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ハリルジャパン(150) 改めてゲーゲンプレス   文科系

2017年12月31日 05時58分14秒 | スポーツ
 ドイツはドルトムントが一世を風靡した標記の戦法が分からなければ、ハリルの言う「モダンサッカー」は理解できないと思う。そういうサッカー戦術に弱い人に限って、こんなことを言うのが常だと、僕は見てきた。
「サッカーも結局、個人能力!」
 これは違うのである。こんな考え方では、理解できない現象が世界サッカー史には常に生まれているのだから。何よりも、高価な選手を買えない弱小チームの世界的急台頭。そこには必ず新たな戦術があると言えて、その戦法が世界サッカーの隅々までを変えてきたという歴史さえ存在するのである。

 さて、ゲーゲンプレスを理解するためには、1990年前後に世界を席巻したACミランの「ゾーン・プレス」戦術を理解しなければならない。サッカー選手としてはプロ経験がないアリゴ・サッキ監督がこれを編み出して台頭した実績によってミランの監督に登り詰め、当時のチャンピオンズリーグを2連覇した戦法である。

① DFラインを上げ、FWラインとの縦間隔を詰めることによって、身方選手をあるゾーンに密集させる。これは、そのゾーンにある敵ボールを奪いやすくする目的だ。その上で、 
② 敵ボール保持者に最も近い選手がその選手、ボールに突っかけて、他の身方選手はそれぞれ最も近くの敵選手がボールを受けられないように「一斉に」パス先を塞ぐ。こういうやり方で、敵ボールを奪うこと、これがこの戦術の主要目的である。ミランは、この方法を熟練して、いつでも敵ボールを奪えるようになり、ボールキープ率で敵を圧倒したチームである
③ こうして、敵は、身方ゴールに届く前にボールを奪われるばかり。また、ボールキープ率で敵を圧倒するというのは、敵の攻撃時間が極端に短いということ。モウリーニョのようにカウンター戦術で世界有数の監督でなければ、これを破って得点とはなかなかできなくなる理屈である。
④ この戦術の弱点は、敵の抜けだし得点。身方DFラインとゴールキーパーとが、よほどオフサイドトラップを訓練していなければならないのである。アリゴサッキはこの点を徹底していた。なおこのサッキは、ブラジル大会のザック・ジャパンを、自分のに近い作戦と見て、こういう発言をしている。
「ザック作戦は、一人でも乱す人がいれば、破綻する」

 さて、ゲーゲンプレスは、これに何を付け加えたか。
 何よりも先ず、このボール奪取戦術を得点法に転化させた。このゾーン・プレスを高い位置に設定することによって、「敵ボールになった瞬間にこれを奪って、即得点」という得点法に。戦術発明者ユルゲン・クロップ監督はこれをこう解説している。
「攻め入られている敵がボールを奪って前掛かりになった時こそ、ゲーム中最も大きな身方の得点チャンスなのだ。その時に身方が逆に一斉に前に詰めて『ゾーン・プレス』を活用して全力で敵ボールを奪いに行く(という時間帯を作る)」
 敵がボールを奪って守備態勢から攻撃態勢へと換わり、身方は多く前に詰めている時。ここでボールが奪えれば、1本のパスとか、敵ゴール前の身方数的優位を生かしたショートパスとかで、得点と。

 その後の現代サッカーで「守備から攻撃への、あるいは、攻撃から守備への素速い転換」というのが死活問題になり始めたのは、以上全てを踏まえてのことである。

 なお、この戦術が威力を発揮すれば、これのいろんな応用が生まれるのも理の当然。そういう世の風潮から、こんなことも起こった。従来の守備型(相手への対策型)名監督が、以前ほどにはしばらく勝てなくなったのである。レアル、チェルシー時代のモウリーニョ、ファン・ハール、カペッロ、フース・フィディング、ブレンダン・ロジャース、アンドレ・ビラスポアスなど。
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世界の民衆が最も知るべきこと   文科系

2017年12月31日 04時41分54秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 以下は、今年の旧稿2本を手直ししたもの。今年最も大切だと考えた新聞コラムの一つの内容を紹介したもの。大切だというのは、今の世界の人々の生活を最も大きく左右しているという意味で、人々が最も知るべきことと、僕は考えるという意味である。日本の株価が、GPIFや日銀が出動して支えねばならなくなっているのも以下への対策なのだとも、僕は見ている。
 なお、こんなようなニュースは、これを報知する記事が非常に少ないもの。つまり、こういう体制は人々に知らせないことによって、保たれているものではないか。


 今年8月19日の中日新聞にこんな記事があった。東海東京証券会長・石田建昭氏が書いたコラムとして。日米英社会が主導したきたこんな異常事態の世界などは、世界の民衆がこれをきちんと知れば長続きなどする訳はない。一国家の主要選挙の際にこそ是非考えてみたいことだ。世界主要国にこういう世界体制を認めない政府が出来、その主導で国連規制が出来てのみ、民衆の明日が開かれるだろう。世界の心ある金融業関係者には是非、こういう事態を世に正しく啓蒙して欲しいものだ。

 東証の取引高の60%は、そのほとんどが外資金融機関による高速取引絡みとあった。残りの内25%は、「デイトレーダーともいわれ、主にオンライン証券の機能を使う個人投資家の群」とあり、こちらは和製なのだそうだ。
 なんのことはない。東証取引高の85%が、マネーゲームなのである。ちなみにこの二つの投資家を取引所関係者は「ジョーズ」、つまり血に飢えた鮫と呼んでいるのだそうだ。


 実業の人々の命が懸かったような株を、意識して上げ「下げ」して儲けるということ自身が僕には何か随分邪なことに思えるのだが、これが典型的な新自由主義の遣り口というもの。というように、新自由主義の仕組みには、普通の常識では目に余るようなものがかなりあるようだ。

 例えば証券に掛ける保険では、その証券の持ち主でなくとも保険を掛けられる仕組みがある。ある家の持ち主でない人が、その家に保険を掛けることができたら、『燃えれば丸儲け、損もなし』ということから、『火事場泥棒奨励みたいなもんじゃないか』という人もいるのである。つまり、その証券の、例えばある会社株の、持ち主でない人がその株に保険を掛けることができたら、会社が潰れれば丸儲けという理屈なのだから。

 通貨危機というのも、随分阿漕なことができるもので、これには空売りという、僕に言わせれば阿漕そのものの遣り口が絡んでいる。空売りとは、他人の証券などを大量に借りてこれを売り、この証券などを大幅に値下げさせえたときに大儲けできる仕組みである。
 人の命が懸かったような株を人為的に大幅に下げたときに儲かる仕組みって、果たしてこの人間社会で健全なものと言えるのだろうか。

 これら全て僕にはこんなようなものに見える。8時間労働制が無かった時代の10数時間労働のようなものと。この僕のような「健全な感覚」の人々が、「マネーゲーム規制」つまり「厳しい金融規制」を世界、国連に要求している現状が存在するということだ。過去の経済制度とは大きく異なって、金融グローバリゼーション規制は国家の手に負えず、国連でしかできない。こういう動きに、日米など大国が反対し、中小国が賛成するのも普通だろう。

 新自由主義とはやはり、生き馬の目を抜く世界、いや、生きた人間の目を抜く社会になってしまった。そして、このように10数時間労働などという生き馬の目を抜く事実、現実は常に先に進み、8時間労働制などの規制法などは後から追いついていくというのが、人間史の大変な悲しさである。こういう金融規制を後開発国などが国連に要求するのは自然なことだが、一国の法と違って国連に新法を作らせるのはとても難しい。米(英日)の政権がこの現状を推進しているわけだが、これがどこか主要国で崩していこうという政府が出来ないと、難しいことなのだろう。

 なお、これらの経済仕組みについては、社会の1%と99%階層間で、情報の非対称性が酷く、大部分の有権者が正しい判断など出来ないようになっていると、僕は見ている。ここで民主主義が単なる形式と堕して、今はまだ、「世界」政治に対してますます正しく機能しないようになっているとも。
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