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南京大虐殺の経過、史実  文科系

2021年11月01日 11時54分11秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 

「あんたも無知丸出しかい? 南京市民より死者が多い三十万人などというヨタ話を、ほんとに信じるの?」

 今度の相手も上から目線でこちらを頭から押さえ込んで来た。いつも同様、僕のブログの過去文章を読んでいないことも丸分かり。丁寧に反論する。

 ①虐殺直前に、日本軍がしかけた上海上陸攻防の大激戦が三か月続いた。そこの中国軍三〇万が揚子江すぐ上流の首都・南京城めがけて潰走し、日本軍がこれを我先にと追撃して出来上がったのが南京城包囲である。城の外、付近の住民も首都軍の庇護を求めて逃げ込んだし、膨大な人数に増えていて当たり前なのである。

 ②次いで、「あんな短期間にそんなにたくさん殺せる訳がない。日本軍はスーパー・サイヤ人か?」とのご批判。これには、こうお応えする。南京城壁は高さ一八メートルで分厚く、一方は揚子江。この城の限られた城門から全軍脱出が敢行されたのが一九三七年一二月一二日の夜から一三日朝にかけて。作戦は完全な失敗。揚子江を渡れた兵はごく少なく、膨大な数の捕虜はその後どうなったか。以降の日本軍中国南下作戦を考えれば、生かして放つはずがない。以降七年半の占領下早い内に、収容施設へ連れて行くように見せかけて秘密裏に殺したと考えるの普通だろう。三一年の満州事変の無法行為で国連を脱退したことを巡る国際的批判と、国内の戦意高揚とのためにも、秘密裏にということが大事だった。

 ③と、僕が返した反論には間髪を入れず、こんなご批判。「それだけ死んだら、死者名簿は? 慰霊祭は? なぜ家族の猛抗議はなかったのか? これらがいまだにないのは嘘である証拠! せいぜい二万人がイーところだな!」。まるで鬼の首でも取ったように勝ち誇って来る。これもネトウヨ本の鸚鵡返しであって、勝ち誇ったこの態度も「自信」の顕れなのである。ただし僕は、一一年ここで闘ってきた勤勉な古参兵。こんなひょろひょろ弾に倒れる訳がない。
 当時の中国政府は、戸籍がないに等しく、兵士は浮浪者が多かった。それも、あの広大な全土から集められた人々。浮浪者が多く、戸籍がないなら、どうやって名簿を創り、家族に知らせるのか。しかも、以降一二年の中国は戦乱と、さらには国共戦争と政権分裂。日本の習慣で思い付いた訳知り顔の屁理屈に過ぎない。現に、中支派遣軍事前教育教科書にこんな記述がある
『三三年に陸軍歩兵学校が頒布した「対支那軍戦闘法の研究」中の「捕虜の取扱」の項には、(中略)「支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者」が多いので、「仮にこれを殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し」と書かれていた(藤原彰『戦死した英霊たち』)』
(岩波新書「シリーズ日本近現代史全10巻」の第5巻『満州事変から日中戦争へ』加藤陽子・東京大学大学院人文社会系研究科教授、220ページ)

 ④すると今度はまた、こう返ってきた。「どんな理屈を語ろうと、死者数二万という学者の有力説もある。三〇万ははっきり嘘として、数をはっきりさせろよな!」。古参兵はこの数字弾のひょろひょろぶりもよく知っているから、こう反論するだけだ。
 確か小泉内閣の時に日中の学者が集まって虐殺数を検討する会議を持った。日本からも一〇名ほどが出たが、北岡伸一など政府系の学者らが多い日本側の結論は、二~二〇万というもの。なぜこんなに開きが出るのか。「虐殺犠牲者」の定義とか虐殺期間・地域などで一致できなかったからだ。特に虐殺に兵士を含むか否か。兵士の戦死は当たり前、虐殺の数には入らないと。が、これにも反論は容易だ。日本は中国に最後まで宣戦を布告をせず、地中あちこちから折り重なって出てきた膨大な若者人骨は捕虜を虐殺した証拠にもなる。以上から、日本の(政府系)学者らさえ二〇万人の含みを否定できなかったのである。


 さて、以下の内容がまた、以上すべてを裏付けるものである。

『 南京大虐殺、一師団長の日記から  文科系 2017年03月09日 

「教育図書出版 第一学習社」発行の「詳録新日本史資料集成 1995年改訂第8版」という高校日本史学習資料集がある。これをぱらぱらと見ていて、南京大虐殺の資料を新たに一つ発見したので、ご紹介したい。408頁に南京攻略軍指揮官の中島今朝吾(けさご)第16師団長日記というのが載っていた。そこの全文を書いてみる。 

『大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ、千、五千、一万ノ群集トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ、唯彼等ガゾロゾロツイテ来ルカラ安全ナルモノノ、之ガ一旦騒擾セバ始末ニ困ルノデ、部隊ヲトラックニテ増派シテ監視ト誘導ニ任ジ、十三日夕ハトラックノ大活動ヲ要シタリ。シカシナガラ戦勝直後ノコトナレバナカナカ実行ハ敏速ニハ出来ズ。カカル処置ハ当初ヨリ予想ダニセザリシ処ナレバ、参謀部ハ大多忙ヲ極メタリ。
一、後ニ至リテ知ル処ニ依リテ佐々木部隊ダケニテ処理セシモノ約一万五千、大平門ニ於ケル守備ノ一中隊長ガ処理セシモノ約一三〇〇、其仙鶴門付近ニ集結シタルモノ約七、八千人あり。ナオ続々投降シ来ル。
一、コノ七、八千人、之ヲ片付クルニハ相当大ナル壕ヲ要シ、中々見当ラズ。一案トシテ百、二百ニ分割シタル後、適当ノカ処ニ誘キテ処理スル予定ナリ。』

 高さ18メートルもある分厚い南京城壁の限られた門から一夜にして日本軍包囲網を脱出しようとした中国軍兵は、その多くが捕虜になった事が示されている。どうせ逃げられないから、捕虜になって助かろうという態度にさえ見えるのである。ところが、これを最初からの方針として、全部殺してしまった。あちこちに分けて連れて行って殺し、埋めたということなのである。そもそも冒頭のこの部分が僕がこのブログで強調してきた要注意か所と言える。

「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ」

 最初から捕虜は殺す方針であったことが明確に述べられている。酷いもんだ。こんな資料があるのに、ネトウヨ諸君の種本論客達は、兵士虐殺を否定してきたのである。一師団長が聞いただけで彼等がよく語る「せいぜい2万人」などは、優に超えている。すべて世界に向けては、いや南京攻略兵にすら秘密の仕業であった。なんせ、上の手記にあるように師団長すら虐殺の全貌は知らないのだから。少し前にあった満州事変に対する国連非難囂々に懲りていたのだろう。また、国民の戦意高揚のためにも、敵への残虐行為は極力秘密にするものだ。

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八十路ランナーの手記(379) 10月も130キロ走れた  文科系

2021年11月01日 00時07分03秒 | Weblog

 9月からランナーらしく月間走行距離目標を初めて作って120キロとし、121キロ行った。10月は130キロとしたのだが、31日ぎりぎりに134キロ。それも、29~31日と3日連続で24キロ(8キロ前後×3日)走ってやっとのこと。なかなか苦労の多いことだったが、当初定めた目標設定法通りに11月も10キロ増やして、140キロを目標としたい。月10キロずつ増やして、どこまで行けるかというそんな趣向を初めに思いついたのだから、この調子で一度は行けるところまで行ってみようと思っている。こういうランナーらしいやり方を採れば、急に衰えてきたと感ずる走力を少しは回復できるかなーとか、淡い期待もあっての発想なのだ。ただ、スピードを落としさえすれば初体験の3日連続の24キロを無理なく走れることも分かって元気が出てきたのである。

 さて、この10月は、15日走ったことになる。その内訳は、外走りが7日、ジムが8日だ。9月も13日走って僕としては多かったのだが、月15日も走ったのは間違いなく初めてのこと。はじめてやったランナーらしい月間目標設定がなせる技である。達成月間目標がどこまで行くかという興味も含めて、結構楽しんでいて、これが思いもしなかった楽しみだと気づけた。

 さて、こういう10月だったから、いろんな学びがあった。
①何よりもこの事。タイムを取るため最高スピードを持続する日は、多くとも月に2回程度としたい。そうでないと、その後最低2日は間を置かねば「普通並み近くの調子」にさえ戻らないことが分かったのである。
②僕のランニングフォームはまだまだ不安定、不合理である。2年前から始めた走法変更以前からそうだったと、最近になって認識した。その頃も走力に大きなムラがあったが、その原因が右足の着地時間の長さにあって、さらにその原因が左脚の弱さ、ストライドの短さにあったと。2年前もこれを感じてはいたが、この2年の走法変更を経て今改めてこれが重大なことと発見し直している。
③ ②への僕なりの対策は何度も書いてきたが、こういうもの。右足の膝下振り出しを少なくする。左足が外に流れぬよう、その着地点を右足の延長線上に近づけ、疲れぬ程度に「地面つつき」を強める。

 さて、以上の留意点を正すことができれば僕現在の場合は、スピードも距離も伸びると思う。意識してこれができているときは9・5キロ時ほどで5キロは走れる感じになっているのだから。それ以上長く走ろうとすれば時速8・5キロぐらいになるが、それでも先ず20キロは可能ではないか。というそんな左脚強化トレーニングを重ねれば、はて、フルマラソンが可能なのか? というところで思うのが、これ。フルマラソンの切り捨て・制限時間には全く不案内なのだが、5時間という大会があるのだろうか。 
 と、なんやかんやを語るよりも、とにかく一度、走れるだけの距離を走ってみよう。と、そんな楽しみまで湧いてきたのは、月間目標を定めて2か月やって来たその成果なのだ。

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