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黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

「メトロポリタン美術館と警備員の私」NO.7

2025-08-14 | 日記

この仕事を始めて6か月ほどが過ぎたある晩、うれしいことにアスター・コートに

配置された。アスター・

コートは明時代の中国の停戦を再現したもので、中国の伝統的な楽器の演奏もある。

 「静けさを求めて」という意味の言葉が書かれた月の門と、「優雅なやすらぎ」

という意味の言葉が書かれた太陽の門を見つめる。

    

       

      古琴を演奏する女性(ハーブを横にしたような楽器)

    

   私はこのセクションFに配置され、1000年前の北宋の画家、郭煕(かくき)が描いた

巻物にたまたま目を留めた。巻物としては控えめなサイズで、もともとの大きさは、私が

両腕を横に広げたほどの長さもない。だが、それから数世紀にわたり、この巻物を所有して

いた学者たちがそこへ、「「奥書」と呼ばれるその作品への賛辞を添えた。その結果、

盾35㎝あまりの巻物の長さは、いまや、9m近くまでに伸びている。

    

     

    

    

    

            

    

  この絵は、1000年前から見る者に与えた来たものを、今も与えてくれる。  私の目は、

かってその絵を見た人と同じ道筋をたどり、静かに浮かぶ小舟の漁師、秋になって葉を落とした

木々、行商人やその荷を運ぶラバ、露出した岩、身を屈めて山を登っていく老人を見ながら、

霧に包まれた山の奥へと入っていく。その美しさは筆舌に尽くしがたい。

 この巻物をいくら見ても見尽くすことはできない。

 その絵が提示する充足した世界に没入する。

やがて私は、芸術作品への接し方を確立した。

 芸術作品に出合った時にはまず、何もしてはいけない。ただ見るだけにして、

 自分の目に、そこにあるすべてを吸収する機会を与える。

 「これは素晴らしい」とか、「これはよくない」とか、「これはバロック時代の絵で、XやY

 Zを意味している」などと考えたはいけない。理想を言えば、最初の1分間は何も考える

 べきではない。芸術には、私たちに作用を及ぼすための時間が必要なのだ。

 

 

 私がセクションBにいると、最低でも1日1回は、イエスの絵画を非難めいた厳しい表情で

見ていた来館者が近づいてきて、「スイレンとか、ヒマワリとか、印象派の作品は?」と

 いうようなことを言われる。

そのため、数区画も離れている、この建物の一番端っまでの、遠く曲がりくねった道のりを

教えてあげなければならない。私は何も、こうした来館者を嫌っているのではない。

だが、結果的に見れば彼らの愛する印象派の画家(特にクロード・モネに対して、必ずしも

公平ではなかった。              

モネの絵はきれいだが、それだけだと思っていたからだ。   

だが、私はふと、芸術に接する第一のステップを思い出し、モネの絵にもチャンスをあげる

ことにした。

 ある金曜日の夜、

私は睡蓮や積みわらを描いた作品が展示されているエリアを担当することになった。

美術館で1日を締めくくろうとしている熱心な絵画ファンが数名いる。

積みわら」の絵がいくつもあるが、これはモネがさまざまな季節、1日のさまざまな時間帯に

描いた連作の一部である。

この人気あるセクションではいつものように今日も「そんなに近づかないで下さい!」とか

「フラッシュは禁止です!」と大声をあげる忙しい1日だった。

 

 ここで「積みわら」の作品について少し紹介しておきましょう。

   「雪の朝」  メトロポリタン美術館         「ジヴェルニー」 イスラエル美術館

    

  「雪の朝の効果」 シカゴ美術館            「夏の終わり」 シカゴ美術館        

    

   「夏の終わり」 オルセー美術館            「日没」  ボストン美術館           

     

   「夕日」  埼玉県立近代美術館                  大原美術館

     

   「積みわら」 オーストラリア国立美術館        「雪」  ポールゲッティ美術館

       

   この位で・・・

 

  私は 【夏のヴェトゥイュ】という風景画に歩み寄り、その絵が私の視界を覆い尽くすぐらいまで近づく。

 すると、その架空の世界を現実として受け入れられることに気づく。

     

      そこには村があり、川があり、川の水面に揺れる村の風景の販社がある。

ただしモネは、自分の世界には、実際のところ太陽光のようなものはない。

 あるのは、色だけだ。モネは、自分の小さな宇宙の優れた創造主のように、

太陽光の色をちりばめた。熟練の技でそれをばらまき、まき散らし、キャンバス

に張り付けた。

そのため私は、その絶え間ない揺らぎに見切りをつけることができない。

長い間その絵を見ていると、その絵はますます豊かになっていくばかりで、

終わりがない。

 モネはこの絵を通じて、自分の感覚の震えを私に伝えてくれたのだ。

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「メトロポリタン美術館と警備員の私」NO.6

2025-08-08 | 日記

「わかった。今日は三班、休憩は三番目」

「三班というと・・・神殿とかですか?」

「いま、メモを渡すから・・・」

「じゃあお願いね、ブリングリー。」

 古代エジプトの展示エリアは、他に類をみない仕事場だ。

 膨大なコレクションの量を展示できるほどの広大なスペース。

 その豪華さ。3000年もの長期にわたる民族のアイデンティティを

 失わずにそしてそれらのもたらす美は、この展示エリアに入った瞬間に

 感じられる。

 王家の谷、ピラミッド、周期的に氾濫するナイル川・・・

  メトロポリタン美術館のなかで、この展示エリアほど幅広い層に

訴える場所はない。

 学童も、野外調査を好む教授も~ここで警備員の仕事をしていると、

 来館者が投げかけるきわめて象徴的な質問を何度も耳にすることになる。

 「ねぇ、これって本物なの?」

 私は、紀元前2350年頃につくられた「ペルネブの墓」そばに立つ。

    

 「これって、エジプトにあったてこと?」    「5000年前?」

 「でもさ、これ全部が本当に本物だなんて信じられないよ」

   「私はこういう人たちが好きだ」

      「彩色された木製の人形」

     順路で展示室を移動する~

ショーケースの中には、模型の船や、忠実に再現されたミニチュアの

いろいろなものがそこに置かれている。

 私の持ち場も交代して、その日の三番目の持ち場。

硬直したような石彫りのファラオ像、象形文字がはっきりと刻まれた

すらりと伸びる円柱。浅い浮き彫りに優雅な横顔をみせている神々や

司祭や王家の人々など…

目の目には新王国時代のファラオ、ハトシェプスト女王の有名な座像

     

がある。 

その両側に、アメン=ラー神に捧げ物をしている巨大な像もある。

この部屋にある展示物は、この女王の埋葬殿から発掘されたもの。

 

  

 

 

 次は、「テンドゥール神殿」の班に~。

 この美術館の驚異の一つ。

 見事な神殿の敷地がダム建設により水没する前に、ニューヨークに移送

 された。 (アスワン・ハイ・ダムの建設に伴ってヌピア遺跡群を移築した有名な話)

 本書イラスト  「メトロポリタン美術館の驚異の一つ、テンドゥール神殿」

     

    写真

  

 どうやって運んだの?・・・・

  遺跡の跡から海まで~ 日本で言う…まさか「修羅」のような・・

 しかし、途方もない作業だよ 驚嘆と敬服。

 この神殿は紀元前15年頃 ローマ時代のもの。

 初代ローマ皇帝の  アウグストゥスです。

         

    神殿の傍に 「ハトシェプスト女王スフインクス」が。

  

これって、1920年代にメトロポリタン美術館の発掘チームが発見・復元したそうです。

 各国が競って発掘調査・・・盗掘?なんかの匂いも?? 

 でも、結果、政情不安な国の事情を考えれば・・・

 こうした遺跡群、文化遺産は争いのないところで保存されるのが人類の歴史考証にとって

 大切な一面ですね。 

    今日、日本でも「戦後80年」と言って、各地で「戦争の悲惨さを後世に残す」

 そんな動きが目立ていますが、振り返ってみると世界各地で「戦争の終結」が

 無残にも「廃墟」と化し、「歴史の証」を消滅していった例は事欠かない。

      大変残念なことだと思います。

 

 世界の美術館の役割って・・・「美術品」をみせるだけじゃないんですね。

人類の生きてきた「歴史」の証を、

      現代の私たちに教えてくれる貴重な教科書です。

 

   だから、「出会い」 「感動」 時間の経過を身に感じ、

   語らぬ相手だが~じっと見つめていると理解できる。

   それが、「本物」の魅力なんです!

   さぁ、まだまだ展示物はめまいがするほどありますよ。

 

  でも、この膨大な展示品を細かく紹介するには、途方もない時間が必要。

 

  少し、飛ばしながら前へ進みます。

      次の展示室には何が待っているのだろうか。 

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「メトロポリタン美術館と警備員の私」NO.5

2025-08-06 | 日記

NO.4で「フェルメール」をたっぷり鑑賞しました。

そこでもう少しおせっかい情報を・・・。

 本の紹介です。

そのものずばり「フェルメール」

 この本は、フェルメールを所蔵している世界の美術館17か所を

訪ね、その街と作品を写真に撮っている全編フェルメール。

 是非、お暇な折にお読みいただければもっとフェルメールが

好きになること間違いなし。

  本屋へどうぞ足を向けてみてください。

  アマゾンでもすぐにOKですよ。

    発行:ナナロク社 定価:本体2000円+税

     

   

さて、主人公ブリングリーがこの仕事についてから1ヶ月目の最終日、私はどの班に

配属されるのかいつになく心配しながら主任デスクのそばにやって来た。

私はどうしてもヴェネツィア絵画の展示室を担当する三班で仕事がしたかったのだが

 (中略) 願いが叶い・・・三班に配属

 

16世紀ヴェネツィアの最大の画家と言えば、ティツイアーノ・ヴェチェッリオだろう。

       

彼はまるで水たまりの水と赤ワインで顔料を溶いたかのように自分が描いた風景を

バラ色の空気で包み込んだ。私は、その偉大な作品

       『ヴィーナスとアドニスに近づく。

…そこにはあまりに美しく静かな詩があり…

いずれは死ぬ運命にある人間の恋人に必死にしがみつく亜麻色の髪のヴィーナスと、

女神の抱擁を拒んで危険な人間の世界に戻ろうとする若く生意気なアドニス

 この両者美しさに優劣をつけることなどできない。

この絵の題材になった古代の詩を読んだことがある私には、

その結末がどうなるかがわかる。

 アドニスは死ぬのだ。ヴィーナスは悲嘆に暮れ、アドニスからあふれた血を、

赤いアネモネの花に変える。アネモネとは「風から生まれた」を意味する。

 

私は、床板がきしむ音を聞きながら展示室を歩き

(この時間にはまだ来館者はいない)

ティツイアーノの別の作品を見つける。さほど知られていない小さな絵だ。

若い頃に描いた、若い男の肖像画である。

  本書掲載 イラスト (図)            写真

      

流れるような筆使いで描かれており、詳しい検討や緊張の跡はほとんど見られない。

まるで、木漏れ日の差す池に偶然映った反射像のようだ。

若い男は髪が長く、ひげをたくわえているが、どちらも顔を覆い隠してはいない。

その顔は、天使のように穏やかで、生気にあふれ、若々しい。物思いに沈んでいる

ようだが、何を考えているのかは自分にもわからないらしい。

 この男のなかに、無慈悲な時間の流れから逃れている部分があり、それを

ティツイアーノが描いたかのように。

 

その日最初の来館者がやって来る。私は、監視しやすい角に設定された自分の

持ち場につく。

    「くそっ、イエスの絵のなかにまたおれがいる!」

この展示エリアには、中央を貫くように二本の順路が平行に走っており

ゴシック時代後期からルネサンス時代初期までの絵画が並べられている。

あの文句を言っていた不幸な来館者には同情する。

それでも私は、キリスト教徒ではないにもかかわらず、イエスの絵が好きだ。

 

   これらの展示室を歩いていると重苦しいながら・・・

    イエス関係の絵がずらりと並びてんにされているのです

たとえば 幼年時代を描いた、

「東方三博士の礼拝」

  

 「聖家族」              「聖母子」

  

 

「洗礼」  

    

 受難の物語を描いた 「ゲッセマネの祈り」

 

 

「鞭打ち」           「磔刑」 (アンジェリコ)      

   

 

「哀悼」(クリストウス)

 

 「ピエタ」(*十字架から降ろされたイエスを膝に抱く聖母像)

 

どうやらこの作品を描いた古の巨匠たちは、あらゆる驚嘆や不安を、この短くも

過酷なひとりの人生の物語に注ぎ込んだようだ。

メトロポリタン美術館にある絵のなかでおそらくもっとも悲しみを誘うのは、

ベルナルド・ダッディが描いた絵だろう。

 ヨーロッパの人口の三分の一を死に追いやったと言われる腺ペストで死んだ

フィレンツェの画家である。

       その『キリスト磔刑』

     

 本書掲載(イラスト図)

     

ベルナルド・ダッディにとっては、絵画とは、痛みを伴う内省が必用なときに

役立つ道具の一種だったに違いない。

私は、イエスの絵のなかに新たなものや神秘的なものを見出そうとは思わない。

ダッディは苦しみを描いたのだと私は思う。

 

 

 

 

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メトロポリタン美術館と警備員の私 NO.4

2025-08-03 | 日記

警備員の私(ブリングリー)

美術館の仕事 2週目には初めて、

ヨハネス・フェルメールの絵画の展示室を任された。

 この画家の作品は世界に34点ほどしか現存していないと言われるが、

驚くべきことにメトロポリタン美術館はそのうちの5点を所有している。

      「眠る女」

     

    「水差しを持つ女」

     

    「リュートを調弦する女」

     

     「信仰の寓意」

     

    「少女」

     

(*1970年以降の研究では…フェルメール作品(真作)

    は32~37点と見なしている。後で作品紹介。)

私はこれを知って、少し背筋を伸ばした。

 

何にしろいきなり朝から、イギリスや日本、アメリカ中西部からやって来た

わずかばかりの旅行客が、その絵に敬意を表しているのだから。

         {少女}

 1665年頃に描かれた真珠の首飾りの少女の絵の前で、母親らしい若くきれいな

 女性がポニーテールの頭を揺らしている。この女性はもしかしたら、

 オランダのマウリッツハイス美術館にある、同じ主題のもっとも有名な絵と

   (真珠の耳飾りの少女)

 間違えているのかもしれない。そうだったとしても、わざわざその誤解を

 正そうとは思わないが。

  来館者がみな行儀よく見ている。

 私の目はついつい、フェルメールがよく描いた家庭的は静かな部屋へと

 迷い込んでしまう。

 メイドが手のひらに頬を預け、居眠りをしている。

   (眠る女}

 その奥にある手入れの行き届いた何もない部屋に、あの

 フェルメールの光がさしている。私たひがときおり抱く、親密な空間に

 独自の威厳や神聖さが宿るあの感覚をみごとにとらえていることに

 衝撃を覚える。

 

  みなさん、フェルメールの作品でご存じだと思いますが

 彼の使う、独特な色で「フェルメール・ブルー」と呼ばれれています。

  一番有名な1枚。 「真珠の耳飾りの少女」

 この美術館の5作品でも、2枚。

 この顔料は天然の「ラピスラズリ」に含まれるウルトラマリンに由来

 しているのです。当時の顔料は、画家自らいろいろ調合して

 キャンバスや木版に描いていました。

    当時は金にも匹敵するほど高額で、多用していたんですが相当なものですね。

  「ラピスラズリ」 原  石       

 

 ここでフェルメールについて

 本名が「ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト」

 オランダの画家。 映像のような写真的な手法と綿密な空間構成、そして光による

 巧みな質感表現を特徴とする(Wikipedia)

 生涯のほとんどを故郷デルフトで過ごした。

  自画像とされるのが、「取り持ち女」の左の人物

  この人物をフェルメールの自画像とする説がある。

          👇 帽子を被り、黒い服の人

            

 フェルメールの作品は世界の美術館17か所、 個人所蔵と一度に鑑賞する

 ことはなかなか難しい画家です。

 せっかくなので、ここで世界の美術館に展示されている作品をご紹介しましょう。

  私も、このメトロポリタン美術館をはじめ、日本での「フェルメール展」と

 数多くの作品を見ることができましたが、まだまだです。

  写真でまずは鑑賞いたしましょう。

  メトロポリタン美術館5作品はすでに掲載(省きます)

  ・ドレスデン絵画館 「取り持ち女」「窓辺で手紙を読む女」

      

  ・ニューヨーク・フリックコレクション 「士官と笑う女」

          

  ・ベルリン国立美術館 「紳士とワインを飲む女」 「真珠の首飾りの女」  

      

         ・ブラウンシュヴァイク・アントン・ウルリッヒ公美術館

     「女と二人の紳士」   

                             

  ・フリック・コレクション 「中断された音楽の稽古」 「夫人と召使」

     

  ・バッキンガム宮殿王宮コレクション 「音楽の稽古」

           

  ・ワシントン・ナショナルギャラリー 

   「天秤を持つ女」「手紙を書く女」「赤い帽子の女」「フルートを持つ女」 」

     

        

  ・ウイーン美術史美術館 「絵画芸術」

            

  ・フランクフルトシュテーデル美術館 「地理学者」

            

  ・エディンバラスコットランド国立美術館 「マルタとマリアの家とキリスト」

             

  ・ロンドン・ナショナルギャラリー 「ヴァージナルの前に立つ女」

                   「ヴァージナルの前に座る女」

    

  ・ダブリン・ナショナルギャラリー 「手紙を書く女と召使」

        

          

  ・ロンドン・ケンウッド・ハウス  「ギターを弾く女」 

          

  ・ボストン・イザベラ・シュチュワートガードナー美術館 「合奏」

          

  ・ルーブル美術館  「天文学者」「レースを編む女」

     

  ・個人(西洋美術館寄託) 「聖ブラグセディス」

                                 

  ・アムステルダム国立美術館 「牛乳を注ぐ女」 「小路」 「青衣の女」

                「恋文」

    

   

  ・ハーグ・マウリッツハイス美術館 「デルフト眺望」「真珠の耳飾りの少女」

  

                   「ダイアナとニンフたち」 

            

 

   

  

 

  フェルメールの作品は盗難に何度もあっている。

  「恋文」 1971年 ブリュッセルで行われた展覧会への貸し出し中に盗難。

       

  「ギターを弾く女」が1974年2月 ロンドンで盗まれ、さらに5週間後ダブリン郊外の

  私邸から「手紙を書く女夫人と召使」が盗まれる。その後、無事作品は保護された。

       

   「合奏」は1974年 ボストンの美術館で

       

   レンブランド・ドガ・マネの作品など13点を強奪の上逃走。 

   史上最大の美術品盗難事件となってしまった。

   これらの絵画は現在まで発見されていません。

 

 いかがですか? これほど一挙に フェルメールを観る・・・・

 強い日差しの毎日ですね~  

 部屋で 冷房・

    

    しかし、自ら煎りたての熱い・・コーヒー

   で・・・しばし ごゆっくりと。

 

 

 

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「メトロポリタン美術館と警備員の私」NO.3

2025-08-02 | 日記

 「メトロポリタン美術館と警備員の私」

 直接「本」の中身に入っていきます。

 昨日はこの本のたった6ページまでの話でした。

ちょっと広げ過ぎた? くどいかもね。

私、いつも横道派なんですよ。

 そのことだけでなく、その作品や、出来事、思い出に

 +α(プラスアルファ)で愉しんでいるんです。

 

 「そこの方! そんなに近づかないで! お願いします!」

 ってね。 この声かけは、

 今迄、私、あまり経験はありませんね。

 それより、館内で鑑賞する際に、ブログアップのために記憶として

 残す為、メモを良くするんですよ。

 その際、館内でうっかりボールペンを使っていると…

 係の方が、「すいません!鉛筆と代えていいただきますか。」

 ってね、「何故?ですか」 なんて言いませんよ。

 すぐに鉛筆をもらっていますがね。

         ◇この写真の方は、本格的なメモですね…かなり熱心な方です。

   「フェルメールの特別展」 東京都美術館で開催されたとき。

   

  【⋆因みに、美術館では、展示作品にボールペンのインクが作品に飛び散ったり、

   汚されるのを避けるため。過去に事故ありから。

   欧米では、特にないようです。作品の前で「模写」したりするのもOK

   写真もストロボを使わなければOKだよ。】

    日本はすべてに慎重? つまり何事にも「安全第一」かな?

            

 この主人公 ブリングリーのことを少し紹介しておきます。

 父親は銀行員、 母はシカゴの舞台俳優だった。

 兄トム、姉ミアの家族。

  母からはモーリスセンダックの絵本を良く読んでもらい

  芸術は月の光に照らされた別世界のようなところにあるのだと思っていた。

  母からはそんな影響を受けた。

   父はもっと頭が固かった。

  1日の終わりには、家にあったアップライト・ピアノを何時間も弾いていた。

  父はピアノが大好きだった。

   バッハとデューク・エリントンの曲をよく演奏していた。

       

  私が、芸術家は挑戦を怖れない人間だと思うようになったのは、

   そんな父を見ていたからだろう。

   幼い時から~ 彼は、芸術的素養があったのだ。

 

 メトロポリタン美術館を初めて訪れたときのことを

  忘れる人はいないだろう。

  私(ブリングリー)は11歳のときに、母親と一緒にシカゴ郊外の

  自宅からニューヨークへ旅行にやって来た。

  制服を着たドアマン・威容を誇る石づくりの高層マンション、

  幅の広い有名な通り(マディソン街、五番街・・)

  東8丁目から美術館に向かったに違いない。

  なぜなら入口前の大きな石づくりの階段が真っ先に見えたからだ。

  

 

 この新世界最大の美術館は、1880年に開館して以来、とても尋常とは

思えないほどの規模で拡張されてきた。

 私の記憶の中ではっきり残っている芸術作品が二つある。

 一つは、パブア・ニューギニアのアスマット族がつくった木彫りの作品である。

 これほど想像力を飛躍させた作品はそれまで見たことがなかった。 

  1本のサゴヤシの木からつくられたトーテムポールだ。 それがいくつも並んでいる

         

  私のお気に入りは、刺青の男が縦に並び、そのいちばん上の男のペニスが、

  入念に彫刻されたヤシの葉のように広がっている作品だった。

 

もう一つは。ピーテル・ブリューゲルが1565年に描いた「穀物の収穫」という絵画だった。

    本の中のイラスト                   作品写真。 

   

 

  その絵の前から動けなくなったのだ。

  いまにして思えば、私がそのときこの偉大な絵画に対して示した反応は、

  芸術特有の力がもたらす根源的な反応だったと言っていい。

  つまり、その美しさをどう判断すればいいかわからないながらも、その絵の

  偉大な美しさを実感していた。そんときの感情は、言葉では表現できなかった。

   と言うよりむしろ、言葉にすべきことは何もなかった。

  まさに絵でしか表現できないものだった。静謐で、直接的で、具体的で、

  思考へと翻訳することさえ拒んでいる。」

 

  凄い!  

  この表現の豊かさ・・・文章力、 芸術的な素養がないと表せないよ。

  はじめてこの美術館で出会った作品との衝撃的な出会い。

  そして印象だったにしても

  11歳の時にこれほど感じたとは・・・みなさん、どうですか?  

   きっと、絵のほうから 彼に忍び寄ってきたのでしょうね。

  

 その後(この美術館を訪れてから7年後、大学進学を機にニューヨークへ

  引っ越した。 

 

 場面は、美術館の警備員に戻り、普段の動きが始まった~

 朝は教会のように静かだった。私は開館の30分ぐらい前に持ち場につく。

 こうした静けさに満ちたある日の朝、眠い目をこすりながら 顔を上げると、

 ちょうど眼の高さのところに、スペインの マリア・テレサ王女がいた。

   

          「マリア・テレサ」は

 ご存じのベラスケス   

 

   「ラスメニーナス」(スペイン プラド美術館蔵)で有名な

   

         「マルガリータ王女」(絵の中の中心人物です)

           *左の画家は「ベラスケス」 後ろの鏡に映っているのが王様夫婦。     

     異母姉妹。ルイ14世と政略結婚。 6人の子供あり。

 

    実年齢の14歳よりは幼く見えるが目だけはもっと大人びて見える。

    かわいい子どもでもなければ、元気はつらつとした子どもでもない。

    優しそうにも意地悪そうにも見えない。何かを明らかにしているようにも

   隠しているようにも見えない。むしろ率直で冷静に見える。

   自分の数奇な人生に慣れるあまり、それを数奇だと思っておらず、

   引き下がることに慣れていない顔。

          鏡に映った私自身の顔をみているかのようだ。   

 

 べラスケスは早熟の画家で、24歳の頃に葉すでに宮廷画家としての仕事をするなど

 才能を発揮し、以降40年以上も宮廷で王様に仕え、絵を描き続けることになります。

 フェリペ4世に気に入られており、王、自らアトリエにもよく足を運んだそうです。

      

 

 画家の仕事のみでなく、宮廷の仕事、外交の仕事も任されていた。

 王との関係が功を奏し、ベラスケスが長年望んでいたサンディエゴ騎士団の称号を

 手にすることもできました。  過労で61歳で死亡。

   *画中、ベラスケスの左の胸元に描かれている赤い十字架マーク

     これは騎士団の証です。

  「絵」を鑑賞する。 は、 個人、個人によって大いに違いがある。

  どう感じるかは、それぞれ自由なのだ。 

   1枚の絵で、「何も感じない」場合だってあるし、 

   大いに心を揺さぶられる時もある。

  だから、「1枚の絵に会う」ことによって、何かを得る。

  このことが大切なことなのではないかと思います。

 

  人間同士も同じ、 「出会いがなければ、始まりもない」

  これから、どんどん名画登場します。

  みなさんも どうぞすてきな出会いをお楽しみください!

 

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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。