酒と畑に戯れるオヤジな私

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江戸を守った日本堤

2014年10月08日 | 隅田川


台風18号一過 隅田川左岸(右側)の光景です

浅草桜橋から遠く白髭橋を望む箇所からの撮影です

夏の花火大会で賑わった場所ですが 

秋になって人も疎らになりました



見上げれば首都高速道路で 東北道・常磐道に繋がっています


実はこの隅田川の左岸堤防 かの明暦の大火以降 川幕府によって改めて整備されました

江戸の「都市計画」ですね

この事業で いよいよ下総の国が江戸に編入 武家屋敷・町屋が建ち並びました


大川(隅田川)の氾濫 洪水を防ぐためのインフラはここ墨堤だけではありません

右岸には 全国の大名に命じて 浅草から三ノ輪まで高さ3米・幅8米の土堤を築きました

いまも 地名に残る「日本堤」です (全国の大名に普請を命じたので日本堤)

その痕跡がこちらです ↓





これで江戸市中は 大川の洪水の危険から守られ 世界一の100万人都市に発展していきました


信長・秀吉に比べて なにかと人気度の低い家康ですが現在の東京の基礎つくりをした貢献を忘れてはなりませんね

暴れる利根川を江戸湾から 銚子に移す (利根川東遷事業)

歴史小説には顕われない家康の功績です


以来 明治・大正・昭和と続いた河川管理のお蔭で今回の大型台風18号の被害がありませんでした

ただし江戸時代 我が住居地域は「日本堤」から離れた湿地帯の農村でした 

荒川(大川)の氾濫・洪水は日常茶飯事で 農作物に多大な被害を与えたようです


それも今では昔の話・・・



日本堤(土手)の近くで明治22年に開業した老舗の天丼屋「土手の伊勢屋」です

時折 出かけています

丼の蓋からはみ出すアナゴ エビ カキ揚げ  

ご先祖様に成り代わって 当時の思いを込め舌鼓を打っています

墨堤・日本堤 土手の伊勢屋 いまでも江戸の香りを漂わせていました 

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20 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お江戸のころは (ぐり)
2014-10-08 10:06:04
火事に加え洪水の被害にもさらされていたんですね
苦労して積み重ねてきたものが一晩のうちに亡くなってしまうむなしかったでしょうね

先日の大岡越前で火消し組を結成するところをやりました

天ぷら屋さんの看板見事ですね
家の構えもなかなか味があっていいですね
味を守っているお店なのでしょうね
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すみません (ぐり)
2014-10-08 10:07:26
亡くなってーー無くなってです
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日本堤 (東京老人)
2014-10-08 18:46:10
そういう命名でしたか、
私は江戸時代の水利工事が好きで、よくhpをみます、
伊勢屋健在ですね、
いつかはご馳走様でした、
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ぐりさんへ (オヤジな私)
2014-10-09 21:24:30
火事と喧嘩は江戸の華。
本音をいえば負け惜しみでしょうね。

いまに残る○○広小路、たとえば上野広小路は大火のあとの区画整理で誕生しました。広い空間を設けて延焼を防いだのでしょう。

忘れてならないのが洪水被害です。
火事ほど伝えられていませんが、当時の被害は相当なものでした。
我が家の近辺も戦後しばらくはちょっとした台風で膝まで水がきました。
日本堤の恩恵を受けられない地域でしたから。

大岡越前、見ましたよ。
吉宗が創設した町火消は史実です。
好きな番組です。

土手の伊勢屋はよく行きます。
関東大震災で崩壊した店を昭和2年に再興して、依頼戦災を免れました。
油を使う店なので水、水曜日が定休日です(笑)
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東京老人さんへ (オヤジな私)
2014-10-09 21:30:17
家康といえば武勲が評価されている武将です。
しかし、江戸の繁栄は家康のエネルギー対策、治水、飲料水確保の対策なしでは語られませんね。

赤羽水門にある資料館が面白そうです。
利根川東遷をはじめ、荒川放水路の歴史など・・

自転車で行ってみようと思っています。
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Unknown ()
2014-10-09 22:12:26
治水は信玄の特許(笑)と思っていましたが家康もでしたか・・すごいですね。
まずは江戸を選んだ目でびっくり。利根川を銚子にびっくり、家康はおどろかせる名人です。

知ればしるほどおもしろい。歴史ですね。

あ~ここ!ここ!
かつてないくらいおいしかったです。
また行こうと話していますよ。
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江戸幕府の治水事業は (wakasama)
2014-10-10 07:06:24
素晴らしかったですね。
流域面積が日本一、添加の暴れ者「板東太郎」を江戸の水害から守る都市計画はさすがでした。
それでも荒川までは手が回らなかったのでしょうか?
昔の治水事業は大変だったのでしょう、信玄堤も有名ですが、やはり何回も改修工事を施したようです。

オヤジさんの落ちは美味しい料理屋か飲み屋ですね、
いつまでも元気で長生きして下さい♪


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訂正です (wakasama)
2014-10-10 07:09:23
添加 → 天下 でした。
昨日、上田市内の写真クラブ合同で秋の高山祭に日帰り撮影会に行ってきました。
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mさんへ (オヤジな私)
2014-10-10 10:02:36
土手の伊勢屋。
たまに出かけています。
現在の店長はアルバイトからの昇進です。
接客・天麩羅の腕前が相当な若者だったのでしょう。

小田原城の平定のあと、秀吉によって関東江戸に追い払われた家康でしたが、湿地帯の江戸を見事に開拓しました。
まさに家康恐るべし!
秀吉も臍を噛んだことでしょう。

歴史の下部構造は面白いですね。
例の本から学びました。
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wakasamaさんへ (オヤジな私)
2014-10-10 10:10:55
おはようございます。

山間地が大部分を占める日本です。為政者は治水に熱心に取り組んできたのですね。
日本堤は三ノ輪~日暮里の台地までの土手で、その先は明治初めまでは手をかけていません。
彰義隊の敗残兵たちが、膝まで泥に浸かって荒川区方面に逃げたという記録が残っています。

水といえば水道事業ですが、日本最初の近代水道は横浜が発祥の地なんですね。
これも最近知りました。

まだまだわからないことだらけです。
歴史は面白いですね。
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