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黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

荒法師「運慶」

2018-03-30 | 日記・エッセイ・コラム

いやぁ~この本の最終行までたどり着くのに…

時間がかりました。  1か月以上も。

 読んでいて「横道」に時間を割く始末。

実はこの本、やっぱり歴史好きの先輩がいて、

この本「読んでみたら」と言って またまた酔狂にも

同時に「日本仏像史」(美術出版社)を添えて。

これを見ながら読むと、分かりやすく、面白いよ~だって。

おかげで 時間がかかってしまいました。

         

梓澤要 荒法師運慶       日本仏像史(美術出版社)

 

時は、平安時代~鎌倉幕府時代を背景に南都奈良を根城に仏師として

一時代を築いた「運慶」の一生をテーマとしたもの。

 お馴染みの東大寺南大門の阿吽の像の制作にあたり兄弟子「快慶」

   

   東大寺金剛力士像(阿形像)                     東大寺の大仏殿

 

 (吽形像)

*金剛力士像は 国宝

 

との対決「静と動」がぶつかりあう~そして 

時間を経て和解までの長い時間も。 

*現存するこの時期の作品「東大寺南大門金剛力士像」は造高約8.5m 

巨像2躯は、1988年から1993年にかけて解体修理が実施された。

その結果、阿形像の持ち物の金剛杵内面の墨書や吽形像の像内納入経巻の奥書から、

運慶、快慶、定覚、湛慶の4名が大仏師となり、小仏師多数を率いてわずか2か月で

造立したものであることが改めて裏付けられた。

 諸像の制作には、複数の仏師が分担して関与してはいるが

 近現代の美術作品のように個々の芸術家の作品ではなく、工房主催者

である運慶の作とみなされている。

運慶の作風は、男性的な力強い表情が特徴的である。また、さまざまな変化をつけた

衣文、量感に富む力強い体躯も特色として挙げられる。

 

この本を読みながら、また 仏像史の現存する仏像写真で一つ一つ確認したのも

勉強になりましたね。

 「運慶」には数多くの作品が残されていますが…その中から 紹介しましょう。

       「毘沙門天立像」国宝 願成就院 静岡

 

 

  金剛峯寺 八大童子のうち 制多迦童子 和歌山

    

  「無著菩薩立像」 国宝 興福寺北円堂 奈良

   運慶晩年の作品で、日本彫刻史上屈指の名作と数えられている。

 

          大日如来像 円成寺 現存最古作

          

 

 仏像を眺めるうえで~ ただ なんとなく から 各部の名称も

 勉強になりました。

   

 それぞれに 意味があって…これ相当勉強しなければ 無理!

 

 読みながら…作者って 上手いよなぁ、

 この時代(平安、鎌倉)でしょ、 そんなに個人の文書記録などは

 あまり残っていないだろうに。

 「運慶」という仏師の、心理描写は 相当、著者の思い入れが強い。

 と、思います。 

 さらに、仏師も ただの人。 愛欲?も少しばかり挿入し 

 人間の弱い部分もちらつかせ…

  それが、本当かどうかも まぁ、さておいて。

 

 作者のこの本の最終行に…

 「何百年か 何千年か経って、解体修理が行われたとき、その時初めて

  仏師の名が出てくる。

  仏の胎内からそれを、黙々と造り上げた仏師の名が出てくる。

  ~ひたすらに彫る。

   彫るために生きる。

   それが仏師という生き方だ。

   仏師の生命そのものだからだ。 

 

  先刻、現代科学の力で解体修理から「であろう」から「これは本物」

  解き明かされて 世にデビューするものあり。

 

 そうそう、昨年11月に 1枚の絵

  話題になりましたね。

  世界で初めて絵の 赤外線写真で

  最後の レオナルド・ダ・ヴィンチ作品

  「サルバトール ムンディ」 救世主キリストの謎

   ニューヨークで開かれたオークションで

   なんと、なんと 落札価格 美術史上最高の508億円

    くらくらしそうな高値

  この絵ですよ。

  

 

   もはや ほんものであろうがなかろうが、どうでもいい。

 この1枚がもたらす謎解き…まだまだ これからも何かで 起きるかも?

 

 

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城址に流れる「名曲」は…その2

2018-03-29 | 日記・エッセイ・コラム

 豊後竹田の城下町散策の続きです。

午後からの行動は2班に別れて出発です。

昼食の場所「お客屋」を出てすぐに「愛染堂」へ。

階段を上る手前に「十六羅漢」が見えます。

 ここから階段…

午後の陽ざしは強く、階段も足腰に来ますね。

 「愛染堂」

 仏様と神様が同居?しているそうな…詳しくは 聞き逃しました?

 この彫刻は覚えてます。

  かの有名な、日光東照宮の「見ざる 聞かざる 言わざる」・・と言えば。

   「左甚五郎」の作だそうです。 これは 「天邪鬼」四隅にありました。

 

  「円通閣」~「豊音寺」~「但馬屋」

  お昼の「抹茶」&「お菓子」の 銘菓「荒城の月」はこの但馬屋さん製を

 ご馳走になりました。

  風格ある店構えです。

 

 店内も、落ち着いて 老舗の雰囲気

 お菓子の額も~   店内に生けてあるのが椿でした。畳、屏風、暖簾 いかにもの風情。

    

 これが 「荒城の月」の詰め合わせ

  皆さん、お土産にと…たくさんお買い求め~

 

 すぐ近くの「旧竹田荘」 へ。

 日本の南画界を代表する「田能村竹田」の生家。

道路から上を見上げると…

 石垣も苔むして…  

 テレビなんでも鑑定団によく 「田能村竹田」の絵が出品されますが…贋作ばかり。

 参考までに 本物とは

 重要文化財指定のもの        

       

     「涼月談心図」        「暗香疎影図」

        これが自画像

ここから ややゆるい坂道を下って…殿町武家屋敷跡通りへ

 ちょうど角が、「竹田創生館」

 創生で思い出すでしょ、そう あの竹下内閣の折、「1億創生!」

 「町起こしの大ブーム」が全国津々浦々で~

 結構、しょうもない? ものが無残にも沢山残っているようですね。

  ここの看板、竹下登の直筆で…

 

 武家屋敷と言うけれど~ 今は たったの3軒残るのみ…

 その中でも、ここ。 「古田」さん宅 (現在でも実際に生活されている家)

  そうなんです、あの戦国時代の、そして茶の湯・織部焼… 

 ここ岡藩では 家老職だったのですよ。

   「古田織部」の末裔さんが代々ここにお住まいなんです。

 

  ちょっと歴史振り返ってみると、初代藩主の父、中川清秀の妹は古田織部に嫁いでいるのですから

 因縁浅からず…

 

ここ竹田市内は「水の都」でもあり、至るところで水が流れていました~

 

  石垣は どこも苔がいっぱい。 居心地のいい街です。

 

次が 武家屋敷通りを右に山に向かって~「キリシタン洞窟礼拝堂」

 ここ豊後の国は、当時、大友宗麟が治めていました。

       

 竹田地方はその一門衆であった志賀親守が統治していた。

ご存知のように、大友宗麟はキリシタン大名です。

 最盛期には九州六か国を支配して版図を広げた~しかし、薩摩の島津義久に

破れ、晩年は、豊臣秀吉傘下の一大名で終わります。

 そんな関係から、ここ竹田の奥深い山裾に隠れキリシタンたちが…ひっそりと

 しかし、強い信仰心で 神に祈りをささげていた…という場所。

 その跡は

 樹が覆われた 森の中の崖っぷち。

  この岩を切り崩したところは 神父が隠れ住んでいた

 礼拝堂は 崖を掘り抜き、幅3m 奥行3m、高さ3.5m

 キリシタンの弾圧は 想像以上のものだったのでは?  当時の信者の苦労がしのばれます。

 

 余談ですが、最近、この「大友宗麟」の本で、直紀諸作家の安部龍太郎著

 「宗麟の海」を読んで、戦国武将の強いイメージが少し変わり、このキリシタン大名の

 内面を伺う、目新しい「宗麟像」を感じることができました。

 「ぐぐっと、引き寄せられて…大変面白かったですよ。 

 

 洞窟を出て殿町界隈は、家老などの中級武士の屋敷が多く残るところ。

 土塀も多く 往時の面影が…

  

 

ぱっと明るい広場に…「軍神 広瀬神社」の前

 本日は 神社まで…急な階段…お参りは諦めました。

    

大方の高齢者なら「広瀬中佐」はご存知。

命じ37年「日露戦争」

 旅順港でのロシアバルチック艦隊で乃木大将が総指揮を務め、多くの将兵が

なくなった戦い。

広瀬が載っていた福井丸が魚雷を受け沈没が明白な状態、機密文書が敵軍にわたる

のを恐れ、自爆用の火薬を爆発させるべく船へ戻る。

脱出用のボートに乗ろうとしたまさに、その時、敵砲が直撃し帰らぬ人に。

名前よりも「杉野はいずこ、杉野はいずや」というセリフの方が有名?

 

さて、最後に向かうのが、今回の一番の見どころ…「岡城址」

駐車場に着くと、その前方に聳え立つ…胸がすくような景色が

 

 ぐ~ん と レンズが近づいて  この偉容

  さぁ、本丸まで歩いて行くぞ!  私は杖に頼らない!

  まずは 入口 石碑に「史蹟岡城し」 ? 最後の祉じゃなくて 

  えっ、この字 「こざとへん」だが?      まぁ、いいか…

 さぁ、結構急な登坂が続きます  右に左に 見上げる石畳が…凄いですね、この迫力

   

 いよいよ「大手門」跡です。

 

 ちょっといろいろな石畳  それぞれ積み上げの違いも はっきり分かります。

 ひとつだけ大きな石  亀甲型

 この城址の最大 長方形型

 正面には 「鏡石」と呼ばれるもの

 

ここ「岡城址」の岩は、「阿蘇溶結凝灰岩」だそうです。 柔らかく、作業はしやすい。

 しかし、この岩の積み上げ方。 岩を鑿で削って、計算された作業や、自然の形をうまく利用したり

 いわゆる城の名張は匠の大仕事…まぁ、この高い処まで、運び上げたものですね~

 延べ~数万人の労役だったでしょうに。  やぱり、殿様は 凄いよ!

 

 

 ところで ここ 「岡城址:は紅葉の名所

 通路には大きな紅葉が  このように 写真愛好家はこぞって ここへ。

     

  しかし、この写真の景色で…石垣に樹が見えるでしょ。 これは 現在は「桜」だけなんです。

 以前は、春「桜」 、秋「もみじ」 だったそうです。

 しかし、今はない、 何故ですか?  分かりますか…

 

 

  答えは これです。

 

             これもみじの大木の切り株 下に「根」が

 

 割れ目にもみじの根が蔓延っていく~ そう 石垣の破壊です!

 石垣を破壊して 崩れていくのを防ぐために、「もみじ」を切って仕舞った。

 ぜ~んぶではありませんが、石垣が壊れそうな個所は…

 自然は強いね~ いや、「根」の生命力には、参った、参った。

 

 城址に上がってきました…三の丸~西の丸~二の丸~本丸へと。

 

 まだ 桜はつぼみ 何本かには 薄ピンク色に染まっているものも…

  

 そして この銅像と言えば   「瀧廉太郎」

  瀧廉太郎 僅か23歳10か月の生涯

 後の世に残したものは~大きい。

 そして

  土井晩翠の歌詞 記念碑 

 

    (荒城の月の音譜」

 本日のガイドさんの役目も 後は山を下るだけ…

最後に、私(ガイドさん) 歌います~…。

 よろしければ ご一緒に  と。

「春高楼の 花の宴 巡る盃 影さして 千代の松が枝 ~

  いやいや 皆さん 本気モードでした…

 声をそろえて~ まるで 卒業式みたい

 

 古城の趣も最高! 天気も上々…

そして 城から眺める 周囲の山々~

このパノラマも 言うことなしでした。

             久住山            大船山      黒岳

 

 

 ちょっと霞んでいますが    傾山     小富士山      祖母山

 

  よく歩きました 76歳 がんばりました。 これからの健康でまず必要なのは?

  「足」ですね。 これからも 「足腰」を鍛えて まだまだ と 「気」を緩めず…

 凄き有意義な勉強会でした。 成果大なり。 

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待ってました!たかが「パン」です。

2018-03-26 | 日記・エッセイ・コラム

今日は 本当は 「竹田市内散策」のNO.2 掲載なんですが…

急遽変更です。

 

 もう1か月以上も待ったものが今日手に入りました。

いえ、大層なものじゃないんです…ただのパン。

いえ、やっぱりただのパンじゃないんです。

「ただ」も、もちろん「有料」で「優良」のもの。

 

 以前、テレビ それもNHKで放送されたもの。

「24時間眠らないパン屋さん」 モンシェル

 これを見て~

 東京の息子にさっそく電話して、話題の「食パン」を依頼した。

 「東京都江東区東陽5‐24‐10」

ところが、テレビの凄さ…全国各地からの注文で…

24時間営業のこの店も、放送終了後から「パンク状態」

 

息子も休日に店に行ってもらいましたが・・・・

「当分の間、申し訳ございません~」とのこと。

手に入ること叶わず…ずっと待ってました。

 

 先週土曜日、次男が娘と散歩がてらに何回目か、その店に足を運んでくれて

やっと買うことができ 贈ってくれ、今日の昼に宅急便で届きました。

 

 何でもそうですが・・・・「待っているもの」を「開封する」瞬間!

これほど ワクワクするものありませんね~

 (たかがパンなのに…って笑っているでしょう)

そうなんです、笑われてもいいようなもんです。

 でも、結構、真剣に楽しんでいる私です。

 すぐに開封! そして 中身を確かめる。

 

 

 もう、パンのいい匂い、そしてバターの香り。

 カットします。

 ぷんぷん 匂いが。

 

 たっぷりのバターが浸みこんで、外はサクサクな食感 生地はフワスワ

 舌触り抜群~ 美味しい~!

 

 すかさず、ワインを栓を抜いて、流し込む!

 喉が鳴る。

 このパンに合う。

 

  追加に、チーズが添えられ、クルミ、ピーナッツ、ピスタチオ

  カシュナッツ…もう、どこかの「飲み会」の始まりみたい…

  「パン」が主役で・・・・美味しい時間を。 

 

  お値段、ちょっと高めです。 2斤で900円。

   今、2斤 2本までしか買えません…。

 24時間営業で工場直営 それでも間に合いません。

 1日に1000本以上売れるんですって…凄いね 東京ってところは。

 

 でも、これも、一度 「面白半分にやってみよう」って の遊び。

 

 普段は、しっかり、普通の玄米パン1枚を、朝食時にトーストして

 健康管理をしております。

 

 でも、評判通りの「美味しさ」でしたから、合格です!

 

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城址に流れる「名曲」は…

2018-03-25 | 日記・エッセイ・コラム

 「かんだ郷土史研究会」3月の例会は、現地研修。

大分県「豊後竹田市」…そう、かの有名な瀧廉太郎の里へ。

「城下町歴史散策」の時間をたっぷりと楽しみ、味わってきました。

早朝8:00 役場前駐車場を出発 総勢30余名の勉強家たち?

貸切バスを仕立ての研修会の始まりです。

  

 日豊線沿い唯一の高速道路をひた走り…

別府湾を望む最初のトイレ休憩

 

さらにバスは 豊後竹田へ向けて走る

2回目は道の駅あさじで。

バスは最初の「岡藩主おたまや公園」に到着

竹田市のボランティアガイドさんの出迎えで本日の勉強会開始です。

 ベテランの男性と新米の女性2名での案内です。

ここ「おたまや公園」は岡藩主歴代の墓(一部他県にも)

 趣は質素、園内は綺麗に整えられ、静かな雰囲気。

春の日差しが心地よく 墓地の前の池にも睡蓮の葉が芽を出していました。

 

 まずは初代中川秀成公の墓

 そして左に並んで歴代藩主の墓が続く。

岡藩7万石、豊前の国では石高としては大藩。

初代藩主「秀成」は、豊臣秀吉の部下である中川清秀の次男。

      「清秀」

  初代藩主「秀成」

 兄「秀政」は秀吉後半の無謀な戦い「朝鮮の役」で頓死した。

墓所の入口に藩の紋章が

 これは? 

 柏と言っていたが…昔の柏は

 「山帰来」を使っていた~ これだね。

 また墓所に花はつきものだが…

 この椿 八重…正式名は何だろう? 

 私の付近ではあまり見かけないが  大きく枝を伸ばしていました。

 見事な 八重ですね。 地面に落ちていたのを寄せてみると 

 

 ここから 市内に入っていきます

 頂いた地図 ここから(おたまや公園)

      👇

     

 

  時間はちょうど昼時 本日の昼食場所は 「豊後高田」一の老舗「茶房お客屋」

  なんと400年以上の歴史が今日まで そして現在の館は 一度消失の後、210年前に

  建て替えられたもので、昔は「藩の接待処」として格式の高いところ。

     

 

 

 客室に上がると、部屋中に 今昔、取り混ぜた 「ひな人形」が所狭しと並べれれていました。

 

 もう、ひな祭りは過ぎましたが・・・・

 全員が席に着き 料理が運ばれた…

 女将の挨拶は この店の歴史をかいつまんで説明

 

  なんと 私たちの食事が この店の最後の営業(本日) 数百年のときを経過し、

  これこそ歴史を感じさせますね。

  長い間、この店をきりもみしてきた威厳と自信が…

 そのキッとした所作からも伺え、風格さえ感じ その説明に心地よく耳を傾けました。

  その中で、ひな人形についても、時期は過ぎましたが、本日のみなさんにと

 一度仕舞うのを止めて、今日 改めて飾りました。との 言葉。

   これこそ! おもてなしの心遣い~ ありがとうございました。

 本日賞味したのは「竹田御膳」

  まぁ、所謂 産地の「山」で採れたもの…どれも、締まった味でした。

 このあと、他所と違うおもてなしがありました。

 女将から、「お食事が終わりましたら、お重の蓋をして 

           その上には物を載せないでお待ちください。」

運ばれた来たのが  お抹茶とお菓子(ご当地の名菓 「荒城の月」)を いただく…

  この趣向に 皆さん大喜び~  さらに、最期の記念として 一人一人に

  紙折の「雛人形」と「あられ」が一緒に…憎い演出ですね…

                      ↑ 本日の「荒城の月」は但馬屋さんのもの。

 

 食後のひととき、庭の隅に咲いてる 「沈丁花」の白い花から あの独特の香りが~

   これもまた 風情のある事。

 さらに、茶房の板壁は 長い歴史 そのままに 杉の木目が  そして 廊下の踏み板も

 風雨に削られ  これこそ、神の芸術?

  何と素晴らしい 姿でしょう…

  その木目は 浮き上がっていました…

 

 

  ここでのすべてが魅了され  思い出深いひとときを 過ごしました。

 

  午後からの散策は 明日 お楽しみ~

 

 

 

 

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「男の仕事」

2018-03-13 | 日記・エッセイ・コラム

「冬」が去って行った…

寒さはまだ朝晩に残っているけれど~気分はすっきりです。

 

先週の土曜日から 女房殿、東京の孫に逢いにお出かけ中~

しばらく独身です。

 だから、やることが山盛りに~

そろそろ春の模様替え? 

そうなんです「春」には春の気分で、でしょう。

この時期には、例年「各部屋」の床のワックスかけ。

これが大仕事です。

そうです。これは、男の仕事です。

 

「リビング」ここが一番広い。寝室、もう一部屋と。

キッチン、トイレ、洗面所と。6か所のワックスなのだ。

1日では無理。

家具類の移動が伴うから。

リビングの絨毯、  なんて重いんだ、しかし、無くなるとすっきりだね。

大きな食卓、椅子。リビングのソファ、前テーブル、テレビ、観葉植物類

イーゼルに掛けている絵、これを数か所に分散して…

  「ヘトヘト」

 しばらく休憩。

独りで、物を動かすって…想像以上に 難しく 苦労だね。

重いものには、角や、足に布を置いて、滑らすように~

 ちょいとした工夫が 動きを軽くし、身体も楽になりますが。

 

次は各部屋に掃除機をかけて~水拭き、洗剤を付けてもう一度、

さらにもう1回 軽く拭く。

1部屋ずつ ワックスを~ 15分程度乾かす~2回目を塗る。

リビングだけは丁寧に3回塗りに仕上げる~

 

腰をかがめての作業、結構 年寄りには重労働? ほんとです。

休憩をはさんで、1日目が終了。

2日目も同じリズムで作業を続けて、すべて終了しました。

 

フローリングの艶艶とした顔が疲れを吹き飛ばしてくれる。

15年目に入ったこの家も、手をかけてやれば立派に輝くものだ。

「花」も、「家」も、手を抜かないこと…

身近な存在だけに、いつもきれいな姿で一緒に居たい。

これが「手を抜かない」決め手。

ワックスの作業は、次は夏の終わりなのだ。

 

まずはリビングの姿

 ガラス越しの鉢植えの「パンジー&ビオラ」も部屋から・・「いい眺めです」

 ワックスが終わってガラスも磨いておきました。

  朝、小鳥が、この透き通ったガラスに「気が付かない?」飛び込んで来て~

  「哀れ、ガツン! その場に失神してしましました」

 しばらくして驚いて飛び立ちましたよ。

 

  でも、こうしてフロワーが輝くのも、この春の優しい太陽の光があるからですね。

  全然、違いますよ。 気分。

 

壁側、「テーブルなし」にしたら~広く感じますね

  しばらく、このままにして置きましょう…

 

キッチン方向

 

部屋から 玄関方向へ 

玄関から部屋に向かって。 庭の椿の花を

 

 トイレも 洗面所も 綺麗に。

  

「運ぶ」「元に戻す」

「掃く」「拭く」「塗る」

これ、業者に頼んだら? ハウマッチ~

 

 お疲れさまでした…女房、帰ってきたら 大喜びでしょう!

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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。