おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

我を忘れる

2018-06-21 11:22:19 | 日記

 小林秀雄の「読書について」を読んでいたら、こんな一節にぶつかり、しばらくそのことをぼんやり考えてみた。それまで人々を夢の世界に連れて行ってくれた小説が、映画の登場によって観客を奪われてしまった。小説には、圧倒的にリアルな世界を作り出す映画の力を超えることはできないとした上で、読書の本来の楽しみというものを紹介して行くのだが、小林秀雄はこうした映画の持つ力に身を委ねた観客を、現代人の異常な心理症状だと断ずる。

「自ら行動する事によって、我を忘れる、言い代えれば、自分になり切る事によって我を忘れる、という正常な生き方から、現代人はいよいよ遠ざかって行く」

 自分のことが何よりも大好きという人を除いて、大概の人は自分自身にまるっきり満足している人というのはいないだろう。僕らは自分自身に何かしら不満を持っている。自分のダメなところをたくさん知っている。自分の能力のなさや才能のなさ、根気のなさ、意思の弱さなどなど、あまり面と向かいたくない部分ばかりで、自分は成り立っているんじゃないかと感じている。

 さて、「正常な生き方」というのは簡単だ。とにかく今の自分を超えるために行動を起こす。努力を始める。これが、つまらない自分から解放される唯一の手段だ。が、このごく当たり前のことから現代人は遠ざかって行く。

 こういうことを強く感じるのは、オリンピックやサッカーなどのイベントがあるたびに起こる異常なまでの盛り上がりが、近年ますますひどくなって行くように感じるからだ。

「意力ある行為などという厄介なものなしに自分を忘れたい、それには心理の世界を様々な妄念で充たせばよい、そういう道、言わば社会人たる面目を保ちながら狂人となる道を、いよいよ進んで行く」

 ワールドカップを目指すサッカー選手なら、自分が出場できなかった試合をどういうふうに観るだろう。そこには同じように日本チームの活躍を喜びながらも、嫉妬や悔しさや自分の未熟さなど、複雑な感情を抱いているに違いない。

 他人のことを素直に我がことのように喜ぶことができるというのは、もしかしたらそこにはすべての努力を放棄した狂人がいるということかもしれない。

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