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「よたよたランナーの手記」(208)10キロ65分ならまだ行けそう   文科系

2017年12月06日 | スポーツ
 前回これを書いたのが1か月ほど前と長く書かなかったのは、いろんな試行錯誤をしていたから。今までのやり方だけでは記録がどんどん落ちるようになったから。努力以上に、新たな工夫が必要な段階になった。

 まず、ジムマシンのランだけだと走力がどんどん落ちると分かったと前に書いたが、その分外走り、階段往復、サイクリングなどをやった。おかげで、ジムランは10月29日以降今日まで2回やっただけだ。11月13日と、12月4日と。この3回のジムランを比べると今のラン水準がとても良く分かる。11月13日は、9月14日以来の9キロ(4・3と4・7)で、12月4日は1週間ぶりのランとあって久しぶりなので軽く流して8・6キロ(4・1と4・5)。問題はこの内容である。

 戸外の走り方を、ストライドを伸ばすようにちょっと変えた。ピッチ150弱で、ストライドを5センチほど伸ばす感じに。するとやはり脚に負担が来て、右足首に違和感が生じている。この工夫、努力の分、同じ速度での心拍数が下がって来るなど、意外な好調が戻って来た。今はこんな状況だ。

 時速9キロでも心拍数140ほど、10キロ時でも150ちょっとになった。同じ速度の心拍数が以前よりも10~15程下がってきたことになる。心臓の拍動が強くなったのか、脚の毛細血管が太くなったのか、いずれにしてもこれだと脚の違和感さえなくなればマシンラン30分×2回で9・5キロほどまでいくはずだ。違和感そのものは、ストライドを伸ばす練習を押さえればどんどん引いていくから、本番ではピッチ160ほどとストライドを狭くすれば良いだけのこと。この9・5キロという記録だと、去年の春にまで戻ったということになる。前立腺癌の治療前まで戻ったという意味だ。当面、この9・5キロを目差してみよう。10キロマラソンを65分ほどで走れるということだ。
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随筆 「僕の日本茶」   文科系

2017年12月06日 | 小説・随筆・詩歌など
 直線距離で三百メートルほどの所に住んでいる娘夫婦は、週末など週二、三日はわが家で夕食をともにする。世代が離れた両家の料理が並ぶのは、バラエティーに富んで楽しい。娘夫婦はとても食いしん坊でもあるし。お婿さんは良い肉や魚を半額ほどで買ってくる名人であって、各スーパーのチラシや値下げ時間などまでを時にチェックしている。そんな僕らの食後には「お父さん、お茶お願いします」と彼か、さもなければ娘から必ず声がかかる。特に食いしん坊の娘などは、晩酌後の僕が食事を終えるのも待たずに平気で「そろそろ、お願いします」などと。「ほいよ!」、そんな時でも僕は機嫌よく立ち上がることにしている。何か貸しを作っている感じもあって気分が良いし、そもそも二人とも僕のお茶を当てにして、必ずデザートの茶菓子まで持参していそいそとやって来るのだから。
 自分で言うのも何だが、それほどに僕はお茶全般、特に日本茶に凝っている。ちなみに、今ある日本茶は、これだけだ。昔ながらの極浅蒸しの煎茶と、浅蒸し煎茶、そして静岡は岡部産の玉露。これら全てが僕の手で開封・密封されていて、手を付ける順番を待っている。これらのお茶には僕以外は誰も手を出さない。

 さて日本茶だが、発酵させていない種類だけでこれだけ様々な喫し方をするお茶は、世界でも珍しいのではないか。紅茶も中国茶もほとんど沸騰したお湯を使うようだが(注  最近、そうでないと知った。生茶もあって、湯冷ましした方が良い場合も多い。この作品を書いた当時は、これらの知識がなかった)、日本茶は煎れる温度からして四十度から百度まで十度刻みで適温があるほどだ。そう言えば、水出し茶というのまであったな。抽出温度が下がるのに合わせて茶葉の量は増やし、抽出時間は長くする。

 先日、山間部で育った肉厚の極浅蒸し煎茶の封を切ったのだが、煎れ方などいろんな条件が最初から上手く合ったらしく、一種「青っぽい高貴」とでも言える素晴らしい味がした。そこで思い付いて、その半分ほどを袋に入れ戻して、その日のギター・レッスンで先生宅に持参したものだった。ギターの先生夫婦は四十代前半、二人してまたお茶が大好きときている。奥さんが料理の専門家らしいこのお二人、味の表現をやりとりして格別に楽しいから、こんなことを思い付いたのであろう。このお茶で言えば、深蒸し茶などに比べて扱いが難しいけど「茶葉は見た目二割増し、七十度で二~三分」といったところだ。
 その日の体調に合った時の良いお茶はコーヒーでも何でも思わず「ほーっ……!」と声が出るほどに応えてくれるものだが、昔ながらの煎茶が上手くだせた時の味は、もう「何と表現したら良いのか」。そういう言葉の通りで、なかなか言い尽くせない。

 話は替わるが、古くからある街並みを歩いているとこんなことに気付く。どんな街角にも小さな和菓子屋さんがあり、もうかなり減ってしまったが老人夫婦がやっているような小さなお茶屋さんもある。和菓子とお茶、この文化を連綿と嗜んできた人々が無数にいたのだと知らされるのである。国民一人当たり茶の消費量世界一と言われるのはイギリスらしいが、この国のティータイムにも勝るとも劣らぬ生活習慣が我が国にも存在したということだろう。そんなことなどに思いを馳せると、今日のお茶がまた美味しい。
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