銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

みなとみらいで、牡蠣を採る、二人のおばさん(たくましさに、微笑む)、

2010-07-02 23:50:01 | Weblog
 以下の話は私自身が見聞きしたものではなくて、主人からの伝聞です。

 でも、日本人と韓国人(または、北朝鮮籍の人)の国民性の違いが現れていて、大変面白いと思うので採録をさせてくださいませ。

 主人がみなとみらい(横浜)を歩いていたときのことです。場所は、インターコンチネンタルホテルのすぐそば。

 万葉会館という、温泉施設があるところです。この会館は、芸能人なども来るとかいわれていたり、熱海から本当のお湯を運んでいるとか、いわれている施設で、大体四千円ぐらいで一日楽しめるそうです。でも、我が家では、誰も行ったことはないのですが、ともかく、その施設は海べりに建っています。

 そこから、海上保安庁の『北朝鮮の不審船が保存をされている博物館』までの間は、ひたひたと波の打ち寄せる海岸となっています。しかし、その波ですが、ほとんど波ともいえないほど、静かなものです。東京湾の中の横浜湾(?)、のそのまた、いろいろな建物や埠頭に囲まれた一帯ですから。

 でも、海そのものは結構深い模様で、人が落ちると危険ですから、フェンスで、水際までは入れないようになっているそうです。しかし、垂直のがけというわけでもなく、一種のテラス式の、かつ階段状の護岸が、三段ぐらいできているそうです。

 その安全なしかし、普通なら人が入ってはいけないところで、がつん、がつん、と音がするので、不思議に思って、下の方をの覗いてみると二人のご婦人が、牡蠣を採っていたのだそうです。で、活発に会話を交わしている二人の、言葉がどうも朝鮮語らしくて、それなりに主人は納得をしたみたいです。
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 私もすぐ納得をしました。実は横浜港(または、横須賀港)にはムール貝がびっしりと護岸に引っ付いています。おいしそうです。採ったらいいんじゃあないかと思いますが、日本人は誰もそれをしません。牡蠣は、ムール貝よりより、おいしさという点では、上等な種類の貝です。ただ、私は、横浜港に牡蠣が存在しているのには、今まで気がつきませんでした。で、その二人のご夫人は、万葉会館の従業員ではないかと、感じます。

 または、前に万葉会館に遊びに来たことがある、川崎あたりに住んでいるおばさんで、「あそこに牡蠣があるわ」と気がついて、別の日に、貝採りようの武装をしてきたかな?だって、日帰りの観光に来て、急に気がついても、入ってはいけない場所に入って、牡蠣を鑿(のみ)などを使って、はがして、採るなど、普通の人にはできませんもの。この場所に土地勘がある人です。

 特に日本人は、恥を知るというか、ルールに従うという性質があって、フェンスがあって、立ち入り禁止になっていたら、普通は入りません。それに、ただで、牡蠣を採るのは、貧乏に見えるので、それも恥ずかしがるでしょう。横浜には中国人も住んでいますが、彼らは、中華街を中心にビジネスで成功しているので、海岸で、牡蠣を採るなんてしないはずです。また、大陸から若い人を呼び寄せていますが、彼らも、若いので格好をつけたいから、恥ずかしがるでしょう。また、レストラン等に勤めていて、自分では料理を作らないと思いますので、牡蠣を手に入れようなどとは思わないはずです。

 主人が見るところ、このご婦人たちは、はじめてではないようでした。最近、はがした牡蠣の痕が、点々と白く、しかもたくさん、コンクリートの護岸の上に残っているそうで、海女並みのベテランさんだったのです。ただし本当の海女ほど、危険を犯さないで採れる、形の護岸です。

 私なんかにしてみれば、運河とか、海が汚かった時代を覚えているから、『ここで、採ったものなんか食べられないわよね』という感覚がある。今でも、奥まったところ、(たとえば、横浜駅のすぐそば)では、猫の死体が、ぷかぷか浮かんでいたりします。

 でもね。下水道の整備が進んで、昔に比べればはるかにきれいになっていて、潮くささとか、どぶくささは消えています。牡蠣を採ったとしても、それを、一日ぐらい台所で、塩水につけておけば、貝が自然に、海水を呼吸(消化)して身奇麗になってくれるはずです。

 それに、自分の国に住んでいるわけではないという居直りがあるのでしょう。国籍がどうかはわからないものの、『誰も私たちのことを知っているはずはないわよね』と言う居直りはあるはず。
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 そこへ海上保安庁のものらしい、パトロールカーがやってきて、「そこへ入ってはいけません」といったのだそうです。すると若い方のご婦人が日本語で、「はい、わかりました」と答えたのですが、それっきりで、やめる気配がないのです。
 すると、パトロール隊が、大変やさしい丁寧な言い方で、「ご存知かもしれませんが、夏の牡蠣は、産卵シーズンで卵巣に毒があるのですよ」といったのです。それもまた、若い方のご婦人が「はい、わかりました」と答えたのですが、実際には採集のがつん、がつんをやめなかったそうです。

 いったんは向こうへ、走り去ったパトロール隊が、少し経って、戻ってきて、同じ注意をしたのだそうです。で、若いご婦人の方が、また、「はい、はい」と答えたのですが、実際には絶対にやめなかったのだそうです。

 そういえば、私たちも教わっていますよね。英語で表記した場合のRのつく月には牡蠣は食べてはいけないのだと。つまり、四月から10月までは牡蠣は食べるべきではないと。

 だけど、主人の見るところ、その二人はベテランの模様で、決してはじめてではないと見えたので、牡蠣が実際には、今(夏)でも食べられるのであろうということでした。

 私は、「もしかしたら干すんではない。そしたら、毒が消えるのかもよ」といいました。または、濃い塩に漬けておいて、冬のキムチに使うのかもしれません。塩水の中に卵巣の毒素が溶け出していて、無害になるのかもしれません。

 ともかく、この話から得る教訓は、日本人があまりにも馴致されすぎて、おとなしくなりすぎているということを、感じることです。若い人が草食系とよく言われるけれど、おばさん系も、もっと、野暮でもよくて、野蛮でもいいのです。その方が生き生きしていて、たくましくて、楽しいかもしれません。

 われわれ日本人の間には、このごろ、家庭菜園ははやっています。それは、歴史的に言えば、弥生時代の習性を思い出しているということです。でも、野原や海に行って、採集をして、食料を得る生活など、すっかり忘れています。つまり、縄文時代の習性などはるか昔に捨て去っていて、思い出しもしないというわけです。

 潮干狩りでアサリを採る海岸だって、横浜には残っていません。鎌倉の海だってアサリなんか採れるはずもないです。

 二人のご婦人は、自然に引っ付いてきた牡蠣を見つけて、「これねえ。ほうっておいたら、死ぬだけよ。もったいないわよ」と言い合って採集しているのでしょう。決して貧乏なわけではないと思います。ほほえましいたくましさです。

 最後になりました。私はムール貝だけは、専門の漁師さんが入漁して、採ったらよいと感じます。きれいな海水に二日ぐらいつけて置けば大丈夫で、食べられると思う。確かに、『そのまま、自然に死なせたら、もったいない』と思うほど、大量にありますし。横浜にも横須賀にも。

   では、2010年7月3日                     雨宮舜
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今野選手の、絶妙なるパフォーマンスの、深い意義

2010-07-02 00:09:46 | Weblog
 本日(2010-7-1)の夕方NHKで、岡田ジャパンの選手の記者会見を同時進行的に見ていたときです。6時55分にNHKは、カメラをスタジオに切り替え、天気予報を始めました。判断としては、主要な選手のインタビューが終わったので、それ以上をライブで、「視聴者に見せる必要はない」ということだったと感じます。

 しかし、私はファンとして、もっと知りたくて、チャンネルをまわし始めました。その探している間に、中村俊輔選手が、何かを話されたらしいのでですが、私は、未見ですので、ここでは何も触れません。

 やっと8チャンネル(フジテレビ)に到達して、まだ、同時進行的に放映をしているのにあたりました。フジテレビはセンスがよいです。普通は、このような時間帯は、コマーシャルで、占有されている時間ですが、そちらより、ライブ映像を優先したのは、センスがよい。事前の抽選会では、日本、パラグァイ戦を、『まさか、そこまで岡田ジャパンは、勝ち進むはずがない』と、取り逃がしたそうですが、『この、コマーシャル無視の、現場映像優先・放映はセンスがよかった』と、担当者をほめて差し上げたい。

 さて、そこで、とても、驚く映像を目にしました。それは、一見すると馬鹿みたいな映像でしたが、よく考えると、非常に意味深く、かつ、岡田ジャパンの本質を伝えていると思うので、丁寧に、書き表させてくださいませ。

 七時まで、あと、3分となり、記者会見の司会者(幹事会社の記者)が、岡田監督jに二回目の発言を促すと、監督は、「今野がなにか、言いたがっていたが」とおっしゃいました。それで、右後列にいた、今野選手をみんなが振り返り、カメラもそこへ、マイクもそこへ向かいました。

 そのときにテレビの前に座っていた大方の視聴者の考えたことは、『あれ、この人ってゴールしたっけ』だったと思います。または、『あら、目立ちたがりやななのね』くらいのものでしょう。特別サッカーに詳しい人以外は、その程度の認識だったと思います。

 私は、最もサッカーに疎い種族ですから、この場面では、『ああ、岡田さんが、チームに和したというのは本当だった』と、ほっとしたくらいが一番の特筆すべきことだったのです。だって、今野選手が、もし監督を嫌いだったら、そんなお願いをするわけもないですから。カメルーン戦勝利の前までは、うわさはかまびすしかったですね。選手が監督を嫌っていると。

 岡田監督については、逗子にお住まいで、八幡宮の雪洞祭りを通じてファンになっているとは、以前、このランでも書きましたが、一方で、氏が、サッカー界においては、最高レベルでの、インテリであり、選手に対しては理知的過ぎる対応となっていて、反目を招いているのであろうとは、カメルーン戦、勝利の前までは感じていたのです。
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 さて、望みどおり、カメラが自分に向かい、マイクも手にしたのに、今野選手はためらいを見せました。下を向いて「厳(きび)しいなあ」とも、つぶやきました。一瞬の間合いを置いて、「闘利王選手のまねをします」と前置きをして、「ウオーッ、集合だー」と大声を上げたのです。ちょっとだみ声でね。そこが真似の真似たるゆえんでしょう。

 そのときに、壇上の28人は、みんな大笑いです。カメラは瞬間移動して、岡田監督を捕らえましたが、画面では後ろになる長谷部選手と、二人重なって、監督もいすから転げ落ちそうになって笑っていました。

 この瞬間、私の頭の中には、たくさんの想念が浮かんだのです。それを、逐一書かせてください。大切なものの方を後にして、簡単なものからあげていきます。

 まず、医者の息子であり、早稲田出身という、岡田監督(先ほどもいったように、冷静で、ありすぎる人)が、本当に選手と一体になっているということと、このチームが真に溶け合ったよいチームになっていたということを、また改めて感じさせられました。

 今野選手ももちろん偉いです。もし、事前に自分がどんなパフォーマンスをするかを、ちらっとでも、もらしていたら、こんなにみんなは笑わなかったでしょう。単に、『何らかの感謝のメッセージを発表するはずだ』と、チームメイト全員に、思わせていたから、みんな驚いて、椅子から転げ落ちたのです。
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 さて、ここからは、闘利王選手と川口選手に入ります。川口選手は主将として、よくみんなをまとめられました。大いに賞賛してよいと感じます。中村俊輔、森本選手、稲本選手、楢崎選手、出たい人はいっぱいいるでしょうし、戦前の大方の評価は、それら、主力(今では、だれが主力ともいえないが)が南アフリカのピッチを踏むことは疑わなかったのですし。

 つまり、岡田監督が、外に見せなかった、情や、精神性において、みんなを引っ張りまとめた人材です。将来、指導者として、名指揮官になれる可能性があります。

 しかし、闘利王選手が一種のリーダーとしてチームを引っ張ったことも事実なのでしょう。特にその攻撃的な精神で、みんなを引っ張ったのです。前進、前向き、な闘争心というやつです。しかも、カメルーン戦前に、決定的な、言葉を披露して、みんなを、ある方向へ向けて統一しました。それは===俺たちは、下手なんだ。下手は下手なりに、鈍くさく、やらなければならない===というもの。

 それで、みんなは、目覚めて、覚悟ができて、立派な守備に徹しることができ、一勝をあげることができたのです。その存在の価値については、みんな感じているのでしょうが、その本人は、この場所にいません。

 彼について、特にその業績について、どう、日本国民に伝えたらよいのかを、ある種考え抜いて、しかも奇想天外に、面白さを凝縮して、それを、視聴者に、思い出させたのが、今野選手のパフォーマンスでした。
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 とても美しい光景であり、このチームがひたすらに精神性で、勝ちあがってきたことを証明する場面でもあったのです。

 しかし、しかしなのです。闘利王選手については、ここで、もう少し、述べたいことがあります。演劇畑の人間がよく言う言葉に、「板の上で、死ね」とか、「われわれは身内の死に目にも会えないのだ」という言葉があります。闘利王選手のお父さんが、病気で危険な段階で、試合が終わったので、ブラジルへ帰国するとのことで、この記者会見場にいないわけですが、もし、彼が演劇畑の人間だったら、この記者会見は、その最終幕でもあり、出席するべきでもあろうかと、思います。

 でも、もし、彼が日本国籍を返上して、これから、ブラジル人として、欧州リーグ、またはブラジル内で、活躍するとしたら、この記者会見場は、さして大切な場所ではありません。特に闘利王選手が、自分のリーダーシップの高さを自覚して、将来指導者になっていく道を望んでいてその場がブラジルのチームだったりすると、なおさら、この会見は無意味になります。

 プロ・野球界に進んだ人が、本当にやりたい仕事は、高校野球の監督だそうです。これから、伸びていく若い人を指導すること、これほど、意義があり、生きがいのある仕事もないでしょう。そして、ブラジルは、オリンピックも控えています。大統領が、闘利王選手にひそかにメールを送り、何らかの広報面でのサポートを依頼したかもしれません。これは想像ですが、ありえましょう。

 日本という国は、マスコミが発達しているので、ブラジルにいるよりは知名度を上げることができて、コマーシャル収入等は高くなると思います。そして、闘利王選手が来日したのも自分の意思ではなくて、渋谷幕張高校のスカウトでした。

 今は日本国籍を取得している彼も、両親の段階からは、ブラジル人なのです。祖父母は日本カラーを色濃く残していたかもしれませんが、両親の段階ではブラジル人なのです。W杯という世界で、闘利王選手が深い愛国心に目覚めたとしても、それを誰が非難できるでしょうか?

 私がふと、こんな感想を漏らすと、主人が脇で、『かんぐりすぎない方がよいよ』といいます。それも、一法です。だけど、ジャの道はヘビで、サッカー界の大勢の人は、あの記者会見場にいた、選手を含めて、それが、すでに、わかっているのかもしれません。

 それらの複雑さを全部含めて、一瞬のひらめきとして行われた、今野選手のパフォーマンスは、本当に絶妙でした。闘利王選手の貢献をだれも、言及できなかったからこそ、なにか、してやりたい。だけど、もし、日本国籍を返上するのが、近々だったら、ここで、言葉で称揚することもできない。

だけど、お笑いにまぶせば、すべては、許されます。
 みんな笑い転げました。でも、その「ウオーッ」という大声は、日本選手団が失いがちな野生を、このチームに吹き込み、活性化したのです。そして、そのハーフ特有のかわいくて美しい顔にも似合わない、激しい闘争心によって、サッカーが一種の格闘技(ファールを呼び込む、接触技を見ているとそう感じます)である、原点にみんなを、立ち返らせたのです。

 最後の試合に立ち現れた心理的なメカニズムについては、ここでは長くなるので触れません。だけど、最初の三試合までの、勝利は、板こ一枚下は地獄の船乗りのたとえと同じく、個性がぶつかり合い、ばらばらになってしまうチームを、それぞれが、適材適所で守り立てた結果であり、闘利王選手の功績はそれなりに、永遠に記憶されるべきなのです。

 最後の最後でも、岡田監督の資質は役立ちました。氏がインテリではなかったら、俺が俺がになってしまって、今野選手にマイクが渡るような采配が生まれなかったでしょう。

 そして、この感動をもたらした、このチームを生んだ、影にある大いなる化学変化に役立った、純粋日本人の川口選手の、みんなの心をまとめた、情による、リーダーシップも、繰り返しになりますが、高く評価されるべきです。ありがとう。みなさん。
  では、今日はこれで。  2010年7月2日に、一日にあったことを書く。雨宮舜
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