CDCの応接室に、冴とオーナーの二人は、謎めいた女性を案内した。
「突然、すいません、私はサラと言います。私は、あの・・・」
言いかけて、ふっと視線を逸らした。
「ごめんなさい、私、オークションというものに参加したことがなくて…
何からお話ししたらいいんでしょうか」
・・・・一息入れて、住まいや、日常生活のことをゆっくり話しながら
次第に気持ちがほぐれていった~・・
サラは、「私、画家なんです」
絵の話になって、冴は自然と前のめりになった。
このミステリアスな女性は、自らを「アーティスト」ではなく、「画家」と呼んだ。
いろいろ話は弾んでいき…
オーナーが、彼女、冴は、わが社が誇る十九世紀フランス絵画が専門です、
もちろんそれ以外のものでも、彼女はしっかり鑑定しますし、出品の
アドバイスは責任をもっていたしますよ。
サラは、目をきらりと光らせた。
「・・・拳銃も、ですか?」
持ち込んだ拳銃は、錆びだらけだ・・・というよりピストルの形をした錆だ。
そうなのだ。誰かにとってはがらくたのようなものであっても、
ほかの誰かにとってはかけがいのない宝物になる。
サラは押し黙っていたが、ややあって、
「・・・ええ」と消え入りそうな声で答えた。
「信じてもらえるかどうか・・・わかりませんが・・・」
サラがぱっと前を向いた。
その目は決意の光できらめいていた。
間髪を入れずに、彼女は言った。
「あのリボルバーは、フィンセント・ファン・ゴッホを撃ち抜いたものです」
・・・えっ。
その瞬間、冴の身体を貫いて電流が走った。
いま、なんて? これはまさかーーー。
「それは、つまり・・・その…ファン・ゴッホが自殺を図ったときに、
彼が、自分で自分を撃った・・・ピストル、だと?」
冴はどうにか言葉を押し出した。
が、驚きのあまりすっかり混乱してしまっている。
「ええ、そのとおりです。」サラはハッキリと言った。
「1890年7月27日、オーヴェール・シュル・オワーズ村で、
ファン・ゴッホの腹部を撃ち抜いたピストルです。
「 そうであると証明できるものが、何か・・・・」
このようなケースでは有力な証拠が必須になるのだ。
~ 証明がない限り、出品は難しいと~ 粘り強く説得し、
どうにか引き取ってもらった。
(文中から要約して)
ちょっと長くなりましたが。
ここが大事なところです~
パリの小規模なオークション会社に勤める
オークショニスト・高遠冴は、ゴッホとゴーギャンについての
論文を準備中だった。
そんな彼女のもとに古びた拳銃が持ち込まれた。
出品者はゴッホの自殺に使われたものだという。
その真実を探るために冴はゴッホとゴーギャンの謎に満ちた関係の
調査を始める。
そして、誰も知らない歴史上の真実を掘り当てる。
それは、ゴッホの死にゴーギャン画家がかかわっているという
驚くべきものだった・・・・。
という、話に展開していくのですが~「太字の部分」が
この小説の、創作となるのですが・・・
その内容が、凄く、原田マハでなければの発想なのです。
ゆっくりと、ゴッホとゴーギャンの「生き方」
(歴史に残っている、本当の話を軸に、
原田マハのフィクション話を加えて)
小説の中の「サラ」と「冴」の二人も追いかけて
お話していきましょう。
お話していきましょう。
彼女の前の作品に
「たゆたえども沈まず」 「ゴッホのあしあと」


*この本についても、以前のブログにアップしていますのでどうぞ、ご覧いただきたい~。
この中でも、今回の「リボルバー」でも
全編にわたって物語の細部に至るまで、歴史的事実をよく
抑えていることが分かります。将来も事実との明白な齟齬が
指摘されそうな部分はわずかしかない。
そのような歴史的検証をした上で、架空の人物や出来事を
巧みに挿入し、物語としての「真実らしさ」を作り出している。
では、出品されたという ~この拳銃
おそらくこの小説の発想の原点ともいうべき出来事は、これではないか?
と 私は。
オランダのゴッホ美術館で展覧会が2016年にありました。
「ゴッホと病気、狂気の淵で」

この展覧会の注目点が二つ。
・ゴッホが切り落としたのは「耳全体」か「耳たぶ」か?
・ゴッホが使用した拳銃の展示
◆1960年頃、オーヴェル・シュル・オワーズの農民が農作業中にゴッホが
自殺したとされる現場から錆びついた拳銃を発見した。

「拳銃」写真の下の方が発見された錆びた拳銃
上は、拳銃の見本

「本文中には、このような会話で~」
冴の博士論文の中心的テーマは、アルルにおけるゴッホとゴーギャンの
相互影響についてである。
サラが持ち込んだリボルバーがゴッホの自殺に関係したものだと聞いて、
瞬時に疑った。
ゴッホが自殺したかどうかは別にして、彼の命を奪ったのが拳銃で
あったことは間違いない。
診察した医師の証言や診断書も残っているから、
それは明確に証明されている。
しかし、どこで、誰が、どのようにして、どんなピストルの
引き金を引いたのか。なんのために?
「・・・証明できます」 ややあって、サラが言った。
深く、静かな声だった。
「あのリボルバーは、この展覧会に出品されました。
ーーアムステルダムのファン・ゴッホ美術館での展覧会です。
何よりの証明です」
冴は、目を凝らしてその表紙を見つめた。
◆サラの言った、この展覧会は「本当にあった出来事」
また、ゴッホがオーヴェール・シュル・オワーズの村内の
いずれかの場所でピストル自殺を図った。
拳銃は腹部を貫いたが、彼は自分の足で下宿先の食堂「ラヴー亭」まで
戻り二日後の7月29日に息絶えた。

これからの物語に、出てきますので この村を記憶にね。

◆「ラヴー亭」は駅から歩いて5分ほど、村役場の向かいにレストランのラヴー亭
があります。ゴッホがここで滞在中に過ごした下宿です。
当時、一階はカフェ居酒屋、2~3階は宿泊施設で、ゴッホが泊まった
3階の2~3畳の日リサの屋根裏部屋は当時のままに保存されており、見学
することができます。
家賃は賄い付き月5万円くらい「現在の値段で」だったそうです。
当時の壁や床の状態のまま保存されています。
フランスでは家のリノベーションが盛んで、次に住む人が内装を変えます。
しかし、自殺者の部屋は忌み嫌われ、事故物件として借り手がつかなかった
そうです。そんな理由で奇跡的に残され、ゴッホが絵を描けていた釘跡までも
残っています。 (原田マハさんが現地を訪ねたときの話から引用)
ゴッホが死ぬ前2か月間過ごした部屋~
とても狭い部屋です。現在、見学もできます。 

現在、見学できるこの家の窓に
「ゴッホが亡くなった日」それを記念にしたパネルが…
二つの窓の間に~

パネル

ゴッホの死の証明書を書いた医師「ガッシュ医師」


ゴッホが描いた医師の肖像画
ゴッホが描いた 「ガシュ医師の庭」

「ガシュ医師の家」

*ガシェ医師の家には、セザンヌ、ルノワール、ピサロ
そしてゴッホなどの画家を、時折、自宅へと招き入れていたそうです。
*ガシェ医師の個人宅兼診療所は、現在記念館になっています。
画家でもあった
ガッシュ医師が「ゴッホの死に顔」を残している。

ゴッホは、拳銃で自らの左脇腹を撃ったと、直後に診察した彼の
身元引受人・ガッシュ医師に告げたと言う。
が、凶器となった拳銃はみつからず、ゴッホがどこで自殺したかも
わからなかった。
ゆえに、ゴッホの死を巡るさまざまな憶測が飛び交い、近年までに
詳しく分析、研究もされてきた。
その過程で、「ラヴー亭の壁に錆びついた拳銃が飾ってある」と
いうことは、地元民はもちろん、オーヴェール・シュルに行ったことが
ある研究者のあいだでも知られていた。
ただ、ゴッホの自殺に関係あるものかどうかは誰にも確証はなかった。
30年ほど前に、ラヴー亭の経営者が替わった。
冴が初めてラヴー亭を訪ねたときには、すでに店の壁にリボルバーは
なかった。
さぁ、それでは、これから、その「拳銃」が展示されたアムステルダム
ゴッホ美術館

と「拳銃」が発見された 現地(オーヴェール・シュル)へ
(当時の状態があるわけではありませんが)・・・・
そして、ゴッホとゴーギャンの関係物語に入っていきましょう。
では 明日また。