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日本と朝鮮 征服に40年、その後35年(その1)  文科系

2014年05月15日 23時05分02秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 これからこのブログで数回にわたって、この一週間の朝鮮旅行で学んできたことを書いていくつもりだ。その前に、今後旅行記として書いていくこと(「テロリスト」ならぬ、義士・安重根のこと。そして何よりも、日本による朝鮮征服までの40年間に、どれほど激しい朝鮮人民の抵抗運動が繰り返されて、それをいかに残酷に日本軍が弾圧してきたかということ。済州島日本軍要塞のこと、などなど)に関わって、過去にここであった論争をまとめておきたい。

 このブログの性格上、右の方々が過去常にここを訪れて反論を書いてくださった。そのうちブログ発足以来のこの8年余で最も勉強してみえると思われる右の方との「日本15年戦争、1931~45年」についての長い論争が11年3~4月にここであったけど、その最後の応答、「まとめ」の拙文抜粋をこの文章の末尾にあげておきたい。そこでは、「日本による朝鮮征服目指した40年」ほどをどう見るかが、日本のその後の戦争の性格規定にとっても決定的なことだと、まとめさせていただいた。明治維新から1945年敗戦までの日本の戦争史を見るとこんな流れであって、これは大陸進出ということで結果的には終始一貫しているのである。この流れについて、その意図とか、その意図が終始一貫していたかとかは脇に置いておいて、日本が次々と引き起こした戦争の事実経過だけをとにかくまず見てみよう。

①明治維新直後の征韓論以降、1875年の江華島事件に端を発して、日本は常に朝鮮征服を目指していったと言える。そして、朝鮮併合までに約40年を要している。それだけ朝鮮の人々の激しい抵抗があったということを、文末例文のようにここで述べてきた。こんな経過を右の方々が語ること、いや彼らがこれらをまともに観ることさえが、まずなかったはずだ。
②朝鮮征服に関わってこそ、日清戦争(94年)も日露戦争(1904年)も起こった。日露戦争は、ロシアによる朝鮮進出、満州制圧狙いに対する帝国主義戦争であった。
③そして、1910年の朝鮮完全併合から、1931年の満州事変を経て、37年には盧溝橋事件と、日中戦争の泥沼である。この泥沼がまた、次の太平洋戦争を起こしたと言える。
④以上の経過で日本がやってきたことはこうして、「大東亜共栄圏建設」でも、「アジアの植民地解放」でもなんでもない。ただ、西欧諸国に代わって、西欧諸国のようにアジアをできるだけ多く植民地にしようとしてきただけである。朝鮮の3・1独立運動徹底弾圧、南京大虐殺などに見えるように、限りなく残酷に。

 ということを書いていく前置きとして今日はまず、以前の論争のエントリー結論部分を抜粋させていただきます。

【 ざくろさんのアジア・太平洋戦争観 文科系 2011年04月02日
前置き
 1国の戦争には、確かに意図と結果が存在しよう。そして、意図の通りに結果が出るものでもないだろうし、結果からだけ戦争の善悪を云々してみても無意味だ。
「泥棒に入った家にもう1人泥棒が居て、両者が殴り合いになった結果、家としては何も盗まれなかった。よって後からの泥棒が良い事をした」
と、こんな事を語って何か意味があるのか。
 かくのごとく意図と結果は別物であるのだから、歴史を論ずるやりかたではないのである。歴史は事実、真実の流れを叙述するというのが基本でなければならず、意図と結果はむしろそこから判明してくるということだろう。
(中略)

1 朝鮮併合
 僕はざくろさんにこう語った。
『明治維新直後の征韓論出兵騒動や江華島事件などなどの1870年代からおよそ40年かかって日本が朝鮮半島を併合したのも、「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」であるのか? この40年間に独立国であった朝鮮抑圧への反発を武力で抑えるべく、どれだけの方々を殺したことだろう。それもみんな「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」と貴方は言い張るのか。そもそも「朝鮮の人々のためにこそ40年かかって併合したのだ」という理屈を、朝鮮の人々が認めているとでも言われるのか? 』
 これに対して、彼はこう反論した。
『日本が明治維新直後から、ずっと朝鮮半島を狙っていた、というふうな見方は明らかに偏見でしょう(自覚あります?)。明治初期の征韓論は――理由はそれだけではありませんが、立場・考え方の違いから原因の一つとして――内乱(西南戦争)にまで発展して、一旦は消え去っています。』
 歴史的事実を上げておきたい。僕があげておいたのに彼が無視した1875年の江華島事件と、ここから生まれた不平等条約、日朝修好条規。1882年の壬午事件。その結末の一つに日本軍の常時駐留があるが、これは、帝国初の平時外国駐留軍ということになる。1884年の甲申事変では、反日感情が急増している。1894年の東学教徒反乱事件に際した日本の大兵力出兵。これは、日清戦争のきっかけになった事件でもある。朝鮮がきっかけで日清戦争も起こったというこの事実は、朝鮮のこの40年と後の日中戦争が結びついて何か象徴的な出来事のように僕は思う。
 こういう事実が続いていれば、『ずっと朝鮮半島を狙っていた』かどうかは別にして、上のように、僕がこう述べるのはごく自然な事のはずだ。
『明治維新直後の征韓論出兵騒動や江華島事件などなどの1870年代からおよそ40年かかって日本が朝鮮半島を併合したのも、「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」であるのか? 』
(以下略) 】

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