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恐るべしマルチェロ・リッピ   文科系

2014年05月07日 08時24分18秒 | スポーツ
 昨夜セレッソ大阪と広州恒大のアジアチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦第1ゲームを観た。その最大の結論が、標題の表現として僕の口をついて出た言葉だ。詳しい経歴を調べてみたが、改めてもの凄い監督と言う表現が浮かんだ。この経歴は後でご紹介することにして、初めて観た広州恒大の印象をまず書いてみよう。

 もの凄く攻撃的なチームである。セレッソが1対5で敗れて、ほぼ何もできなかったというゲーム経過からもわかることだろう。柿谷もフォルランも、今売り出しの山口蛍もいたのにである。
 まずなによりも、ボール奪取技術が高くて、上手い。そして、奪ったボールの繋ぎが速くて、上手い。選手たちが敵からフリーになるポジション取り技術が、まるでバルサ選手か遠藤保仁かというほど。そんなフリーの選手たちへ、矢のように速い長短のパスが通るから堪らない。さらに、そのボールを受ける選手らの技術が、香川真司を思わせるような見事さなのである。こんな高速パスをば、全速力で走りながらもぴたっと思うところへ止めてみせる技術を有しているという意味だ。これがゴール前でもできるから、香川真司のような得点力を有した選手が何人かいるということだ。これら全部を総合して僕が思い出したチームが、香川を育てたあのドルトムントだった。この連想も当然出るべくしてでたものだと、リッピの経歴を調べてみて鮮やかに了解できた。ドルトムントのクロップも、このリッピも、サッカー史に残るある名監督を最も尊敬し、彼から学んできたと広言しているのである。80年代後半にACミランで世界を席巻したあのアリゴ・サッキなのである。ちなみにこの広州、確かドルトムント台頭期のエース、ルーカス・バリオスを取っている。リッピは、ドルトムントの強さを早くから見抜いていたのかな? いや、訪中時期がちょっとバリオスの方が早いから、こうリッピが考えたのいかも知れない。「ドルトムントのあのバリオスを取るって、このチームには目利きがいるに違いない」。というわけかどうかでとにかく、広州恒大がリッピ初のイタリアの外での監督就任だったのである

 さて、リッピの歴史、業績を観てみよう。まず、今の広州恒大。12年5月から率いた中国のこのチームを率いて、去年AFCにあらわれいきなりチャンピオン。まさに彗星のような離れ業と言うしかない。アジアのクラブでは最も強いはずの韓国・日本勢が、アジア2年目の新人監督によって総なめという屈辱なのである。
 1948年4月生まれの、既に66才で、監督をスタートしたのは、1985年。この人物の最も華やかな業績はこれだ。「UEFAチャンピオンズリーグとワールドカップの両方を制した史上初の監督となった」とウィキペディアにある。CLリーグ優勝は1995年のユベントスでのこと。1994年に就任1年目でユベントスに9シーズンぶりのスクデットをもたらしたその翌年の出来事なのだ(ちなみに、ここまでの9年間は、ACミランの黄金期である。サッキとカペッロなどが監督を務めた)。時に、リッピ47才。ワールドカップ優勝は06年のドイツ大会イタリアチームの監督としてであり、時にリッピ、円熟の58才。なお彼は、ユベントスを率いてはトヨタカップも制しており、クラブチームでも世界1になっているのだ。こんな三つの異なった形の世界チャンピオン監督って、今後ちょっと出ないのではないだろうか。これに加えるに、去年のアジア・クラブチャンピオンなのである。今年また優勝すれば、今度はアジアから世界クラブチャンピオンを狙うのではないか。セレッソとの戦いを観ていて、そんな意気込みさえ感じたものだった。
 その後の彼の名前は、イタリア勢の凋落とともにしばらく消えていく。それが新興大国の広州恒大で、2013年いきなりの復活ということなのであった。

 さて、彼のスタイル。こういうものだ。これもウィキペディアだが、すべて「なるほど」である。
『自身が影響を受けた監督にアリゴ・サッキとファビオ・カペッロを挙げており、初期はサッキの相手を圧倒する両翼を駆使した攻撃型のチーム作りに没頭したが、その模倣が現有勢力では完全に至らないことを悟り、徐々にその中にカペッロ的な要素を組み込んだとしている。本人いわく、サッカーで重要なのはバランスとのこと』

 超攻撃型監督から、カペッロ流守備をも取り入れた現実路線へ。そんな軌跡が分かって、面白い。また、「バランスこそフットボールのキモ」って、もう一人語っていた人物がいたな。現日本代表監督ザックの来日初インタビューにおける表現だった。ちなみに、ザック、カペッロはそれぞれ、リッピよりも5才年下と2才年上で、それぞれヒデがいた頃の世界最強イタリアにおける優勝監督達である。ヒデがローマで優勝したときの監督が、このカペッロであった。
 最後にこのリッピ、ファンタジスタ嫌いで有名だそうだ。バッジョやカッサーノとの不仲はイタリアではよく知られていたことらしい。なお、広州は自身初の外国チーム監督。これでこんな鮮やかな手腕、功績って、よほど頭も良く、優れた人物なども回りに配してきたのだろう。

 最後に一言。セレッソ大阪は凄いショックだったろう。この上は第2戦目を学びの場所にすればよい。このショックを学びのエネルギーに変えるのである。こんな名監督のクラブから直接学べる機会など、今後2度とないだろうと考えるのである。学ぶためには、攻めねばならない。このリッピは、よくあるこんな姑息なことを考える監督ではない。4得点差があるのだから、2戦目は守りから入ろうなどと。つまり、セレッソが攻めてこそ、凄く学べるはずなのである。ただ、森保なら学べるが、ポポビッチ監督はどうだろうか。いやいや、山口蛍が学んで、遠藤保仁を超えればよいのだ。ホタルはそういうことが大好きな外国・戦術マニア、勉強家らしい。今後セレッソが化けたとしたら、それはこの敗戦を糧としたことになるはずだ。
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