銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

名古屋場所初日に当たって、誰が壊滅作戦の戦略を練ったか?

2010-07-11 15:14:42 | Weblog

 さて、今朝あげた一度アップした初稿を、分断し推敲したものの、第三本目です。

 なぜ、大相撲、壊滅作戦が起きたかというと、それは、私にはわかっておりますが、今は申し上げられません。ちょっと説明をしやすい確証があげられませんので。ただ、絵図を描いた人間はわかっております。驚くべきことにそれは、最近亡くなったとされている某有名作家でしょう。

 死亡ということを隠れ蓑にして、地下潜行し、アイデアを練る人となった模様です。対人関係が少なくなりますね。それで、思考に集中ができるというわけです。特に2010年6月26日に突然、なんとか、委員会というのができて、その座長が、伊藤滋という伊藤整氏の息子だということを知って、すぐぴんと来ました。発案者が文学畑の人間だから、氏を担ぎ出すことを考えついたわけです。

 ところが私が怒って、この仕組みを批判しました。6月29日の「ご老公の印籠としての、伊藤滋座長」という文です。すると、すぐ伊藤滋氏の実行力を、引き上げ、村山弘義氏という、元高等検事(肩書きはもっとほかにもあるはずの人です)を理事長代行にして、どんどんどんどん、悪いほうへ流れていき、NHKは中継しないとか、天皇賜杯は返上するとか、いうほうに流れていきました。

 私は鎌倉に住んでいるので、このアイデアマンから多大な損失を直接に、しかもすでに、与えられていますので、緊急に戦うことも考えましたが、その人物を長年にわたって観察してきた結果、おっちょこちょいで、短絡的思考の人間だと判断していますので、しょうめんきってたたかうのを、そのとき、つまり、6月29日以降は、一応ですが、やめたのです。
 上の相撲協会に関する、動きでも、伊藤滋氏が引っ張り出されたり、引っ込められたりする過程が非常に安直です。皆様も見てのとおりです。で、あまり、正面きって、戦うべきではないと判断をして、それ以降相撲に関する文章をあげておりません。

 でね、相手方は、おっちょこちょいですから『勝ったー』と思って、さらにこの大相撲・破壊工作を進めました。私は流れをわかっておりましたが、ニューヨークものとか、単発もので逃げて(?)いたのです。いや、逃げていたのではなくて、じっと観察をしていたのです。向こうは大喜びで、はしゃいでいましたね。

 それは、クローズアップ現代で、映画『コーヴ』の上映問題が取り上げられ、吉岡忍氏が出てきたことでも証明をされます。その番組ですが、私は見ておりません。見られなかったのです。我が家は鎌倉ケーブルテレビを経由してテレビを見ますが、衛星放送も地上波もときとき、「アンテナが不具合で、今は見られません(eroor code E202) 」と言うサインがでて、番組が見られずかつ、録画もできません。これは、はじめてのことではなくて、浅田真央ちゃんのフリー演技の際のオリンピックでも、見られませんでしたので、影で、国際的軍産共同体が関与している件が、このように見られなくなると、推定しています。で、その吉岡忍さんが司会をした番組ですが、『映画コーヴを上映禁止するのはいけない』という方向で結論を付けられたと推定をしています。

 つまり、国民を教唆訓導する目的で機能したでしょう。クローズアップ現代は、最近しこたまそういう方向で利用をされています。「国谷さん、しっかりして。ご自分の判断も利かせてください」といいたいですけれど。

 吉岡忍さんがどうして問題なのかというと、彼は、ちょうど今現在、ブックフェアーで、日本ペンクラブ主催のセミナーがあり、そこの司会をしているはずです。そのご案内もめーるで来信しましたが、申し込もうとするとパソコンが動かないので、『は、はーん。これは、一種のおちょくりですね』と判断をして、三週間ほど、放っておいて、別の仕組みでパソコンを働かせて、別のセミナーを申し込みました。それは、国際的軍産共同体の意思や意向を調べるためです。特にその有名作家(実は隠れた、フリーメーソンもしくは、インテリジェンス、もしくは戦略家)がどう考えているかを知るための行動です。そちらは有料で、8000円も取られましたが、一種の調査費と考えました。・・・・・ふ、ふ、ふ。大笑い。ですよ。苦笑のみぎりです。

 そこで、今日は、本人の名前こそ、挙げませんが、その驚異的なほどに、おっちょこちょいで、かつ、悪の要素の強い作家について、分析をいたします。

 四月に死亡が発表されました。肺がんとのことです。で、その直後の二週間にマスメディアに大量の露出がありました。しかし、死亡時の担当医の発表もなければ奥様のコメントもない。デスマスクの発表もない。それは、不思議ですし、葬式もなかったのです。

 しかも、この六月の末から、7月の今日まで、彼は死亡直後の二週間以来、二度目のこととして、すさまじい分量でマスメディアに露出をいたしました。しのぶ会も東京會舘で、開かれました。朝日新聞に大きな記事、NHK(これは、私が知っている限りでも、四本放映されました。新作もありましたし、旧作の再放映もありました)も。でね、その露出ですが、一種のご褒美というか、バーター取引として、行われたというのが一案です。つまり、大相撲という日本固有の文化を壊滅させるのに役立ったということで。
 
 しかし、ことはそう単純ではなくて、彼本来の発案である可能性もあるのです。

 彼は、自分が頭がよいと過信をしていますので、自分自身の大宣伝に役立つ発案はする可能性はあります。フリーメーソンは、NHKにも新聞社内にも、政治家の中にも根を張っていますので、自分が電話をかけないでも、アイデアを相当な人物に提示すれば、みんなが協力して動く可能性はあります。
 死んでいる人間が、まさかそんな手配をするはずがないと、言うのが普通の日本人の考えです。、彼は、そういう誠実な性向をもつ、大衆を利用して、自分の利益を図っているわけです。4月の11日、私の個展の最終日の翌日に、その死亡が発表をされて、すぐ、その次の13日に週刊文春と週刊新潮が追悼の記事を載せました。どんなに今はDTP化が進んでいるといっても、広告の印刷やら、頁編集の面で、これは、早すぎるでしょう。普通なら不可能です。これは、事前に、周到に、計画的されている措置でしょう

 私は非常に注目をしているので、未発表の遺稿というものも出てきたのにも注目をしました。それは、死亡が発表をされた日以来十分に予想をしていた出来事だからです。パソコンで文章を書くと書いた日が消えません。でも、手書きだったらいかようにもできます。

 これからは、ミステリー小説の読みすぎだといわれてしまうかもしれませんが、原稿に、噴霧器で薄いコーフィー溶液を書ければよいのです。溶液がアルコール30%だったら、すぐ乾きます。そして、四隅を、ちょっと、ぐしゃぐしゃにすれば、古い紙のごとく見えます。
 これから、注目をしていきましょう。ぜひ。引き続いて未発表の遺稿が出てくるはずです。つまり、作家魂は、生きている限り残っているはずです。だから、書く。特に対人関係がないので、集中して書けるということもあります。ところで、奥様ですが、二度目の方の、最近の露出では写真だけは公開されましたね。すこし、演技ができる状態になったのでしょう。一回目は、演劇に関与する、お嬢さんが一切の手配をしていました。
 この人が生きているとか、国際的軍産共同体の、戦略家であると言うポイントについてはさらに、一冊の本が書けるほどの、傍証がありますが、本日はこれが三本目でもあり、かつ、またも長くなりますので、ここで、それはとぎります。
 
 で、彼が今回やったことは、国民を悲しませることです。相撲に対して壊滅的、悪評を与えた人間は、国民大多数を悲しませる存在です。

 どうしてこういう人間が生まれるかですが、多分、若いときからの仕事上の人間関係を利用して、一本釣りをされるのだと思います。急に要請されたりするわけではなくて、じょじょにじょじょに関係をそちら側へと養成をされていくわけです。その人間にとってのメリットは、現世での名誉や金銭的な報酬が保証されることと、同時に、死後の安全も保障をされることにあるでしょう。

 軍産共同体のトップはフリーメーソンと、連動していますので、モーツァルトの時代から、システムは確立しており、その大作家が、遺産を確保するために、美術館とか、博物館を建立するとしたら、その将来の発展まで保障してあげるという形で、確約を与えるのです。
  ということまでを書いて、いったん、この件は終わります。

  傍証は、音によるものが多いです。鎌倉に住んでいると、鎌倉防犯協会の広報とか、鶴が岡八幡宮の催し物の案内放送が耳に入ります。それが私の書くもの、特にその大作家について書いたものと、ものの見事に連動をしているのです。公開したものもあれば、非公開のメモもあります。どちらとも連動をしているのです。

 鎌倉防犯協会とは、警察の外部団体ですよね。だから、この件からも警察は国際的軍産共同体の支配下にあると、断言できます。しかも、かれは、2009年、か、2008年か、どちらかの、6月2(?)日(?)放映のクローズアップ現代の中で、太宰治に事寄せて、警察の秋葉原殺傷事件における対応(つまり、朝の五時から携帯で、犯人が犯行を予告していたのに、防衛をできなかったこと)を擁護しています。驚くべき矛盾です。左翼系の作家だといわれていて、昭和天皇の戦争責任に触れたといって称揚をされていますが、一方では、警察協力者です。矛盾の塊です。大学は卒業しているはずですが、日本近代史ひとつ勉強をしていないと見えます。浅草のストリップでも通いつめていたのではないですか?

 ところで、私は左翼でも、右翼でもありません。昭和天皇にも国民にも責任があるということはずっと前からいってもいます。それに、出版社を後ろ盾にしているわけでもないし警察を後ろ盾にしているわけでもないし、政党を後ろ盾にしているわけでもありません。何も後ろ盾にしていない独立独歩の人間です。だから、超といってよいほど、弱くもあるが、超といってよいほど、強くもあるのです。現代の最大のタブーだったかもしれませんが、国際的軍産共同体の、日本弱体化作戦は、こういう人間によってその素案、および実行案が練られているということを明らかにいたしました。

 彼の実物には、鎌倉駅のホームで二度ほど出会ったことがあります。一度は昔存在した喫茶店内で、となりにいて、三分ほど話しました。二度目は、ホームの対面から、15メートルぐらい離れて目が合ったのです。両方の場合とも、『私のことを、すでに、知っているな』と感じました。そして、おびえていると感じました。相当に、私は、有名らしいですよ。その筋の人たちには。(ふ、ふ、ふ)。この場合のその筋とはやくざではなくて、国際的軍産共同体の、手下たちという意味です。

 でも、つくづくの悪人だと感じます。国民が大切にしているものをずたずたにして、一方では、何億円もの広告料を抜きで、自分の宣伝をしている人間です。恐るべき存在です。さもしいという言葉は、まさに、彼のために在る。
~~~~~~~~~~~
 この論をおっちょこちょいなものにさせないために、もう一点付け加えるべき点があります。それは二人羽織のように、この作家が一緒に行動する人間B氏がいるのです。そちらの方が、実際の発案者であり、有名作家は、死んでいるのだという可能性もあります。また、B氏がNHKなどを動かした可能性は高いです。有名作家が死んでいる場合もそうであり、生存の場合も、作家本人がNHKを動かす可能性はないので、B氏の暗躍はあるでしょう。特に、この手の軍産共同体が関与する件では、B氏は、非常に緊密に動きます。特にその有名作家と一緒に組みます。

 が、今回、B氏について、詳述を避けたのは、かれは、別に直接のメリットがありません。まあ、通低には、ほんの出版について、私の出版を妨害したいと言う意向は持っていると思います。というのもそちらの悪人ぶりについても、私はすでに、詳細に把握していますので、私のことを、怖いという思いはあるでしょう。まあ、そちらも何か顕著なことが、把握ができれば、ご報告いたします。上手に。ところで、このペアーが発案したことで、国民に迷惑をかけることは、もっとほかにあるのですよ。

 それも、天が「書け」と命令を下されたときには書きましょう。
                           では、2010年7月11日雨宮舜
追伸、今、最後の一節を加えたとたん、パソコンが猛烈といってよいほど荒れました。で、B氏について(今ここではあまり詳述をしていませんが)、彼も相当なレベルで、国際的軍産共同体に奉仕していることが明らかです。それは前から承知しておりました。ただ、ここで、有名作家であり、故人である人を、主に取り上げたのは、そちらも、上に上げた程度のことと似たようなことを過去にやっているので、それから考えても、国民大多数を悲しませる方向で動いていることは確かなのです。

それと、そちらのほうが大衆的知名度の高い人なので、説明をしやすいです。ただし、B氏も引き続いて観察する必要があると、今回、思いを新たにしました。ちょっと、そちらはテレビ番組がないので、観察しにくいですが、観察を続けましょう。

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電子書籍化の危険性ー2、改稿篇

2010-07-11 12:37:57 | Weblog
 先ほど三時間かかって、一本アップをさせていただきましたが、あまりにも長いので、分離させていただきました。どうか、よろしく。

 さて、昨日の崖っぷちのエリーという単語で始まる文章ですが、それは読者に対するサービス精神もまるでないものです。ある程度以上に失礼をいたしました。が、67才の身としては渾身の力を込めたもので、一見すると、個人的な自慢に見えて、すこぶる政治的な問題に触れています。特に、私が近年大問題としているのが、巧妙に行われる言論弾圧の仕組みです。

 それが、一般の人にも周知の事実であるかどうかが心配で、すべての文章、特に長いものについては、そこを主題として書いているのです。そこへ向かって収斂していくこととなるでしょう。それを、下世話なエピソードの中で、わかりやすく書きたいと思うのが私の望みです。

 昨日の文章で一般の方に向けて、特に大切な問題だったのは、第五節以下です。電子書籍がはやると、言論弾圧が容易になるということです。戦時中には、伏字のニュースが多かったことが知られています。また、戦後すぐには、数多くの書物に、墨を塗るように学校等で命令をされたといわれています。ナチスは、焚書ということを宣伝をかねて誇示しつつ行いました。

 土曜日の文章内では、連載小説における重要な人物である鹿島泰三氏の名前は出てきませんが、国立国会図書館のマイクロフィルム化で、データを削除したのは、もちろん鹿島泰三氏自身、および氏を(そのころは)頂点とした、国際的軍産共同体の日本における戦略(諜報)部門だったと確信をしています。

 あの文章内で最も重要なことは、電子書籍では、容易に言論弾圧ができるということです。皆様もパソコンで文書を作ると削除と挿入が紙で書く場合より、容易だということには気がついておられると思います。それが、電子書籍の場合も容易に行われるのです。

 皆様はまさか、公のものが変更になるはずがないとお考えでしょう。しかし、技術的には可能です。特に紙の本ではなくて、IT的データだと可能なのです。

 私は過去、六冊の本を作ってきたのですが、データ(IT的なもの)は、破壊されることが容易だと感じています。実際の作業がどう行われるかですが、ピンポイントで破壊されます。全部が削除されたりすると、すぐ、気がつきますね。それを避けるためにピンポイントで、誤変換とか、抜かすということが、行われます。

 一冊の本で、字数にして、10万字以上ありますので、点検は大変で、死に物狂いです。で、気がついて直しても、ちょっと目を放した隙に、すぐ元通りになっています。

 私のケースから類推して考えるのですが、たとえば、思想的な書物で、著者が回りくどい方法で論を述べたとします。あっちこっち対立する論を述べた後で、やっと著者独特の論を展開した。しかもそれがたった一行だったと仮定をします。その一行を削除されてしまうと、本の独自性がまったく失われる事となります。

 また、非常に緊急になった場合は、純粋な文学(たとえば、ノーベル賞作家川端康成のもの)でさえ、改変をされる可能性はあります。日本文ではなくて、英文や仏文の方です。改変後、格が低くなるように、単語を入れ替えたりされる可能性はあるのです。よく川端文学を知っている人でも、英文までいちいち読みませんので、見落としてしまい海外の人に誤解を与える可能性さえあるのです。

 著者と編集者には、たいていの場合は次の仕事が入っていますので、電子書籍の内容を、点検しないと感じます。特に一週間に一度点検するなどということはやらないでしょう。
 すると、誰も気がつかないうちに、巧妙なる言論弾圧が行われてしまいます。

 サービスが大発展しているようですが、意外と、文化面で損失の多いものとなるかもしれません。数千年にわたって続いてきた紙の本という文化(といっても、今の形式の本はグーテンベルグ以来ですけれど)を大切にしないとだめだと感じます。


 で、元の私個人のケースに戻ると、その実情をよく知っている私は、他人様から、本を作ってほしいと頼まれるときに、一切を断っています。主人の本さえ断っています。「本の作り方はお教えします。ワンレッスン五千円で引き受けます」と、申しておりますが、他者のデータを受け取って処理することはいたしません。というのも自分のデータだけで、これほど、苦労をするのに、他人のデータが破壊されたら、その苦労たるや、目も当てられないということになるからです。

 それほどの、裏を知らない一般の人が、「あなたは、個展一回分で本が一冊できるとよくいっているから、三十万円で、一冊作ってください」なんていってきたりすると、怒り心頭に達します。印刷代だけなら、それ相応の値段(ただし、私の場合は印刷製本代だけでも、五十万円は超えるが)ですが、それ以外の部分で結構お金がかかるものなのです。

 しかもその依頼方法が、電話だったりすると、相手の安易さに腹が立ってしまいます。人ってそれぞれ抱えている条件が違うので、交渉する際は丁寧さが必要だと信じています。顔を見ながら話せば、誤解も少量になります。大切なことは必ず訪問して、対面で話し合うこと。まあ、非常に下世話な話で、申し訳ございませんが、私も人間なので、ここまでいうのをご容赦くださいませ。

 私は今は盗聴を懸念して、電話も使いませんので、出版社としては、自分の本を作るだけです。となると、技術はあるのに、ビジネスとして発展できないわけですから、それも、逸失利益となります。

 しかも、よい本を作ろうとすると、より、大変です。しかも内容が、まともであればあるほど大変です。
 現在の日本では、まともなことが忌避されています。人々がまっすぐで、元気であることは国際的軍産共同体にとっては困ることだからです。だから、エンターテインメントは称揚されますが、・・・・・あれは、・・・・・これから先は、口にチャックといたしましょう。

   で、ここで、いったん切らせていただきます。下に、二時間程度で、こちらをアップしてしまって隠れてしまった、蒼穹の昴(NHKハイビジョン放映)に対する感想が載っていますので、それにご興味のある方はどうぞ。初稿より少し、改良してあります。

 2010年7月11日     雨宮舜
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蒼穹の昴が終わってしまった。改稿・短縮・篇

2010-07-11 11:08:35 | Weblog
 本日は日曜日です。このブログの読者の皆様もご自宅にいらっしゃるケースがおおいでしょう。選挙カーの連呼も終わって町は静かです。それで私もちょっとした休憩を入れましょう。

 ところで、NHKハイビジョンで放映をされていた蒼穹の昴が昨日終わってしまいました。私はこのドラマの原作を読んでいません。だから、語ることが的をはずしているかもしれませんが、

 ちょっと、進行がとろとろしていましたね。それは、若手の俳優に魅力がなくて、彼、彼女らが登場すると、すべてが想定内で進行するので、それで、とろいと感じたのでしょう。これは、脚本が悪いのか、彼、彼女らの演技が平板なのか、どちらに原因があるのかが、今のところわかりません。
 ひとつ、原因として想像をされることは、中国の若い人は一人っ子政策の影響で、親から大切にして育てられています。しかも俳優になるためには、大変な競争があるそうです。日本で言えば東大に合格するよりも難しい穴を通らないと、世に出られない模様です。

 それゆえに、優等生としての殻を破ることができないのかな。マダムチャンを演じた女優さんなど、「あなたって、実家がよくて、お嬢様なのでしょう」という感じを受けるだけで、その役が内包している複雑さが、まったく出ていなかったです。主人公、春児、文しゅうを演じた二人の青年もそうですし、彼らを囲む奥様役や、妹やくも、そして、光緒帝の最愛の人珍妃を演じた女優さんも同じです。

 唯一、若手の中で輝いていたのは、光緒帝役の俳優でした。やりがいのある脚本だったと思いますし、本人の人物造詣もすばらしかったです。

 ほかには、中年俳優、特に悪役連中がすばらしかったです。宦官の鬱屈を表現する俳優たちは上手だと感じました。見ていて面白かったです。翻って繰り返しになりますが、中年、若手両方とも、善玉役はつまらなかったです。

 さあて、最後に主役の田中裕子さん。今いえることは、「ごくろうさまでした。よくまっとうなさった。それはえらいです」ということです。「あの重いかつらと衣装をまとうだけでも、大変だったでしょう」と、申し上げたいです。

 その重いかつらと、衣装ということですが、それに惹かれて、見続けました。ドラマ部分がつまらなくても、そこと、装置が立派でしたね。セットとも思われない宮殿でした。私は韓国ドラマをあまり見ていないので、比較ができないのですが、こういう史劇は、衣装と装置が、楽しみなのです。では、                           2010年7月11日、雨宮 舜
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