黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? NO.10

2021-06-29 | 日記
 3人とペータースとの対話は4時間に及んだ。
        
     料理は手つかずのまますっかり冷めてしまった。

「しかし、とんでもない話を聞かされたもんだな。
 あのリボルバーが、ファン・ゴッホじゃなくて、ゴーギャン
 関係しているものだったとは・・・」
            

                             
                                  (こんな感じかな?…)

ポプラ並木の乾いた路上に広がる緑陰の中を歩きながら…つぶやいた。

ゴッホも描いているよ。
  「秋のポプラ並木」
        
           
           
しばらく行くと並木が途絶えて、ぱっと視界が開けた。
小径は麦畑の間を通ってその先にある森へと続いている。

ここでゴッホがこの地(オーヴェール)で「麦畑」を多く描いています。
 その中から少しご紹介しますね。
         

         

           

         
     
       
 三人は立ち止まって、並木の出口にすらりと立っている一本の樹木へと
近寄って行った。

「この樹の根元を堀り返したら、あのリボルバーが出てきたってわけか…
 錆びつていたとはいえ、物騒な話だな」

「さらにリボルバーのありかを教えたとかいう、ゴーギャンの孫『X』
 実在の人物だったとして…なぜ使い物にならない拳銃がこんなところに
 埋められているのを知っていたんですかね

冴は、ペータースの話を反芻した。
サラが親しくしていた「X」は、病に倒れて療養中だったが、自分は
もう長くないからと、あるときサラに「四つ秘密」を打ち明けた。

一つ。 自分の祖父は、ポール・ゴーギャンである。
二つ。 ゴーギャンがその妻=「X」の祖母にリボルバーを遺した。
    その祖母はその娘=「X」の母にそれを遺し、母は「X」にまたそれを遺した。
    つまり、リボルバーは三代の母娘の手を渡ってきた。
三つ。 リボルバーはゴッホにまつわる貴重なものである。
四つ。 祖母から伝えられてきた「誰も知らない歴史上の真実」それを長い間多くの
    人々に信じられてきた「史実」を変えてしまうかもしれないものであり、
    たったひとりだけに口伝されなければならない。

  「四つの秘密」を告白したうえで、「X」はリボルバーのありかをサラに教えた。
 そして、リボルバーをどうするか。「真実」を誰に口伝するかは委ねる。ーーー
 と、言い遺して息を引き取った。

冴は、この四つの秘密を即座に信用するわけにはいかない。
史実とは、異なる点がいくつかあるからだ。

「X」がゴーギャンと何らかの関係を持っている~という仮説を前提に
して考察してみると、少なくとも二つの矛盾が浮かび上がってくる。

一つ。 妻のメットはゴーギャンから譲り受けた作品や美術コレクション
    のほんとんどを売却しており、作品以外のものーを
    「受け継いだ」というのは考えにくい。

二つ。 5人の子供がいたが、たった一人の女の子は早逝している。
     つまり、「X]が言う、「祖母から娘」口伝されたという、
     その娘は存在しない。

 また、「X」とサラがどんな関係かは分からないが、まるで、一子相伝
のような「たったひとりのみに口伝すべし」という「真実」を、
他人のサラになぜ伝える気になったのか‥‥」

    サラ・ジラール。 いったい、彼女は何者なのか?

 余談ですが・・・
 ゴーギャンがタヒチに行っているときに、娘の訃報を受けた…
 絶望のあまりヒ素をあおって自殺を図ったが未遂に終わる。
  その直前に、あの傑作

   <我々はどこから来たのか? 我々は何者なのか?
       我々はどこへ行くのか?>を


 
 人生のどん底に落ちた状態で描き上げたことはあまりにも有名だ。


 サラのことについて…
ペータース曰く、サラは熱心なゴッホの信望者である。
画家としてゴッホの作品を追いかけ続け、オーヴェールという地に
こだわって創作を続けてきた。
この地に、ゴッホの作品が一点も残されていない~
そのことを嘆いていた。
 想像するに、「ゴッホのオーヴェール時代の作品を購入して、
彼が引き取った部屋の壁に展示する」というペータースの悲願を
最初に聞かされたとき、
サラはすぐに協力を申し出た。
自分は独身、自分に万一のことがあれば、所有しているコレクション、
自分の作品を売却してそのすべてを「スティチュート・ファン・ゴッホ」に
寄贈する。
     彼女の申し出は具体的で誠実なものだった。

    ペータースはこの提案をありがたく受け入れた。

「ゴーギャンのリボルバー」と呼ばれていた
それを近々オークションハウスに持ち込むと、サラから聞かされていた。

 だから、こうして冴からの連絡があったとき、ついにその時が来た
のだと理解した。
            
 
 まさか、「ゴッホが自殺に使ったピストルだ」と言って持ち込むとは、
想像もしなかった…とペータース。

 三人が「ラブ―亭」を後にするとき、見送りがてら、~


       
 
ペータースは
「オークションの期日が決まったら教えてください。
 私も会場へ馳せ参じます。
  あのリボルバーが史上最高価格で落札される瞬間を、
 ぜひともこの目で見たいので。」 

「実際どうなんだ、
 あのリボルバーは、うちのオークションテーブルに載せたら、
 ファン・ゴッホのタブロー 一点を変えるくらいの高値がつくものかね?」
           (*「タブロー」=絵画において完成作品を指す言葉。)

 ギローに向かって訊いた~   
  冴は、ため息をついて言った    「まさか、無理ですよ」
 
その通りだ。
もし、サラが持ち込んだのが錆びついたリボルバーなどでなく、
ポール・ゴーギャンの作品だったら。
ゴッホのオーヴェール時代に匹敵する金額で落札され、オークション会場を賑わすことだろう。・・・・妄想ばかりたくましくしてもどうにもならない。
 サラから預かっているのは、謎めくばかりの錆びついたリボルバーなのだから。

「後学のために教えてほしいんだが~
  、君が研究しているファン・ゴッホとゴーギャンの関係っていうのは、
  単なる友人同士だったのか、それとも…
  ほんとうのところ、どういうものだったんだ?」 と、ギローが訊いてきた。
   
      

       

 、「一言では言えませんが、特殊な関係だったと思います」

「ゴッホとゴーギャン」と「対」にされることも多いふたりの画家は、
 生まれも、生い立ちも、生き方も、性格も、絵に対する考え方も、
 作品そのものも、何もかもが違っていた。

    それなのに、二人はどこかしら似通っているところがある。
 
            なぜなのか~。

それでは、いよいよ、「ポール・ゴーギャン」について少し時間をかけて

     その正体(史実に沿って)を覗いてみましょう~。

 

ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? NO.9

2021-06-28 | 日記
 ゴーギャンの子孫
 ゴーギャンは、株の仲買人をしていた25歳の時に、デンマーク人の妻、
 メット=ソフィー・ガットと結婚し、5人の子供をもうけた。

                           
                                    (ゴーギャン夫人)

  長女、次男は短命で、父よりも先に亡くなった。
 他の3人の男の子たちは、20世紀半ばまで存命していた。

 そうそう~
  「ポールゴーギャンの子孫…ということでした」

冴は息をのんだ。 ーーーどうゆうこと?

     これからの展開に重要なことなんです。

結婚後、やがて仲買人を辞め、画家として生きていく覚悟をする。
 安定した生活を捨てて絵筆を選んだゴーギャンを妻のメットは
 理解できず、結婚11年後に子供たちを連れて故郷コペンハーゲンへ
 帰ったしまった。以後、家族が一緒に暮らすことはなかった。
       (離婚はしないが、復縁もない)

 余談ですが~妻メットは、手元にあったゴーギャンの作品や、夫が
集めていた まだ売れる前の印象派の画家たちのコレクションを、
コペンハーゲンの蒐集家や画商に早々に売り払ってしまった

 現在、ゴーギャンの初期の代表的な作品や印象派・後期印象派の
優れた作品がまとまった数でコペンハーゲンの美術館に収まっているのは、
「妻メットの仕業?」によるものなんです。 
 今となっては貢献と言われるべきか?・・・

この本の物語とは、離れますが~
 折角なので、もう少し寄り道します…

今回は、ゴッホ・ゴーギャンの作品巡りの旅でもあるんですからね、
 御両人の、作品をゆっくりこの機会に鑑賞してほしいという
私の願いもありますので…。
ご承知ください。

 「コペンハーゲン」という国
まぁ、美術愛好家でも、なかなかここまでは足を延ばすのは大変
フランスやスペイン、イギリス、オランダ等々
有名作品を追いかけるだけでも 時間がなくて・・・と
ぼやく御仁が多いのでは。

そこで、このゴーギャンの初期作品の(妻、メットが売り払った)
一部をご覧ください。

その中のひとつ。
「ニイ、カールスベルグ・グリプトテク美術館」にゴーギャンの作品を
見つけました。
                         

ゴーギャンの初期の作品から

「ルー・カーセルの庭にいる画家の家族」

       

「ルー・カーセルの雪景色」

       
       
「海岸ー1」

          

「木靴を履いたブルターニュの少年」

       

「ディエップの海岸」

       

 如何ですか?
 う~ん、普段見ている「ゴーギャン」の作品のおもむきとは、
 やっぱり違う感じ? 
 タヒチ時代の絵とは…別物って。
 画家も、「初期」と「後期」では、本当に変化するものなのですね。

この物語の続きを~

だが、彼ら(残された子供たちに)子供がいたら、つまりゴーギャンの子孫がいまなお存在していたとしたら、どうだろうか。
            
 ゴッホと同様、いまや、「歴史上著名人」となったゴーギャン
血のつながりがあることを、その人はどう感じているだろうか。

 でも、本当にゴーギャンの子孫が存在している、というのは
真実なのだろうか?

冴は、そこまで調査の手が回っていなかった。
それでも、ゴーギャンの子孫は絶対にいないとは現時点で断言できない。

まずは、ペータースの話を全て聞いてから
 内容の信憑性を判断するしかない。

ペータースの話は続く~
「サラは、その人ととても親しい間柄であった。
 今年の初めに、病気になり、自分はもう長くないから…
  「打ち明けたいことがある」 どうか聞いてほしい  と。

病床で~消えゆく命の灯火をどうにか保ちながら、サラに告白した。
 そして、その後、息を引き取ったと…。

すると、「それ」が…つまり、
  錆びついたリボルバーが出てきた…ということなんですね?
         
 「ええ」ペータースは短く返事した。

冴は、続けて質問した。
 「あのリボルバーがゴッホにまつわる貴重なものだと教わった
  そうですが、なぜ貴重なのか、
                     その理由を教えてもらいましたか?

 「いいえ」 
サラが言うには、リボルバーにまつわる
史実を変えてしまうような、信じがたい真実」を聞かされたそうです。


その「真実」は、母から娘へと口伝せよと、‥‥
 『X』の母にあたるゴーギャンの妻が、もともとそう決めて、
  三代にわたって伝えられたということです。

冴は、ゴーギャンのクロニカルを…頭の中で~
     「あり得ない」 きっぱりと否定した。
続いて~妻のメットは、離婚はしない、復縁についても無視。
夫(ゴーギャン)が最後に孤独のうちに死んでしまってからも知らんぷり
だったそうです。 それが、私たち研究者の知っている「史実」です。
 そのメットが『決して口外してはならない・誰も知らない歴史上の真実』
を、娘に口伝するなんてあり得ない…』

 *ゴーギャンとメットの子供は5人、娘は一人だけ
  長女のメアリーは、
  ゴーギャンがタヒチに滞在している間に、肺炎で死んでしまった

 ・・・噓を言っている。 サラか、『X』か、あるいはペータースか。

  「サラの聞き間違い?」 それともあなたの? とペータースに。

ペータース「そうかもしれません。私の聞き間違いかも~」

 冴が、言う。
「私が、知りたい、もう一つ別なこと
 マダム・サラが、あなたに『ゴーギャンのリボルバー』の存在について
打ち明けたのは、いったいなぜですか?

 「・・・・・」
それから、はっきりした声で答えた。
「サラは、私のインスティチュートを助けたい。
   そう言ってくれました」
サラは、
「このリボルバーは、ファン・ゴッホにまつわる貴重なリボルバーなの。
 オークションにかけて、史上最高の落札価格で売却したいと考えているのよ。
 そのお金で、私は、あなたの夢を実現させたい。
 リボルバーを売却して得た金で、ゴッホがオーヴェールで描いた絵を買い戻す。
 そしてそれを、ゴッホ終焉の部屋に飾る。
  たった1枚でもいい、いまではアクリル板でおおわれ、ゴッホが死の直前に
 描いたタブローが還って来るのを待ちわびている壁に。
 それこそが、サラ自身の夢・・・だったのだ。  

      

コロナを克服? 2回目終了

2021-06-24 | 日記
 ああ、長かった!
 コロナ予防接種までのの終了までの時間・・・・。
         

最初の予約時は、終日、電話やネットでの予約も功を通さず?
2回目の予約開始日も、開始時間と同時の動作も、なんと
  不幸な~ 何十回目も、繋がらない…何だこりゃ!
  まぁ、それでもと、繰り返すが…とうとう、諦めて・・・
「役場」の指示待ち日程の応募はがきに切り替えて
 投函しました。

  友に電話で~「どうだった 予約できた?
 
 「うん、運がよかったねぇ~、休憩を入れて、その次に運よくね
   予約できたよ~」 だって、 やっぱり「運」だね、これは。
 もう一人の友に聞いたら~「駄目だったよ、何十回かけても
   、しょうがないから、ハガキで申し込んだよ…」

予防接種の日程を確保するだけで…もう、大騒ぎの世の中。
     「悲喜こもごも」ですね。

まぁ、遅かれ早けれ…順番は、大丈夫ってことだから」と。

そして、第1回目 
 会場へ…その日の時間は午後7:30から
 あいにくの大雨!
 足元の靴は履き替え、濡れた傘も持ち込みと~
 会場の「総合体育館」内へ。

待機場所は、体育館講堂の横の廊下で・・・
  時間まで…約30分くらいは待ったかな。
       

  町からの、書類は、事前に内容確認し、必要事項を記入の上
会場に。     
        
 
        

        

        

  順番が来ました。
最初は、 「書類のチェック」 ~ 「問診」
            

 会場の、指定場所には、スタッフさんが、動きも素早く、手際良く
誘導、案内していただけました。
 「本当にご苦労様です」
         
 会場 (総合体育館全部を使って、広々と、導線も しっかりと)
 も、整然としつらえており、誘導の声で 私たちの動きも
  スムーズに進行していきました。
 

  注射も、あっという間? 
「はい、終わりましたよ」の先生の声。
          

 その後は、しばらく様子を見てから、「お帰り下さい」との案内。

  椅子も、用意され~約15分ほど待機。
           

   無事、終了。

2回目、が、本日、 6月24日(木)
  同じ時間で同じ場所。
         
  
             

  1回目と同じ要領で、スムースに運びました。
        2回目の注射も…
        「証明書」も
        
   
    
  今日は、19:30予約
 前より少し早めの到着で、整理番号は、1,2番で着席、待機。
 
注射後の様子は?  「19:42分まで、待機して何事もなければ
              お帰り下さい」と案内係から

 まだ、外は、明るい~ よかった。
    安全運転で帰宅。

  すぐに、今回の「コロナ予防接種」状況の ブログアップです。

 まだこれからの方、「苅田町」総合会館では、このような段取りで
 関係者の皆さん総力で頑張っておられます。
        「ありがとうございました」
  今晩、少し熱が出るのかなぁ~
     まぁ、これも、「運」に任せるしか、ないのかもねぇ~。

  

一息入れますね

2021-06-22 | 日記
 連載「ゴッホはほんとうにピストル…」ばかりのブログ
で少々疲れました。 ここでしばらく休憩とします。

  庭の手入れもこの暑さ続きで、早朝出勤?か、夕方に絞り
少しづつの作業です。

 今の時節は、草も、樹の枝、葉の繁りも早く、あれよあれよ~です。

 「シマトネリコ」「蘇鉄」「レモン」「エゴノキ」「サルスベリ」
 「デュランタ」「ニセアカシア」…あるある、
程よい、枝の調整を鋏を使っての作業も大仕事なんです。

 もちろん併せて、雑草刈も、今年は、今までのエンジン式から
軽くて使いやすい、マキタの「充電式」機械を買っちゃいました…。
 もう一つ、追加して、「チェンソー」も。

コロナで何かと騒がしい世間ですが、
時間を見つけては、「読書」で頭の体操を。
 「リボルバー」
 「黒牢城」
 「もっこすの城」
 「銀閣の人」
  と、賑やかに、アートや歴史の中での時間を楽しんでいます。
  
「運動」は、自宅の庭仕事で汗をかいて体力温存を。
 まぁ、人ごみの中とは、別世界の日々ですが、
 80歳まじかの私にとっては最良の場所ですね。

 今年は、庭の「花」は、全般によく咲いているような印象ですね。
 花付きも良し、花の色艶もいいのは、何故なんでしょうかね?

 今、盛んなのが~「ルドベキア」という
  ヒマワリに似た 華やかで、群れているのが強烈です。

 ちょうど今、ブログでゴッホを掲載していますが…
   「オーヴェール=シュル=オワーズ」? の村の雰囲気が
 我が家の庭に~と、思いながら



 この花とは対照的に、静かに、おしとやかに、清楚な雰囲気の
 「アガパンサス」も満開です。



  すらると伸びた 茎の青さは ハッとします。
 線香花火の先っちょを思わせる花弁は、うす紫が花の品格に。
 
  両隣の家にも おすそわけして花瓶に活けてもらいました。

 さらに、うれしいことに、今年は、可憐で 儚い花
     「桔梗」が、しっかり咲いてくれました。

  落ち着きますね~ これこそ、「日本」の花ですよ。
  今の季節かな? 咲くのは…

  もう少し、秋近くの方が なお風情があるのだが~

 そういえば、「秋の七草」がありますね。
  「春の七草」は、食す花。
 「秋の七草」は花を楽しむ~


  
  まず「キキヨウ(桔梗)」
  「ハギ(萩)」         「クズ」(葛花)」
       

 「フジバカマ(藤袴)」      「オミナエシ(女郎花)」
            

  「ナデシコ(撫子)」      「ススキ(薄・芒)オバナ(尾花)」
              

 以前は、近くの田んぼ畦道や、里山付近を散歩してい居れば
  み~んな見つかったのに…今ではなかなかね。

     そうそう~ 「フジバカマ」
  ほら、あの綺麗な蝶々が舞う・・・
   

       「アサギマダラ」が… この周辺だと
 苅田町 等覚寺方面(等覚寺応援団が育てたフジバカマ花壇)や、 
 以前、二先地区 天神池のほとりでも 見かけたんだがなぁ~

  コロナも、オリンピック騒動も終わって・・・
 そして、「フジバカマ」と「アサギマダラ」と 

      静かな秋のひとときを過ごしたいものですね。

 

ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? NO.8

2021-06-21 | 日記
 さぁ~いよいよ「原田マハ アート小説ミステリー」の本格的始まりです。
 「真実」「想像」巧みに織り交ぜながらの物語仕立てですから、読者も
 深みにはまることなく?「史実」の確認をしながらね。
 

 「ゴッホ美術館の研究者も、何度かこちらへ調査に来て、同じことを
訊かれましたが…残念ながら、私が買い取ったときには、食堂の壁には
古ぼけたポススターが貼ってあるくらいでしたよ」

冴は、重ねて訊いてみた。
 「それとは違う、もうひとつのリボルバーについては?」

ペータースは冴を見た。
 窪んだ眼孔の奥の瞳がきらりと光ったように見えた

 ・・・ちょうどそこへ、注文の料理が運ばれてきた…。
         

 ギローはナイフとフォークをテーブルの上に戻すと~

 「すみませんが、ムッシュ・ペータース。
    さっきの冴の質問の答えは・・・?」と。

ペータースは、思い切ったように言った。
 「もうひとつのリボルバー…というのは、ひょっとすると
   サラが持っている『ゴーギャンのリボルバー』のこと…
  でしょうか」
            
 席にいた三人、突然飛び出してきた単語に…意外すぎて
 どう反応すればいいのかわからない。

 三人のぽかんとした顔をみつめて、ペータースはもう一度、言った。
  「サラ・ジラール。画家の」

 そう! そうなんです、サラをご存じなんですか?」

 「ええ、よく知っていますよ。長い付き合いです。
  彼女はこの店の常連ですからね。
  しょっちゅう来て、このテーブルで食事をしていますよ」
              ペータースは落ち着き払って答えた。

「じゃあ、マダム・サラが…ラヴー亭の初代オーナーが所有していた
 ものとは別の「もうひとつのリボルバー」を持っていたことも、
 最初からご存じだったのですか?」と、 フィリップが問いかけた。

 ペータースは、ややあって、
「いや…あれについて私が知ったのは、ごく最近です」と、
     心なしか声を潜めて答えた。
 
「ファン・ゴッホのリボルバー」ではなく、『ゴーギャン』の?
 重ねて冴が訊くと、

「ええ、その通りです」 どこかしら観念したように、
            ペータースが答えた。

 「オワーズ川沿いにポプラ並木の小径があるんですが、その小径が
   途切れるところに立っている木の根元を、ある人物に言われた
  通りに掘り返すと、出てきたんだそうです」

  「ある人物・・・?
  「どういう人物ですか?」  

  「ポール・ゴーギャンの子孫---ということでした」

  冴は息をのんだ。---どういうこと?


 オワーズ川 (画家ピサロが描いた風景)   

                     *当時のオワーズ川沿い

 ゴッホも描いていた「オワーズ川の岸辺 オーヴェールにて」



 冴は、素早く頭の中で・・・
 ゴーギャンクロニクル(年代記)を繙いた。
 

 そう、明日から、「ゴーギャン」についてのことを…。



ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? NO.7

2021-06-20 | 日記
 「ラヴー亭」は、オーヴェール=シュル=オワーズの村役場と道を挟んで向かい合わせに立っていた。
    

            *もう一度、村の地図を記憶に入れておいてください。

  ゴッホが描いた「村役場」
      

 
  現在の町役場(村役場)
   ゴッホの描いた絵のパネルが役場前に~       

 
 役場の向かいにある 現在の「ラヴー亭」
  
      Maison de Van Gogh(ゴッホの家)
   クリーム色の壁に黒っぽい屋根、
   店の正面は 落ち着いた赤、窓には白いレースのカーテンがかかっている。
 いまや世界中から観光客が訪れる超有名店。  
        
 
  一部屋がゴッホが住んでいたころに近い形で復元され
一般公開されている。

 これは19世紀当時のラヴー亭と従業員
           
  
  復元されたゴッホの部屋(階段から中を) 
       
      
現在、この場所を運営している「インスティチュート・ファン・ゴッホ」
の代表リアム・ペータースに「自分のオークション会社にゴッホ関連の歴史的資料が持ち込まれた、それに関する信憑性を調査しているので、ぜひとも協力願いたいと・・・秘書(アメリ・ロワナー)を通じて伝えていた。

三人は、秘書ロワナーと握手を交わし~
 ロワナ「あいにく、ムッシュウ、ペータースは外出していまして…
まずは、「ゴッホの部屋」をご見学ください。
そのあと、よろしければ、そちらで私がお話を伺います。

階段を上っていくツアー客に付いて行った…

ギローはここは初めて~
部屋の真ん中に立つと、
これは…」と何か言いかけて、絶句してしまった。

     部屋は信じがたいほど狭いので一度に案内できるのは7、8名が限度。
       (室内は撮影禁止なので~絵ハガキから 内部を)。
   
      

 いまでは世界中で愛される画家となったゴッホ
 そのゴッホが最期を迎えた部屋が、こんなにもちっぽけで、
       貧相で侘しい場所だったとは‥‥。

  部屋の壁に掛けている裏返しのカンヴァスをみつめ、
   その上に張り付けてある文章に・・・・

  「いつの日か、僕の古典をどこかのカフェで開催する。その方法を
    見付けられるはずだ」
     フィンセントからテオの手紙…だ、そうです。

 *現在「ゴッホの手紙」が903通残っています。
弟テオ宛が一番多く、他には、画家仲間 ベルナール、ゴーギャンなど。
  丁寧な絵入りの手紙が多かった・・
  自分の絵についての話、そして、画家仲間には、共同生活の誘いなども
  そして、テオ宛には感謝の気持ちと、生活費の送金願いも多かった・・・

                     

                 
                     

                       
 
             
              


「せつないなぁ」 ギローは頭を左右に振った。 「実に切ない」

冴は、小さくため息をついて言った。
「皮肉にも、フィンセントが亡くなってすぐ、
    彼の夢は実現したんですよ」・・・
「そう、告別式の場が、フィンセントの初個展の会場になったんです」

 生きているあいだに個展を開く夢をかなえられなかった兄を不憫に思った
のだろうか、臨終に立ち会った弟テオが急遽、ラヴ―亭の二階に描き溜めて
いた作品の一切を飾り付けた。晩年の傑作の数々~
 <ドービニーの庭> <カラスの飛ぶ麦畑> <薔薇> 

          

 <医師ガシュの肖像>  <オーヴェル=シュル=オワーズの教会>
             

              が、壁を、棺の周りを埋め尽くした。

  そしてそれらはのほとんどは、形見分けと、テオが列席した
 兄の友人たち、世話になった知人たちに手渡したのだという。

*個人的な意見!  おお、もったいない…ごめんなさい。
 これが一堂に会して、「村」に保存・保管されていれば、今頃、この村全体が
 「ゴッホ美術館」になっていたのになぁ~…。


その後、ゴッホの部屋を出て ビストロ・ラヴー亭のテーブルに着き、
給仕係のお薦めのメニューを注文した。

       
  
 グラスワインがテーブルに並べられたタイミングで、

 やって来たのは、秘書のアメリアではなく、細見で白髪の男性
 代表のリアム・ぺータースだった。
  3人は驚いて、あわてて腰を上げ、それぞれに握手を交わした。
 「今日はお出かけだと…」

 「いやいや、たいした用事ではなかったので…」
   
  肉の煮込み料理を注文されましたか。うまいんですよ。
      
                 イメージ写真です。
 
 「皆さん、こちらは何度目かのお越しですか?」
 
 フィリップが、ギローと私は初めてです。

 冴は、フィンセント・ファン・ゴッホとポール・ゴーギャンの研究者
 でもあるので、調査の為に何度か来たとかで」

ペータース
「そうですか、フィンセントとポールの…」と目を細めて。
「ファン・ゴッホを愛する方なら誰であれ、当方への訪問を歓迎します。
 が、ファン・ゴッホトゴーギャンの研究者ならなおさらです。
私たちがお役に立つことがあれば、なんなりと協力しましょう」

一点、お伺いしたいことが…
 「なんでしょうか?」

こちらの団体は、1987年に、ファン・ゴッホの終焉の部屋を保存・公開 することを目的として立ち上げられたということですが、きっかけは
なんだったんでしょうか。」

 「私の個人的な体験がきっかけで始まったのです」 と、
    ペータースは30年ほどまえの自身の体験談語り始めた。

 まとめますと、「彼が37歳の夏、オーヴェルの町で自動車事故に遭う。
 正面衝突で、丸一週間、意識不明、目が覚めた彼に向かって
 ドクターが言った。奇跡だ!

退院後すぐに、事故現場に向かった。そこはクリーム色の壁、あの食堂の前の道だった。ドアーを開けて中へ入ってみると、恰幅のいい店の主人が
「ああ、旦那、生きて帰ってきたんだね、あんた! よかった、よかった」
ペータースの両手を握って激しく上下に振りながら、大粒の涙を流したの
だった。
聞けば、百年近く続くそのビストロ「ラヴー亭」は、
とある出来事」のせいで、何度もオーナーチェンジをし、
彼が十五人目の店主だとのこと。
その「とある出来事」のために、ラヴー亭には「お金を落としてくれない客」がひきも切らずにやって来て、儲からないのにいつも忙しい思いを
させられている。そこへきて店の真ん前で「死亡事故」が起こった。
いっそうまともな客が寄り付かなくなり、この先どうしたものかと途方に
暮れていた‥‥。
 その「お金を落としてくれない客」とは、
 世界中の美術史研究者や美術愛好者だった。

そのとき、ペータースは初めて知った。
 自分が九死に一生を得たその場所は、あのフィンセント・ファン・ゴッホが
 命を落とした場所。
 そして事故が起きた日は、ゴッホの命日、7月29日であり、
 ゴッホはペータースと同い年、37歳でこの世を去ったのだと。

   驚くべき告白に、冴は体の芯が痺れるほどの感動を覚えた
 
 死して百年経ってからなお、こんなふうにひとりの人生をまったく変えて   しまうほどの力がゴッホにはあるのだ。

 「ところで、ムッシュ・ペータース。私からもお尋ねしたいのですが」
   あなたがこの店を買い取ったとき、壁に使えなくなった拳銃が・・・
  古ぼけたリボルバーが飾ってありませんでしたか?」

  ペータースは、目を瞬かせた。
   「リボルバー?」

   「ファン・ゴッホが自殺に使った・・・とかいう拳銃ですか?」

   「そう、それ。それです。赤く錆びついた、何の役に立たない
    鉄くずみたいな、あれです」
        
      
  ペータースは苦笑した。
 


ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? NO.6

2021-06-19 | 日記
 NO.4の終わりに~
    じゃあ、この錆びついたリボルバーは、いったい 何なのだ?

 この言葉の意味は
ファン・ゴッホ美術館のキュレーター・アデルホイダの言葉
 「これは、違う。当館の展覧会に出展されたものじゃないわ

その後、冴たち3人
(オークション会社「キャビネ・ド・キュリオジテ CDC)の
  ギローと、ジャン・フィリップ)は、週末、ギローの車で

 パリ郊外の村、オーヴェール=シュル=オワーズに向かった。
この小さくて素朴な村は、十九世紀の画家たちドービニーを始め、
                     
*ゴッホはドービニーに憧れていましたが、最期まで本人に会うことが
 なかったが、敬愛を込めて居所の家の庭を描いた。

   <ドビーニーの庭> 
     
   
   *この絵は、二つのヴァージョンがあり、そのうちのひとつは
     縁あって、日本の「ひろしま美術館の常設展示室で見られます)

カミューユ・コロー、カミューユ・ピサロ、ポール・セザンヌなどが滞在し、
          

創作した 「アトリエ村」なのだ。

 もちろん無名の画家たちもこの場所を訪ねた。また画家であり
精神科医ポール・ガシェもこの地に暮らしていた。
ゴッホの最期を見届けたのも彼だった。
    

 
  (ゴッホの描いたガシュ医師)

 ゴッホが最後の二か月余りを過ごす受け皿としての村でもあった。

「ところで冴。 そのゴッホ美術館に出展された『別の』リボルバー
 が壁に飾ってあったといういう食堂は、この近くなんだろう?」

        (ラヴー亭)

「ええ、そうです ここから歩いてほんの五、六分です」
   でも、まずは麦畑に、と思って…」

 ゴッホ美術館のキュレーター、アデルホイダ・エイケンは
 「ゴッホと病」展に出展されたリボルバーについて教えてくれた。

 そのリボルバーが発見されたのは、およそ五十年前のことである。
『 オーヴェール=シュル=オワーズの村内にある畑--どこに位置する畑か
  特定できていない~で、ひとりの農夫が土を耕していた。
  勢いよく鍬を振り下ろした瞬間、ガツンと金属同士がぶつかる音がして、
  刃が何か硬いものに当たった。
  不審に思った農夫が手で土を掘り返してみると、錆びついた一丁の拳銃
  が出てきた。とても使えない代物であることは一目瞭然だったが、農夫は
   律儀に警察に届けた』

 このことで、拳銃のうわさは村人全員が知ることとなった。
 農夫は、私は要りません。
 ずっと昔に自分の父親が持っていた拳銃かも知れません、なんぞと言ってる
 人がおるらしいんで、その人に譲ることにしましょう。
 父親がかっての所有者だった可能性がある~と、発見者に申し出ていたのは、
 ラヴー亭のもと主人、アルチュール=グスターヴ・ラヴーの娘、
 アドリーヌ・ラヴーの関係者だった。

 *(アドリーヌはゴッホの絵のモデルを三度にわたって務めもした。)

    ゴッホが描いたアドリーヌ・ラヴー   
  
   *NO.3で ラヴー亭、ゴッホが過ごした部屋は紹介済みでしたね。

彼が麦畑でピストル自殺を図った…というの伝説化してしまったんです。
研究者の間では、自殺未遂の場所の特定は現時点ではできていません。


ややあって、ぱっと視界が開けた。
 一面の麦畑が目の前に広がっていた~

     

                                                     ( 現地の風景写真)
    ゴッホが描いた<カラスが飛ぶ麦畑> 

 

 吹き抜ける風が畦道から土埃を巻き上げた。
鳥の群れが低く垂れた曇天の空を舞い飛んでいった。
畦道が交差する四つ辻には、ゴッホが自殺未遂を図る数日前に描き上げた
とされる
     「カラスの飛ぶ麦畑」のパネルが据え付けられている。

        

  大勢のグループがその前に集まり、記念撮影をしていた。

ラヴー亭とは、ゴッホが人生最後の十週間を過ごした下宿屋を兼ねた
食堂である。
実はゴッホが自殺に用いたのは、主人のアルチュールが護身用に持っていた
拳銃だったかもしれなかった。
アドリーヌが自分の父親から聞いた話として、当時は無名の貧乏画家で   いまはすっかり有名になった「あの」ゴッホに拳銃を貸してやったんだが、 自殺に使ったあとはもう帰ってこなかった~と、知人に伝えたところ、   その人物が農夫に接触して、元の持ち主に返すべきではないかと諭した   ようだった。


 ラヴー亭は地元民が通う定食屋としてゴッホがやって来る前年の
1889年に開業し、何度もオーナーチェンジを経て、およそ百年後の
1988年、非営利団体「インスティチュート・ファン・ゴッホ」によって
購入された。
 ゴッホ終焉の場所として保存すべきだという気運が高まる中で、     ある篤志家から資材を投じて修復したのだ。
以来、ゴッホの聖地として世界中から多くのゴッホ・ファンが集まる場所
となった。

 では、錆びついたリボルバーはその後、どうなったかというと‥‥・
ファン・ゴッホ美術館は所有者の情報収集を怠ってはいなかった。

 彼女(アデルホイダ)は、はっきりとは言わなかったが、
「ファン・ゴッホの自殺に関りがあるかもしれない」
そのリボルバーは、わが美術館に寄贈されるべきと、狙いを定めている
に違いなかった。
 あるいは、館の予算を使って適正な価格で購入してもいいと考えて
いるのかもしれない。

 ・・・・いずれにしても、冴がもたらした
「オークションハウスにリボルバーが持ち込まれた」という
ニュースに彼女は飛びついた

 その価値って?
「ひまわり」「アイリス」 星月夜」
    
でもない。
骨董的価値も美術的価値もない。 赤く爛れた一丁のリボルバーに

 ・・・・そして結局、それはファン・ゴッホ美術館が展覧会に出展する
ことで権威付けしたリボルバーとは違うものだと判明した。

「で、つまりうちがマダム・サラから預かっているあのリボルバーは
 いったいなんなんだ?

「贋作か? スクラップか? それともアートと呼ぶべきなのか?」

 冴は、こう言う。
「確かに混乱を招く行為だったと思います。だけど、そうまでして、
  あの錆の塊をオークションのテーブルに載せようとしているのは、
 何か強い意識というか、意志というか、意地というか~
 とにかく、彼女の心の中にある何か(懐かしさ、哀しさ、寂しさ
 でも、満たされた気持ちにもなる感情・感傷)…が感じられます。
     少なくと、私には。」
 

  風が麦畑をざわつかせて吹き抜けていった。
彼方に赤茶けた塀が見えていた。
フィンセント・ファン・ゴッホが弟のテオと並んで永遠に眠る墓地
そこにあるのを冴は知っていた。

        
 



ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? NO.5

2021-06-18 | 日記
 今朝から雨が降り続き止みません。
ゴッホの続きをと、パソコンの前に座ったのですが~
電話、来客、宅急便送り、買い物と続く…落ち着く間もない
ちょっと気が削がれてしまいました。

 すいませんね~、今日はこんな画面で 閉めます。

この物語の主人公、フィンセント・ファン・ゴッホは「自画像」を
生涯に40枚近く描いています。

 画家はどうして、自画像を描くのでしょうか?

私も絵を描きます。
 自分を描くことは、技術の習得ですね。
 まず、手っ取り早いです。
 自分の顔を鏡の前でいろいろな表情を試すことができ、モデル代も
いらず、結構魅力ですよ。
 すました顔、怒った顔、おどけた顔、泣き顔、しかめっ面…
「表情の研究?」 そう、感情の表現もできる。
 うまく描けるようになれば…「内面」をも反映させることも。
 「光と影」によってもね。

 腕前を上げるには~自分が一番のモデルかも?
 

 多くの画家のそんな1枚、1枚から 絵の見方をも学ぶこともできます。
そんなゴッホの自画像を選んでみました。
どんな表現なのか
 あなたから見て、それなりに楽しんでみてください。

 現存する最も古いもの(1886年)
   
       

 この「パリ」時代に多くの自画像が描かれた。      
       
 
    1887年(春)   
       

   1887年(夏)
       

   1887年(冬) 背景に日本画(浮世絵)のある自画像
       
  *季節、自分の生活、行動時間の経過とともに~顔の表情も変化…

  1889年(耳切り事件後)
       

       *包帯をしてパイププをくわえた自画像 

 サンレミ滞在時
 画家の頭部はすべて左側(つまり耳が切断されてない側から描いている

       

       

  これは珍しく…髭のない自画像
       彼の自画像の中で最も高い価格がついた1枚です。
       



他の画家が描いたゴッホの肖像

* ジョン・ピーターラッセル
       

*アンリ・ド・トウールーズ・ロートレック
       

*ポール・ゴーギャン
         


次に、ゴッホと共に短い期間ですが一緒に過ごした
   ポール・ゴーギャンの自画像も 併せてご覧ください。

  ポール・ゴーギャン

       
    *自分の描いたテーマの絵を自画像の背景に取り入れている。

        

        

        

  
          ゴーギャン1891年の写真です。 
    なかなかダンディ? ちょっとお洒落もして~
         自画像と比べて 如何ですか?
           


    この二人の顔は、他の画家に比べると、とっても「個性的」
  しかも、男の顔? 精悍さや、逞しさ、それと、なんとなく「寂しさ」も
 あわせもっているような・・・

 「顔」を見れって、言うじゃないですか。
 私たちの日常生活においても、「顔」に現れるんでしょね。
 本人の「心」の動きが・・・。

  今日の私の顔は、きっと、「やる気」のない。
 疲れた老人の顔だろうと思います。

  明日また、元気で、キーを撃つ!  じゃ、よろしく・・・・。

  


ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? NO.4

2021-06-17 | 日記
   世界に衝撃を与えた「ゴッホ他殺説」

 ゴッホは1890年7月27日、ピストル自殺を図ります。
  理由ははっきりせず、その翌日にテオ(ゴッホの弟)が駆け付けて、
息のあるうちに二人は会うことができました。
そして、7月29日の未明にゴッホは息を引き取り、翌日の30日に葬式が
営まれました。
 なぜ自殺してしまったのでしょうか。
ゴッホの死を巡っては諸説あります。

 数年前にアメリカで「ファン・ゴッホの生涯」という評伝が出版され
、新説の「ゴッホ他殺説」が衝撃を与えました。
                                    
 この筆者(スティーヴン・ネイフ、グレゴリー・ホワイト・スミス)
は、*ピューリッツア賞を受賞しています。
         
*(ピューリッツア賞=アメリカ 新聞、雑誌、オンライン上の報道、文学、作曲の
 功績に対して授与される賞。)
            
◆ゴッホの死の謎を全編油絵風のアニメーションで描き、解き明かしていく
 異色のサスペンスドラマ。
 俳優の演じた実写映像をもとに約6万5000枚に及ぶ油絵が描かれ、
  アニメーション化するという手法で作られた。
  
 ブログにもこれからゴッホの描いた絵が次々に登場しますが
 その中の「絵」も数多く、アニメーション化されて、映画のシーン
 になっています。

 肖像画も「動き」、「会話」をするという・・・
  こんな具合です~  
           ゴッホです。
                  
     
       

      ガシュ医師が 郵便配達のローランと会話
       



   また 映画 「アット・エターニティーズ・ゲイト」
          「永遠の門 ゴッホの見た未来」  
     
 現代美術家ジュリアン・シュナーベルが「他殺説」を採用しています。

 

   主演は ウイレム・デフォー 
        
         この映画でベネチアの男優賞受賞 
   
        

        

 *他殺説というのはこうです。
   日頃からゴッホをいじめていた子どもたちが、カラスを脅かす
  為の空砲を持ち出し、半分ジョークでゴッホに突きつけてきました。
  ゴッホも空砲だと思ったから「やれるものならやってみろ」と
  言い返したら,弾が入っていて、思いがけず撃たれたしまった…
   という説です。

原田マハさんは、個人的には、他殺説はないと思ってますと。

ゴッホ財団も他殺説を認めていません。
もちろん本当のところなど誰にもわからないし、仮説を立てる
ことで新しい解釈が広がることがあるのかもしれません。
当時の言葉を、今回は、仮説を立て…「リボルバー」として彼女は
「ゴッホ他殺説?」に挑んだ。  さて、物語は? 

 アムステルダム中央駅に冴が降り立った。
       
 レンガ通りの街並身を車窓に移しながら~ 目の前に広々と
ひらけた芝生の広場があり、オランダが誇る三大美術館が見渡せる。

冴は、パリ大学の学生時代から足繫くこの美術館に通った。
 ファン・ゴッホ美術館
       

 そういえば、現在サザビーズで活躍している小坂莉子とアムステルダム
を訪れた思い出がふいに蘇った。

冴を案内役にふたりはファン・ゴッホ美術館をじっくり見て回った。
 二人は心ゆくまで 時間にも、仕事にも、ノルマにも、
何も追いかけられず、素顔のままで絵に向き合っていた。
 まもなく閉館になるというタイミングで、二人は揃って一枚の絵の
前に足を止めた。

 それは、ゴッホの作品ではなく、ポールゴーギャンが描いた
ゴッホの肖像画ーーー
  <ひまわりを描くフィンセント・ファン・ゴッホ>だった。

   

 1888年、ゴッホはアルルで一人暮らしをしていたが、パリにいる
画家仲間に向けて共同生活をしながら制作をしないかと呼びかけた。
 それにただひとり応えたのがゴーギャンだった。

この絵は、二人が決定的に仲違いする直前に描かれたもので、作品は
弟のテオのもとに納められた。
 アルルでの経済的支援と引き換えに、ゴーギャンはテオに自作を送って
いたのだ。この時期、テオは兄ばかりでなく、ゴーギャンまでも
経済的に支えていた。

冴は、この絵を見ていて~
 心細げな、自信のなさそうな目。堂々としているが、心の奥に
猜疑心を培っているように見えるのは、このあと、ふたりに
悲しい別離が待っているのを私たちが知っているからだろうか。
そんなふうに思っていたら、それまで黙って絵に向き合っていた
莉子が、突然、言った。
    ゴーギャンは、怖かったのかもね。

不意を突かれて、冴は思わず訊き返した。
    ーーー怖かった? 何が?

だから、ゴッホのことが。なんかこのままだと食われちゃうというか
…ゴーギャンは、生きいきしてるゴッホを描いて、それをテオに送って
安心させてやろうって気持ちもあったかもしれないけど、同時に、
君の兄さんはとんでもないやつだよって、
絵を通して言いたかったのかも。

どきりとした。
 莉子が何気なく口にした感想は的を得ていた
まさに、冴は修士論文で、絵を通して交錯したゴッホとゴーギャンの
複雑な心理を読み解こうとしていたのだが
莉子はたやすく核心に触れてきた~ こんなにもあっさりと


その後、二人は、美術館職員用のカフェで、
美術館のキュレーター アデル・ホイダ・エイケン女史と
「ゴッホ展」に出品されたリボルバーについて直接お話を伺うことに。

     
挨拶を済ませ、早速に話を切り出す~

のオークションハウスに持ち込まれたことを告げると~

「まさか、ほんとうに?」
それから、 矢次ばやに質問が…
「いつオークションは開催?」「予想落札価格は?」

「ちょっと待ってください」と冴は彼女を制し、
「まだ、何も決まっていません。出品依頼を引き受けてもいないので」

「なぜ?」

「それは、あのリボルバーが、
本当にファン・ゴッホの自殺に関係しているものなのかどうか、
確証がないからです」

「そう、その通りです。何も確証がない。
   ・・・・誰が、持ち込んだのですか?」

「それはお答えできません。守秘義務があるので」

「では、その人物は何と言ってそれをあなたに見せたのですか?
『このリボルバーはファン・ゴッホを撃ち抜いたものです』 とでも?」

「ええ、そうです。・・・・なぜわかるのですか?

「私も、同じことを言われて、あのリボルバーを見せられたからよ」

   一瞬、ふたりは口を結んで見つめ合った。
 
 預かり品(リボルバー)を撮影した(真横、正面、背面、斜め左、右、上、下
 様々角度から撮影されている。)画像を見てもらう。

 画面をみつけて、「この画像の、ここ正面、もう少し大きく。
   もう少し 」
 ややあって、ようやく彼女が顔を上げて、ひと言、言った。
 「これはーー違う。 当館の展覧会に出品されたものじゃないわ 」

      

 冴は、彼女の言葉の意味が よくわからなかった。
  違う? ・・違うって、どういうこと?

じゃあ、この錆びついたリボルバーは・・・いったい 何なのだ?

ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? NO.3

2021-06-16 | 日記
 CDCの応接室に、冴とオーナーの二人は、謎めいた女性を案内した。

「突然、すいません、私はサラと言います。私は、あの・・・」
  言いかけて、ふっと視線を逸らした。
「ごめんなさい、私、オークションというものに参加したことがなくて…
 何からお話ししたらいいんでしょうか」

   ・・・・一息入れて、住まいや、日常生活のことをゆっくり話しながら
次第に気持ちがほぐれていった~・・
 サラは、「私、画家なんです」

絵の話になって、冴は自然と前のめりになった。
このミステリアスな女性は、自らを「アーティスト」ではなく、「画家」と呼んだ。

いろいろ話は弾んでいき…
オーナーが、彼女、冴は、わが社が誇る十九世紀フランス絵画が専門です、
もちろんそれ以外のものでも、彼女はしっかり鑑定しますし、出品の
アドバイスは責任をもっていたしますよ。

サラは、目をきらりと光らせた。
 「・・・拳銃も、ですか?」
持ち込んだ拳銃は、錆びだらけだ・・・というよりピストルの形をした錆だ。

そうなのだ。誰かにとってはがらくたのようなものであっても、
ほかの誰かにとってはかけがいのない宝物になる。

サラは押し黙っていたが、ややあって、
「・・・ええ」と消え入りそうな声で答えた。
信じてもらえるかどうか・・・わかりませんが・・・」

サラがぱっと前を向いた。
その目は決意の光できらめいていた。
間髪を入れずに、彼女は言った。
 「あのリボルバーは、フィンセント・ファン・ゴッホを撃ち抜いたものです」

・・・えっ。
 その瞬間、冴の身体を貫いて電流が走った。
いま、なんて?  これはまさかーーー。
「それは、つまり・・・その…ファン・ゴッホが自殺を図ったときに、
  彼が、自分で自分を撃った・・・ピストル、だと?」

冴はどうにか言葉を押し出した。
    が、驚きのあまりすっかり混乱してしまっている。
 
「ええ、そのとおりです。」サラはハッキリと言った。

「1890年7月27日、オーヴェール・シュル・オワーズ村で、
     ファン・ゴッホの腹部を撃ち抜いたピストルです。

  「  そうであると証明できるものが、何か・・・・」
    このようなケースでは有力な証拠が必須になるのだ。

 ~ 証明がない限り、出品は難しいと~ 粘り強く説得し、
    どうにか引き取ってもらった。

                             (文中から要約して)
ちょっと長くなりましたが。
 ここが大事なところです~

パリの小規模なオークション会社に勤める
オークショニスト・高遠冴は、ゴッホとゴーギャンについての
論文を準備中だった。
そんな彼女のもとに古びた拳銃が持ち込まれた。
出品者はゴッホの自殺に使われたものだという。
その真実を探るために冴はゴッホとゴーギャンの謎に満ちた関係の
調査を始める。
そして、誰も知らない歴史上の真実を掘り当てる。
それは、ゴッホの死にゴーギャン画家がかかわっているという
驚くべきものだった・・・・。
  という、話に展開していくのですが~「太字の部分」
この小説の、創作となるのですが・・・
 その内容が、凄く、原田マハでなければの発想なのです。

ゆっくりと、ゴッホゴーギャンの「生き方」
(歴史に残っている、本当の話を軸に
    原田マハのフィクション話を加えて) 
小説の中の「サラ」と「冴」の二人も追いかけて  
お話していきましょう。

彼女の前の作品に
 「たゆたえども沈まず」  「ゴッホのあしあと」
     

  *この本についても、以前のブログにアップしていますのでどうぞ、ご覧いただきたい~。

この中でも、今回の「リボルバー」でも 
 全編にわたって物語の細部に至るまで、歴史的事実をよく
抑えていることが分かります。将来も事実との明白な齟齬が
指摘されそうな部分はわずかしかない。
そのような歴史的検証をした上で、架空の人物や出来事
巧みに挿入し、物語としての「真実らしさ」を作り出している。

 

では、出品されたという ~この拳銃
 おそらくこの小説の発想の原点ともいうべき出来事は、これではないか?
と 私は。

 オランダのゴッホ美術館で展覧会が2016年にありました。
     「ゴッホと病気、狂気の淵で」
         

 この展覧会の注目点が二つ。
  ・ゴッホが切り落としたのは「耳全体」か「耳たぶ」か?
  ・ゴッホが使用した拳銃の展示
1960年頃、オーヴェル・シュル・オワーズの農民が農作業中にゴッホが
  自殺したとされる現場から錆びついた拳銃を発見した。

 

      「拳銃」写真の下の方が発見された錆びた拳銃 
上は、拳銃の見本
      

「本文中には、このような会話で~」

冴の博士論文の中心的テーマは、アルルにおけるゴッホとゴーギャンの
相互影響についてである。

サラが持ち込んだリボルバーがゴッホの自殺に関係したものだと聞いて、
瞬時に疑った。
 ゴッホが自殺したかどうかは別にして、彼の命を奪ったのが拳銃で
あったことは間違いない。
診察した医師の証言や診断書も残っているから、
それは明確に証明されている。

しかし、どこで、誰が、どのようにして、どんなピストルの
 引き金を引いたのか。なんのために?

「・・・証明できます」 ややあって、サラが言った。
深く、静かな声だった。
「あのリボルバーは、この展覧会に出品されました。
  ーーアムステルダムのファン・ゴッホ美術館での展覧会です。
    何よりの証明です」

 冴は、目を凝らしてその表紙を見つめた。

   ◆サラの言った、この展覧会は「本当にあった出来事」

また、ゴッホがオーヴェール・シュル・オワーズの村内の
いずれかの場所でピストル自殺を図った。
拳銃は腹部を貫いたが、彼は自分の足で下宿先の食堂「ラヴー亭」まで
戻り二日後の7月29日に息絶えた。
        「現在のラヴー亭」

 これからの物語に、出てきますので この村を記憶にね。


「ラヴー亭」は駅から歩いて5分ほど、村役場の向かいにレストランのラヴー亭
  があります。ゴッホがここで滞在中に過ごした下宿です。
  当時、一階はカフェ居酒屋、2~3階は宿泊施設で、ゴッホが泊まった
  3階の2~3畳の日リサの屋根裏部屋は当時のままに保存されており、見学
  することができます。
   家賃は賄い付き月5万円くらい「現在の値段で」だったそうです。
  当時の壁や床の状態のまま保存されています。
  フランスでは家のリノベーションが盛んで、次に住む人が内装を変えます。
 しかし、自殺者の部屋は忌み嫌われ、事故物件として借り手がつかなかった
 そうです。そんな理由で奇跡的に残され、ゴッホが絵を描けていた釘跡までも
 残っています。           (原田マハさんが現地を訪ねたときの話から引用)

 ゴッホが死ぬ前2か月間過ごした部屋~
     とても狭い部屋です。現在、見学もできます。 


現在、見学できるこの家の窓に
 「ゴッホが亡くなった日」それを記念にしたパネルが…
    二つの窓の間に~
     

       パネル
        

ゴッホの死の証明書を書いた医師「ガッシュ医師」
  「残っている写真」  
                  ゴッホが描いた医師の肖像画


  ゴッホが描いた 「ガシュ医師の庭」
     
       

    「ガシュ医師の家」
         

*ガシェ医師の家には、セザンヌ、ルノワール、ピサロ
 そしてゴッホなどの画家を、時折、自宅へと招き入れていたそうです。 
*ガシェ医師の個人宅兼診療所は、現在記念館になっています。  

  画家でもあった
   ガッシュ医師が「ゴッホの死に顔」を残している。
       

ゴッホは、拳銃で自らの左脇腹を撃ったと、直後に診察した彼の
身元引受人・ガッシュ医師に告げたと言う。
 が、凶器となった拳銃はみつからず、ゴッホがどこで自殺したかも
わからなかった。
ゆえに、ゴッホの死を巡るさまざまな憶測が飛び交い、近年までに
詳しく分析、研究もされてきた。

その過程で、「ラヴー亭の壁に錆びついた拳銃が飾ってある」
いうことは、地元民はもちろん、オーヴェール・シュルに行ったことが
ある研究者のあいだでも知られていた。
ただ、ゴッホの自殺に関係あるものかどうかは誰にも確証はなかった。

    30年ほど前に、ラヴー亭の経営者が替わった。

冴が初めてラヴー亭を訪ねたときには、すでに店の壁にリボルバーは
なかった。
 
 さぁ、それでは、これから、その「拳銃」が展示されたアムステルダム
 ゴッホ美術館
      

と「拳銃」が発見された 現地(オーヴェール・シュル)へ
      (当時の状態があるわけではありませんが)・・・・
 そして、ゴッホとゴーギャンの関係物語に入っていきましょう。

           では 明日また。

続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。