黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? NO.3

2021-06-16 | 日記
 CDCの応接室に、冴とオーナーの二人は、謎めいた女性を案内した。

「突然、すいません、私はサラと言います。私は、あの・・・」
  言いかけて、ふっと視線を逸らした。
「ごめんなさい、私、オークションというものに参加したことがなくて…
 何からお話ししたらいいんでしょうか」

   ・・・・一息入れて、住まいや、日常生活のことをゆっくり話しながら
次第に気持ちがほぐれていった~・・
 サラは、「私、画家なんです」

絵の話になって、冴は自然と前のめりになった。
このミステリアスな女性は、自らを「アーティスト」ではなく、「画家」と呼んだ。

いろいろ話は弾んでいき…
オーナーが、彼女、冴は、わが社が誇る十九世紀フランス絵画が専門です、
もちろんそれ以外のものでも、彼女はしっかり鑑定しますし、出品の
アドバイスは責任をもっていたしますよ。

サラは、目をきらりと光らせた。
 「・・・拳銃も、ですか?」
持ち込んだ拳銃は、錆びだらけだ・・・というよりピストルの形をした錆だ。

そうなのだ。誰かにとってはがらくたのようなものであっても、
ほかの誰かにとってはかけがいのない宝物になる。

サラは押し黙っていたが、ややあって、
「・・・ええ」と消え入りそうな声で答えた。
信じてもらえるかどうか・・・わかりませんが・・・」

サラがぱっと前を向いた。
その目は決意の光できらめいていた。
間髪を入れずに、彼女は言った。
 「あのリボルバーは、フィンセント・ファン・ゴッホを撃ち抜いたものです」

・・・えっ。
 その瞬間、冴の身体を貫いて電流が走った。
いま、なんて?  これはまさかーーー。
「それは、つまり・・・その…ファン・ゴッホが自殺を図ったときに、
  彼が、自分で自分を撃った・・・ピストル、だと?」

冴はどうにか言葉を押し出した。
    が、驚きのあまりすっかり混乱してしまっている。
 
「ええ、そのとおりです。」サラはハッキリと言った。

「1890年7月27日、オーヴェール・シュル・オワーズ村で、
     ファン・ゴッホの腹部を撃ち抜いたピストルです。

  「  そうであると証明できるものが、何か・・・・」
    このようなケースでは有力な証拠が必須になるのだ。

 ~ 証明がない限り、出品は難しいと~ 粘り強く説得し、
    どうにか引き取ってもらった。

                             (文中から要約して)
ちょっと長くなりましたが。
 ここが大事なところです~

パリの小規模なオークション会社に勤める
オークショニスト・高遠冴は、ゴッホとゴーギャンについての
論文を準備中だった。
そんな彼女のもとに古びた拳銃が持ち込まれた。
出品者はゴッホの自殺に使われたものだという。
その真実を探るために冴はゴッホとゴーギャンの謎に満ちた関係の
調査を始める。
そして、誰も知らない歴史上の真実を掘り当てる。
それは、ゴッホの死にゴーギャン画家がかかわっているという
驚くべきものだった・・・・。
  という、話に展開していくのですが~「太字の部分」
この小説の、創作となるのですが・・・
 その内容が、凄く、原田マハでなければの発想なのです。

ゆっくりと、ゴッホゴーギャンの「生き方」
(歴史に残っている、本当の話を軸に
    原田マハのフィクション話を加えて) 
小説の中の「サラ」と「冴」の二人も追いかけて  
お話していきましょう。

彼女の前の作品に
 「たゆたえども沈まず」  「ゴッホのあしあと」
     

  *この本についても、以前のブログにアップしていますのでどうぞ、ご覧いただきたい~。

この中でも、今回の「リボルバー」でも 
 全編にわたって物語の細部に至るまで、歴史的事実をよく
抑えていることが分かります。将来も事実との明白な齟齬が
指摘されそうな部分はわずかしかない。
そのような歴史的検証をした上で、架空の人物や出来事
巧みに挿入し、物語としての「真実らしさ」を作り出している。

 

では、出品されたという ~この拳銃
 おそらくこの小説の発想の原点ともいうべき出来事は、これではないか?
と 私は。

 オランダのゴッホ美術館で展覧会が2016年にありました。
     「ゴッホと病気、狂気の淵で」
         

 この展覧会の注目点が二つ。
  ・ゴッホが切り落としたのは「耳全体」か「耳たぶ」か?
  ・ゴッホが使用した拳銃の展示
1960年頃、オーヴェル・シュル・オワーズの農民が農作業中にゴッホが
  自殺したとされる現場から錆びついた拳銃を発見した。

 

      「拳銃」写真の下の方が発見された錆びた拳銃 
上は、拳銃の見本
      

「本文中には、このような会話で~」

冴の博士論文の中心的テーマは、アルルにおけるゴッホとゴーギャンの
相互影響についてである。

サラが持ち込んだリボルバーがゴッホの自殺に関係したものだと聞いて、
瞬時に疑った。
 ゴッホが自殺したかどうかは別にして、彼の命を奪ったのが拳銃で
あったことは間違いない。
診察した医師の証言や診断書も残っているから、
それは明確に証明されている。

しかし、どこで、誰が、どのようにして、どんなピストルの
 引き金を引いたのか。なんのために?

「・・・証明できます」 ややあって、サラが言った。
深く、静かな声だった。
「あのリボルバーは、この展覧会に出品されました。
  ーーアムステルダムのファン・ゴッホ美術館での展覧会です。
    何よりの証明です」

 冴は、目を凝らしてその表紙を見つめた。

   ◆サラの言った、この展覧会は「本当にあった出来事」

また、ゴッホがオーヴェール・シュル・オワーズの村内の
いずれかの場所でピストル自殺を図った。
拳銃は腹部を貫いたが、彼は自分の足で下宿先の食堂「ラヴー亭」まで
戻り二日後の7月29日に息絶えた。
        「現在のラヴー亭」

 これからの物語に、出てきますので この村を記憶にね。


「ラヴー亭」は駅から歩いて5分ほど、村役場の向かいにレストランのラヴー亭
  があります。ゴッホがここで滞在中に過ごした下宿です。
  当時、一階はカフェ居酒屋、2~3階は宿泊施設で、ゴッホが泊まった
  3階の2~3畳の日リサの屋根裏部屋は当時のままに保存されており、見学
  することができます。
   家賃は賄い付き月5万円くらい「現在の値段で」だったそうです。
  当時の壁や床の状態のまま保存されています。
  フランスでは家のリノベーションが盛んで、次に住む人が内装を変えます。
 しかし、自殺者の部屋は忌み嫌われ、事故物件として借り手がつかなかった
 そうです。そんな理由で奇跡的に残され、ゴッホが絵を描けていた釘跡までも
 残っています。           (原田マハさんが現地を訪ねたときの話から引用)

 ゴッホが死ぬ前2か月間過ごした部屋~
     とても狭い部屋です。現在、見学もできます。 


現在、見学できるこの家の窓に
 「ゴッホが亡くなった日」それを記念にしたパネルが…
    二つの窓の間に~
     

       パネル
        

ゴッホの死の証明書を書いた医師「ガッシュ医師」
  「残っている写真」  
                  ゴッホが描いた医師の肖像画


  ゴッホが描いた 「ガシュ医師の庭」
     
       

    「ガシュ医師の家」
         

*ガシェ医師の家には、セザンヌ、ルノワール、ピサロ
 そしてゴッホなどの画家を、時折、自宅へと招き入れていたそうです。 
*ガシェ医師の個人宅兼診療所は、現在記念館になっています。  

  画家でもあった
   ガッシュ医師が「ゴッホの死に顔」を残している。
       

ゴッホは、拳銃で自らの左脇腹を撃ったと、直後に診察した彼の
身元引受人・ガッシュ医師に告げたと言う。
 が、凶器となった拳銃はみつからず、ゴッホがどこで自殺したかも
わからなかった。
ゆえに、ゴッホの死を巡るさまざまな憶測が飛び交い、近年までに
詳しく分析、研究もされてきた。

その過程で、「ラヴー亭の壁に錆びついた拳銃が飾ってある」
いうことは、地元民はもちろん、オーヴェール・シュルに行ったことが
ある研究者のあいだでも知られていた。
ただ、ゴッホの自殺に関係あるものかどうかは誰にも確証はなかった。

    30年ほど前に、ラヴー亭の経営者が替わった。

冴が初めてラヴー亭を訪ねたときには、すでに店の壁にリボルバーは
なかった。
 
 さぁ、それでは、これから、その「拳銃」が展示されたアムステルダム
 ゴッホ美術館
      

と「拳銃」が発見された 現地(オーヴェール・シュル)へ
      (当時の状態があるわけではありませんが)・・・・
 そして、ゴッホとゴーギャンの関係物語に入っていきましょう。

           では 明日また。
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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。