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まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

中津城物語

2016-06-28 | 日記・エッセイ・コラム

歴史研究会のバスは 中津城に向かう。

 ここ中津城についての研究会の5月例会で

「中津城を知る」というテーマで受講した。

数十年ぶりに中津の地を踏んだ。

懐かしの中津である。 当時(昭和37~39年)小倉勤務

営業の仕事でここ中津には随分来たものだ。

しかも、会社支給の営業用ホンダのスーパーカブに乗ってだ。

小倉から中津までは 大変だった 今は 思い出。

さて、中津城と言えば、大河ドラマ黒田官兵衛で一躍人気上昇!

京築一帯が話題になった…

戦国時代の、一番面白い背景の中にあり、この城が 黒田~細川~

小笠原~奥平家と九州歴戦の武将たちの物語の

 主人公でもある。

 そこには、天下人 「信長」「秀吉」「家康」とのからみも

この城の物語を面白くさせているのです。

 歴史愛好家にとっては、ただの「城」ではなく、九州戦国時代の歴史

を俯瞰できる…そんな役割を持っている。

 

 研究会では、黒田時代の「石垣」について焦点を絞っていましたが

私としては「城」「石」=物 (石垣構築技法)だけではなく

中津城の長い歴史の「人」に興味を持って 今日はアップしてみたいと。

1871年(明治4年)に廃藩置県により中津城は廃城。

その後、西南戦争で五点が焼失、昭和39年旧藩主が中心となり中津市民からの

寄付も合わせて天守閣が建造された。現在の中津城です。

 現在では、この城も運営会社により「中津のシンボル」として多くの人に

愛され守られ 観光名所として人気が高く 昨年は大いに賑わった処。

  話を ず~んと昔に戻そう…

天正3年(1575年)三河山間部の小豪族だった「奥平家」が世に出て来た。

その訳は? 織田・徳連合軍が、武田勝頼と歴史的な「長篠設楽ケ原の戦い」

で家臣である鳥居強右衛門の決死の活躍で、

信長公より、 その武勲を讃えられたのが第二代の貞昌公です。

この時、信長公から「信」の一字を貰い、名を「信昌」と改める。

また徳川家康  の長女亀姫を娶り、

幾多の戦果を挙げ続け徳川幕府創設のため大いに貢献をする。

その後も徳川家御連枝として譜代の名門の地位を確固たるものにした。

 ここで 城の展示物を眺めていて 珍しいものを見つけました。

先日、実は地域の活動で「いきいきサロン」の講話の際に

「この屛風は、ヨーロッパの古城に隠されていた」というタイトルで

「豊臣期大坂城図」が発見された話をしたばかりなんですが…

 この中津城の展示の中に なんと「長篠の合戦図」があったのです。

  これは 面白い。

 とにかくこの「長篠の合戦」逸話は いまだ決着がついていない。

 まぁ、研究者として歴史の真実を語る という学者でない私としては

 物語を面白く聴かせるには、通説でもまぁ いいのではと思っています。

 

 さて この戦いは 登場する武将も 凄いよ、

 だって時の 話題と実力を総なめにしている織田信長が率いる軍勢ですから。

 次の天下人になる秀吉、家康はもちろんのこと その他名前を挙げれば…

 絵は こんな風に 一部をトリミングしてみました。

 

 

  合戦の全図 六曲屛風

 その場面 2番目 に 敵将 「武田勝頼」 大 という幟の元

 (クリックして拡大で)

 左端画面  織田信長公    瓢箪が目印の豊臣秀吉

       

 そして 長篠城の奥平貞昌公

  これが奥平家の家紋 

 図中 左端に幟が描かれていますね。

長篠の合戦といえば、「三千丁の鉄砲」 という話

 真偽のほどは? 今も いろいろ…

 この鉄砲は 

  当時の鉄砲 

  *考えてみれば 鉄砲三千丁 途方もない数ですよ 当時としては。

 まぁ、戦いの状況を面白くするには このくらい大きな話もいいかな?

 

 さらに こんな珍しいものを発見 流して歩いていたら 分からないよ。

 徳川家康の書簡署名入り

  この書簡は、説明によると 小田原の北条氏を攻める際に豊臣方の武将

たちへの「軍律」について こまかく箇条書きに徳川家康本人が書き、花押を

押したもの…真筆だそうです。

 *この戦いにも 黒田官兵衛が北条氏を説得するため、自ら肩衣袴(かたぎぬばかま)

  で刀を持たずに小田原城に入り、北条氏政・氏直父子と対面し、無血開城を導く。

 歴史って、こんな風に 「残っている物」と、関係する人物で 広がっていき

 また 新しい 別の物語に繋がっていく…ここが面白いから

  だから、 展示物には 興味を持って 探し、 眺め、 理解する。 

 ここが肝心なところかな。

  

  家康 本人のいろいろの花押

     

 

 「中津城」の歴史は秀 吉の天下となってから始ります。

 天正15年に黒田孝高(如水)は秀吉の命により、豊前6郡12万石を拝領

           翌年この城を築く。  

 *この城は 地形が北より南方に扇状をなしているので、別名「扇城」という。

  また、本丸石垣、内濠は当時のままで水門より海水が入って潮の満干で濠の水が

  増減している「水城」なんです。

  濠は静かに 水を讃えて…

 黒田と言えば「縄張り」に長けていたとのこと。

 この城築城に際しても 遺憾なくその力を発揮し、最先端の技術を駆使して造営している。

 「算木(さんぎ)積み」(角石は、石の長軸を交互にふる積み方)

  写真のように、角が綺麗に揃っている。

  張り出している角を出角という。

 黒田時代、石垣の幅は狭く、高さも低かったそうで、石垣を解体すると

  飛鳥時代の「唐原山城跡」の石を移設し川沿いの石垣を構成している。

  また、古い時代の石垣や排水溝などが発見されている。

  築城にあたり、スピード、再生利用と ある意味節約という考えも? と

  特に、 石垣には、神籠石」が多量に使用されているのです。

   

  城は 動いている…いや、城主が変わることや、災害を含めて

 修復も度々だった・・このことで

     実際に足を運んでみたら ????

  どこ? 

 この季節だからでしょう・・石垣に草が伸びて はっきりしませんが

 黒田時代と細川時代の石垣が重なり 同居している? 姿

       ↓

 真中に 逆三角形の処が 左黒田、 右細川

  ここの石垣も「神籠石」  

 パンフレットから はっきりと確認できます。

 

このように中世の16世紀末に造られた「中世城館」(有力な武士や大名の城や館のこと)

 をいい、近世城郭とは、16世紀末から江戸時代にかけて造られた

「高石垣」「礎石建物」「瓦」をもつ城のことを言います。

 求心性の高い縄張り構造を持っていることで、 中津城は 近世城郭の部類となる。

 

  黒田の凄いところは こんなところにも。

  たかが瓦 されど…

    城郭から出土

 秀吉の家紋である「桐の葉」を形どった瓦です。 この桐の葉を用いることは

 秀吉の許可が必要であった。 如水は 秀吉子飼いの武将として認められていた証。

 さらに、金箔瓦の使用も許可されていた。 権威の象徴なのだ。

 

 城を造ると同時に 城下町の整備があります。

 「黒田如水縄張図」と伝えられる絵図には、本丸、二の丸、三の丸 と共に

 「京町」「博多町」 「町」と 記されている… そのことは

  

 この「町割り」や「町名」などは 姫路から一緒に連れて来た商人たちの町「姫路町」

 京都・博多の商人が移住したと言われる「京町」「博多町」…が由来だそうだ。 

 城下は、「武士」と「商人」 「庶民」 住む処がはっきり分けられ

 城の外郭沿いには、神社・仏閣(寺町)が配され

 例えば、いざ戦闘になれば、広い境内、大きな建物を利用できるよう 機能を重視し

 さらに、中堀、外堀ぞいには

「おかこい山」  と呼ばれる土塁をめぐらせ城下町を守る。

  細かいね その考え方 手法。

 ただの土塁を積み重ねるのではなく、樹を植え 周辺との美観、環境も組み込む。

  戦闘があるから だけではなく、こうした 日常生活をも含む 広い縄張りなんだ。

 敬服しますね。

 こうした時代の「町割り」の方が、現代の都市計画事業よりも 数段深く考えられて

 いわゆる「町づくり」をしていること 凄いね。 見習うこと ことのほか多し。

 どこかの町の トップも 勉強したら…。

 

 いやいや まだまだ 中津城と中津の町を探っていけば 面白そう…

 ゆっくり 時間を掛けて散策してみよう…そのうち。

 

 今回の バス現地研修 大変有意義な時間でした。 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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歴史は面白い!

2016-06-27 | 日記・エッセイ・コラム

「東京美術館巡り」で 1週間 ずれてしまいました。

 が、この件は アップしておきたかったので。

先週の土曜日のこと。

最近入会したばかりの町の郷土史研究会でバス研修があり

初めて参加しました。

 3か所の実踏研修です。

 生憎の小雨、心配しながら予定通りに出発

最初の見学場所「御所ケ谷神籠石(こうごいし)」へ。

 歴史は好きだけど、住んで居る地域、郷土のことは今まで関心がなかった

というのが本音。

40数年ぶりにこの地に戻って 地域活動をしているうちに「郷土」を考え

歴史を知らなければと の思いから入会。

研究会でこの「神籠石」のレクチャーを聞いたのも初めてだった。

「神籠石」とは (行橋市ホームページ より)

『「神籠石」とは山中に列石や土塁、石塁で囲いを作った遺跡のこと。

神聖な土地を囲む「神城」説と、「山城」説での論戦が続きましたが

戦後の発掘調査の結果、現在では「山城」説が有力となっています。

記録によれば、7世紀後半に百済人の指導によって築かれました。

この7世紀後半は、朝鮮半島の三国のうち 百済と高句麗が新羅と中国の

唐の連合に滅ぼされた激動の時代です。660年に百済が唐に滅ぼされ、

旧百済の遺臣と倭(古代の日本)が復興軍を起こしました。

しかし、復興軍は663年に白村江(はくそんこう)で唐と新羅の連合軍に

大敗し、倭は 唐と新羅の連合軍が日本列島に攻め込むことを恐れて664年

に防人(さきもり)を配置し、水城(みずき)を築き、さらに次々と城を

築く。神籠石もこの頃築かれた とする説が現在有力で、御所ケ谷神籠石の

発掘調査でもこの時期の壺が出土しています。 

 敵軍の侵攻を監視し、妨害するために古代の官道を見張りやすい位置に

築かれたとされており、御所ケ谷神籠石も、北側約1.5㎞を大宰府と京都平野を

つなぐ古代官道が東西を走り抜けています。』

…と、これで 神籠石がどんなもので どんな役割をしていたか 

ちょっぴり理解できました。

 

バスを降りて、小雨の中 山道を15分ほど登っていきます。

 まぁ 普通に歩ける道なので。軽い運動気味。

途中、見慣れない植物が目につきました…説明によると「ヒモヅル」

 この御所ケ谷一帯に見られる 常緑性のシダ植物。

茎は蔓状に延びて長さ数mに達し、付近の木に絡みついて生育する。

国内では、現在九州と本州の一部だけで確認、環境省によって

絶滅危惧種に指定されているとのこと。

福岡県の天然記念物に指定されている。

 ・・・ このことも初めて…

いやぁ~ 最初の見学から興味津々の連続だ。

   駐車場の傍に 標識

坂道を昇り 大きく開けた処  

  目の前に 今 厳然と 石垣が顔を出している。

整然と積み上げられた 石 石  えっ、これ 当時のまま?

これは 凄いとしか言いようがない 石工の技術の確かさだね。

 

 この積み重なれた石 物言わず 風雪に耐え 睥睨するかのような

 佇まいではありませんか。 

 

「中門跡」

この石(花崗岩)は どこから? どのような手段で ここに? 

当時の「石工」の技術って 誰の指導者によるものなのか?  まだまだ 興味は広がるね。

時の中央政権の外敵に対する備えを これほど重要視し、しかも このような大規模な防衛の要として重視したこと。

絶大な力です。 

凄いなぁ。  

 この水門から流れ出た水は 下流の池に貯められ、干ばつや戦闘を考慮しての備蓄なのかな。

 

「通水口を設けた中門の石塁」       

 

 さて、 次は「みやこ町」にお邪魔します。

研究会では、特に リニューアルオープンした「みやこ町歴史民俗博物館」へ。

  

まず 驚いたのが博物館の屋根…金色の「鴟尾」(しび)が…えっ、凄い!

*解説に、町内に古代文化の拠点「国分・国分寺」が置かれたことにちなんだ

 古代建築風のデザインに。 この一つで 風格が出てるね。

         

  この館の テーマが 「人」「歴史」「自然」を詠い

 6つの展示エリアで構成される

  

 近代的なインフォメーション設備もありました。

 「みやこシアター」 音と映像で、みやこ町の魅力を紹介する。 ロビーに設置。

 「みやこ町の文化遺産」「みやこの先人編」の2部構成で紹介しています。

 今回 まず興味を持ったのが 何と言っても

 「忘れ得ぬ みやこ町の先人たち」

 その中に「小宮豊隆記念展示室」だった。

  私だって、小宮豊隆は知ってるよ。 

 夏目漱石の小説「三四郎」のモデル…で、漱石と深い関わりがあることは。

 

 時は 奇しくも …これも そんな運命的な出会いかな?

 現在、朝日新聞に夏目漱石、「吾輩は猫である」が連載されており

    吾輩も、毎日 読んでいる ところである。

 

 係りの方も力を入れて…今年は 小宮豊隆のブームにと。

 京築は このところ 「〇× ブーム」が続きます。 

昨年は、「黒田官兵衛」これも 偶然か今日の次の見学先が「中津城」なのだ。

さて、 この博物館の「売り」は 何と言っても 「小宮豊隆」ですね。

  そして 師の  夏目漱石との関係

やっぱりと言うか、この手の施設は、館内の展示物の写真が撮れないのが

ブロガーには不服です。

(今回もブログ掲載に際して、本、ネット各種資料より抜粋して掲載しています)

 館内 1箇所 許可が…

「小宮豊隆の書斎」 

苦心の?模型で  少しでも見学者のために努力してくれたようです。

是非、機会がありましたなら…みやこ町歴史民俗博物館へ足を運んでみたら…

 

 

  本棚の「夏目漱石の本」

    

 

  参考に 別の資料から 

 「吾輩は猫である」の初版本の表紙 

   橋口五葉の装丁

     上    中    下

      

 漱石は 本の造りに関してははっきり好みを伝えている。

「製本もなるべく美しく致し美術的なものを書店の考」と(…宛て文書に)

書きつつも …・こまごまと要望を出し

「高くて売れなくてもいいから立派に」という。

美しい本へのこだわりは、後、「心」「硝子戸の中」の自署を自分で装丁する。

 初版の「吾輩は…」は あっという間の20日間で売り切り、続編も出版

 全3巻になったのです。

  余談  この初版本 オークションで 350万円の声が …

 

 また 珍品なのは 何と言っても 夏目漱石と小宮豊隆との間の書簡である。

両人とも こんなにも「こまめ」だったのか・・・

小宮は 師と仰ぐ漱石からの手紙だから もちろんうやうやしく? 読み、

そして返信は怠らなかったでしょうが。

 とすれば、漱石は やっぱり こまめなのだ。

それも 小宮だけではなく 限定した人にも 丁寧に交換していたようだ。

 

ここ展示室にも 紹介されている 1枚のはがき 

   これがおもしろい内容だ(写真ハガキは神奈川近代文学館)資料より

原文を活字に 写真下 でお読みください。

「自分が飼っていた猫が 死んだ その訃報を わざわざ知らせたハガキなのだ。」

*小宮、野上 他に2名ほどに 送っている(文中にあるように」自分は就筆中に忙しいところ と。

そこまで やるか… 

 

 

漱石は ユーモアがあると思うね… 

漱石に関係があると言えば ある。

この6月24日の朝日新聞に掲載中の「吾輩は猫である」 その猫

「名前はまだない」…これ ずっと 現在まで続いてたのだが。

 だが、朝日新聞もユーモアを発揮して

 猫の名前を 募集したところ 2363件が応募

  「マダニャイ」 と 決まりました! 

 *こうなる あなたのお名前は? と問いかければ 

   猫が答えて「マダニャイ」  

   マダニャイの顎鬚 これって 漱石先生の感じでしょうかね。

  

 

 漱石と一緒に写っている

                     ↓夏目漱石(髭の人)

  

                         ↑ 小宮豊隆(お嬢さんの隣)

  漱石の達者な一面として

   こんな 1枚も飾ってあった。

   「菊図」 

  この記念館 もう少し早く来ていれば  今回、5日間も東京で過ごしていたので

その間に神奈川近代文学館」に行っておれば、もっと漱石との関係を掴めることが

できたのにと。  残念でした。

 他の展示 見学に 時間がなかった 再度 訪館だな。

 

 昼食場所へバスで移動… みやこ町では有名?

 「銀ずし」さんで 

 これも 初めての経験、チラシ寿しなのに?

 錦糸卵だけしか乗っていなかった…。

 刺身が付いていたので、これと一緒に食べる。

 と、いう方式なんでしょうかね。

    御馳走さまでした。

  食後 バスに乗車…中津城へ向けて。

 

 次の「中津城」も面白いのでページを割いてみたいので

 明日の掲載にします。

 

 

 

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東京美術館巡り その8

2016-06-27 | 日記・エッセイ・コラム

 いよいよ今日が東京滞在も最後の日

 そして 今回の愉しみにしていた 「出光美術館」の企画展

 出発前に調べていて この開館50周年記念「美の祝典」企画を見つけた。

 なんと、この春4月から始り、来年まで続く スケールの大きな企画展

  ちょうど上京する時に、「美の祝典Ⅲ=江戸絵画の華やぎ」が開催中

 御存じのように ここ出光美術館は、出光興産の創業者出光佐三が

 70余年の歳月をかけて、日本と中国の書画や陶磁器を中心とする一大

 コレクションの美術館です。

  昭和41年の創設。

  肉筆浮世絵、中国の陶磁器の量と質は国内外屈指と言えます。

 今回は 10年ぶりの公開をする 国宝「伴大納言絵巻」が見られる

 最高のお膳立ての時に この国宝の絵巻に「お会いできる」 

 感激 そのものです。

  有楽町線有楽町駅から すぐ。 帝国劇場が入っているビルの9階

  開館と同時に入場  次々と 人 人 人

 喉が渇いたので 備え付けの茶器で一杯 スタンバイ

 休憩の場所からは 目の前に 皇居が望まれ 緑が目に優しく

 飛び込んでくる。

  宮内庁・二重橋・右手奥には武道館の大きな擬宝珠も。

 いつも感じるのですが、ここ出光美術館に入ると大勢の人であっても 

 とにかく 静かで 落ち着いた雰囲気の中で 作品の鑑賞ができるのです。

 これは ここの作品がかもしだすアカデミックな感じを 

 受け止めていらっしゃるのか?

 大げさな表現だと「襟を正して」…

◆江戸絵画の華やぎ

 タイトル通り

 まぁ、作者だけでも凄いです。 

喜多川歌麿、

葛飾北斎、尾形光琳、俵谷宗達、 

 酒井抱一 「風神雷神図屛風」 

 この絵の図案の原型は言わずと知れた俵谷宗達の国宝「風神雷神図屏風」

 (京都 建仁寺蔵である。)

 これを 尾形光琳が模写し、さらに 酒井抱一が光琳本を模写したのです。

 その絵が 展示されています。

 抱一は、風雷神の位置や、雲の動きに変化を加えています。

 また 神々の表情にも人間的な親しみやすい雰囲気に…だから画面は軽快な感じ。

 

こんな繊細な絵も 「十二ヶ月花鳥図貼付屛風」

 

 そして圧巻だったのは 特別出品 … 国宝「伴大納言絵巻」でした。 

 本物の絵巻物は 平安時代作成の  延々と続く巻物 上・中・下巻 

 紙本着色 幅31.5㎝ 全部の長さは…2m50cmほども

  どんな物語か 作品の解説によると

 「 貞観8年(866)閏3月10日に起きた応天門の炎上をめぐる大納言善男の陰謀、その露見と

 失脚を いきいきと物語る。

群像の表現に存分に発揮された精妙な描写力、色と形の見事な調和と対比、緩急を利かせた巧みな

ストーリー展開は、多くの傑作に恵まれた古代・中世の絵巻物のなかでもひときわ魅力的である。

 

  人の動きの 細やかな部分を 何コマかの部分で…

     

 登場している一人ひとり 漫画的に その表情を写している。

 

 

 顔もそうだが、動きも それに伴って 見ているこちらに伝わってくる。

 

  絵巻物の素晴らしさを堪能したところで 今回の美術館巡りも終わりとなりました。

  6月15日の朝から 6月19日午前中まで  老骨に鞭うちながら… 

  いや、いや 楽しみながら精力的にこなしてきました。

   いろいろなネタも仕入れることが出来ました。

  絵のすばらしさはもちろんですが、取り巻くストーリー(横道話も含めて)を

  袋にいっぱい詰めて帰るこの喜びです。

また、近いうちに チャンスを作って ビッグな企画展を楽しみにしながら帰途へ。

 

ルートを変更して以前住んで居たマンションと街の様子を見に行こう と…

東急田園都市線の鷺沼に。

マンションの玄関まで行ってきました。

ここ鷺沼は 平成2年から 平成15年まで。

リタイヤして 九州に。 

毎土曜日の朝 焼きたてのフランスパンを買いに行った。

懐かしの「ビゴのパン」の店 まだ 健在でした。

ここのフランスパン1本のみが 今回のお土産…

今晩は ワインと共に フランスパンをかじるのだ。

 

鷺沼と 隣の町を散歩し、 何回も通ったカレー屋さんも 

同じ場所で、 繁昌していました。

羽田空港行のリムジンに乗り。

スター・フライヤー 夕方の便で  

       

   

  この数日間の充実した収穫が 心地よい余韻を残し 飛行機の揺れと相まって

  ぐっすりと眠りに… 

  ・・・・キャビンアテンダントの 到着アナウンスで 目が覚めた。

  北九州空港は 小雨だった。  

  降りると どっと、疲れが押し寄せ

  自然と車のアクセルに力が…路面が白く光って 走り憎い

  スピードダウンだ。

  

    

   

 

 

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東京美術館巡り その7

2016-06-26 | 日記・エッセイ・コラム

6月18日(土)

 今朝の空も快晴

 ホテルの朝食サービスを済ませ、地下鉄乗り換え順路を確認して

   まぁ、都内の地下鉄は 分かりにくいよ。

  何十年も通勤は東急電車ばかり、たまの地下鉄やJRに乗るには住んで居ても

  難しい。

  「お上りさん」になった現在では、なかなか独り合点じゃ 間違えるよ。

  必ず、確認してから乗車しないとね。

  

  フロントのお嬢さんに確認して…・「今日も いざ出発!」

 

  以前から気になっていた小さな美術館

  独特な雰囲気を持った画家 「熊谷守一美術館」へ。

  都営新宿線で「市ヶ谷」乗り換え、有楽町線で、池袋の一つ先「要町」

  歩いて およそ8分くらい 町はまだ 活発には動いていない感じ。

  開館より少し早かったので、美術館の外観の写真を撮り

  木陰で休んでいた。

  コンクリートのモダンな外観です。

 外側の壁に  「蟻」を引っ掻きで力づよく。

  ちゃんと カタカナで本人のサイン入りです。

  これ 結構幅があるんですよ。

 横壁には 小ぶりな標識

 現在 企画展は 31周年記念 この期間での来館にも ラッキー!

    入り口には   美術館、ギャラリー、カフェと。

  本人の顔 レリーフ作品と 下は 何だろう…

  入ると… その場所は カフェ、ギャラリーと同居?

 家族的雰囲気で モーニング 一杯、 なんて注文したい気分。

  入場券が また 素朴な感じで素敵です。

  美術館案内と 作品リスト 入場券

 彼の絵の特徴は、画面をはっきり線で区切り、面を平塗にする画風です。

 時代の波に押しつぶされることもなく 独自の世界です。

 館内と言うか、作品は 風景、人物もありますが 総じて「虫」「鳥」「猫」

 「花」の花瓶にさした花ではなく、地面に生えた草花を。

 

  とにかく 観ていて 楽しい! わぁ よく観察しているなぁ~

  線が素晴らしい、 迷いのない 一筆の力ですよ。

  抽象画のようだが、 いや 具象画だと 思います。

  「木小屋」  「雨来」

 

 「月夜」

 そして 守一絶筆の1枚 (1976年)

 「アゲハ蝶」

 

館内は 1階から3階まで部屋は こぶりで普通の家の居間で時間を過ごしているような。

  作品を眺めて ほんわか気分になりました。

  自然で、気張らず、唯我独尊…・  こんな画家って いいなぁ~  

  館内には守一が愛用したバイオリン、手製の道具類、愛用した皿や湯飲み茶碗なども。

  彼の日常生活の温もりが感じられ  

 賑々しい他の美術館とは趣も違い本人と傍で会話をしている そんな庶民的な印象が ・・

 

  昼前の外は すでに30度超している? 猛烈な暑さでした。

 

  次は 要町から永田町乗り換え 表参道まで…

  「太田記念美術館」 人ぞ知る 浮世絵専門の美術館です。

   ここのオーナー 故・五代大田清蔵が蒐集したコレクション

   その数、なんと 14,000点にも 

   浮世絵を観るなら ここに と 。

   ここも もう 何度目の来館でしょうか・・・毎回 楽しみにしている美術館です。

      入場券

   ここは作品の値打ちからしても安いよ。 700円。

    「歌川広重 東海道五十三次と冨士三十六景」

   保永堂版の五十三次と、葛飾北斎を強く意識した晩年の傑作富士三十六景

   それの全点を展示・・・・・こんな機会は 滅多にない

今回の 美術館巡りは本当に恵まれたた。

超超、素晴らしい 時とのタイミングが合った企画展との出会いだったから。

◆「冨士三十六景 駿河薩夕之海上」    

美術館 案内にもある 

早速 五十三次 こちらも 作品に合わせて 歩いていくことに。

 スタートは ご存知 

◆「日本橋」

 

  ここより 今日トンまで124里半(約492㎞)

   「 日本橋の近くの魚市場から 威勢のいい魚屋が魚を担いでいく。

     大名行列の中央、高く立つ毛槍が 旅立ちを表している」

     一人一人の表情…筆が細かいですね。

 

◆「駿河三保之松原」

   

◆「東海道五十三次之内 庄野 白雨」

   この絵 大好きです。

    雨の表情 もう 神業的な技術ですね。 

  とにかく「東海道五十三次」と「冨士三十六景」 全点を観ていくのですから… 

  53 +36 =1枚 1分見ても…分かるでしょ。

  そして 東海道の最終地点は 

◆「京都 三条大橋」 

 

 加茂川に架かる三条大橋を渡れば京都

  遠景には東山36峰と比叡山 当時、江戸から京都 普通に歩けば10数日の行程

  であったという…

  これって 早いの? 現代の人間なら もっとかかりそう… 

  歩くの苦手な時代になっているからね。    いやぁ~ 疲れた。

  ぜ~んぶ 見終わったら ガクガクしてきた。 

  それにさ、広重は 本当に東海道を歩いたのか? って 疑問だよね。

  こんな解説も、 当時はまだ一介の絵師に過ぎない広重 スポンサーもいないのに 

  可能性は少ないとか。

  そうだよね、だから 風景も 多少 聞き取り、創作、実際とは多少の…と思うよ。

   例えば、こんな解説も 「蒲原」の1枚 ここは 滅多に雪など降らない処 

   が 「雪景色に」とか

   最終の三条大橋の「橋げた」が 実際は「石製」が「木製」に。

   こうした点から、広重が制作以前に東海道を歩いたのは ???… 

   江戸から 箱根あたりまでとする

   こんな推測もあるとか…「広重」殿 本当のところは 

   どうなんですか 「お答え頂戴したのですが」

 なんて、 考えながら 日本橋から三条大橋まで疲れましたが 愉しんで歩きました。

 

    お昼は 道を隔てた 人気の店 コロンバンでランチを…丁度昼どき 

    やっぱり 並んで待たなきゃ食べられない。 30分ほど

    冷製パスタと生ビールをで 疲れを癒しました。

   今晩は 子ども達との久しぶりの会食なので 午後は一旦、ホテルに帰って

   お土産を買いに三越本店まで  シャンパンとチーズを用意してマンションへ。

   夜更けまで 飲み、食べ 語らい   遅くに自分のホテルに戻る。

   さぁ、いよいよ明日が最終日

   最後の 美術館は。

  

   

    

   

  

 

 

  

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東京美術館巡り その6

2016-06-25 | 日記・エッセイ・コラム

 博物館の正面入り口前の道路に沿って200mほど直進すると

 「黒田記念館」

  交差点の角 すぐに分かります。

  そう日本の洋画界あの先駆者 「黒田清輝」です。

   お出迎えを

   随分どっしりとした方のようです。

  画家と言うより、政治家? 

 

  残念ながら 御推奨の  「智・感・情」の大作 (重要文化財)

   この作品は 10月の公開まで ここでは鑑賞できません。

  

  ガイダンスのビデオをパチリ。

   黒田清輝(せいき) 明治30年に出品

   「日本人を「モデル」にすたる裸体画は之を以て嚆矢となす」と。

   1900年 パリの万国博覧会に出品され、銀賞を受賞。

  館内は こじんまりとして 作品も僅かですが

   こんなのも。

    彼が使っていた 絵具箱、絵具 パレット、ナイフ

   イーゼル等が 陳列されていました。

   

   引き返して、信号を渡って しばらく歩くと もうそこは

 東京都美術館が見えてきます。

   大きな看板が… 

   ポンピドーセンター傑作展

  エスカレーターで降り、広場に。 

         

  中央にどっしりと オブジェが、 ここは相当混雑していました。

  修学旅行の生徒が 大変多く 熱気に満ち溢れ、ざわついた雰囲気

  入場券を買って

   デザインは マチスの作品が印刷されていました。

  チラシにも マチスが、シャガールと並んで、

   さらに もう1枚 チラシがあって それには ピカソが。

  

  企画担当の熱の入れようが伺われます。

  今回の企画の狙いは、日本ではあまり知られていない画家たちの隠れた名品と

   ピカソ、マチス、シャガールと言った巨匠の傑作品

   世界屈指の近現代美術コレクションからの出展で、絵画、彫刻、写真、映像や

   デザインなど、多彩な作品群…

    えっ、これも 作品?」と 疑うような、理解できないのも 数多く?

   (私の理解を超えるというだけです)

      しかも 展示の仕掛が面白かった。

   この美術館の開館が1906年 から各駅停車で1977年までその年度の名品を

   「1年1作家1作品」という まぁ、珍しいものでした。

     贅沢に71点が 並びました。

     今回の展示方法も まったく斬新!

     入り口を入って スタートは 1906年

    地下会場から 1階 2階  最終が 1977年  

    → ミュージアム・ショップ →出口

    でも 近代編では まったく 知らない作家ばかり…

    私の年齢では、やっぱり 「ピカソ」「マチス」と並んでいると

    ホッ とするね。

   では ご一緒に。 もちろん 掲載する作品は(パンフ、図録、新聞、ネットより)

   

 まずは 1906年 朝日新聞記念号外に掲載されていた

     ラウル・デユフイ 「旗で飾られた通り」

  会場の天井は高く ひろびろ 明るく ゆったり

 どんどん 進んでいきます。 人流れも 半端じゃない…

 

1917年 マルク・シャガール

◆ワイングラスを掲げる二人の肖像

 

  この絵は圧巻でした。 高さ2㎜以上 思わず声を出しそう…

絵の中 グラスを掲げているのは、シャガール。

愛妻の肩の上に乗っている。 背後には故郷の空と町が広がっている。

 「私を空想的だと言わないでください。その反対で、私はレアリスト。

  私は大地を愛しています」   … と コメントを。

 

 

 1931年 ピエール・ボナール

◆「浴槽の裸婦」

 

 1935年 「私は、他の人たちが自伝を書くように絵を描いているのです」

 1940パブロ・ピカソ

◆(ミューズ)女神   ピカソ、初来日の作品です。

  

    

  「緑を基調とした、どこか緊張感が漂う部屋に、2人の女性がいる。 テーブルに腕を載せて眠っている女性は、30歳ほど年下の愛人だと言われている。

   この絵を描いたころ、彼女に子供が出来たことがわkり、妻との離婚問題にまで発展してしまった。

   去所は最もつらい時期を過ごしていた。完成後、お以下蘇は数か月間、描くことをやめ詩作に専念したほど。

   ピカソの作品にハ、その時の彼の人生が織り込まれているのだ。   =新聞掲載分より= 」

1937年  ヴァシリー・カンディンスキー 

◆<30>  モノクロの小宇宙

  不思議な絵です。 デザインみたい。

 

1940年  マリー・ローランサン

◆イル・ド・フランス 

    

1948年  アンリ・マチス

◆大きな赤い室内

 「私は色彩を通じて感じます。だから私の絵はこれからも色彩によって組織されるでしょう」

  晩年に挑んだこの絵は、油彩で描いた最後の作品となった。

  色と色、そして色と線が巧みに混然一体となり、巨匠の到達点を示している。

    こうして絵を観ていると、「色彩の魔術師」  そのものですね。

 

 1950年 ベルナール・ビユフェ 

◆<室内>

 

  …とまぁ、 年代を追って眺めて来たのですが、 正直、 後半は疲れてきました。

 いや、やっぱりお馴染みの画家がいない。 というより、「知らない」ということかな。

  私の すでに「昔」の人間ってところに来てるから。

 

  1973年に ジャン・デユビユツフェ (騒がしい風景)

   コメントに 「落書きが生んだ、イメージの洪水」

  どう理解していいものか…

 

  そうそう 唯一 日本の画家 レオナール・フジタの 「画家の肖像」

   不思議な人です。

   

 眺めるテンポが早くなる…   出口だった。

 

  今回この展示、三つの階に分かれた展示室

 フランス国旗とお暗示赤青白の3色で塗り分けられていた。

  これも凄いよね。 自我意識?

 会場を仕切る壁は、 斜めであったる、ジグザグ、円形 ・・・

 各界ごとに 工夫され 観る人を楽しませてくれ、しかも 作品の展示にとどまらず

 作家の残した言葉や、本人の肖像も掲げていた…斬新で 意表を突く展示だったよ。

 

 やっぱり「フランス」って、思わず 頭をよぎった。 これって、日本人感覚かな?

 

  6月17日(金) 3日間 まぁ よく歩いた。

  さて、折角久しぶりの東京 昼は 「美術館巡り」で汗を。

  じゃ、「夜」の時間は?

  そうですね、しっかり 予定を入れて 爆走して来ました。

  今夜は再会の彼女 (いえ、昔一緒に仕事をしていた会社の後輩です)との会食

 

   処は、今 東京の観光スポットである 押上の「タワー」傍の 高層階のレストランで。

   眺めは凄いですよ。

  18:30頃       19:00頃      もう夜の帳が

      

 

 レストランのテーブルから 隣を…タワーの照明が 

   写っている女性 、これ隣の席の知らない方ですから…

 

  日中の暑い都内を歩き回って 喉も・・まず 冷えた白ワインで乾杯

  前菜は アスパラガスのサラダ  ほどよい ソースがワインにぴったり

  メーンディッシュは 鴨肉のソテーを…

  グラスワインから ボトルに…いい気分ですね。  

  普段よりは きっと饒舌になっていたかも?

  酒の肴に 何が一番かって? ・・・

  それは 素敵な美人が前に居るってことでしょ。

  …・・??????? ・・・・ 時計の針は 進んでいました。

 

  レストランを出て、地下鉄の駅まで。

  そこで お別れです… ほんとだよ。

  そこから 独り 地下鉄に乗って 

  シングルルームに帰る… ちょっと ○×△◆…

  

  さぁ、明日も あるのだ。

  爺 頑張れよ!   

  

  

  

   

 

 

 

 

 

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東京美術館巡り その5

2016-06-24 | 日記・エッセイ・コラム

 西洋美術館を出て 上野公園内 国立科学博物館を右側に見て

東京国立博物館へ  入る前に  公園中央の「噴水」から

博物館を望む…この景色が広々と 気持ちがいいんです。

博物館の大きさも実感できます。

 

 暑い日でしたが、噴水の両側の木陰には修学旅行生や 家族連れの姿が。

 さぁ 入りましょう…

  入場券は 粋な図柄 これは 「雪舟」の南画ですね。

  620円 今回の美術館入場料の中で 一番安い。

 ほとんど 1000円以上 ばかになりませんよ。

 本館前です。

 

この期間中は 「日本の美術の流れ」と題し

 縄文から江戸まで 本物でたどる「日本美術史」 

  1室から10室までの凄い展示  国宝、重文の数も豊富

 地方にいると 機会が少ないですからね。

 特別公開で「天正遣欧少年使節 伊東マンショの肖像」

  が本館7室で開催中。

 

 これは 運命なのか

 たまたま 私が現在 地元の「サロン」で講演をしてる歴史の話に

 信長、秀吉時代を、さらに 来週(21日)のタイトル

 「豊臣期大坂図屏風」にまつわる話の余談に  

 この天正遣欧少年使節を予定していたのです・・・

 それが ここで 伊東マンショの肖像まで確認でき  いや 最高です。

 

 博物館は 暗い…ひんやりと 静かで 普通の美術館の趣とは別世界です。

 外国の方に人気があるみたいで、言葉、顔 楽しくなるくらい

凄く興味深く、どの部屋でも じっと食い入るように眺めているのが印象的。

 

さあ、私も 第1室から この部屋は 重文、国宝の仏像がいっぱいです。

 その中の ひとつ 写真OK が  残念だけど国宝クラスはNG

  館内は暗く フラッシュ焚いたら 係員が飛んで来るからね

  我慢 我慢 

◆薬師如来像

 最初の出会いが こうした清新な気持ちになる鑑賞スタイル

 とっても 清々しい・・そして 手を合わせたくなります。

 平安鎌倉の 遠き時間空間を超えて ここにお座りなっている

 ひとつもお歳を取らずに? 微笑みも変わらず…

 

 心静かに、そして 陳列されている 個々の珍品に どれも これも

 「ふ~ん、なるほど、そうだったのか うむ ふむ」 と、独りごと。

 日本のあけぼの 縄文弥生・古墳をながめ 飛鳥・奈良時代の仏像を

   これ、小さいんだけど…そう 国宝 「土偶」

    

 2室は 国宝室です。

  平安時代の万葉集 写本  現在残されている写本の中でも特に貴重なものと。

  しかし、「紙」と「墨」って 凄いね。 現在まで 呼吸し続けているんだから。

 

 3室は 仏教美術~平安の宮廷美術~鎌倉室町の「禅と墨画」

 4室  茶の美術

 

   ここも 戦国時代の信長・秀吉にまつわる 「茶道」

 権力者と茶のかかわり で講演の余談話に絶好!

  こんな 珍品を入手しました。

 

 ◆ 「竹杓子」

  武将 蒲生氏郷が 師匠千利休が登場

  ◆ 竹花生            ◆一重口水指

  銘 一曲 伝千利休    銘柴庵(しばのいおり)千利休の所持          

       

この説明書きが 話になるぞ!

 一挙に 400余年前に戻れる。

これを写真にして 講演の会場で 

「これは 千利休が 実際に茶の席で使っていた本物だよ…」 ってね。

 

いつも思うのですが、こうした「本物」との出会いが 勉強には一番効果的ですね。

「本物」は うそつかない! 厚みが出るでしょ。

 だから」機会があれば、 どんなジャンルでも 本物に出会う これが肝心。

 

5・6室は 武将の装い 平安~江戸  武具がずらりと戦闘用と言うよりも美術品だね。

刀剣類はまた素晴らしい…銘の入った名品ばかり 拵えの見事さにもため息が出る。

しかし、刀の刃を目を凝らしてみると 怖いほど… 瞬間、ぞっとするほどのもの。

匠の腕の冴えを感じます。

「刀」も歳を取らないのかな? この輝きは 不思議な魅力です。

 

7室 屛風と襖絵  安土から江戸  狩野派の山水の名品が

   ここで特別展示「伊東マンショの肖像」 世界初公開! だって。

   

   使節団がヴェネツィア を訪問した際、元老院が

   画家ヤコボ・テイントレットに発注した肖像画

   *伊東マンショ?

    日向の国(現在の宮崎県西都市)出身

    大友宗麟の遠縁にあたり、天正8年(1580年)イエズス会に入り

    2年後大友宗麟の使節として渡欧。 使節の主席として迎えられたとある。

 

 その4でアップした 西洋美術館で カルロ・ドルチ「悲しみの聖母」

 記憶にありますか 印象的な「ブルー」のマリア像

 

 そうなんでよ その絵 そっくりの1枚の絵

 聖母像(親指のマリア) 長崎奉行所旧蔵

  

イタリアの宣教師シドッチが携行していた聖母像

当時 彼を尋問した新井白石の記録にも残っている。

 

 

8室 暮らしの調度・書画の展開

9室 能と歌舞伎

10室 浮世絵と衣装

   葛飾北斎、鈴木春信、喜多川歌麿  ずらりと 凄い凄い。

 

 ず~っと 暗いところを歩いて時間を過ごすと 余計に疲れました。

 出口を出ると 一挙に 明るくなり 今度は 目が眩みそう…

 

 博物館前の有名な 大きな樹  「ユリノキ」

    御歳130歳余 

 この大きな樹の下で みなさん お弁当や飲み物で一休みしていました。

 

 次は すぐ右手の 表慶館へ  企画展「黄金のアフガニスタン」

    

 今度は がらりと雰囲気が変わり 日本の「詫び」「寂び」ではなく。

  眩いばかりの 「黄金の輝き」  

  「自らの文化が生き続けるかぎり、その国は生きながらえる。」のフレーズ。 

 数々の危機を乗り越えて 現在も 輝き続ける シルクロードの秘宝

  戦乱の中でも この「光」を守り抜いたのは アフガニスタン国立博物館の館員たち。

  1979年にソ連が軍事介入 国内情勢が不安定となった。

  博物館の収蔵品は、略奪や焼失の危機にさらされ、幾度も避難を。

  襲撃を危惧し、秘密の場所へ… 

  1993年 ついに博物館にロケット弾が 吹き飛んでしまいました。

  2004年 隠していたのは 大統領府にある中央銀行の地下金庫の中

   破壊を繰り返していた タリバン政権が崩壊 黄金の秘宝は

  眠りから目を覚ましたのです。

  そして、今日 秘宝は新たな歴史を歩き始めました。

   現在世界を巡回中 そして 日本へ…。

  メソポタミア・インダス文明~ アレキサンドロス大王

    シルクロード交流の精華である宝物

 

  「凄さ」は 何と言うか やっぱり エネルギーの違いみたいなものを。

   日本人的感覚では 修まらないですね。

   騎馬民族と農耕民族の違い  

   しつこさや あくどさも あります。が 、それが 「文化」なんだと。

   きらびやかな数々を ため息の中で眺めて

    

   「牡羊像」     「冠」      「襟飾」

   上のどれもが 1世紀ころのもの。

   こうして 残っているものは 庶民が使っていたのではなく

   為政者、権力者の類だね。

   「金」といえば 日本も負けずに「豊臣秀吉」という一代の権力者が

   これでもかと、豪勢に「金」を使い、 その権勢ぶりを後の世に残していますが

   やはり、そのスケールの違いは 比較にはなりませんね。

    その輝きの凄さに 圧倒されました。

   そして、ここでも、随分疲れました。

 

次は 小ぶりな  法隆寺宝物館へ

   館内に入る前の庭の設定  水を張っているのです。

静かですよ…この真ん中の道を歩いて 館内へ。

 館内から 外を   美術館自体が 陳列品? 

 いや 絵のようです。

 ここには 照明を落とし、時間を忘れさせようとさせています。

 仏像が整然と並べられ  来る人は 息も殺して 一体 ごと 拝見していく。

 もちろん ここも 撮影NG

 ちょこっと 階段の隙間を捉えて 1枚だけ。 失礼し。

 

 飛鳥時代のもので 国宝 金銅「灌頂幡」 というもの。

 これは 寺院の内外を飾る 莊厳具といわれるもの。

 銅に金メッキされている。

 さきほどの アフガニスタンの黄金は本物の金でしたが。

 「灌頂」とは、頭に水をそそぎ、仏の弟子としてある位に昇った

  ことを証する儀式。

  いや、これは 大きなもので 510㎝ も。

館内の暗い場所の高い天井から 吊るしているので 凄いです。

自然光にちかい照明が 輝きを一層浮き上がらせていました。

これ、荘厳って 言葉が出てきます。

 

  外へ出て

  また 大きな樹が

 これも 博物館らしい

   

  化石の樹 「メタセコイヤ」です。 見あげるほどの高さです。

 

  ペットボトルの水が やけに美味しい!

 

  さあ 次の 「東京都美術館」へ…

 

  

 

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東京美術館巡り その4

2016-06-22 | 日記・エッセイ・コラム

6月17日(木)

足で稼ぐこと3日目。

今日は上野公園内の3つの美術館へ挑戦です。

「西洋美術館」「国立博物館」「東京都美術館」

博物館は3か所「博物館本館」「表慶館」「法隆寺宝物館」

まず最初は お馴染みの西洋美術館へ。

 

今回、3年ぶりなんですが、必ず 美術館に行く前にやることが。

それは 上野駅中央広場にあるパン屋アンデルセン アトレ上野店で

朝食を摂ること。

クロワッサンとカレーパン、珈琲を ゆっくり味わってから行動開始なんです。

 

 今 話題の美術館です。  

    入場券の絵画は…モネですね。 

タイトル「舟遊び)ですよ。 さぁ 入場です。

     

ル・コルビュジエ設計の本館が  

そうです 世界遺産「登録」へ! 美術館前から 上野駅周辺は幟でいっぱいでした。

   

見慣れた姿です。

会社勤めの時代 昭和40年に本社へ赴任して その後2回 出たり 帰ったりで

都合22年間 東京勤務

その間、年に最低は1回 何回通った美術館でしょうか。

さらに、地方勤務の時代に この美術館の企画を旅の募集商品にして集客

「モナリザ展」「ツタンカーメン展」などでも上京した 

私にとっては縁のある 思い出の場所です。

 また 倉敷にある「大原美術館」は 広島勤務の際に 数度も。

 実業家の松方幸次郎さんの絵画に対する執念は膨大な作品の収集しました が

 その後 変遷して多くの作品が散逸。

  第2次世界大戦中にフランス政府に没収。

 戦後寄贈返還される。 このコレクションを保存公開するために

 設立された。

 日本での「美術」というジャンルでの役割 影響は

「松方コレクション」は  今日の美術に大きく寄与している

 これだけは間違いないと。 私的にも思います。

    

 この美術館も最初は「国立西欧美術館」という名称

 別名フランス美術松方コレクション とすることで 

 美術館設計契約が成立したとあります。

     1959年(昭和34) 3月31日 本館竣工

               6月13日 一般公開

     昭和天皇皇后陛下 御来館

           

 

さぁ 今回は 「松方コレクション」の中から、自薦の作品を

思い切ってアップさせてもらいます。

 *美術館では作品の撮影は禁じられているのですが、今回係りの方に確認すると

  個人蔵の絵は禁止ですが、それ以外はOK だと。 これはありがたい。

  壁に架かっている「本物」を写すことができるのだから。

  館外の庭園には 御存じの彫刻が…

 

    「カレーの市民」  「考える人」  「弓を引くヘラクレス」 

      

 朝から強い陽射しでした…駅から公園までの坂道を歩くだけで すでに顔に汗

 今日の外の温度は? かなり上昇する予報でしたが

そして この大きな 見上げるような作品 「地獄の門」

 うまく撮れた…朝日が なんだか神々しい  思わず手を合わせて・・

       

館内に入る前に 清新な気分で これなら きっと落ち着いて鑑賞できるぞ!

運なんですね、 時間的に偶然 なの?  混雑してません。

 

 不思議なんですが、同じ絵を何回眺めても 「飽きない」

 「いい絵」は いえ、「好いもの」は 何にしても飽きませんよね。

 作品の感じたこと 解説は 今回 作品の数が多いので タイトルとちょっとの

 コメントで流していきます。  ブログご覧の皆さんも 目で楽しんでください。

 

◆ 「マグダラのマリア」 フィリップ・ド・シャンパーニ

       

     「ただ じっと 眺めているだけで 和らぎます。」

 

◆「眠る二人の子供」  ルーベンス

       

        「子供の寝顔くらい 神々しいものはない」

◆「悲しみの聖母」 カルロ・ドルチ

       

         「なんと表現したらいいのでしょうか 」

◆「最後の晩餐」 マールデン・ド・フォス

    

◆ 波    ギュスターグ・クールベ

    

     この絵を観るたびに、クールベの筆使いの凄さ、 思わず身体を避けるしぐさに・・

      現代版「動画」ですよね。

     この絵との出会いは 教科書が肇だったような記憶ですが…

◆アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム) ルノアール

     

      ハーレムって こんな?  悲壮感 なんて微塵も感じさせないね。

         刺激、 官能・・・ルノアールの名作の一つ  

 

   ここから 「モネ」の作品が続きます。 ごゆっくりとご覧ください・

◆「雪のアルジャントウイユ」 クロード・モネ

   

       おお、寒む!   雪、雪  でも なんとなく温かく感じる

◆ 「黄色いアイリス」 クロード・モネ

      

 ◆ 「舟遊び」

     

      

        パリの貴婦人たちの優雅さだね 遊びにも余裕を感じる。

       全体がはっきりしないのに、頭の中では 表情まで理解できるもの。

◆ 「睡蓮」 クオード・モネ

    館内を睥睨するかのような大作です。  200×200cm

   モネは 自分の庭園を造り 池を掘り、太鼓橋をかけ 睡蓮を植えて

   連作 「睡蓮」を生涯描き続ける…

   この作品も 彼 晩年の作で 最も優れた作品と言われています。

    何十人もの来館者が 通り過ぎていきました…何時 経過したのでしょうか

    それほど じっくりと 眺めて  それでも まだ 時間が…

  

 

◆「愛の杯」

 ダンテ・ガブリエル・ロゼッテイ ◆海辺に立つブルターニュの少女たち 

                        ゴーガン

 

 

◆ 「帽子の女」 ルノアール 

    

    この絵 好きですね~…   もう1枚  

◆「横たわる浴女」 

   

◆ ジャン・ルノワール婦人  アンドレ・ドラン

     

   画家の筆一つで 随分と雰囲気が変わりますね。

   ルノアールが描く婦人とは  別人?…

◆「絵画」 ジョアン・ミロ

   この絵 好きです。   

◆美しい尾の牡牛  ジャン・デユ・ビユッフェ

   

◆「男と女」 パブロピカソ

  

◆テラスの二人の婦人  エルネスト・ローラン

  最後に 上品で 安心して眺めて居られる 1枚

 

 

 もうすぐ目の前が 「出口」です。

 

 如何でしたか 松方コレクション  あれも これもと 欲張ってしましました。

 長らく お付き合いいただきまして ありがとうございました。 当人にとっては大変 嬉しく 

 心より 感謝申し上げます。

 

 これだけ 触れ合うと…「気分が高揚しませんか?」 そして 疲れも…。

 館内では 飲食できませんから…ああ 喉が渇いた…

 もう 足も 棒に…  ちょっと休憩するか。

 

  真夏の太陽      東京も暑いね。

 

 では 明日は 国立博物館 を 駆け足で… 

  

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東京美術館巡り その3

2016-06-22 | 日記・エッセイ・コラム

 会場は人の波?

 沸く用に増えてくる やっぱり東京って 素直に感じます。

 会場の中央に休憩用の椅子が しばし 目の前の絵を眺めながら小休止。

 

 第5章「絵の労働者」:ルノアールのデッサン

  昨日の最期の画面で「田舎のダンス」のデッサンがありました。

  黒色鉛筆 コンテ?なのかな。

   彼は デッサンには特に力を入れていたようです。

  今回、展示されている作品の習作(デッサン)が何点もありました。

  また ルノアールの絵具箱、パレット、絵具皿、容器、筆、ナイフ

   チューブ入り油絵具… ふ~ん、これが 実際に使っていたいたものか と。

 

   ネットの解説の一行から 引用・・・

  「 ある日、文学者たちとの昼食の席で、彼はこんな風に語ったそうです。

    「結局のところ、わたしは自分の手で働いているよ。

     だから労働者さ。 絵の労働者だね」 ・・・・

 

    う~む、 そういう表現になるか…文筆家も そういえるよね。 書家だって。

 

 第6章 子どもたち

   ルノアールは自分の3人の息子たちの絵を描いています。

    それは 自分の生きていく証みたいなものと いかに家庭生活が

   絵を描いていく上に需要なことで絵あったかとも。

  

      「道化師(ココの肖像)」 

  ジュリー・マネ あるいは猫を抱く子ども  

   「麦藁帽子の少女」 

 

    これが 母性

    乳飲み子(ルノアール夫人と息子ピエール)

    可愛い乳飲み子のふっくらとした可愛い手…

   夫人の顔 記憶にあります?

  

   昨日の最後の1枚  「田舎のダンス」の若い時の 夫人の顔 比較しても

   変わってないよね。 

 

  第7章 「花の絵のように美しい」

 

    ここでは 4点 小品が展示されていました。

    「桟敷席に置かれたブーケ」

    なんでもなく さりげなく バラが … なんともなさがいい。

    「グラジオラス」

 

  第8章  <ピアノを弾く少女たち>の周辺

 

    リヒャルト・ワーグナー 

    かの有名な音楽家だ。 何故 このコーナーに。

    ピアノ との関係?

   「ピアノを弾く少女たち」 

   

  

    どのくらいの練習時間なんだろう…少女たち 真剣なまなざしですね。

    この少女のふくよかな 撓るような 指先・・・筆使いの凄さを感じます。 

    「ピアノを弾く イヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル」

    こちらは 大人2人 友達じゃないね 先生と生徒?  奥の方が先生かな?

    譜面に指指しながら…ここは、 半音下げるのね、 ここは 強く感情をこめて

     な~んて 話しながら 練習している…これも  私の 想像ですが。 

   

 

  第9章 身近な人たちの絵と肖像画

 

   「バラを持つガブリエル」

    彼 ルノアールは 絵の注文があったとき、 身近な人をモデルに使っていたようです。

    このガブリエルも親戚の娘で 以後 200点以上の モデルとして登場するのです。

    「ステファン・ビジョン夫人」

   

    ここで なんと 突然に ピカソが登場しました。

   「白い帽子の女性」  オランジュリー美術館蔵 1921年 油彩

   

   

  第10章 裸婦、「芸術に不可欠は形式の一つ」

        裸婦と言えば ルノアール とすぐに浮かんでくる。 が。

         彼は 画業の当初は あまり裸婦を描いていませんでしたが、後半から 

        ラファエロ、ルーベンスなどと競いながら 懸命に挑んでいます。

        また 戦争で負傷した息子、亡くなった妻 そんな悲しみに直面し、

        自身のリュウマチとも戦いながら 死ぬまで続けるのだと。

        多くの名作を残しました。

        繊細な筆の動きは よもや不自由な手で描かれたものと 感じさせない。

        こえは 強い精神力がなす業なのでしょう。

 

   「浴女たち」 1918-19年

    この大作は ルノアールの人生における最後の数ヶ月に制作されたもの。

   

   

   

 

  この展覧会の展示も そろそろ終わりです。

  

   ここに 当事者 ルノアールに登場してもらいましょう。

   この絵は 1879年作 40歳

  

    彼は生涯 まだまだ確たることは言えないそうですが…4000点以上の作品を残した。 と。

    そのバイタリティはどこから?

    彼と師匠が ある日の会話の中で  最後に「好きでないと絵は描いていけませんよ」と。

      後半はリュウマチに悩まされ、筆を持つのも大変 先ほどの 「浴女たち」では

    こんな逸話も残っている 「筆を指に結び付けて 動かないよにして描いた…」

    真偽のほどは別にしても 飽くなき挑戦 と 理解すれば  でも その苦闘を思わせないほど

    軽やかな筆   まったく凄いとしか言いようがありません。 

 

    今回 このオルセー、オランジュリー両美術館蔵の厳選された作品をじっくりと鑑賞できたことは

    ラッキー も ラッキー

    絵を愛する一人として この会場に時間を置いた こと自体が さらに私自身を豊かにしてくれました。

 

    会場を出て 外の空気を吸い込んだ途端、心地よい疲れが どっと… 

    「疲れることも」いいね。

     やっぱり、人間 一つや 二つ 「夢中になること」を傍に置いておくことだね。

      国立新美術館は 高層ビル。

     外観は周囲を圧倒!   さすがと言うばかりの姿です。

     とにかく充実したなぁ~と 自然に笑いが…

      看板も 「お疲れさま! 如何でしたか」 …と。

            そう、 絵の中の2人じゃないけれど、 

            「ダンスしたくなる気分ですよ」と返したい 。

    一息ついたら、今度は どっと 汗が流れてくる…そんな暑さだ 外は。

 

   さて 元気出して 次の 美術館へ レッツ・ゴー!

    

   

 

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東京美術館巡り その2

2016-06-21 | 日記・エッセイ・コラム

 箱根湯本の湯に浸かり、湯本駅のすぐ傍

 「湯本富士屋ホテル」でのOB会は盛大に終わりました。

 朝、すぐに湯本駅から 小田急ロマンスカーで新宿へ。

 今回の超目玉 「オルセー美術館・オランジュリー美術館蔵

 ルノワール展を。  国立新美術館へ向かう。

 乃木坂駅からは直接美術館への道だ。

           入り口への回廊 

 今から入る人達か また 終わって休憩する人か

    ここから入場 

 

  世界でも有数のルノアール・コレクションを誇る、オルセーとオランジュリー

  美術館  100点を超える絵画や彫刻作品でルノワールの全貌に迫る!

   まずは ルノワールにご対面してから入場しましょう。

            こんな髭爺さんです。

     もっとも 彼の後半時代に撮ったもの。

    

  今回の企画は 大きく1章から10章までテーマ別に区分され 展示されていた。

 1章「印象派へ向かって」  入ってすぐに 

   「猫と少年」  「陽光の中の裸婦」

   最初から ホー…と 緊張気味です。

  この裸婦像 戸外の光 影  なんと肌に微妙に表現している。

  まだら模様ではなく 光と影なのだ。 凄いな…

 2章「私は人物画家だ」:肖像画の制作

   彼は 自身でかなり人物画を自負していたそうな モデルは 街の女たち、仲間

   労働者 有名人も   いろいろ描いている。 特に若い女性が得意だと。

   「読書する少女」   「ヴェールをつけた若い女性」

        ちょっといい雰囲気していますね。

 これは仲間の画家 「クロード・モネ」を。

      ルノアールの有力な支援者だったのが

  「ジョルジュ・シャルパンティエ婦人」  

 

  第3章 「風景画家の手法」

    彼の描いた油彩画の4分の1は「風景画」だった。

    それも アトリエ内では表現できない 戸外の光との

    取っ組み合いだったと…

    「草原の坂道」  60×74㎝  小さな作品ですが 

        大きく広がって まさに草原の空気が 肌に感じますよ。

      紅い日傘を持った婦人、その赤が 素敵な画面構成に。

       軽やかに 弾んだ動きを感じませんか…

   

   「アルジェリア風景、野生の女の谷」 

     旅先での1コマ   ちょっと異国的?な 

   

 

  第4章 「現代生活を描く」

    ここでは このなんとも可愛い 「アルフォンシーヌ・フルネーズ」

           

    「ぶらんこ」   この絵も 木漏れ日が ドレスに 点々と…

   

   

   そして ルノアールと言えば この1枚 

    「モンマルトル、ムーランギャレットの舞踏会にて」

       大作です 131.5×176.5㎝   会場中央に デンと構え 

     「これを観よ! 」

     ダンスホールで踊る 若者たちを いきいきと描いた

     この画面に登場するモデルは みな 彼の仲間たちなのだ。

     今から140年前の フランスでは 毎日こうして市井の人たちが 

     楽しく 生活していたの?

  

  

   一人一人の 細かい 表情まで  会話の 一言まで 耳に入って来そう…筆も踊っています。

   

  この章では 数多くの「踊り」をテーマとした作品が 並んでいました。

 

   ダンスと言えば こんな名作も…

   美術館に入る道の 大きな樹に この絵の看板が 架かっていました。

    「都会のダンス」                  「田舎のダンス」                

    こちら シルクの夜会服をまとう女性         のちにルノアールの妻となる                 

      モデルのシュザンヌ・ヴァラドン          アリーヌ・シャリゴがモデル

      

    *当初は ルノアールは どちらのタイトルにもヴァラドンを描く予定だった…

      しかし、シャリゴが嫉妬したので やむなく 代わった とか …

      画家も もてると大変だ。

    

     会場も時間の経過とともに 混雑してきました…

      なんでこんなに「人」「人」「人」なの?

     やっぱり 東京だね… 朝の満員電車を待つホームの光景に同じ。 

     切れ目なく 続く 続く。

    さて、今日は ここまで…まだ このルノアールは 続きますから。

  

   

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老爺の駆け足 東京「美術館めぐり」 

2016-06-20 | 日記・エッセイ・コラム

 時計の針を 少し戻します。

(6月15日 箱根湯本でOB会に出席のため 久しぶりに北九州空港を

 早朝7:00のフライトで発った)

 羽田空港から 直行リムジンバスで新宿まで。

 今回の大きな目的は いくつもある中で  

 「美術館巡り」をアップします。 

 ちょうど東京は 凄まじい暑さ リックを背負って汗だくの奮闘でした。

 東京へ着いた当日から 開始です。

  バスが到着したその場所は そう 林立する高層ビルが…圧倒する光景です。

  そそり立つビル   東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館

 

  こんなユニークな企画です。 出発前の下調べの際に、「樹」が主役。

  いろいろな画家が 「樹」をテーマにした1枚を 一堂に展示するというのだ。

  これは 面白い! 

  パンフレットには コローから モネ、ピサロ、マチスまで…

 錚々たる 巨匠の名前が 「樹」を主題にこれほどの画家が と。 ワクワク。

 企画の狙いは、 印象派を中心とするフランス近代風景画の進展を探ると ある。

 これは樹木を介した 「光」と「影」を追求し、その色や形を絵画の要素としてとらえ

 「樹木」をどのように描いてきたのか…多くの作品を美術館や個人蔵を集め展示していた。

 その数、110点を超える規模で 時代の変化が絵によって 表現されていました。

  表紙になっている 

 「ヴァルモンドワの下草」 シャルル・フランソワ・ドービニー (1872年

   素敵な1枚です。

  澄み切った小川の草むらに 艶やかな貴婦人が木漏れ日を浴びながら楽しそうに語らっている。

  「樹」の神が 降りて来て 一緒に会話しているのかな? 優雅と言うか、ヨーロッパ風が香るね。

   キャンバスの真ん中に 大きな樹が逞しくそそりたつ1枚。

   細かく点描で描かれ 光と影を浮き出す1枚。

   太陽の光こそが 樹の色彩に欠かせないと…朝を画面に取り入れる 1枚。

   コローの1枚は さすがだね (エトルタ近くの風景)とあったが、 誰が見ても 納得。

   そんな 自然な筆遣いは 絵画に初めて接した方でも 「ああ、いい絵だね」と

   立ち止まって眺めるでしょう。

    印象派と言えば 「モネ」

   そう、 世界の美術館で「印象派」の画家 彼の収蔵品がないところは? ないでしょうね。

   その彼の 「樹」の1枚 これ 「ラヴァクール(夕暮れの効果)」が

   

   

   この絶妙なタッチ 色遣い 「光」をもっともうまく表現した画家  

   画面からも 雲の 川の水の 風の…・ 個々の動きが 微妙な筆のさばきで 見る人を 納得させてくれる。

  「樹」だけで 企画ができる 美術館の学芸員のひらめきに感謝 感謝でした。

 

  この美術館と言えば 例の1枚です。

  そう ゴッホの「ひまわり」

  

  1888年 ゴッホは アルルで7点の 「花瓶に生けたひまわり」を描いてるそうですが

  この作品はそのうちの1点  意外と 小作品 (100.5×76.5㎝) 壁面の中央に飾られていました。

 

   この美術館が 一躍脚光を浴びる きっかけの1枚 なんと このゴッホの購入額(約58億)

   生きている時に ゴッホの手に入っていれば… 描いている時は いつも スカンピン っだったのに。

   可愛そう…・。

   左右に セザンヌとゴーギャンが

   アリスカンの並木道、アルル」  セアンヌ「りんごとナプキン」

   

   今日は ここまで これから 毎日 美術館巡りを 続けます。

   ブログ画面で あなたも ひとときを お楽しみ下さい・・・・。

    絵の 感じ方は いずれも 私的なことですから 1枚の「感想」は あなたの感性で…。

 

  

 

 

 

 

  

 

 

 

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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。