「骨董オーディオ、止めるんだって・・・?」開口一番がこれであった。オーディオ仲間として古い付き合いとなるPaoさんから、昨日電話があった。
「なんですか・・・骨董オーディオって・・・?」と軽く受け流すと「70年も前のかび臭いスピーカーなんかもう止めて売っちゃえば・・・新しいスピーカー買ったんでしょう・・・イタリアの・・・ソナスなんとかっていうの・・・」と畳みかけてくる。
「ソナスファベールです・・・新しいと言っても15年前のスピーカーですけど・・・」私は笑いながら答えた。
Paoさんと知り合ったのは15年ほど前のことである。ブログ繋がりであった。コメントをお互いのブログに入れるうちに、相互訪問させてもらったのが縁であった。
その当時Paoさんは「長岡教信者システム」であった。スピーカーは長岡鉄男氏設計のバックロードホーンスピーカーであった。確か型番は「D-55」だったと記憶している。
プリアンプはAurex SY-Λ88Ⅱ。パワーアンプはLo-D HMA-9500。このパワーアンプ、SF映画に出てくる悪役側の戦艦といった外観であった。
そして送り出しは真空管アンプ製造で有名な工藤氏が徹底的に改造したMarantz CD34というラインナップであった。
しかし、ここ10年程でそのシステムはすっかりと様変わりした。スピーカーはYAMAHAのNS-5000というYAMAHAが2016年に市場に投入したハイエンドスピーカーに換わった。その形状は往年の銘機「NS-1000M」を思わせるものである。
プリアンプとパワーアンプは、どちらもMark Levinsonになった。といっても新しいモデルではなく、No.26LとNo.27.5という「オールドレビンソン」と呼ばれ時代のものである。
送り出しであるCDプレーヤーは、Cary Audio DesignのCD 306 SACDという見たことも聴いたこともないモデルに変わった。しかも日本では正式に販売されなかったブラック仕様である。
「骨董品スピーカー、結構高く売れるんじゃなかったっけ・・・?」
「あのTANNOYは希少価値がありますからね・・・モニターシルバーという1950年代のユニットを搭載していて、キャビネットが英国オリジナルですから・・・キャビネットが日本製だと価格が半分以下に下がります・・・」
「高く売れるなら売るべきだな・・・ついでに古い真空管アンプも売って、Mark Levinsonかcelloに換えたら・・・良いよ1990年代のMark Levinsonやcello・・・ハイエンドオーディオに夢があった時代の製品だからね・・・そうだな~celloの方がクラシックには合うかな・・・美音系だし・・・イタリアのスピーカーにぴったりだよ・・・」
そんなぶっきらぼうな会話をしばしPaoさんと交わした。そして「来週あたり聴かせてよ・・・イタリアのスピーカー・・・今仕事してないから時間はいくらでもあるからね・・・」という話の展開になった。
Paoさんは4年前に勤めていた区役所を定年退職した。その後5年間は嘱託職員として働ける予定であったが、「心が腐る・・・やってられない・・・もう辞めた・・・」と3年ほど嘱託職員として勤めた後、残り2年を残して辞めてしまった。なので、今は「毎日が日曜日」である。
「なんですか・・・骨董オーディオって・・・?」と軽く受け流すと「70年も前のかび臭いスピーカーなんかもう止めて売っちゃえば・・・新しいスピーカー買ったんでしょう・・・イタリアの・・・ソナスなんとかっていうの・・・」と畳みかけてくる。
「ソナスファベールです・・・新しいと言っても15年前のスピーカーですけど・・・」私は笑いながら答えた。
Paoさんと知り合ったのは15年ほど前のことである。ブログ繋がりであった。コメントをお互いのブログに入れるうちに、相互訪問させてもらったのが縁であった。
その当時Paoさんは「長岡教信者システム」であった。スピーカーは長岡鉄男氏設計のバックロードホーンスピーカーであった。確か型番は「D-55」だったと記憶している。
プリアンプはAurex SY-Λ88Ⅱ。パワーアンプはLo-D HMA-9500。このパワーアンプ、SF映画に出てくる悪役側の戦艦といった外観であった。
そして送り出しは真空管アンプ製造で有名な工藤氏が徹底的に改造したMarantz CD34というラインナップであった。
しかし、ここ10年程でそのシステムはすっかりと様変わりした。スピーカーはYAMAHAのNS-5000というYAMAHAが2016年に市場に投入したハイエンドスピーカーに換わった。その形状は往年の銘機「NS-1000M」を思わせるものである。
プリアンプとパワーアンプは、どちらもMark Levinsonになった。といっても新しいモデルではなく、No.26LとNo.27.5という「オールドレビンソン」と呼ばれ時代のものである。
送り出しであるCDプレーヤーは、Cary Audio DesignのCD 306 SACDという見たことも聴いたこともないモデルに変わった。しかも日本では正式に販売されなかったブラック仕様である。
「骨董品スピーカー、結構高く売れるんじゃなかったっけ・・・?」
「あのTANNOYは希少価値がありますからね・・・モニターシルバーという1950年代のユニットを搭載していて、キャビネットが英国オリジナルですから・・・キャビネットが日本製だと価格が半分以下に下がります・・・」
「高く売れるなら売るべきだな・・・ついでに古い真空管アンプも売って、Mark Levinsonかcelloに換えたら・・・良いよ1990年代のMark Levinsonやcello・・・ハイエンドオーディオに夢があった時代の製品だからね・・・そうだな~celloの方がクラシックには合うかな・・・美音系だし・・・イタリアのスピーカーにぴったりだよ・・・」
そんなぶっきらぼうな会話をしばしPaoさんと交わした。そして「来週あたり聴かせてよ・・・イタリアのスピーカー・・・今仕事してないから時間はいくらでもあるからね・・・」という話の展開になった。
Paoさんは4年前に勤めていた区役所を定年退職した。その後5年間は嘱託職員として働ける予定であったが、「心が腐る・・・やってられない・・・もう辞めた・・・」と3年ほど嘱託職員として勤めた後、残り2年を残して辞めてしまった。なので、今は「毎日が日曜日」である。