黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

苅田町のこの「1区画」はアパート群と倉庫街?

2023-02-28 | 日記

 苅田町の区画整理事業で大掛かりな区画工事が進行中。

 第1期はから現在第2期に入っており、ここ10年で昔の面影は無くなった。

 私がこの地に帰って来て20年。

 当時は、どこまでも続く田園風景しかなかった。

  

 

  

 以前に(2020.6.02 のブログ)で変わりゆく一部を紹介していますが

 それ以降、もう、ただただ驚くばかりの変貌ぶりです。

       

 

 区画は、

 日産自動車の工場前の幹線道路から「与原」側に向かっての農地全体

  「黄色」の部分

 ほとんどが埋め立てられて~現在は、多くのアパート群に挟まれ

 一戸建ての新築家が…ほんの少々。

 とにかく、ここは「アパート村」になりそう。

 企業の寮、社宅としての借り上げ棟、そして一般賃貸。

 東建、積水、大和などの大手をはじめ、様々な業者が勢ぞろいです。

 

 そして今、この区画の海側~黄色い部分から「日産」に向けての

 地区が、凄まじい変貌ぶりです。

 もう、あっというまに「大型の倉庫群」の出現です。

 物流倉庫がひしめき合っています。

 その数 15以上かもしれませんね。

 

 北九州方面からの高速道、北九州空港、苅田港、門司港に隣接

という地の利と、更地の大きさ、地価の安さがこうした

結果に結びついているのでしょう。

 

散歩のコースに建てられている倉庫群を追いかけてみました。

 以前打ちっぱなしのゴルフ場があったほぼ全域は埋め立てられて

 次々に倉庫群が建てられています。

 その大きさが半端じゃない~この倉庫も端から端まで

 棟の長さは、数百メートルにも。

 まだ工事は継続中。

 

 

  ここは「日通」

 

  こちらも大きい~

 

 

  奥行きも凄いね…

 

 

  横幅も大きい、大きい~

 

 

 先へ歩きます~ RENGO って看板が

 

 

 道路を渡って~東向きに300mほど先へ

 並んで「工場」が続いてます。

 幹線道路に出ました。

 曲がってすぐに 「鶴丸」さんの事務所、倉庫~お隣りへ。

 

 

 この道路の東側はまだ埋め立て前・・・

 目の前に見えるほど近くに感じます・・・「二崎山」が。

 

 

  少し与原よりの「第2期区画」では まっすぐ道路も完成

  右側の造成もまじかです。

 

 

  丁度この角地では現在、大型のマンションが建設中

  建設業者の方が忙しく動きまわる姿が金網越しに見えます。

 

 

 ちょうど40分ほど歩きました。

 この辺は、最初に完成した処なので、落ち着いて来ました。

 道路の両側、奥にかけて…アパートが並んでいます。

 

 

 

 我が家からこの区画を、外周で速足だと40分、

 速足と、ゆっくりと交互で歩くとたっぷり個1時間ほどの

 ウオーキングとしてはちょうどいい道です。

 車にも、人にも 会うこともなく? 静かに散歩できます。

 

 でも、従来の 「人の息遣いが聞こえる町」ではありません。

 「向こう三軒両隣り」なんて古語もなく

 若い共稼ぎ夫婦世帯ですから、日中は声もなく~人も動かず。

 朝晩、犬の散歩で出会う程度 真の意味の「住む」ところだろうか?

 と、ふと 思う。

 まだまだ変わりゆく この地。

 これから50年後、このアパート群はどんな姿に。

 住む人もなく、建物は老朽化し、朽ち、壊れ・・・

 ゴーストタウンに? 

 

  また、昔の 広い海に戻るだろうか・・・・

  

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桜の芽が ちらほらと~ 美術展へ

2023-02-27 | 日記

   

 

 みやこ町の「みどりの館」

 第17回 美夜古の風 アート作品展  

 土曜日に最終日  急いで行って来ました。

 

 今川の堤を走りながら、左手の河川敷には枯れた桜の樹の並木が続く。

 ちらほらと小さな緑の蕾? いや まだ芽でしょうか

 でも、いくつかには 小さな花が顔を出している樹も・・・

 もうすぐ一斉に 花開き、満開もすぐそこまでようです。

 菜の花も負けずに 風に揺れていました。

     

 

   

 

 この二階に上がる階段が 少しきつく感じられる?

 ようになった… 体力減退! 運動不足 いや、加齢のせい…

 記帳を済ませて~展示作品に向かった。

 

この「美夜古の風」にも、もうずいぶんと通っている。

出品者の顔ぶれもあまり変わらない~

絵の雰囲気も、「変わらない」「変わった」「変わりつつある」

何度もその方の「絵」を前にしていると、分かってくるものだ。

今回は、通じて なんか物静かな感じでした。

 おお! という作品もなし。

 むしろ 全体的に もの足らない? かな?

 

 60点以上の中から いくつかの作品を紹介しましょう。

 

 いつも変わらず、シンプルで 色彩感覚のいい1枚

 「日本海 雪の砂丘」

 

  雪の砂丘の向こうは~日本海!

    こんな景色はめったに見ることはできないですよ。

 私も以前、赴任先は「松江」

 冬の山陰の海は、黒くどんよりとして、風は冷たく肌を切るほど~

 マンションのドアーの下の隙間から入る風の、ほんとに冷たいこと。

 単身赴任での1年間は、もう、忘れることのできない思い出です。

 

  「白い泪」

 

  パネルに反射してしまいました。

 

  「早暁のカレル橋」

 

     水彩ですが いい雰囲気です。

  「カレル橋」 チェコのプラハに流れるヴルタヴァ川に架かる橋です。

  神聖ローマ皇帝カール4世の治世に45年もの歳月をかけての完成

  きれいで、凄い橋。

  

   夕闇迫る頃には~

  

 

  海外取材の絵には、やっぱり中身に歴史を感じますね。

  他にも、今回の会場には数点、海外のものがありました。

 

 「上高地」

 若いとき 夏休み休暇を取って、上高地~白馬~穂高との山々を単独で

 歩いたのも、もう50年も前のこと。

 

 「公園の午後」

   何でもない風景、どこにでもありそうな・・・

    かえって落ち着くのは、誰もが感じるひとときでは?

 

    「チェスキー・クルムロフ」

チェスキー・クルムロフ…

 この名前に記憶がある。

 チェコ・南部ボヘミア州の小都市で、世界遺産にもなっているのだ。

 「美しすぎる街」と言われ、人気の街である。

 歌にもある「モルダウ川」に囲まれた街です。

 画家なら一度は描いてみたいと思うでしょう~

 日本の画家でも多くの画家がヨーロッパで勉強しているし、パリを中心に

 近隣の国に足を向けて絵筆を取っている。

 日本の風景と違って…「絵になる」風景ですからね。

 

 作品の中で海外の風景は珍しかったので~。

 実際のこの都市の写真を参考に。

 

 

 湾曲したモルダウ川が街の景観を一層引き立たせている

 

「トンバの旅」

 この方、もしや、ヴェトナムへ行った?

 このトンバも 古き街なんです。

 素材は何だろう? 模様なのか…

  古き昔の 原住民の生活? 

  この街でつくられる庶民のバッグの模様に、花柄は多い。

  鳥や植物をあしらったものも…

 

 

 最後は ほんの近くの 見慣れた、そしてほっとする風景で

 

 阿蘇 双子岳

 

 いつも重厚で 落ち着く1枚です。

 

 今回尋ねて 一番気に入ったものを見つけましたよ。

 窓辺にさりげなく…いや、きっと 思いを込めて活けた逸品!

 センスの良さ 

 さすがギャラリーを切り盛りする人だね。

 

 

 絵を鑑賞する上で、会場の雰囲気は大切です。

  これぞ、「おもてなし」かな。

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山下清 「東海道五十三次展」へ

2023-02-26 | 日記

 

 2月に始めに隣町の「行橋市増田美術館」からの案内状が届いていた。

 昨日、初日に合わせて会場へ。

 全国の美術館で巡回展示を行っており、今回は 福岡県の、

小さな市である「行橋市で開催されること自体が大変に画期的。

ともかく期待してその日を待っていました。

私も、山下清としての企画展は初めて。

それも、珍しく「貼絵」ではなく彼が版画を作るためにペン画で

描かれたものを版画にしたものの作品展。

 49歳で亡くなった彼ですが、この大作が自身による「版画」で

あったらととても残念です。

 

東海道五十三次と言えば、歌川広重ですが、その着想を得て

昭和の「五十三次」を昭和40年(彼が43歳の時)から約4年間を

費やして皇居前広場から終点、京都三条大橋まで取材とスケッチの

旅を続けて完成させたものです。

 

 まずは旅の始まり「皇居前広場」からスタートしましょう。

作品は全部で55点にもなるものすべて

「山下清管理事務所」所蔵の物です。

 

 全ては掲載できませんので、私が気に入った箇所とします。

「皇居前広場」

 

因みに 広重のスタートは、ご存じ 「お江戸日本橋」からです

  

 

 品川~川崎~横浜~保土谷~戸塚~藤沢~平塚

 

8番目 平塚 こま山

 

 時代が変わると場所の景色も・・・(広重)

   松並木は・・・いまでもある?

 

 

11番目 箱根旧道 

    

 

 

 

 三島~沼津~原~吉原

15番目 吉原(富士)

 

 

 広重 

 

 江戸の松並木が~新幹線? でも、

     富士山は変わらず で~んと居座っていますよ

 

 吉原~蒲原~由比~興津~清水

 

19番目 清水 羽衣の松

   

静岡~丸子~岡部~藤枝~島田~金谷

 

25番目 金谷 牧の原

   

 

日坂~掛川~袋井~磐田~浜松~舞阪~新居~白須賀~二川~豊橋

 

豊川・番外 いなり様の大将

     

 

 御油・赤坂 ~藤川~岡崎

 

39番目  岡崎 矢矧橋

  

 

ここで 山下清が語った一節を・・・

  「太閤さんの子供の時の名は日吉丸なんだな。

   日吉丸は ほんとうにルンペンみたいなことをしたんだな。

   昔、ここにかかった橋の上でどろぼうといいあいしたんだな。

   どろぼうはひとりじゃなかったんだな、ぼくならどろぼうの通りそうな

   橋の上なんか寝ないな、駅の待合室でどろぼうにあうことはめったにないな。

   それでも一ペンだけどおまわりにぼくがどろぼうとまちがえられて、二晩

   ろう屋にとめられてことがある災難というんだな」 《山下清》

 *清の独特の語り口ですね。 それと、「ルンペン」って表現、懐かしい! 

 

 知立~成美~名古屋

 

第42番目  名古屋 熱田神宮

 

 

桑名~四日市~石薬師~庄野

 

第46番目 庄野 ふつうの景色

 

 

 この庄野といえば、広重の中でも有名な場面・・・

 広重 庄野

 

  見事な表現ですよね~

 

 「雨を描く…」こと

  西洋美術では考えられなかった~

   あの、有名なゴッホが、大変に驚き、感動し

   この手法を模写したのです。

    以前にも、一度紹介した1枚に・・・

    「大はしあたけの夕立」

   

 

第48番目 関 本陣の門

   

 

  この場面を 清は語っている。

「本陣というのは、昔えらいい人だけがとまる宿のことだというな。

 いまはお金さえだせばどんな宿でもとまれるらしいが、昔はえらい人と金持ち

 は一緒だと、きまっていなかったのだな。昔のえらい人というのは、

 いばることのできるひとのことをいうので本当にえらい人というのは別かも

 しれないな。昔の大将でもいまの大将でも、頭はいいけどほんとうに苦労

 するのは兵隊だな。 《 山下清 》

 第54番目 大津 瀬田の唐橋

  

 

第55番目 京都 三条大橋

 

 

 最後に

 清は 「やっと京都にきたな こんどの仕事はこんでおわりだな

 数が多いからいつまでかかるかわからないな ぼくは京都は

 なんべんも絵にしたな 冬は金閣寺を貼絵にしたこともあるな

 夏は大文字焼をスケッチしてそれを焼き物の絵にしたことも

 あるな こんどは春の絵を描くんだな

 春の感じをだすんだな 柳の芽が風にふかれているのが春らしいな

 これをかくのを忘れないようにしょうなぁ」

 

 

 

  どうぞ この春の風に誘われて~ 行橋市 増田美術館へ

  足を運んで 「山下清」の素晴らしい 1枚 1枚 に時間を

 

 館内に同時に コレクション展として こんな珍品もありました。

 

 

 

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孤高の画家 田中一村 NO.5

2023-02-01 | 日記

昭和三十三年の暮れ

一村は師走の風追い立てられるように千葉を旅立った

 

昭和三十三年十二月十二日の午後一時過ぎ、奄美航路の

高千穂丸は、噴煙たなびく桜島を眼前に仰ぎながら

鹿児島港を出港した。

       

 鹿児島から380キロ、およそ18時間の船旅であった。

奄美大島は、黒潮の流れに黒々と横たわっていた

 

 奄美大島を見たときの印象を描きとめたもの。

   画面右上に「十三日未明船上より初めて黒き奄美の姿を見る

         「遥けくも来つる哉の思ひあり」・・・・・田中孝

 

一村は、水平線の彼方の空を仰いで、静かにつぶやいた。

 

奄美での作品の多くは、最初の日にまとめて紹介していますが

 この編では、スケッチを含めた数々の作品をアップします。

 

スケッチブックを小わきに抱えた一村は、朝の光が輝く

中を歩いた~道端には、ガジュマルが怪異な根塊を見せ

      

クロトンやゴムの木など、海洋性亜熱帯植物群からは、むせかえるような

生命感が伝わってきた。

 

  「クロトン」  

         

 

  「パパイヤとゴムの木」  

            

 冬だというのに…ハイビスカスやブーゲンビリアが咲いている。

  

 トタンぶきの小さな平屋が軒を連ね、人々の暮らしの息吹が

 感じ取られた。

      

 海岸から続くソテツやアダンの小道を

 頭にかごを乗せた母と娘を思わせる人物が歩いてくる。

 柔らかい光やソテツの実、女性の服装から春先の情景

 南の島らしい人々の暮らしが感じられる。

  「海辺の道」 

  

 一村は梅乃屋の間借りの一室に落ち着いた~

 数日後、山に囲まれた静かな環境の和光園を訪れた。

 三百人ほどのハンセン病患者が療養していた。

 

 そこで事務長の松原氏や小笠原医師との出会いは

 お互いに人柄に魅かれていった。

 その後、小笠原医師とは彼の官舎に同居するほどにも。

 

 一村はすぐに与論島の視察旅行を~

   絵のモチーフを求めての旅だった。

 「与論島初冬」 

 

円錐形のかやぶきの家々は、サンゴのかけらを積み上げた

石垣に囲まれていた。

 その石垣をガジュマルの根ががっしりとつかんでいた。 

 

奄美の生活の中で…数々のモチーフに挑戦

日日、筆を執る一村~

人々の生活の匂いまでも、画集に、残す、残す。

 

 「高倉風景」

 高倉は、奄美諸島とトカラ列島にみられる高倉

 (穀物を貯蔵する倉)です。

    この集まりを群倉(ブリグラ)と呼びます。   

 

 「魚樵對問」 

   

 この絵のタイトル「魚樵對問」は、もともと漢画の画題で、

 漁師は隠者、樵夫は仙人を表わす。

 漢画を学んだ一村が、奄美の風俗を重ねて描き、川村幾三氏に

 贈った作品。

 

 一村は生涯を通じてかなりの健脚であった。奄美での朝は早く

 五時にはすでに山路を辿る姿が見られ、周囲の人にとって

 時計代わりだったという。

  歩け、歩け ・・・画材の宝庫がもったいない! 

   そんな気持ちではないでしょうか‥‥

 

 残されたスケッチ~

 一村は、好奇心の赴くままに、奄美を取材し、その時に描いた

 風景、鳥や魚、植物などのモチーフは作品にも反映されている。

  丁寧に採食された写生図や、作品の構図なども残っている。

 

    素描 エビ

  

              本物は   

    

 

  素描 エビ

  

 

   素描 魚

   

 

   素描 魚

   

            本物は 

   素描 魚

   

   

   さてさて 一村も これにて 終わりと致します。

 

  奄美の生活では、まだまだ多くのエピソードもございますが、

  あまりくどいと 飽きが来ます・・・・

 

  「孤高の画家」

  一村は、夕食の準備中心不全で倒れ、69歳の生涯を終える。

 

   「学閥や金力や世のあらゆる権威に頼らず、ただ自らの

    才能だけを信じて、世に認められることもなく、貧窮を

    ものともせず、ひたすらに絵を描くために生きた一村の

    生涯は、私たちに多くのことを語りかけてくる。

    絵とは何か。美とは何か。

    その絵を支える美学を、生涯かけて生き抜いた一村の

    絵かき人生は、そんな根源的なものまで問いかけてくる

    ように思われてならない。

         「日本のゴーギャン」(南日本新聞社 中野惇夫 )文中より引用

 

   一村終焉の家      合掌・・・・

 

 

   日本のゴーギャンと言われた一村。

  

 まだまだ 語る尽くせませんが~ いつかまたの機会に~

  現在の一村ブーム? を黄泉の国からどう思っているのかな?

 

   NO.5 長きにご協力 ありがとうございました。

           (^.^)/~~~

  

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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。