黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

秋野菜つくりだ

2005-08-31 | 日記・エッセイ・コラム
 今日の園芸科の勉強は「秋野菜つくり」でした。

我が家の畑も、随分長い間ほったらかし状態です。

この秋から少し野菜でもと思っていましたので

まあ白菜、大根、ブロッコリー、キャベツ等かな?

アブラナ科の植物ですね。

ユリ科では、たまねぎ、ニンニクを。

前の授業で防虫剤として畑の周りに、「ニンニク、ネギ類」が
効果ありという話。 是非、試してみよう。

これからの季節で料理の主役となる野菜ですから

多少本気で作ってみたいと・・・

そうそう「水菜」を追加しなくっちゃ。

サラダに良し、鍋にはもちろん。炒め物、おひたし。

あの「しゃきしゃき感」はたまらない。

夏野菜の「トマト」「キュウリ」がそろそろなくなる。

野菜は絶対に「旬」に食べるものです。

季節外れに食すなんて邪道・・・ほんとです。

無理やり、時期を早めたり、遅くしてまで

なぜ?生産、出荷するのだろう。不思議です。

姿・形にとらわれたり、色にも。

自然で良いじゃありませんか? 

わざわざ、曲げてまで食べる必要がどこにあるんでしょう。

「野菜」ですから、「野」は自然の「菜」は葉です。

気候も、温度も、土も、虫も 自然のままの状態で

「おいしくなる」ように それが自然の循環でもあるのです。

ハウスで温度調節したり、冷蔵庫で寝かせたり

熟していないのを、無理やり発酵させたり

人間は一番自然を破壊していきます。

植物も、動物も みんな自然の生態を破壊する

いつからそんなに横暴になったのでしょう?

虫食いだって、曲がってたって、いいでしょう。

「おいしいもの」は何故 おいしいのか?

その時期だから、その土地だから

その育て方だから なんです。

「身土不二」の言葉の通り

自分の身近な環境で育つものを

おいしく食べる。 これが健康の源です。




友達の輪を

2005-08-30 | 日記・エッセイ・コラム
このところ「blogzine」ご無沙汰しています。

OCNcafeの日記で精一杯です。

同じもの載せてもつまらないし、さりとて

毎日、そんなに幾つも感じることはないしね。

まあ、気楽に綴り方教室していればと・・・

「cafe」の来訪者 さすがですね。

世の中には、ほんとにいろいろな方がいる

人間の「能力」って素晴らしいですよね。

そして、いかに「自己表現」をしたいのか

「発信」があって「受信」がある。

そう「キャッチボール」することによって

仲間が増え、発信したことで共鳴でき

新しい発見と進歩が始まる。

前進したいと思えば、まず行動だね。

生活ってのは「ひとり」じゃ駄目でしょ。

「繋がる」がなければ意味もない。

そんな関係を上手に結びつけてくれる

それがこの「文明の利器」ですね。

これからも「脳」を刺激し、指を動かし

話題に関心を持ち、「問いかけ」をして

相手の「反応」をいただき

日々の生活のリズムにしていこうと。




今尚「矍鑠」

2005-08-21 | 日記・エッセイ・コラム
 昨晩高校時代の同窓会にj初めて出席した。
 45年ぶりの会う顔がほとんど
顔と名前が一致しない人が次々と
特に、女性は思い出せない。
名札の旧姓を確認しながら、話を聴いて
やっと「ああ、思い出しましたよ、○○さんね」
「いや、失礼いたしました」
そんなやりとりが続く。

恩師はたった一人の参加であった。
もう随分の先生がお亡くなりになっているとのこと。

本日のH先生 なんと90歳でのご出席

マイクを持って挨拶の声の凛として元気なこと。
当時の思い出を語りながら、先生の人生談も交え
最後には、私たちを激励してくれる言葉がポンポンと
みんなそのパワーに圧倒されました。
「矍鑠」って、こういう姿なんだな。

挨拶の最中、ふっと思い出しました。
当時の先生の授業は生徒には退屈で、黒板の字を
読むのさえ苦痛だった。
教科は「世界史」、本音で言うとこの先生の授業で
世界史が嫌になった。
だから、いつも「日本史」の教科書を隠し読みを。

先生、すいませんでした。 m(__)m

本当は世界史は面白いのですがね。
社会人になって、仕事柄地理と歴史は随分勉強しました。

宴もたけなわ・・・ 舞台では生徒の一人の日本舞踊も披露

挙句は、恩師が手にマイクを持ち、カラオケを。
いや~ これには参った、参った。
声は朗々、詩ははっきり、音程もしっかり・・・
そして歌詞も忘れず3番まで 
・・・・・・・・・・ しばし全員、唖然として、聞き入っていた。

凄い、恩師みたいにそこまで長生きしたいとは思わないが
あの元気な生き方ができれば、と感心するのみ。

最後に一言、「また元気でお逢いしましょう」・・・には
もう、生徒一同 「完敗宣言」で乾杯?????

さて、次回にどれだけ元気な姿が揃うものやら??
担当幹事さんへ
「10年先の計画なんてしないでくださいね」





心静かに

2005-08-15 | 日記・エッセイ・コラム
今日は60年目の「終戦記念日」

戦後引き揚げてきてこの地で10余年

学校を出て企業戦士として全国各地を転任

以来、40数年ぶりの郷里での生活

当時の「思い出」は、私にとっては

「思い出したくない思い出」ばかり。

周囲の友達からの「いじめ」

毎日毎日繰り返される・・・

なぜ、「引揚者だからいじめられるの?」

理由がない。納得がいかない。

親も生きて行くことが精一杯の姿を見ると

「何もいえない」・・・ 我慢しかない。

着物1枚をほんの少しのお米に変えて貰う家の子供だから

「食べること」の意味が理解できる。

「人間は何のために生きるか」

当時は、理想や夢や、格好じゃない。

「食べる」ことだった。

「かぼちゃ」「かぼちゃの種」「さつまいも」「さつまいもの茎」
「菱の実」 白米なんかめったに口に入らず
 芋の中に粟や稗を混ぜてのご飯?・・・
「稲穂に群がるイナゴ」「川のドジョウ」「池の蛙」

なんでも食べた。

でも、食生活が辛いと思ったことはない。
生活が苦しく、「貧乏」ということだって皆同じだから。

でも、「よそ者いじめ」

この土地の品性に対して憤慨だった。

だから、この土地から早く逃げ出したかった。

あれから40数年・・・

もうあの頃の「悪餓鬼」も半分はいない。

あの世でも相変わらず「いじめ」の番長しているの?

でもやっぱり、「辛かった肝心ことは」

独り、胸の中にしまっておくほうがいいのかも。

お盆です。静かに、先祖や今年亡くなった方に
手を合わせてお見送りしましょう。





 


お盆

2005-08-12 | 日記・エッセイ・コラム
 テレビのニュースで帰省客の道路交通情報が流れている。

主要路線はどこも渋滞●●km・・・

「どちらさまも ご苦労様です」 

この時期、「ほうずき」が色づき、「蓮華」が花開くと「お盆」が

やってくる。

日本列島 相変わらず 時代が変わっても民族の大移動

私の家にも檀那寺からの棚経がありました。

住職の息子さん、今日は数十軒のお参りだとか。

この「お盆」の行事は推古天皇時代から始まり、日本全国

に広がったようで、今では日本人にとって切っても切れない

一大行事です。

「南無阿弥陀仏」・・・  幼少のころから聞きなれたお経

当時は、両親の後ろに座って手を合わせ拝んでいた。

お寺のお坊さんの後姿がなんとなく大きく見えたのも

両親が前の日から、仏壇を掃除したり、お飾り、お花と

準備に忙しく動いていたのも記憶に新しい。

「お盆」のお参りが、とても厳粛であり、生活の中に

きちんと位置づけられていたからだと思う。

また、必ず月の初めには仏壇の前に座ったような。


「なぜ、手を合わせて仏壇にお参りするの?」と聴いた。


母は「亡くなった先祖やあなたの「お父さん」「お母さん」が

あなたに対して充分な愛情を注ぎ、今日健康な身体で

過ごしていけることに感謝の念を持つこと、そしてあなたが

その恩に報いるために、他人に気遣い、親には孝行の心

を持ち続けて、次のあなたの子供にもそれを教えて行く」

つまり、「生きている意味」を自分で掴んで行くことなの。

 確か こんなような言葉だった。

立派な仏壇や、大きな墓は我が家にはないが

心の中では、「供養」はしているのでは? と。

子供たちにも、「お参り」はひとつの形として教え

てきた。

「お盆」 響きのいい言葉です。

1年に1度くらいは、ほんとうに「ねんごろ」に

「当時を懐かしみ、噛み締め、感謝し、語り合って」 

父母を憶い、お迎えし、お帰り頂こう。

この10年ちかく、無病息災。

これも日頃の心がけ?

「南無阿弥陀仏」・・・・・・ 

「ほうずき」がまるで灯明のように輝いて見える。




ガーデニング

2005-08-11 | 日記・エッセイ・コラム
ブログの日記 少しご無沙汰しました。

[OCNcafe]の日記も。

ガーデニングについての講義を受けました。

日本庭園には、
寝殿つくり、浄土式庭園、回遊式庭園
枯山水式庭園、茶庭、大名庭園

西洋庭園は
イギリス式庭園(自然風景式)
フランス式庭園(平面幾何学式)
イタリア式庭園(露壇式)
スペイン式庭園(装飾庭園)
ドイツ式庭園(区分園)

日本庭園は 写景、縮景・抽象など自然や宗教
的な考えをテーマとしたものが多い。
石や樹木の配置に約束事があり、ある程度の
知識と技術を必要とする。

西洋式は、整形式や非整形式がある。
各国により特徴がある。花壇や噴水、池、
彫刻、カスケード、プラントボックスなどを
用いて作る。

 とまあ あるけれど。 

どのようなガーデンを造りたいのか?

どんな形で組み合わせるのか

どんな色の配色にしていくか

建物、周囲の環境、材料、花の種類、色彩
を自分の好みでつくればいいのでしょう。

振り返って、我が家の庭は?

何型庭園だろう?

玄関までは、「鉄平石」でアプローチを。
家の周囲一面は「黄金カナメ」「レッドロビン」
「紅トキワマンサク」の垣根
庭の中央を「赤砂」で敷き詰めている。
 水を撒き、熊手で「波」模様を朝、描いている。
これって一部、枯山水?かも。

家の周囲をいろいろな樹
それも西洋樹木が主である。
その中に、「蘇鉄」「南天」「紅葉」「欅」もあり
「カツラ」「シマトネリコ」「ハナミズキ」「シャラ」
「つつじ」「アカシア」「ライラック」「エゴノキ」
が囲んでいる。

花壇は、正方形にレイアウトして
花によって区分分けしている。
コーナーはすべて「オキザリス」でラインを。
真ん中は「半円形」のシンメトリーにして
季節の花を植えている。
春は「パンジー」「チューリップ」を全体に。
夏は「ポーチュラカ」「マリーゴールド」
冬は「水仙」など
 所謂、いろいろな花の寄せ植え方式

もうなんでもありき式かな?

1年中、花を絶やさないようにするのは大変
種を撒く時期、花が咲く時期、色彩、成長の度合い
やってみると、これは充分に勉強しないと無理

花や木に命を吹き込むのもいい加減ではできません。

何式に拘ることなく、楽しめる庭園にしたいと

「_003.jpg」をダウンロード




春の庭園 ピンクを主体にレイアウトしました。

 


1年1度

2005-08-06 | 日記・エッセイ・コラム
8月6日 広島に原爆投下 

あれから60年

父親の郷里が広島五日市でした

広島には2回赴任の経験

8年間 広島の街で

広島の真実を知った

それから毎年この日だけは

どこで生活していても この時間 8:15

「黙祷」を捧げる

何もできない。 でも 平和の祈りだけは

犠牲なった方たちの未来を思えば

自分が生きている意味を もっと 感じ

そして 有意義な生き方をしなければ と。

ほんの少しの時間だけでも

静かに 「考える」 

そんな時間が 今朝の この時間





もう8月

2005-08-02 | 日記・エッセイ・コラム
 早い。 ホントに早い。

「光陰矢のごとし」・・・ 24時間の経過がこんなに早いのかと。

このごろ本当に実感する。

「何もしない」のに?

「仕事」があるわけではない。 刻々と時間が過ぎて行く。

昔の24時間と、今の24時間。 同じでしょ。きっと。

でも、違う。今は。

「何か目的があって」の時間と。

「何もない」時間

やはり、生活をするということは、「目的」をもつこと。

これにつきる。

「漫然」「だらだら」「なんとなく」・・・・・ タブーだね。

この日記だって、なんでもいいから書き残す。

そう思って始めたのに? 続かない。

駄目だ。 

もう一度仕切りなおしだ。 

暑さを克服じゃない。 自分の毎日のリズムをだ。

傍で「蝉」が自分の命をかけて鳴いている。

「鳴くことが目的」 終われば「死」が待っている。

もっと「生きる」意味を 自分に問いかけよう。

8月はいろんな意味で「振り返る」いい月だと思う。

もうすぐ8月15日だ。

8月6日 広島 8月9日 長崎

原爆記念日だ。  戦後はまだ終わっていない。

黙祷・・・ 合掌・・・


続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。