棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

7-MY TIBET 仏画の流れ

2009-11-07 09:24:50 | 創作活動
皆さんが日本で「仏画」を目にするものは、お寺や美術館の掛け軸が多いかと思います。
ときにはお宅に法事などで仏画を掛けることもあろうかと思いますが、今は本当に少なくなってしまいました。
それでも、広告などで仏画販売を見ることがあります。
その図象は「図像学」の約束事にのとって描かれているもがほとんどで、オリジナルは少ない。
では、約束事とはなにかと簡単に申しますと、姿勢・手の組み方-印・持ち物などで、何の仏様であるのか表しているわけです。
ご存知のように仏の姿を最初に現したのがガンダーラで、ギリシャ彫刻からの影響を受け、健康な人間そのものを感じさせる仏像です。
西域に仏教が広がっていきますと、立体よりも平面表現--壁画--の技術が向上し、石窟の壁画などが盛んに製作されました。
芸術家の想像力も自由奔放になっていき、衆生の生活風景も描かれ、当時を知る重要な資料と成っております。
時代が進むと表現の約束事として、図像学も確りした定義づけが必要になり、幾何学的に洗練されたバランスが産れてきました。
それゆえに、芸術家の自由な発想は少なくなってしまいました。
写真は敦煌石窟の壁画--盛唐のころ

ポカポカダーーー

2009-11-06 11:05:20 | 山郷の暮し
ポカポカダー・ぽかぽかだーーー 
陽気で度派手、大好きなシャンシヤン・タイフーンのリズムにのってあるいてしまう。
最近の散歩には、猫のチビクマは途中から帰る知恵をつけたとみえ、いなくなってしまう。
9時ごろ、下弦の月が西空にポカーーーとある。
 


MY-TIBET ラマ寺院内を描く

2009-11-06 09:09:23 | 創作活動
チベットの話になりますと、どうも感情的になりすぎてしまう嫌いがあります。
私は70年代からチベットの仏画に興味を持ち、ヒマラヤの寒村に点在する、または点在した廃寺を訪ね歩いていました。
当時はチベットに個人的な旅の許可が下りず、必然的にヒマラヤ山中の国境地帯の村々の古い壁画を観てきたわけです。

風雪に崩れ落ちていたり、氷漬けになっている極彩色の曼荼羅。重い扉をこじ開けると、男神女神が抱きあう、通常の仏画の観念からかけ離れたヤブユムの画面。
今までに何度か描いてきましたが、久しぶりに本格的にチベット仏画の模写に挑戦したくなったのです。
写真は我が家の土蔵に描いたもので、しばらくのあいだ名所的な話題になりましたが、残念ながら3年前に土蔵が崩壊してしまいました。
七五三の祝いーこの子達も、ステキナ大人になりました

5--MY TIBET ラマ寺院内を描く

2009-11-05 08:10:54 | 創作活動
チベットと聞くとパッと思い浮かぶのは、極彩色のすざましいエネルギーを放つ佛画ではなく、壮大なラマ寺院(ゴンパ)でもなく、どこまでも透明な空でもないのです。
1993年5月に首都ラサで目撃したことです。
地に臥し立ち上がる。繰り返し繰り返し、身の丈だけ進む五体投地の祈り。手足はもちろんだが、鼻の頭やオデコにタコをつくっている老若男女。
「オンマニペメフム」と唱え、至福の喜びにみちた人たちだ。
其のすぐわきを、中国軍のトラックが物凄い砂塵をまきちらし、棒寂無尽にしっきりなしに走り抜けていった。私は無性に腹が立ち、怒りの涙が出たことを思い出してしまう。
昨日までチベッタンの居住区に一杯飲みに行ったのに、路地路地には銃を水平にかまえた兵士で封鎖されてしまった。(この時同行したイギリス人によって世界に報じられた)
そして、「あなたの安全のためです」と慇懃に言われ、ホテルからでることを禁止されてしまった。そして・・・外人は強制的にラサから退去命令を受けたのだった。
そうです。私はチベットとなると、このときの感情そのままになってしまうのです。
製作の「MY TIBET--ラマ寺院内を描く」も、このときの怒りがべースにあり、チベットは断じて漢民族の地ではないと訴えたいのです。

4--MY TIBET ラマ寺院内を描く、に寄せて

2009-11-04 15:33:13 | 創作活動
来春5日から松本市美術館で発表する作品MY TIBET ラマ寺院内を描くに寄せてのコメントでしたがチョット浮気記事を投稿していました。
その気がございましたら、3-4日まえをお読みください。
ネパールからヒマラヤを越えてゆく陸路は<決して楽しいコースではない。
楽しいどころか交通手段もままならず、、かなりシンドイ道のりであることは十二分に承知していた。なぜそれまでして陸路でチベットに旅をしたかったか、訳があった。
私は70年代後半から、ヒマラヤの寒村にあるチベット寺院(ラマ・ゴンパ)の壁画などを調査していた。特に古い宗派の壁画に興味があった。
チベットからの難民に行き会うたびに、文化大革命によるゴンパの想像を絶する破壊を聞かされた。
なんとしてもその実情を観たい。できれば、中国政府がひた隠していた少数民族への弾圧の様を世界に暴きたい、と言う野心もあった。
そんな思いは私ばかりでなく、世界各地の人たちが機をうかがっていたのである。
中には国禁を犯してまで忍び込み、世界に報道した者もいた。

あれから30年近い昔になったが、残念ながら、今もって陸路からのチベットへの旅は果たせないでいる。
もしかしたら、今はネパール・ラサ間の定期バスがあるのかもしれないが、私の方が体にガタがきてしまった。


初雪・初氷

2009-11-04 09:23:40 | 山郷の暮し
花の谷はすっかり枯葉色になってしまった。

文化の日の昨日の朝は、うっすらと初雪が冠り、水溜りは1ミリに満たない初氷でした。
今朝は昨日よりも冷え、氷は1ミリ以上はありましたが、空は透明で天気予報のとおり気温もあがってくれることでしょう。
いつもの散歩コースからは、アルプスの一部の常念岳しか見えませんが、完全な冬服をまとった姿に成っています。
といっても、まだ根雪になるわけではないと思いますが、暖かな方が暮らしにはらくですね。
絶滅危惧種がまたまた追加されてしまいました。
ぜひ登ってみたいと思っていたキリマンジャロの雪渓も、このままですと20年後には消えてしまうとか。
地球温暖化を思うと「あったケーーのはいいなー」なんていっていられませんね。

激変する天気

2009-11-03 09:35:09 | 山郷の暮し
昨日の夕刻からの雨はみぞれになり、道路標識には赤字で「注意-三才山方面雪」とありました。
一日などはフェーン現象で、上着など脱ぎすてたほどだっただけに、一気に冷え込んだ天候に体がついていかない。
寒気の流れ込みで天気予報ではパッとしないようですが、今のところ強い日差しがあり、ふんわりと冠った雪はたちまち消えてしまった。
指先が少し冷たいが、白い息を吐きお日様を浴びながらコーヒーを飲む。
周囲の紅葉は今ひとつ冴えない色ですが、この寒暖の差でいい色になってくれるでしょう。

賢犬サクラはごきげん。猫のチビクマは早々に帰ってしまった。

 

酒抜き宴会

2009-11-02 10:14:55 | 山郷の暮し
宴会といえば酒、酒と言えば宴会ではないが・・・。
運転者の飲酒は絶対にしてはならないのはアタリマエだが、正直、罰則が厳しくなる以前はヨクヨク飲酒運転をしました。
新そば宴会は車でいったので、ドーーゼン酒類は口にしませんが、ただ今はやりのモドキものをチビチビ。
「いくらこういう飲み物だと思っても、あきてしまいますねー。蕎麦には日本酒が一番」と、面前の大吟醸の一升瓶をみながら恨めしく言う。
「まったく・・・。娘に運転をしてもらえばよかった」と、ビールもどきをもてあましながら飲んでいる、ノンベートーチャンがつぶやく・・・・。

新そば宴会

2009-11-01 08:37:03 | 山郷の暮し
夜中にザーーと大雨が降っているような音が響く。ときおりトサッ!と大きな音に大風が枯葉を吹き飛ばしていると知れる。
今も風はいくぶん残り、生暖かい空気が枯葉団子を作ったり、壊したりしている。
昨日は友の宅で新そば宴会であった。
大町市のそば粉をブレンドしたものと言うことで、本物の新そばを食べることが出来た。
つゆは煮干を丁重に下ごしらえをしたもので、久しぶりに味わったつゆだった。
煮干つゆの味の強さは新そばのウマミに勝ってしまったきらいはあったが、蕎麦湯とのミックスは抜群の美味さだった。
正直あれほどの蕎麦湯を飲んだ記憶がないほどだった。
こだわりをもった男の料理は、また味わいのあるものでした。
今日はよく行く浅間温泉で「新そば祭り」があり、ここは規模が小さいだけに確かな蕎麦が食べられる。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本