NO.4の終わりに~
じゃあ、この錆びついたリボルバーは、いったい 何なのだ?
この言葉の意味は
ファン・ゴッホ美術館のキュレーター・アデルホイダの言葉
「これは、違う。当館の展覧会に出展されたものじゃないわ」
その後、冴たち3人
(オークション会社「キャビネ・ド・キュリオジテ CDC)の
ギローと、ジャン・フィリップ)は、週末、ギローの車で
パリ郊外の村、オーヴェール=シュル=オワーズに向かった。
この小さくて素朴な村は、十九世紀の画家たちドービニーを始め、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/e1/02ea57ae68dc5803cbaf60d0ec6e5d3e.jpg)
*ゴッホはドービニーに憧れていましたが、最期まで本人に会うことが
なかったが、敬愛を込めて居所の家の庭を描いた。
<ドビーニーの庭>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/cf/c71a9098f7644ab3df514d9442c3615a.jpg)
*この絵は、二つのヴァージョンがあり、そのうちのひとつは
縁あって、日本の「ひろしま美術館の常設展示室で見られます)
カミューユ・コロー、カミューユ・ピサロ、ポール・セザンヌなどが滞在し、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/3b/2cd71802c013293c0c256680d37470e6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/3e/562d07d4e7601f08f25322ada4425098.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/11/87b2170a3ff80010691fafa24c6ce5bb.jpg)
創作した 「アトリエ村」なのだ。
もちろん無名の画家たちもこの場所を訪ねた。また画家であり
精神科医ポール・ガシェもこの地に暮らしていた。
ゴッホの最期を見届けたのも彼だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d9/843cebccff1a1df12a75d594d6aa5c68.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/6c/5c1651b42f45076c70589de86cb04dac.jpg)
(ゴッホの描いたガシュ医師)
ゴッホが最後の二か月余りを過ごす受け皿としての村でもあった。
「ところで冴。 そのゴッホ美術館に出展された『別の』リボルバー
が壁に飾ってあったといういう食堂は、この近くなんだろう?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/a0/52f9d7a8ab654cace907a33efcaed506.jpg)
「ええ、そうです ここから歩いてほんの五、六分です」
でも、まずは麦畑に、と思って…」
ゴッホ美術館のキュレーター、アデルホイダ・エイケンは
「ゴッホと病」展に出展されたリボルバーについて教えてくれた。
そのリボルバーが発見されたのは、およそ五十年前のことである。
『 オーヴェール=シュル=オワーズの村内にある畑--どこに位置する畑か
特定できていない~で、ひとりの農夫が土を耕していた。
勢いよく鍬を振り下ろした瞬間、ガツンと金属同士がぶつかる音がして、
刃が何か硬いものに当たった。
不審に思った農夫が手で土を掘り返してみると、錆びついた一丁の拳銃
が出てきた。とても使えない代物であることは一目瞭然だったが、農夫は
律儀に警察に届けた』
このことで、拳銃のうわさは村人全員が知ることとなった。
農夫は、私は要りません。
ずっと昔に自分の父親が持っていた拳銃かも知れません、なんぞと言ってる
人がおるらしいんで、その人に譲ることにしましょう。
父親がかっての所有者だった可能性がある~と、発見者に申し出ていたのは、
ラヴー亭のもと主人、アルチュール=グスターヴ・ラヴーの娘、
アドリーヌ・ラヴーの関係者だった。
*(アドリーヌはゴッホの絵のモデルを三度にわたって務めもした。)
ゴッホが描いたアドリーヌ・ラヴー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/a6/85a90d92820d4dce886939b116a6b21f.jpg)
*NO.3で ラヴー亭、ゴッホが過ごした部屋は紹介済みでしたね。
彼が麦畑でピストル自殺を図った…というの伝説化してしまったんです。
研究者の間では、自殺未遂の場所の特定は現時点ではできていません。
研究者の間では、自殺未遂の場所の特定は現時点ではできていません。
ややあって、ぱっと視界が開けた。
一面の麦畑が目の前に広がっていた~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/c2/a01b42fc91c8ac1338fa05bbd1b07129.jpg)
( 現地の風景写真)
ゴッホが描いた<カラスが飛ぶ麦畑>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/0c/d86846bff0dc1bf4ed6d4dd7ec031b23.jpg)
吹き抜ける風が畦道から土埃を巻き上げた。
鳥の群れが低く垂れた曇天の空を舞い飛んでいった。
畦道が交差する四つ辻には、ゴッホが自殺未遂を図る数日前に描き上げた
とされる
「カラスの飛ぶ麦畑」のパネルが据え付けられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/d7/48d1b805ae8d60bf65c92fc136711915.jpg)
大勢のグループがその前に集まり、記念撮影をしていた。
ラヴー亭とは、ゴッホが人生最後の十週間を過ごした下宿屋を兼ねた
食堂である。
実はゴッホが自殺に用いたのは、主人のアルチュールが護身用に持っていた
拳銃だったかもしれなかった。
アドリーヌが自分の父親から聞いた話として、当時は無名の貧乏画家で いまはすっかり有名になった「あの」ゴッホに拳銃を貸してやったんだが、 自殺に使ったあとはもう帰ってこなかった~と、知人に伝えたところ、 その人物が農夫に接触して、元の持ち主に返すべきではないかと諭した ようだった。
ラヴー亭は地元民が通う定食屋としてゴッホがやって来る前年の
1889年に開業し、何度もオーナーチェンジを経て、およそ百年後の
1988年、非営利団体「インスティチュート・ファン・ゴッホ」によって
購入された。
ゴッホ終焉の場所として保存すべきだという気運が高まる中で、 ある篤志家から資材を投じて修復したのだ。
以来、ゴッホの聖地として世界中から多くのゴッホ・ファンが集まる場所
となった。
では、錆びついたリボルバーはその後、どうなったかというと‥‥・
ファン・ゴッホ美術館は所有者の情報収集を怠ってはいなかった。
彼女(アデルホイダ)は、はっきりとは言わなかったが、
「ファン・ゴッホの自殺に関りがあるかもしれない」
そのリボルバーは、わが美術館に寄贈されるべきと、狙いを定めている
に違いなかった。
あるいは、館の予算を使って適正な価格で購入してもいいと考えて
いるのかもしれない。
・・・・いずれにしても、冴がもたらした
「オークションハウスにリボルバーが持ち込まれた」という
ニュースに彼女は飛びついた。
その価値って?
「ひまわり」
「アイリス」
「星月夜」![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/4e/edd88bf3e25063f36210fde463892f10.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/61/e822c1a7dfdd04be7e587adc4d77de2e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/34/e524dc090617027fdcc4f512e11c4d21.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/4e/edd88bf3e25063f36210fde463892f10.jpg)
でもない。
骨董的価値も美術的価値もない。 赤く爛れた一丁のリボルバーに。
・・・・そして結局、それはファン・ゴッホ美術館が展覧会に出展する
ことで権威付けしたリボルバーとは違うものだと判明した。
「で、つまりうちがマダム・サラから預かっているあのリボルバーは、
いったいなんなんだ?」
「贋作か? スクラップか? それともアートと呼ぶべきなのか?」
冴は、こう言う。
「確かに混乱を招く行為だったと思います。だけど、そうまでして、
あの錆の塊をオークションのテーブルに載せようとしているのは、
何か強い意識というか、意志というか、意地というか~
とにかく、彼女の心の中にある何か(懐かしさ、哀しさ、寂しさ
でも、満たされた気持ちにもなる感情・感傷)…が感じられます。
少なくと、私には。」
風が麦畑をざわつかせて吹き抜けていった。
彼方に赤茶けた塀が見えていた。
フィンセント・ファン・ゴッホが弟のテオと並んで永遠に眠る墓地が
そこにあるのを冴は知っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/4e/5e764f3f205845a453bfba8df101857b.jpg)