黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

庭の仕事 「剪定」

2015-10-28 | 日記・エッセイ・コラム

昨日から花壇正面の垣根「紅花トキワマンサク」の剪定を。

 いつ始めようか と 思いながら なかなか その気にならず

やっと作業開始

 ぐずぐずしている間に成長は早く 随分と伸びている。

結果 作業が大変になる 毎度の反省…

手を抜くと 素直に 花も綺麗に咲かない ホント 正直です。

この花「紅花トキワマンサク」はこの周辺では珍しく 垣根であることも。

開花すると それは壮観です。

傍に近寄ると 顔が赤く染まる…

 

  だから 不精の私も この為に 鋏を動かし 春を待つのである。

 脚立では届かないので 大きな梯子に昇り 大体の高さで揃え 大まかに鋏を入れていく。

 15mはあるので これが結構 しんどい…近頃 つとに 腕が疲れるね…やっぱり歳だよ。

 梯子の段もアルミで薄く 足元が長く立っていると 痛くなる。 

 昨日は 全体の刈り上げ? だけで終了

 今日の午後から カットの仕上げ…まるで 散髪屋さん。

  

  隣の家が見えてきた…今までは鬱蒼として 向こうは見えなかったのが。 空気が通過すのが分かるような。

   方向を変えて 高低を調整 足元の隙間も 

  通る人が 眺められるように…樹の足元も綺麗に 草も毟る。

 

 剪定で一番困るのが カットした後の 始末なんです。

 昔は 田んぼで こっそり風向きを見て 素早く燃やしていたのが 住宅地になってしまったのでそれが出来ない。

 ゴミ出しの日に袋に詰めて その作業が 大変。

 今日はこんなに出てきました。 乾燥させ 落ち葉と枝を分けて出すことに。 しばらく 隅に放置することに。

    こんなに出ました。   

 

  そうそう、 ついでに 「百日紅」の3本   ばっさり ばっさり  丸裸に。   眺め さっぱりに。

 

 

  そんなことで 作業も無事終了

  この作業 植木屋さんなら いくら? シルバーセンターだって 結構なお値段みたい だから。

  私も 十分 シルバー ですもの 負けられない!

  もう少し 頑張ることに

  お疲れさまでした。

 

 

 いい気分で終わって 夕方の空を見たら   う~ん すっかり秋の夕暮れって感じです。

 

 今年は 「皇帝ダリア」が眺められそうだ…近くの方から 頂き 2株のうちの1本を小さくカットして 地中に植えて

 芽が出たのを移植  それが立派に成長しました。

 

  青空に向かって大きく伸びていきます・・・・・ もうすぐだ。

 

  膨らんだ蕾が きっと あの薄紫の大きな花弁を開き 秋の青空にきっとお似合いの姿で お出ましでしょう…

 

  待ってま~す!

 

 

  


やっぱり、戦国時代は面白い

2015-10-27 | 日記・エッセイ・コラム

 先週 地域の月例サロンで「戦国時代の女たち」シリーズ第1回を。

 いままで数えて6回の講演 おかげさまで毎回会場には大勢の方がおいでいただき

 いつも気合?を入れて。

 聴き手は同じ年代の方 それも 圧倒的に女性が会場を占めていますので。

 今まで講演の内容に「旅に出よう」「五感を動かせ」「認知症と介護について」

 「終括とエンディングノート」「織田信長は凄い」…その他 を取り上げてきましたので

 ここらへんで 少し 歴史の「横道」に入って 歴史の考証とは違った角度から

 フィクションを織り交ぜて楽しんでいただこうと。

 「戦国時代の女たち」に話題を向けていくことに。

 日本は現在に至るまで「男社会」です。

 男の考え方で世の中を動かしてきた いや 現在もそれほど大きくは変わっていない…と思いますが。

 では ずーっと昔はどんな状態だったのか? と 思い起こし。

 歴史の中に揺れ動いた しかし 立場として毅然と振る舞い 歴史に残った…女たちを。

 「女性」の役割は? 婚姻とは? 

  現在、こうした表現をすると社会問題になりますが(昔の話であるとご理解いただき)

  *大名領国経営の維持が目的であり、両国和平同盟を保証する領主の政策の一つと

   考えられていたのである。  つまり「道具」として。

  ここに 一つの「道具」があります。

 

 天下三片衝と呼ばれた茶器の1つ。

 徳川将軍家伝来の陶製茶入れ。 古来 「大名物」として名高い茶入れで

 中国南宋または元時代と推定され、戦国時代に日本に渡来した。

 足利義政の命名とされる。

 重要文化財指定の名称は、「唐物肩衝茶入銘初花」

 この茶入れは

 なんと 戦国時代の彼ら。 

「信長」「秀吉」「家康」 三大ビッグの手に それから長い物語が続くのです。

 茶碗1個が 戦国時代の勢力争いの中 この小さな茶入れは壊れもせず 次々と「手に渡り」…

 数奇な運命の中 歴史と共に今日あるのです。

   

 こうした茶器と同じように「女たち」も道具として扱われ、時代に翻弄されていった

 物語は数多くあったのです。

 今回 いろいろな歴史小説・文献・インターネットよりネタを探して私なりにまとめ

 時間を考えながら 私自身も楽しみました。

 とにかく、この3人の為政者を取り巻く時代は 面白い!  ということで。

 第1回 は 信長の妹 天下一の美貌の女性「お市の方」  

      秀吉の妻おね(「北政所」~高台院)を。  

  そして 次回に続く お市の方の3人の娘 

  茶々(淀殿)初(常高院)江 (養源院)へと。

 講演は今月の20日でした。

 それから5日後、朝日新聞の天使人語に。

 徳川宗家18代ご当主の徳川恒考(つねなり)さん(75)のお話が。

 うん?  なんと家康公につきまとう「タヌキおやじ」像をぬぐいたいという思いで 記念財団を立ち上げ遺徳を伝える活動を本格化させた。 

 と 記事に。

 意外な展開は ご当主の幼いころは 家康公を悪者かのように信じたと。

 そして絵本を読み 敵将の真田幸村に憧れていた… 参った 参った。

 それにしても 偶然です 「真田幸村」 来年の大河ドラマに登場なのだ。

 ドラマは 史実 フィクションを織り交ぜ どんな展開になるのか 興味ある話 ・・・

 このご当主の話 これは 次回の講演にうってつけの「大ネタ」

 (徳川家康は75歳で亡くなった…今年は400回忌 なのだよ

  それで ゆかりの地で行事が目白押しだそうです)

  ご当主が訪問先の講演で

 その「タヌキおやじ」のことで 今日21世紀の時代に 当時の諸藩の現代に続く末裔から

 思わぬ遺恨の話が飛び出すとは… 凄いね。 

 楽しくなっちゃいます。

 これこそ歴史話の横道としては1級品だ。

 と ほくほく顔の 私です。

 我が家の蔵書にも池波正太郎の「真田太平記」全16巻が収まってます。

 

 当時(「週刊朝日」で昭和49年から連載が始まり 昭和58年最終巻が。

 なんと9年間にも及ぶ長大作に。 

 週刊誌での購読は 途中で止めましたが

 16巻をまとめて購入し 個一ケ月を費やしてむさぼり読みをしたのも 思い出。

 何かの縁? あれから30余年も 本棚に鎮座している。

 ちょうどいい機会 もう一度 読み返してみよう…また新しい発見もありか? も。

 真田幸村 信之兄弟と 一族のドラマは

 「真田家はお家騒動や非常の天災に見舞われたりしたが そのたびに人材が出て切り抜け

 ついに明治維新まで 松代十万石を守り通した…。 

 壮大なドラマですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 


印象派の描く明るさが ここにある。

2015-10-07 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝の明け方は少し冷え冷えとした空気が流れていた。

 太陽が昇ると たちまち辺りは「ぱぁっと」明るくなる。

 小さな花や 樹が朝の冷たい空気から 一気に温度も上昇で

 「ぐい ぐい」伸びていくような感じです。

 このぱぁっと明るくなる…は心が華やぎます。

  この季節 美術館に行って 数多くの作品を鑑賞していると

 「宗教画」の部屋は 精密な絵が多く 題材もかなり重苦しい気持ちに。

 もともと その作品の意味さえも理解できないのですから 当然とも言えますが。

 

 順路を進めて 「印象派」の部屋に入ると、突然 部屋全体が「ぱぁっと」

 明るくなるのです。

  日本人の大方が 印象派の絵が好きなようですが。

  その瞬間に気持ちが軽く 踊るような気分になり うきうきしてきます。

 自然のあるがままの姿を キャンバスに塗り込めている。

 それは 天上からの「光」の仕業なのでしょう。

  どれほど多くの色を使ってみても この光の色彩感覚はどんな巨匠でも

 自然の光の魔術には及びません。

  何気なく眺めている 普段の花や木にも 

 「凄い!」という一瞬の美しさを 見つけました。

  「光」が当たる この瞬間です。

  思いがけない美しさの発見です。

  ご一緒に 

  「トキワマンサク」の小さな葉に朝日が…濃い紫がかった葉も 光が当たると…

  

  同じように 垣根の「紅花トキワマンサク」が大きく枝を天に向けて伸びて行きます。

  一つの樹の 枝の葉が いろいろ変化していく様は 不思議な感じ…

  秋の澄み切った青空との色彩の対比が 素敵な1枚の絵になっています。

  

 

  これは 「カンナ」の花

 

   スペインの闘牛場から「カルメン」の音楽が流れてきそうな…強烈な赤   花弁は真っ赤なのに 光が 黄金色に変えてさらに魅力を増していく。

 樹齢100年近い 蘇鉄の樹も 近頃 元気がない。

 そんな樹の 瘤のような途中から 新しい息吹が…

  なんと生き生きとした 綺麗な姿でしょうか。 蘇鉄と言えば 鋭い棘でいつも剪定の時は 苦労していますが

  こんなやさしい 柔らかな膨らみのある 何とも清々しい姿  可愛い!

  この幾何学的な模様も いい感じ。  

 

    青も 深みのある色 明るく華やぐ青 落ち着いて心鎮まる青も。

 この藪椿の葉も。

  固く 重厚で あの可憐な花に比べると ぶっきらぼうな感じですが。

 光が当たることによって 艶っぽくなってきます。

 くっきりと浮き上がった葉脈 個性的な葉の形  武骨な中にも美しさを感じます。

 

 

 もうすぐ 秋の空 天に向かって その大輪を…

 「皇帝ダリア」の 葉が 美しい。

 まるで 動いているみたいに。

 じっと眺めていると…ほんとに、どの葉も 伸びていくような不思議な感じです。

 生まれたての産毛が 光に反射して それが 動いているかのように。

 枝分かれした 1枚 1枚 の葉の形状も 配置も 見事な構成… う~ん、自然って どんなでデザイナーも完敗だね。

 

  最後は 紫の舞のネーミング 「オキザリス」です。

 

 

 とっても上品で 可憐な花です。

 薄ピンクの小さな花が 風に揺れ

 細い黄緑の茎は 紫の葉と 花に負けじと… このバランスのいい色彩が 眺める側にとっては 一つの作品なんです。

 自然界はどれほどの色彩を用意しているのでしょうか

 時に触れ 折に触れ 同じ色彩はなく 変幻自在に 「美しさ」の演習をしてくれる。

 「凄い」の一言。

 

  「宇宙の謎に好奇心」  昨日 ノーベル物理学賞の梶田隆章さんが。

   ロケットも宇宙へ 火星にも水が? 今 話題は「宇宙」かも。

  さらに ノーベル医学生理学賞の大村智さんは

   微生物を探して土にまみれ…

   いわば曲線の歩みで大輪の花を咲かせた。

   この前段 「自然は曲線を創り人間は直線を創る」と書き出す随筆

   かの日本人最初にノーベル賞の湯川秀樹博士の一節から。  今朝の「天声人語」より。

 

  自然はまだまだ人間の届かないところにあるのでしょう。 だから 魅力的なのかもしれません。

  「不思議」なこと があるからです。 

  すべてが分かってしまっては また 面白くないかも。

 

  家の庭にも こんな素晴らしい自然の絵画があるんだという…やっぱり 

  「ぼ~と」していては 駄目ですよね。

   それにしても 「日本人」って 凄いね。  

   今日までで 受賞者24人目だって。

   人間も「光」 が当たると素晴らしく… いや いや 「成功した人は、人より倍も3倍も失敗している」

   とかく誰もが効率のいい直線を歩きたがるが、曲がったり折れたりの道端にこそ宝がある。

    ほんとに この言葉 教えられます。

    今朝は 「いい気分だな」

  


凄いぞ! 我が町の「松山城」

2015-10-04 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の午後 まちの歴史講座で

「松山城の全貌に迫るー近年の調査成果ー」を聞いて

 私の脳の整理箱にランプが付いた。

以前から 興味を持っていたのですが この小さな城に こんな面白いストーリーがあったのか。

埋もれた歴史が蘇ってくる…

講演は、岡寺 良氏 (九州歴史資料館) 中近世城郭についての研究調査では

多くが認めておられる方だとか。

 講演は大変興味深く あっという間の1時間でした。

大勢の方(70名くらい) ほぼ 70代 顔つきから見ても 歴史好き なタイプ?

 

 戦国時代に興味のある私としては 人間関係を中心の話のネタから 

 今回「戦」の分野に 焦点あり と その斬新かつ 緻密な「城郭」の「縄張り」 について興味津々

 ワクワクしてきました。

 そして この「松山城」が おそらくは 織豊時代のものと推定され ますます

 物語性が出てきたことでした。

 だって この時代は 本当に面白い「話のネタ」満載の時代ですから。

 次回 私の講演で「戦国時代の女たち」を取り上げ 話をするんですが 

 今回の この「松山城」は ただ「城」というだけの存在ではなく この城を巡って

 多くの武将たちが「戦いの拠点」としての物語が幾重にも重なっている そんな城だった。

 昨年 NHKの大河ドラマ「黒田官兵衛」が話題に 

 そうです この城も 官兵衛をはじめとして

 中国の雄 毛利 大内氏 地元の長野氏 大分の大友 薩摩の島津 

 

 最後は 秀吉の登場! こんな小さな松山城に きらびやかな武将たちが…

 考えただけでも 楽しくなりません? 

 そして 「城」は 戦いの場所 いかに 優れた縄張りによって作られていたかは

 時代を経て 発掘調査によって その全貌があきらかになり 

 

 

 「城」の 戦略的価値が あったのです。  (最初の 写真図面)

 まずは 「敵」を近づけないためには…「郭」の周囲を囲むように 緻密な縄張り(設計)の数々のアイデアが。

 この時代の「城」は そのものが戦略的に濃いものであり 攻めにくく 幾重にも 細工が施されている。

 「主郭」に至るまでの道は 直角に曲がる施し 上に進むには階段であり 周囲は土塁で固め 

 ある個所には 堀切 と呼ばれ(箱堀や 薬研堀)で 敵の足を止める役目や 「畝状空堀群」という縦の堀を。

 さらに くい違い出口を作る。 また 「馬出し」は 余裕の場所として 攻め 守りにも対応できる空間なども。

 つまり 全体の姿が「階層的」な築城方法であるのだ。

 その繊細にして かつ巧妙な縄張りの 詳細な説明を聞くと… これは凄い… 

 

  そんな巧妙なつくりの城も 終わりに近づくにしたがって 謎解きは?

  天正15年 豊臣秀吉 九州平定戦における 「臨時構築」の城であったとは… 

  そう言えば 秀吉は 過去にも 「三木城干殺し攻略」「備中高松城の水攻め」「鳥取城の渇殺し」など 

  城攻めの名人だったのだ。

  実際に この城の縄張りは?

  当時 黒田官兵衛が 豊前の国 中津に入国 そのころなのか?

  はたまた 慶長6年 関ヶ原以後 細川忠興の入国時? か。

  どちらかの 段階での改修であったと… 推理する… これも また その結果を期待しながら。

  よ~し、 この話 もっと 深く 追及して 戦国物語を語れる ストーリーにならないだろうか?

  勉強の価値あるね。

 

  久しぶりに 心躍る 楽しい 時間だった。

 

   

 

 

 

 


続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。