黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

お疲れさま・・・お茶をどうぞ!

2016-10-29 | 日記・エッセイ・コラム

 夕べの雨が嘘のように晴れ上がって 快晴!

  参加者には 暑いくらいに気温も上昇

      

今日、地元中津街道沿いの与原下区・上区の街道を

1500人ものみなさんが健脚を楽しむイベント

「北九州ー中津 ウオーキング大会2016」

  コースは

 苅田町観光協会がウーオキング参加者への「おもてなし」を。

その歓迎、接待に地元苅田町与原(よばる)上区・下区の老友会の

みなさんが全面協力  初めての企画に参加し応援しました。

 

当日の朝から街道に「休憩所」の案内版を取り付ける。

沿道 10か所に。

  

 休憩所「上区公民館」は 地元のお寺「明増寺」の下

    

         公民館前にはテントを張り  

テーブルに「お茶」「ゆで卵」「蒸かしたての紫芋」「飴」など

おもてなしの数々・・・・

老友会の皆さんは 朝 8:30集合

男性軍は、「テント張り」「テーブル・椅子」など休憩所のセッティング 

婦人部は 調理室で 湯沸かし、玉子、紫芋を蒸かす作業を…

  

  手慣れたもの それぞれの作業は順調に…

 公民館内のフロアーも開放…ゆっくり横にもなれるように。

  飴も お茶碗も準備よし。

 

おもてなし部隊? は準備OK 

 

小倉城スタートは 7:40ごろとの情報…

この休憩所まで約17㎞ くらいかな? 

一番の武者は? 何時ごろ到着か… しばし 到着を待つ。

休憩所近くの道路際には 綺麗な花も並んでお出迎え…

  

休憩所より少し手前の角まで お出迎え…

一番の姿が見えてきました。  続いて若いお二人さん  そして次々と。

「お疲れさま! もうすぐ 休憩所ですよ~」 

          

全員で 拍手で出迎え…

「お茶をどうぞ…冷たいのと 熱いのと…」 「コーヒーもありますよ」

スタンバイのみなさんも

元気よく声をかけて お・も・て・な・し 

 

しかし、初めてのこと、どの間隔で 到着するのか、どのくらい立ち寄るのか・・

全く予想ができません…到着組の数は どんどん増えてくる・・

いや、それは凄い 参加者小倉からは1500人も 

洪水のように 押し寄せて来ます… 20数名のスタッフも てんてこ舞い?

張り切っていますが…なんせ もう みんな 敬老の日に参加するメンバー

終わった後が 心配…

 

「湯呑、洗って」「お湯をポットに入れて来て」「玉子 まだ、塩はどこ」

「紙コップ もう ないの?」 

 

 もう 戦争状態です… 

   ゆでたての卵をむく… 

 

外に設けた休憩所の椅子でゆっくりする ご夫婦、子供連れ 若いカップル

そして 老年組も  思い思いに 

  

 

 もう 場内は 人 人 人 …予想以上の混乱です。

「お湯は足りない」「玉子はすぐになくなり 追加をと…」

「お茶を入れるのにも間に合わない…急遽、ペットボトルを買いに走る・・・」

右往左往です。

もう 無我夢中、 終わった後に気が付いたのですが・・昼食も抜きで

頑張った。

 

でも、到着の皆さんは みんな 大喜びでした。

「うわぁ~ お茶が美味しい…もう一杯いいですか…」

「この紫芋 とっても 珍しく おいしい」

「ゆで卵なんか出るんですか…初めてですよ」 と。

 

来年も また 寄らせて下さいね…だって。 嬉しいですね。

 

おもてなしする私たちも 笑顔100%  

そして 休憩後 また 

「スタスタと足早に スタートしていきました」

 

まだこの先は長い 中津までは あと35㎞…

楽しみながら 頑張って下さいね… 声をかけて 送り出す。

 

激戦は あっという間に 終わった。

   疲れた…

でも 心地よい疲れだ。願わくば 参加者全員の 完走を願いながら…送り出した後

後片付けで 本日の  おもてなし は無事終了です。

上区 下区 のお年寄りの皆さん? 大変お疲れ様でした。

今晩は ゆっくりとお風呂に入り ぐっすり おやすみなさい。

 

今日の このイベント 残念なのは もう少し 沿道の方々への

告知がよかったならば…応援の声が 参加者たちにはもっと 力になったのにと。

これも 来年への反省のひとつ  かな?

 

     

  

 

 


古(いにしえ)の陶工の技が眩い

2016-10-26 | 日記・エッセイ・コラム

 市立文学館を出たら…霧雨が 

 大した雨でないので 歩いて、リバーウオーク北九州へ向かう。

 5階の「北九州市立美術館分館」

  開催中の「九州古陶磁の魅力」

      田中丸コレクション展に

  

   観覧料1,000円

 

チラシ説明には…桃山時代から江戸時代にかけて、日本陶磁は転機を迎え

そして大きく開花しました。中でも重要な役割を担ったのが九州陶磁でした。

朝鮮半島から渡来した陶工たちは、唐津や有田をはじめ九州各地に窯を開き、

優れた陶器を生産する礎を築きました。

日本初の磁器生産に成功した有田地域では伊万里焼、鍋島焼など日本独自の

美意識を有する磁器が作られ、17世紀ヨーロッパへ輸出され、その魅力は海外に

まで広がりました。

 

 今回は田中丸コレクションの逸品が展示されており、その収蔵品の質の高さは

まさに愛好家にとってはたっぷりと古陶の魅力を堪能することができました。

 渡来した陶工たちの腕の冴え! 光ってました。

また 変哲もない器が、使う人の心や 場所、季節、使い方 そして相手により

その姿を変える? そんな感じを受けました。

田中丸善八氏は 茶道を好み、優れた九州陶磁器を愛し 50年に渡って、収集し

名品を今日に残し こうして我々が今、愉しむことができる。

 ひとつ ひとつの器を眺めていると…どんな時に 誰が?

 どんな使い方をしているのかな? と 想像力が膨らんできます。

 最近の私の講演でも「戦国時代」を取り上げ、信長、秀吉、家康の話に

「器」を登場させて、物語を展開する… 利休も 織部も顔を出します。

 そんなことを、あれこれ考えながら…展示品をゆっくりながめてきました。

  これもまた偶然なのか このところ こんな本を読み終わりました。

   

 

  「絵唐津菖蒲文茶碗」 17世紀初期    「奥高麗茶碗 銘 閑窓」

   ナンバー1 の名品

                 

 「三島唐津茶碗 銘 蓬莱」         黒唐津片口

                

 

  これはもう うっとりしましたね。

  しばらく 四方八方から 眺め 独りで 悦にいってました。

  何とも言えない 優雅さ、 釉の微妙な変化はやっぱり神の技だ

   高取 「耳付四方水差 銘 若葉雨」

   銘も 若葉雨だなんて… もう ぴったりだね。

  

  そして この作品も シンプルだけれども陶工の腕の冴えを感じます。

   描けそうで…描けない こんな単純な筆さばきこそ 素直な人でないと

  この自然さは どうですか

   

  この器を 田中丸さんは 賓客を私邸に招き

  彼 自らの茶室「松 庵」で ひとときを過ごし

  客人にこの器を色紙に描いてもらっていた…その色紙が飾られていました。

  客人とは…九州の電力王 安永翁をはじめ

   歌舞伎役者の坂東三津五郎、画家の東山魁夷

   作家の武者小路実篤  など 各界の有名人たちも筆を取った。

  

  展示品は100を超えるもので その姿に圧倒 

   お茶を嗜む方ばかりではなく 是非 この機会に訪れてみると

あなたの世界も変わるかも? 

  では 少し 続けて鑑賞いたしましょう。

現川 「刷毛地色絵抱銀杏文輪花皿」 伊万里「染付花鳥文皿」

                 

伊万里「色絵祥瑞写団龍文稜花鉢」   柿右衛門「色絵団龍文陶板」 

             

柿右衛門「色絵花鳥文陶板」      柿右衛門「色絵唐子舟遊図皿」

              

柿右衛門「染付山水図大鉢」    色絵唐子文面取徳利

            

  鍋島「色絵蕎麦花畑文皿」

     

   これ 素敵ですね  チラシの顔になっていました。

    蕎麦の花を こんな タッチで サラリと描いて…唸りますね。

「鍋島「色絵木犀文皿」    鍋島「色絵更紗文皿」

           

      鍋島「青磁耳付広口花入」

    

 

 

今日は 銘品の鑑賞をしてきましたが 

日々の暮らしの中にこそ   「器」は使ってこそです。

それが たとえ銘がなくてもです。

 「玉 磨かざれば 器をなさず」 の言葉もあります。

人間のことだけではなく

器そのものだって、心を込めて 使ってあげれば 光ってきます。

味も出て来ます そして 深みも増してくるというものです。

 

手持ちのささやかな器 大事に使い、美味しく「食」を愉しむことに。

 

 


没後20年司馬遼太郎展「21世紀”未来の街角”で」

2016-10-25 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は北九州市小倉 「北九州市文学館」で開催中の

司馬遼太郎さんの展示会に行ってきました。

 西小倉駅から歩いて10分少々 朝の気持ちのいい空気の中を

  人もまだ少なく 独り占め?

  小倉城の石垣の姿も美しく 鴨が泳いでいました。

 

 文学館前です。 大きな看板が 左に曲がって 正面

    入場券700円也

 

  

 入ってすぐに大きなパネルがあって 小さな紙が 凄い量で貼ってあった  これは?

 「竜馬がゆく」の週刊誌連載の最初から最後までのものを…1300枚以上とか

   当時の週刊誌には 挿絵が入っていました(岩田専太郎画伯)  

 

  こうして 連載中のものを 一つずつ 整理され 展示。 これだけでも 大変な仕事…

 

展示コーナーの前に

   司馬さんの 懐かしい声が ビデオで流れていました。

   「この国のかたち」での インタビューに応えて 

     この真っ白な髪 素敵な笑顔 独特な語り口…

しばらく 座り込んで 聞き入っていました。

もう、ほんとにすぐ傍で直に語っているかのような錯覚です。

チラシのフレーズの通りです。

「司馬さんにあう。本にあう。」

 

  ここを通り過ぎると ガラスの箱に収められた司馬遼太郎の出版した初版本と自筆原稿(本人が訂正構成した赤やら緑やらの鉛筆の跡が・・・)

   *本当はこんな貴重な資料、写真に撮りたかったのですが、許されません) 残念です。

  また、 司馬さんの 本のタイトルを「色紙」に直筆で書いたものも展示…垂涎ものです。

  挿絵や歴史資料なども

(チラシより)

 

    司馬さんの作品は どのくらい?

   全文庫・選書本にされたものの一覧表がありました。

  これだけの作品群の中から、先ほどの 資料類が各本ごとに陳列棚に展示され

  細かく説明がされていました。

  絶対にこの展示物を撮ってみたい…しかし、事前の確認でも駄目でした。

  帰宅後、せめて 本の表紙だけでも 私の蔵書からと思って 展示されている分だけ

  蔵書していました。(初版本のないものもありますが、ほぼ揃っています。)

  こうして 表紙を並べてみて 「懐かしい!」

  なんだか、また 読み直しをしなければ? と。

 では 展示されていた「本」の紹介いたします。

 

    

    

    

     

   この名作「街道をゆく」は 全43冊というもの。

   挿絵には 「須田剋太画伯」の挿絵も 際立っていましたね。 どちらも既に星になった。

   街道をゆく モンゴル篇での 「ゴビ砂漠星空」 この1枚が懐かしい・・・・

   展示されて居ませんでしたので。 編集しました。

   

  そして 誰もがこの本は 読んだ…

   「竜馬がゆく」  (文春文庫本)

   

私は初版本を貸してあげた。 戻ってこない。 ひどいです。 

それ以来、彼とは・・・・  

しかたがないので その後、 買い直しました。

 

   

 

  今日は 火曜日 館内は幸いにも 入場者は少なく ゆっくりと ひとつひとつ

  説明文を読み 司馬さんと話をしてきました。

 

振り返れば、先年、長年の夢がかない 東大阪の「司馬遼太郎記念館」

に行ったときの感動がよみがえってきました。

司馬さんに会えた! 龍馬にも会えた! 

この年寄りが 震えて感動した いい思い出でした。

 そしてまた 今日。

すぐ近くで こんな 企画展があった。 運命の出会いですよ。

「生きていてよかった」…大げさではなく、そんな気持ちです。

 

さらに、いいことが 続くのです。

この10月の30日には、「竜馬がゆく」の竜馬の高知に行ってきます。

そして「坂本龍馬記念館」に行って 「竜馬」「武市半平太」にも合って来ます!

  

 その時の お話は また ゆっくりと お楽しみに・・・・。

 

 

 

  


衣替え?

2016-10-24 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、一昨日と 空を見上げると…

  「うろこ雲」がいっぱい。

秋そのもの 珍しく穏やかな雰囲気でした。

今日も 温かく すっきりとしたいい天気です。

 

「衣替え」って言葉があります。

季節季節に「衣」を替える。 

生活の中で季節に 衣だけでなく 「替える」ことを 

学校の制服なんて そうだし、布団なんかも「夏用」から「冬用」へ。

この衣替えというのは、中国から渡ってきたそうで、平安・室町時代のころから

貴族たちの間で習慣として「夏」「冬」の衣替えがあったものが、

段々、庶民へと・・・・。

お寺の「風干し」なんてのも

 そう、奈良正倉院の国宝の風干しなんかも。

 

太陽の日差しも夏とは違って 柔らかな感じです。

家内から、今日は布団を干そう…と。

押し入れの羽毛の掛け布団を取り出し、ベランダの物干し竿へ。

きっと今晩は「ふわふわ、ほかほか」の布団でゆっくりと寝ることが~  。

 

 と、まぁ、布団を干したら…今度は。

天気もいいし、ちょうどいい機会だから「換気扇」を洗ってちょうだい! と

 追加注文が飛び出しました…

我が家は油を使うことが多いから、あまり油がこびり付かないうちの方が

楽に仕事ができるわよ… というわけで、男の出番だと そそのかされて?

 「フード」から 周囲 換気扇の扇もネジで外し、吸い込み口の網板も

しっかり磨き上げました。

      

これには、「セスキ炭酸ソーダ 重曹 中性洗剤」を混合して使うのです

しつこい油汚れも これでOK 

やっぱりこれは 男の仕事ですね。 ちょっと首がだるくなってきますが。

 こうして 周囲がなんとなくいい雰囲気になってくると…さらに目が…

 

そうだ もう秋も中盤…部屋の雰囲気も替えよう…て ことで さらに さらに。

 

秋から 冬にかけての壁面の「絵」を替えよう。

 

まず 和室の壁には、 ちょうど季節    大分県国東にある「富貴寺」を。

    「秋の富貴寺」という題です。

   

玄関に入ってすぐの壁には、「阿蘇山」の絵を。

   

静かなで雄大な阿蘇 朝の風景です。

  1980年6月 「阿蘇 根子岳の朝」 と署名が。 

この作品は 私の中学校時代の美術の恩師から亡くなった後

お嬢さんから、父の思い出として受け取って下さいと

記念に頂いたもの 

先の、「富貴寺」と一緒に。

先生は、何度も「日展」入選の画家で、私ももっと真剣に

教えを乞うていたなら・・・・ と。

 今更悔やんでみても。  

 

 リビングの隅、窓際には イーゼルに載せて 

ベルナール・ビッフェの作品「キュナール城」を(65㎝×50㎝)の「ポスター」 

を額装しました。 

     でも 作品としての雰囲気十分あるでしょ。

偶然にも名前が一緒の「ベルナール」で

向かいには これは 本物(ベルナール・カトラン)のリトグラフです。

「SMOLL RED AND BLACK TOKONOMA」

「床の間」という 日本の題が付いている。

これちょっと 自慢なんですが 165枚刷ったうちで 最初の1枚なんです。

    小作品ですが 朱と黒の色

とっても素敵で 眺めていても飽きません いい絵です。

 もう1枚 これも 日展入選 数回 友人の絵です。

 我が家では珍しい お人形さんの油絵

 可愛らしいですよ…。。

 これで 部屋も締まってきました。

 「食欲」「芸術」「読書」 の秋

 いい季節ですね。

 

いやぁ~ 身体を動かすのは悪くないけれど…

 寄る年波には?   少し疲れました・・・・

 

 


「筑紫君磐井」反乱伝承とその時代

2016-10-22 | 日記・エッセイ・コラム

 今日の午後は勉強会。

郷土歴史研究会の10月の例会講座で9月に見学に行った

「岩戸山古墳」 そう今日の主役でる筑紫君磐井

(つくしのきみいわい)が築いたものといわれています。

 *この日の見学内容に関してはすでに9月25日にアップ

 つまり 磐井は反乱者? 郷土の英雄か

 

 そんなロマンを探る話を期待して…会場へ。

  

 約2時間 淡々と お話が続く・・・・結構きつかった。

  これを簡略まとめるのは 至難の業・・・・

 

  「磐井の乱」と 言われている 話は ここから始まる  

 『古事記』継体天皇の条  に

  「此の御世に、筑紫君石井、天皇の命に従わずして、多く禮旡かりき。

   故、物部荒甲の大連、大伴の金村の連二人を遣わして、石井を殺したまひき。」

 

『日本書紀』

  ・・・・是に、筑紫國造磐井、陰に叛逆くことを謀りて、・・・

 

  時は、5世紀 東アジア全体が激動の時代

  昔々、 学校の歴史で 勉強した

  朝鮮半島 高句麗、百済、新羅の覇権争い・・・・

 

   その時代、磐井をはじめとする北部九州の豪族たちは、弥生時代から

  海を渡って、大陸と交流を持っていました。

   特に、高度な文化を誇る中国との交流は意義深く、ヤマト王権に比べ

   有利な地の利を活かしていたのです。

  

 

 と、このころの日本はまだ統一国家ではなく、

 有力豪族が各地を治めていました。

 ヤマト朝廷と地方の豪族は対等でありながらゆるやかな上下関係にあり、

 朝鮮半島への進出を目指すヤマト朝廷から、人や船や食料を提供させられ

 不満がたまっていました。

  この地 磐井は、軍事、外交、内政すべてに自立し、財力を持っていた。

 ついに火の国と力を合わせ立ち上がった・・・・

  しかし磐井は破れ、この後に大和朝廷の国家統一が進んでいった。

 「磐井の乱」は古代史上の大事件だったのです。

 

  古事記や日本書紀に磐井(石井)は

   「天皇の命令に従わない悪者」として記されています。

  さぁ、ヤマト政権の勝手な出兵、無理難題に我慢の限界を

  それは 九州の各地の豪族といえども一緒、政権に対し反旗を…

       権力者の立場で言えば、「反乱」

       地元愛で言えば、郷土の英雄・・・・

  

   歴史って、いつの時代でも 「勝者」が 勝手に自分に「いいほう」に

   残していくと  これ常識!   言えないでしょうか…。

   風土記の最後に 「古老の伝へて言へらく…」

    (和銅6年713年 時の天皇の詔によって、編纂させた地誌)

   この「磐井の乱」の 約200年も経っており、古老の言い伝えも

   ・・・・・風土記であれば 「いいほう」を伝承、英雄伝説として

   残っていてもおかしくはないのでは。

                私的な受け止め方ではありますが。

 

   さて、戦いに敗れた磐井の一族は、この地をヤマト王朝へ差し出した とある。

   罪を許された息子の「葛子」や他の息子たちは、父親の磐井の遺志を引き継ぎ

   筑紫君一族として筑後国一帯を治めていきます。

   息子たちが築いた古墳(数多くある中のひとつ)が、先日見学に行った「岩戸山古墳」

   これは 磐井が、生前に巨大な自分の墓を築いた。その後、造られた

   鶴見山古墳などの大型前方後円墳の存在は、これを証明しています。

    主を守る「石人・石馬」 

   これは磐井一族の古墳には、埴輪の代わりに石の彫像が並びました。

 

    筑紫風土記ににある   こんな文章が

      後半、 4行目…ここに、官軍、追い尋ぎて跡を失ひき。士、怒り泄まず、石人の手を

    撃ち折り、石馬の頭を打ち堕しき。 古老の伝へて云へらく、・・・

    ( ヤマトから来た兵は、怒りゆえか、恐れゆえか、石人たちを叩き壊しました。)

   

    その「石人」 とは

     これは凝灰岩、埴輪は粘土ですが、筑紫君一族は石製品を採用したのは?

    ヤマト王権との差を明確にしたいという思いから…埴輪と違い圧倒的質感と長期間風雨に耐える

   頑丈さを併せもつ特別な石製品を古墳に並べ、堂々とたつ石人を目の当たりにした人々に対し、

   一族の権威を知らしめる「装置」を必要とした、と考えられます。 (岩戸山歴史文化交流館 資料より)

    現在、岩戸山古墳の庭に レプリカで並べられている

    「石人」「石馬」  古墳の周囲に、 いろいろな動作の「石人」も。

 

    また古墳を彩る装飾壁画は日本全国にある半数以上が九州にあるのです。

    その色遣いや文様は古代人の思いが込められたもの。

     古代人の「あの世」に対する考え方が 今に 伝わってくるようです。

      「丸山塚古墳」「乗場古墳」「石人山古墳」「臼塚古墳」「童男山古墳」 などで石室石棺が見学できる。

    (童男古墳) すべてに赤色顔料(ベbbガラ)が塗られています。

    これは悪霊から被葬者を守るためのもの。

    「赤」という古代人の人は強い力があると信じていたようです。

 

    このように この地域の古墳は まだまだ謎も多いのでしょうが そこがまた愉しみ?

 

    「古事記」「日本書紀」「風土記」等、各年代の資料から、また 現存する古墳から

    「謎解きは」まだまだ続くようです。

     奔逸の勉強会でも、文献史学の研究をされている 先生方の 「自分の研究説」が

     紹介されており、「矛盾あり」「納得」「可能性あり」「事実と認めてよい」

      などなど  いやいや どこまで 何を 信じていいのか?

      もう これって 好きな人の ロマン だね。

  

     さらには、もっと謎は今でも 研究者の一番の未解決は「卑弥呼」伝説ではないでしょうか?

     「近畿説」「九州説」 はっけよい 残った 残った…まだ 勝負はついていない?

      ほんとに 残った。

     それほど 「九州」の地は 面白いんだぞ!

 

      またの機会に また 古墳のお話を…だって、私の近くの「御所山古墳」

     現在 文化庁の調査が入って 進行中!  謎解きも もうすぐです。

 

 

      

     

 

 


美味しいね! 

2016-10-18 | 日記・エッセイ・コラム

 毎年 この季節になると注文する果物がある。

「りんご」です。

 もう6~7年になるのかな、ここのりんごを食べ始めてから。

 以前は ネットでいろいろなりんご名産地からお取り寄せをしては

 愉しんでました。 青森、岩手、長野…

 それぞれ 特徴はあるのですが、期待したほどには いまいちと。

 ここのリンゴはあまり馴染みがないのかもしれませんが

  とにかく 私の口に合ったのです。

 山口県徳佐 木村りんご園さんの「ふじ」 今からが美味い季節に。

  毎回 家庭用の品物(贈答用よりは形は大小で格好を期待しないもの)を

  *食べて「美味しければ 形なんて どうでもいいんです)

  送ってもらってます。

 

   水分は多く、シャキシャキ…甘みも満足。

   後口も良く、しっかりとして噛み応えもあります。

    

   朝に暗、晩に 食後には 必ず りんごを食べる。 これが この時期の変わらぬ愉しみ。

 

   さらに 今日は 小倉の友が 提げてきてくれた これまた 大好きな おまんじゅう

 

    北九州地方の方なら 一度は 口に入れた経験があるはず? でしょ。

    「蜂楽饅頭」

    

    

     「黒」 「白」の餡があって… 私は 「黒」 小豆の粒餡の方が好き。

      小倉に出かけた帰りには、大体、買ってるね。

      1箱10個~15個くらい。

       黒、白 半々で 帰って 冷凍庫に入れ お茶の時に チーンして楽しんでます。

       程よい甘さが いいんです。 

       少し濃い目のお茶が  苦みと甘みのコラボで 美味しく愉しめますね。 

       だから 飽きない…これが 美味い食べ物の秘訣ですね。

       人気があるのは この甘さでしょうね、 随分とこの饅頭だけで 歴史になっている。

       庶民的な和菓子のひとつですよ。

        これは 秋だけでなく…年中あるから これまた重宝です。

 

        秋はやっぱり 「食欲の秋」 だから 秋が来ても 飽きない・・・・。


「秋刀魚」が見つかった・・・

2016-10-17 | 日記・エッセイ・コラム

 秋の味覚のひとつに

 忘れてならないのに「秋刀魚」がある。

  って、気が付いたのだが…

 まだ 今年は食べていない ふっと思い出した。

 

 以前にテレビで 所謂 「青魚」類が昔に比べて高価なものになっていると…

  原因は 中国、韓国などの国の乱獲が日本の漁業圏にも侵入してくる

  一方、世界の人も イワシ、サバ、サンマを食すようになった…

  いろいろの原因がかさなってのことであろうが

  庶民としては 寂しい限り。

   上がっているの?

  スーパーの陳列を覗いてみたら…

    あった あった 

   こぶりな3匹がパックされて398円 これって 高いの?  

   でも、なんか昔の姿は もっと大きかったような感じですが

    

  これも先日のテレビで東北気仙沼から熊本地震の被害者を元気づけようと

  大量の秋刀魚を振る舞っている画像が流れていた。

  画像からも 炭火に滴り落ちる脂が白い煙となって・・・・

  わぁ、もうたまらない。

  この手の魚は、脂がのってくると何ものにもまして美味い

  安くて、料理方法も豊富、家庭では重宝する魚ではあったのに。

 

  なぜ秋刀魚の話になったかというと

  昨日、納戸の奥の整理をしていたら、1枚の油絵が出てきた。

  なんと 懐かしい私の作品。

   何枚か描いたものを束にしていたので今まで気が付かなかった。

  開封してみると…奇遇、偶然、この時節に合致

  まさに 秋の味覚の王者 「秋刀魚」の1枚

  それも 昭和34年制作 美術部時代の文化祭出品作品でした。

   

  ・・・・時間は 遡って

  「勉強をそっち抜けで、毎日 部室でデッサンに精を出していた。

    顧問の先生も ユニークな方で、一切、教えることはなく

    ただ ひたすら 描きなさい と・・・・」

    そんな 頃の1枚が 今、目の前に。

    計算すると…56年前 か。 

    「よく 秋刀魚も ひからびなかったなぁ~…」

 

    いろいろな題材を選び 描いてみた。 

    文化祭は秋だった。 ただそれだけで「秋刀魚」になった。

     当時は、家の経済も大変だった…油絵具も満足には買えなかった。

     チューブから少しずつ伸ばしながら 丁寧に筆を取っていた …

     キャンバスも買えず、 これは 先生から頂いた「板」だった。

     今、X線で写真を取れば、きっと この板から 違った絵が浮かび上がるだろう。

     そう、何度も何度も 重ねては描き、 削っては 描いていた。

 

   

  

      

     作品は 

    「秋刀魚」を描くというより、 この魚の 新鮮な色に挑戦してみよう…そんな記憶です。

     輝くような腹の「銀色」  生きてる証拠の鮮やかな「体のブルー」を  

     そして、普通はこんな描き方はしないであろうに…と。

     残虐な描写で 乱暴に捌いた身の赤を 画面にインパクトとして表現してみた。

     展示場の どの位置にあったか どんな反応があったか 記憶は もう ない。

 

      終わって 部員全員で 学校前のふかしたてのまんじゅうを頬張って

      ワイワイ 騒いで   そんな時間があったような・・・・

      「青春」って やっぱり いいなぁ。

   

     漫談家の綾小路きみまろさんじゃないが、 「あれから 〇〇年…」

     

    「油絵を描きたい!」と 思いながら なかなか筆を持つ気がしない。

 

     既に 前に描いた時間からすると…10余年以上は経過している

     筆も、絵の具も、ナイフも 箱の中で眠っており、

     パレットにこびり付いた絵の具は カサカサ。

     チューブの中身は固くなって使えない。 

     筆も 洗ってないままなので これまた固くなって駄目

     ・・・・また 新しく買わなければ…

     そんな面倒さも 手伝って、一歩前に踏み出せない。

     

      でも、この1枚の絵 で 目覚めたぞ。

   

      「物事を始めるに 遅過ぎると 言う言葉は要らない」

      これだ!

       始めよう、始めよう・・・・・・・・・・・・・・ 

     

     

 


何が美味いかって・・・やっぱり炊き立てご飯だよ!

2016-10-15 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は秋の味覚について

と、言うよりは、「美味いもの」について。

秋は、前にも話しましたが、いろいろうまいものの季節。

 昨日も 姪が「新米」を届けてくれました。

  照明で 黄色に写ってますが

  精米したての 真っ白です。

 お米の美味さは もう十分に分かっています。

 しかし、新米はまた格別ですね。

  それぞれ お好みの指定のお米があるようですが

 銘柄がどうというよりは、どの種類であっても「炊き立て」

 これが一番ですよ。

  中には、拘って…これじゃなければ 食べない!

  なんて方もいらっしゃるが…

 

 早速炊きました。

  そして 一気に口に…美味い、甘い 

  これ 誰でも感じる 炊き立てご飯の味です。

 

 

 皆さんに ご紹介したい食べ方。

 もう 随分前から 私が 好んで食しているのですが

 今回、町のスーパーのイベントで「新潟」を取り上げていました。

 その商品の中に見つけました…これを。

  そう、「珍味かんずり」

  ご存知ですか? 

  

  「瓶のレッテルに説明書きが

  新潟県妙高市産の唐辛子を雪にさらした後、糀、柚子、塩と混合し

  3年間熟成発酵させた香辛料。

   材料は、この三つだけ、自然そのものを。

 

   これを、炊き立てご飯の上に載せて…

   

     

   とにかく 美味いんです! ぴりっと辛さが。甘さも感じます。

    瞬間、これ 「うに」 なんて 思うこともあるほど…うまみが凝縮してます。

    塩加減が またまた食欲を増し…何杯でもいけます。

 

   さらに 重宝なのは いろいろな料理に使えるのですよ。

   これも 説明書きにあります。

    ◆タレに溶いて 水炊き、鍋物、焼き肉、焼き鳥、シャブシャブ

    ◆醤油に溶いて 漬物、湯豆腐、ヤッコ、刺身、焼魚、

    ◆薬味として  お吸い物、うどん、そば、おでん、寿し、ラーメン

    ◆その他 料理の隠し味に

         ステーキ スパゲテイー

 

    なんと 幅広く使えるのでしょう… 是非、一度 お試しあれ!

  

    妙高市西条438‐1 (有)かんずり

 

    苅田のスーパー(サンリブ内)にもあります。

    でも、ちょっと分かりにくい? 隅に隠れたように置いてますよ。

    きっと この九州地方では 馴染みがないからでしょうかね…。

 

    「呑兵衛」なら この美味さは きっと大喜びですよ。


和菓子の魅力

2016-10-14 | 日記・エッセイ・コラム

 晩酌を欠かさず続けて はや、半世紀以上…

いわゆる「呑兵衛」の称号?を頂いておりますが

 「甘党」の方も 結構 うるさく 両刀遣いの身であります。

 

 ただの甘さじゃ美味しくない。

 先ず 「後口がいいこと」 

 どんなに高級なお菓子であっても(本来、高価なものは美味しい筈だが)

  中には、えっ? これで…と 思わず愚痴ることもあり。

 

 「甘さ」にも いろいろありますから ここは 好みと言えば

  各人の舌次第なので、こればかりは 独善的な決めごとですが。

 

  疲れた時の 甘味補給は 身体に浸み込む…そんな効果もありますね。

 

   昨日 近くの友から頂いた和菓子 (お取り寄せも何回かあるのですが)

    柳井の銘菓「翁あめ」

 

   このお菓子は本当に美味しい!  

 

   柳井でも老舗の和菓子屋さんで なんと創業160年以上だとか。

   つまり江戸時代(弘化2年 1845年創業)

    「ひがしや菓子店」の銘菓なんです。

   嬉しいじゃないですか、これほどの年月、この土地で守り続けておられる

   まさに名物なんですね。

    代々 すべて手作りの工程を守り、人の心意気、ぬくもりを菓子に

    精魂込めて…完成までに5日もかかるそうです。

   今時、こんな手間暇かけて作るところなんて、そんなにはない。

    と思いますよ。

     これが箱詰めされた「翁あめ」

    

     ご覧の様に 見た目「飴」のようですが、 中身は 寒天に砂糖と水飴を練り合わせて形にし、寒梅粉をまぶしたものです。

     四角に切って、数種類の数に合わせて箱詰めされております。

      琥珀色に透き通った断面が宝石のようです。

     塗りの器に 載せてみました…

   

  

 

    美しい姿でしょ。

    白いサラサラの砂糖がまぶしてあるのが まさに化粧です。 

    上品なご婦人が 今から お出かけ?・・・・・ 

 

    その味わいは う~ん、何とも言えない 地味なんですが 落ち着く。

     そう、やっぱり「上品」という表現が 一番合っているのかもしれません。

    一口 口に入れ 噛んでいると じわ~っと 甘味が 舌全体に広がる。

    昔懐かしい…なぜだか そんな言葉が出てくる。

 

     和菓子って、やっぱり ひとつ一つの素材が 自然のもので

     その素材を最大限に生かして、手のぬくもりで作られたのが

     和菓子だって 思いますね。

 

     ここ柳井も瀬戸内屈指の商都として発展し大いに賑わった。

     幕末・維新の時代には多くの志士が輩出し回天の偉業をなしている。

      現代の街も…そんな古き昔の歴史の影を各所に残し 

     訪れる人も多く 静かで 落ち着く街です。

     金屋町の白壁の街並み・・・・

      

      やっぱり 雰囲気出てますね。

     きっと 往時の武士階級も庶民の間でも 「茶」が生活の中にあったのでは?

     いわゆる「小京都」と呼ばれるような 白壁や古き軒が並ぶ街には

     「お茶」と「和菓子」が対になっているのではないでしょうか。

      

      日本人の心を味わう…これが和菓子なのかも。

     

     こうして アップしている際にも 先ほど 口に入れた甘味が…

     じわ~っと・・・・  

      

     


植木屋も、顔負け?

2016-10-12 | 日記・エッセイ・コラム

 この1週間、いや、それ以上かな?

我が家の「庭」の手入れに時間を費やしましたよ。

早朝から始めたり、夕方からの作業も含めて。

 「手入れ」は限度がない。

 つまりは自分の気持ち次第ですから

 見栄え良くしたいなら…がんばれ!

 運動と思って 自力でやっているこの10年

 寄る年波には? やっぱり体力勝負を感じ始めました。

 

 「植木屋」を入れるには それほどの庭でもなし。

 歳を考え、無理せず ゆっくりと楽しみながら?

 でもないね 結構 しんどくなり始めました。

 という ボヤキを言っているより…作業、作業。

 

 まず 高く伸びた樹を 思い切って、切ってしまう。

 「グミ」の樹 2本

 これが固くて 丈夫、 借りたチェンソーで悪戦苦闘でした。

 もうこれが 成長が早くて、追いつけない。

 近年は「実」もならないし、いびつな形ばかりに。

 棘もあるので始末が悪い、この際、ばっさりだ。

 もう、いらない・・・・

  すっきりしたね。

 

 すぐ傍の 垣根は道路に面しているので 格好良くと。

 この垣根は ゴールデン色に染まるので 近所でも評判です。

  

 

 向かい側の「ニッケイの樹」 これも 大きく伸びたのでばっさりと。

  足元の雑草もきれいに。 

 

 アジサイの根元もすっきりと。

 

 欅も アカシアも同じようにばっさり これがまた大変

 梯子と高足鋏で 上を向いての作業は…首に悪いね。

 少しやっては、休憩…

 歳とると 首の疲れは早いのかな?

 

 もう 庭にある大小取り混ぜて…カット カット。

 

 柘植も 回るく 可愛らしく… バリカンで。

 

 

  昨日は終日 「紅花トキワマンサク」の剪定でした。

  こちら南側からは梯子での剪定で

 庭の方は土地が上がっているので 脚立での剪定。

 

 マンサクも枝の成長が速いので うっかりしていると手が届かなくなる

  鋏を動かす両腕も もう 限度… この枝、しっかり固いので難儀。

 脚立の上、梯子の上、足場に力が入るので、疲れも半端じゃやないよ。

 それに、この時期としては 随分の「蚊の襲撃」を受けます。

 やっかいな敵ですね。

 夕方には、終了。

  これ 成果? 枝葉の一部です。

  

 

 どうです 頑張ったでしょう・・・・でも ヘトヘト 体力限界です! て、ね。

 剪定、これは 大変だけど 春になって この成果が出るんですよ。

 だから 頑張る。

 分かるでしょ…花も 手を入れてあげれば きちんと 応えてくれます。

 これも 愛情表現ですね。

 

 

 

 でも これで終わりじゃない…まだ 仕事があるのです。

  「後始末」

 今回は、大量なので エコセンターへ運ぶことにしました。

 これから数日乾燥させてから 、重量で支払額も変わるのでね。

 

 作業は、剪定や 草取りだけで終わらず、後始末にも手数がかかるので

 本当に 大変です。 

  なんて ぼやきながら… もう いらない、もう 植えないと言いながら。

  今、「ジャカランダ」の樹が すくすくと伸びているんです。

  葉だけでも 鑑賞になるほど…ほら、「合歓の木」の感じがしません?

  

  これほど頑張っても…なんてことなく 遠慮なく 伸びていくのですから 彼ら(樹)はね。

 

  毎晩、シャワーの後、湿布を体中に ペタリ ペタリ… さらに 回復にも時間がかかるが。

  これも 健康への薬と思って  「金」(植木屋さん)かけないで 暇(時間)かける。

  これからも 彼らとのお付き合いを続けてみるか と。

  

 


続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。