューをする女性・こいち・さんが、ただでさえ、暗い意地悪な感じで、私もいつも、いやな感じを受けているのですが、それでも、画廊のオーナーとして、普通なら、宣伝の役に立つのだから、と我慢をして、愛想良く最後まで付き合うはずなのに、途中で怒ってしまっています。
質問は何だろうと見てみると、恋愛とか、結婚に関するものです。もし、こいちさんが、野見山さんが、千里さんを秘書にしたことを踏まえて質問をしたのなら、これほど、意地悪なことはないというほどの、質問です。反対に、何も知らないで質問をしたのなら、こいちさんは、馬鹿だとなります。ずいぶん、銀座の画廊街で、姿を見かけますが、何もわかっていないのだなとなります。
山口みつ子さんは、育ちが良い人で、10歳ぐらい若いこいちさんとは、まるで、恋愛・作法が違うのです。『独身だから、そこで、個展をする男性の作家と、ホテルぐらいに気軽に行くのでしょう』という認識で、質問をしたのだったら、圧倒的な間違いなのです。失礼極まりない質問だったのですよ。その上、みつ子さんは、実存的な危機にあったのです。このホーム頁の彼女の部分の編集マナーは、失礼極まりないです。死後も同じ形で残っていたから、こいちさんは野見山さんに命令されるというか、野見山さんと組んで、こう言う編集にしているのではないかしら?
そこまでかんぐってしまうほど、みつ子さんは、秘書、山口千里の出現に参っていたのです。
で、野見山さんの個展当夜のオープニングパーティに時制を、戻します
私は、みつ子さんの、本当の気持ちがわかってしまった以降は、非常に注意深く、答えました。彼女を傷つけないように。でも、嘘を言っても、たちまちばれるから、真実を。
『山口千里さんって、どういう人なの?』
『彼女はね。野見山さんと同じ北九州の出身なの。それで、ずっと前から、心酔していたの。ここで、『国画会で、千里さんが、芸大卒でもないのに、芸大派閥に加えられているのは、野見山さんの、推薦によるものだと思う』と、言うポイントだけは、その時に、告げたかどうかを、今の私は、覚えていません。
ただ、みつ子さんは、もっと深い事を知りたそうなので、
『聖心女子大を出たお嬢様なのよ。でも、とても、さばさばしていて、(女々しいところはないから)しごとはできる女性なの』とも、話したでしょう。
つまり、野見山さんとの間には、恋愛感情はない。あくまでも、しごと上の関係だ。『だから、みつ子さん、あなたの希望は捨てなくてもいい』という思いを込めて。
みつ子さんは、千里さんの登場に深いダメージを受けて、やる気を失ったのです。巷間うわさをされている財政破綻が、事実なら、それは、秘書・山口千里・出現以降の、みつ子さんの投げやりな気持ちが招いたものでしょう。
みつ子さんの胸には、誰にも告げられない、索漠たる思いが、充満していたのです。私が、1月の13日に画廊で彼女にあった後で、17日になくなるまでの、数日間のうちに、彼女湯は手さげつきのとても小さな(ということは返って上等だということ)紙袋の中に、私の本を入れて、メモつきで返してくれました。
ギャラリー山口には大小、二つの部屋があって、20年の歴史があるから、単純に計算すると、2000人の作家が、あそこで個展をしたことになります。もちろん、の身や尼さんのように、10回以上やった人もいますから、そこで数は減りますが、一方で,グループ展として、利用した作家もいるから、最低でも、1000人がそこで、展示をした作家数と考えてもいいでしょう。私は、その数の中に入っていないのです。あそこで個展をやった事がないから。
でも、私は深い紐帯を感じていて、彼女の事を忘れた日はありません。
~~~~~~~~~~~~~~
山本七平氏が、保険会社の財政が豊かなことを評して『女性の膏血を搾り取って、成り
立っている』といって物議をかもし出しました。今ではなくて、だいぶ前のことです。これを、セクシュアルな奉仕とだけ、捕らえるのは下賎な見方です。
別にホテルに一緒に行かなくても契約を、もぎ取った女性外交員はいっぱいいると思います。ただ、セクシュアルな奉仕がない形で、制約にこぎつけるためには、心血を注いだ、心理的な奉仕が必要です。それもまた、他人のエネルギーを使って、お金をもうけるという意味で、そのエネルギー消費が過大なら、膏血を搾り取ったと、言うに値すると感じます。
~~~~~~~~~~~~~~
副題7、『みつ子さんのお葬式を妨害したのは、野見山さん、あなたですね」
山口みつ子さんのお葬式は、とてもひそやかに行われた模様です。その後で、画廊はてんてこ舞いになりました。2010年の18日から30日の間に、いろいろな始末をつけないといけないのです。特に、倉庫が別の場所にあって、そこにたくさんの作品が収蔵をされていたと聞いていますし。
それを、引き受けてくれたところが、彼女が、抱えていたと噂をされている借金を、棒引きにできたらよいのですが。つまり、ビルのオーナー等へ未支払いの家賃があったと噂されていますが、ビルのオーナーは現代アートの世界の人ではないので、彼女が現代アートの世界で、どれほど、大きな存在であったかは、理解していない人でしょう。だから、借金を取り立てていた(強く請求していた)可能性は有ります。弁護士が付いていると思いますから、死と引き換えに、すべては、帳消しになっているとは思います。ご兄弟とか、姪ごさん、甥ごさんが責任を負う事はないでしょう。
ただし、その債権者が、もし、現代アートに理解の深い方だったら、ベターだとは感じます。その倉庫に保存してあった作品だけでも、買値としては膨大な額になると思います。彼女の画廊は大きい方が、一週間40万円で作家に使わせ、小さい方が、20万円で使わせていました。両方で、60万円、月に240万円の収入があるはずです。が、野見山さん他の、有名な画家に個展をさせるときはただで、やらせてあげるから、それほどの、お金が入ってきたわけでもないでしょう。ただで開かせてあげた作家からは、それなりの、作品を一点か二点、もらうという形式だったと感じています。山口さんはお嬢様育ちが歴然としてわかる人で、それらの査定については、作家側の言いなりで、高い値段で買い取ったはずです。が、それを、売ろうとしたら、二束三文にもならないでしょう。多分、百分の一で、売れるかどうか?
でも、私は祈っているのですが、『彼女が、死後もお金の件で、ひとの恨みを買ったり、悪口を言われることがないように』と。本当に、ほとんど毎日、切に祈っています。
でね、お葬式ですが、行われたかどうかも、怪しいです。飛び降り自殺ということになっているらしいので、一応のこと、警察に遺体が行ったのでしょうね。司法解剖がなされたかどうかはわからないものの、ご親戚は、そのまま、遺体を火葬場へ、直行させて、遺灰を、海などへ散骨させてしまったかもしれないのです。もし、ご兄弟が、普通に結婚をしていて、子や孫があると、一族から自殺者が出たことは伏せたいからです。
ところで、またここで、余談に入りますが、千里さんの秘書としての能力というかレベルですが、90%のレベルで高いとはいえませんね。本当の秘書というのは、上司が、間違った判断をするときは諌めるものです。先生、「それは、おやめになった方がいですね」というものです。ここでも、もし千里さんが、これは変だと思った事を、野見山さんの世間的な権威に屈して、そのまま通したのだとしたら、彼女は第二級レベルの秘書です。
野見山さんの、窪島誠一郎さんとの、対談については後日裏側を書きます。
それに比べれば、山口みつ子さんの現代アートへ対する貢献の方が真摯で、大きかったし、私がやっていることの、意義の方が、ずっと大きいと、自負しています。ただし、天(または、神)のみぞ、知るですが。
この一文が原因で、銀座の画廊街で、私が、不利をこうむることがあれば、それは、その時の、話であり、充分に次の動きを、考えてはおります。その予測もこめての、この一文です。
~~~~~~~~~~~~~~
さて、スピンオフから、元へ戻ります。
山口みつ子さんの、死が警察から自殺だといわれれば、ご親戚は、その遺灰を、散骨した可能性があると、申し上げるために、上のエピソード群をさらしました。というのも身近な人間にとっては、直近の事が大切で、山口みつ子さんが、現代アートの世界で、どれほど、大切で、重要な人間だったかなどと言うことは、彼、彼女らには見えていないことだからです.
2.26事件に関しても、親戚の中に確かに、主要な将校がいたらしいのですが、冠婚葬祭において、その一族との交流は、我が家には、一切ありません。父にとっての、いとこか、はとこクラスの近さだと思うし、「苗字を、田中といったかな」とだけは、覚えていますが、それ以上の情報を私は持ってはいないのです。
で、みつ子さんのお骨が、どこかに、雲散霧消してしまったら、みつ子さんのやるせなさは、いかばかりでしょう。それに、さらに輪をかけて、それが他殺だったらどうなるでしょう。
もちろん、皆さんが噂として、信じている自殺だとは思いますが、その後の、忌まわしい展開を見ていると、『これは、やはり、他殺だった』と信じます。あえて、身を窓から投げたのが、彼女自身の意志だったとしても、それは、間接的な殺人に当たり、もっとも、責任の重いのは、野見山さんです。最後の段階で、二重、三重に彼女を苦しめ、追いこんでいたと感じます。
それが最も証明されたのは、自発的に起きた、しのぶ会(友人が発起人として行う私的な、お葬式であり、この場合は、2010年の1月31日に予定をされていた)がつぶされたことです。誰がつぶしたのだろう。それは、外へ出ていませんが、野見山さん以外にはありえません。あそこの関係者で、別の人がそれを提案しても、野見山さんが「やりましょう」といったら、絶対に行われます。
その時点では、山口みつ子さんの住所録の中で、一番偉い人が、野見山さんだったからです。彼が具合が悪いとしても、それは、弔電を送るという欠席の通知を出すだけでよいはずです。また出たくないのなら、九州に行ってしまえばいいのです。
自分はそれに出たくないという事を自然に処理するのではなくて、意図的にしのぶ会の開催をやめさせたのです。理由は、一つ目は、『さすがに、気がとがめた』と言うのにしておきましょう。二つ目は会場で、『私(雨宮舜=川崎千恵子)と、目が合う事を恐れた』ということだったと思います。私は用心深い人間で、上に書いているようなことは、すべて、当時にわかっていましたが、他者が聞いたり見たりしている場所で、それを、こと上げするようなやからではないです。お酒を飲んでも、人に絡む癖はありません。
ただし、目は口ほどにものを言いの典型で、小さな目なのに、非常に力強く、かつ雄弁にものを語るらしいです。その目で一回野見山さんの真実を見通しています。
だから彼は恐れたのです。それが、しのぶ会でも再現される事を。卑怯な人間です。これ以上ないほど、卑怯な人間です。弱い人間です。ただ、ただ、教唆されたとおりに動く。そして、その結果が恐ろしいことになったら、単にほうっかむりをして逃げる。
その程度の人間なのです。
その絵は、関西で言うざんざんばらという言葉にぴったりです。破壊の衝動を満たすための絵みたいです。実際問題として、彼は山口みつ子さんの人生を破壊したのです。その夢も希望も尊厳さえも破壊したのです。生前はともかくのこととして、死後の尊厳さえ奪ったのです。
山口みつ子さんは、本当にかわいそうです。でも、個々までかわいそうだと、それは、一種の聖人の領域に達したともいえます。現代社会の汚さの中で、殉教者になったのです。
常に、聖と俗が常に背中合わせだとすれば、山口みつ子は聖人であり、殉教者であり、
野見山暁治は、俗人であり、破壊者です。
では、この項は、ここで終わります。2011年8月22日 雨宮舜(本名 川崎千恵子)
そして、今は24日のお昼ですが、5日目に入りながら、まだ推敲を重ねているところです。特に鎌倉と、関連付けようとしたので、延々と書き続けていることとなりました。が、午後、三時において、鎌倉との関連を今回は、あきらめ、銀座、京橋だけで、終わらせておく事と、決断をいたしました。途中、一行、一行、丁寧には見直しました。で、さらに意味が通りやすくなったのではないかと、自負しております。
また、初稿より、新しく加えたエピソードは、今関さんの部分とか、こいちさんの
部分とか、いっぱいあります。特に後者は、2011-8-24現在、山口みつ子さんへのインタビュー記事が残っておりますので、貴重です。
グーグルで、ランチdeちゅ か、オサルス インタビュー(ozaurus interiew)で、引いていただけますと、中に項目がありますので、画廊という項目を選んでいただけますと、山口みつ子さんの頁が出てきます。
副題3、『小沢一郎、20日に出現する?。細野大臣は福島県知事と会ったが?』
副題4、『山寺重子展が、ニッチギャラリーであることの不思議』
副題5、『山口みつ子さんは、他殺か自殺か?』
副題6、『山口みつ子さんの、カナシミに満ちた目を忘れられない私』
副題7、『みつ子さんのお葬式を妨害したのは、野見山さん、あなたですね』
~~~~~~~~~~~~~
副題3、『小沢、20日に出現する。細野大臣は福島県知事と会ったが?』
この一文が大変長くなりましたので、流れをすっきりさせるために、この部分を、下にある殉教者、山口みつ子より抜いた部分に移動をさせました。ただ、この一文が政治を分析するために書かれている事を示すために、タイトルだけここにおいておきます。
~~~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『山寺重子展が、ニッチギャラリーであることの不思議』
今般の文章はすべて、フェイスブック上でのごたごたの解析から始まっています。そして、私としては、そこからは、外れないようにしていきたいのですが、突然に、野見山暁治と、その秘書山口千里が、登場したので、読者の中には、『いったいこれは何なのだ。どこに関連があるのだ』とお考えの向きもあろうかと思います。
が、確信を持って脇へそれたのは、国際的軍産共同体が、美術界へも、手を伸ばしているその重要なルートとして、野見山暁治、← → 西村富弥ラインがあると、信じているからです。それが証明されたと確信をしたのが、山寺重子展が、ニッチギャラリーで行われたことです。
山寺重子さんは、山口千里さんと、どっちかこっちかというほどの、知的な美女なんです。が、難物中の難物です。女子美卒ですが、頭は、すごく良くて、その頭脳を駆使して、後輩をいじめまくる人です。中学校の世界で、裏番長と言う言葉があるでしょう。成績も良くて、姿形も良い子が、すこぶるつきの悪であるというやつ。
一時期は、銀座の画廊のロビーで、女流画家の間では、『アノ人』というだけでそれが、山寺さんを指すというほど、意地悪度が有名だったのです。つまり、山寺と発音をしてしまうと、壁に耳ありですから、彼女に、自分たちが、なんらかの悪口を言っている事が、つたわってしまう可能性があります。そうしたら後が大変ですから、彼女の名前は、発音しないで、情報交換する。その必要があるというほどの、意地悪なのです。
私がここで、あっさりとその名前を出してしまうのが、それこそ、清水の舞台から飛び降りてしまっていると言うことを示しているわけですが・・・・・
とともに、公募団体展や、コンクールとは一切関わるのをよそうと、思っていることを示しています。
私が一度、今関一馬(東大)先生と、緊密に結びついて、北海道にいる、今関先生と、二時間近い長電話を交わしたりしているのも、(それは無論、こちらからかけた用件がおわっても、今関先生が「もっと話しましょう」とおっしゃったのですが)、山寺重子をどうにかしたいと思っていらっしゃる今関先生が、情報集めのために、私を利用なさったというわけです。
だけど、それは別にイヤなことではないです。国画会の本当のリーダー島田章三(芸大)先生は、事なかれ主義です。自分の奥様の鮎子さんに山寺さんが、パーティなどで、ぴったりとくっついていること(それは、保身のテクニックのひとつ)などを、とがめません。
だから、今関先生は神奈川県在住の国画会関係者というくくりで、派閥を組んで、戦おうとなさったけれど、中央から、国という字を使うなといわれて、「神奈川・鵠・展」と名乗らなければならなかったのですよ。新制作は神奈川新制作展とちゃんと名乗っています。今関先生にとっては、屈辱だったと思いますよ。山寺さんが、困った人だとはみんなが、わかっていても、その首には、誰も鈴がつけられないというわけです。
国画会に初入選した1991年ごろは、私も気弱で、純真でしたから、山寺さんに目の敵にされたのでした。元から国際キリスト教大学出身で、所属派閥がない上に、お局中のお局の山寺さんにいじめられている私は、初入選後三年以内に、「ここはだめだ。出世も不可能だし、いじめられて、暗い気持ちになるだけだ」と思い至り、出ることを考え始めるのですが、公募団体展って、いったん入る(出品、入選する)と出るの大変ですよ。それは、お若い方には言っておきます。やくざの世界が持っている価値観というか、規律志向と似たものがあるので、でにくくて、私も思い立ってから、実際に、出るまでは、10年はかかりました。
で、問題の、山寺さんが、ニッチギャラリーで、個展をする事は、自然に放っておけばありえないのです。画廊って、それなりに傾向とかカラーを持っているもので、ニッチギャラリーは国画会の人なんか、引き受けません。もっと若い人、そして、海外と関係があるタイプの人を引き受ける画廊です。つまり、おしゃれを標榜している画廊です。「ここは、ちょっと、他とは、違うんだよ」ということをセールス・ポイントにしている画廊です。
比較して山寺さんは、お顔はモダンな美女です。だけど、行動様式はドメスティックもドメスティック、古い古いタイプです。
だから、ニッチギャラリーとは、普通なら、または、自然に放っておけば、接点のない人です。
でも、この2011年の夏にはっきりとわかりました。野見山さんが、西村さんに推奨したのです。または、西村さんが、自分独自で、私に対する悪意を持って、山寺さんの個展を開いたのです。どっちにしても、西村さんが、その時点で、私に強烈な悪意を示したのは確かです。
その理由は、もしかしたら、川瀬さんがうちとけて、私に話したいろいろな内情を失敗したと、西村さんが考えたのかもしれません。でも、それは、私が、質問をして聞き出したことでもないので、こちらとしては、それで、いじめられるのは論外です。
そこを、軽くパスするつもりでしたが、もう少し意味の通る書き方をすると、川瀬さんがあまりにもできた働きをなさるので、「あなたはビジネスパートナー? 」としつもんをしたわけです。画廊は、文化的な事業ですが、一応商売でもあるとみなされるらしいので、ビルを借りるときは、保証金というのを出さないといけないのだと推察します。それは、聞くところによると、銀座ではなくても、500万円以上だから、銀座ではもっと高いでしょう。で、私は、川瀬さんが、最初の出資金を、500万円程度出し、西村さんが700~1000万円出したのだろうと、推察したわけです。
私は別にお財布の中身を知りたかったわけではなくて、川瀬さんの働きの熱心さを褒めるために、そういう言葉を出したわけです。そこから先、私に関するひとつの秘密をお話しないといけません。
それは思いがけないレベルで、深く苦労を重ねた私が、すでに、一流の宗教者のレベルにまで達していると言うことなのです。母が「お姉ちゃん、いつの間にそれほど、修行をしたの?」といったのですが、静かな部屋で、二人だけで、話したりして御覧なさい。深い理解度と寛容さを持っている事が、他の人には、ひしひしとわかるはずです。
川瀬さんと私は、そういう深いレベルの哲学的お話をしたのです。
それに西村さんが、一種の嫉妬をしてあれこれ、口を挟むのは論外なのですが、相当に子供っぽい西村さんは、なんと、私をいじめることさえはじめたのです。「あのね、西村さん」とここで、呼びかけたい。あなたが、社長と社員として、川瀬さんと濃密な関係が有るのはわかります。でも、川瀬さんと私がその夜交わした会話は、神の恩沢といってよい内容だから、人間でしかない西村さんは、その会話に容喙してはいけないのです。
そして、西村さん、ここで、ちゃんとそれも、言っておきたいのだけれど、
肝心な内容は、あくまでもここでは、書いていないでしょう。ハッキングをされていること
を知っているから、ワードのした書きでさえ書いていないし、ましてや、公開するメルマガやブログでも書いていません。私はある意味で、高潔だし、川瀬さんを愛しているからですよ。
そんなに我慢をしている私に対して、あなたは、波状的に、何回も攻撃してきましたね。
でも、普通なら、こう言う嫌がらせを受けたら、出入りをしないところですが、間に、小林ひさ子さんという大善人が挟まっているので、縁をきることができず、一種の腐れ縁と化していたのでした。
今回のフェイスブックの件も、そういう切るに切れない微妙な関係にある画廊が、舞台だから、企図されたのです。私に対するダメージがもっとも有効に与えられる舞台だと考えられたのです。しかし、物事には何でも、プラスとマイナスがあります。
向こうも勝った勝ったと大喜びだったでしょうが、私も抜群の、新しい情報を得たし、それを、分析することに取り組む決意を得ましたから、彼らにとっては、かえってマイナスとなるのではないですか?
ともかく、この不自然な流れは一気に過去の、馬越陽子さんが、使われたケース他を思い出させ、裏に、一井健二さんという『美術の窓』の編集長の関与を疑わせることとなります。一井さんのそのまた上は誰かとなって行きます。ともかく、野見山さんと馬越さんの共通項は芸大と、雑誌『美術の窓』の二つです。そして、そこから、一気に過去も、分析できるようになります。そして、現在も未来も。
それが、野見山さんの分析を西村さんのそれよりは、優先した理由です。
△△△△△△△△△△△△
ここで、一井健二さんの裏にいる存在として、鎌倉に住んでいる人材等の分析を始めたのですが、それをやっていると延々と文章が終わらず、まとまりが付かないので、それは、一回引っ込めます。ただ、彼ら悪人どもが最も恐れているのは、酒井忠康氏の本性が、私によって文章化されることです。伊藤玄二郎にとって、野見山暁治派、間接的な知人でしかないけれど、酒井忠康氏は、直接の知り合いですから、そこに言及をさせたくないという動きは、必死に行われましたね。ここ、2,3日、読めること、読めること・・・・・という具合です。
で、銀座(京橋を含む)に戻ります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題5、『山口さんは、他殺か自殺か?』
山口みつ子さんは、未婚で、独身でした。で、不審な急死の結果として、遺体が発見されたときに、誰も、親身になって、「解剖してください」とか、「お部屋を調べてください」と、申し出でる人がいなかったのです。ご親族は駆けつけたと思います。ご兄弟と、そのお子様方。だけど、名士というか、名家だからこそ、「自殺です」と警察から知らされればびっくりして、そそくさとお葬式を身内だけで挙げてしまうでしょう。
私が、遺体発見の朝に、知らされたとしたら、『これは事件だと感じます。他殺です。どうか、室内の指紋を調べてください』とか、主張をすると思います。もちろん、プロの暗殺集団がやっていると思うから、指紋なんか、残しているはずがなくて、「やはり自殺でした」となるかもしれない。でも、私は、それが調査されている間に、さっとブログを書いて他殺である可能性を示します。
私のブログは、こと、対・国際的軍産共同体には、大変大きな力を持っています。だから、ブログで、これを『自殺は疑問だ』と、書いている間に、これでは、隠せないとなって、アノ中目黒の紳士・大原さん殺人事件と同じく、実行犯が、逮捕されたかもしれないのです。
私の方は、当時の、山口さんの死を知らない10日間の間に、我が家に外人がやってきて、その訪問の理由がどうしても暗殺だと思われ、主人に仕事を休んでもらい、我が家に待機してもらっていて、やっと逃れて、そのいきさつを文章に書いている最中だったので、まったく気がつきませんでした。
で、無論のこと、警察にも捜査を要請する暇もなく、ブログを書く暇もないうちに、処理され、特に忌まわしい形の読売新聞の記事が出たのでした。
それに、逝去のお知らせは、近藤実さんからメールで来たのです。それも、変なのです。それから、読売新聞のひどい記事がでました。それをライブの森さんが私にわざと見せたのも大問題です。二人とも、親しいと、敵方が見ては、いるし、私にも、その様に見せてはいるが、実はとっくのとうに、寝返って、わたくしへのいじめの尖兵となっていたのでした。
使う方も、使われる方もばれていないと思っているようですが、わたくしは、そういう二重構造になったいじめでも、瞬間的にわかるのですよ。だけど、相手に向かっては、単純な形では、喧嘩を売りませんから、だましている事が成功していると思っているみたいですが、とんでもないです。
じっと我慢をしていますが、その間に、冷静に、それらの、ぱしり役を観察していますから、意図的にいじめ役をする限り、絶対にその正体も、いきさつも、適切な時期に、文章に書かれると覚悟をしてやってくださいね。結果はとても恥ずかしいこととなりますよと言わせて置いてください。私をだまそうなんて、ちょっと、頭が悪すぎる人間のすることです。というか、行動や心がが単純すぎる人間のすることです。つまり、自分自身では、自らを、優れていると規定している、主観的な人間です。または発達的に、幼い人間です。
そして、私は、もう、森さんも近藤さんも、野見山さんも、まともに、相手にするつもりはないですから、謝罪の機会も修復の機会もないということです。この人たちは、『人間じゃあない。人間としての基本的な道徳観がない』と思っていますから。・・・・・
ところで、自分のことはともかくとして、山口みつ子さんの周辺に関しては、書いている私自身も切ないし、つらくてたまらない部分です。読者の皆様におかれましても、読みづらいところでしょう。2010年の3月の方では、新聞の記事や、オリックス選手の沖縄キャンプ中での自殺に関して、言及してありますので。
でも、なぜ、これほどの、文章を書くかをも、お知らせをさせてくださいませ。この一文は二重構造になっています。映画のレンタルDVDにたとえれば、本編の中に、メーキングの部分が入れこめられているということと同じです。
つまり、本当の本編は、フェイスブックのこと、そこにおける国際的軍産共同体の支配を語ることです。が、その前に、ほとんど、相似形として現れた、銀座の画廊街での悪というものを、今書いている最中なのです。今回の主役、西村富弥さんは、一般社会的には無名の人です。銀座の画廊街でだって、無名かもしれません。かれは、わざとそうしていると思われます。それが身を守ることに通じると知っているのでしょう。
だから、より一般的な知名度のある、野見山暁治氏を先に取り上げました。これが地ならしに当たるのです。野見山氏は、山口みつ子さんの死後も堂々と、マスコミに登場していますし、これからも、この一文が世に出ているからこそ、ちやほやされ続け、オマージュがささげられるでしょう。だけど、ここに書いてある事実は、真実なのです。どんなに威張っていても、店に叱られるはずです。その一つ目が山口みつ子さんの死です。
そして、その先というか、結果として、小沢一郎の突出とか、露出とか、再登場とか、活躍というのが出てくるのです。20日のNHKニュースによれば、民主党の首相立候補者は、すべて、小沢もうでをしたか、これからやるみたいです。仙谷氏さえ、擦り寄っていると、夕刊フジが言っていました。それが、どうして、起こるかというと、美術界の弾圧が功を奏していると彼が信じているからです。
私がこう言う文章を書くのは、両刃の剣ですから、私自身をも傷つけるわけですが、そこを、向こうは計算しています。そして、昨日留守をしている際、お出かけ先は銀座の画廊でした。それは、電話盗聴ですぐわかりますから、留守中に、またもや、下着をいたずらする(いれてある引き出しを移動する)泥棒が入りました。四方八方からの重層的な攻撃に出会うわけですが、それに出会えば出会うほど、意気軒昂になる私です。
つまり、結論として言えば、山口みつ子さんの急死は自殺ではないと言うのが私の持論であり、それに対して、野見山さんは、おおいに責任があるということです。
もちろんのこと、野見山さんが、実行をしたというわけではありませんよ。これから先は、例の私固有の見てきたような嘘を言いの類ですが、
ベテランの暗殺者たちは、鍵を開けるのなど、お茶の子さいさいですから、先に入っておいて、猫を眠らせて、取り込んで、他の場所へ移動させて置きます。
彼女が帰宅するまでは、電気をつけず、身を潜めて待ちます。彼女が帰宅した途端に、クロロフォルム等で、麻酔にかけます。その後、下にいた人間の合図で、誰も気が付かない瞬間を狙って、彼女の体をビルの窓から落とします。そこまで、(つまり、ビルの住人が全部寝入るまで)数時間は待ったかもしれません。
それと同時に、自殺に見せかける工作をします。自宅のパソコン、ないしは、画廊のパソコンに、手袋をはめた手で、遺書めいたものを入力しておきます。
室内や、台所は『立つ鳥、あとを濁さず』と見えるように、整理整頓して、現金や宝石類は、丁寧にもとの保管場所においておきます。侵入の形跡を注意深く消します。
彼らが馬鹿だったら、猫を持ち去るし、利口だったら、猫は失神したそのまま、おいて帰ります。猫は口が利けないし、眠りこけていたので、異常を察知できず、また、関係者にそれを訴えることもできません・・・・・
こう言うことを、86歳を超えている野見山さんが、できるはずはないです。ただ、氏には道義的な責任があります。それを書きたいのです。
~~~~~~~~~~~~~~
副題6、『山口みつ子さんの、カナシミに満ちた目を忘れられない私』
あれは、ギャラリー山口で開かれた、野見山さんの最後から、一回ほど前か、二回ほど前の個展のときです。会場に入った私は、そこに、センリさん(山口千里)を発見してびっくりしました。センリさんの作風は、繊細な具象です。特にテンペラという、卵を使った画風であり、その仕上がりの結果は、この画廊には合わないもので、それこそ、三越で、おかねもちが、自宅を飾る目的で、買い求める類のマチエールですから、ここで、出会う事が不思議でならなかったからです。
で、この時点では、センリさんの変身にはまだ気が付かず、「どうしたの? センリさん、どうしてここにいるのよ」と、明るさ丸出し、善人ぶり丸出しで、問いかけました。するとセンリさんは、従来の落ち着いた静かな声で「ワタシ、野見山さんの秘書になったの」といいました。私はのけぞるほど驚いて、瞬間的に、二つのことを頭に浮かべました。それは、この就職は私とセンリさんの電話のやりとりから導入された、きわめて政治的なものであり、センリさんは、近々に、私との、友情を捨てていくであろうということ。次に、『ああ、センリさんて、魔弾の射手になっちゃったのだわ。これから、ご家族は今まで以上の寂しさと、カナシミを味わうでしょう。我慢以上の我慢を続けることとなるでしょう』ということ。
結婚している女性が画家であること自体が、家族には深い我慢と悲しみを与えるものですが、さらに、カルチュアセンターの講師と、この秘書業務を加えた千里さんは、多忙の上に多忙になるからです。
さて、そのくらいで、彼女を離れ、例のごとく、二分で画廊を去ろうとしている私に山口みつ子さんが「ワインを飲んでいらっしゃいよ」といいました。この画廊では、過去にも、何回か、ワインを頂いて、五分以上長居をしたことのある私は、「ありがとう」といって、それを、受け取り飲んでいると、みつ子さんが、『あなた、センリさんを知っているの?』と質問をしてきました。
そのときに、私はみつ子さんの本当の気持ちが一瞬にしてわかったのです。みつ子さんは、ご自分の晩年像として、野見山さんのパートナーとして生きることを願っていたのを。
それは、入籍を目指して財産の遺贈などを目的とした功利的なものではないはずです。
ただ、心通わせるものとしての結婚です。
野見山さんが、銀座で社交的な二次会とか、三次会を済ませた後では、タクシーで、ワンメーターで来ることのできるみつ子さんの自宅に寄ってもらって、おいしいお茶漬けを出す。そして、きれいな浴衣かパジャマを風呂上りの野見山さんのために、用意し、ベッドで一緒に添い寝する。野見山さんが、すでに、セックスなどには、興味がないことも知っている。だけど、みつ子さんだって、セックスになんか、興味はない。長年一人で生きてきたのです。遊んでもいない人で、誰にも彼女は言わな駆ったでしょうが、処女だったのではないかと、私は推察しています。育ちの良い人で、私と同い年ですから、それは、ありえます。それ以降の世代とは、まるで違うところがありますから。
時々は、野見山さんの東京の自宅も訪れて、洗濯をしたり、料理(昼も夜も)をしたり、野見山さんの手紙類を整理したり、時にはわずらわしがる野見山さんの、芸術家としての気配を察して、自分のマンションへ帰る。・・・・・彼女は、そういう生活を願っていたのですが、それが、私には、一瞬にして見えたのです。そして、彼女がそれを、いわゆる告白という形では、野見山さんにまだ、表明してもいないこと。
だから、千里さんが現れたときに、優先権を主張できないこと。野見山さんは、・・・・・みつ子さんんの気持ちは、充分にわかっているけれど、若い千里さんは娘みたいなものだし、家庭の主婦なんだから、自分の方は、セクシュアルな気持ちは一切持っていないのだから、公明正大なものだと、一部は楽観、一部は、まじめさの欠落を持って、みつ子さんへの、慰撫の労を取る事を抜かしてしまったのです。千里さんの秘書雇用を決定する前に、お茶の機会でも持って、『今度、こう言うことになる。君にも散々お世話になったが、これは、美術の窓の方からの要請で、ひとえに政治的な意味があるのだよ』といっておけば、みつ子さんも肝氏hにゆとりが出たでしょう。
しかし、ほとんど、裏切りに近い形で山口千里という存在が顕現して、不可能になったことの、虚無感、さびしさ、そういうものが、手に取るように、私にはわかりました。後でわかったことですが、美術界の名士を訪問してインタビューをするホーム頁があります。レストランの支援を得ていて、それを広告もしてあげる、ダブル広告となっている頁ですが、その中で、みつ子さんは、おカンムリになってしまっています。インタビューをする女性・こいち・さんが、ただでさえ、暗い意地悪な感じで、私もいつも、いやな感じを受けているのですが、それでも、画廊のオーナーとして、普通なら、宣伝の役に立つのだから、と我慢をして、愛想良く最後まで付き合うはずなのに、途中で怒ってしまっています。
質問は何だろうと見てみると、恋愛とか、結婚に関するものです。もし、こいちさんが、野見山さんが、千里さんを秘書にしたことを踏まえて質問をしたのなら、これほど、意地悪なことはないというほどの、質問です。反対に、何も知らないで質問をしたのなら、こいちさんは、馬鹿だとなります。ずいぶん、銀座の画廊街で、姿を見かけますが、何もわかっていないのだなとなります。
山口みつ子さんは、育ちが良い人で、10歳ぐらい若いこいちさんとは、まるで、恋愛・作法が違うのです。『独身だから、そこで、個展をする男性の作家と、ホテルぐらいに気軽に行くのでしょう』という認識で、質問をしたのだったら、圧倒的な間違いなのです。失礼極まりない質問だったのですよ。その上、みつ子さんは、実存的な危機にあったのです。このホーム頁の彼女の部分の編集マナーは、失礼極まりないです。死後も同じ形で残っていたから、こいちさんは野見山さんに命令されるというか、野見山さんと組んで、こう言う編集にしているのではないかしら?
そこまでかんぐってしまうほど、みつ子さんは、秘書、山口千里の出現に参っていたのです。
で、野見山さんの個展当夜のオープニングパーティに時制を、戻します
私は、みつ子さんの、本当の気持ちがわかってしまった以降は、非常に注意深く、答えました。彼女を傷つけないように。でも、嘘を言っても、たちまちばれるから、真実を。
『山口千里さんって、どういう人なの?』
『彼女はね。野見山さんと同じ北九州の出身なの。それで、ずっと前から、心酔していたの。ここで、『国画会で、千里さんが、芸大卒でもないのに、芸大派閥に加えられているのは、野見山さんの、推薦によるものだと思う』と、言うポイントだけは、その時に、告げたかどうかを、今の私は、覚えていません。
ただ、みつ子さんは、もっと深い事を知りたそうなので、
『聖心女子大を出たお嬢様なのよ。でも、とても、さばさばしていて、(女々しいところはないから)しごとはできる女性なの』とも、話したでしょう。
つまり、野見山さんとの間には、恋愛感情はない。あくまでも、しごと上の関係だ。『だから、みつ子さん、あなたの希望は捨てなくてもいい』という思いを込めて。
みつ子さんは、千里さんの登場に深いダメージを受けて、やる気を失ったのです。巷間うわさをされている財政破綻が、事実なら、それは、秘書・山口千里・出現以降の、みつ子さんの投げやりな気持ちが招いたものでしょう。
みつ子さんの胸には、誰にも告げられない、索漠たる思いが、充満していたのです。私が、1月の13日に画廊で彼女にあった後で、17日になくなるまでの、数日間のうちに、彼女湯は手さげつきのとても小さな(ということは返って上等だということ)紙袋の中に、私の本を入れて、メモつきで返してくれました。
ギャラリー山口には大小、二つの部屋があって、20年の歴史があるから、単純に計算すると、2000人の作家が、あそこで個展をしたことになります。もちろん、の身や尼さんのように、10回以上やった人もいますから、そこで数は減りますが、一方で,グループ展として、利用した作家もいるから、最低でも、1000人がそこで、展示をした作家数と考えてもいいでしょう。私は、その数の中に入っていないのです。あそこで個展をやった事がないから。
でも、私は深い紐帯を感じていて、彼女の事を忘れた日はありません。
~~~~~~~~~~~~~~
山本七平氏が、保険会社の財政が豊かなことを評して『女性の膏血を搾り取って、成り
立っている』といって物議をかもし出しました。今ではなくて、だいぶ前のことです。これを、セクシュアルな奉仕とだけ、捕らえるのは下賎な見方です。
別にホテルに一緒に行かなくても契約を、もぎ取った女性外交員はいっぱいいると思います。ただ、セクシュアルな奉仕がない形で、制約にこぎつけるためには、心血を注いだ、心理的な奉仕が必要です。それもまた、他人のエネルギーを使って、お金をもうけるという意味で、そのエネルギー消費が過大なら、膏血を搾り取ったと、言うに値すると感じます。
~~~~~~~~~~~~~~
副題7、『みつ子さんのお葬式を妨害したのは、野見山さん、あなたですね」
山口みつ子さんのお葬式は、とてもひそやかに行われた模様です。その後で、画廊はてんてこ舞いになりました。2010年の18日から30日の間に、いろいろな始末をつけないといけないのです。特に、倉庫が別の場所にあって、そこにたくさんの作品が収蔵をされていたと聞いていますし。
それを、引き受けてくれたところが、彼女が、抱えていたと噂をされている借金を、棒引きにできたらよいのですが。つまり、ビルのオーナー等へ未支払いの家賃があったと噂されていますが、ビルのオーナーは現代アートの世界の人ではないので、彼女が現代アートの世界で、どれほど、大きな存在であったかは、理解していない人でしょう。だから、借金を取り立てていた(強く請求していた)可能性は有ります。弁護士が付いていると思いますから、死と引き換えに、すべては、帳消しになっているとは思います。ご兄弟とか、姪ごさん、甥ごさんが責任を負う事はないでしょう。
ただし、その債権者が、もし、現代アートに理解の深い方だったら、ベターだとは感じます。その倉庫に保存してあった作品だけでも、買値としては膨大な額になると思います。彼女の画廊は大きい方が、一週間40万円で作家に使わせ、小さい方が、20万円で使わせていました。両方で、60万円、月に240万円の収入があるはずです。が、野見山さん他の、有名な画家に個展をさせるときはただで、やらせてあげるから、それほどの、お金が入ってきたわけでもないでしょう。ただで開かせてあげた作家からは、それなりの、作品を一点か二点、もらうという形式だったと感じています。山口さんはお嬢様育ちが歴然としてわかる人で、それらの査定については、作家側の言いなりで、高い値段で買い取ったはずです。が、それを、売ろうとしたら、二束三文にもならないでしょう。多分、百分の一で、売れるかどうか?
でも、私は祈っているのですが、『彼女が、死後もお金の件で、ひとの恨みを買ったり、悪口を言われることがないように』と。本当に、ほとんど毎日、切に祈っています。
でね、お葬式ですが、行われたかどうかも、怪しいです。飛び降り自殺ということになっているらしいので、一応のこと、警察に遺体が行ったのでしょうね。司法解剖がなされたかどうかはわからないものの、ご親戚は、そのまま、遺体を火葬場へ、直行させて、遺灰を、海などへ散骨させてしまったかもしれないのです。もし、ご兄弟が、普通に結婚をしていて、子や孫があると、一族から自殺者が出たことは伏せたいからです。
ところで、またここで、余談に入りますが、千里さんの秘書としての能力というかレベルですが、90%のレベルで高いとはいえませんね。本当の秘書というのは、上司が、間違った判断をするときは諌めるものです。先生、「それは、おやめになった方がいですね」というものです。ここでも、もし千里さんが、これは変だと思った事を、野見山さんの世間的な権威に屈して、そのまま通したのだとしたら、彼女は第二級レベルの秘書です。
野見山さんの、窪島誠一郎さんとの、対談については後日裏側を書きます。
それに比べれば、山口みつ子さんの現代アートへ対する貢献の方が真摯で、大きかったし、私がやっていることの、意義の方が、ずっと大きいと、自負しています。ただし、天(または、神)のみぞ、知るですが。
この一文が原因で、銀座の画廊街で、私が、不利をこうむることがあれば、それは、その時の、話であり、充分に次の動きを、考えてはおります。その予測もこめての、この一文です。
~~~~~~~~~~~~~~
さて、スピンオフから、元へ戻ります。
山口みつ子さんの、死が警察から自殺だといわれれば、ご親戚は、その遺灰を、散骨した可能性があると、申し上げるために、上のエピソード群をさらしました。というのも身近な人間にとっては、直近の事が大切で、山口みつ子さんが、現代アートの世界で、どれほど、大切で、重要な人間だったかなどと言うことは、彼、彼女らには見えていないことだからです.
2.26事件に関しても、親戚の中に確かに、主要な将校がいたらしいのですが、冠婚葬祭において、その一族との交流は、我が家には、一切ありません。父にとっての、いとこか、はとこクラスの近さだと思うし、「苗字を、田中といったかな」とだけは、覚えていますが、それ以上の情報を私は持ってはいないのです。
で、みつ子さんのお骨が、どこかに、雲散霧消してしまったら、みつ子さんのやるせなさは、いかばかりでしょう。それに、さらに輪をかけて、それが他殺だったらどうなるでしょう。
もちろん、皆さんが噂として、信じている自殺だとは思いますが、その後の、忌まわしい展開を見ていると、『これは、やはり、他殺だった』と信じます。あえて、身を窓から投げたのが、彼女自身の意志だったとしても、それは、間接的な殺人に当たり、もっとも、責任の重いのは、野見山さんです。最後の段階で、二重、三重に彼女を苦しめ、追いこんでいたと感じます。
それが最も証明されたのは、自発的に起きた、しのぶ会(友人が発起人として行う私的な、お葬式であり、この場合は、2010年の1月31日に予定をされていた)がつぶされたことです。誰がつぶしたのだろう。それは、外へ出ていませんが、野見山さん以外にはありえません。あそこの関係者で、別の人がそれを提案しても、野見山さんが「やりましょう」といったら、絶対に行われます。
その時点では、山口みつ子さんの住所録の中で、一番偉い人が、野見山さんだったからです。彼が具合が悪いとしても、それは、弔電を送るという欠席の通知を出すだけでよいはずです。また出たくないのなら、九州に行ってしまえばいいのです。
自分はそれに出たくないという事を自然に処理するのではなくて、意図的にしのぶ会の開催をやめさせたのです。理由は、一つ目は、『さすがに、気がとがめた』と言うのにしておきましょう。二つ目は会場で、『私(雨宮舜=川崎千恵子)と、目が合う事を恐れた』ということだったと思います。私は用心深い人間で、上に書いているようなことは、すべて、当時にわかっていましたが、他者が聞いたり見たりしている場所で、それを、こと上げするようなやからではないです。お酒を飲んでも、人に絡む癖はありません。
ただし、目は口ほどにものを言いの典型で、小さな目なのに、非常に力強く、かつ雄弁にものを語るらしいです。その目で一回野見山さんの真実を見通しています。
だから彼は恐れたのです。それが、しのぶ会でも再現される事を。卑怯な人間です。これ以上ないほど、卑怯な人間です。弱い人間です。ただ、ただ、教唆されたとおりに動く。そして、その結果が恐ろしいことになったら、単にほうっかむりをして逃げる。
その程度の人間なのです。
その絵は、関西で言うざんざんばらという言葉にぴったりです。破壊の衝動を満たすための絵みたいです。実際問題として、彼は山口みつ子さんの人生を破壊したのです。その夢も希望も尊厳さえも破壊したのです。生前はともかくのこととして、死後の尊厳さえ奪ったのです。
山口みつ子さんは、本当にかわいそうです。でも、個々までかわいそうだと、それは、一種の聖人の領域に達したともいえます。現代社会の汚さの中で、殉教者になったのです。
常に、聖と俗が常に背中合わせだとすれば、山口みつ子は聖人であり、殉教者であり、
野見山暁治は、俗人であり、破壊者です。
では、この項は、ここで終わります。2011年8月22日 雨宮舜(本名 川崎千恵子)