九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

朝鮮日報より    らくせき

2014年05月18日 13時42分57秒 | Weblog
安倍さんの解釈改憲について朝鮮日報は社説で取り上げ
最後を次のように結んでいました。

憲法の条文が意味する内容を正確に知るには、
最高裁判所や憲法裁判所の判決を待つのが民主国家における常識だ。
行政部が恣意(しい)的に憲法解釈を見直すことができるとなれば、
これは三権分立の精神が失われた異常な国といわざるを得ない。
安倍首相が解釈改憲によって憲法第9条を死文化するのであれば、
日本は今後、国際社会で民主主義国家あるいは法治国家とは見なされなくなるだろう。

安倍さんの政治手法は言葉を自分流に解釈することによって成り立っている。
そして権力で国民に押し付けてくる。
日本語をめちゃめちゃな言語に貶めている。
とても興味深い政治家。
外から見たら喜劇でしょうね。


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朝鮮征服目指し40年、その後35年③朝鮮の英雄・安重根  文科系

2014年05月18日 01時52分39秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 朝鮮征服目指し40年、その後35年  文科系
(その3)朝鮮の英雄・安重根


 前回見た江華島事件(1875年)から1910年の朝鮮完全征服まで、日本による朝鮮制圧深化と人民の抵抗運動はどんどん進んでいく。ソウルの「安重根義士記念館」パンフレットに載っている19世紀末だけをとってみても、これだけの事件があった。
 壬午軍変(じんごぐんへん、1882年)、甲申政変(こうしんせいへん、1884年)、東学農民戦争と日清戦争(1894年)、乙未事変(いつびじへん、1895年)などなどと。反乱が起こって鎮圧したり、日本の大軍を初めて外国に常時駐留させることになったり、日本支配に抵抗した王妃を斬殺・死体焼却させたり。この斬殺は、三浦梧楼という公使(武官)が犯人だと分かっていて、証拠不十分とかで釈放になっている。さらには、朝鮮を巡って清国や日本抵抗勢力と戦争にも発展した東学農民戦争は、朝鮮半島南部全域に広がるという激しい抵抗運動だった。ちなみに、安重根獄中自叙伝には「伊藤博文の罪状 15か条」が付されているが、その第8にこう書かれている。
『国権回復のために蜂起した大韓国の義士たちと、その家族10万余人を殺害した罪』

 こういう諸事件の一つの結末が、1910年の朝鮮併合である。韓国ではこの併合のことを普通に、その年の呼び名を付けて「庚戌国恥」と呼んでいる。安重根事件はその前年のこと。1909年にハルピンで日本朝鮮総統・伊藤博文を暗殺したのである。記念館パンフレットではこれを「ハルピン義挙」と記していた。

 さて、この「義挙」に関わってこの1月、日本でこんな出来事があった。伊藤博文暗殺の現地・ハルピンに中国が安重根記念館を開館して韓国が謝意を表したという問題で、菅官房長官が「テロリストに対してなんたることか!」と反撥意見を表明したのである。正式抗議もしたようだ。どっちも理ありとも見えてなかなか理解の難しい問題であるが、安倍政権のこの態度を以下のように批判したい。
 当時の「法律」から見たら当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろう。が、35年かけて無数の抵抗者を殺した末にその国を植民地にしたという自覚を日本側が多少とも持つべきであろうに、公然と「テロリスト」と反論・抗議するこの神経は僕にはどうにも理解しがたい。これで言えば、前回に書いた日本による江華島事件などはどう批判したらよいのか。国際法に違反して一方的に首都近くまで艦砲砲撃を進め、城や民家を焼いて35人を殺しているのである。これだけでも安重根の罪よりもはるかに重いはずだ。前にもここで述べたことだが、安重根テロリスト論はさらに、こんなふうに批判できると思う。

『 さて次に起こるはずのこの理解はどうか。ならば、「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかないのである」。僕は、こういう理解にも賛成しかねる。
 今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法定主義」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずだ。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義(的観点)を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないはずだと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならないのである。こんな論理で言えば、南米で原住民の無差別大量殺人を行ったピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺しても、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになる』(『「テロリスト」「愛国者」、安重根記念館 2014年04月05日』)

 全く安倍政権はどういう外交論理を持ち、どういう神経をしているのだろう。相手の立場の尊重という一片の理性も見えず、言ってみるならば「人間関係はケンカ、対立が当たり前。こちらの論理を語るだけ」と述べているに等しい。社会ダーウィニズムを思い起こさせるような幼稚さだと思う。
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帝国主義は生き返ったのか?    らくせき

2014年05月17日 10時19分47秒 | Weblog
ウクライナ、ベトナムと中国の領土あらそい。
尖閣問題など、昔の帝国主義が復活したような気配。

この新しい事態にどう対処していくのか?
安倍さん流はまっとうな方法なのか?

ずいぶん難しい時代になってきたのかな?

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朝鮮征服目指し40年、その後35年 ② 文科系

2014年05月17日 10時18分38秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
朝鮮征服目指し40年、その後35年(その2) 江華島事件

 朝鮮征服は1910年だが、事実としてこれに結びついていった出来事が既に1875年に起こっている。明治維新の10年足らずで起こした江華島事件とその結果結ばれた日朝修好条規である。国内統一を果たした直後に朝鮮に攻めていった秀吉と同じだ! これがこの事件を最初に知ったときの僕の印象である。そして、これ以降完全に征服した1910年まで、同じ動きをどんどんエスカレートしつつ絶えず起こしてきたのだった。つまり、日本は朝鮮を40年近くかけて征服したのである。その間の抵抗がどれだけ凄まじく、それへの弾圧がどんなに苛酷なものであったか! そのように僕は今までここに書き続けてきたが、朝鮮の人々には当然、常識に属することである。

 江華島事件とはこういうものだ。軍艦揚雲号がソウルへの川を不法にさかのぼった。川岸などの3つの砲台から順に砲撃されて艦砲で撃ち返し、2つ目の砲台では陸戦隊を送り込んだ上に砲台の城を焼き払って交戦となり、3日目の同じく第一砲台の交戦では35名を殺戮している。これは3日間にわたって国際法違反を重ね続けた戦争と言って良いものだ。江戸湾内へ強行侵入したペリー来航に習ったと説明されてきたが、この結果結ばれた日朝修好条規が将来に禍根を残していく。
『釜山他二港の開港、日本人の「往来通商」を認め、「日本の航海者」に海岸随時自由測量を、さらに日本の領事裁判権を認める。付属条約と通商章程によって日本通貨の流通、日本の輸出入商品への無関税も決められた』(岩波新書「シリーズ日本近現代史全10巻」の①、井上勝生著「幕末・維新」から、221ページ)

 なお、韓国ではこの条約のここが強調されていた。「清国からの独立」という側面である。つまり、清の保護下から暴力でもって日本側へ一歩引き寄せた条約であると。
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ザックジャパン(157) 岡崎慎司、世界的な数字、偉業  文科系

2014年05月16日 15時20分19秒 | スポーツ
 ドイツフットボールが最終節を終えた。岡崎の今期実績の数字がどれほどの世界的偉業であるか、このことをきちんと記述に残し、広くスピーチしたいと思う。

 得点15点で、ブンデスリーガ第7位である。ベスト10の顔ぶれを覗いてみよう。
 1位(20得点)がポーランド人。世界最強チーム・バイエルンの来期エースを期待されるまでにドイツで育ち上がってきた選手である。2位(同18)と10位(14)が、クロアチア人。3、4位(17得点と16得点)にスイスとコロンビアの選手が座って、ブラジルと世界第2位のドイツからそれぞれ2人ずつ、同じ4位と7位にいる。これで9人。後の1人が同じ7位に座った岡崎慎司なのである。サッカー大国をご存知の方ならば、すぐにこう気づくはずだ。世界国代表ランクで2、4、5、8位などという国々のエース級ばかりなのである。
「サッカー大国のエース級と同列に並んだんだ!」
 いま昇竜の柿谷とか大迫とかがどう転んでもかなわない数字、実績と言える。堂々たる日本代表の点取りの顔と、世界に広言できることになったわけだ。
「FWがこうなったならば、次はセンターバックだな!」
 日本代表のことを一応知っている方ならば、誰でもが今はこう言いたいことだろう。
「日本に出でよ、世界的センターバック!」
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日本と朝鮮 征服に40年、その後35年(その1)  文科系

2014年05月15日 23時05分02秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 これからこのブログで数回にわたって、この一週間の朝鮮旅行で学んできたことを書いていくつもりだ。その前に、今後旅行記として書いていくこと(「テロリスト」ならぬ、義士・安重根のこと。そして何よりも、日本による朝鮮征服までの40年間に、どれほど激しい朝鮮人民の抵抗運動が繰り返されて、それをいかに残酷に日本軍が弾圧してきたかということ。済州島日本軍要塞のこと、などなど)に関わって、過去にここであった論争をまとめておきたい。

 このブログの性格上、右の方々が過去常にここを訪れて反論を書いてくださった。そのうちブログ発足以来のこの8年余で最も勉強してみえると思われる右の方との「日本15年戦争、1931~45年」についての長い論争が11年3~4月にここであったけど、その最後の応答、「まとめ」の拙文抜粋をこの文章の末尾にあげておきたい。そこでは、「日本による朝鮮征服目指した40年」ほどをどう見るかが、日本のその後の戦争の性格規定にとっても決定的なことだと、まとめさせていただいた。明治維新から1945年敗戦までの日本の戦争史を見るとこんな流れであって、これは大陸進出ということで結果的には終始一貫しているのである。この流れについて、その意図とか、その意図が終始一貫していたかとかは脇に置いておいて、日本が次々と引き起こした戦争の事実経過だけをとにかくまず見てみよう。

①明治維新直後の征韓論以降、1875年の江華島事件に端を発して、日本は常に朝鮮征服を目指していったと言える。そして、朝鮮併合までに約40年を要している。それだけ朝鮮の人々の激しい抵抗があったということを、文末例文のようにここで述べてきた。こんな経過を右の方々が語ること、いや彼らがこれらをまともに観ることさえが、まずなかったはずだ。
②朝鮮征服に関わってこそ、日清戦争(94年)も日露戦争(1904年)も起こった。日露戦争は、ロシアによる朝鮮進出、満州制圧狙いに対する帝国主義戦争であった。
③そして、1910年の朝鮮完全併合から、1931年の満州事変を経て、37年には盧溝橋事件と、日中戦争の泥沼である。この泥沼がまた、次の太平洋戦争を起こしたと言える。
④以上の経過で日本がやってきたことはこうして、「大東亜共栄圏建設」でも、「アジアの植民地解放」でもなんでもない。ただ、西欧諸国に代わって、西欧諸国のようにアジアをできるだけ多く植民地にしようとしてきただけである。朝鮮の3・1独立運動徹底弾圧、南京大虐殺などに見えるように、限りなく残酷に。

 ということを書いていく前置きとして今日はまず、以前の論争のエントリー結論部分を抜粋させていただきます。

【 ざくろさんのアジア・太平洋戦争観 文科系 2011年04月02日
前置き
 1国の戦争には、確かに意図と結果が存在しよう。そして、意図の通りに結果が出るものでもないだろうし、結果からだけ戦争の善悪を云々してみても無意味だ。
「泥棒に入った家にもう1人泥棒が居て、両者が殴り合いになった結果、家としては何も盗まれなかった。よって後からの泥棒が良い事をした」
と、こんな事を語って何か意味があるのか。
 かくのごとく意図と結果は別物であるのだから、歴史を論ずるやりかたではないのである。歴史は事実、真実の流れを叙述するというのが基本でなければならず、意図と結果はむしろそこから判明してくるということだろう。
(中略)

1 朝鮮併合
 僕はざくろさんにこう語った。
『明治維新直後の征韓論出兵騒動や江華島事件などなどの1870年代からおよそ40年かかって日本が朝鮮半島を併合したのも、「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」であるのか? この40年間に独立国であった朝鮮抑圧への反発を武力で抑えるべく、どれだけの方々を殺したことだろう。それもみんな「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」と貴方は言い張るのか。そもそも「朝鮮の人々のためにこそ40年かかって併合したのだ」という理屈を、朝鮮の人々が認めているとでも言われるのか? 』
 これに対して、彼はこう反論した。
『日本が明治維新直後から、ずっと朝鮮半島を狙っていた、というふうな見方は明らかに偏見でしょう(自覚あります?)。明治初期の征韓論は――理由はそれだけではありませんが、立場・考え方の違いから原因の一つとして――内乱(西南戦争)にまで発展して、一旦は消え去っています。』
 歴史的事実を上げておきたい。僕があげておいたのに彼が無視した1875年の江華島事件と、ここから生まれた不平等条約、日朝修好条規。1882年の壬午事件。その結末の一つに日本軍の常時駐留があるが、これは、帝国初の平時外国駐留軍ということになる。1884年の甲申事変では、反日感情が急増している。1894年の東学教徒反乱事件に際した日本の大兵力出兵。これは、日清戦争のきっかけになった事件でもある。朝鮮がきっかけで日清戦争も起こったというこの事実は、朝鮮のこの40年と後の日中戦争が結びついて何か象徴的な出来事のように僕は思う。
 こういう事実が続いていれば、『ずっと朝鮮半島を狙っていた』かどうかは別にして、上のように、僕がこう述べるのはごく自然な事のはずだ。
『明治維新直後の征韓論出兵騒動や江華島事件などなどの1870年代からおよそ40年かかって日本が朝鮮半島を併合したのも、「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」であるのか? 』
(以下略) 】
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ふる里は戦争放棄した日本  大久保眞澄

2014年05月15日 09時33分53秒 | Weblog
こんな川柳をみつけました。

安倍さんのふるさとは、どんなふるさとでしょうか?
                   らくせき
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新聞の片隅に載ったニュースから(147)   大西五郎

2014年05月12日 19時14分38秒 | Weblog
容器にネオナチ隠語 独デザイン問題 洗剤回収 (14.5.12 毎日新聞)

 家庭用品大手プロクター・アンド・ギャンブル(P&G、本社・米国)がドイツで売り出した洗剤の容器に、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーを賛美する隠語として極右ネオナチが使う「88」や「18」がデザインされているとして、同社は商品の出荷を中止した。DPA通信などが9日伝えた。
 アルファベットの8番がHのため、ドイツでは「88」はハイル・ヒトラー(Heil Hitler=ヒトラー万歳)を表す隠語とされる。同様に「18」は最初のアルファベットのAと8番目のHでアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitoler)を示すとされる。
 粉末洗剤の容器には6月開幕のサッカー・ワールドカップ(W杯)に向けてドイツ代表のユニフォームがデザインされ、背番号として「88」が印刷されていた。洗剤の増量サービスをアピールするため、通常より多い88回の選択が可能という意味だった。液体洗剤の「18」も同様に洗濯可能な回数を示していた。
 ドイツではナチス賛美につながる宣伝が刑法で禁じられている。同社は消費者の指摘を受けこれらの洗剤の回収を決めた。AP通信によると、同社は「誤解を与えたのは残念だ。私たちは明確に極右思想とは距離を置いている」と意図的ではなかったことを強調した。5日以降は出荷されていないという。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

かつての戦争で国家と当時の国家の指導者が周辺の国の尊厳を破壊し、その国の人たちに大きな被害を与えたこと。そしてその指導者を受けいれ、国家体制を推進・許容したことに対する自戒を持ち続けるドイツ、ドイツ国民と、同じように周辺諸国に被害を与えた責任者であるA級戦犯を祀る神社に首相が参拝する日本の違いを感じさせるニュースです。
 ドイツでナチスを表徴する「カギ十字」の旗など掲げれば周りから指弾されると言います。一方日本では、従軍慰安婦は強制であったことを認めようとしない政治家もいます。「神国ニッポン」は誤りを犯していないというのでしょうか。
政治家だけではありません。昨年の参議院選挙では「旭日旗(軍艦旗)」を掲げた「群集」が安倍総裁や自民党の演説会に集まりました。「戦争を知らない人」が増えているなかで、旭日旗が外国に攻め入る軍隊の先頭に掲げられていたことを知らないのでしょうか。また在特会(在日特権を許さない市民の会)が「チョン(朝鮮人)は日本から出て行け」などと、戦争中に徴用工などとして日本に移り住んだ人やその子や孫に対してヘイト・スピーチを繰り返しています。
日本が世界に戦争を仕掛けたことに対して国際社会は日本に反省を求め、日本はサンフランシスコ条約に調印し、反省したことが戦後世界の出発でした。安倍首相が「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」を唱えていることに対して世界は戦後の国際秩序を否定しようとしているのかと見ているといいます。日本もドイツに倣うことを表明すべきだと思います。
 大西 五郎
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ザックジャパン(156) ザックJ代表を予想する  文科系

2014年05月09日 00時18分00秒 | スポーツ
 フットボールチャンネルが、23人の内19人までをこんなふうに予想した。
『“当確”と見られる選手はGKが川島永嗣と西川周作、DFが内田篤人、長友佑都、吉田麻也、今野泰幸、森重真人、ボランチが遠藤保仁、長谷部誠、山口蛍、2列目が本田圭佑、香川真司、岡崎慎司、1トップが柿谷曜一朗、大迫勇也の15人。ここに“ほぼ当確”として酒井宏樹、酒井高徳、細貝萌、権田修一が加わり19人となる。』

 さて、この予想には、当選確実15人はもちろん、”ほぼ当確”にも異論はない。敢えて云えば、両酒井の高徳が落ちて駒野が割り込むかと言うぐらいだ。こうして、GK3、DF8、MF8、FW4ということになれば、残りはこうなると思う。
 まず、センターバックに、伊野波。フットボールチャンネルでは、両酒井を入れた上で伊野波ではなく広島の塩谷司を入れているのだが、僕は前述の通り駒野と、伊野波だ。

 次に、岡崎をFWに回すと、FW1人とMF2人が残るから、MFには清武が先ず入ると思う。しかし、残り2人は本当に難しい。フットボールチャンネルでは、ここをこう予想している。MFに中村憲剛と、FWに大久保嘉人である。この二人については、非常に順当なところだと、改めて僕も思ったことだった。ユーティリティー性が高く、大事なゲームの場慣れもしていると思うからだし、ここ2年の川崎での実績も良く、あの歳でさらに成長したのではないかと観るからだ。この大久保にしても憲剛にしても、代表と同じパスサッカーをする同型のチームで修業しているというのが、代表価値を増していると思う。この二人はしかも、組んで得点源になり得るということもあるし、加えて憲剛はさらに、代表の得点源である岡崎、香川との相性が凄いのだ。

 こうして、結論。
 GKー川島、西川、権田。CBー吉田、今野、森重、伊野波。SBー内田、長友、酒井宏樹、駒野。MFー遠藤、長谷部、山口、細貝、本田、香川、清武、中村。FWー岡崎、大迫、柿谷、大久保。以上である。

 もし波乱があり得るとしたら、怪我ブランクの不安があるDF2人を抱えることになる、内田と吉田の所。ただここは、CBとSBを上のように各4人にすれば今野、伊野波が両方できるので、これでよいと思う。また、怪我ブランクの不安がやはり長谷部にもあるが、ここは急成長した山口と、だからこそ安定感を期待して中村憲剛と観る。長谷部は、不動のキャプテンとしても先ず外せないし。さらに、フィードも学んで、ドイツで名を轟かせた細貝もいることだしということもある。ドイツであれほどの評価を得た守備的選手って、日本では珍しいほどに貴重な強さ、速さ、危機管理能力を有しているということだろう。なお、サッカーチャンネルでは、青山、柴崎をも検討していたが、そこまでの変数はあるまい。
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「アジア力の世紀」の要約と書評  文科系

2014年05月08日 21時55分11秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「アジア力の世紀」の要約本論  文科系

 4月14日にエントリーした『書評の予告』と5月5日『その続き』では、こんなことをまとめてきた。
 アメリカのGDPは25年には中国に、50年にはインドに抜かれる。日本GDPもインドに、そして50年にはインドネシアにも抜かれる。ちなみにこれらは、GDPのことであって、個人平均所得などではない。人口が多い国の平均所得は当然高い数字ではなくなる。それでも、新興国が物作り中心にどんどん追いついてくる世界であるということだ。(国有的な中国の銀行などは既に、アメリカよりも大きい所が出ている。)
 ケンブリッジ大学の経済史家アンガス・マディソンの過去2世紀ほどの世界経済推移の予測として、こんな数字もある。世界GDPに占めるアメリカの比率は、過去最高の1950年27.3%が、2030年には17.3%になるだろうと。アメリカ経済の根本にはまた、こんな不安定な数字も存在する。1990年を過ぎてから、金融部門収益が製造部門のそれをどんどん抜いていったのである。
 そして、そんなアメリカだからこそ、リーマンショックや、ギリシャなどへのその欧州波及・欧州債務危機を引き起こした。1929年世界大恐慌にも等しい09年のこの世界危機によっても、EUが、侮蔑気味に予測されていた「分裂、解体」にどうして陥らなかったか。それどころかEUが、1929年世界恐慌後の第2次大戦のような世界崩壊事態を防いでくれたのだ。
『それは二十九年の世界と違って多様な国際機関が機能し、諸国家間の貿易相互連結度が深化しているからだけではない。広大な新興国市場が存在するから、だけでもない。何よりも「巨大単一市場」EUが、たゆたいつつも危機の収束機能を自ら果たし続けているからなのである。(中略)EU市場の広がりは、新興国市場よりもっと大きく、その底はもっと深い。市場規模は六兆一一二〇億ドル(一〇年)。中国市場の四倍、アメリカ市場の三倍に達する。EUだけで全世界対外輸入市場(一七兆八二三二億ドル)の三四・三%を占める。そして中国にとっては、かっての日本に代わってEUが最大の輸出市場となり、中国の長期高度成長の支え手となっている。巨大市場をもつ欧州共同体が、新興国と世界の成長を支える大消費地帯へと変貌していたのである』(206ページ)

 さて、ここからが今回の本論であるが、その前にこの本全体の構成、内容をまとめておこう。こういうものである。アメリカ経済は停滞、沈滞し、1990年以降はカジノ資本主義に陥ってきた。それが引き起こした1929年の恐慌にも等しい08年リーマンショック・09年欧州経済危機は、EU市場や新興国市場の大きさによって救われた。物作り大国が多いアジアは、リーマンショックを辛うじて鎮めたEUのやり方に、将来進むべきその方向を観るのが良い。こうしてあとこの本について語り残しているのは、この二つと言える。21世紀初めの世界恐慌状態の後で、EUは人類の未来に向かってどんな世界経済改善を目指した策を押しすすめたのか。および、そこからアジアが今学びつつあることはなんであるか。あとはこの前者を語るだけでよいだろう。後者はそこから自ずから見えてくるアジアの新しい方向目指した現状施策が書かれているということなのだから。

 本論の最初の抜粋は、先回の最後の部分をやや長く引用し直すことから、まず始める。『第6章 欧州危機から見えるもの』の最終節、第3節『欧州債務危機から再生ヨーロッパへ』の一節だ。

『それら財政統合への深化とともに、EUはまた、金融投資規制を軸にカジノ資本主義への規制強化策を打ち出した。そしてそれを、グローバルな金融規制へつなげようとしている。
 ファンドや格付け機関への規制、役員の過剰報酬規制から、銀行・役員の金融活動税の創設。投機的金融取引への国際取引課税の導入。さらには、銀行の自己資本比率を高めて過剰投機を抑止するバーゼルⅢから、ケイマン諸島など法人課税逃れの租税回避地への国際的規制に至る。
 ちなみに、租税回避地で貯めこまれた総資金は今日、23兆ドルー米国と日本のGDP総計額に匹敵し、世界の富の四分の一に達する。米、欧、日のグローバル企業が、グローバリズムの波に悪乗りし、自国政府に税を納めずに、社内留保金を膨大な租税回避地に隠し持っているのである』(214ページ)

『ここで特記されるべきは、金融取引税の創設だ。(中略)リーマンショック直後のG20サミットで、その創設が提案された。しかし米国などが反対して採択されなかった。そこでEUは、独自に創設する方向に転換し、12年末、英国などを除くEU11ヵ国で金融取引税を発出させた。11ヵ国だけで、EU全体のGDP総額の90%を占める。(中略)
 そしてフランス・オランド政権は13年3月。従業員に100万ユーロを超える給料を払った企業に、税率75%の富裕税を適用する政策を明らかにした。それに先立って、年収100万を超える個人に75%の税率を課す当初構想に、憲法会議が違憲判決を下したために、オランド政権は、課税対象を個人から企業に移し、社会的公正を貫徹させながら税収増加を図ろうとしていた。
 ちなみに、100万ドル以上の投資可能資産を保有する最富裕層は、米国が1位で306万人、日本が2位で182万人、3位がドイツで95万人、フランスは40万人と算定される。人口比で言えば、日本が世界1だ(『日本経済新聞』2013年2月4日付)』(215ページ)

『財政同盟によって、各国の予算編成権や徴税権を制限する。次いで、各国が一定の主権を譲り、州や自治体のような行政主体になる。財政統合から政治統合へと、EU統合を深化させる。
 こうした海図の最終目的地としてEUは、政治統合をおいている。ビビアン・レディング欧州委員会副委員長(EUの事実上のナンバー2)が明らかにしたように、EUは、2015年にEU制憲会議を発足させ20年に「欧州合衆国」を構築する、という政治統合への明確な海図も、すでに描き始めているのである(『毎日新聞』2013年1月29日付)。
 この構想を明らかにする三ヶ月前の12年10月、EUはノーベル平和賞を受賞した。半世紀にわたって平和と地域統合に取り組んできた歴史的偉業が評価称賛された。それは、「大きな物語」を紡ぎ続ける者だけに与えられる栄誉である』(216ページ)

 1990年以来、金貸し・否、短期金転がし中心で国際収支に生きる道を選んだがゆえに富裕者減税と失業者や低所得者放置とに励んできたも同然な超格差社会アメリカ。それに便乗して同じ事を行ってきた日本。おまけにアメリカは例えば、食糧に関しては世界大独占を作ろうとしてきた。金融資本こそがこれを画策してきたのである。それ以外の食糧輸出国からは先物買いを操るなど、金融業の種にしてすぐには自主的輸出ができないようにさえしてきたのである。現に、「アラブの春」は結局、食糧値上げから起こったとも言われているのだ。世界に食糧は有り余っていても、安い値段では売らないという国際動向が当時存在していたし、今後もそう画策する流れが厳然として存在しているのである。
 他方で、ギリシャ、スペイン、東欧のように貧乏にされた国をも立ち直せてこそ、自分らの将来も過去無数に起こった大小の恐慌などなくしてなんとかやっていけるかと動いたEU首脳国。個人間、国間の大きい格差をなくす道をば、暗中模索で進んでいこうということなのである。

 こうして、アジアがどちらの道を選ぶべきかも、明らかだろう。物作りだけを取れば、日本は間もなくインドに、そしてインドネシアにも総額としては抜かれる。そういう、物作りの国から金融でもって国家財政や個人財産を奪うしかない国になって行く道とは、アメリカのように結局暴力的に相手を抑えつける道となるはずである。泥沼のイラク戦争後の今は、その暴力も諦めて「合法的暴力革命」を画策する国にアメリカはなっているが、この道もやがては閉ざされていくに違いないのである。ただ、この道として今は、ベネズエラが危ないように観ている。それでも、アメリカ、中国、日本などの金融資本の金転がしという少数者による国家、否、世界支配は、いくらマスコミ工作に励んでも、いつか限界が来るのだと、僕は信じたい。なお、日本ならぬ中国に対してこそ今アメリカが金転がし方向を教唆していると思われるが、中国がこれに乗らないことを心から祈りたい。世界の将来が懸かっていることだから、これを非常に心配している。

(これで終わりです)
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恐るべしマルチェロ・リッピ   文科系

2014年05月07日 08時24分18秒 | スポーツ
 昨夜セレッソ大阪と広州恒大のアジアチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦第1ゲームを観た。その最大の結論が、標題の表現として僕の口をついて出た言葉だ。詳しい経歴を調べてみたが、改めてもの凄い監督と言う表現が浮かんだ。この経歴は後でご紹介することにして、初めて観た広州恒大の印象をまず書いてみよう。

 もの凄く攻撃的なチームである。セレッソが1対5で敗れて、ほぼ何もできなかったというゲーム経過からもわかることだろう。柿谷もフォルランも、今売り出しの山口蛍もいたのにである。
 まずなによりも、ボール奪取技術が高くて、上手い。そして、奪ったボールの繋ぎが速くて、上手い。選手たちが敵からフリーになるポジション取り技術が、まるでバルサ選手か遠藤保仁かというほど。そんなフリーの選手たちへ、矢のように速い長短のパスが通るから堪らない。さらに、そのボールを受ける選手らの技術が、香川真司を思わせるような見事さなのである。こんな高速パスをば、全速力で走りながらもぴたっと思うところへ止めてみせる技術を有しているという意味だ。これがゴール前でもできるから、香川真司のような得点力を有した選手が何人かいるということだ。これら全部を総合して僕が思い出したチームが、香川を育てたあのドルトムントだった。この連想も当然出るべくしてでたものだと、リッピの経歴を調べてみて鮮やかに了解できた。ドルトムントのクロップも、このリッピも、サッカー史に残るある名監督を最も尊敬し、彼から学んできたと広言しているのである。80年代後半にACミランで世界を席巻したあのアリゴ・サッキなのである。ちなみにこの広州、確かドルトムント台頭期のエース、ルーカス・バリオスを取っている。リッピは、ドルトムントの強さを早くから見抜いていたのかな? いや、訪中時期がちょっとバリオスの方が早いから、こうリッピが考えたのいかも知れない。「ドルトムントのあのバリオスを取るって、このチームには目利きがいるに違いない」。というわけかどうかでとにかく、広州恒大がリッピ初のイタリアの外での監督就任だったのである

 さて、リッピの歴史、業績を観てみよう。まず、今の広州恒大。12年5月から率いた中国のこのチームを率いて、去年AFCにあらわれいきなりチャンピオン。まさに彗星のような離れ業と言うしかない。アジアのクラブでは最も強いはずの韓国・日本勢が、アジア2年目の新人監督によって総なめという屈辱なのである。
 1948年4月生まれの、既に66才で、監督をスタートしたのは、1985年。この人物の最も華やかな業績はこれだ。「UEFAチャンピオンズリーグとワールドカップの両方を制した史上初の監督となった」とウィキペディアにある。CLリーグ優勝は1995年のユベントスでのこと。1994年に就任1年目でユベントスに9シーズンぶりのスクデットをもたらしたその翌年の出来事なのだ(ちなみに、ここまでの9年間は、ACミランの黄金期である。サッキとカペッロなどが監督を務めた)。時に、リッピ47才。ワールドカップ優勝は06年のドイツ大会イタリアチームの監督としてであり、時にリッピ、円熟の58才。なお彼は、ユベントスを率いてはトヨタカップも制しており、クラブチームでも世界1になっているのだ。こんな三つの異なった形の世界チャンピオン監督って、今後ちょっと出ないのではないだろうか。これに加えるに、去年のアジア・クラブチャンピオンなのである。今年また優勝すれば、今度はアジアから世界クラブチャンピオンを狙うのではないか。セレッソとの戦いを観ていて、そんな意気込みさえ感じたものだった。
 その後の彼の名前は、イタリア勢の凋落とともにしばらく消えていく。それが新興大国の広州恒大で、2013年いきなりの復活ということなのであった。

 さて、彼のスタイル。こういうものだ。これもウィキペディアだが、すべて「なるほど」である。
『自身が影響を受けた監督にアリゴ・サッキとファビオ・カペッロを挙げており、初期はサッキの相手を圧倒する両翼を駆使した攻撃型のチーム作りに没頭したが、その模倣が現有勢力では完全に至らないことを悟り、徐々にその中にカペッロ的な要素を組み込んだとしている。本人いわく、サッカーで重要なのはバランスとのこと』

 超攻撃型監督から、カペッロ流守備をも取り入れた現実路線へ。そんな軌跡が分かって、面白い。また、「バランスこそフットボールのキモ」って、もう一人語っていた人物がいたな。現日本代表監督ザックの来日初インタビューにおける表現だった。ちなみに、ザック、カペッロはそれぞれ、リッピよりも5才年下と2才年上で、それぞれヒデがいた頃の世界最強イタリアにおける優勝監督達である。ヒデがローマで優勝したときの監督が、このカペッロであった。
 最後にこのリッピ、ファンタジスタ嫌いで有名だそうだ。バッジョやカッサーノとの不仲はイタリアではよく知られていたことらしい。なお、広州は自身初の外国チーム監督。これでこんな鮮やかな手腕、功績って、よほど頭も良く、優れた人物なども回りに配してきたのだろう。

 最後に一言。セレッソ大阪は凄いショックだったろう。この上は第2戦目を学びの場所にすればよい。このショックを学びのエネルギーに変えるのである。こんな名監督のクラブから直接学べる機会など、今後2度とないだろうと考えるのである。学ぶためには、攻めねばならない。このリッピは、よくあるこんな姑息なことを考える監督ではない。4得点差があるのだから、2戦目は守りから入ろうなどと。つまり、セレッソが攻めてこそ、凄く学べるはずなのである。ただ、森保なら学べるが、ポポビッチ監督はどうだろうか。いやいや、山口蛍が学んで、遠藤保仁を超えればよいのだ。ホタルはそういうことが大好きな外国・戦術マニア、勉強家らしい。今後セレッソが化けたとしたら、それはこの敗戦を糧としたことになるはずだ。
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「よたよたランナーの手記」(48) やっぱり「よたよた」  文科系

2014年05月06日 06時41分46秒 | 文芸作品
 27日までのことを書いてからは、こんなふうだ。28日はサイクリング。5月1日に1時間8・9キロ、5日に9・6キロである。2月22日の9・8キロ、3月15日の9・9キロあたりをどうしても超えられない。ランニング日の合間の日などにも少しずつでも脚力の補強運動などをと励んでいて、こうなのである。
 暖かくなってますます大汗をかくせいもあってか、1時間10キロに挑戦してみようという気がなかなか起きないのである。先回書いた4月27日の後半が5・1キロだったというように、いつも後半30分は調子が上がる。が、前半が進まないから、後半に入る時点で10キロ目標など消えてしまう。ウオームアップ時間込みではなくこれを別にとって「サー本番!」という形から1時間走れば10キロ行くと思うが、それでは今までと違うやり方になるから自分で決めたルール違反なのである。夏場になったらさらに苦しくなるはずだから、当面は今の状況を維持して冬を待つかなどとも思ってみるが、それでは老いの方が早く進むかも知れないなどと馬鹿な堂々巡りをしている。

 こんなわけで、サイクリングがますます楽しいものになる。ただ28日のサイクリングは、休憩後の再走行でフィニッシュが物足りなかったかとの感じが残った。やや力を抜き、もうちょっと時間をかけて長い距離を走ったほうが気持ちよかったかなということだ。ランニングが欲求不満の分、こちらを気負いすぎたのかも知れない。ハンドルにキスするような気負った姿勢で短距離走者のように、そして風に開き入るように突っ込んでしまった。耳に流れる風音がまるで喜んでいるように聞こえ、若々しく頑張れたと感じても、「それも一時」。後で思えば、充実感、幸せ感がやや少なかった。よく覚えておこう。
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「書評の予告」の続き  文科系

2014年05月05日 20時21分10秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 「書評の予告」の続き
ーーEUのこんな「世界貢献」が日本で見えないのは何故なのか?   文科系

 4月14日にエントリーした『「求めてきた内容」の本』の続きである。そこでこんなことを予告させていただいた。
『 以前から、こんな本を探していた。世界政治の近未来を、世界経済の過去1世紀以上の長期的変遷様態分析から探っていこうとする読み物を。(中略)長期的に見て世界金融資本と産業資本との関係とか、その国の経済力が世界的重要度ではどう推移してきたかとかを少なくとも一世紀単位で観てみたかった。(中略)さて、そんな問題意識から格好な本を探していて以降もあれこれと新聞書評欄を見たり、立ち読みなどを繰り返してきたが、以降で最も期待が持てそうな著作に出会った。まだ、書き出しの第一章とちょっとしか読んでないが、岩波新書・進藤栄一筑波大学名誉教授の「アジア力の世紀」である(以下略) 』

 さて、この本の第1章、200年視野ほどの世界経済動向を4月14日に抜粋中心でまとめておいた。それを踏まえて今回は、現世界の経済情勢認識の最も重要なところを抜粋してみたい。全7章中、第6章「欧州危機から見えるもの」からの抜粋である。
 ここの結論は、こういうことだ。「100年に1度」と言われた米国発サブプライム・バブル爆発による被害をギリシャ危機などを通じてまともに被ったEUが、侮蔑気味に予測されていた「分裂、解体」にどうして陥らなかったか。それどころかEUが、「世界の市場」「(世界恐慌状態の中の)最後の貸し手」であり続けたことによって、1929年世界恐慌後の第2次大戦のような世界崩壊事態を防いでくれたのだと述べられている。以下は、その抜粋。

『確かに、1929年の世界恐慌と、2009年のリーマン・ショックに始まる世界金融危機との類似性は、いくつも指摘できる。二つとも米国発の危機であり、米国流資本主義の破綻のあらわれだ。銀行と証券会社の垣根を取り払って、金融資本を跋扈させた点でも同じだ。前者は大戦後の、後者は冷戦後の、戦後景気に沸いた米国が、自由放任的なネオリベラル政策を導入し、貧富の差の拡大を野放しにした点も同じだ』(201ページ)

『欧州の金融機関が、米国製の証券化商品を大量に買い込んでいることが明らかになり、欧州金融機関の信認が揺らぎ始めたのだった。そして09年10月、ギリシャ政府の債務残高隠しの発覚をきっかけに、ユーロの信認が一挙に失われて、危機は欧州の大手金融機関に及んだ。(中略)ギリシャは、ユーロ圏に加盟するために、粉飾決算まがいの手法を使って、財政赤字も累積債務も実態より低く報告していたことが判明した。その報告書に、ゴールドマンサックス社が関与していた。かって87(九七の誤植だろうー文科系)年夏に始まるアジア通貨危機の陰で、米国のヘッジファンドが暗躍していたように、ギリシャ危機の背後に、米国のファンドと財務省が暗躍していると噂された。米国が金融危機回避のため、欧州に仕掛けた危機だとも、時に位置付けられる』(202ページ)

『しかし、第二の世界大恐慌は起こらなかった。EUは、たゆたいながらも沈まない。ギリシャ危機以来二年半を経過したいま、EUは、危機を乗り越え着実に前に進んでいる。なぜ、「百年に一度」の悪夢は再来せず、EUもユーロも沈まないのか』(204ページ)

『それは二九年の世界と違って多様な国際機関が機能し、諸国家間の貿易相互連結度が深化しているからだけではない。広大な新興国市場が存在するから、だけでもない。何よりも「巨大単一市場」EUが、たゆたいつつも危機の収束機能を自ら果たし続けているからなのである。(中略)EU市場の広がりは、新興国市場よりもっと大きく、その底はもっと深い。市場規模は六兆一一二〇億ドル(一〇年)。中国市場の四倍、アメリカ市場の三倍に達する。EUだけで全世界対外輸入市場(一七兆八二三二億ドル)の三四・三%を占める。そして中国にとっては、かっての日本に代わってEUが最大の輸出市場となり、中国の長期高度成長の支え手となっている。巨大市場をもつ欧州共同体が、新興国と世界の成長を支える大消費地帯へと変貌していたのである』(206ページ)

『EUはまた、金融投資規制を軸にカジノ資本主義への規制強化策を打ち出した。そしてそれを、グローバルな金融規制へつなげようとしている。ファンドや格付け機関への規制、役員の過剰報酬規制から、銀行・役員の金融活動税の創設。投機的金融取引への国際取引課税の導入。さらには、銀行の自己資本比率を高めて過剰投機を抑止するバーゼルⅢから、ケイマン諸島など法人課税逃れの租税回避地への国際的規制に至る』(214ページ)

 さて、アメリカべったりのせいか、日本では欧州のこんな「活躍」、「世界的役割」は知らされていなかったように僕には見えた。アメリカべったりというよりも、日本政府がまだまだカジノ資本主義にも希望を繋いでいるということなのだろう。物作りで黒字を作ってきた中国から、アメリカとともにいつか金融で巻き上げてやろうとかの道を探っているのでもあろう。これに対して欧州は、やはり二つの大戦から日米よりもはるかに多くのことを学んでいるということなのか、永年の恩讐を超えて和解し手を繋ぎ合った独仏と、ますます険悪な日中韓。

(この本の要約はまだ続きます。ただし、長くじっくりとやっていきたい)
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日経新聞世論調査     大西五郎

2014年05月05日 18時55分22秒 | Weblog
日経新聞世論調査で「憲法改正すべし」が44%
昨年比-12ポイント、「改憲反対」が過去最高44%
                                  2014.5.6 大西 五郎

 日経新聞は憲法記念日を前にテレビ東京と共同で4月18~20日に憲法についての全国世論調査を行い、5月3日に結果を発表しました。それによりますと、「憲法はいまのままでよい(改正反対)」が44%、「改正すべきだ」が44%でした。
 日経新聞は2004年から毎年のように憲法についての世論調査を行ってきました。これまでの調査では毎回「憲法を改正すべきだ」が「現状維持(改正反対)」を上回ってきましたが、今回の調査では「改正反対」が昨年の調査より16ポイント増えて、過去最高の数値になりました。「改正賛成」は昨年は56%で過去最高でしたが、今回12ポイント減り、はじめて「改正に賛成」と「反対」が同数で並びました。

国民は「憲法の平和主義が大切」

 「現在のままでよい」と答えた人に理由を複数回答で聞くと、「平和主義が変質する恐れがある」が48%で最も多く、「よほどのことがない限り、憲法は改正すべきでない」が40%、「現在のままで特に問題はない」が28%でした。「憲法の平和主義を大切に」という人が多いことが分かります。
「9条改正」は改正派にとっても要求の中心ではない
 一方、「改正すべし」と答えた人にもその理由(複数回答)を聞きましたが、最も多かった理由は「二院制など国会のあり方を見直すべきだ」で54%。次いで「9条を見直すべきだ」が34%、「環境権などの新たな権利を加えるべきだ」の31%と続きました。安倍首相や自民党は「9条改正」を憲法改正の中心テーマにしていますが、一般の国民の間では「9条改正」は改正要求の主流ではないということです。

安倍首相の「改憲前のめり」を国民が心配か

 「憲法改正すべし」が昨年より低くなっていることについて日経新聞では「今国会では憲法改正の手続きを定める国民投票法改正案が成立する見通し。政府は夏に集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を閣議決定する考え。回答の傾向の変化には、最近の一連の動きが影響した可能性がある。」と分析しています。日経新聞は遠まわしに言っていますが、要するに安倍政権の“改憲前のめり”の姿勢に国民が「このままいくと、戦争が近づくのではないか」という不安を感じ始めたということでしょう。

国民世論を無視した安倍政権をなぜ批判せぬ

 日経新聞の同じ面(4面)では「米副大統領石破氏を厚遇、注文も 『集団的自衛権』歓迎 日韓関係の改善要求」とアメリカに「集団的自衛権の行使容認」について了解してもらうために訪米した自民党の石破幹事長とアメリカのバイデン副大統領との会談を大きく取り上げていました。
 この3月から4月にかけて行われた朝日新聞、毎日新聞、中日新聞、共同通信のどの世論調査でも「憲法9条改正」「集団的自衛権の行使」「解釈変更による『改憲』」には国民の過半数が反対しています。新聞は「国民の理解を得ないまま、アメリカに報告に行く安倍政権と与党の動き」を批判すべきだと思います。                                 (了)
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随筆  「僕のお酒」   文科系  

2014年05月04日 05時57分28秒 | Weblog
 ちかごろお得すぎる買い物をした。スペインのある赤ワインで一九九四年物を二千円を切る値段で買ったのだが、これの美味かったこと! 「グラン・レゼルバ」という格付けが記された物で、これはこんな意味なのである。『これはこの年のこの地域でとても良いブドウを選んで造ったから「取って置き」にすればするほど素晴らしい味になるので、長年かけてそうしてきた醸造品』と。そんな二〇年物がたったの二千円! 味が濃く、豊潤であって甘くってきついブドウなのだが、甘さやきつさがほとんど消えているのはいろんな香りがいっぱいして、しかも円やかだからである。まさに円熟。ちなみに、ちょっと世界経済を勉強してきたので、こういう品物に行き当たることができたという商品なのである。スペインの経済危機・通貨安をよく知っていたから、数年前からスペイン物を意識して探し、試してきてこれにも出会えたのだ。今、スペインと、そしてイタリアのワインが凄くお値打ちである。ネッビオーロというブドウで造ったイタリア・ワインはイタリアの最高級品であるが、今は僕でもこれが買えるのである。昔よりずっと安いネッビオーロ製品も出回るようになった。

 さて、僕は安くって美味しいワインを探して、買い、味わうのを数十年来の趣味にしてきた。毎晩晩酌をするが、ほとんど赤ワインだ。ワインは世界の最も多くの人々の歴史的エネルギーが注がれてきた農製品だと思う。そもそも、酒がどの国でも最も創意工夫が重ねられてきた商品だから、その中でも歴史が長いワインに注がれてきた人類のエネルギーと比肩できるエネルギーが詰まった商品は多分、各民族の主食しかないのではないか。アジアの米、西アジアや西欧の麦などなどと同等の歴史が詰まった産物、商品ということだろう。ちなみにワインを造るブドウの種類からして、他の酒にないほどに驚くほど多い。手元のワイン本で調べてみたが、僕が聞き覚えがある赤ワインブドウ名だけでも二三種類を数えた。そんなブドウ名などを思い起こしながら飲むと、先人の苦労も偲ばれたりしてさらに美味く感じつつ、あれこれさらにまた自分に講釈も垂れてみるのである。

 さて、晩酌では夏などにビールも飲むけれど、ウイスキーとブランディーも好きで、家に常備してある。ウイスキーではお値打ちなピュアモルト「竹鶴一七年」が欠かさず置いてあり、ブランディーでは「コニャック・グランシャンパーニュ」、ユニ・ブランというブドウで造ったものだ。行きつけのサッカー・バーでは、ウイスキーでは「ボウモア」と、ラムも「ロム・サカパ・センテナリオ」というのが大好きで、僕の定番になっている。ボウモアというのはちょっと他と変わったウイスキーであって、大好きなスモーキーさに独特のクスリのような味が加わっていて、それが好みなのである。世間のことは知らないが、聞くところによるとこのごろ人気のウイスキーらしい。このロム・サカパはしっかりした味なのに一種もの凄くフルーティーで、蒸留酒の中で最も好きと断言できる酒である。

 人のお金の使い方は様々。僕は収入の割に酒ではゼイタクをしているが、自動車はおんぼろの軽に乗っている。現代社会、自動車ほど高い買い物はないと思っている。軽とちょっとした車の差額で、どれだけのワインが買えて、さらに海外旅行などもできることだろう。
 ただ、急いでこれは付け加えておきたい。五十代に週一~二日の禁酒日を五年以上設けたことがあるせいか、肝臓などを悪くしたことや、悪い血液検査数値が出たことは一度もない。このままではヤバイと思った事が禁酒日を設ける動機になった。いつまでも飲み続けたかったからであるが、これで酒量が以前の半分以下に減ったものだ。こうして、だから今は安心して毎日飲めているのだと思う。一時間走れる酸素摂取力があるのでアセトアルデヒドを分解する力が若いから、年ほどは弱くなっていないということも関わっているのではないか。
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