スカイツリーの公開もあと1か月になりました
東京タワーから引き継いで 新たな 東京のシンボルになることでしょう
夏を思わせる気温となったこの日
家にいるのはもったいない 思わず 自転車で飛び出しました
尾竹橋です 足立区と荒川区を跨いだ隅田川に架かっています
♪ 春も うららな 隅田川 ♪ のどかな光景ですね~
建物の前に 若い人たちが集まっています
学生さんです
建物は帝京科学大学のキャンパスでした
入口の大きな輪のモニュメントがあります これはいったいなにを顕しているのでしょうか
そうなんです これぞ今日の主役 煙突です
昭和39年まで稼働していた千住火力発電所 通称「お化け煙突」の”輪切り”なんですね
四本の煙突が 菱形に配置されていたため 煙突を見る場所によって一本から四本に見える
ニックネームのお化けの種明かしです
当時 お化け煙突は下町のどの位置からも見ることができました
下町のシンボル的存在でしたね
映画にもなりました (煙突の見える場所)
当時からは想像もできないスマートな風景に変わりましたが・・
同じ地点からの撮影です (昭和28年 中学生時代の二眼レフで撮影)
荷車と自転車がなんともレトロ これぞ昭和20年代の象徴です
そして 変化したのはお化け煙突だけではありませんでした
こちらは都立尾久の原公園です
化学工場旭電化の跡地に造成されました
思えば先の大戦で 本土の初空襲を実行した(昭和17年4月18日)米空軍ドーリットル爆撃機隊の一機が来襲 工場に爆弾を投下
近隣住民にも死傷者がでて 全国に大きな衝撃を与えました
その事実も徐々に風化され この日も親子連れが楽しそうに遊んでいました
そしてここでもスカイツリー
お化け煙突からバトンタッチされた下町のシンボルです
どうやら下町では 東京タワーからの引き継ぎでなく お化け煙突からの襷の受け渡しを受けた感覚が濃厚ですね
”本数が変わらない”新しい象徴の風景にも次第に慣れてきたようです
東京タワーから引き継いで 新たな 東京のシンボルになることでしょう
夏を思わせる気温となったこの日
家にいるのはもったいない 思わず 自転車で飛び出しました
尾竹橋です 足立区と荒川区を跨いだ隅田川に架かっています
♪ 春も うららな 隅田川 ♪ のどかな光景ですね~
建物の前に 若い人たちが集まっています
学生さんです
建物は帝京科学大学のキャンパスでした
入口の大きな輪のモニュメントがあります これはいったいなにを顕しているのでしょうか
そうなんです これぞ今日の主役 煙突です
昭和39年まで稼働していた千住火力発電所 通称「お化け煙突」の”輪切り”なんですね
四本の煙突が 菱形に配置されていたため 煙突を見る場所によって一本から四本に見える
ニックネームのお化けの種明かしです
当時 お化け煙突は下町のどの位置からも見ることができました
下町のシンボル的存在でしたね
映画にもなりました (煙突の見える場所)
当時からは想像もできないスマートな風景に変わりましたが・・
同じ地点からの撮影です (昭和28年 中学生時代の二眼レフで撮影)
荷車と自転車がなんともレトロ これぞ昭和20年代の象徴です
そして 変化したのはお化け煙突だけではありませんでした
こちらは都立尾久の原公園です
化学工場旭電化の跡地に造成されました
思えば先の大戦で 本土の初空襲を実行した(昭和17年4月18日)米空軍ドーリットル爆撃機隊の一機が来襲 工場に爆弾を投下
近隣住民にも死傷者がでて 全国に大きな衝撃を与えました
その事実も徐々に風化され この日も親子連れが楽しそうに遊んでいました
そしてここでもスカイツリー
お化け煙突からバトンタッチされた下町のシンボルです
どうやら下町では 東京タワーからの引き継ぎでなく お化け煙突からの襷の受け渡しを受けた感覚が濃厚ですね
”本数が変わらない”新しい象徴の風景にも次第に慣れてきたようです
今後の街づくりのヒントを探しているのでしょうか。
生き生きとした下町の空気を消さないで、安全な街づくりができるとよいですね~
そんな下町と、スカイツリーを代表する新しい下町が共にあって魅力なんでしょうけどね。
スカイツリー効果でしょう、最近のテレビ番組は下町を取り上げています。
映画、三丁目の夕日をはじめ、朝ドラも人との交流を暖かく描いています。
スカイツりーを背景に、これからの新しい下町情緒を創設していくことですね。
こういうのって、実際には知らなくとも、何となく懐かしいものに思えます。
当分は、スカイツリー目指して全国から人が集まるのでしょう。
荷車 シャリキって言ってたかな? 自転車 懐かしいですね(年がバレバレです)
信号待ちで火力発電所の煙突を見ながら あの階段登るのかな?
(煙突の外をグルリと階段が付いていました)
スカイツリーの新名所 一段落して観光したいですね
火力発電所が健在で稼働してれば、こんな世にならなかったのにとつくづく思います。過去のことを思っても仕方ありませんが、あまりにも何でもかんでも電気に頼りすぎましたね。
公園の林の中で行われていた相撲大会を、父の背中で見ていた小さい頃の記憶が、今でも私の脳のフォルダに残ってます。
高校時代にその公園に行ってみると、確かに土俵があり、あぁ、この公園だったんだとその時思いました。
先日その公園の中を歩いてきましたが、0.87μsv/hと表示されていて、とても残念なことです。市内中心部の麓山(はやま)公園です。
昨日は天皇・皇后がスカイツリーの展望台を楽しまれ、お喜びでしたね。
地元も盛り上がりました。
5月22日以降は下町風景が一変するでしょうね。
同一地点からの撮影でした。
60年の歳月。一瞬の間でしたね。
戦後の復興の象徴は煙突から黒々と吐き出される黒煙でした。
ニュース映画でおなじみの場面です。
そういえば蒸気機関車の煙も懐かしいですね。
煙突が姿を消して久しい東京です。
来月からスカイツリーへのバトンタッチです。
吸入用煙突は初めて知りました。
写真、カメラへの関心、興味を持ったのは中学時代からです。エボナイト製の「スタートカメラ」から蛇腹カメラ、二眼レフカメラと進化?していきました。
この時代の少し前までは荷車を牛・馬が引いて、現在の幹線道路、明治道路を闊歩してましたよ。
マンがの世界ですが、この煙突を登ったガキ大将がいます。
コチカメの両さんです(笑)
その両さん漫画もスカイツリーを登場させてました。
時代は確実にスカイツリーに移ってきました。
実は中学時代は写真部に所属してました。
部室で、現像焼き付け引き伸ばしをやってたもんです。当時のネガ、全部でないですが、保存しています。意外でしょう(笑)
当時は火力、水力発電所だけで電力をまかなっていました。それでも生活はできていました。
少し時代を戻すのも選択肢として考えたいものです。
幼いころの思い出の場所が急激に変化していますね。
自分の中だけでも当時の光景、音、匂いを大切にしています。