黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

「夏日」思いっ切り汗をかいたよ

2020-04-30 | 日記
今日は「昭和の日」
 そうなんです、私の年代は今日という日はそれなりに
受け止めていた年代。
 今、「令和」の時代に入りました。
その前が「平成」・・・30年続きました。
昭和は64年・・・やっぱり「遠くなった」
 「旗日」には国旗を玄関に~そんな風景、今は珍しい・・・

と、朝起きて横向の家の玄関に国旗が掲げているのを見て感じました。
 ただ、私、78歳ですが・・・家に国旗・・・という経験はありません。
実家はそう言えば~昔、記憶にありますが。
ともかく、GWの始まりです。

 しかし、自粛は続けていますので、今日の天気はこれまた「異常」
どんどん温度計・・・上がっていく。
 「夏日」?

 作業着に着かえて草刈り機を持ち出して庭の草刈り作業です。
「コロナ」を理由に? 手入れをさぼったら、しっぺ返しは相当なもの。
 草をここぞとばかりに伸びに延び~
  「ピーピー豆」が花を席巻して・・・周囲を睥睨する~
 ああああ・・・ほんとうにみっともない風景です。
  あれほど自慢にしていた我が家の庭。  残念!

 言い訳ですが・・・ちょと広いので・・・目の届かない箇所は手抜き? も
 ありなんです。
  でも、今日は挑戦しました。
 

  もうかれこれ15年使っている草刈り機。
 

  お休みのところ、周囲の皆さんに ちょとだけ気兼ねしながら?
 ブイーン・・・ブイーンとかなりの音を出しての作業を。

  温度計上昇・・・額から汗が ほとばしる・・なんて暑さだ。

   1時間 作業して 冷たい水 一杯 喉に流し込む・・

  15分休憩~ さらに 続ける。

   どんなもんだい!  きれいに なったでしょ。

 


 

 

  朝 刈って・・・乾燥させて・・・山積みの草も 
  結果は・・・こんなに
 

  刈り取った草・・・3か所に集めて ゴミ袋に押さえつけて「ギュ、ギュー」
  7つにも。

  終了したのが・・・午後5時過ぎ。

  大汗かいて 2回の着替え~ 午後からの暑さ・・・もうほんと「夏」

  シャワーを浴びて~冷え冷えの・・・ビールのうまさ! 最高!

  今晩はゆっくり眠れそう~ そして 明日もまた 気張りますよ! 

  
 
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花柄摘みを終えて~

2020-04-28 | 日記
 今朝は少し肌寒い。
 暦はGWに入った、例年ならテレビのニュースは「民衆の大移動!」
なんてのが定番。しかし、今年は違う。
 「勝手連」の傍若無人な行動者が出てこないように祈るだけ。
「静かなGW」を一度くらいは経験するのもこれからの社会や、自分たちの
生活の新しい「生き方」が発見できるかもしれないと我ながら思う。
 いや、そうだと~。

 この数か月でも、1日の過ごし方に
今までにない時間の使い方の発見もあり斬新さも味わっている。
要は、「習慣」に慣れ切った毎日の繰り返しから、見つけて行動を起こすこと。
 この大事さにも必要性を感じました。
決して、悪いことばかりじゃない。
 そういえば、先日、ある方からの便りの最後に・・・・
 高杉晋作の1句
   「面白きこともなき世を おもしろく」 とあった・・・
 

   下の句は、 博多勤王の女流歌人「野村望東尼」が
   「すみなしものは こころなりけり」 と・・・

  心のありようで世の中 面白くもなるし、つまらなくもなる・・・

    実際、そうですよ~すべて 心のありようではないでしょうか。 

さて、生き方論ではありません。
私の日々の淡々とした繰り返しの一つなんですが・・・
「花柄を摘む」行為だと、繰り返しだから つまらなくなる。
そこをなんとか 目線を変えて・・・観察意識を持つ。
そのことで「花」の
新しい「美」の発見ができる・・・ちょっと大袈裟かも?

まず、奇麗な花を見たいなら・・・丁寧に花柄を摘むこと。
そうすれば、「萎れた花」「枯れた花」が無ければ絶対に奇麗
 だから根気よく花柄摘みをやる。
今朝も「ビオラ」の 路地植えの株や 鉢植え 〇〇個にせっせと立ち向かう。
      

 


 いやぁ~ 中腰の作業は これで結構 きついんです。

  1鉢あたり 花柄 いくつ摘むと思います?
   数十個・・・鉢と 株の数 いくつあると思います?

   黙々と・・・ 黙々と・・・ ひたすらに ひたすらに


 ついでに 傍の花にも声かけて・・・上からズームでご挨拶です。
「オキザリス」

「リナリア」の各色
 小さな花が 群れて 華やかに




「ストロベリー・キャンドル」も炎を燃やし始めています
 真っ赤な「赤」が 周囲の花を睥睨! 

 負けじと・・・「白」の
 「ブライダル・ブーケ」も


小さな花は やっぱり 近寄ってあげなきゃ・・・
 奇麗にお化粧しているんですから 認めてあげること。

 この花は もっと 小粒で 可愛らしい花
「カスミ草」
 

  さらに もっと小粒な花 「コデマリ」
 

 泳ぐように、風にゆだねるように
 「ファイヤー・センセーション」の紅紫の花弁は優雅です
   

 今朝 一番の 美しさは この花
    「十二単」 (アシュガ)
上品な薄紫 
ほんと 小さな「がく」は 下から数えて 1、2、3~12、13 
   


 雑草の中だけじゃ・・・可哀そうだから 
  キッチンの窓側に 踊るように 飾ってあげました 
        
 

  
  「コロナ禍」
    外出自粛  ストレス溜まる ~ 
        おもしろきこともなき 
    でも ないですよ!

       「心のありよう」です。 

 

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鳥の声と花が清々しい~

2020-04-24 | 日記

今朝は風が冷たい。
垣根の葉が、道路にいっぱい飛び散っている。
ゴミ出しの後、早速箒を持っての出動だ・・・
これは毎朝の役目だが、こんな日は落ち葉の量も多い。
ビニールのゴミ袋はすぐに膨れるほどに。
        
 6:30を過ぎた~太陽もすっかり昇りようやく朝の雰囲気に。
いつものように畑に出かける「おじちゃん」が挨拶を
「おはよう、今朝は寒いなぁ~」と、
足早に自転車で通過する。

 黒い上下の若い男の人、これも日課なのか?
朝のジョギングだろう・・・軽快なステップで通り過ぎる。

 庭に戻って、ビオラの花鉢に水やりを~
      
       

  花壇の花にも霧吹き状で軽くかけてやる・・・
     
  
今日は天気も良くなりそうなので、陶器のベンチを運び並べる。   
    午後、風がやむのなら・・・一杯のコーヒーでもやるか。
       
風のそよぎに、つられてなのか小鳥の声が聞こえてくる~
「ホーホケキョ、ケキョ~」 えっ、 鶯? やっぱりそうだ。
        
 花の枝には 大きなヒヨドリが止まっている。
   この一瞬を撮るのに・・・なかなか大変
     カメラの始動音ですぐに飛び立ってしまう~
      何度目かの操作で やっと 捉える
     これって チャンスが」なかなか撮れない・・・
      鳥もすぐに 飛び立ってしまう~
        

ヒヨドリが飛んで行った後には、今度は目可愛いメジロだ。
 姿は見えるが・・・つんつん動くのでシャッターは無理
       ( 「ウグイス・メジロ」の写真はよそから拝借したもの)

 これって、朝の合唱だね・・・いい気分です。

日差しは 爽やかに 庭を包んでくれます。

 鮮やかな木々の色彩は 澄み切った今こそ、奇麗!

 真っ赤な「赤紅葉」
       
 
合わせ技の いま、緑の若葉のもみじ
       
 
紺色清新なアイリス
       
 
  真っ白に輝く「クレマチス」
       
       

  
 昨日のニュースで芸能界からの「コロナ感染症」による犠牲者が出たと。
 あの爽やかな笑顔の岡江久美子さん 
  「朝の顔」であった・・・
         

   そんな彼女に 私からも 朝の花を手向けよう・・・

    「どうぞ、やすらかに」

皆さんも 外出自粛 他人事ではありませんよ !
 
   今 この時を 本当に 真摯な気持ちで受け止めましょう! 


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凛とした姿

2020-04-22 | 日記
 とってもいい気分で庭の草取りをしている最中に
訪問者・・・・家内の友達で家で菜園を楽しんでおり
「こんな時(コロナ禍)は出かけること心配しないで土と戯れるの最高!」と。

彼女が持ってきてくれたのが・・・「白いカラー」の花。

 早速、活けました~部屋の真ん中のテーブルに鎮座まします。
      

  調べてみました・・・花言葉は、「乙女のしとやかさ」「清浄」
  そう、この花の姿 「凛とした」 ですね。
 
  ギリシャ語の「カロス(美しい)」が語源だとか。
  
   修道女の襟に似ていることにちなむとも。

      

 奇麗ですね~

この花は、白いところは、葉が変化したもので
「仏炎苞(ぶつえんほう)」と呼び
その中にある黄色い棒状のものが花(肉穂花序)を
保護しているのだそうです。
 この花は・・・
ギリシャ神話に・・・「全能の神ゼウス」
    

 と 「妻の女神ヘーラー」が
    

 ゼウスとヘーラー
    
 我が子のヘラクルス
    

 に母乳を与えていた時に零れた母乳から誕生したという神話。
 
「へぇ~、そうなんだ・・・でも、神話って 面白い話つくるもんだね」私 独言。

そういえば、我が家にも カラーの黄色、紫色を植えていた時も。
この花、赤、オレンジ、黄色、ピンク、紫、 白 と バリエーション豊富

  同じ「サトイモ科」で
  リビングの鉢植え 
  つい最近まで置いていて枯れたので外に出したのが・・・
  「スパティフラム」
       

  「アンスリウム」も同じ仲間
       
  「モンステラ」も仲間
       

  カラーの原産地 南アフリカでは 「豚の耳」って呼び
  英語では カラー リリー(百合)
  ギリシャ語の「カロス(美しい)」
  
   日本だったら ? 「サラリーマン」???
   私が命名するとしたら「ホワイトカラー」だから・・・ ダメか
    
      お国柄って言うのかなぁ~、「感じ方」って。 
 

   でも、この「コロナ禍」 もう少しの辛抱です。
    心を一つにして、この難局を 乗り越えましょう!
   自分の為だけじゃない、他人に迷惑のかからないように~
      それには、みんなが「凛とした」姿勢で・・・・
  
 もうすぐ 全能の神 ゼウスが
   「コロナ」の猛威を 退治してくれ 
         元の世界が戻って来る
  お願いします・・・「ゼウス」様
       

 しばし、この白い花を眺めて その気持ちになりましょう。
   
 

  
      
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筆のタッチは踊るように~

2020-04-18 | 日記
窓を大きく開け放った向こう側に広がっているのは、夜明けを待つ広大な庭。
 この館の主である画家、クロード・モネ・・・
花々は開花の瞬間い向かってエネルギーをため込んでいる気がする~
      
  ジヴェルニーの庭で今日もモネの筆は踊るように軽いタッチで・・・

 モネの「睡蓮」の油彩シリーズ作品は1889~1926年まで 30年間に
約250点にも。
 昨日は、日本の美術館にあるモネの「睡蓮」を紹介しました。

今日は、世界に飛び出して・・・ぜ~んぶ は無理ですが、私が選んだ「睡蓮」の
作品を。
 「ロサンゼルス・カウンティ美術館」
 
 「ニューヨーク近代美術館
 
 「メトロポリタン美術館」
 
 「ボストン美術館」
 
 「ヒューストン美術館」
 
 「シカゴ美術館」
 
 「デンバー美術館」
 
 「イスラエル美術館」
 
「オルセー美術館」
 
「オランジュリー美術館」
 
「マルモッタン美術館」
 

 

 

 

 「トレド美術館」
 
 
 世界でも珍しい円形のモネ「睡蓮」
「サン・テテイエンヌ近代現代メトロポール」
 
 
 

 
 では いよいよ オランジュリーの「睡蓮」を

 制作中の壁面の前に立つ モネ
      

さぁ、 一緒に部屋に入り~ただ ひたすら 黙々と。
 大きく広がる カンヴァスに目を集中して 
 第1の部屋から2室へ 感動も あなた独り占めで
 ここは 余計な解説はいりません! 
   


 「朝」



 ↑ ここの部分
 

 「緑の投影」


 「雲」

 
 部分
     
「日没」


       夕日の黄色が印象的ですねぇ~
第2室
「樹木の反映」


 部分
  

 「二本の柳」
  
       
        睡蓮の一つ 一つは さらっと    
          
 
 「朝の柳」
 
       
 近寄って 筆の動きを~ 右端の「柳」は
  風にそよぎ 水面に映る
 
 
 睡蓮の 1輪づつの 軽いタッチ・・・
   
               絵の具が躍る・・・
 
「柳のある 明るい朝」


   
    

     

          



 お疲れ様でした!
   随分時間が経過したような感じ しかし 充実した時間でもあった。
 
   館内を出たら・・・薫風が顔を心地よく撫でて行く~ みたいな?


実は 数あるモネのこの「睡蓮」の絵にも こんな話があるんです。
 「睡蓮 柳の反映」は、松方コレクションの一つとして存在は知られており
 長らく行方がわからなかった作品です。
 2016年にパリ・ルーブル美術館で発見された1枚の絵。
 なんとモネの「睡蓮 柳の反映」だったのです。

 長い間 ルーブルの倉庫の隅に誰にも発見されずに 時を過ごし
  眠りから覚めた。 調べた結果、 日本の国立西洋美術館のものだと
  判明し、寄贈された・・・元の持ち主(松方コレクション)に帰ったのです。 
   その絵は、画面の半分は損傷し、見る影もない姿でした。
  
 美術館は、現代の技術を駆使しその絵の修復に取り掛かり日の目を
 見ることになりました。 
 修復作業では、失われてしまった部分までは取り戻すことはできません。
 
  そんなニュースを知っていましたので・・・

 2019.6.11~9.23まで  国立西洋美術館開館60周年記念
   松方コレクション展が開催  
 この報に勇躍、上京。 修復後の絵に会うことが出来ました。
      私のブログにアップ。 (2019.7.6 美術館巡り)

 修復の様子
     

 AI技術による推定を利用して再現に挑戦!
  全体像は欠損前に撮影された白黒写真のみだった。
 色彩推定はどのように進めたか・・・
 ・同時期の類似作品を調査し、買い方や採食を検証
 ・作品の残存部分を科学調査し、使用されている絵の具を特定。
 ・同様の絵の具を用いて原寸大に描き、同時期のほかの作品と比較 
  することでえ、モネが描く際の手順や特徴などを探索。

  AIがモネの様々な作品の彩色パターンを学習し、「睡蓮、柳の反映」の
  一部の色彩情報と合わせて全体の色彩を推定する仕組みを実現した。

   凄い!  科学の進歩 ここまでか~ 

        名品再会  よみがえる全貌 

 「修復前」
      画布の上半分が欠損した発見時のモネの絵
   
  
 「修復後」 デジタル推定復元図
            

 これは 驚き・・・・

   AIの力に 天上の モネは  何と言っているかなぁ~

  これで、 原田マハ著 「ジヴェールの食卓」 
   を元に 私流に 作中に出て来た画家の「絵とエピソード」の話は
  これでおしまい。

 参考 
   ご存じですか  北川村「モネの庭」マルモッタン
      高知県安芸郡北川村野友甲1100番地
   本家から「モネの庭」のネーミングを正式に許可された庭園
                
   岐阜県 関市 山の中にある根道神社の境内に モネの池?
       きれいな池が 大変評判になっているそうです。
     

 追加
  今年、 2020.7.11~10.25  東京京橋 アーティゾン美術館
       クロード・モネ - 風景への問いかけ -
         オルセー美術館、オランジュリー美術館 特別企画

   絶対見逃さないぞ~ と 計画していますが・・・コロナ 大丈夫????
 
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睡蓮の池のほとり-1

2020-04-17 | 日記
この章「ジヴェルニーの食卓」
 原田マハは、 モネが生涯をかけて描き続けた・・ジヴェルニーを。
 こんな風に文章にしている。

 『・・もう四十年以上もまえのことになる。スケッチに適した場所をセーヌ川
沿いに探していて、偶然、ジヴェルニーを通りかかった。 
野性的ともいえるくらい手つかずの野原に、可憐に咲く花々。
まっすぐに空へ伸びるポプラ並木、農民たちが牧場に作る積み藁。
エプト川のせせらぎ、そこここに感じられる水の気配、ひなたのにおい。
そして、草むらと化した庭にたたずむ大きな古い家。
 「あそこに引っ越そう」とモネは、有頂天になって叫んだ。
「その家を借りて、ペンキを塗り直してー庭を作るんだ。 ~ 』 

 こうして・・・・モネは ここジヴェルニーの館で 日々 絵筆を
 そして 数々の名画が生まれてきた~

      写真: 「正面の庭を見た眺め」
      

      写真:「浮世絵からヒントを得た橋」
      

   ジヴェルニーの庭 「全体図」
      

  
 この庭の モチーフである 「日本橋」の絵、 庭の絵も・・・・
  「ジヴェルニーの主路」
   
  「アイリスの庭」
  

 「睡蓮の池と日本の橋」
   
 
     現在の 写真と どうですか・・・
 
来る日も 来る日も モネは 睡蓮の絵を描き続けた・・・

さて、 皆さん「モネの絵」 
 地元の美術館(常設展示)でご覧になっていたり、近くの美術館に足を
 向けたりされていると思いますが
 企画展が地元で開催、も なかなかチャンスがない。
 世界の美術館に展示されている絵が全部やってくる訳でもないし、
 さりとて、世界に飛び出して美術館巡りも大変です。
 まぁ、日本なら なんとか叶うこともできそうですよ。
 日本の美術館へ。
 ちょっと ご紹介しておきましょう。
 13の美術館が見つかりました。

 まずは九州から
 「北九州市立美術館」
  

 「鹿児島市立美術館」
  

  四国  「地中美術館 直島」
  

  倉敷 「大原美術館」
  

  京都山科 「アサヒビール大山崎山荘」
  

  

  
 
  大阪 「和泉市久保惣記念美術館」
  

  神奈川 箱根 「ポーラ美術館」
  

  

 静岡 熱海 「MOA美術館」
  

 東京 京橋 「アーティゾン美術館」
  

  

 東京 上野 「国立西洋美術館」
  
  

  東京 「富士美術館」
  

  千葉 佐倉市 「川村記念美術館」
  

  群馬 「群馬県立美術館」
  


  今日のこの作品を眺めていても、時間の移ろいを感じましたでしょう・・・
 
  今日は 「花の金曜日」 本来なら 美術館へ! ですが

   「コロナ」が・・・ 週末、我慢して モネの鑑賞でごゆっくりと。

  どうです 凄いですね・・・日本は文化レベル高い ?
  これだけの作品を収集した・・・「財力」も大いに関係していますよ。

  また、日本の美術館企画力の強さも相当なものです
   まず間違いなく、年間にはどこかで「モネ展」が開催されていますよ。

  印象派の好きな愛好家の皆さん、ぜひ、コロナ禍が落ち着けば・・・
  早速 出かけましょう! 
◆◆
  現在私が 計画しているのが~    アーティゾン美術館
  クロード・モネ -風景への問いかけー  2020・7.11~10.25
                (オルセー/オランジュリー美術館特別企画)
                             ◆◆
     このころ、「コロナ」治まっている?  是非 行きたいと思っているのですが・・・・
  
 最終章の文章に こんな行が
  クレマンソーは尋ねた。
  「君の先生はどこにいるんだい?」
  ブランシュは、「アトリエ」と短く答えた。
         「行ったら邪魔かな?」
  「もうしばらくは。 けれど、午後からご一緒いたしましょう。 
   昼食のあと、五時までは、睡蓮の池のほとりの「アトリエ」で
   制作を続けますので」

  「ああ、そっちの「アトリエ」にいるんだね」 
            クレマンソーは目を細めた。

 今日は ここまで  もう1日 伸ばします。

 明日こそ、最後 大作 「睡蓮」を・・・
 
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モネ 1枚に精魂込めて・・・

2020-04-16 | 日記
 今日はモネの連作を中心に画面美術館の開館です。
 昨日まで、ブログの「ジヴェルニーの食卓」(原田マハ著)を取り上げて、
マティス、ドガ、セザンヌ・・・そしてモネを主人公に、さらに彼らを取り囲む画家の
作品を鑑賞してきました。
 この本の最終章でもあるモネについて昨日に続いてお話を・・・

 印象派の登場には、絵の具の改良といった技術的な背景もありました。
それまでの画家は、風景もスケッチをもとに室内のアトリエで制作していました。
 ところが19世紀半ば、アメリカでチューブ入りの絵の具が考案されました。
このことで屋外で絵筆を握れるようになったのです。
          
     
 屋外で光を描いた印象派も、このチューブ入りの絵の具が発明されていなかったなら、モネをはじめとする画家は現れなかった・・・・のかも知れませんね。
 さらに、写真が発明され、カメラが普及していったことも印象派の登場に影響を
与えています。

 モネは「睡蓮」の絵にこだわり、何枚も同じような絵を描きました。
その数、なんと200点以上・・・・しかも、引っ越し先の庭(ジヴェルニーの庭)に
水を引いて睡蓮池を作ったほどです。 あとで「庭」を紹介します。
 彼はこの風景を通して光の変化を描きたかったのですが・・・
1枚の絵では変化を捉えることができません。
 そこで同じモチーフを何枚も描くことにより「光の変化」
「瞬間、瞬間の移ろいを」 表現しようとしたのです。

 同じモチーフを時間ごと、季節ごとに繰り返し描く技法を「連作」という。
 それでは、 数あるモネの作品から 「光」「色彩」「時間」「季節」を表現した
 作品を 鑑賞していきましょう。

 印象派展の第1回出品作品は「印象 日の出」 でした。
もう1枚の作品 「アルジャントゥイエのひなげし」
         
   モネの妻カミーユと息子のジャンを描いています・・・


 当時の妻、カミーユをモデル(長男ジャン)にした
   「散歩 日傘の女」
     筆の動き~光 風  感じられます・・・  
       草が
      モネはイゼールを下に据えて・・・見上げるように

   のどかな田園風景、妻や子供への温かなまなざしが。   

  
 さらに 同じ「日傘」のモチーフで モデルを変えて 向きを変えて・・・
   「左向きの日傘の女」       「右向きの日傘の女」 
  
       

  モデル オシュデ夫妻の三女  シュザンヌ・オシュデ

  
  モネの パレットには搾りたての・・・赤、青、黄色、緑、青~白
   盛り上がった絵の具は 間髪入れずに 筆に運ばれ、 
   カンヴァスに 載せられていく ~ 

  みるみるうちに 風になり 光の反射となり 揺れる草になっていく~

 時間との闘い? なのかも知れない。
 
文中、原田マハの表現に こんな1行がある…
 「時間によって風景は変わるんだ。
  いま見ているこの景色だけがすべてじゃないんだ。 
  ああ、なんでそんな単純なことに気づかなかったんだろう。 
  なんでそんな当たり前のことが・・・・と」
  
  如何ですか?  1枚の絵を 鑑賞するに 意味ある要素に
          「時間」を感じるなんて

 さぁ、次の作品です。 「積みわら」の連作です。
  まさに 1日の 太陽の動きを どう 捉えるか・・・
   積みわらの「影」の動き~ 光の当たり方~ 風の動きも感じる。

    「夏の朝」            「真昼間」
    

  「太陽の斜光線」             「黄昏」 
    
 
       「雪」
 


  昨日(4月15日)のニュースで 「ノートルダム大聖堂」
  コロナウイルスの影響で 修復工事が中止に~ 

 そう あの ルーアンの街にある大聖堂です。

 この絵を描くのに、モネは この聖堂の建物の前に部屋を借りて
4年間もの間、日々の時間の移ろいを追いかけて 制作したのです。
 
 「太陽」が昇り始める           「曇天」の日
 
   
 
 「夕方」 普通の日           「夕方」 西日が~
 
   

  画家の執念・・・辛抱強いですよね~ 我慢、我慢 
  
   「瞬間を捉えるって・・・簡単じゃない、 画家の目の鋭さ、脳に刻む
    記憶力も 凄い! 」 ただ、ただ敬服します。

  「ロンドンの国会議事堂」の作品も 20点以上も描いています。
 
    「霧を貫く陽光」         「太陽」      
     

   「夕暮れ」               「日没」
     


 そして 本日 最後の作品は
 
            「サン・ラザール駅」 

  1877年開業の パリのターミナル駅で一番歴史を持つ駅
  モネは ここでも 駅付近に部屋を借りて この連作を描いたのである。

    

  
  


    

  

  同じ モチーフですが、時間の経過が 一目で分かりますね。
   こうして 一堂に並べて鑑賞する・・・・

  これは、 解説付きの 我が「ブログ美術館」ならではの 妙味です。
             自画自賛! 

  さぁ、今日も随分多くの作品との出会いがありました。
   モネの凄さ 十分堪能していただいたのではないでしょうか。

  明日は 最後の最後 「睡蓮」について 鑑賞してもらいます。


  
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モネ 「ジヴェルニーの庭がカンヴァス」

2020-04-15 | 日記
原田マハ著「ジヴェルニーの食卓」
 ”読む美術館”として話題の1冊を、このコロナ禍の外出自粛の今、
私の感じたことを交え、綴ってきました。
これまでにマチス、ドガ、セザンヌを中心に、交友関係の画家の「絵」を
紹介し話の展開をしてきました。
 この本の最終章この本のタイトル「ジヴェルニーの食卓」
もちろん 主役は「クロード・モネ」
          

 「モネの話」 について少し絵に興味があれば、すぐに思い出す画家の
ひとりでしょう。
私もモネについては少しは話ができる程度には勉強しています。

 また 彼の作品をこの画面にアップしていけば~あれも、これもと~
それはもう、大変な量。
 とても無理です・・・そこは私なりに選びま~す。

この本では、日々のモネの生活を覗き見し、「作者」が、もし彼の傍にいたら・・・
 きっとこんな会話をし、行動し、日々のカンヴァスに向かったであろう彼を
うまく描写している 行が重ねられています。
 それにしても、作家というのは・・・うまい表現を考えるもんだ。

 また、物語の進行係? として登場するブランシュ
(モネは義理の父、ブランシュの母アリス・オシュデと結婚)は、
料理や家事、庭仕事の監督、帳簿の管理、モネの仕事のマネージメントなど、
実家でもあるこの家の一切を仕切っている才女です。
 そして彼女の夫は、モネの長男ジャン。

最初に登場するのが、モネの友人、80歳を超え、30年以上にもわたる交流を続けている・・・ジョルジュ・クレマンソー(元フランスの首相・ジャーナリスト)
         (モネと一緒に)

  政治家としての活躍する彼は、何かにつけてモネやその仲間たちを
  擁護し、支援した。

  余談ですが・・・クレマンソーは意外にも 日本の茶道具「香合」に魅せられ
   多数を収集所蔵。カナダのモントリオール美術館で彼の収集品
  (安土桃山時代から江戸時代末期にかけての香合約3000点が発見され
   現在「クレマンソー・コレクション」として一部は公開されている。

 晩年、完成する あの名画「装飾壁画 睡蓮の池」の制作を依頼したのも彼。
 そう、その絵を チュイルリー公園の中にあるオランジュリーに。 

 当初は、パリ市内のピロン邸の庭に特設する建物の円形の部屋に展示しては
 (現在ロダン美術館になっている )どうか、 と提案したが、モネはそれを拒否。
  
       どうしても楕円形の部屋にしてほしい・・・・!

  この絵の完成までが この物語です。

  現在展示されている 「オランジュリー美術館」 その 円形の部屋
 

 ここの「睡蓮」の絵については、最後にご紹介します。

 モネの絵について、ブラッシュの父は

 エルネスト・オシュデが、家族を呼び寄せ「明日、素晴らしい芸術家がここへ
やって来るんだ」と・・・・興奮気味に。
 「クロード・モネと言ってね、ちょっと珍しい画家なんだよ~」
ほら、パリの邸の居間に飾ってある・・・・あれを描いた画家だよ」
 「『印象 日の出』って題名がついている、あれ?」
     ブラッシュはすぐに思い出した。 父は目を細めた。

  

◆「印象派」=マネをリーダーとして崇める画家たちのグループ。
 それが モネ、ルノワール、シスレー、ピサロ、ドガ と言った画家。
 よく知られるように印象派の呼称は彼らが名乗ったものではありません。
 彼らが1874年にパリで開催した展示会に、モネが出品した『印象 日の出』
 を批評家のひとりルイ・ロウは「単なる印象でしかない」
 「描きかけの壁紙のほうがましだ」と揶揄する記事を新聞に載せたことから
 生まれた言葉です。

印象を左右するものこそ、その時々の太陽です。
 その自然の光を表現するため
モネをはじめとする印象派の画家たちは「色彩分割」という手法を考え出しました。
太陽の光を構成する七色のスペクトルを重視し、カンヴァスにその
七色を混ぜずに並べて描いていく手法を言います。

 彼らは 自らの網膜に飛び込んでくる一瞬の印象をカンヴァスに
 表現しようとしました。

この絵= 「印象 日の出」 は ノルマンディ地方のル・アーブルの港に
     朝もやの中、太陽が昇る一瞬の光景を描いたもの。
      よ~く 近づいて 御覧なさい・・・
     物の輪郭は漠然としています。
     港に浮かぶ船は簡略化し、
     朝もやの向こうの風景はまるで一筆書き・・・
      のような粗さですね。

   *この絵は現在、フランス 「マルモッタン美術館」に収蔵展示。
    その「マルモッタン美術館」から「モネ展」が
    福岡市美術館でも開催され 私も言って来ました。
     (ブログ 2016.1.26 2.09 にアップしています。)

  クレマンソーの「香合」の話をしましたが・・・
 モネは、30代に日本の浮世絵に出合い、すっかり心を奪われた。
 それはその後のモネの絵画に重要な影響力を及ぼすことに。
  風景や場面の一部をばっさりと大胆に切り取った構図。
 単純明瞭なのに奥行きを感じさせる色。みずみずしい鮮やかさ~
 モネは 浮世絵を買い求め集めた。   
           先の 「ゴッホ」も 同じですね。

  「睡蓮」 「ジヴェルニーの庭 橋」  などなど・・・これから出てきます。

  この絵 ずばり 「ラ・ジャポネーズ」 

    よ~く見てください。
     持っているのは 扇子 後ろに貼ってあるの「団扇」
       描かれているのは 浮世絵の数々・・・
  
    そいてポーズは? 「見返り美人」のような 構図で描かれている。
     モデルは モネの妻 「カミーユ」です。
         

 ◆当時のヨーロッパ人は どうやって浮世絵を知ったのか~
 これは 包装紙として使われていた「北斎漫画」がきっかけなんです。
  輸入品の緩衝材、つまり包装紙として使われていた葛飾北斎の漫画を
  見つけ、独特の構図に目を奪われ、これが話題なってパリ万博の開催で
  日本の美術品や工芸品が紹介されると、ジャポニズムが一気に過熱した
  のです。
         
     

 さて、ブランシュの父について~
 ◆エルネスト・オシュデ=フランス・パリで百貨店を経営していた実業家。
   美術コレクターであったが、1877年に破産。印象派の絵画コレクションを
   失っている。 1878年よりオシュデ家はクロード・モネと共同生活をする。
   オシュデの死の翌年、妻のアリスはモネと結婚。

   もう一人・・・ 著名な画商を。
 「ポール・デュラン=リュエル」
         

  モネの「積みわら」を最初に買い上げた。    
     後で 「連作」 でご紹介。  
  ルノワール「舟遊びをする人々の昼食」も。     
 フランス印象派の最も著名な画商で、この本で紹介したほとんどの画家が
  支援を受けている。
    
  さぁ、これで登場人物の紹介はそろいました。
 モネが 描いた多くの作品の中から、(連作)
   「積みわら」 「サン・ラザール駅」 「ルーアン大聖堂」「睡蓮」
   
  そして 最後の「睡蓮」 
      オランジュリー美術館の絵までを お楽しみに!

  コロナの影響のニュースを聞きながら・・・
   
   その合間に、 なんと モネが筆を奮った・・・あの聖堂
   火災にあったルーアン大聖堂の修復作業がコロナの影響で
   工事現場の人たちの作業にも、 とうとう中止・・・
   予定どおりの計画は ???  
     あれもこれもと心配ばかりが・・・

  
 

  
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タンギー爺さん

2020-04-14 | 日記

世紀末、この国の芸術を一変させる旋風が起きた。
タンギーの小さな店で。
        -エミール・ベルナール 
の言葉である。


 この「タンギー爺さん」ってのは、誰?
         

この物語の主役。 
パリの画材屋の「ジュリアン・タンギー」で貧しい画家たちを画材の供給や、
生活面でも支援していました。

 本の始まりの 行は、娘が ポールセザンヌに宛てた手紙の文章から~
  「あなた方芸術家が、「タンギー親父」とお呼びになって親しくして頂いている私の父は、この手紙のことを知りません。・・・中略・・・
 失礼ながら、この際正直にか行きますわね。 あなたが溜めに溜めている絵の具代の一切を、一刻も早くお支払いいただきたいからです。 ・・・続く。 」

 手紙を出している相手「ポールセザンヌ」がこの物語のもう一人の主役。

 さらに、「エミール・ベルナール」「フィンセント・ファン・ゴッホ」
「ポール・ゴーギャン」「ルノワール」と歴史に名を残す巨匠の顔が
ぞろぞろと~みんな この親父のお世話になっているのだ。

 この物語、「タンギー親父の店」といえば、パリでいちばん融通の利く
画材屋兼画廊のことを指す。

 ・・今の時代では、ご存じの画家ばかりですが、
セザンヌ、ゴッホ、ルノワール、マネ~らは 「タンギー親父の店」に
顔を出しているときは売れない画家たちで
代金の代わりに、売れもしない絵を置いて行き、画材を融通して
もらっていたのです。
 そして、みんな当時の例の展覧会に出品をつづけていたのです。

 そして画家たちには、「画廊」と「画商」が生命線・・・いつか世に出る!
 
  前の項でお話した「印象派展」 ここでもこんな話が。

 この「印象派」の名前の由来・・・
  第1回 「モネ」の 「印象・日の出」からだと・・・
     「モネ」に」ついては 次回以降 改めて・・・
      
 
 第2回展、ルノワールの「陽光の中の裸婦」

   この裸婦の肌の斑点・・・その表現は「光」による色彩の変化なのに・・・

 印象派の画家たちは、当時「押し出し式チューブ」の発明により、絵の具と筆とカンヴァスを携えて、戸外へ制作に出かけるよになったのです。
 これは従来の、画家の手法をも一変する偉大な発明でもありました。


 この絵に対し、世間の批評は・・・死体が完全に腐乱している状態・・・と
痛烈な声が~
 

 マネ、モネも、ルノワール、セザンヌも当時の彼らの絵に対し世間は
新しい芸術としての価値を理解してくれませんでした。

 その彼、ルノワールが、セザンヌを紹介してくれた。
 セザンヌもまた理解されずに「狂気の画家」と呼ばれていた。

 さて、「セザンヌ」との関係で・・・あの有名な作家である「エミール・ゾラ」
少年時代から親友だった。 小説 「居酒屋」「ナナ」を残す。
     こんな1枚が残っている。 
 ベルナールが描いた、
エミールゾラに新聞を読み聞かせているポール・アレクシス」
            ゾラ(白い服の方)ってこんな顔

 ゾラは、小説「制作」を発表し、その中でひたむきに芸術を求め自我と格闘する新進の画家の人生を描き切った鮮烈な一片を~
  その主人公は・・・彼 ?  だが、その小説の結末は
 制作に行き詰まり、絶望の果て、自作の前で自殺してしまう~・・・・
   小説でよかった・・・本人には読ませたくない。
  
 ゾラの思い出話に
 「あいつパリへ私を頼って出てきたときに・・
      『リンゴひとつで、パリをあっと言わせてやる』ってね」
        ↓
 このセザンヌの言葉は、作品として 現代の世界の美術館の至宝として
また日本の美術館の企画展ではどこかで展示される。 巨匠ですね。
        セザンヌ自画像


ゴッホとベルナールの話の中に・・・盛んに議論していた・・・ 
 「まったく凄い人だ、驚異的な画家だ。天才だ。化け物だ」・・・・とベルナール

 また他の人の声も、「ほんと、彼は化け物だよ。
あの人が描くサン・ヴィクトワール山の風景画と、リンゴの静物画と、トランプをする人物画と・・・」


 ここで話題なっている 絵の鑑賞をしてみましょう。
 まずは 彼の言葉
    『リンゴひとつで、パリをあっと言わせてやる』

「リンゴとピーチと梨・ブドウ」 「リンゴとオレンジ」  「リンゴとナプキン」       

             「りんごと籠」
              
 
 セザンヌは一生のうち静物画を200点以上描いています。

「ヴィクトワール山」 
 四季折々に異なる表情を見せる格好のモチーフ、この山をセザンヌはあらゆる表現方法を試しながら独自の芸術表現を築き上げていった・・・。
     

  生涯 彼は、油絵で44点 水彩画で43点も。 
 
   「カード遊びをする人々」

     
    因みにこの絵
   世界の高額絵 現在第2位
     320億くらい

   じゃ、第1位は 近年話題になった・・・ 「レオナルドダヴィンチ」  「サルバトール・ムンディ」  500億越え・・・

           
 
 「赤いチョッキの少年」
                

            

  こんなエピソードを持つ「赤いチョッキ」のこの1枚
      
 *その邸宅は、スイス最大の都市チューリヒの閑静な高級住宅地にある。~
  2008年、私設美術館だったこの邸宅で、美術史に残る大事件が起きた・・・
  日曜日の夕方、武装した3人組が押し入り・・・
  「ゴッホ、セザンヌ、ドガの絵画4枚を奪い去った。被害総額175億は当時
  欧州で最大規模の絵画強奪事件。
   ~見つかったのは 事件から 4年後・・・。 」

   実業家のエミール・ゲオルク・ピュールレ この絵の持ち主。

  2018年 大宰府市の九州国立博物館で開催
  「至上の印象派展 ピュールレ・コレクション」 日本初上陸

   この1枚 「赤いチョッキの少年」が
     ルノワールの「可愛いエレーヌ」 と一緒に 
        
   もちろん 私も 行ってきました・・・
   その興奮は ブログ(2018年7月5~6日にアップしています。)


 愛妻「セザンヌ夫人」の肖像  夫人の絵も数多く残しています。
            

  「水浴図」
       
 セザンヌの作品 まだまだ~ですが きりがない!

  制作中の「水浴図」を背景に~

  ベルナールが描いた 「大水浴図の前に座るセザンヌ」
       

 物語は 続き・・

タンギー爺さんは、ゴッホの描く絵に夢中になり始めました。
 色がいい、構図がいい、タッチがいいと、・・・手放しで褒めていました。

 ゴッホがある時、
何を思ったか、「親父さんの肖像画を描かせてくれ」と言い出したのです。 

 レストランの一角を借りて、テオ(ゴッホの弟)が買い集めたとかいう浮世絵を
壁いちめんに貼って、その前に父を座らせ、ゴッホは豪快に筆を奮いました。
 
        これが  かの有名な最初の1枚です。           
                    ↓ これ浮世絵 横に 下にも。
                                   

  さらに 親父の肖像 2枚目には 
       「あの・・・歌川広重や豊国も  あるのだ。
                 ↓             
       


    


  最初に紹介した画家 「エミナール・ベルナール」の描いた
  「タンギー爺さん」の1枚もあります。

    「ジュリアン・タンギーの肖像」 
       ベルナール 

 「ポール・ゴーギャンの肖像を背景とした自画像」 ベルナール
           

彼ベルナールの画法は、「クロワゾニズム」
 (暗い輪郭線によって分けられたくっきりしたフォルムで描かれた。
  ポスト印象派の様式を云う)

  画家の妹 マドレーヌをモデルに
   「愛の森のマドレーヌ」 彼の代表作
         
   「ブルターニュの女たち」 彼が最も多く手掛けた画題である。  
  
      

  
  彼ら(ベルナール、ゴッホや若い画家)は セザンヌを『父』として、
この先、セザンヌの「息子」に・・・
 つまり、セザンヌ的な視点を持った画家が増えるんじゃないか~

 ある日、ゴッホが。
 「なぁ親父さん、今度セザンヌがここへ来たら、真っ先に
  俺に知らせてくれるかい? 俺が描いているひまわりを、彼に一度
  見てもらいたいんだ。

    
  
  タンギー爺さんは この絵を大事に預かっていました。


 冒頭、タンギー爺さんの娘が セザンヌ宛てに出した手紙から始まってから
 ・・・彼、タンギー親父は 
  あなたのお帰りをずっと待ちわびていた父は、もういません。

 生前、父が言っていたそうです。
 ああ、なんとわしらの豊かなことが! ピサロ、モネ、セザンヌ、ゴッホ、
 ゴーギャン」、スーラ、ベルナール。
 世界中どこを探したって、こんなすばらしい絵画コレクションを揃えた
 億万長者はいまい。 わしらは美術館に住んでいるようなもんだ。 
 もしもこのすべてを競売にかけたらなら~
 ああ、考えただけでめまいがしてきた。  」

  一生を若い画家に命を捧げたタンギー親父の 物語でした。

  遺された作品はすべて競売にかけた・・・結果は完売でした。
   びっくりするような安値で・・・・新興の画商ばかり。
  二束三文で、ごっそりと落札していきました。

   その後の 1枚 1枚 の彼らの絵の 値段は?
   画商って商売 思うに・・・・相当の悪 って感じ。


  

  


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「ドガ」 メアリーカサットが語る

2020-04-12 | 日記
 本の続きの第2章目「エトワール」 ドガの物語り

 この物語の語りをドガの友人であり画家のエミリー・カサット

彼女が画家になるためにパリに渡った頃。
 メアリーは初めての官展を心躍らせて見物に出かけた~
 どの作品を見ても心が動かない。 退屈であくびが出そうになった。
・・・・どれひとつ、ルーブルにある作品を超えてはいない。・・・

 その中で、一点だけ、明らかに周囲とは違う光を放っている絵があった。
 ~たちまちその絵に引き付けられた。

 彼女が見た1枚が これ 「競馬‐落馬した騎手」というタイトル。
 なんなの、いったい、これは。 つぶやく・・・

 

 それが、カサットがエドガー・ドガという画家の絵を始めて目撃した日だった。

 1917年9・27日アトリエで突然倒れたドガは、誰にも看取られることなく急逝した。83年の人生のほとんどを捜索に捧げ、生涯独身だった。

 その彼の作品の中に、特異なものが1点。
彼が亡くなった後の倉庫の整理をしている最中、立体物が見つかった・・・
彼は彫刻を制作しなかった~ただ一度限り、この1点を除いては。
 蝋で作られた人物像 『十四歳の小さな踊り子』だった。
             
  ブロンズではなく蝋で作っており、サイズも小さい。
正確には「彫刻作品」の前段階、「試作」(マケット)というべきだろう~  と。

ドガは生前、踊り子をリアルに描くために、彼女たちをアトリエに連れてきてポーズをとらせ、一心にスケッチしていた。
               ~メアリーは彼のアトリエに訪問した時何度かそんな場面に行き会っていたことを・・・。   

    ドガが生前に発表した、唯一の彫刻作品。


彼、ドガが印象派の画家であることはご存じ。 
官展に反旗を翻した勇気ある画家たちの一人ですが、 
その中にエドゥアール・マネもいた。
 彼のこの絵が猛烈な批判を浴びた・・・・ 「草上の昼食」

この時代、裸体を描くのに「歴史画である」というもっともらしい「理由・言い訳」が
まだ必要であったのに~ この絵は、現実的過ぎる描写の裸体だったのです。
 批評家や観客は・・・「いかがわしい」「不道徳」として糾弾!
 絵画は「高貴」であるべき時代に、マネは人々に「現実」を突き付けるかたちを。



 「印象派」と呼ばれるようになったのは、
「計算しつくされた構図や、歴史的背景、神話、肖像などのありふれたモチーフ
なめらかな仕上げの絵肌を捨てて、見たまま、感じたままを、瞬間的なタッチで
描く。  「印象のままに描いている」   ここが所以なのである。

でも、このマネの絵も・・・じつは 影響を与えていると思われる重要な前例的作品があります。
 テイッツアーノ  「田園の奏楽」
       
       


 ドガは、「瞬間」を描きとるために、踊り子をモデルに雇って、熱心にポーズを
研究し、彼女たちの「一瞬」を「永遠」にするために、膨大な時間を費やし多くのスケッチをもとに、ち密に計算されたのちに作品は制作されたものだった。

  もう一度 その作品を鑑賞してみましょう~

   「一瞬」の切り取り方・・・動き  そして 「永遠」に
       

 バレー作品以外にも こんな作品も。

 表現としては、かなり難解? な あいまい?な禍あt地の作品に
 「室内」(強姦)がある。
  批評家、識者の間で、主題についての論争はいまだに未解決?
 ゾラの長編小説の第21章の冒頭に・・・
 「ローランはドアを後ろ手に注意ふかく閉め、そしてちょっとの間、
  それによりかかって心配そうな当惑した表情を浮かべて、部屋の中を
  見つめながら、そこにたたずんでいた。」

 さて、そんな一つの見方を参考に あなたの想像を膨らませてみては?
       

  生活、風俗、馬などの絵も多く~

 

 「欲盤(湯浴みする女)」

      ちょっと 一緒に覗いているような気分に?
         
 
 「髪をすく女」
      


  「ロンシャン競馬場」 などの作品も。
     


 最後の行に・・・あの少女の像の彼女の名はマリーは 
結局、「エトワール」(星)になることなく、オペラ座を去った~

           (晩年のカサット)

 メアリーの語る ドガの話はこれでおしまい。
 次回は ゴッホ、セザンヌの登場です。 
  
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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。