コロナ禍が始まるまでは毎年1回開催されていた「German Physiks 友の会」は、昨年と今年は中止となった。
ワクチンの効果か、日本では新型コロナの感染者数が最近大きく減少した。東京都でも1日の新規感染者数が20名ほどまでに減ってきた。
そこで大人数を集める「友の会」ではなく、参加者をぐっと減らし「German Physiks ミニ例会」が10月、11月、12月の3回に分けて行われることになった。
第1回の「ミニ例会」はすでに先月執り行われた。そして今日第2回の「ミニ例会」が行われた。その「ミニ例会」に参加させてもらった。参加者は全員で6名であった。
場所は、広さが50畳ほどはあろうかと推測される広く豪華なHさんのリスニングルームである。その広さ、構造、内装、どれをとっても非日常というべきか、現実的な枠を一切取り払った豪華さに溢れている。
リスニングルームの製作は2年ほど前とのこと、GRFさんの部屋を参考にして、PSDの大山さんが施工管理をしたもので、その徹底したこだわりに真のマニア魂を感じた。
そして、この広く豪華なリスニングルームの空間を埋めるようにジャーマンフィジックスのDDDユニットやPSDのサブウーファーが、複雑に陣形を組んでいた。
特に目を引くのが、前方のスピーカーシステムである。PSDのサブウーファーの上にDDDユニットが三つ連なっているのである。トルバドール80とトロバドール40が合体したそれは「120」と命名されていた。
この「120」・・・単に80+40ではないことは、後ほど聴いた音で証明された。後方にはさらに巨大なPSDのサブウーファーの上に「80」がそれぞれ乗っている。
つまりDDDユニットの数は全部で10個ということになる。「120+120+80+80=400・・・『システム400』ということになるのであろうか・・・」頭の中に数字が飛び交った。
「システム400」を駆動するのは是枝重治氏が設計製造した数多くの真空管アンプである。デジタルの送り出しはメトロノームのセパレート。そしてアナログはReedというリトアニアのメーカーの高精度なレコードプレーヤー。ダブルアーム使用でアームもReed製。
リトアニアという国のことも、Reedというメーカのことも、残念ながら私は全く知らない。しかし、その製品が持つただならぬ存在感は視線を惹きつけるのに十二分であった。
部屋の豪華さと、その部屋に居並ぶオーディオ機器の精悍なオーラに圧倒されながら椅子に座った。第2回「German Physiks ミニ例会」は、ショスタコーヴィチの交響曲第15番で始まった。
音に集中しようと目を閉じた。少し経過したところでGRFさんがおもむろに立ち上がって一旦CDの演奏を止めて、リタ・シュトライヒのソプラノによるモーツァルトの「すみれ」に曲を変えた。
そして「システム400」のただなかに入っていき、その音に耳を傾けながらDDDユニットの位置を微調整した。とんとんと手で軽く叩いた。動いたのは1,2ミリ程度であろうか・・・
音の焦点が定まった。すっと何かが静かになった。音を遮るものが消え去ったかのように音にストレスが全くかからなくなった。
再度、ショスタコーヴィチの交響曲第15番がかかった。先ほどとは別の世界が広がった。「システム400」の後方はイタリア製の美しい石材が壁一面に複雑に組み合わされている。その石材に複雑に反響した音のいでたちは、有機的で自然である。時に繊細で時に雄大・・・こんこんと湧き出る泉のように絶え間なく動き変化する。
交響曲第15番はショスタコーヴィチが最後に書き上げた交響曲である。ロッシーニの「ウィリアム・テル」や自身の過去の交響曲からの引用が多用されるこの交響曲は、ショスタコービッチの人生の結晶そのものであるかのように、時に輝き、時に陰鬱にねじれ、そして軽妙にステップを踏む。
ピントがぴったりと合って、時の自然な流れと完全に融合したかのような音楽は6名のそれぞれ2つの耳を魅了した。全楽章を通して交響曲第15番を聴いた。40分を越える時間、この交響曲が描き出す風景を全員が堪能した。
その後も数枚のCDがメトロノームのトップローディング式のトランスポートにセットされた。「システム400」は音の裏側に潜む情念のようなものもすっと提示する。その質と量は豊富で潤沢である。
私はフロントがまだ「80」であった頃の音を聴いてはいないが、「120になって格段にCDの音が良くなった・・・」とその経過を知っている方々は話されていた。「120」は単なる足し算の「解」ではなかったようである。
「German Physiks ミニ例会」の前半は終了した。後半はアナログである。Hさんのリスニングルームのアナログは、リトアニアのReedである。それにスポットライトを当てるのは自身が発光する光カートリッジである。
ワクチンの効果か、日本では新型コロナの感染者数が最近大きく減少した。東京都でも1日の新規感染者数が20名ほどまでに減ってきた。
そこで大人数を集める「友の会」ではなく、参加者をぐっと減らし「German Physiks ミニ例会」が10月、11月、12月の3回に分けて行われることになった。
第1回の「ミニ例会」はすでに先月執り行われた。そして今日第2回の「ミニ例会」が行われた。その「ミニ例会」に参加させてもらった。参加者は全員で6名であった。
場所は、広さが50畳ほどはあろうかと推測される広く豪華なHさんのリスニングルームである。その広さ、構造、内装、どれをとっても非日常というべきか、現実的な枠を一切取り払った豪華さに溢れている。
リスニングルームの製作は2年ほど前とのこと、GRFさんの部屋を参考にして、PSDの大山さんが施工管理をしたもので、その徹底したこだわりに真のマニア魂を感じた。
そして、この広く豪華なリスニングルームの空間を埋めるようにジャーマンフィジックスのDDDユニットやPSDのサブウーファーが、複雑に陣形を組んでいた。
特に目を引くのが、前方のスピーカーシステムである。PSDのサブウーファーの上にDDDユニットが三つ連なっているのである。トルバドール80とトロバドール40が合体したそれは「120」と命名されていた。
この「120」・・・単に80+40ではないことは、後ほど聴いた音で証明された。後方にはさらに巨大なPSDのサブウーファーの上に「80」がそれぞれ乗っている。
つまりDDDユニットの数は全部で10個ということになる。「120+120+80+80=400・・・『システム400』ということになるのであろうか・・・」頭の中に数字が飛び交った。
「システム400」を駆動するのは是枝重治氏が設計製造した数多くの真空管アンプである。デジタルの送り出しはメトロノームのセパレート。そしてアナログはReedというリトアニアのメーカーの高精度なレコードプレーヤー。ダブルアーム使用でアームもReed製。
リトアニアという国のことも、Reedというメーカのことも、残念ながら私は全く知らない。しかし、その製品が持つただならぬ存在感は視線を惹きつけるのに十二分であった。
部屋の豪華さと、その部屋に居並ぶオーディオ機器の精悍なオーラに圧倒されながら椅子に座った。第2回「German Physiks ミニ例会」は、ショスタコーヴィチの交響曲第15番で始まった。
音に集中しようと目を閉じた。少し経過したところでGRFさんがおもむろに立ち上がって一旦CDの演奏を止めて、リタ・シュトライヒのソプラノによるモーツァルトの「すみれ」に曲を変えた。
そして「システム400」のただなかに入っていき、その音に耳を傾けながらDDDユニットの位置を微調整した。とんとんと手で軽く叩いた。動いたのは1,2ミリ程度であろうか・・・
音の焦点が定まった。すっと何かが静かになった。音を遮るものが消え去ったかのように音にストレスが全くかからなくなった。
再度、ショスタコーヴィチの交響曲第15番がかかった。先ほどとは別の世界が広がった。「システム400」の後方はイタリア製の美しい石材が壁一面に複雑に組み合わされている。その石材に複雑に反響した音のいでたちは、有機的で自然である。時に繊細で時に雄大・・・こんこんと湧き出る泉のように絶え間なく動き変化する。
交響曲第15番はショスタコーヴィチが最後に書き上げた交響曲である。ロッシーニの「ウィリアム・テル」や自身の過去の交響曲からの引用が多用されるこの交響曲は、ショスタコービッチの人生の結晶そのものであるかのように、時に輝き、時に陰鬱にねじれ、そして軽妙にステップを踏む。
ピントがぴったりと合って、時の自然な流れと完全に融合したかのような音楽は6名のそれぞれ2つの耳を魅了した。全楽章を通して交響曲第15番を聴いた。40分を越える時間、この交響曲が描き出す風景を全員が堪能した。
その後も数枚のCDがメトロノームのトップローディング式のトランスポートにセットされた。「システム400」は音の裏側に潜む情念のようなものもすっと提示する。その質と量は豊富で潤沢である。
私はフロントがまだ「80」であった頃の音を聴いてはいないが、「120になって格段にCDの音が良くなった・・・」とその経過を知っている方々は話されていた。「120」は単なる足し算の「解」ではなかったようである。
「German Physiks ミニ例会」の前半は終了した。後半はアナログである。Hさんのリスニングルームのアナログは、リトアニアのReedである。それにスポットライトを当てるのは自身が発光する光カートリッジである。