黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

「棟方を追いかける~」第10話

2024-05-05 | 日記

昭和35年 棟方志功 57歳

もともと視力が弱い棟方だったが、この年の年末には眼病が悪化して

 左眼を失明しているが仕事が絶えることはなかった

 毎年の「日展」に出品するほか「板から生まれる画」を追求し続けた。

             (制作中の棟方)

     

 10月 青森県庁知事室に「鷺畷の柵」を納める。

 初めての海外旅行で、アメリカを訪れピカソの「ゲルニカ」などの名画を見た。

            ピカソ <ゲルニカ>

  

 その帰国後間もない時期に制作された板画である。

 かって「善知鳥村」(うとうむら)と呼ばれたという故郷青森の原風景を題材

 としたこの作品は自然形態を見事に「白」と「黒」のみ再構成した画面の中に

 一つの世界観を構築している。 

   飛び立つ白鳥や水鳥、菖蒲に蓮、白黒反転させつつ組み合わせて画面を構成している。

 バランスの取れた「白」「黒」の対比はまさに木版でしか創り上げることが出来ない

 装飾の「美」である。この作品は、幅2.5mを超える大きなものです。

 彼の才能とエネルギーには敬服するばかりです。

 

 

昭和36年 58歳

 1月  青森県庁舎玄関上に大阪壁画「花矢の柵」を納める。

       

 新築された青森県庁の壁画として制作した作品。日本の文化の

 流れがこれまで南から北に向かっていたのに対し、この矢をアイヌが祭りの

 最初に四方に美しい花矢を捧げる儀式から想を取り、日本の北から南へ吹き返す

 ことを願って作ったたという。

 馬には四神(玄武、青竜、朱雀、白虎)を示す文様が描かれ、三本足の赤い鳥がいる

 太陽と兎がいる月が加えられる。

 画面の騎上の女性は鼓と笛(東西)木製の花矢(南北)を持ち青森の発展を祈る。

 右上の太陽と左下の月は「宇宙の回転をこの中におさめる」意味である。

             <花矢の柵>

 

 「故郷の土に生まれ、その土にかえるわたくしは、青森の泣きも笑いも

  切なさも憂いも、みんな大好きなモノです。 

  ナントモ言えない、言い切れない、湧然没然があるのです。

  ーーーまたそれだからこその「青森」です。」

                          私の履歴書より

 

  昭和38年 60歳

  「東海道棟方板画」に着手。

  完成まで1年を要す。

駿河銀行から現代の東海道五十三次版画の制作を依頼された棟方は

7回の取材旅行を重ねた末、東京から大阪までを61点、(表題、柵外

開扉、閉扉を加えて65点)にまとめた「東海道棟方板画」を翌年4月末

に完成させた。棟方は単に目の前の風景を写すだけではなく、そこに

生きる万物の生命感を「板画にする」作業に徹し、縦(彩色)と横

(黒白)の画面を交互に置いて構図的な効果も考慮している。

 

     とても作品の数が多いので、適当に選んでアップしました・・・

  <開扉>

      

 

    <大磯 徳永晨雪(とくながしんせつ)

      

 

     <袋井 裂戸堀(きれとぼり)

      

     <豊橋 招城天守(まねきしろてんしゅ)

      

 

     <桑名 鳥居波(とりいなみ)

      

 

     <京都 雪見台(ゆきみだい)

      

 

     <大阪 街心雑踏(がいしんざっとう)

      

 

   昭和39年 4月 

  「東海道棟方板画」が完成。

 10月 朝日新聞社より「東海道棟方板画」を刊行。

  自伝【板極道】を中央公論社より刊行。

      

 昭和40年 62歳

  ㋁~㋄ 2度目の渡米。

 昭和41年 63歳

  6月 草野心平との共著、詩画集「富士山」を刊行。

        *この項、アップ済み

  7月 脳血栓で倒れる。 秋ごろより製作再開。

 

 昭和42年 64歳

 10月~翌年1月 個展開催の為三度目の渡米、その後各地を巡回。

 昭和43年 65歳

          <門世の柵>

      

別名「なでしこ妃の柵」画面に彫り込まれた撫子は棟方の愛する花のひとつである。

数多い女人像の中でも想いの深い作品。

門世とは、画面の四隅に置いた東西南北の文字が世界への門だという棟方の造語である。

 

           <飛神の柵>

  

  「御志羅(おしら)の柵」と題して日展に出品。のちに表題を改めた。

  東北地方には、祭りの日、巫女たちが、桑の木で作った男女一対の

  素朴な偶像(おしらさま)を両手に持って舞わせながら、祭文を唱えて

  五穀豊穣を祈る民間信仰がある。

  「飛神の柵」は神の使徒である神馬と姫君とが、艱難辛苦の果てに共に

  天高く舞い上がって神となり、さらに蚕に変身して人間に幸福をもたらす、

  という巫女の祭文を表したもの。

  棟方は画面に男女二神を遊ばせて、貧しい郷土の人々への豊穣の祈りを

  込めている。

 

 昭和44年 66歳

 ㋁  青森名誉市民(第1号)の称号を贈られる。

 8月  万国博覧会出展するに日本民藝館のための板壁画

     「大世界の柵・乾坤」が完成する。

 

大世界の柵・坤(こん)ー人類より神々へ

昭和38年 原題を「乾坤頌ー人類より神々へ」といい、

向かって右半面には「栄光の柵」、左半面には「慈航の柵」という副題がつけられている。

  倉敷国際ホテルの壁画を依頼され制作したもの。

  上下2段の板壁画として現在もホテルロビー壁面におさめられている。

 

 大世界の柵・乾(けん)ー神々より人類へ

 大阪万国博覧会のため棟方は「乾坤頌」の板木の裏面を使って同寸の板壁画を制作、

 「大世界の柵・乾ー神々人類へ」と改題乾坤合わせて全長27mの巨大な板壁画「大世界の柵」

 2図を完成させた。

  「森羅万象をいままでの仕事いっさいをこめて表現した」と棟方は語っている。

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