黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? NO.7

2021-06-20 | 日記
 「ラヴー亭」は、オーヴェール=シュル=オワーズの村役場と道を挟んで向かい合わせに立っていた。
    

            *もう一度、村の地図を記憶に入れておいてください。

  ゴッホが描いた「村役場」
      

 
  現在の町役場(村役場)
   ゴッホの描いた絵のパネルが役場前に~       

 
 役場の向かいにある 現在の「ラヴー亭」
  
      Maison de Van Gogh(ゴッホの家)
   クリーム色の壁に黒っぽい屋根、
   店の正面は 落ち着いた赤、窓には白いレースのカーテンがかかっている。
 いまや世界中から観光客が訪れる超有名店。  
        
 
  一部屋がゴッホが住んでいたころに近い形で復元され
一般公開されている。

 これは19世紀当時のラヴー亭と従業員
           
  
  復元されたゴッホの部屋(階段から中を) 
       
      
現在、この場所を運営している「インスティチュート・ファン・ゴッホ」
の代表リアム・ペータースに「自分のオークション会社にゴッホ関連の歴史的資料が持ち込まれた、それに関する信憑性を調査しているので、ぜひとも協力願いたいと・・・秘書(アメリ・ロワナー)を通じて伝えていた。

三人は、秘書ロワナーと握手を交わし~
 ロワナ「あいにく、ムッシュウ、ペータースは外出していまして…
まずは、「ゴッホの部屋」をご見学ください。
そのあと、よろしければ、そちらで私がお話を伺います。

階段を上っていくツアー客に付いて行った…

ギローはここは初めて~
部屋の真ん中に立つと、
これは…」と何か言いかけて、絶句してしまった。

     部屋は信じがたいほど狭いので一度に案内できるのは7、8名が限度。
       (室内は撮影禁止なので~絵ハガキから 内部を)。
   
      

 いまでは世界中で愛される画家となったゴッホ
 そのゴッホが最期を迎えた部屋が、こんなにもちっぽけで、
       貧相で侘しい場所だったとは‥‥。

  部屋の壁に掛けている裏返しのカンヴァスをみつめ、
   その上に張り付けてある文章に・・・・

  「いつの日か、僕の古典をどこかのカフェで開催する。その方法を
    見付けられるはずだ」
     フィンセントからテオの手紙…だ、そうです。

 *現在「ゴッホの手紙」が903通残っています。
弟テオ宛が一番多く、他には、画家仲間 ベルナール、ゴーギャンなど。
  丁寧な絵入りの手紙が多かった・・
  自分の絵についての話、そして、画家仲間には、共同生活の誘いなども
  そして、テオ宛には感謝の気持ちと、生活費の送金願いも多かった・・・

                     

                 
                     

                       
 
             
              


「せつないなぁ」 ギローは頭を左右に振った。 「実に切ない」

冴は、小さくため息をついて言った。
「皮肉にも、フィンセントが亡くなってすぐ、
    彼の夢は実現したんですよ」・・・
「そう、告別式の場が、フィンセントの初個展の会場になったんです」

 生きているあいだに個展を開く夢をかなえられなかった兄を不憫に思った
のだろうか、臨終に立ち会った弟テオが急遽、ラヴ―亭の二階に描き溜めて
いた作品の一切を飾り付けた。晩年の傑作の数々~
 <ドービニーの庭> <カラスの飛ぶ麦畑> <薔薇> 

          

 <医師ガシュの肖像>  <オーヴェル=シュル=オワーズの教会>
             

              が、壁を、棺の周りを埋め尽くした。

  そしてそれらはのほとんどは、形見分けと、テオが列席した
 兄の友人たち、世話になった知人たちに手渡したのだという。

*個人的な意見!  おお、もったいない…ごめんなさい。
 これが一堂に会して、「村」に保存・保管されていれば、今頃、この村全体が
 「ゴッホ美術館」になっていたのになぁ~…。


その後、ゴッホの部屋を出て ビストロ・ラヴー亭のテーブルに着き、
給仕係のお薦めのメニューを注文した。

       
  
 グラスワインがテーブルに並べられたタイミングで、

 やって来たのは、秘書のアメリアではなく、細見で白髪の男性
 代表のリアム・ぺータースだった。
  3人は驚いて、あわてて腰を上げ、それぞれに握手を交わした。
 「今日はお出かけだと…」

 「いやいや、たいした用事ではなかったので…」
   
  肉の煮込み料理を注文されましたか。うまいんですよ。
      
                 イメージ写真です。
 
 「皆さん、こちらは何度目かのお越しですか?」
 
 フィリップが、ギローと私は初めてです。

 冴は、フィンセント・ファン・ゴッホとポール・ゴーギャンの研究者
 でもあるので、調査の為に何度か来たとかで」

ペータース
「そうですか、フィンセントとポールの…」と目を細めて。
「ファン・ゴッホを愛する方なら誰であれ、当方への訪問を歓迎します。
 が、ファン・ゴッホトゴーギャンの研究者ならなおさらです。
私たちがお役に立つことがあれば、なんなりと協力しましょう」

一点、お伺いしたいことが…
 「なんでしょうか?」

こちらの団体は、1987年に、ファン・ゴッホの終焉の部屋を保存・公開 することを目的として立ち上げられたということですが、きっかけは
なんだったんでしょうか。」

 「私の個人的な体験がきっかけで始まったのです」 と、
    ペータースは30年ほどまえの自身の体験談語り始めた。

 まとめますと、「彼が37歳の夏、オーヴェルの町で自動車事故に遭う。
 正面衝突で、丸一週間、意識不明、目が覚めた彼に向かって
 ドクターが言った。奇跡だ!

退院後すぐに、事故現場に向かった。そこはクリーム色の壁、あの食堂の前の道だった。ドアーを開けて中へ入ってみると、恰幅のいい店の主人が
「ああ、旦那、生きて帰ってきたんだね、あんた! よかった、よかった」
ペータースの両手を握って激しく上下に振りながら、大粒の涙を流したの
だった。
聞けば、百年近く続くそのビストロ「ラヴー亭」は、
とある出来事」のせいで、何度もオーナーチェンジをし、
彼が十五人目の店主だとのこと。
その「とある出来事」のために、ラヴー亭には「お金を落としてくれない客」がひきも切らずにやって来て、儲からないのにいつも忙しい思いを
させられている。そこへきて店の真ん前で「死亡事故」が起こった。
いっそうまともな客が寄り付かなくなり、この先どうしたものかと途方に
暮れていた‥‥。
 その「お金を落としてくれない客」とは、
 世界中の美術史研究者や美術愛好者だった。

そのとき、ペータースは初めて知った。
 自分が九死に一生を得たその場所は、あのフィンセント・ファン・ゴッホが
 命を落とした場所。
 そして事故が起きた日は、ゴッホの命日、7月29日であり、
 ゴッホはペータースと同い年、37歳でこの世を去ったのだと。

   驚くべき告白に、冴は体の芯が痺れるほどの感動を覚えた
 
 死して百年経ってからなお、こんなふうにひとりの人生をまったく変えて   しまうほどの力がゴッホにはあるのだ。

 「ところで、ムッシュ・ペータース。私からもお尋ねしたいのですが」
   あなたがこの店を買い取ったとき、壁に使えなくなった拳銃が・・・
  古ぼけたリボルバーが飾ってありませんでしたか?」

  ペータースは、目を瞬かせた。
   「リボルバー?」

   「ファン・ゴッホが自殺に使った・・・とかいう拳銃ですか?」

   「そう、それ。それです。赤く錆びついた、何の役に立たない
    鉄くずみたいな、あれです」
        
      
  ペータースは苦笑した。
 


続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。