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黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

do it yourself

2017-03-27 | 日記・エッセイ・コラム

 本日は「大工」です。

リタイヤ後、この地で家を建て、庭づくりをして

13年目。

今日は 夜明けには「雷」も。まだ寒い。

そして小雨… 

 ベランダの「ラティス」の支柱の元が腐食して グラグラ…

風が吹くと、揺れるし、ギシギシと変な音もする。

前から気になっていたので やる気を出して。

ここは一番、自分で新しく支柱を替えてみることに。

 

 ちょっと天気が気になるが 思い立ったと時こそと。

3面あるのですが、1面はすでに壊れて駄目。

2面の内、とりあえず1面から修復作業をと。

 まず 部分部分の点検を 使えるものはそのままにと。

 近くのホームセンター 「ナフコ」へ行き 材料揃えを。

 

ちょうどそのころから天気になり、早速作業開始!

ラティスは塗り替えを。

 「焼杉用塗料」、刷毛で。

         

           

基礎の鉄の構えは十分使えるので、支柱の取り換えを。

 しかし、その前に「ラティス」を外す作業が…

この枠も簡単に外すことができたが、枠の角の金具も

 錆びて、ボロボロになっているので これも替えることに。

 道具箱から 久しぶりの電動ドライバーを出して枠を外し

 釘を抜く…。  

 

 ラティスの埃を取り、水拭きをしてから 塗料塗開始。

  

  新品? うまく出来ました。

    

 ついでに、花用テーブル、ベランダの踏み台も塗料塗で新品に。

   

  作業も空を見ながら 急ピッチ 

 風が強いが、汗もじんわりと。

  半日 風に通して乾燥させた後 使用。

 

午後から大急ぎで

 ラティスの枠止め作用・・・・なんとか うまく完成です。

 

 

 もう1面は  すぐ隣に並んで、こんな状況…塗料も剥げて 見栄えも悪し…

 近々に修復作業  やりま~す。

 

 柱取り付け用金具とバラネジだけ 購入で 僅か2,475円で済みました。  自分でやれることは「やる」

  「ネジを巻いて」 頑張った ?  

              大工(第9) だけに (歓喜)  最高! ですね。 

 

  午後4時過ぎに 終了   空模様?  冬景色みたい。   

 

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本日は「庭師」だ!

2017-03-26 | 日記・エッセイ・コラム

 先日 「勿忘草」を紹介しました。

 昨日、近くの「ハンズマン」に行って、花の苗を物色していたら

 少し枯れ気味の「勿忘草」の苗が 20本ほどケースに置いてました。

係の女性に これ少し古い苗のようだけど、このままの値段なの?

 と、勇気を出して? 値下げ交渉をしてみたら…

上司に聞いたのか、「分かりました、じゃあ この値段で如何ですか」

 …やったぁ~ 半値になりました。 お買い得で~す。

          

 水をたっぷりやって1晩置いて、今日は植え込み作業を。

         

   これが先日紹介したもの。

 今咲いている箇所の 延長線上に植えることにしました。

  玄関に向かって 紅葉とトキワマンサクの樹が並んでいる花壇です。

 

  樹の下には 「オキザリス」が植えてあるんですが、 このカーブ全体に

  20株なので 空間に オキザリスを足していくことに。

  合計 6株 他から移植し、「オキザリス」の葉の「緑」

  「勿忘草」の花の色 ブルーが目立つようにとの組み合わせです。

 

    

 

    

    とても日当たりがいいので 成長が楽しみです。

 

 次に 玄関へのアプローチ 

  鉄平石と那智黒で敷き詰めたところ 砂を入れ、雑草を抜き

  那智黒を  増やして敷き詰めました。

   那智黒は水をかけると 黒光りして落ち着きます。

   こんな風に 自然に置いたままです。

  コンクリートなどで固めちゃうと情緒が無くなるので、石が飛んだり

  動きはしますが…まぁ 素人ぽいのが 好みです。

 

  玄関へ向かって

  

   玄関の中から 外を眺めると

  

   鉄平石と那智黒の 雰囲気なかなかのもの? 自画自賛

   本物の庭師さんなら どんなテクニック使うんだろうなぁ~…。

   結構 高いものになるんだろう…まぁ、自分で愉しむ ものですから これで いいか。

   というものの 実は 傍の「シマトネリコ」の落ち葉が 凄いんですよ。

   風が吹くと…それはもう 半端じゃない量で この始末が大変!

   庭の楽しみも 身体を動かし、手間をかけてないと なかなかです。

   何事も 楽して 得るものは無さそう…

 

     お疲れ様でした。

 

  

 

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forget me not

2017-03-23 | 日記・エッセイ・コラム

この短い 英文  「私を忘れないで」

 花の名前なんです 日本語で「勿忘草」(わすれなぐさ)

とっても小さく、可愛らしく素敵な花です。

今、我が家の庭に咲いています。

 10株ほど植えましたが…枯れたのもあって 

花1輪は 僅か8㎜程度 花びらは 2㎜くらい。

それが寄せ集まって こんな綺麗な姿に。

 

 

 隣の「ユキヤナギ」も小さいながら 真っ白に。

「青紺」と「白」 玄関への手前で 目立っていい感じです。

 「forget me not」 

 花の名前の由来は

 「騎士ルドルフと乙女ベルタがドナウ川のほとりを散策していたおり

  ベルタは川岸に可愛らしい花を見つけました。

  それに気づいたルドルフは手を伸ばしてその花を採りましたが

  足を滑らせて川に落ちてしまいました。

   急流に流されるルドルフは花をベルタに向かって投げ、彼女に

  「私を忘れないで」と叫んで水中に没しました。

  その花というのが、今日のワスレナグサだということです。

              「ヤサシイエンゲイより引用)

 

  ちょっとこの花には縁があって…

  現在、私の地域のコミュニティセンターで

  「わすれな草」の名称で活動を主催されている組織があって

  毎月「火曜いきいきサロン」を企画運営しており

  時折、このサロンでの講演を依頼され この数年お世話になっています。

  サロンでの企画は、多岐に渡り、ほぼ参加者は、「准高齢者」「高齢者」

  のみなさんが熱心に「老いを楽しむ」…

  そんな「いい雰囲気の」集まりです。

   この「グループ」の創立時に考えた「忘れな草」とは?

  そこまでの意味を訪ねたことはありませんが、この花の由来や

  花言葉の内容から言って…

   私たちの企画をゆっくりと愉しんでいただき、その時間を

  「忘れないで」また、次回以降も どうぞお気軽にご参加ください!

    ・・・・って、の想いかな? と、私は感じていますが。

   機会があれば、聴いてみたい。

   でも、この可愛いらしい小さな花 とっても魅力的ですよ。

  今朝 7:00前庭に出て 

  目覚めたばかりの「花たち」を訪問しました?

 まぁ 朝から元気いっぱい 「ユキヤナギ」です。

 これから 道路いっぱいに花びらが散っていき 私の掃除も

忙しくなる…。

同じユキヤナギでも こちらは 花びらが「薄ピンク」

 

 大好きな 「利休梅」も そろそろ 咲き始めています。

   

  そして先日 鳥の嘴で落ちていく椿の話を…

今朝の状況は?  いやいや これじゃ 樹の下の方が満開?

鳥も朝の蜜が欲しくって 飛んで来るのでしょうが

吸われて落とされる椿が可愛そう。

 

   食卓から窓越に眺められるようにと…「クレマチス」の鉢を提げてみました。

 

  

 花を眺めて ほっとするのは 朝に時間が 一番かな? 

 まだまだ 花冷え って感じの朝ですが 今日も 清々しい1日になりますように。

 

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今朝も早くからやって来た

2017-03-16 | 日記・エッセイ・コラム

 先日(11日)アップした記事の続き…

小鳥が「椿」の蜜を吸いに 夜明けとともに飛んでくる。

 鳥って 「鳥目」 夜は飛ばない?

 小鳥は「嗅覚」って 凄いのでしょうね。

 花の香なのか、蜜の香なのか どこからともなくやってくる。

 私は 花は鑑賞するもの。

 鳥は 花の蜜を吸うためのもの この違いは大きい。

 だから両者?の意見は会わない。

 鳥が飛んでくると、枝に止まり、花を突っつき 蜜を吸う。

 吸うだけなら まぁ 許しましょう…

 しあkし、しつこく鋭い嘴で突っつき、可愛い花を食い散らし

 挙句の果てには 下に落としてしまうのですから

 主はご立腹です。

   今年は、大きなミモザの樹が昨年台風で倒れ、庭の景色が変わり

  日当たりがよくなったのか、椿の樹が大きく伸び、蕾がたくさん

 付きました。

   今、一斉に花をこぼれるように咲いています。

  丁度、部屋からの真正面の眺めなので…最高なんです。

  

  そこに 例の 「悪党ども」がやって来る

                   ↓            ↓

  

     枝に止まり 様子を見ている。  これ 番です。

    頃合いを見て    啄ばみ始めます

                         ↓

  

 

    細い、細い枝につかまり、身体が揺れるのを上手にかわして 蜜を吸う。

                           ↓

  

   よ~く眺めていると、その一部始終は 実に見事な仕事?ぶりです。 ちょっと感心しました。

   そして、吸い終わると…花びらを 嘴で 飛ばしていくのですよ。

    これがまた 鮮やかな 所作です。

    落ちた花弁が ほら こんな具合に 重なって…

  

   樹の上 樹の下 満開で~す!

 

   もしかして 鳥は 自分が芸術家気取り ?でやった 技かもね…

   花が終わるころには 樹の下の花も うち重なり 最初の花は「褐色」に最後の花が「薄ピンク」

   まさに 手織りの絨毯にになる?

 

    

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パン大好き!

2017-03-15 | 日記・エッセイ・コラム

わたくし、75歳の爺さんなんですが

凄く パンが大好きなんです。

それも「ハードパン」の方

平たく言えば「フランスパン」及びそれに類するもの。

  

昨日 門司の出光美術館に行った帰り、小倉で降りて

井筒屋本店の地下「ポンパドール」でフランスパンを

たっぷり買って帰りました。

 

   「フランスパン ドウリーブル」

私の住む地には美味しいパン屋がありません。

隣の町に 「自然窯の店」があり、行橋に用事があればそこで

買いますが…それでも、いまいち納得できていません。

小倉、博多に出かけて必ず お買い上げするのが「パン」

 小倉では「ポンパドール」

 博多では 三越の「ジョアン」大丸の「カイザー」

 岩田屋「アンデルセン」などで

このほとんで フランスパン&レーズンパン、クロワッサン

この3種類で愉しんでいます。

 

 小倉、博多付近で

 美味しいパン屋 ご存知でしたら コメント 下さい!

 

  

菓子パンには興味がありません。

 

帰りのバスや列車に座って パンの あの 香りが鼻を衝く瞬間が

たまらなく (お隣様にはちょっと迷惑かな?) 好き。

 

       

  「カリッと 仕上げた皮、しっとりとした中。」

  外側の皮は 歯がこぼれそう…そんな固さがお好み。

  中は、ふんわり、しっとり 味が後からやってくる。

  パンを食べ、ワインを飲む…この瞬間が至福の時です。

    

      これ チーズバタール  このまま でも 焼いても 

◆そのまま、ただひたすら齧るときも…

◆トーストしたり 焼き上がりに オリーブオイルを垂らす

◆具をいろいろ愉しんでサンドにしてみたり

 肉を炒めてのせる、ハム ソーセージ

サラミ、チーズ(種類もいろいろ組み合わせて) アンチョビなど。

オイルサージンや焼いた魚を挟んでみたり…ワインの友ですから、少し工夫します。

野菜は、大葉、ニンニク、レタス、キュウリ、トマト、玉ねぎなど挟み

 季節に合わせて使い分ける)

マヨネーズ、からし&マスタード、オリーブオイル、ペッパー、卵)で味付け

 

これを そのまま ピッザ風に オーブンに入れて焼くのも美味しい。

つまり、料理の「生地」としての役割も大いに便利なのが「フランスパン」

このパンひとつで料理の幅がどんどん広がります。 

私 自称シェフ この作業に飽きずに取り組むのも大好きなんです。

 

日本ではすでに「米」を抜いて 「パン」が多くなったそうですが

でもこれも近年のことで。

「パン」って、歴史的には古い古い…お話が。

紀元前、古代文明が栄えた時代にいち早く小麦の栽培を始め古代エジプト

で世界初の発酵パンが誕生したとある。

ギリシャでもローマでも パンは命

特に古代ローマでは、勢力拡大のために多くの戦争を。

その折のローマ軍を支えたのがパン。そのため大量に消費されるにつれ

パンの生産技術も向上していった…。

中世ヨーロッパにおいては キリスト教社会でもパンが重要視され

パンの技術教育制度も確立され、システム化され今日に。

 

日本でも 同じように第一次世界大戦では、日本も連合国の一員として参加

敵国のドイツの捕虜が日本各地に収容されたことで、ドイツ式パンの影響で

広まり、さらに第二次世界大戦終了後は食糧難に。アメリカからの物資援助で

大量の小麦が届けられパンは人々の中の暮らしに浸透していきました。

もう、現在では「パン」は生活に欠かせないものとなっています。

 

パン大好き人間を自称してはいますが、やっぱり「一番おいしいもの」は

と、聞かれれば…間違いなく「お米」と言います。

 だって、「炊き立てご飯」に勝るものって ありますか?

やっぱり日本人なんだね。

 

 今、「織田信長」の本を読んでいるんですが…

  「織田信長はパンが好きだった? 」

 いやね、当時、種子島に漂着したポルトガル船により鉄砲とパンが伝来

 イエズス会の宣教師たちの布教活動でパンが普及し始めた。

 信長は この鉄砲をいち早く取り入れたんですから

 当然、パンも…そして信長はワインも好きだったそうですよ。

   

 安土城を見上げ、紫紺のマントを羽織って歩く信長・・・・・

 夕餉は 羽柴秀吉、明智光秀を従えて ワインとパンを…

 そんな情景が浮かんできました。

 楽しいじゃないですか・・・こんな話に繋がっていくのは。

 今宵も ワインとパンで 

 そうそう、WBC イスラエル戦 ゆっくり楽しみます。

 

 

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やきもの東西交流

2017-03-14 | 日記

「出光美術館」リニューアルオープン第3弾企画に行って来ました。

  この企画は 新聞広告に掲載され

 

  また アンケートの応募抽選で幸いに当選  招待券をゲット!

 

 

 なかなか予定が取れなくて今日 出発!

 比較的暖かく セーターだけで外出

長い門司港駅のホームにも長い、長い陽だまりが…

  でも普通の日 人影はあまり見えない。

 田舎の駅? いや、昔栄えた立派な歴史ある駅で、ご存知のように

現在 駅舎の改修中… どんな姿でお目見えするのか 楽しみです。

 改札を出て 左に折れ 海の方へ足を向ける…

春とはいえ、さすが海風は冷たく、頬をさす。

 港内遊覧船の傍まで行くと 波柱が立っている 風も強い。

  

 遠く 関門海峡大橋も 快晴 空も青く 足取りも軽い。

 海岸通りを真っすぐに歩く…

  石のタイルは心地よく、門司港ホテルの傍を抜け、一直線。

 門司港レトロ駐車場( この駐車場の雰囲気がいいですね、昭和? 復古調です)

  この看板を右に回って 駐車場

 ゲートのすぐ前の壁             外側の壁がもっとすごい

  凄いでしょ。 赤壁の続き

 この通りを挟んで「昭和レトロ」と「平成の怪物」って感じ…

 聳えているのが「展望台」

   そして端っこまで来ると  この廃墟は昔 何?

 この壁を曲がると もう 目の前が「美術館」

  

 

 館内はもちろん撮影禁止なので 以前から 準備していた写真を使って紹介します。

 テーマは 五つに分かれて 会場2階 3階に陳列されている。  

◆漢帝国とローマ帝国時代

◆唐三彩ー国際色豊かな唐時代のうつわ

   三彩貼花騎馬人物文水注 唐時代

   白磁胡人 中国 唐時代

◆交易の表舞台へー海の道を介した交流

    この時代  中国からの焼き物 特に「景徳鎮窯」は 白磁、青磁の名品を産み

    

◆航海時代のやきものー中国から世界へ日本から世界へ

  やっぱりこの時代が一番華やかだった…

   会場の陳列も 目立って 作品が輝いていた と。 私は感じたが。

  青花アラベスク文双耳扁子壺

 

  青花ボタン唐草文輪花皿

   この鮮やかな 藍 文様も アラビア風? とにかく うっとり…

  

 

   「色絵五艘船文鉢」 江戸中期 古伊万里

   これも凄いですね 繊細 南蛮貿易? 大きな船 ポルトガル人? いや 船員?

    航海時代に この小さな日本の伊万里から 焼き物だけは ヨーロッパ各地に…

   長崎や鹿児島では 早くから  幕府の目から逃れ・・・( いや 幕府もご承知)

    海外との貿易を。

    あの 信長さえ その必要性を感じており、港」を抑えること その先見性があったのだ。

    「茶」が日本に入ってきたのは、奈良時代。 鎌倉室町で流行。

     そして 中国渡来物が茶道具として珍重され 桃山で「侘び茶」と。

     さらに江戸時代以降も 武家の茶の湯・儀礼として美意識の形式に果たしてきた。

    

 これって凄いことですよ。 私の好きな 信長・秀吉 なんて この「器」 一個と

  「城」を交換する… 結構ばかげた 世界を作っていたんですからね。

   小さい「器」の方が大きくて、 彼らの方が「器」が小さいような気もしますが?

   どうでしょうか?   

 

  これなんか ご存知の 東インド会社のマーク付きだよ。

   「染付芙蓉手鳳凰文皿」

 

   この東インド会社 も 日本国をよく勉強し、利用し、うまく商売をしてきたと思うね。

    「うまさ」に負けた日本。  まだ 初心だった。 そのころ 日本は。

 

  

   当時 どれだけの数の「やきもの」が 作られ 欧州に流れていったのか…

   日本の宝が 相当数無くなってしまったとも言えるのです。

   また、この焼き物を船に積むときに 例の「浮世絵」が包み紙に使われたなんて…ご存知?

   ほんとに、もったいない… どれほどの価値だったのか 

   もし その 紙 「葛飾北斎」「安藤広重」「歌麿」 の1枚 だったら… 

   「浮世絵」 1枚  いくらになると思います?  いまどきだったら。

 

   今となっては 残念至極の出来事ですね。  これが 歴史でもあるのか

 

◆欧州で作られたやきもの

 

 日本の焼き物は、 当時のヨーロッパ諸国に 大いなる影響を与えた。

  オランダ、フランス、イタリア、イギリス、ドイツ、オーストリア などなど。

 

  それは 従来のヨーロッパの「マイセン」「セーブル」「チェルシー」にも目覚めを!

   たかが 焼き物 されど 焼き物 です。

   日本の「古伊万里」はヨーロッパの王族貴族を魅了し、自国の窯にも少なからず

   影響を及ぼすことになったのは 遺された作品がそれを証明している。

 

   「寂び」 「侘び」 とか、とかく 日本の文化を表現するときに使われる言葉であるが

   こと、焼き物に関しては、斬新なデザイン、華麗なる色遣いと美の世界

   決して世界に負けていない…そんな力強いエネルギーを感じました。

 

  日本の「匠」たちの技って…凄いですよ、繊細と豪快、しなやかであり、重厚

  軽妙と洒脱  美意識の形式を作りあげる なんだが器の大きさをも感じさせますね。

 

 「やきもの」は  「火の神様」がつくりあげる と、言いますが、

 やっぱり、轆轤を回す 匠の執念が その窯変を造るのでは ないだろうかと…

 ふっと、そんな 気がした。

     今日の 「出会い」でした。

      「人」はもちろん 行き交うのだが 古来より「もの」の方が

     文化の交流には 先立ち 人々と接していたのである。

      「やきもの」だけに 「器」が大きいわけだ。

       納得! です。

   

  

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「松籟(しょうらい)」 狩野永徳伝

2017-03-13 | 日記・エッセイ・コラム

 「松籟」という本を読み終えた。

     

狩野永徳伝だ。 著者は神部眞理子さん。

著者のプロフィールに なんと現在仙石病院の

消火器内科部長さん…これはちょっと面白いでは内科。

 

 このところ「若冲」「長谷川等伯」「海北友松」と稀代の画家

 を読み込んだ。 そして 今回「狩野永徳」を。

 いずれも作者の切り口が鋭く 面白かった。

 

 絵画に興味のある方ならご存知の大御所ばかりですが

 本人の生き方については細かく理解してはいなかった。

 作者の巧みな筆と、大量の資料を使いこなしての1冊は飽くことなく

 最後まで楽しませてもらいました。

  特に、永徳、友松、等伯は、同じ時代で活躍した人

 そして、時の覇王 信長、秀吉に仕え、その才能を開花した。

 

 狩野派は「集団」の絵画創作カンパニーともいえる大規模会社

 この物語にも 信長の安土城、秀吉の「大坂城」「聚楽第」を始めとして

 数々の障壁画、襖等の「大物」の仕事が後世に残った。

  まず 長谷川等伯は「松林図」 国宝    

   

   海北友松の 建仁寺方丈障壁画全50面の一部「雲竜図」

   重要文化財

 

  そして 永徳は この本作品の物語に取り上げられた自筆の作品は

  将軍足利義輝に依頼された

   

    「洛中洛外図屏風」

 

 信長から直接依頼された 

   「 狩野州信。そのほうに絵を描いてほしい。

       …このおれの姿をそのままに描くのだ」 

          

   「ううむ、…よく描けておる。これはまさにおれおのものだ」

  「思った通りにその方の技量は並外れたものがある。そこでだ、

    この安土城の襖絵、板絵など、すべての絵の制作をその方に任せたい。」

 

   これは 途方もない大仕事・・・・

   この依頼された 安土城の全景の屏風

    渾身の絵は 完成されたが…あの本能寺の変で 安土城は焼け落ちた…

    もし、現存しておれば…

    戦乱の世のはかなさ。 残念なことです。

 

   先に 劇的な発見 「豊臣期の大坂城」の屏風絵のこと。

    秀吉時代の屏風絵が ヨーロッパの古城に…

     ブログ 2016.4.8 掲載

    どんな形であろうと、当時の絵が…400年の時を経て。見つかったのだ。

 

   己の絵が残っていないことほど絵師にとって不幸なことはないだろう。

 

 現存する永徳の絵は 僅か10点ばかり

    現在宮内庁にある 国宝  

「唐獅子図屏風」

  

    京都 南禅寺 「群仙図襖」

  

    東京国立博物館  「檜図屏風」

  

   京都 大徳寺聚光院 「四季花鳥図襖」

   

 

   狩野派の豪壮な絵は 戦乱の世で光輝いた。

    しかし、どの絵も一瞬の輝きだった。

    永徳が描いた絵は どれほどの量であったろうか…

    彼に依頼してきた相手は、戦国時代の者たち。

     そのほとんどが戦乱に巻き込まれて 潰れていった。

    その豪華な1枚1枚の絵も 同じ運命を辿っていき消失していった。

 

    彼が生きていた時代が 家康の時代であったならば 歴史的な絵は

    もっと もっと残ってたであろうに。

    これも 運命だったのか?

 

     でも 今回 改めて 狩野永徳の絵を再認識した。

    機会を見つけて 現存する「絵」を この目で 確認してみたい。

    絵師の物語なんですが、 やっぱり 信長 秀吉が絡んでくると

    とにかく歴史が身近になって 面白い。

     次は誰だ!   

 

   

    

 

 

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仙台の銘菓で 「風雅な香りを味わう」

2017-03-12 | 日記・エッセイ・コラム

 春が来た!

 そんな嬉しい気分の折に…

 

仙台の銘菓を頂いた。

 その菓子の名前が「霜ばしら」 と。

 

箱を開けて、シオリの一行目に

 「冬だけ逢える やさしいくちどけ」

 なんと優雅な表現

       季節限定「10月~4月」

 

 菓子の入った缶は 

   素敵なブルー

 中には… 真っ白な雪の様な粉 しか?

 シオリには…

  霊峰・蔵王の嶺々が真白に冬の粧いを整え、麓にも霜ばしらが

立ち始める頃、菓子職人の手作業による 銘菓「霜ばしら」の製造が

始まります。

    

  この白い粉は? 説明書きによると 

「霜ばしら」は湿気、衝撃・熱に弱い性質の飴ですので・・

  「そうか、この菓子 飴なんだ」 読んでわかった。

 粉は、もち米を原料とした らくがん粉をびっしり填めていた。

 そっと、缶から 薄い飴を取り出す。

  敷き詰められているので 最初の1本を取り出すのも大変…繊細

   ほんとに薄い、端の方が もう 崩れる。

 

  初めての経験 菓子を食べるのに こんなドラマチックな…

  口に含むと…舌の上で …あっというまに溶けてしまった

  後にくる味わいは、なんだろう これが 風雅というシオリの表現なのか。

  上品な甘みが舌全体に流れてくる。

  

 この菓子は 東北仙台 九重本舗玉澤 とある。

   

 創業は延宝3年(1673年) 時は江戸の時代 4代藩主伊達綱村公の時

  すでに340年以上も続く 老舗の菓子であった。

 

  時の藩主綱村公の招きにより 近江の国から仙台に

  来府し店を構えたとある。 

 

 この藩主綱村公

  2歳で家督を継ぎ、1671年 世に有名な「伊達騒動」が勃発し

改易の危機に…綱村公自身が若年であったことが幕府の裁定では

お咎めなしに…事後、数々の治世に励み、「仙台藩中興の名君」と

讃えられた。

 都の「和菓子」を招くなんて やっぱり藩主そのものが風流?

「食べる」ではなく、「味わう」と言った方がいいのかも。

 

 たまには、こんな上品な菓子との出会いもいいもんだ。

 

 この菓子を贈ってくれた方が、またまた一つ抜け出した

 とっても上品で、美人で、御年卒寿を迎えた素敵な方ご婦人

 

 「いい人」「いい趣味の人」に出会えば…

 「いいもの」 との出会いもあるんだね。

 

  静かな 日曜日の朝 少し濃い目のお茶と共に

   1枚の小さな飴 心を和ませてくれる 味わい。

   ご馳走様でした。

 

 

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もう 春 でしょうね・・・

2017-03-11 | 日記・エッセイ・コラム

 

   桜 咲いています!

   何も言わなくても もう 春です。

  

  庭も 春が一番賑わいます。 

     少し 遅い種類の「水仙」も 咲き始めました。

  とっても上品な姿 特に花弁の白さは群を抜いてます。

   香りも上品なのです。

 

   

 

  これからの「スズラン水仙」も 日増しに茎を伸ばしています。

    ちょっとおちょこちょいの何本かが顔を 

 

  白って いいですね…落ち着きます。 

  頂いた 「スパティフィラム」の白も インパクトありますね。

 

 

  この時期の わが庭の 可愛い花といえば

  薄ピンク色の椿「港の華」が素敵なのです。

   どんどん伸びています。

 こまったことに毎年 この小さな蕾を 鋭い嘴で突っつき

  甘い蜜を吸って

 樹の下に 花弁を落として 楽しんでいる小鳥が…

  「メジロ」と 鳥の名前は分かりませんがつがいでやってくる。

           ↓ ここ 枝に…

 

 

  追っ払っても すぐに やってきます。

 1日 家を離れて帰ってくると…

  樹の下は 鮮やかな 落ち花の絨毯になっていく。

 

  高浜虚子の句に

  「咲き初めてより 四五日や落椿」

  比較的 花の咲いている時間は短いのが椿ですが・・それでも

  嘴で 無理やり 短い時間の命 なんて と、可愛そう…。

 

  

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愛とロマンの世界 「竹久夢二と大正ロマン展」

2017-03-10 | 日記

行橋市「増田美術館」で開館12周年記念の企画展に行って来た。

 まず この企画展は特別講演会がセットされており事前に申し込みの

上、招待状を頂いた。

  

 今朝の朝日新聞京築版にも関連の記事が掲載 

  

 本日 午前11:00 特別公演開演

 大牟田在住の「足立敏昭氏」

 現在、竹久夢二の研究ではこれほどの方は他にないとの司会者からの紹介。

 会場はいつもは陶磁器の展示用となっている場所で満員の盛況でした。

  登場を待つ足立氏 

 

  早速、講演が始まり 渡された氏の手書き資料

 大正7年 夢二は九州を旅した! あなたも夢二の道を辿りませんか…

  

 

 

  父の仕事で一家は九州へ

  夢二16歳の1年を過ごした「枝光」

  「博多」の天神にもゆかりが それは、筑豊の石炭王 井上伝衛門の妻

   詩人

「柳原白蓮」が博多の別荘に息子を連れてくる…夢二は会いに行った。

 

  唐津 意外な箇所です。

  近くに「近松寺(きんしょうじ)」

  かの 浄瑠璃で有名な近松門左衛門の墓があり

   遺髪があるのです。

   近松が、子供の頃 この寺で修業をしたと伝えられている。

    *江戸の文献にはあるが…真偽のほどは?

   駅のすぐ近くで ここには 野口雨情、白秋の墓も。

 

  旅は長崎、雲仙、島原へと…

  そして「柳川」 夢二が敬愛した「北原白秋」の故郷です。

  そして 「久留米」

  ここにも夢二が敬愛した「青木繁」の故郷へ。

   青木繁といえば

   「わだつみのいろこの宮」

   夢二はある展覧会で この絵を見て「何かを感じた」

      ( 石橋美術館の至宝 )

        

      そして 青木繁の あまりにも有名な「海の幸」

         

     この時代ならば、こんな絵を見れば 衝撃 受けますよね、誰だって。

      凄い迫力ですよ…

 

   夢二の「九州ロマンティック街道」  これが 足立さん流

     you  &  me  だ、そうだ。

   

  足立さんの話に、「詩人になりたかった」夢二でしたが

   「文字の変わりに 絵の形式で詩を画いた」と述べ

   「形や色の奥に秘められた何者かを掴みたい」 

   街々にどよめる あの濁った音響を聞きとりたい

   夜の薄明かりが描きたい。と。

   ご存知のように 夢二の絵は 素人でも描けそうな…

   上手な絵だね、とか、 凄い写実的だね なんて 言葉は出ない。

   なんとなく ボワーっとしているところが なんか不思議ね。

   「絵」を理解する力が ないと、彼の言う、「内面」は理解できないのかも。

   まぁ、いいや、とにかく 絵を楽しみましょう。

   会場では 撮影できませんから、 (パンフレット、絵の本、シオリ などから)

     

    彼の名作 「黒船屋」

   

   この絵を見て 何か気がつきません?

   彼の独特の描き方がここに… 小さな顔に比較して 猫を抱いている両手

   どうですか 異常に 大きく描かれていると思いません。

    そして、また 彼がこの画家についての研究も…

   誰あろう、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

       と言えば この絵 「モナリザ」  です。

   この絵を見て下さい。 腕の置き方を… 上の夢二の絵

   美人の手の「組み方」  右と左 の違い… 表現も 手がかなり大きく。

   「自分の描きたいものを、書きたい画材を用いて、描きたいようにしか

     描かなかった」 こんな画家は他に例がないのでしょうね。

    ダ・ヴィンチだけでなく 江戸時代の「浮世絵」にも精通していた。

    美人の表現は ここ浮世絵からなのだ。

    マネを 自分流に消化し 近代的な、夢二流に置き換えての表現なのだと。

       美人の構え… 肩、 首、手の置き方 

     

     

     夢二の美人画は大正期に日本の青年層を魅了した。

     たんなる美人画というより 社会的な背景をもっている風俗画

     としての生活が強いと言われています。

    つまり、「生の女性風俗」

     現実的な物ではなく心の美人画なのです。

    これこそ、自由な個性をもって描いた美人画。 だと私も思います。

 

    夢二は アメリカやヨーロッパに 行きたかった…しかし、なかなか機会が。

    そして、昭和6年に ついに アメリカ・ヨーロッパ旅行を。

    絵を描きながら、旅をしたい という夢。

   でも、アメリカでの展示会では絵は売れませんでした。

   そして、ヨーロッパへ ドイツ、ウイーン、パリ、ジュネーブ と巡り。

 

    外国の女性に着物を着せて描いた絵

     

   

    ピカソの絵も 53枚も見たと記録に。

    そして、ピカソについて後で書くと…しかし、帰国後、

    結核で若くして終わった。 若い! 49歳だった。

 

    彼は、モデルがいなかったら 描けなかった画家だそうです。

    結婚は1度 妻 たまき そして モデルの「彦乃」「お葉」

            

     妻 たまき    夢二と彦乃         お葉(およう)

     彦乃、お葉 ポーズも 絵と同じだね ちょっと首をかしげて…

     この二人がいなかったら…夢二の絵は なかった…

 

    彼は多彩な芸術家 絵だけではない。

    日本画、水墨画、油彩、水彩、素描、版画、ポスター、

    楽譜・雑誌の表紙 封筒のデザインまで 多種多様。

    近代日本では稀なタイプの芸術家ではないでしょうか。

   その 一部をご覧ください。

       デパート「三越」のポスター

    銀座でフルーツと言えば「千疋屋」 これも 夢二が。

     雑誌「婦人クラブ」の表紙 

    珍しい「封筒」 千代紙 

 

    楽譜「宵町草」にも このほか 20曲以上にもデザインを。

    この1枚が あまりにも有名になり過ぎて…

     「待てど暮らせど 来ぬ人を~

     これ 彼の自筆

        

    これが 楽譜の表紙

   

 

     また 彼は 「北原白秋」の詩が好きだった… 

   

 

    なんだか懐かしい!…これが「大正ロマン」?

    でも凄いですね 彼のそこまでやるか…そんな迫力さえも伝わってきます。

     近代グラフィック・デアインの草分けの一人ともいえる。 だそうです。

    なんとなくボワーっとした夢二の絵 だと、思っていましたが。

    今、つかるみにはまったような 感じですね。

 

    「絵」は 人の心を癒してくれます。

     どこがいいの? この絵はわからない…

     でも、じっと見ていれば 伝わってきますよ

     だから 機会があれば 

     気分がすぐれないようなときには 美術館へ足を向けてみたら

     きっと、素敵な出会いが待っていますから。

     この企画展 4月2日まで 行橋市 「増田美術館」で。

 

     

 

    

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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。