ことしもやってきました。 かんだ花火大会。
私も この大会の会場警備のボランティアに担ぎ出されること3年目
会場の港 岸壁付近への立ち入りを監視する役目・・・
それほど大勢が押し寄せることはないのだが・・・とにかく 安全第一が役所の仕事。
今年も我らグループからも10人ばかりの応援を。
午後8時開始 集合午後6時
まだ 港は こんなに明るい この時間の工場群を眺めるのは
三菱マテリアルの工場が
午後7時過ぎ 辺りも薄暗くなり 工場の灯りも・・・・ いい眺めです。
本日の「staff] ジャケットは 橙色
その他に 体育協会、役場、いろいろは組織団体も 色違いの装いです。
本日の「花火大会」も スムーズではなかった。
町の財政も心配の種? のご事情もあり ・・・この大会も当初は 中止かな? の話も。
あったとか ・・・
結局、規模縮小で実施されることに。
個人的には 無理して催すこともないのに と 考えていますがね。
だって、緊縮財政の中 まだ他に使う道だって あるだろうに・・・と。
「花火」は パッと揚がって パッと散る。
貴重な財源を使うには・・・それほどの意味があるのかと 。 個人的には。
ところで
「花火」 の 歴史を調べてみると これで結構面白い。
中国で発明され「狼煙(のろし)」として使われた黒色火薬が花火の祖先?
つまり 「情報」の手段だったということですよ。
特に「戦」がらみに使用され 敵の攻撃を知らせる場合 煙だけに あまり多くの情報は無理ですがね。
「伝える」こと それも遠くに居る 味方に対して より速く。 ってね。 天候の加減もあるし どれほどの効果か。
観賞用としての花火は、14世紀後半 イタリアフィレンツエに はじまり ヨーロッパ中に
拡がり大航海時代と共に世界中に伝わった・・・とある。
日本への火薬の伝来は、ご存知の「種子島」 だが、最初の花火はイギリス国王の使者が
ときの将軍徳川家康に見せたと言う記録が残っている。
ふ~ん、家康公がね。
ところが、最近 それよりも数十年前に 仙台 伊達藩主 伊達政宗公が見たと言う
古文書が見つかった・・・・ほう、 たかが「花火」のこと でも、こんなことにも歴史がある。
何でも、当時の花火は 筒から火の粉が吹きだすもので、今日のような打ち上げ花火ではなかった。
今日のような花火は 19世紀になってからだと。
「花火大会」といえば 何と言っても 江戸 「東京」 隅田川花火大会でしょう。
江戸 両国の花火大会 版画にも
これは 享保18年(1733年) 前の年に大飢饉とコレラの大流行による死者の霊を慰め
悪霊退散祈願のため8代将軍徳川吉宗が催し、これが世に言う「両国の花火」である。
ここ九州でも 各地で 花火大会は沢山行われていますが
やっぱり 凄いのは 佐世保市 ハウステンボスの夏の夜空を壮大に彩る
「九州一花火大会」 なんと 2万発 を打ち上げる!
他には 「関門海峡」1万3000発 「筑後川」1万8千発 など・・・
我が町は ささやかに 3500発 分相応?
他にも いろいろ 「打ち上げる」 花火も多く て。
ただ、 打ち上げの威勢と 瞬間はいいのだけれど・・・おあと が いつもねぇ 。
まぁ、しかし 折角の花火大会です。
さぁ 景気よく どんどん 打ち上げて下さいよ!
量は少なくても 花火師の腕を 見せて貰いましょう・・・・
説明なしで いろいろ 撮ってみました 画面アップは縮小版ですから 「拡大 クリックして観てね」
今日は 風がなくて 打ち揚げ 花火が 弾けたあと 残念ながら 煙が 移動しないので・・・次の 花火の姿が 煙の中で ・・・くっきり はっきり がなくて 残念!
少ない中で 仕掛けでは 「♥ ハートマーク」や「猫ちゃん」も 可愛いく 夜空を彩ってくれました。 子供たちも 喜んだのでは。
花火の打ち揚げ前には 特設会場では 「神楽」や「苅田太鼓」など 催しもあって 大勢の観客も楽しんでいたようです。
日頃 皆さん 特に若い人は 「下向きの生活(スマホを握って離さない)」から しばし
「上を向いて」 楽しんでいました・・・・どうです、首の体操? 少しは 楽になりましたか。
あっという間に・・・花火も終わり 暗い夜道を 家路につきました。
ずっと立ったまま・・・老いの身には かなりの運動 午後5時半から 9時までだよ。
遅くに始まった晩酌・・・ 本日は「冷えた白ワイン」で。
お疲れ様の後だけに 喉越しの感触が最高だね・・・美味い!
喉元を通過するとき これぞ 花火・・・弾けるような 痛快な味が心地よい。