おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

失礼な勘違い

2021-10-02 11:19:36 | 日記

 「逆説の日本史 日英同盟と黄禍論の謎」を読んでいると、今までなんとなくそう思っていたことが、かなり間違った理解だったことがいろいろあって目から鱗だ。

 例えば、文部省唱歌というのがある。「もーもたろさん、もーもたろさん」の「桃太郎」とか、「むっかしーむっかしーうーらしーまはー」の「浦島太郎」とか、「なーつもちーかづーく、はーちじゅーうはーちーや」の「茶摘み」とか、子供の頃に口ずさんだ歌である。ただ単に子供向けに作られた歌くらいに思っていたが、実は明治政府がどうやって日本人に西洋音楽を身に付けさせようかと苦心惨憺したものなのである。

 それまでの日本のメロディーは、ドラミソラの5音だった。「ファ」と「シ」はなかった。そういう国民にいきなり西洋の歌を歌えと言っても、存在しない音があるので歌えなかったのである。そこで子供の教育に西洋の音階を使った歌を作り、親しみを持ってもらおうとした。

 前出の文部省唱歌は、すべて作詞作曲者は不詳ということになっている。が、これは詠み人知らずみたいなことではなく、作詞者も作曲者もわかっているのだが、文部省扱いということで不詳にし、のちのち著作権問題など起こらないようにしたのである。でなければ、どこかの学校で歌うたびに著作料を払わなければならなくなって大変なのである。

 「荒城の月」などは作曲者が滝廉太郎とわかっているではないかというが、当時だって不詳にしていたものの、誰の作曲家はわかっていた。今でこそ堂々と表記しているのは、著作権が切れたからに違いない。

 ちなみに文部省唱歌と童謡は違うものである。文部省唱歌のような子供のための歌を聞き、民間の人たちも子供の歌を作るようになった。それを文部省唱歌と区別して童謡と呼ぶ。こちらは作詞者も作曲家も不詳とはなっていない。

 日本の国歌である「君が代」は、僕は天皇を讃える歌だと思っていたが、この歌詞が天皇を讃えるためのものだとしたら、実は不敬罪に問われるくらい失礼な歌詞なのである。

 天皇を讃えるなら、「君が代」ではなく、「大君が御代」としなければ、タメ口をきいていることになるのである。「君」は天皇を指す言葉でなく、私ではない第三者を呼ぶ言葉である。つまりこの歌は、みんなの長生きを祈る歌なのである。

 どうして天皇を讃える歌だと勘違いしていたのかと言うと、太平洋戦争の時、当時の軍部によってそういうふうに間違って宣伝されたためで、いまだにその誤解が一部にあるというのが真相のようだ。

 学校の先生の中には、卒業式の時に「君が代」を歌わないというポリシーを持っている人もいるようだが、すべての人の健康を祝すという意味では、実に民主的な歌なのである、と言ってもいいようだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 絵文字の宿命 | トップ | アウトドアの楽しみ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事